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2007年2月 8日アーカイブ

「高尾臨」の時代。

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発売中の『国鉄時代』Vol.8で鈴木 靖さんが“武蔵野の冬の風物詩”として「八高線の豆まき臨」の思い出を綴ってくれていますが、首都圏在住のファンにとって初詣の「成田臨」とともに印象深かったものに「高尾臨」があります。もちろん現在でも電車列車での初詣臨の設定は残されているようですが、私たちの世代にとっては「団体」の方向幕を掲げた電車ではどうもピンと来ず、自ずと興味は今や過去のものとなってしまった機関車牽引列車となってしまいます。
▲EF58 153〔宇〕に牽引されて山手貨物線を新宿へと向かう宇都宮発の「高尾臨」。当時すでに宇都宮のゴハチが新宿に姿を見せるのは珍しくなっていた。'79.1.31 目白?高田馬場

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機関車牽引の「高尾臨」として長く親しまれていたのが件の八高線です。毎年節分には高崎方面から高尾山に向かう数本の客車列車が設定され、古くは大宮区の9600が高尾まで乗り入れていました。1969(昭和44)年秋に9600が姿を消すと、無煙化(1970年10月)までのワンシーズンだけC58(D51)がエスコート役を務め、以後はその任をDD51が受け継いで運転が続けられました。末期は本誌誌上でもガイドをご紹介し、かなりの人気を博していたのは記憶に新しいところです。
▲新宿からは八王子区のEF15 62が先頭に立って中央快速線を高尾へと向かう「高尾臨」9535レ。その後このEF15 62号機は一時高崎二区に貸し出されたのち、翌1980年12月10日付で廃車となっている。'79.1.31 中野?高円寺

takaorin3nn.jpg一方、東北筋から高尾山へと向かう「高尾臨」もあり、こちらは宇都宮区のEF58が新宿まで牽引、新宿で地元八王子区のEF15にバトンタッチして高尾に向かうパターンでした。普段は客車列車の姿を見ることのできない八高線と違い、運転経路や牽引機に目新しさがないこともあってか、こちらはとりたてて話題になることもなかったように記憶していますが、今になって振り返ってみればこれはこれで貴重な記録なのでは…と古いネガを引っ張り出してお目に掛ける次第です。ちなみに列車運転史の第一人者・三宅俊彦さんにうかがったところでは、「成田臨」に比べ「高尾臨」の歴史は浅く、マイカーの普及と近隣駐車場の整備によってフェードアウトしてしまったとのことでした。
▲11:09(30)高円寺駅を通過する「高尾臨」。この当時の中央線はまだまだEF15の姿が頻繁に見られた。'79.1.31

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ところで、現在のように臨時列車の運転情報がインターネットなどで容易く得られる状況とは違い、1970年代の情報収集は苦労の連続でした。そんな中で絶対的な情報源は「局報」と通称され日々発行される各鉄道管理局報でした。なにしろ実際の「達」を現場に知らしめるためのものですから確実・絶対なのは当然。この「局報」に記載された運転計画は、後日改めて「局報」で変更を通報されるか、ごく稀に電報手配で変更される以外ありません。それだけに何とかこの「局報」を入手できないかと八方手を尽くしたのですが、意外や意外、なんと“本丸”こと丸の内の国鉄本社ビル内の書店で購入できることを知りました。内部資料を一般人が購入できるのも驚きなら、それを買いに本社にずかずかと入っていけた状況も、情報管理が要諦となっている今日ではとても考えられないおおらかさだったといえます。
▲総裁室文書課が発行する「鉄道公報」と首都圏本部が発行する「首都圏本部報」、そして各鉄道管理局が発行する「局報」。「高尾臨」の運転計画は主にこの「東京西鉄道管理局報」で伝達された。

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