鉄道ホビダス

津軽中里いま昔。

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先日の「北東北を巡る」で簡単に触れた津軽鉄道ですが、改めて昔の写真と対比してご紹介してみましょう。時は1975(昭和50)年3月。お察しのとおり最後の国鉄蒸機の姿を求めて渡道する道中での訪問です。改めて思い返してみると、それまでの何回かの訪問もことごとく渡道の行きかえりで、1970年代に津軽鉄道を主目的に訪ねたことは一度もありませんでした。
▲荷物車代用だろうか、パワムからつぎつぎと降ろされる小荷物の山がホームを埋め尽くしてゆく。ローカル私鉄とはいえ、当時は終着駅には終着駅なりの賑わいがあった。'75.3.24

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▲ひるがえって今日の津軽中里。スーパーが併設されたものの、ホームに人影はなく、構内はひっそり閑としている。'06.11.24

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▲31年前の津軽中里駅構内。木製の庫の先にはささやかな転車台があった。線路は機回し線の先で小山にぶつかってふっつりと途絶えている。'75.3.24

当時の津軽鉄道は、先日さいたま市の「鉄道博物館」入りしたオハ31形が健在で、ラッシュ時にはDD350に牽かれて活躍していました。まだ国鉄線上にもわずかながらダルマストーブが残っていた時代ですから、当然ながら今のように「ストーブ列車」などという名称は付けられておらず、沿線の五所川原農業高校をはじめとした通学の輸送需給から客車列車が運用されていたに過ぎませんでした。

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▲木造の駅本屋は風雪に苛まれる津軽らしい構造だった。ラッチを出てもさらに防風壁があり、その扉を開けてはじめてホームへと出る。右はまさにストラクチャーガイドそのものの鰻の寝床のような木造1線庫。'75.3.24

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▲今日の津軽中里。あの木造1線庫はかろうじてその姿を留めていた。右はホーム端から見た終端部で、上の31年前の写真と比べると小山の上に近代的な家屋が並んでいるのがわかる。'06.11.24

減少の一途だったとはいえ、当時はまだ貨物輸送も健在で、DD350の牽く混合列車のほかにも、一般運用のキハ24000形が貨車を牽く姿も目にすることができました。津軽鉄道の貨物輸送が終焉を迎えたのは、1984(昭和59)年2月の五能線貨物輸送廃止時でした。

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▲雲間からようやく春を感じさせる陽光がのぞく。それでも津軽平野を渡る風は身をきるように冷たいが、キハから降りてきた地元の人たちは驚くほどの薄着で本屋へと消えてゆく。いまさら見ると、構内外れには屋根車が停まるのみで、その彼方には果てしない津軽平野が広がっているのがわかる。'75.3.24

先日定点観測をご紹介した津軽中里駅本屋の変貌ぶりよりも、駅構内の変わりようが今回強く印象に残っています。かつてはさいはての終着駅といってもそれなりの賑わいに包まれていたように記憶していますが、現在はとにかくひと気がなく閑散としています。列車の発着時にも決して賑わいはなく、ここでもまた地方鉄道が直面している厳しい現状を思い知ることとなりました。逆に国道バイパス側には広大なショッピングセンターが建ち、これまた全国共通の“風景”を目の当たりにすることとなったのです。

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