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レイル・マガジン編集長自らが作る編集日記。

2006年11月30日

金華山軌道跡は今…。

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先日の「北東北を巡る」はもともと女川で開催される忘年会に出席するのが発端だったのですが、最初に女川と聞いて反射的に思い浮かんだのは「金華山軌道」のことでした。金華山軌道は石巻線女川延伸以前に石巻と女川を結んでいた軌間2'6"(762㎜)の内燃軌道で、これまでにまとまった発表もなされておらず、是非一度訪ねてみたいと思っていたところでした。そんなわけで、せっかく女川の地を踏むのだからと、集まる東西のお歴々向けに簡単な資料を作って頒布することにしました。今日はその一部をご覧にいれながら、金華山軌道跡訪問の顛末をご紹介してみましょう。
▲女川駅はホーム一面の頭端式。かつては女川港への貨車の出入りで賑わったことだろうが、今はひっそりとしている。ホーム端から下がった位置にある駅本屋への階段には、かつての三陸沖地震の際に津波が押し寄せた位置がマーキングされている。'06.11.26

IMGP0486n.jpg金華山軌道は1915(大正4)年7月に石巻と渡波間を結ぶ馬車軌道=牡鹿軌道として開業しました。のちに金華山軌道となり、1926(大正15)年7月15日付けで渡波?女川間を延伸、全線13.9kmが完成しています。石巻では省線や宮城電気鉄道(現在の仙石線)とはまったく接続せず、北上川左岸に独自の石巻港駅を設け、ここを起点に石巻北街道を東進、万石浦北岸をトレースするように抜けて女川の鷲ノ神地区に至るというルートです。
▲女川駅駅舎。女川駅の開駅は1939(昭和14)年10月7日。金華山汽船航路の連絡駅でもある。'06.11.26

IMGP0464n.jpgこの金華山軌道が5万分の1地形図上に表記されたのは「昭和8年版」のみで、いきおいこの図幅をもとに痕跡を辿ることになります。まず現行地形図と照らし合わせてみると、下図のように、現在の石巻線渡波?浦宿間はそっくりそのまま金華山軌道の線路敷を利用して建設され、200Rの急曲線が続いていることがわかります。それもそのはず、金華山軌道は石巻線女川延伸に伴う補償を受けて廃止(1940=昭和15年)されているのです。
▲女川港線の跡は遊歩道となっている。女川から女川港まで1.4キロを結ぶ女川港線は1958(昭和33)年に開通している。'06.11.26

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▲地形図に見る金華山軌道。石巻駅の1キロほど南東・石巻港駅を起点に石巻北街道沿いを渡波へと向かう軌道が見て取れる。万石浦北岸は現在のJR石巻線とまったく同ルートを辿り、浦宿付近から街道沿いに鷲ノ神地区へ至る。軌道は全線約1時間を要したという。大日本帝国陸地測量部1:50000地形図「石巻」(昭和11年発行)より補筆・転載。
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宿での朝食を済ませ、さっそく地形図片手に金華山軌道の女川停車場跡を探しにでかけました。ところが旧版の地形図しか手元になかったのが大きな間違いで、まったく関係ない空き地を軌道跡と思い込んでしまったのです。水産加工場らしき工場がすでに仕事をはじめていたので、のぞきこんで聞いてみましたが、作業をしているおばさんたちはどなたも30?50代。戦前になくなった軌道のことなど当然知る由もありません。

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今度は通りすがりのおじさんに聞いてみることにしましたが、「とにかくこの空き地は昔っからの旧家があったとこで、線路なんかなかったはず」とのこと。でもご親切に付近の古老のお宅を教えてくれました。同行の関田克孝さんらは、せっかくだから聞きに行ってみよう…とおっしゃられますが、なにしろまだ朝の8時。しかも日曜日とあってさすがに突然訪問は憚られ、再び地形図を広げながら付近を歩いてみることにしました。
▲ようやく同定できた金華山軌道女川停車場跡地。左の建物の位置が構内で、画面前方が石巻方。古老の証言がなければとても短時間に発見することはかなわなかった。ちなみに右に立つのは『鉄道ファン』誌の宮田編集長。'06.11.26

IMGP0477n.jpgどうも様子が違うと困惑していると、後ろから「名取さん、名取さん!」と高井薫平さんの呼ぶ声が…。指差す方を見るとさきほどのおじさんが追っかけてくるではないですか。なんと軌道を知っている別の古老を見つけ出してわざわざ知らせてきてくれたのです。
果たして駅前の足湯につかっていた古老は齢90歳。驚いたことに金華山軌道に勤めていたことがあるというではないですか! 慌てて持っていたコッペル製機関車の組立図のコピーを見せると「そうそう、この機関車よ」と懐かしそうです。お年とは思えないほど記憶も鮮明で、軌道の駅名は立て板に水のごとく諳んじておられ、走ってきて無賃で飛び乗ってしまう人が多くて苦労したことなどを聞かせてくださいました。
▲鷲ノ神地区の住宅街にクルマさえ入れない細い道となって続く金華山軌道跡。かつてはここをコッペルの内燃機関車がトコトコと走っていたはずだ。'06.11.26

懸案の駅の跡地は…と尋ねると、「○○さんちのはす向かいで、○○さんのじいさんが駅長をやっとった」と極めて詳細な情報が得られました。なんと私たちがいままで探し歩いていた地区から小山を一山隔てた場所ではないですか。あとからわかったことですが、「女川」とひと口に言っても、現在のJR駅がある女川地区と小山を隔てた鷲ノ神地区があり、後者の方が旧市街だったのです。当然ながら金華山軌道の女川停車場は鷲ノ神地区に位置しています。おそらく国鉄線は連絡航路や貨物扱いの便、さらには狭隘な扇状地に家屋が密集した旧市街を避けて、あえて20‰+18‰の勾配で女川トンネルを穿って女川地区に駅を設けたのでしょう。結果、今では行政の中心も女川地区に移り、鷲ノ神地区は旧市街というよりも住宅街と化しています。

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▲金華山軌道機関車組立図。“オーレンシュタイン犬の糞”と揶揄されるほど大量の蒸気機関車をわが国に送り込んだオ?レンシュタイン・コッペルだが、内燃機関車の輸入は数えるほどで、営業軌道ではここ金華山と笠間稲荷、それに先日このブログでご紹介した岩井町営くらいなものである。金華山が導入したのはメーカー形式「S10」と呼ばれるもので、笠間稲荷や岩井の「S5」よりひと回り大きい。金華山軌道ではこのコッペルとプリムスあわせて4輌の内燃機関車が用いられた。(提供:臼井茂信)
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“忘年会の余興”と言ってはあまりに不謹慎ですが、短い時間ながらさまざまな出会いもあり、金華山軌道跡訪問は実に有意義でした。未発見の資料や写真もかなりありそうで、どうやら時をおかずにまた女川へと足を向けることになりそうです。