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レイル・マガジン編集長自らが作る編集日記。

2006年11月19日

臼井茂信さんを偲ぶ。

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日本の車輌史研究に不滅の足跡を残された臼井茂信さんが亡くなられたのが1994(平成6)年11月4日。今日は横浜の菩提寺で十三回忌の法要が執り行われ、私もお身内に混じって参列させていただきました。臼井さんが亡くなられてから何かと親しくさせていただいてきた奥様も今年亡くなられ、奥様の一周忌と合わせての法要です。それにしても十三回忌と聞いて、歳月のあまりの速さに改めて驚きを禁じ得ません。
▲臼井さんが書斎に残された愛用のゴム印の数々。製造年、製造所、旧所属から,次葉へ繰越、頁へ転記などまであり、研究への取り組み方が垣間見える。

usuisan1na.jpg臼井さんとの最初の出会いは私がまだ学生だった頃に遡ります。大学鉄研のガリ版機関誌に掲載した「土工比爾異聞」という記事に興味を持たれてお声を掛けていただいたのが最初です。この「土工比爾異聞」は、ポル・ドコービルが生み出したドコービル・システムの将来性に着目した平野富二(石川島の創始者)が、琵琶湖疎水、横浜水道、そして足尾銅山へとドコービル・システムを伝播させてゆく状況を当時の文書をひも解いて解明しようとしたもので、すでに「ドコービール小史」や「ドコービールの発見」(『鉄道ファン』No.112)を記されて、わが国のドコービル・システムに強い関心を持っておられた臼井さんのお目にとまったものです。
▲浜松市の公園で保存されていた雨宮製のケ91を前に解説する臼井さん。聞き入っているのは湯口 徹さん。'84.12

IMGP9965n.jpg以後、臼井さんを慕う同好の士とともに毎月のようにお会いし、あらゆる面で薫陶を受けてきました。ご自身、長く東大の生産技術研究所にお勤めになりながらも、鉄道は“趣味”と強く割り切っておられ、終生そのスタンスを崩されませんでした。ある時、「10のうち9つが同じであるのを論証するのが“学問”なら、10のうちひとつの違いのを発見するのが“趣味”だよ」とおっしゃられたのが今でも強く印象に残っています。さらに臼井さんは写真に関する造詣も深く、形式写真のシャドウ部のディテールをいかに紙焼き上に再現するかに並々ならぬ熱意を傾けておられました。単薬を調合し、“二度焼き”と名づけられた類例のない特殊な方法でプリントされたモノクロ写真は、今もってどんなプロラボたりとて再現不可能な素晴らしものです。
▲一周忌に合わせて行われた「臼井茂信さんを偲ぶ会」(1995年)で頒布された『軌跡 ?臼井茂信の鉄道史研究60年?』。青木栄一さん、黒岩保美さん、西尾源太郎さん、宮田寛之さん、そして私の5名が発起人となってまとめたものだが、その後、黒岩さんも亡くなられてしまった。

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親しくお付き合いいただいていながら、残念ながらRM本誌にはご登場いただけないままとなってしまいました。ただ、ある時、臼井さんの方から「トワイライトゾ?ンに富士鉄釜石のことを書こうか…」と嬉しいお申し出を頂戴したことがあります。富士鉄=富士製鉄(のちの新日鉄)釜石製鉄所の鉄道と機関車については今もって解明されていない部分が多く、臼井さんご自身も『SL』(No.1)に概要を書かれているに過ぎません。これは願ってもないことと欣喜雀躍したものの、その後体調を崩されてしまい、私にとっても果たせぬ夢となってしまいました。
▲仙人峠を巡る鉄道は臼井さんの大きな研究テーマのひとつだった。写真はいつかまとめて発表を…とおっしゃっておられながら果たせなかった富士製鉄(新日鉄)釜石製鉄所の200形208号(1942年立山製)。'64.11 P:臼井茂信

本格的な冬の到来を感じさせる雨の中を十三回忌に臨み、改めて臼井さんの遺されたものの大きさに思いを馳せた一日でした。