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レイル・マガジン編集長自らが作る編集日記。

2006年11月 9日

“垣間見た”温根湯森林鉄道跡。(上)

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石北本線を訪ねたついでといっては何ですが、かねてから一度訪問してみたいと思っていた温根湯森林鉄道跡を“垣間見て”きましたので、今日明日の二日間にわたってご紹介してみましょう。“垣間見て”というのは、探訪どころか“歩く”と表現するのもおこがましいほど短時間しかいられなかったからで、長大なこの森林鉄道のほんの一部区間を一瞥したに過ぎません。
▲偶然見つけた「臨時交付金事業 留辺蘂林鉄線改良事業」「留辺蘂林鉄線舗装工事」の標識。「林鉄」はこんなところに生き残っていた。'06.11.4

onneyuphmigi.jpg温根湯森林鉄道にことさら興味を抱いたのは、四半世紀ほど前、古書市で旧版地形図をあさっていた頃です。ネットで地図履歴を検索して比較的容易に旧版の地形図のコピーを手に入れられる現在と違い、その頃は古書店や古書市にたまに出品される旧版地形図を集めるのが消えた鉄軌道を調べる第一歩でした。そんな蒐集地形図の中に、昭和30年代の「3色版」(すぐに4色版に移行したため3色版そのものが少ない)5万分の1地形図の「留辺蘂」や「北見富士」がありました。目が点になったのはそこに記載されている温根湯森林鉄道の表記で、図幅の左右を対角線状に、まるで定規でもあてたかのごとく直線で横切っているではないですか。森林鉄道=急曲線の連続といった既成概念を根本から覆すその姿に、いつかは現地を辿ってみたいとの思いが募りました。
▲標識のあった付近を見る。画面前方が留辺蘂方面。駅土場から軌道はまっすぐに温根湯方面を目指す。'06.11.4

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▲これが軌道跡…と言われてもにわかに実感がわかない。とにかくひたすら広大な畑を一直線に軌道跡の道が伸びている。途中から一部未舗装区間も見られた(右)。'06.11.4

温根湯森林鉄道は大雪山系無加川沿いの木材を留辺蘂へと搬出する目的で大正年間に建設された「一級線」で、最終的には石北峠を越えて層雲峡にまで至る道内屈指の大森林鉄道網を築きました。総延長80キロ以上と言いますから、中規模私鉄にも匹敵する規模です。

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▲地理調査所発行1:200000地勢図「北見」(昭和24年7月30日発行)に見る温根湯森林鉄道と置戸森林鉄道。両森林鉄道とも発達途上で、これからさらに路線を延長し、温根湯森林鉄道にいたっては石北峠を越えて層雲峡にまで達した。ちなみに置戸森林鉄道は、さきごろ“よみがえった”沼田のボールドウィンが活躍していた地。
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留辺蘂から温根湯へと続く軌道跡は、石北峠に向かう国道39号線の南側に寄り添うようにぴったりと並行した道路となっています。軌道跡といっても広大な畑の中を貫く快適な舗装路で、旧版の地形図と照らし合わせなければ、とてもこれがかつての森林鉄道の軌道敷だとは信じられません。

onneyu18.jpg時間もないことですし、これは何の痕跡も見出せないか…と思っていたところで、嬉しい標識を発見しました。どうやらこの軌道跡を舗装した際の工事実績標のようで、そこには「留辺蘂林鉄線舗装工事 工事完成平成十年八月十日」の文字が! なんと廃止から45年の歳月が流れているにも関わらず、今もってこの道は「林鉄線」と呼ばれているのです。
それにしてもここ温根湯付近の軌道跡は、あきれるほどにまっすぐで、さして勾配もありそうには見えません。温根湯森林鉄道では有名な木曽と同形のボールドウィン製B1リアタンク機が昭和30年代まで使われていたそうですが、狭隘な木曽谷と違って、ひたすら直線を走るボールドウィンはどんなものだったのでしょう…。
▲温根湯森林鉄道をゆく、わが国の森林鉄道用ディーゼル機関車としては最大の協三工業製15t機。(日本産業車輌協会『Industrial Rolling-stock & Trucks in Japan 1957』より)