鉄道ホビダス

岩井町営軌道跡を訪ねる。(上)

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岩井町営軌道…聞きなれない名前かと思いますが、1944(昭和19)年まで山陰本線の岩美駅と内陸の岩井温泉間3.4kmを結んでいた軌間2フィート6インチの軽便鉄道です。
▲風情ある木造駅舎の佇まいを残す山陰線岩美駅。岩井温泉への道標も見えるが、あたりは閑散としている。岩井町営軌道はこの駅本屋と逆の東側に乗り場があった。'06.6.16

iwamistn3.jpg町営軌道を名乗ってはいるものの、北海道に数多く存在したいわゆる簡易軌道とはまったく異なり、こちらは歴とした“軌道”で、1922(大正10)年に岩井村自働車軌道として特許を得、1926(大正15)年に岩井村営軌道として開業しています。実態として“町営(村営)”であった鉄軌道はほかにも例がありますが、正式な名称に「町(村)」を名乗っているのは異例中の異例です。
▲岩美駅ホームから岩井町営軌道の乗り場があったあたりを見る。軌道は画面左奥へと伸びていたはず。'06.6.16

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岩井温泉は鳥取県内でも有数の歴史を誇る名湯ですが、軌道はこの温泉の湯治客輸送のために敷設されたのかというとそうではありません。岩井温泉の南、直線距離にして3.5kmほどの地点に「荒金鉱山」と呼ばれる銅鉱があり、ここで産出される粗鉱を山陰本線まで搬出するのが大きな目的でした。そのため営業軌道としての終点・岩井温泉駅からさらに専用軌道が鉱山の麓まで伸びており、貨物はこのルートを辿って搬出されていたといいます。
▲岩美駅を出た軌道はわずかばかり山陰線と並走したのち蒲生川沿いを岩井へと進む。山陰線と分かれるあたりで見かけた"いかにも”な光景。もちろん軌道とは何の関連もないが、線路沿いの木造車庫などが模型心をくすぐる。'06.6.16

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▲1:200000地勢図に見る岩井町営軌道。ちなみに昨今話題の余部橋梁とは指呼の間。(大日本帝国陸地測量部発行・1937=昭和12年修正改版1:200000地勢図「鳥取」より)
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この岩井町営軌道、安保彰夫さんが『鉄道ファン』(No.397~399)誌上で研究成果を発表されるまでは詳細がほとんど知れず、実に謎めいた軌道のひとつでした。「町営」という名称の魅力もさることながら、開業に際して日本鉄道事業製の超小型ガソリンカーや、コッペル製のガソリン機関車を導入するなど極めて先進的、まさに“役者”揃いで車輌的興味もつきません。それだけに一度は現地を訪ねてみたいものと思っていましたが、幸いにも一昨年夏、まさに岩井温泉そのものに投宿する機会を得ました。

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▲「湯治場」という言葉がしっくりくる岩井温泉の町並み(右)。蒲生川(左)沿いを軌道はさらに荒金鉱山めざして伸びていたという。'06.6.16

iwaishigai3.jpgその際はほかならぬ安保さんも同宿で、十年ほど前の調査時の状況をいろいろと伺うことができましたが、残念ながら所要で翌朝早々に引き上げねばならず、軌道跡を仔細に見聞することはかないませんでした。そんなわけでいつかはリベンジをと思っていたのですが、チャンスは意外と早くやってきました。この6月、余部橋梁を訪れた折り、兵庫県と鳥取県と県こそ違え、ほとんどお隣の岩井温泉へと足を伸ばしてみたのです。
▲岩井町の公共温泉施設前に建てられた“岩井軌道”を顕彰する看板。廃止(休止)から60年以上も経っているにも関わらず、最近になってもこのような看板が設置されるのは、岩井町営軌道が“おらが町の軌道”として人々の記憶に残されている証左かもしれない。'06.6.16

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