鉄道ホビダス

2006年10月17日アーカイブ

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昨晩、大手町のパレスホテルで行われた国交省主催の鉄道の日祝賀会から帰宅すると、待っていたかのように『鉄道ファン』誌の宮田編集長から電話があり、山本茂三さんの訃報に接しました。午前中に倒れられ、そのまま急逝されたとのこと。つい二ヶ月ほど前にも電話でお話をしていただけに、予期せぬ悲報にしばし言葉を失いました。
▲機械学会での複写。本来は天地逆で、画面上側に私が立って撮影している。写り込んでいる手は山本さんのもの。図面は1913(大正2)年12月19日付け『Engineering』誌に掲載されたのちのインドネシア国鉄F10形。2-12-2Tという百足のような軸配置ながら、あえてアーティキュレーテッド構造とせず、フランジレスにもしないでゲルスドルフだけで曲線性能を確保しようとした異色機。'79.5.2 機械学会にて
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山本茂三さんは学生時代から蒸気機関車の構造・設計に強い関心を持ち、故石井賢三さんらと親交を深めるなかで趣味を深化させてゆかれました。社会に出てフォークリフトの設計者となってからも、設計者の目で内外の蒸気機関車の設計思想を読み取られてこられました。このブログでもバッファーの当て面C55流改の謎についてさっそくに正鵠を射るご指摘・解説をいただいたのは記憶に新しいところです。

yshigezousan2n.jpg学生時代に沖田祐作さんのご紹介で知己を得た私は、その温厚なお人柄と驚異的な知識にすっかり傾倒し、ことあるたびにお知恵をお借りしてきました。そんななかでも忘れられないのが機械学会での一日です。1970年代後半、どういった経緯だったかは忘れましたが、代々木にある機会学会の収蔵資料を複写できそうだという話を山本さんから伺いました。すでに気鋭の設計者であった山本さんは機械学会の正会員でしたが、戦前の収蔵資料ともなるとそう容易く閲覧することはかなわず、なおかつ部外者の学生を帯同して複写することなど思いもよらぬ時代でした。山本さんがどういうネゴシエーションをされたのかは今となっては知る由もありませんが、とにかくこれは千載一遇のチャンス到来です。目指すは20世紀初頭の英国の技術誌『Engineering』、それに私的には黎明期のディーゼル機関が詳述されている『Diesel Power』です。
ページをめくるごとに飛び出してくる数々の図面、「これはタスマニア・ガーラットだ!」「あれっ、このバルブギアは…」と興味尽きぬなか、大きくとてつもなく重い『Engineering』を床に置き、ひとりがページを手で押さえ、ひとりがカメラで複写する、山本さんと私で交互にこの作業を繰り返し、夜まで苦闘したのが昨日のことのように思い出されます。
▲山本さんに伝授された製造銘板の採拓は大いに役立った。これは日通原営業所DB2の銘板。もと東洋レーヨン所属の三菱製で、この時点では東海道本線原駅と図書印刷を結ぶ専用線で使用されていた。'81.9.2

山本茂三さんから教わった技術のひとつに銘板の拓本採りがあります。鋳物はともかく、打刻が甘いエッチングの製造銘板などを、いかにくっきりと採拓するかのノウハウを伝授してもらったのです。デジカメでの接写が自在な今日から振り返れば隔世の感がありますが、その味わいには別格なものがあります。新聞にまで紹介された蒸気機関車生産図面のコレクションとともに、山本さんの拓本コレクションも尋常ではない数にのぼっていたはずです。
学生時代、アルバイトでお世話になっていたキネマ旬報社の『蒸気機関車』誌編集部に山本さんをご紹介し、交通博物館収蔵写真と拓本コレクションを結びつけた連載「歴史を刻んだ蒸機たち」を実現できたのも忘れらません。

yshigezousan1n.jpgそういえば、最後に電話で話したのも製造銘板の話でした。私がこのブログで「よみがえれボールドウィン」計画をご紹介した直後、取り外された製造銘板の裏面の写真を撮っていないだろうか、と尋ねられたのでした。なんでもボールドウィンの正規の製造銘板の裏面には製造番号とは別の系列の打刻があり、これまで調べてきた成果と是非とも照らし合わせたいとのお話でした。現地で裏面の打刻は確認していながら控えも撮影もしておらず、そうお伝えすると電話口の向こうから「そうですか…」とちょっと残念そうな声が返ってきました。裏面の打刻にどんな意味があるのか、今度お会いした際にでも伺おうと思っていながら、かなわぬこととなりました。
▲山本茂三さんの今年の年賀状。平成18年にちなんで日本鋼管鶴見製鉄所の18号。宛名面には「NKK、川鉄、住金などの写真を整理したいと思っていますが、中々進みません」と記されていた。

今年になってから、実は山本さんに大きな企画を持ちかけていました。あの臼井茂信さんをして「茂三君に聞くといいよ」と仰られていたほどお得意のジャンルについてで、まだ構想段階ではあったものの、来年中には何とか形にしたいもの…とご本人も意欲をみなぎらせておられました。それも今となっては果たせぬ夢…わが国の鉄道趣味界にとっても、あまりにおおきな急逝でした。享年58歳。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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