鉄道ホビダス

2006年10月アーカイブ

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「よみがえれボールドウィン実行委員会」が7月から取り組んできた、林野庁森林技術総合研修所林業機械化センターのボールドウィン(もと置戸森林鉄道3号機)の修復が完成、一昨日の日曜日「森林鉄道フェスティバルin根利」と題して盛大にお披露目が行なわれました。
▲見違えるほど美しくなってお披露目されたボールドウィン。わずか3ヶ月ほどの短期間でも、ボランティアの力が結集すればこれだけのことができる。'06.10.29 P:木村一博

img_0047n1.jpg前夜は小雨も降ったようで、晴れ舞台の天候が気になるところでしたが、朝から清清しい秋晴れに恵まれ、ちょうど見頃となった山々の紅葉と合わせて絶好の公開日和となりました。残念ながら私は伺うことができませんでしたので、前回のレポートに続いてボランティアメンバーの木村一博さんの写真をお借りして当日の様子をお伝えいたしましょう。
▲コンプレッサーでエアーを込めた汽笛が吹鳴されるといよいよ除幕。感動の瞬間だ。'06.10.29 P:木村一博

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午前11時、「よみがえれボールドウィン実行委員会」の丸山龍一会長の挨拶で幕を開けた式典は、来賓各位の祝辞に続いて子供会員が汽笛レバーをひき、そのかん高い汽笛を合図にいよいよ除幕。幕の一部が煙突に引っかかるハプニングがあったものの、磨き上げられた美しいボールドウィンが目の前に現れると、会場から一斉に「おぉー」と歓声がわき上がりました。
▲地元紙やケーブルテレビで紹介されたこともあって地元の皆さんでもおお賑わい(左)。実に述べ500人が詰めかけたという。センター内では林鉄関係の資料等が展示された(右)。'06.10.29 P:木村一博

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除幕のあとは記念撮影タイム。ボールドウィンをバックに記念撮影をしていると、風向きが変わって隣で運転されている5インチライブスチームの煙がボールドウィンを包み、何ともいえない感動だったと木村さん。額に汗して修復に取り組んだボランティアならではの、万感迫る思いだったに違いありません。
▲周囲に敷設された5インチライブには草軽のジェフリーも登場(左)。右は西陽に燦然と輝く現役当時の3号機のプレート。'06.10.29 P:木村一博

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▲暑かった夏をはさんで苦闘すること3ヶ月。よみがえったボールドウィンを前にしてボランティアの皆さんの記念撮影。どの顔にも達成感があふれている。'06.10.29 P:木村一博

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丸山会長によるとこの季節、根利地区は落葉松の花粉が多く、公開前は花粉まみれになってしまったボールドウィンを再び磨き上げるのに四苦八苦だったそうです。誰言うでもなく、花粉に塗れた姿は“ゴールドウィン”。そんな最後の最後までご苦労を積み重ねての晴れ舞台です。
▲そして夜。照明に照らし出されるボールドウィンは、まさに新しい生命を吹き込まれたかのようだ。'06.10.29 P:木村一博

今後の予定を丸山会長に電話でお伺いすると、ボールドウィンは並んで展示されているホイットコム製ガソリン機関車とともに、来週にはセンター展示棟屋内に移動され、この素晴らしい状態を維持するように努めるとのこと。代わって現在駐車場脇に保管してある上松運輸営林署141号ディーゼル機関車(協三工業製10t)を現在のボールドウィンの位置に移動し、いずれはこちらもレストアを…と夢は尽きません。これから根利地区は厳しい冬となりますが、ボランティアメンバーにも、“動態保存”を含めた更なるステップへの意欲がみなぎっているとのことですので、このプロジェクトに“冬眠”という文字はなさそうです。
今回のフェスティバル会場に置かれた修復募金箱に入れられたドーネーションは総額61,590円。たいせつに次なる修復作業に使わせていただきます、と丸山会長は何度も、何度も繰り返しておられました。

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さて開催地団体の上松町ですが、赤沢自然休養林内に軌道を敷設して運行を開始してから、早いもので来年で20周年を向かえようとしています。運行区間は1.1kmと短いものの、現在では年間10万人が赤沢美林を訪問し、そのうち5万5千人余りがこの軌道に体験乗車するそうです。
▲赤沢自然休養林は紅葉真っ盛り。北陸重機工業(HKW)製DLに牽かれて丸山渡を目指す。エキゾーストパイプに取り付けられたマフラー状のものは極限まで浮遊粒子状物質を低減する装置。ちなみに北陸重機も日本鉄道保存協会の賛助会員である。'06.10.20

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ただこの実績をもってしても、保守管理費などもあって軌道自体の直接収支は成り立ってはいないそうです。しかし、今や赤沢森林鉄道は木曽・上松町の“顔”ともなっており、その間接的経済波及効果は計り知れないものがあります。初期の段階から旅行会社と組んだ自然体験「トムソーヤクラブ」で積極的にツアー客誘致を図ってきたプロモーション戦略も、参加したほかの加盟団体にはまたとない参考となったようです。
▲終点・丸山渡でしばし森林浴(左)。日本ならではの鮮やかな紅葉に台湾からのゲストの皆さんも感嘆の声を上げていた。'06.10.20

akazawanhk.jpgそんな順風満帆に見えるこの赤沢森林鉄道ですが、まだまだ悩みは尽きないようです。パネルディスカッションのなかでも産業観光課・商工観光課からさまざまな問題点が提示されました。その最たるものはインフラ(軌道・敷地)が林野庁の所有で、町はそのインフラを借用して列車を運行しているという現在の形態にあります。保線は町の負担で行なっているものの、現在の終点・丸山渡(まるやまど)から先への運行は林野庁が認めず、軌道はすでに敷設されているにも関わらずわずか1.1kmの運行に留まっているのが実情なのだそうです。
▲NHK松本放送局のインタビューを受ける阿里山鉄道の張CEO。一般メディアの注目も予想以上だった。'06.10.20

ogawasenato1.jpgさらに、これは他の保存鉄道でもたびたび問題となる点ですが、この手のいわゆる“遊園地鉄道”の法整備が充分になされていないのも悩みの種のようです。実際この赤沢森林鉄道は、運転開始当時、起点の森林鉄道記念館から終点の丸山渡までの片道乗車をさせ、所管の新潟運輸局から指導を受けてしまった経緯があります。A点からB点への移動によって料金を収受することは運輸行為に当たり、鉄道事業法によらねばなりません。一方、いわゆる“遊園地鉄道”は乗車する行為そのもので料金をとるのが絶対条件のため、A点から乗車したお客さんは必ずA点に戻ってこなければならないのです。これは「お猿の電車」のようにエンドレスであっても、赤沢のようなエンド・トゥ・エンドであっても同様です。このためせっかく森林浴の拠点として終点・丸山渡を整備したにも関わらず、5分ほどの下車で全乗客が再びとって返さねばならず、その辺も今後の課題となっています。
▲上松から赤沢までの道中には旧小川森林鉄道の遺構がそこここに見られる。'06.10.20

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▲赤沢森林鉄道記念館前で参加者全員で記念撮影。ひさしぶりに個人賛助会員の種村直樹さんの姿(前列右から3人目)も。“'06.10.20
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▲もちろん“お宝”ボールドウィンも記念館から外に出てお披露目。サイドロッドを下ろして紅葉をバックに晴れ姿を披露してくれた。'06.10.20

パネルディスカッションの締めくくりとして、顧問の小池 滋先生が「本音の悩みや失敗談を語り合ってこそこの会の意義がある」とおっしゃっておられましたが、まさにその通り、今年の総会は市町村合併による影響から「特定目的鉄道」にいたるまで議論は多岐にわたり、たいへん意義深いものでした。新たに交通文化振興財団を代表幹事団体としたこの日本鉄道保存協会の今後に、改めて期待したいと思います。

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いろいろと先行すべき話題が多く、一週間遅れの報告となりますが、今日は10月19日?20日にかけて長野県上松町を会場に行われた日本鉄道保存協会の年次総会の様子をご紹介しましょう。日本鉄道保存協会は歴史的鉄道車輌を動態および静態保存している団体が集い、相互に情報を交換し、将来にわたる保存・活用を推進することを目的に発足した任意団体で、正式にスタートしてから今年で15年目を迎えます。
▲上松町ねざめホテルの会議室で行われた年次総会と講演会にはオブザーバーも含めて70人ほどが詰め掛けた。'06.10.19

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現在、正加盟団体28団体、弊社を含めた賛助団体9団体で構成される日本鉄道保存協会ですが、今回の総会では極めて大きな“動き”がありました。創立以来中心となってきた財団法人日本ナショナルトラストが諸般の事情から代表幹事団体を続けられなくなり、急遽、財団法人交通文化振興財団が代表幹事団体を引き継ぐことになったのです。交通文化振興財団は東京の交通博物館、大阪の交通科学博物館、梅小路蒸気機関車館、それに青梅鉄道公園を運営する由緒ある組織ですから、日本ナショナルトラストからバトンを受け継ぐに相応しいのは論を待ちませんが、トラストトレインはじめ日本の鉄道保存、いや茅葺き民家から鳴き砂まで、わが国の保存活動の文字通り中心となってきた日本ナショナルトラストが弱体化しつつあるのは、総会参加者にとっても大きな衝撃でした。
▲「森林と鉄道」と題した基調講演をされる青木栄一先生(左)。総会・講演の司会進行は私が務めさせていただいた(右)。'06.10.19

さて今回の総会では3団体が新たな加盟団体として承認されました。「三菱大夕張鉄道保存会」と「加悦鐵道保存会」、それに「碓氷峠鉄道文化むら」です。逆に財政難による市の再編計画によって閉鎖中の「小樽交通記念館」の退会が報告されましたが、小樽は昨年の年次総会開催地でもあるだけに、これまた残念でなりません。

arisanchohsan.jpg事業報告、会計報告などののち、開催地団体の取り組みとして木曽・赤沢森林鉄道を擁する上松町の現状が報告され、次いで青木栄一先生による基調講演「森林と鉄道」、ゲストとしてお招きした阿里山鉄道の張社長による特別講演、そして「鉄道遺産の保存と地域活性化」と題するパネルディスカッションに移りました。パネラーは新加盟団体の加悦鐵道保存会の篠崎理事、碓氷峠鉄道文化むらの櫻井理事長、オブザーバー参加の北恵那交通清水社長(もと大井川鐵道専務)、それに開催地・上松町の曽我助役の皆さん。碓氷峠鉄道文化むらの櫻井理事長は、わが国初の「特定目的鉄道」の申請を前提に、10月14日に横川?軽井沢間のモーターカーによる試運転を予定しながらも延期せざるをえなかった経緯を報告、「平成の大合併」が地方市町村にもたらしたさまざまな弊害にまで議論がおよびました。碓氷峠鉄道文化むらのある旧松井田町はこの春に安中市と合併、パネラーの加悦鐵道保存会も現在は与謝野町となっており、加盟団体のなかにも遠軽町となった旧丸瀬布町や、大井川を挟んで対岸の島田市となってしまった大井川鐵道の旧金谷町など、行政区域の拡大にともなう諸々の問題は、鉄道保存にとって新たな悩みの種となりつつあるようです。
▲DVDや各種映像を駆使して「阿里山鉄道について」の特別講演をされる宏都阿里山国際開発張 耀仁社長(CEO)。右は通訳を務められた交通文化振興財団菅理事長(交通博物館館長)。'06.10.19

shinanomainichi.jpgさて、ゲストとしてお招きした台湾・阿里山鉄道の張 耀仁社長(CEO)は、同鉄道の現状と今後の展望を各種ビジュアルを駆使して熱く語られました。台湾の林務局が管理運営している阿里山鉄道は現在たいへんな財政難で、2008年に完全民間移管が決定しています。その受け皿となるのが張社長の「宏都阿里山国際開発」です。同社は嘉義市の大手ゼネコン「宏都建設」の関連会社で、張社長は阿里山鉄道を核とした総合的な地域開発を計画しているのだそうです。徹底したリサーチに基づいた現状分析、シミュレーション、さらには開業100年(2012年)時点での「世界遺産」登録プロジェクトまで、語られるプロセスはまさに「企業戦略」そのもので、一時は廃止も取りざたされた阿里山鉄道は張社長のもとで大きく変貌してゆくに違いありません。
▲翌日の『信濃毎日新聞』は、ご覧のようにカラー紙面で日本鉄道保存協会総会の様子を報じてくれた。
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▲阿里山鉄道再生計画をアピールする宏都阿里山国際開発公司の英文パンフレット類。
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今年で実に27回目となる「日本鉄道模型ショウ」(日本鉄道模型連合会主催)が、京急蒲田駅前の大田区産業プラザ(PIO)で今日から始まりました。どちらかというと16番系の出店が多いのが特徴のこのショウだけに、会場内には旧交を温めるベテランモデラーの姿も目立ちました。
▲初お目見えのメーカー「リアル・ライン」の1/150スケールのD51に注目が集まっていた。写真は来年発売予定とアナウンスされる4バージョンのうちのひとつD51 241追分区現役仕様。'06.10.28

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さて、そんないつもは“N色”の薄い印象のショウながら、今年は青天の霹靂と言えましょうか、とんでもないN製品がまったく新しいメーカーから発表されて来場者の度肝を抜いていました。「株式会社リアル・ライン」のNスケールのD51で、プラのインジェクションによる本格的な量産製品です。
▲戦陣をきって12月に発売されるのは追分区で本線蒸機終焉時まで活躍した710号機と711号機。“あの日”を知る世代にとっては涙モノに違いない。'06.10.28

tetumoren10n.jpg徹底してディメンションに拘ったというこの製品、いわゆる機炭間距離が実物さながらに接近しているのをはじめ、16番と同様にモーターをボイラー内に収めてキャブ空間を再現したり、第一、第二動輪上部の台枠を実物同様に抜けさせたりと、そのプロポーションは確かに従来のNの概念を超えています。そしてさらに興味深いのが、12月発売と予告されている第一弾が「1975国鉄D51北海道型」と銘打たれたD51 710とD51 711(ギースル)の機番限定2バージョンである点でしょう。
▲「1975年12月24日仕様」のD51 241。磨き出されたさ最終日の姿。'06.10.28

tetumoren3.jpg昨年好評を博した小誌の連載「30年目のカウントダウン」ではないですが、710号機と711号機の兄弟といえば、国鉄本線蒸機全廃を実体験した世代にとっては忘れようもない2輌です。従来の模型の常套手段からすると、最初に標準型を発売し、次にそのバリエーションたる“ナメクジ”やD61を、そしてかなりバージョンが充実してきてから特定番号機を…というのが一般的でした。その辺の事情を開発に当たった同社の榎本専務にお聞きすると、なんと専務ご本人があの時代を同時代体験されておられるのだそうで、まず最初にあの時代、あの日ありきで開発を進められたとのこと。「ということはラストランナー241も…」と水を向けると、もちろんですとばかり試作品を見せていただきました。しかも追分区現役仕様と「1975年12月24日最終日仕様」の2種類が用意されているとのこと。ついに機番限定どころか、“日付限定”まで製品化される時代になったのです。
▲もちろん弊社もブースを構えて鉄道部門の各種出版物を展示販売。'06.10.28

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ちなみに710号機と711号機に続いて来年発売とアナウンスされているのはこの241号機2バージョンのほかに“ナメクジ”のD51 4深川区仕様、D61 1留萠支区仕様の合計4バージョン、なかなか拘り抜いています。
▲大田区産業プラザ(PIO)での開催もすっかり恒例となった。広い会場内にはモデラーたちの熱気が渦巻く。'06.10.28

tetumoren5n.jpg“老舗”も負けてはいません。かの天賞堂は近々発売となる「ハイグレード製品」のC56(1/80)5バージョンのサンプルを展示。飯山の96号、大糸の126号、小海の149号・150号、そして梅小路保存機の160号と作り分けられた上回りは、流石と唸らせるに充分なものがあります。同社からは今後の16番ラインナップとして、プラ製の9600(10タイプ)、さらには同じくプラ製のキハ17系などもアナウンスされ注目を集めていました。
▲天賞堂は「ハイグレード製品」としてC56のサンプル5種類を展示。足回りはないものの、その完成度の高さは要注目。'06.10.28

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▲普段ショップで入手しにくいキットやパーツが対面販売で購入できるのもこのショウの醍醐味。左はGスケールの小型DLペーパーボディー・コンプリートキット(36,500円)の改造加工例。フリーランスながら帝国車輌製ぽい雰囲気。右はリアルな雪情景が手軽にできるモーリンの「雪職人」。大理石の微粉末をマットメディウムで固着する。'06.10.28

この「日本鉄道模型ショウ」、一般流通ルートになかなか乗らない逸品や掘り出し物が見つかる楽しさに加え、普段は直接接することのできないメーカーの皆さんと、まさにカウンターの内外でコミュニケーションが取れるのも大きな魅力です。明日も下記要領で開催されておりますので、是非おいでになってみられては如何でしょうか。
「日本鉄道模型ショウ」
日時:10月29日(日曜日) 10:00?17:00
場所:大田区産業プラザ(PIO)
   大田区南蒲田1?20?20/京急蒲田駅東口より徒歩4分
入場料:1000円(保護者同伴の小学生以下無料)

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10月9付け本欄でお知らせした東京・武蔵村山市の「羽村山口軽便鉄道」跡地での加藤製作所製小型(4t)ディーゼル機関車「加藤くん」の一般公開ですが、会期の21日・22日ともにまずまずの天候に恵まれ、たいへん好評裏に幕を閉じたそうです。伝聞形なのは、私は両日とも余部の「全国鉄橋サミット」に出席して伺えなかったからで、弊社からは広告部の伊藤真悟君がプライベートに見学に行ったそうですので、今日は伊藤君の画像を借りて当日の様子をご紹介してみましょう。
▲久しぶりに公開された「加藤くん」。かつて羽村山口軽便鉄道の車庫があったという横田地区の公園での公開。キャブには東京市水道局のロゴ、台枠には「水壙」(水道拡張事業の略)の文字と「No.7」の標記が入れられていた。'06.10.21 P:伊藤真悟

kst4tyokota3.jpg展示された場所は青梅街道から貯水池に向かって残存する5つの旧軌道トンネルの最初のトンネル=横田トンネルの向かいの「横田児童遊園」。この児童遊園はかつての「羽村山口軽便鉄道」の資材置き場で、13年ほど前にトワイライトゾ?ンの取材で訪れた時はまだガソリン保管庫だった建物などが残っていました。当時の聞き取り調査によれば、1958(昭和33)年頃までこの資材置き場に機関車の廃車体がいくつも転がっていたといいますから、この空間に「機関車」の姿が戻ってきたのは実に半世紀ぶりということになります。
▲「けいてつ協会」の協力で公開は土日の二日間。ウォーキングイベントの人たちに混じって熱心なナローファンの姿も…。'06.10.21 P:伊藤真悟

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▲DA220形ディーゼル機関を搭載したエンジンルームを覗き込む参加者たち。それにしても小さい(左)。右はいわゆる“ナベトロ”。これぞ世界共通の構造・形態の運搬車で、かつてはどこでも見られたが、今や実際に目にする機会はきわめて少ない。'06.10.21 P:伊藤真悟

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▲武蔵村山市商工会のテントではGゲージの模型運転会も行なわれていた(左)。会場には12年前に小誌が主催して行なった運転会のパンフレットの拡大コピーも展示された。'06.10.21 P:伊藤真悟

21日(土曜日)は今回のメイン・イベントである小田急電鉄・西武鉄道・多摩都市モノレール主催のウォーキングイベントが行なわれ、普段はなかなか潜る機会のない旧軌道隧道を数千人の参加者が歩きました。現在「5号隧道」は立入禁止のため、「赤坂」「御岳」「赤堀」「横田」と4つの小さなトンネルを潜り、外に出るとそこには見たこともないような小さなディーゼル機関車が…。普段は鉄道に興味のない参加者の皆さんも、この演出には皆さん喜んでカメラを向けておられたということです。

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もちろん展示期間中を通して「加藤くん」は熱心なナローファンの注目を一身に浴びていました。自重4tという、この手のナロー用機としては極小とまではいえないものの“かなり小さめ”の「加藤くん」だけに、初めて目にするファンはほとんど目が点。「こんなに小さいんだ?」と感嘆の声がしきりだったといいます。

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今日、東京・渋谷のハチ公前広場に「青がえる」こと東急5000系が“出現”しました。もちろんハリボテではなく、正真正銘の本物の5000系、それもトップナンバーのデハ5001です。
▲渋谷駅頭に忽然と現れた「青がえる」5000系の“ショーティー”。寸詰められてはいるものの正真正銘のホンモノ。

IMGP9560njpgこれは渋谷区が青少年育成活動や地域振興行事の拠点にと設置したものだそうで、日中は開放される客室内には渋谷駅にちなんだ歴史写真も展示され、周辺のパトロールをしているNPO法人によって若者向けの相談等も受け付けるとのこと。ただ、この設置までにはいろいろと紆余曲折があったようで、当初は「民間交番」として夏休み前に設置される予定だったようです。ところが地目上“道路”となっている場所に常に人がいる物体=建造物を設置することは法規上不可能で、やむをえずモニュメントとして置かれることになったのだそうです。
▲車内が施錠された夜間でも警備員がついて護っているようだ。それにしても塗色はちょっと濃すぎる感じか…。'06.10.26

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▲急に現れた珍客にハチ公もびっくり。画面奥がJRのハチ公口改札となる。写真を撮っていたら、酔っ払いのおじさんが「今日だけ、この電車を見たといえば生ビール一杯無料になる居酒屋があってさ、教えてやるよ…」としつこく絡んできた。'06.10.26

IMGP9562n.jpg経緯はともかくこのデハ5001、上田交通で現役を退いた後、東急に戻って伝統的な「青がえる」塗装に復元され、その後は東急車輛製造横浜製作所の構内に保存されていたものです。結局、今年になって渋谷区が譲り受けることとなり、京王重機で車体を短縮、上回りだけの姿となってハチ公前広場に姿を現したというわけです。この辺の事情はどうもよくわかりませんが、車輌技術史的側面でも屈指の車輌だけに、一過性のディスプレーに終わることなく、ハチ公と並ぶ渋谷の玄関口のシンボルとして末永く愛されることを願ってやみません。
▲二階からセンター街方面を見るとこんな感じ。ハチ公前広場に鎮座する「電車」に通行人も興味津々。'06.10.26

nc1n.jpg先週木曜日、JR東日本が開発した世界初の燃料電池ハイブリッド車輌の走行シーンがプレス公開されましたので、今日はその様子をお伝えしてみましょう。9月30日の本ブログでは、財団法人鉄道総合技術研究所(鉄道総研)が開発した燃料電池試験電車クヤR291の試験走行をお伝えしており、私も含めてこの手のハイテクに弱い面々にとってはどうも混同してしまいがちですが、鉄道総研のクヤR291は燃料電池のみで走行する電車としては世界初、今回JR東日本が開発したのは燃料電池を用いた“ハイブリッド”車輌で世界初ということだそうです。
▲東急車輛製造横浜製作所内を軽快に走行するne@train。来年4月以降、本線上での試験も予定されている。'06.10.19 東急車輛製造横浜製作所 P:RM(高橋一嘉)

nc3nn.jpgさて、今回の試験車輌、2003年から発電用内燃機関+蓄電池によるハイブリッドシステムの開発に使用してきた“ne@train”の試験を第2ステップに移行、燃料電池+蓄電池によるハイブリッド車輌に改造したものです。
“ne@train”は、屋根上の蓄電池(リチウムイオンバッテリー)に貯めた電力によって、通常の電車と同じくモーターを回転させて走行、ブレーキ時の回生電力を蓄電池に回収するシステムですが、従来の第1ステップの試験では、発電用として床下にディーゼルエンジン+発電機+軽油タンクを搭載していました(第1ステップで開発された技術は2007年夏頃小海線に投入される営業車輌キハE200に反映予定)。
これに対し今回の第2ステップの試験では、ディーゼルエンジン+発電機+軽油タンクを、燃料電池+水素タンクに置き換えているのが特徴です。燃料電池は石油のような化石燃料を必要とせず、水素と酸素の化学反応によって発電するもので、排出ガスが発生しないクリーンな動力源として注目されているのはご存知の通り。今回の“ne@train”は、鉄道車輌としては世界で初めて燃料電池とリチウムイオンバッテリーと組み合わせたハイブリッドシステムを実現し、7月から神奈川県横浜市の東急車輛製造横浜製作所構内での試験を繰り返しています。
▲運転台右側のモニタには燃料電池ハイブリッドシステムの管理制御用の表示がなされる。'06.10.19 東急車輛製造横浜製作所 P:RM(高橋一嘉)

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▲ハイブリッドシステムのエネルギー管理制御概念図(左)とディーゼルハイブリッドから燃料電池ハイブリッドへの転換概念図(右)。
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▲世界初の燃料電池ハイブリッド車輌に生まれ変わったne@train。ただし車体外観には大きな変化はない。'06.10.19 東急車輛製造横浜製作所 P:RM(高橋一嘉)

JR東日本ではこの試験で燃料電池の性能、環境負荷低減効果、水素供給方式などの各種実験を行い、将来の燃料電池技術の発展進化にも対応できるように、燃料電池を用いた車輌システム技術の開発を進めるとしており、2007年4月以降、営業線での試験走行を開始する予定だそうです。
ちなみに、“ne@train”第1ステップでの試験走行時には内燃機関を搭載することからキヤE991という形式が付与されていましたが、第2ステップでは内燃機関を取り外したため形式標記は一旦消去されています。本線での試験走行時にはどのような形式が付与されるのか、今からちょっと楽しみではあります。

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▲燃料電池は65kWのものが2基、床下に搭載される(左)。右は燃料電池と並んで搭載される水素タンク。'06.10.19 東急車輛製造横浜製作所 P:RM(高橋一嘉)

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さて肝心の「全国鉄橋サミット」ですが、初日の21日(土)は青木栄一先生の基調講演、そして全国から集まった4首長によるパネルディスカッション、翌22日(日)は土木工学の集いと題して橋梁の工学的見地からの講演が組まれていました。
▲11時25分、短いタイフォンとともに9601D「急行あまるべ」が高度41mの橋梁上に姿を現した。やはり国鉄急行色はこの巨大なトレッスル橋にとてもよく似合う。'06.10.21

IMGP9363n.jpg実は春先から、JR福知山支社とのコラボレーションで何かスペシャルなイベント列車を走らせようという計画はあったのですが、紆余曲折の末に実現したのが、国鉄急行色のキハ58系4連による「急行あまるべ」でした。ところが悪いことに、この特別列車の運転時間帯がぴったりと初日の基調講演+パネルディスカッションとバッティング! 町側とJRとの調整に齟齬があったのかもしれませんが、焦ったのはサミットを取り仕切る町の企画課です。このままではせっかく遠路来てくれたお客さんもみんな「急行あまるべ」の撮影の方に出払ってしまい、サミットは閑古鳥ではないのか…正直、なにかとアドバイスをさせていただいてきた私もこれにはまいりました。
▲普段は静かな香住区中央公民館もこの日ばかりは朝から華やいだ雰囲気に包まれた。'06.10.21

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ところがいざ開幕してみるとサミット会場となった中央公民館には次々とお客さんが押し寄せ、なかには観光パックツアーに組み込まれたのか、観光バスで乗り付ける団体もいて、最終的には500人ほどの参加者となりました。もちろんレイルファンらしき人たちも少なくないのですが、現地の鉄橋で三脚を立てている撮影派の人たちとは“出で立ち”がまったく異なる点が実に興味深く感じられました。
▲全国の特徴的な鉄橋をもつまちの首長会談。中央左から福島県三島町長、東京都青梅市長、熊本県南阿蘇村収入役、地元香美町長。左端はコーディネーターの神戸学院大学上羽客員教授。'06.10.21

IMGP9424n.jpgさて「日本の鉄道と橋」と題した青木栄一先生の基調講演は、さすがにわが国の鉄道史研究の第一人者のおひとりだけあって、実にわかりやすく、ぐいぐいと引き込まれる面白さでした。ことに鉄道橋以前の日本に“永久橋”の概念が存在しなかったことや、江戸幕府が防衛のために橋の建設を禁止したという教科書的通説は間違いであることなどは、課外授業で参加していると思しき地元の中学生たちも熱心にメモをとっていました。
▲「日本の鉄道と橋」と題した青木栄一先生の基調講演。'06.10.21

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▲会場には豊岡鉄道部で大事に保管されてきた橋梁の設計図面や、建設途中を写した写真乾板なども展示された。右は日本ペイントの協力展示。手前の塗料缶は女工さんによって手作りされた応急品だそうだ。'06.10.21

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▲夏のJAMコンベンションでも大好評だった福田将夫さんの夏景色と冬景色リバーシブルのNゲージレイアウトは来場者に大人気。右は地元の小学生が全員で描いた巨大な鉄橋の絵。'06.10.21

引き続いて行われた全国の特徴的な鉄橋をもつまちの首長によるパネルディスカッションもなかなか興味深いものでした。参加したのは只見川第一、第二、第三橋梁を擁する福島県三島町の斉藤茂樹町長、余部と同一構造のトレッスル橋である青梅線軍畑橋梁のある東京都青梅市の竹内俊夫市長、南阿蘇鉄道の立野橋梁と第一白川橋梁を擁する熊本県南阿蘇村の浅尾守光収入役、それに地元・香美町の藤原久嗣町長の4名。
真岡鐵道から借り入れた蒸気機関車をJRの協力を得て定期的運行を実現している三島町の斉藤町長は自らも大の写真ファン。JRの車輌でない車輌を借りてJR線内で走らせてもらういわば“3者跨り”の苦労を語られるとともに、橋梁撮影ポイントのさらなる整備など、「只見川を渡る蒸気機関車」をより一層アピールしたいとおっしゃっておられました。ちなみにパワーポイントで映写された各橋梁の写真も全部ご自身で撮られたものだそうで、ちょっと驚きです。
続いて登場した青梅市の竹内市長は、軍畑橋梁(奥沢橋梁)の近代化遺産としての今後の活用と、現在直面している鉄道博物館開館による青梅鉄道公園への影響を懸念されておられました。
南阿蘇村は今村町長が急遽予定がつかなくなって浅尾収入役の登板。今回集まった4市町村のなかで唯一JR以外の第3セクターだけに、橋梁上での列車の一旦停止などかなり自由度があり、他の首長さんたちが羨ましがることしきり。現在はJR北海道が開発中のDMV(デュアル・モード・ビークル)を導入すべく準備中だそうです。

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▲急行色のキハ58系4連は浜坂~香住間を「快速あまるべ」として2往復。撮影組はポジションを変えつつ急行色+余部橋梁を堪能した。'06.10.21 P:RM(山下修司)

翌日の「鉄橋工学の集い」も実に深い内容で、この「全国鉄橋サミット」成功裏に幕を閉じました。ちなみに明日(25日)16時20分ころから5分ほど、NHKラジオ第一放送“ビュッフェ131”でこのサミットのお話をいたします。ゲストのかの香織さんと私の生放送トークですので是非お聞きください。

動画「急行あまるべ」の走る日

※上をクリックすると自動的に再生が始まります(一部Macでは再生できない場合があります)。音声付きですので、クリックする前に周囲の状況(オフィス?)をご確認ください。

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先週後半からの出張続きで本ブログの配信ができませんでしたが、足掛け5日にわたる出張の報告を兼ねて、本日より再開することといたします。
▲いまや山陰の一大観光スポットとなった余部橋梁。町が管理する“お立ち台”には多くの人が列車の通過を一目見ようと押しかけている。'06.10.22

IMGP9469n.jpgちなみに出張の旅程は18日夕方に東京駅から新幹線で名古屋へ、日本鉄道保存協会総会でゲストとして特別講演をお願いした台湾・阿里山鉄道の皆さんをアテンドして翌19日は木曽・上松へ。総会と視察を終えて20日午後に青木栄一先生をエスコートして「全国鉄橋サミット」が行なわれる山陰本線香住駅へと向かい、21日・22日とサミットに出席、22日夜の最終便で鳥取空港から東京へ戻るという強行軍でした。ことに上松から香住への移動がタイトで、上松を昼過ぎに出ても香住駅に到着するのは何と20時43分。日本地図上での直線距離はたいしたことないのにちょっと驚きの不便さです。ちなみに、同じ時間に上松を出て台湾中部の嘉義へと戻る阿里山の皆さんは、中部国際空港→台北空港→高速バスの経路で嘉義のご自宅には21時頃には到着できるとのこと。その話を聞いて青木先生ともども多少ならずショックを受けたのでした。
▲休日ともなると餘部駅は大混雑。臨時の出札もできて、アナウンスもある。もうこうなるともはや「無人駅」ではない。'06.10.22

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さて肝心の余部ですが、「全国鉄橋サミット」の報告は後日にして、とにかく想像以上の賑わいぶりにただただ驚かされました。橋梁下の国道には観光バスがずらりと並び、駅へと登る山道はさながら蟻の行列のごとく人、人、人。香美町企画課のお話では、イベントのあるなしとは関係なく、このところ休日にはほとんどこんな混雑ぶりだそうで、いまや余部橋梁は鳥取砂丘や出雲大社にも伍する山陰地方の一大観光名所となったようです。
▲急行「あまるべ」が走る日。ホームから“お立ち台”を見上げる。とにかくどこもかしこも人、人、人…。'06.10.21

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ただでさえそんな賑わいぶりなのに、21日土曜日は国鉄急行色のキハ58系4連による「急行あまるべ」が運転されるとあって、徹夜組も含めて信じられないほど多くのファンが繰り出しました。例の“お立ち台”は混乱を避けるために、町の誘導で時間単位での総入替え制となる有り様。幸い天気も良く、終点・浜坂に到着した「急行あまるべ」の編成は快速扱いで浜坂?香住間を2往復する意気なはからいもあって、撮影組の皆さんは再び見ることかなわないシーンをこころゆくまで堪能されたようです。
▲橋梁下の集落から駅へと上がる山道は登り下りの人で常にこの有り様。橋梁下の民家は軒先で「あまるべせんべい」まで売り出した。'06.10.21

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▲「急行あまるべ」はとにかく大人気。かの“お立ち台”で撮影しようとする人があまりに多く、町は急遽一時間の総入替え制に…。数時間後の“お立ち台”入りを目指してホーム横には長蛇の列が続く。06.10.21

IMGP9335n.jpgそれにしても観光バスによるツアー客の多いのには圧倒されます。しかもほとんどが香住駅でバスを降りて列車に乗り橋梁を渡って餘部駅へ(もしくはその逆)というパターン。時刻表をご覧になればお分かりになりますが、現在この区間を走る列車はほとんどが城崎温泉?浜坂間のワンマン2輌編成です。そこにバス何台分ものツアー客が乗り込むわけですから、香住?餘部間の混雑ぶりはちょっと想像を絶します。
▲ホームの待合室にはここを訪れた人たちのメッセージが記されたノートが置かれている。中を拝見するとどれもが熱い思いに満ち満ちている。'06.10.21

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▲“お立ち台”はともかく、喧騒から離れて遠望する橋梁も格別のものがある。色づきはじめた山々をバックに浮かび上がる大鉄橋は、神々しくさえある。'06.10.21

というわけで、今回は余部の賑わいぶりを実感していただこうと、動画を撮影してきました。第一弾は鎧駅から餘部駅への普通列車の車内・車窓風景です。東下谷隧道を出た途端に余部橋梁に飛び出すスリルは何とも言えないものがあります。それにしてもこの動画は「急行あまるべ」のような特別の列車が走るわけではなく、通常の休日(22日撮影)の賑わいぶりなのですから驚きです。
動画:鎧から餘部へ
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RML87.jpgお楽しみいただいているRMライブラリー今月の新刊は内燃動車研究の泰斗・湯口 徹さんの「戦後生まれの私鉄機械式気動車」(上巻)です。RMライブラリーでは創刊時にキハ41000を取り上げ、その後もキハ07系など多くの機械式気動車にスポットを当ててきましたが、一般的には機械式=戦前といったイメージが強いのではないかと思います。確かに戦後の燃料事情の逼迫もあって、国・私鉄問わず内燃車輌の新製は1950年代に入ってから再開したと言っても過言ではなく、それを追いかけるようにTC?2を代表とする液体式(液圧式)変速機が実用化されるわけですから、戦後に誕生した機械式気動車はきわめて限られた存在ではあります。本書で対象とした地方鉄道の実数をあげると、2フィート6インチ軌間用17輌、3フィート軌間用2輌、3フィート6インチ軌間用37輌の合計56輌に過ぎません。ただ最後の最後にやむを得ぬ事情を抱えて誕生した56輌ゆえ、いずれ劣らぬ個性派揃いで、趣味的にはこたえられない面々でもあります。

senboku.jpgそんな機械式気動車の掉尾を飾ったのが南部縦貫鉄道のキハ101・102です。時に1962(昭和37)年、“レールバス”という言葉が象徴するように、バスとの共通部品を多用したこの2輌は、常時運転されている私鉄気動車としては最後の機械式として、多くのファンの記憶に刻まれました。バスにしても機械式、つまりはマニュアル・ミッション車は近年ではほとんど見かけなくなってしまいました。あの油ぎったラバーブーツから生えたひょろ長いシフトレバーを、ダブルクラッチの動作とともにシフトしてゆく様子は、おそらくこれからの世代の皆さんにとっては異次元の光景に思われるに違いありません。

toyohane.jpg さて、RM LIBRARY87「戦後生まれの私鉄機械式気動車」(上)は、そんな戦後製の私鉄向け機械式気動車の動向を上下巻に分けてご紹介いたします。上巻では根室拓殖鉄道キハ2から遠州鉄道奥山線キハ1804まで下記の15社の戦後製機械式気動車たちを収録、これまでほとんど触れられることのなかった豊羽鉱山や常磐炭礦などの事例も詳述されており、その面でも必見です。
■上巻収録鉄道:根室拓殖鉄道/夕張鉄道/豊羽鉱山/留萌鉄道/羽幌炭礦鉄道/津軽鉄道/羽後鉄道/南部縦貫鉄道/仙北鉄道/小名浜臨港鉄道/常磐炭礦/常総筑波鉄道/常総筑波鉄道/小湊鉄道/静岡鉄道駿遠線/遠州鉄道奥山線

IMGP9178.jpgさて、22日(日曜日)まで日本鉄道保存協会の年次総会(長野県上松町)、そして「全国鉄橋サミット」(兵庫県香美町)と連続で出張となります。実はこの画面も日本鉄道保存協会のゲストとしてお招きした台湾の阿里山鉄道CEOご一行をアテンドしつつ名古屋のホテルで書いているのですが、出張先のネット環境などもあり、明日以降配信できない可能性が高いと思われます。なにとぞ事情ご賢察のうえお付き合いいただけますようお願い申し上げます。
▲日本鉄道保存協会年次総会のゲストとしておいでいただいた阿里山鉄道のみなさんと。左奥から執行長(CEO)の張さん、企研部の陳 柏維さん、副社長の陳 毅民さん、そして紅一点の洪さん。アテンド役の日本人は左手前から交通文化振興財団の菅理事長(交通博物館館長)、私、そして鉄道保存協会の米山さん。'06.10.18

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昨晩、大手町のパレスホテルで行われた国交省主催の鉄道の日祝賀会から帰宅すると、待っていたかのように『鉄道ファン』誌の宮田編集長から電話があり、山本茂三さんの訃報に接しました。午前中に倒れられ、そのまま急逝されたとのこと。つい二ヶ月ほど前にも電話でお話をしていただけに、予期せぬ悲報にしばし言葉を失いました。
▲機械学会での複写。本来は天地逆で、画面上側に私が立って撮影している。写り込んでいる手は山本さんのもの。図面は1913(大正2)年12月19日付け『Engineering』誌に掲載されたのちのインドネシア国鉄F10形。2-12-2Tという百足のような軸配置ながら、あえてアーティキュレーテッド構造とせず、フランジレスにもしないでゲルスドルフだけで曲線性能を確保しようとした異色機。'79.5.2 機械学会にて
クリックするとポップアップします。

山本茂三さんは学生時代から蒸気機関車の構造・設計に強い関心を持ち、故石井賢三さんらと親交を深めるなかで趣味を深化させてゆかれました。社会に出てフォークリフトの設計者となってからも、設計者の目で内外の蒸気機関車の設計思想を読み取られてこられました。このブログでもバッファーの当て面C55流改の謎についてさっそくに正鵠を射るご指摘・解説をいただいたのは記憶に新しいところです。

yshigezousan2n.jpg学生時代に沖田祐作さんのご紹介で知己を得た私は、その温厚なお人柄と驚異的な知識にすっかり傾倒し、ことあるたびにお知恵をお借りしてきました。そんななかでも忘れられないのが機械学会での一日です。1970年代後半、どういった経緯だったかは忘れましたが、代々木にある機会学会の収蔵資料を複写できそうだという話を山本さんから伺いました。すでに気鋭の設計者であった山本さんは機械学会の正会員でしたが、戦前の収蔵資料ともなるとそう容易く閲覧することはかなわず、なおかつ部外者の学生を帯同して複写することなど思いもよらぬ時代でした。山本さんがどういうネゴシエーションをされたのかは今となっては知る由もありませんが、とにかくこれは千載一遇のチャンス到来です。目指すは20世紀初頭の英国の技術誌『Engineering』、それに私的には黎明期のディーゼル機関が詳述されている『Diesel Power』です。
ページをめくるごとに飛び出してくる数々の図面、「これはタスマニア・ガーラットだ!」「あれっ、このバルブギアは…」と興味尽きぬなか、大きくとてつもなく重い『Engineering』を床に置き、ひとりがページを手で押さえ、ひとりがカメラで複写する、山本さんと私で交互にこの作業を繰り返し、夜まで苦闘したのが昨日のことのように思い出されます。
▲山本さんに伝授された製造銘板の採拓は大いに役立った。これは日通原営業所DB2の銘板。もと東洋レーヨン所属の三菱製で、この時点では東海道本線原駅と図書印刷を結ぶ専用線で使用されていた。'81.9.2

山本茂三さんから教わった技術のひとつに銘板の拓本採りがあります。鋳物はともかく、打刻が甘いエッチングの製造銘板などを、いかにくっきりと採拓するかのノウハウを伝授してもらったのです。デジカメでの接写が自在な今日から振り返れば隔世の感がありますが、その味わいには別格なものがあります。新聞にまで紹介された蒸気機関車生産図面のコレクションとともに、山本さんの拓本コレクションも尋常ではない数にのぼっていたはずです。
学生時代、アルバイトでお世話になっていたキネマ旬報社の『蒸気機関車』誌編集部に山本さんをご紹介し、交通博物館収蔵写真と拓本コレクションを結びつけた連載「歴史を刻んだ蒸機たち」を実現できたのも忘れらません。

yshigezousan1n.jpgそういえば、最後に電話で話したのも製造銘板の話でした。私がこのブログで「よみがえれボールドウィン」計画をご紹介した直後、取り外された製造銘板の裏面の写真を撮っていないだろうか、と尋ねられたのでした。なんでもボールドウィンの正規の製造銘板の裏面には製造番号とは別の系列の打刻があり、これまで調べてきた成果と是非とも照らし合わせたいとのお話でした。現地で裏面の打刻は確認していながら控えも撮影もしておらず、そうお伝えすると電話口の向こうから「そうですか…」とちょっと残念そうな声が返ってきました。裏面の打刻にどんな意味があるのか、今度お会いした際にでも伺おうと思っていながら、かなわぬこととなりました。
▲山本茂三さんの今年の年賀状。平成18年にちなんで日本鋼管鶴見製鉄所の18号。宛名面には「NKK、川鉄、住金などの写真を整理したいと思っていますが、中々進みません」と記されていた。

今年になってから、実は山本さんに大きな企画を持ちかけていました。あの臼井茂信さんをして「茂三君に聞くといいよ」と仰られていたほどお得意のジャンルについてで、まだ構想段階ではあったものの、来年中には何とか形にしたいもの…とご本人も意欲をみなぎらせておられました。それも今となっては果たせぬ夢…わが国の鉄道趣味界にとっても、あまりにおおきな急逝でした。享年58歳。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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7月23日付け「よみがえれボールドウィン計画始動!」で第一報をお伝えした、群馬県沼田市の林野庁森林技術総合研修所林業機械化センターに保存されているボールドウィンB1リアタンク機(もと置戸森林鉄道3号機)の修復作業ですが、あれから二ヶ月余り、ボランティアの皆さんの手で毎週のように地道な作業が続けられ、なんともう仕上げ塗装の段階を迎えています。
▲修復開始からわずか二ヶ月ほど、下塗りを施されて見違えるようにきれいになったボールドウィン。’06.10.8 P:木村一博

blwk3an.jpgこの修復作業、沼田市内で大型鉄道模型製作会社を経営している丸山龍一さんが中心となり、ボランティアによって結成された「よみがえれボールドウィン実行委員会」が取り組んでいるものです。当初は“月一回程度のペースで…”と計画されていた作業も、ボランティアの皆さんの熱意で毎週のように進み、あっと言う間に完成の域に達しつつあります。
▲キャブ内も念入りに下塗りがなされる。塗装しているのはボランティアの指導役でもある群馬県立高崎産業技術専門学校塗装科の先生。’06.10.8 P:木村一博

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昨15日も仕上げ塗装の作業が行われたそうで、毎回のようにボランティアとして参加している木村一博さんからさっそく画像を頂戴しましたので、これまでの作業の進捗と合わせてハイライトシーンをご覧に入れましょう。なお、木村さんはご自身のブログでも毎回の作業の様子を細かにレポートされており、こちらも貴重な記録となっています。▲シリンダーケーシングを外す(左)と、なんと半世紀近くの時を超えて現役時代のシンダー(?)が…(右)。’06.10.8 P:木村一博

blwan7.jpg写真を拝見する限りでは、半世紀近くも前に火を落とした機関車とは思えないほど状態は良く、「教材」として大事に保管されてきたのが功を奏したものと思われます。こうなると動態復活も…と夢を描きたくなりますが、ひとまず今回は外装の修復でひと区切りだそうです。
土地柄きびしい冬の訪れを前に、きれいになった姿を一度皆さんにお目にかけたいと、丸山会長から修復披露のご案内をいただいていますので、以下に引き続いてご紹介いたしましょう。
▲この日は下塗りまでで作業終了。着々ときれいになってゆくボールドウィンの姿に参加したボランティアも疲れを忘れて一息。’06.10.8 P:木村一博

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▲シリンダーからピストンそのものを抜く。シリンダーもピストンも状態は想像以上に良いようだ。’06.9.18 P:木村一博
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▲メインロッド、サイドロッドを取り外す。ネジ山もしっかりしている(左)。サイドロッドを磨いているのは丸山会長(右)。’06.9.18(左)/’06.10.8(右) P:木村一博
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▲外されたドームは錆を落とされて下塗りされたのち(左)、本塗装を施された(右)。’06.9.18(左)/’06.10.1(右) P:木村一博

■第1回「森林鉄道フェスティバル」 ?ボールドウィン修復披露?
・日時:10月29日(日曜日) 11:00?開会式
・主催:よみがえれボールドウィン実行委員会
・後援:林業機械化センター 根利区 沼田市利根町振興局 等

kimblw2an.jpg・内容:
10:30 受付
11:00 開会式
    1:主催者挨拶 丸山龍一会長
    2:来賓挨拶  沼田市長/根利区長/高崎産業技術専門学校校長/林業機械化センター所長
    3:来賓紹介
    4:ボールドウィン除幕(会長・市長・所長・校長・区長)
    5:記念写真
11:30?15:30 ボールドウィンと記念写真・乗車体験
12:00?15:30 ミニ機関車の体験試乗
12:00?15:30 森林鉄道映写会
11:30?16:00 懐かしの写真展
11:30?16:00 パネル展示(会の活動報告)
11:30?15:30 鉄道グッズ販売
12:00?15:30 バーベキュー(焼そば)
12:00?15:30 模擬店(綿飴・たい焼き)
12:00?15:30 農産物即売会・汁もの
16:00 閉会式
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▲いよいよ全体塗装を開始(上)。'06.10.15/持ち込まれたエアーコンプレッサーによってボールドウィンの汽笛が沼田の山々に響き渡った(右)。'06.8.27 P:木村一博

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▲昨日行われた全体塗装。黒の3分艶のペイントは派手過ぎずなかなか良い感じ。来週には塗装も概ね完了するという。'06.10.15 P:木村一博

「全国鉄橋サミット」迫る。

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今度の土日はいよいよ「全国鉄橋サミット」が開催されます。本誌でも毎月ご案内しているように、余部橋梁の町・香美町が主催するこのサミットは、架け替え工事開始を前に、歴史的大トレッスル橋を歴史に刻み、かつ“鉄橋”というキーワードで全国の市町村長が会談を行うというユニークな試みです。
▲JR西日本福知山支社発行の余部鉄橋オレンジカード第2弾「余部鉄橋2006冬」の表紙は夕映えの橋梁が実に印象的。山陰鉄道唱歌に詠われた「山より山にかけ渡し み空の虹か桟(かけはし)か 百有余尺の中空に 雲を貫く鉄の橋」の歌詞も盛り込まれている。

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香美町がこのサミットに向けて活動を開始したのは今年になってすぐのことでした。本誌誌上で余部橋梁をクローズアップしたこともあって企画のご相談を受け、さっそく広田尚敬さんの講演会開催が決まりました。さらに、4月20日には上京された町関係者の皆さんに青木栄一先生をご紹介、その後あわただしくも着々と準備作業が進み、ようやく本番を迎えるわけです。
▲同じく福知山支社発行の余部鉄橋オレンジカード第2弾の中面。余部の沖合いからはしけで陸揚げされる橋梁鉄骨の珍しい写真も…。(10×21cmオリジナル台紙付き。1000円・10月1日より福知山支社管内主要駅で発売。駅売りのみ・売り切れ次第終了)

「全国鉄橋サミット」の詳細は下記のフライヤーを参照いただくとして、改めて概要をご説明いたしましょう。
■全国鉄橋サミット(主催:香美町)
・開催日:2006年10月21日(土) 13:30?17:00 〔入場無料〕
・開催会場:香住区中央公民館(香住駅より徒歩15分)
・開催内容
(1)基調講演
  演題:「日本の鉄道と橋」 13:15?14:15
講師:東京学芸大学名誉教授(元鉄道史学会会長)青木栄一氏
(2)鉄橋を愛する首長会談  14:30?16:00
特徴的な鉄道橋を持つ全国の首長が、鉄橋・鉄道を活かしたまちづくりへの思いを語りあいます。
福島県大沼郡三島町長/第一、第二、第三只見川橋梁〔JR只見線〕
東京都青梅市長/軍畑鉄橋(奥沢橋梁)〔JR青梅線〕
熊本県阿蘇郡南阿蘇村長/立野橋梁、第一白川橋梁〔南阿蘇鉄道〕
兵庫県美方郡香美町長/余部橋梁〔JR山陰本線〕 以上4市町村長
(3) 服部敏明さん写真展「餘部浪漫」
(4) ミニ余部鉄橋模型(鉄道ジオラマ)展示
翌22日(日曜日)には引き続いて「鉄橋工学の集い」も開催され、秋たけなわの余部はまさに「鉄橋」一色に染まります。

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▲香美町主催の「全国鉄橋サミット」のフライヤー。4市町村長による首長会談をはじめ、鉄橋工学の集いなど濃密な二日間となる。もちろん「急行あまるべ」の運転も注目。
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さらに、この「全国鉄橋サミット」にあわせてJR西日本福知山支社では国鉄色キハ58系による「急行 あまるべ」を運転、こちらも大注目でしょう。
■「急行 あまるべ」運転予定
・運転日:平成18年10月21日(土)
・運転区間 :姫路?浜坂間
・使用車輌 :キハ28・58系急行型気動車・国鉄色(4輌編成/定員328名)
・主な時刻 :往路/姫路9:34発→香住12:10着→浜坂12:40着
   復路/浜坂16:37発→香住17:00発→姫路19:49着(全車指定席)
■「快速 あまるべ」運転予定
・同日、同じ車輌を使用し浜坂?香住間を快速列車として2往復運転。
・ 主な時刻:浜坂14:14発→香住14:38着・15:01発→浜坂15:28着・15:36発→香住16:02着・16:07発→16:33着(乗車券のみで利用可能。乗降可能駅は香住、餘部、浜坂)
急行・快速あわせると3往復の国鉄色キハ58が余部橋梁を渡ることになりますが、JR西日本によると、いずれの列車も余部鉄橋では速度を落として運転するといった嬉しい配慮もされるそうです。

香美町が半年に渡って行ってきた余部橋梁架替記念事業「さようなら!ありがとう!そして後世へ…余部鉄橋の有終を刻む」は、このサミットをもって一応の終着点となります。そして橋梁は最後の冬を迎え、春の訪れとともに本格的な工事が始まるそうです。

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10月14日、今日は「鉄道の日」です。1872(明治5)年10月14日(同年12月までは旧暦のため実際は9月12日)にわが国初めての営業用鉄道が開業してから、今日で134年の歳月が流れたことになります。
▲組み上がった「鉄道博物館」の骨格をバックに全検を終えたD51 498が試運転にのぞむ。それにしても博物館建物の巨大さには圧倒される。'06.10.13 P:RM(新井 正)

498n5.jpg1922(大正11)年に制定された「鉄道記念日」は、国鉄→JRのみならず、広く鉄道全般を顕彰しようと1994(平成6)年に「鉄道の日」と改称され、現在では国土交通省主導のもと、各地でさまざまなイベントが開催されるようになりました。
 その「鉄道の日」を翌日に控え、昨日、さいたま市に建設中の「鉄道博物館」の建設工事進捗状況のプレス公開が行われました。「鉄道博物館」のオープンはたびたびご紹介しているように、来年10月14日。まさにオープン一年前の公開です。
▲試運転中のD51 498の正面ナンバープレートには珍しくも赤い地色が入れられていた。'06.10.13 P:RM(新井 正)

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▲「教育ゾーン」と呼ばれる鉄道の原理や技術を解説する予定の建物前を走るD51 498(左)。右写真の背後に見える高架は新幹線。'06.10.13 P:RM(新井 正)

この日はちょうど全般検査で大宮総合車両センターに入場していたD51 498号機の試運転も行われ、組み上がった「鉄道博物館」の建物鉄骨をバックに走る姿が見られました。それにしても、敷地面積41,700平方メートル、建物延べ床面積28,200平方メートル、展示スペース9,600平方メートルと数字では聞いていても、実際にこうして姿を現しつつある建物を見ると、そのあまりの大きさに圧倒される思いです。もっとも、屋内に設けられたターンテーブルを中心に保存車輌が並ぶ「歴史ゾーン」だけでも、その完成予想図を見ると機関区ほどもあり、いかに大規模なプロジェクトかを改めて思い知ります。
 ちょうど一年後の今日は、オープン初日の「鉄道博物館」をご紹介できるに違いありません。

498n3.jpg▲メイン展示場となる「歴史ゾーン」建物前の試運転線を快走する。工場設備と隣接する博物館だけに、オープン後もこういったシーンを目にすることができそうだ。'06.10.13 P:RM(新井 正)

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新宿副都心のペンタックスフォーラムで今日から始まった番匠克久(ばんしょう かつひさ)さんの写真展「汽憶」を拝見してきました。番匠さんは北海道にお住まいで、ネーチャーフォトの経験を活かして鉄道写真に取り組んでおられます。本誌はもとより、『鉄道写真2004』の“16 Artists”にも選ばれて、その際は釧路湿原の朝霧をモチーフにした鮮烈な作品を発表されていますので、ご記憶の方も少なくないはずです。
▲新宿三井ビル一階のペンタックスフォーラムは都内でも屈指の集客力を誇るギャラリー。会場には40点あまりの作品が展示されている。

bannsyousansakuhin1.jpg今回の写真展は早朝、黄昏、夜、さらには霧、雪、星…と、自然現象の中に北の大地の鉄道の息吹を捉えようというネーチャーフォト出身の番匠さんならではの視点が実を結んだもので、一枚一枚の作品を丹念に見てゆくと、その計り知れない努力に圧倒される思いです。たとえば根室本線武佐(むさ)駅を始発のキハ54がエキゾーストを黄金色に輝かせて発車してゆく一枚。その時間、その場に居合わせれば誰でも撮れる写真かというととんでもありません。ご本人に伺ったところでは、始発列車の時刻、日の出のタイミングなどからこの作品をモノにできるのは一年のうちわずか一週間ほど、しかも晴れて気温が零下20℃ほどに冷え込まねばならず、一年待ってもワンチャンスあるかないかだそうです。
▲「時間たたずむ」とタイトルの付けられた薄暮の釧網本線釧路湿原駅(デジタル画像)。それぞれの作品に添えられた一言のタイトルも秀逸。

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「記憶に残るような汽車の走る風景には、空気感や季節の移ろい、時の経過や音の響きなどに加え、人の気配とその物語があります」とご本人は書かれていますが、どの作品も愛着を持ってじっくりと撮られたものであることがひしひしと伝わり、ファンのみならず会場を訪れた一般のギャラリーの方からも賞賛の声が聞かれたのも印象的でした。
▲「夜旅のゆくえ」(左)は釧網本線南弟子屈駅での撮影(銀塩フィルム)。右は夜明け前の茅沼駅を捉えた作品(銀塩フィルム)。

bannsyousanhonnninn.jpg休日のみならず、出勤前、退社後と時間をやりくりして地元・道東の鉄道の撮影に取り組んでこられた番匠さんですが、一年ほど前に札幌に転勤され、慣れ親しんだ釧網本線や根室本線とは少々距離ができてしまいました。今後は…と伺うと、さすがに出勤前に撮影することはできませんが、富良野線や日高本線、身近なところでは札沼線にも引き付けられる撮影地はいっぱいあります。それに人気の石北本線にも意外と手軽に行けるんですよ…と、すでに次の作品創りに意欲を燃やしているようでした。
▲出来たての写真集を手にした番匠さん。この土日は会場におられるそうなので、ぜひお声掛けを。

bannsyousanhon2.jpgところで、この写真展に合わせて写真集『汽憶』も発売となっています。B5変形横判オールカラー72ページのこの写真集には、会場に展示されている全作品のほかにも十数点の作品が収録されています。“ただきれいなだけでない味わい深い作品集が作れたら”と、2年前から“ローカル線の汽車旅を味わうように時間をかけ”て練り上げたという一冊だけに、構成、印刷ともにハイレベルなものに仕上がっています。定価は1995円。会場での販売はもとより、全国の大手書店でも購入できるそうです。
▲写真展に合わせて完成した写真集『汽憶』。写真展に展示されている全作品と、さらに十数枚の作品が収録されている。

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この番匠克久さんの写真展「汽憶」は来週26日(木曜日)まで。この土日はご本人も会場におられるそうですので、鉄道写真を志す多くの方にぜひご覧になっていただきたいと思います。

“瀬戸蔵”の名鉄モ754。

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名鉄600Vの聖地であった谷汲線が廃止されて、早いもので5年の歳月が流れました。廃止時に使用されていた3輌のモ750形のうち、755号が旧谷汲駅に保存されたのはご存知の通りですが、では残り2輌はどうなったのでしょうか。751号は車体のみが北方町のパン屋さんに、そして最後まで岐阜工場に残されていた754号はカットモデルとなって瀬戸市で保存されていると聞きます。
▲ミュージアム入口から入るとまず見える光景。電車の行先は栄町ではなく堀川。'06.9.25 P:高橋一嘉

setoden3.jpgその瀬戸市に保存されたているモ754号を編集部の高橋一嘉君が訪ねてきましたので、ハイライトシーンの画像とともにご紹介してみましょう。
 モ754号が展示されているのは名古屋から30分ほどの名鉄瀬戸線の終点・尾張瀬戸駅と目と鼻の先にある瀬戸市の市民会館の代替施設“瀬戸蔵”(せとぐら)の中の“瀬戸蔵ミュージアム”です。この施設は“瀬戸のやきもの博物館”的な施設ですが、かつて瀬戸に多くあった「陶房」(やきものの造る工房/“モロ”と読むそうです)とともに懐かしい尾張瀬戸駅の旧駅舎が再現されており、その一角にお目当てのモ754号が展示されています。
▲待合室から見た754。雰囲気は抜群。'06.9.25 P:高橋一嘉

setoden4.jpgモ754号は1928(昭和3)年日本車輌製。昭和30年代から昭和40年代にかけて瀬戸線の顔として親しまれた車輌です。“瀬戸蔵”での保存にあたっては、塗色は瀬戸線時代を再現した懐かしくも美しいダークグリーン一色に復元されています。また、車内もピンクとベージュの中間のような色からグリーンとなり、吊り掛けモーターの音とかつての瀬戸線の車内放送も再現されて、雰囲気を見事に盛り上げています。しかもホームの一部がガラス張りになっており、鏡で弓型イコライザーの台車を見せる工夫がされているのはちょっとした驚きです。こうなると、雰囲気やコンディションが抜群なだけに、かえすがえすも車体が半分しかないのが惜しまれます。
▲ホームから見た台車。ホームをガラス張りにして、鏡で見せる工夫がなされている。'06.9.25 P:高橋一嘉

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▲754の車内(左)。1輌まるごと…と一瞬思うが、よく見ると切断面に鏡がはめ込んである。2001(平成13)年に惜しまれつつ解体された尾張瀬戸駅の駅舎がこうして復元された(右)。かつてはレストランだったといわれる2階部分は事務所なのか、残念ながら非公開である。'06.9.25 P:高橋一嘉

なお、瀬戸蔵ミュージアムでは10月15日(日曜日)まで「101年目のせとでん展」を開催中で、瀬戸電に関する貴重な写真・資料や模型展示が行われています。また、ミュージアムショップでも754をモチーフにしたグッズ類を多数販売しています。この機会に立ち寄ってみては如何でしょうか。

12日未明から同日夜にかけて、本ブログがMacintosh(OS9/OSX)+Internet Explorer (IE)環境で閲覧できない障害が発生いたしました(ブラウザがIEでなくSafariの場合はご覧になれました)。Macユーザーの皆さんにはご迷惑をお掛けして申しわけありません。改めてお詫び申し上げます。

「鉄道一筋展」始まる。

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▲西武新宿駅前のビル9階に位置するギャルリー「トラン・デュ・モンド」は床面積140平方メートルのゆったりした展示スペースを誇る。

tetudouhitosuji021n.jpg鉄道趣味の世界ではすっかり有名となった新宿・歌舞伎町のギャルリー「トラン・デュ・モンド」で、今日から「鉄道一筋展」が始まりました。副題に「宮田道一とその仲間たち」とあるように、もと東急電鉄車輌部長で現在は鉄道友の会東京支部長をお務めの宮田道一さんとそのお仲間による展覧会です。

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エントランスにさりげなく置かれたイーゼルに「鉄道が好きになり、趣味として、それぞれの楽しみ方、いろいろ」とカードが立ててありますが、この展覧会、宮田さんを中心に集まった年齢も趣味対象も違う人たちが、この「トラン・デュ・モンド」という共有スペースを使って自由に“趣味”を表現しようという一風変わった企画です。撮りためた写真を作品として発表される方があれば、自作の模型を飾る方もおり、はたまたコレクションを展示される方もいるといった具合に、まさに学園祭的楽しさに満ちています。もちろん“学園祭”といってもいずれ劣らぬ趣味界のエキスパートの皆さんばかりですから、展示内容は見れば見るほど奥深いものがあります。
▲めまぐるしく変化する東急世田谷線300系のラッピングを克明に追った金子智治さんの展示(左)と高橋 渡さんが出品している東急の吊り手の数々。「東横」のロゴが刻印されている(右)。

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▲村多 正さんは自ら巡った昭和30年代の軽便鉄道を発表(左)。一方、高橋 渡さんは渋谷駅に入る東京メトロ03系や、廃止目前の東横線桜木町付近を走るY500系など東急にまつわる“レア”な画像を展示(右)。

hitosuji6.jpgたとえば、焼田 健さんの展示にはLEDの方向幕を如何にケラれずに写しとめるか、といったノウハウがさりげなく盛り込まれています。関心したのは10秒中3秒しか表示されないローマ字表記の方向幕にも注目している点。確かに停車中を撮影するにしてもローマ字表記が出ている時はシャッターを押さないのが普通かもしれません。となると10年後、20年後に記録が残らないのではないか…そう気づいた焼田さんは、意図的にローマ字表記の方向幕も記録し続けているのだそうです。ささいなことかも知れませんが、こんな趣味本来の拘りが垣間見えるのがこの「鉄道一筋展」の奥深さです。
▲焼田 健さんはプロカメラマンらしくLED方向幕に着目。

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▲布村晋一さんの版画(左)があるかと思えば、寺本孝広さんの中国の炭礦ナローのレポート(右)があったりと、まさに「それぞれの思いを込めて」の展示内容。

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▲稀代のコレクターとしても高名な関田克孝さんは鉄道マッチのコレクションを出展。「はつかり」の食堂車のマッチからカリフォルニアゼファーまでその幅広さはさすが。

今日から始まったこの「鉄道一筋展」は来週19日(木曜日)まで開催されています。この週末にでもお出でになってみては如何でしょうか。

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“グーグルアース”(Google Earth)をご存知でしょうか? 巨大検索サイト“グーグル”が運営するインターネット回線を用いた衛星・航空写真閲覧ソフトで、この9月14日から日本語対応にアップグレードされました。ここまで聞くと、なんだ有料サイトか…と思われるかもしれませんが、実はこのソフト、ベータ・バージョンを無料でダウンロード・閲覧できるのです。
●ダウンロード+インストールは下記より…
Google Earthホームページ
▲「東京駅」と日本語で入力するだけで“地球儀”から一気にこのような空中写真にズームアップする驚異の機能を持つグーグルアース。

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まずは東京駅と大阪駅の画像をご覧ください。初期画面に出ている“地球儀”の一点にカーソルをあわせて拡大クリックしてゆくだけで、目的地のきわめて精度の高い衛星・航空写真画像を見ることができます。しかもこのたびバージョンアップした日本語対応メニューでは、和文で駅名や住所を入力すれば、“地球儀”から一気に目的地をズームアップしてくれます。文字ではなかなか表現しにくいのですが、宇宙衛星からピンポイントに落下するような、凝視しているとちょっと気持ちが悪くなってくるような急激なズームアップです。思わず「お?っ!」と驚きの声をあげてしまうことうけあい、ぜひ体験してみてください。
▲同じく「大阪駅」で入力してみる。もちろんさらにズームアップが可能で、梅田貨物駅に停まっている貨車の1輌1輌まで判別できてしまう。

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▲田端運転所の周辺。構内配線など模型的視点でも実に興味深い。下は部分的にさらにズームアップしてみたもの。
TABATA2.jpgこのグーグルアース、画期的なのは全地球レベルでご覧のような画像に飛ぶことができる点で、試しに先般このブログでもご紹介したナローゲージ・コンベンションが行われたアメリカ・コロラド州デュランゴの宿泊ホテル名を入力してみると一足飛びにズームアップ、何と歩いている人影まで分かる精度で表示されました。こうなると興味津々、世界中のあの駅、あの機関区と次々とズームアップ、しばし時の経つのを忘れて夢中になってしまいました。
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TOKYO2N.jpgさらにすごいのは、360度方向を変えたり、擬似的ではあれ投影角度を変化させたり、さらには建物の“3D”化表示までワンクリックでできてしまう点です。平面だけでも線路配置を調べたり、関連建造物の位置を把握したりするのに抜群の利便性ですが、3D化してさらに投影角度を自在に変化させることによって、その場所が何時頃に日陰になってしまうか、なども類推することが可能です。まさに私たちの鉄道趣味にとってはこれ以上ない強力な助っ人登場です。
▲冒頭の「東京駅」を投影角度を変化させ、さらに建物の3D化をしてみたもの。こんなこともワンクリックでできてしまう。
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ただ、ベータ版でちょっと残念なのは、都市部はほとんど高精度で網羅されているにも関わらず、地方、ことに撮影地となりがちな山間部については比較的画像精度が粗い点です。これは都市部に関しては過去3年間に衛星および航空機から撮影された1メートル/ピクセル以上の写真で構成されているのに対して、人口集中地域以外はまだそこまでの精度に追いついていないためのようです。ただし、今後どんどんアップグレードされてゆくようですから、楽しみです。ちなみに世界レベルで高解像度写真が見られるのは、アメリカ、西ヨーロッパ、カナダ、イギリス、それに日本の主要都市、3D表示が可能なのはアメリカおよび日本の主要都市だそうです。
蛇足ながら、都市部にお住まいの方は是非ご自分の住所を入力してみてください。ご自宅はおろか、駐車場に停めてあるあなたのクルマまで見えるはずです。

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▲▼最後に弊社をズームアップ。さらに拡大(下左)すると周辺のクルマまで判別できる。下右の画像はこれまた投影角度を変化させて建物の3D化をしてみたところ。
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本物の「加藤くん」登場。

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10月21日・22日の土日に、東京・武蔵村山市の「羽村山口軽便鉄道」跡地で、加藤製作所製の小型ディーゼル機関車が一般公開されるそうです。「加藤くん」の愛称で多くのナローファン、ことにナローゲージモデラーから根強い人気を博す加藤製作所製小型DLですが、いざとなると実物を目にする機会はほとんどないはず。それだけにちょっと注目のイベントといえそうです。
▲本誌「トワイライトゾ?ン」の公開運転会でお披露目された際の「加藤くん」。フルレストレーションを施されての晴れ姿。'94.11.26

kst4t2013n.jpgこの公開、武蔵村山市主催による地元を走った「羽村山口軽便鉄道」の遺構をめぐるウォーキングイベントの一環で、聞けばウォーキングイベントそのものは数年前から同時期に開催されているそうですが、車輌の展示が行われるのは今回が初めてです。
 「羽村山口軽便鉄道」は東京都(当時は東京市)水道局が山口貯水池(狭山湖)築造に際して、多摩川の羽村取水場付近から堰堤構築用の砂利を運搬するために建設した2フィート軌間の公設軽便線で、1929(昭和4)年に羽村から現在の西武球場付近まで12.6kmが開通、以後24時間態勢で1933(昭和8)年の山口貯水池完成まで運転されました。側線延長30km、使用された機関車28輌、ナベトロ実に450輌という圧倒的な規模は、文句なく東京最大の軽便線だったといえます。この辺の詳細に関しては『トワイライトゾ?ン・マニュアル 2』所収の「トトロの森の大軽便鉄道 ?東京最大!羽村山口軽便鉄道の発掘?」に詳しいのですが、この軽便線の存在そのものが地元を含めて広く知られるようになったのは、この記事の影響が少なくなく、その意味でも小誌としては浅からぬ縁を感じています。
▲「加藤くん」一族の中でも小型の部類に属するとはいえ、実際に4t機はこんなに小さい。羽村山口軽便線でもひと回り大きい自重4.5tの加藤が使用された記録がある。'94.11.26

kst4t1010n.jpg羽村の多摩川河岸を出た軽便線は青梅線をオーバークロスし、ほぼ一直線に武蔵村山市を目指します。途中八高線をアンダーパス、4カ所ほどの交換所と残掘採石工場を経て「横田」に至った軽便線は、いよいよここから狭山丘陵の奥深くへと分け入ってゆきます。下に掲げたイベントのフライヤーを拡大してみるとお分かりになるように、現在でも「横田」「赤堀」「御岳」「赤坂」と連続する4つの軌道跡トンネルが通行可能で、今回のウォーキングイベントでもこれらのトンネルがコースに組み込まれています。
 ちなみに余談ではありますが、現在の米軍「横田基地」の「横田」はこの武蔵村山の横田に由来するものです。戦後接収した米軍から地名を尋ねられた人が、防空司令部の置かれていた「横田」の名前を伝えてしまったことから、実際にはかなり距離のある「横田」が基地名となってしまったのだそうです。
▲わずかな距離ながら、12年前の公開運転会では元気に走る姿が見られた。ちなみに運転しているのは私。'94.11.26

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この羽村山口軽便線、戦時中の1943(昭和18)年頃に堰堤嵩上げ工事のため一時復活したものの、その後は地元の皆さんからも顧みられることなく忘れ去られていました。行政区域内に鉄道のない武蔵村山市は、かつて郷土に存在したこの鉄道に着目、『トワイライトゾ?ン・マニュアル 2』をきっかけに、郷土資料館での企画展など、これまでにも羽村山口軽便鉄道を回顧するさまざまなイベントを行ってきています。
▲神奈川臨海鉄道塩浜機関区に隣接する森工業さんの構内をお借りしての公開運転会は大盛況だった。模型ならともかく、ほとんどの参加者が実物の「加藤くん」を目にするのは初めて。'94.11.26

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▲変速機と逆転機、スロットルとブレーキレバー、それにイグニッションとディコンプ程度しかないシンプルな運転台。右は今回も同時に公開される「ナベトロ」。'94.11.26

さて、今回展示されるのは加藤製作所製4tディーゼル機関車といわゆる“ナベトロ”1輌。機関車はかれこれ12年ほどまえに小誌主催で公開運転会も行ったもので、ひさしぶりのお披露目となります。ナローゲージの「加藤くん」としても小型の部類で、その大きさは全長3m×全幅1.2mほど。まさに軽自動車程度で、実際に目にしてみると、えっ、こんなに小さいの!と驚くことうけあいです。
 残念ながら当日私は余部の「鉄橋サミット」のため伺えませんが、秋の一日、「加藤くん」に会いにお出でになってみては如何でしょうか。

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▲武蔵村山市商工会主催の「ウォーキングイベント」のフライヤー。羽村山口軽便線の廃線跡ウォークは21日(土)のみだが、車輌の展示は22日(日)も行われる。
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大井川3001Fを想う。

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一昨日お伝えしたように、長野電鉄に転じた10000形HiSE改め1000系「ゆけむり」の試運転がいよいよ始まりましたが、このニュースを聞いて反射的に思い出したのが、かつて大井川鐵道に譲渡されたSSE車3001Fのことです。
▲大井川沿いに撮影名所を走る3001Fの5003レ「おおいがわ」。当時はなぜか“ロマンス急行”と命名されていた。いずれにせよ、復活したミュージックホーンとあわせて、大井川の新しい顔として結構サマになっていたのだが…。'84.2.3 田野口

ご承知のように3001Fは1957(昭和32)年に製造された小田急ロマンスカー“SE”の第一編成です。7000系LSE車の増備によって他の仲間より一足早く廃車され、1983(昭和58)年4月に大井川鐵道に譲渡されました。大井川では5輌編成では持て余しぎみのため3輌への短編成化も検討されたと聞いていますが、結局、小田急時代の5輌編成のまま川根路を走ることとなりました。

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私が大井川に転じた3001Fを初めて目にしたのは、入線間もない1984(昭和59)年2月のことでした。ロマンス急行「おおいがわ」のヘッドサインを掲げて動態保存蒸機と伍して走る姿は、なかなかどうして結構サマになっていて、すでに何年も走り続けているかのように違和感がなかったのを覚えています。ただ、モノコックの鋼製車体はかなり疲労の色が見え、新製から27年を経た軽量車体を維持してゆかねばならない難しさが暗示されてもいました。
▲入線間もない頃の3001F。新製後すでに四半世紀以上が経っているとあって、車体や内装には如何ともしがたい疲れが見え隠れしていた。'84.2.3

連接5輌編成、しかもドア数も少ないとあって使い勝手も良くなかったのでしょうか、いつしか充当される列車もなくなり、結局、1989(平成元)年に廃車されてしまいました。この時点ではまだ小田急に残った僚車SSE4編成は活躍を続けていたわけですから、長生きすると思われた譲渡車の方が先に消えてしまう結果となったわけです。廃車後も千頭駅構内に保存されていたこの3001Fですが、残念ながら数年後には解体されてしまい、わが国の車輌史に燦然と輝く一頁を刻んだSE第一編成は永遠にその姿を消してしまったのです。

来週は「頸城鉄道」公開。

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一昨年6月に奇跡の里帰りを果たし、その後ボランティア「くびきのお宝のこす会」の皆さんの手で着々と修復作業が進んでいる旧頸城鉄道の車輌たちですが、来週末に久しぶりに一般公開されます。まさに「鉄道の日」の公開となるわけですが、こちらは直江津?関山間開通120周年に合わせてのお披露目だそうです。
▲百間町の車庫内から見渡すコッペルやホジ3の姿はまるで頸城鉄道現役時代にワープしたかのよう。

kubiki1b.jpg百間町の旧頸城鉄道車庫跡に保存されているのは、コッペル製2号機をはじめ、DC92、ホジ3、ハ6、それにワ7・14など。コッペル2号機以外は廃止時に神戸の篤志家のもとに引き取られて六甲山中に保管されてきたもので、DC92を除いて木造車体だけに経年劣化は如何ともしがたく、「くびきのお宝のこす会」の皆さんの手で修復が続けられています。今回はお化粧直しされたホジ3に加え、DC92も再塗装されて美しい姿を見せてくれるそうです。公開の概要は以下をご覧ください。
▲コッペル2号機と並んだホジ3。畳敷き客車改造の気動車という特異なヒストリーを持つ。ともに軽便ファンにとっては神格化された存在。

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「懐かしの旧頸城鉄道車輌一般公開」くびきのお宝のこす会
【日 時】 平成18年10月14日(土)?15日(日)
      10:00?15:00
【会 場】 頸城鉄道展示資料館 (上越市頸城区百間町 旧頸城駅車輌庫)
【展示内容】 機関車コッペル、ホジ3、DCディーゼル機関車、転車台他
【その他】
お宝のこす会 コッペルTシャツ、プラレール
あやめの会 五目おこわ、夕顔汁       (14日のみ)
丸田屋商店 コッペル饅頭、麩饅頭、サブレ  (15日のみ)
三男坊 焼そば、肉うどん、丼物
あやめフード くびきの押し寿司、赤飯、煮こんにゃく
来夢ネット 笹もち、おやき、あられ
頸城自動車 頸城鉄道冊子、廃券廃札、ビデオ販売
せんろ商會&けいてつ協会本局 プラレール大運転会ほか
※当日、直江津駅よりシャトルバスが運行される予定。
▲数多の模型のプロトタイプともなった頸城の代名詞的存在コッペル2号機。一時西武鉄道に貸し出されて同社山口線で活躍していただけに保存状態は抜群に良い。わが国では珍しいアラン式弁装置が特徴。

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ところで、昨年末に発売したRMライブラリー『頸城鉄道』はファンのみならず地元でも大好評で、発行後半年で重版となりましたが、先日、著者の梅村正明さんからご覧のような新聞のコピーが送られてきました。同書の表紙を飾った写真のパネルを頸城自動車に寄贈されたとのことで、ほかならぬ『頸城鉄道』の著者さんとあって、たいへんな歓待ぶりだったそうです。全線廃止から35年、“マルケー”こと頸城鉄道はまだまだ多くの人々の心の中に生きつづけているようです。
▲9月30日付け『新潟日報』(上中越版)に紹介された梅村さん。左は頸城自動車の山田知治副社長。
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小田急電鉄から長野電鉄に嫁いだHiSE車(10000形)ですが、このたび長野電鉄1000系“ゆけむり”として第一編成の整備が完了、12月ダイヤ改正での営業開始に向けて、いよいよ昨日、10月5日から試運転が始まりました。今日はさっそくその試運転初日の様子をご覧に入れましょう。
▲信濃竹原駅で2000系の下り湯田中行きA特急と交換する上り試運転列車。当分の間、長電の特急はこの2本立てとなる。'06.10.5 信濃竹原 P:RM(高橋一嘉) 

nagaden3a.jpg編成は小田急時代の1・2・10・11号車を連結した4輌編成となっています。いったいどんな風に生まれ変わるのだろうと興味津々だったのですが、意外なほど車体・車内ともに小田急時代と特に変化はなく、塗色の赤色の部分が小田急時代のワインレッドの濃淡から長電2000系などと同じ長電レッドに変更されている程度です。客室内にいたってはほとんど変更点は見られず、まさに小田急ロマンスカーが信濃のりんご畑を走っている風情です。ただし、機器面では小田急時代の6号車に搭載されていた補助電源の静止型インバータが2号車に移設されたほか、抑速ブレーキも信州中野?湯田中間の連続40‰勾配での45km/h走行に対応するものとするため、主抵抗器の一部を耐熱性の高いものに変更しているとのことです。また、側扉へのレールヒータの設置、耐雪ブレーキの追加といった雪対策も施されています。
▲赤は小田急時代のワインレッド2色から2000系と同じ長電レッド1色となった。側面方向幕にも表示されている“ゆけむり”は列車名ではなく車輌そのものの愛称。'06.10.5 須坂 P:RM(高橋一嘉)
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▲多摩川でも四十八瀬川でもない、夜間瀬川を渡る1000系。旧山ノ内線内の連続40‰勾配で抑速ブレーキを使用するため、主抵抗器が一部変更されている。 '06.10.5 夜間瀬?信濃竹原 P:RM(高橋一嘉)

この1000系“ゆけむり”は12月に予定されるダイヤ改正から昼間の特急列車を中心に使用される予定だそうです。これにより長野電鉄の特急車は当面、1000系2本、2000系2本の体制となり、従来の2000系3編成のうちC編成が廃車となります。“HiSE”改め“ゆけむり”の先頭展望席で善光寺平の冬景色を満喫してみたい思いもある反面、あの2000系が残り2編成となってしまったのがちょっと残念でもあります。

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▲名所村山橋を行く1000系試運転列車(車道外から望遠レンズで撮影)。'06.10.5 村山?柳原 P:RM(高橋一嘉)

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▲梅小路運転区屋上から転車台・扇形庫を俯瞰する。右端に見える給水塔など、細部にいたるまで蒸気機関車全盛期の有り様をそのまま現在に伝えている。この光景すべてが“群”として準鉄道記念物に指定されることになる。

umekouji1nn.jpg来週10月14日の「鉄道の日」に、梅小路蒸気機関車館が準鉄道記念物に指定されることが決まりました。準鉄道記念物は、国鉄が1958(昭和33)年に制定した鉄道記念物制度を拡大し、地方においても歴史的文化的に重要な鉄道遺産を鉄道記念物に準じて顕彰しようと1963(昭和38)年に発足した制度です。これまでに全国で鉄道記念物39点、準鉄道記念物46点が指定されており、JR西日本管内では鉄道記念物8点(「義経号」、EF52 1など)、準鉄道記念物12点(クハ86+モハ80、古文書=山陽鉄道旅客事務通達類纂など)が登録されています。
▲転車台上のC62 2。1号機はすでに準鉄道記念物指定を受けているが、今回の指定でこの2号機も準鉄道記念物の仲間入りを果たす。

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▲なぜかこれまで鉄道記念物にも準鉄道記念物にも指定されていなかった残存唯一の3気筒機C53 45も今回の指定で準鉄道記念物に仲間入り。

JR西日本の発表によれば、今回この準鉄道記念物に指定されるのは梅小路蒸気機関車館に保存されている18輌の蒸気機関車と、扇形庫や転車台などの関連設備、さらには同館に移設保存されている旧二条駅駅舎で、一連の車輌・施設を包括的に捉えたこれまでにない“群”としての指定となります。実は18輌の保存機のうちC62 1は1976(昭和51)年にすでに準鉄道記念物に指定されており、今回は再度指定枠に入るかたちです。

umekouji90.jpg20線を擁する扇形車庫(1914=大正3年竣工)は一昨年暮れに国の重要文化財指定を受けており、今回の準鉄道記念物指定で二重に保護・管理される体制となったわけです。また、旧二条駅もすでに京都市有形文化財に指定されており、開設92年目を迎える「梅小路」は、日本を代表するヘリテージセンターとしてますますその重要度を増してくるはずです。
▲梅小路の栄光の歴史を一冊に凝縮した『梅小路90年史』(発行:JR西日本、発売:ネコ・パブリッシング)も好評発売中!

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いよいよ一年後に開館が迫ってきた「鉄道博物館」の入館料金など営業概要とシンボルマークが決まり、昨日発表されました。また、展示予定車輌の顔ぶれにも追加や変更が見られましたのであわせてお知らせしましょう。
▲ハニフ1は新村車庫の検修庫脇に建てられた専用の車庫に保存されている。屋外に出る機会はめったにない。'79.9.8 新村

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まず特筆されるのが、松本電鉄で保存されているハニフ1が「鉄道博物館」の保存車輌のラインナップに加わったことです。現在、同電鉄新村車庫で保管されているハニフ1は、1904(明治37)年1月に甲武鉄道飯田町工場で新製され、わが国の鉄道で初めて電化を果たした(軌道も含めると1895年の京都電気鉄道=京都市電が嚆矢)現在の中央線飯田町?中野間に投入された「ハ9」がその出自です。つまりこの「ハ9」は日本で最初の鉄道線用「電車」のうちの1輌ということになります。1906(明治39)年に甲武鉄道が国有化され、1910(明治43)年に鉄道院デ963形968号となったため、言うなれば「国電」の始祖でもあるわけです。
▲「18-11 20-2 松鐵車庫」の検査標記が残る(左)。右は松葉を模した車紋の下に描かれた右書きの車体標記。'79.9.8 新村

matuden2nn.jpg1915(大正4)年に電装解除のうえ信濃鉄道(現在の大糸線)へ払い下げ、さらに1922(大正11)年に筑摩鉄道(現在の松本電鉄)開業に際して譲渡されて、戦後まで3等荷物緩急車ハニフ1として働いていました。1948(昭和23)年に休車、1955(昭和30)年に正式に廃車処分となったものの、鉄道友の会長野支部の尽力もあって解体を免れて現在までたいせつに保管されてきました。
▲ブリル製台車の軸受部には伝統ある「Brill」のロゴとパテントの陽刻が…。'79.9.8 新村

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▲緩急室側妻面に残る装飾。戦後すぐに運用離脱したとはいえ、手厚く保管されてきただけに状態は驚くほど良い。'79.9.8 新村

matuden1an.jpg鉄道博物館では“甲武鉄道が導入し国電の始祖となった車輌”として保存車輌に追加することを決め、このたび松本電鉄から受贈されることが決まったものです。今回発表された改訂版とも言える「保存車輌一覧」には、このほかに「C51」が加わっているのも注目されます。逆に仔細に見てゆくと、従前のリストにあったD51 187が消えているのにも気づきます。
▲ブリル製台車に付けられた輸入代理店高田商会の銘板。「TAKATA & CO. TOKIO OSAKA LONDON NEW YORK CONTRACTOR」の文字が読み取れる。'79.9.8 新村

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さて、今回発表された営業概要によれば、正式オープンは来年2007年の「鉄道の日」10月14日。開館時間は10:00?18:00で、原則として休館日は毎週火曜日と年末年始(12月29日?1月2日)、入館料金は大人1,000円、こども500円、幼児200円(いずれも個人。団体料金はそれぞれ800円、400円、100円)とアナウンスされています。もちろん“Suica”での利用も可能だそうです。
▲今回発表されたシンボルマーク。すべての鉄道車輌に共通する「車輪」をシンボル化し、駅と駅をつなぐ路線も象徴化、さらに鉄道博物館の3つのコンセプト「鉄道」「歴史」「教育」を表現しているという。なお、現在“メールマガジン”会員を募集中で、入会すると開館まで毎月2回のメールニュースが配信される。(JR東日本提供)

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クリックするとポップアップします。(JR東日本提供)

昨年11月の起工式以来、建物建設工事は順調に進み、すでに鉄骨工事はほぼ完了しております。進捗状況は毎月の本誌誌上の「大宮に『鉄道博物館』ができるまで!」で連載しておりますので、どうかご注目ください。

E233系がデビュー!

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さきごろ京浜東北・根岸線への投入も発表されたJR東日本の次世代4扉通勤電車E233系がついにおめみえしました。初陣をきって登場したのは201系置き換え用として中央線に投入される編成で、所属は豊田電車区。オレンジのラインカラーも鮮やかに一昨日報道公開されましたので、今日は取材時の画像を中心にこの最新鋭E233系をつぶさにご覧に入れることにしましょう。
▲東京方先頭車クハE233-43(1号車)を先頭とした10輌編成。正面の表示器はE531系と同様に種別と行き先を交互に表示する。'06.10.1 豊田電車区 P:RM(新井 正)

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E233系は10輌固定編成(Tc-0+M-0+M’-0+M-200+M’-200+T-500+T-0+M-400+M’-400+Tc’-0)と分割併合を前提とした6輌編成(Tc-0+M-0+M’-0+M-200+M’-200+Tc’-500)、4輌編成(Tc-500+M-600+M’-600+Tc’-0)の3タイプが新製される予定ですが、今回お披露目されたのは6輌編成と4輌編成の併合10輌編成。このような3種が用意されたのは、現在201系で運用されている線区すべてをこのE233系によって置き換えねばならないためで、投入線区は上図のように中央快速線(東京~高尾・大月)、青梅線全線、五日市線全線、八高線(拝島~高麗川)、さらには富士急行線にまで及びます。

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▲「中央特快」の表示が出た正面。左右の尾灯はE531系と同様(左)。右は6号車(クハE232-501)と7号車(クハE233-501)との連結部。'06.10.1 豊田電車区 P:RM(新井 正)
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▲明るく広々としたイメージの客室内。当然ながら座席下の蹴込もなくすっきりとしている。'06.10.1 豊田電車区 P:RM(新井 正)
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▲優先席はモケット以外にも床やデコラの色を変えて視認性を高めている(左)。右は中央線初となる車内情報案内表示器による路線図表示。'06.10.1 豊田電車区 P:RM(新井 正)
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▲1号車クハE233の運転室。基本的にはE531系を踏襲している。'06.10.1 豊田電車区 P:RM(新井 正)
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▲ブラックフィニッシュされたインパネにモニタ装置が組み込まれた運転台(左)。右はクハE232-501に備わる分併切替レバー。'06.10.1 豊田電車区 P:RM(新井 正)

この中央線用E233系、2007(平成19)年度末までに688輌が新製される予定で、この11月には10輌固定編成も落成し、12月頃からは順次営業運転に投入される予定だそうです。製造等に関わる投資総額は約740億円とアナウンスされています。

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E233系の主な特徴(JR東日本提供)  クリックするとポップアップします。

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『停車場一覧』によれば、山陰線岩美駅の開業は1910(明治43)年6月10日。かの余部橋梁が完成する2年前、鳥取?香住間が「山陰西線」として延伸工事中のことです。今でも木造駅舎の好ましい佇まいを残すこの岩美駅の東側から岩井町営軌道が出ていたはずですが、予想通り駅周辺に軌道を彷彿させる遺構は何ひとつ見出すことはできませんでした。
▲岩井温泉駅に停車中の日本鉄道事業製12人乗自動機客車と同じく12人乗客車。開業間もない頃の撮影で、右下に写っているのは荒金鉱山への軌道。安保彰夫提供(『岩井温泉誌』1927年より)

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▲岩井温泉駅の全景。ホームにはなにやら車輌の影が見えるが、残念ながら判別はできない。関田克孝提供(絵葉書より)
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▲上の絵葉書とほぼ同地点から定点観測を試みた。背後の山の稜線から駅本屋の位置を同定できよう。'06.6.16

軌道は蒲生川沿いの道路端を岩井温泉めざして進んでいたはずですが、道路を併用した多くの軌道がそうであるように、今やまったく痕跡は残されておらず、軌道跡と思しき道は、ささやかな案内板に導かれてあっという間に岩井温泉街へと入っていってしまいました。結局何の遺構も見出すことができず終わってしまうのかと落胆したものの、意外なところで「岩井軌道」の文字を発見。温泉街中央に位置する公共温泉施設前に建てられた軌道を顕彰する看板です。

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▲岩井温泉口のバス停前に位置する岩井温泉駅跡地は空き地と駐車場となってしまっている。木々に囲まれた空き地にはなにやらかつての構造物の遺構らしきものも…。'06.6.16

休止が1944(昭和19)年(手続きのミスから正式な書類上の廃止は1964=昭和39年)と60年以上も前だけに、町の人も軌道の存在は誰一人覚えていないのでは…と思っていたのですが、さにあらず。3人ほどの方に声を掛けてみたのですが、どなたも駅はあそこにあって、線路はここで…と親切に説明してくださいました。もちろん年齢的に軌道を同時代体験したはずのない皆さんです。下に掲げた顕彰看板に見られるように、岩井の人々は“おらが町”の町営(昭和元年までは村営)軌道を今でも誇りに思い、かつ懐かしんでもいるようでした。

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所管する内務省土木局第28回統計年報所収の「昭和元年現在開業軌道営業状況」によれば、岩井村営軌道の営業収入は乗車賃金11,617円、貨物賃金4,457円、雑収入537円の合計18,611円。対する営業支出は保存費2,238円、動力費7,315円、運輸費3,398円、その他総係費238円の合計13,189円。差引営業純益金は5,422円と開業初年に見事に黒字を計上しています。旅客収入が貨物収入の倍以上にのぼっていることからも、当初はかなりの旅客需要があったのでしょう。この辺の事情を、公設浴場前に設けられた件の案内看板は以下のように記述しています。
▲「岩井軌道」を顕彰する案内板より。色彩はともかく、日本鉄道事業製のガソリンカーがそこそこ忠実に描かれている。'06.6.16

iwaigenkyou5.jpgおよし道路と岩井軌道
明治四十三年(1910)に岩美駅が開設されましたが、岩井温泉へ行くには新井を迂回しなければなりませんでした。岩井温泉木島屋の女将およしは、岩美駅と高山を結ぶ直線道路の建設を鉄道院総裁に直訴し明治四十五年(1912)、開通に至りました。これを、通称「およし道路」と今でも呼んでいます。
 このおよし道路を大正九年(1920)に拡幅、その片側に岩美駅から岩井までレールを敷設し、岩井軌道が大正十五年(1926)に開通しました。岩井軌道は、荒金鉱山から出る鉱石や、次から次と訪れる京阪神からの入湯客を運んで大変賑わいました。旅館十数軒、料亭も栄えて県内の旅館宿泊者の半分までもが岩井温泉の客でした。
 しかし、昭和九年(1934)の岩井大火とその後の第二次世界大戦下で軌道の維持が困難となり、また鉱石の運搬も減ってきて、昭和十九年(1944)、ついに岩井軌道は廃止となりました。

▲岩井温泉駅から荒金鉱山へと続いていた軌道跡。現在でも一部は判然と辿ることができる。'06.6.16

開業から休止までわずか19年。3.4kmのミニ町営軌道の痕跡を訪ねる小さな旅は、さしたる収穫もないままあっという間に終わってしまいました。しかしそれでも、町の人々のこの“町営軌道”を記憶に留め、語り継いでゆこうという思いだけはしっかりと感じとることができました。

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▲手元にあった岩井村向けの日本鉄道事業「拾弐人乗自動機客車組立全図」は湿式コピーが災いしてほとんど高松塚古墳の壁画状態。
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岩井町営軌道…聞きなれない名前かと思いますが、1944(昭和19)年まで山陰本線の岩美駅と内陸の岩井温泉間3.4kmを結んでいた軌間2フィート6インチの軽便鉄道です。
▲風情ある木造駅舎の佇まいを残す山陰線岩美駅。岩井温泉への道標も見えるが、あたりは閑散としている。岩井町営軌道はこの駅本屋と逆の東側に乗り場があった。'06.6.16

iwamistn3.jpg町営軌道を名乗ってはいるものの、北海道に数多く存在したいわゆる簡易軌道とはまったく異なり、こちらは歴とした“軌道”で、1922(大正10)年に岩井村自働車軌道として特許を得、1926(大正15)年に岩井村営軌道として開業しています。実態として“町営(村営)”であった鉄軌道はほかにも例がありますが、正式な名称に「町(村)」を名乗っているのは異例中の異例です。
▲岩美駅ホームから岩井町営軌道の乗り場があったあたりを見る。軌道は画面左奥へと伸びていたはず。'06.6.16

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岩井温泉は鳥取県内でも有数の歴史を誇る名湯ですが、軌道はこの温泉の湯治客輸送のために敷設されたのかというとそうではありません。岩井温泉の南、直線距離にして3.5kmほどの地点に「荒金鉱山」と呼ばれる銅鉱があり、ここで産出される粗鉱を山陰本線まで搬出するのが大きな目的でした。そのため営業軌道としての終点・岩井温泉駅からさらに専用軌道が鉱山の麓まで伸びており、貨物はこのルートを辿って搬出されていたといいます。
▲岩美駅を出た軌道はわずかばかり山陰線と並走したのち蒲生川沿いを岩井へと進む。山陰線と分かれるあたりで見かけた"いかにも”な光景。もちろん軌道とは何の関連もないが、線路沿いの木造車庫などが模型心をくすぐる。'06.6.16

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▲1:200000地勢図に見る岩井町営軌道。ちなみに昨今話題の余部橋梁とは指呼の間。(大日本帝国陸地測量部発行・1937=昭和12年修正改版1:200000地勢図「鳥取」より)
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この岩井町営軌道、安保彰夫さんが『鉄道ファン』(No.397~399)誌上で研究成果を発表されるまでは詳細がほとんど知れず、実に謎めいた軌道のひとつでした。「町営」という名称の魅力もさることながら、開業に際して日本鉄道事業製の超小型ガソリンカーや、コッペル製のガソリン機関車を導入するなど極めて先進的、まさに“役者”揃いで車輌的興味もつきません。それだけに一度は現地を訪ねてみたいものと思っていましたが、幸いにも一昨年夏、まさに岩井温泉そのものに投宿する機会を得ました。

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▲「湯治場」という言葉がしっくりくる岩井温泉の町並み(右)。蒲生川(左)沿いを軌道はさらに荒金鉱山めざして伸びていたという。'06.6.16

iwaishigai3.jpgその際はほかならぬ安保さんも同宿で、十年ほど前の調査時の状況をいろいろと伺うことができましたが、残念ながら所要で翌朝早々に引き上げねばならず、軌道跡を仔細に見聞することはかないませんでした。そんなわけでいつかはリベンジをと思っていたのですが、チャンスは意外と早くやってきました。この6月、余部橋梁を訪れた折り、兵庫県と鳥取県と県こそ違え、ほとんどお隣の岩井温泉へと足を伸ばしてみたのです。
▲岩井町の公共温泉施設前に建てられた“岩井軌道”を顕彰する看板。廃止(休止)から60年以上も経っているにも関わらず、最近になってもこのような看板が設置されるのは、岩井町営軌道が“おらが町の軌道”として人々の記憶に残されている証左かもしれない。'06.6.16

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