鉄道ホビダス

2006年8月アーカイブ

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JR車輌のバイブルとして1989年の創刊よりご好評をいただいているイヤーブック『JR全車輌ハンドブック』の最新版・2006年度版が本日完成、週明けには全国主要書店の店頭に並びます。今年度版は実に692頁! 史上最大ボリュームでお届けします。

HB20062.jpgJR全7社から提供された2006年4月1日現在の車輌配置表をもとに、蒸機、電機、ディーゼル機関車、新幹線、電車、気動車、客車、貨車の8つのジャンルに分類、実に2100種にもおよぶ膨大な形式・番代を、1形式・番代ごとに鮮明な写真と適切な解説文でご紹介。そして車輌を知るうえで欠かせない車体寸法・台車形式などを記載した諸元表や、どの基地の配置なのかが分かる形式番号順配置表も巻末に用意しました。
そして昨年度版で大反響となった本誌をDVD化した特別付録も、最新版「JR全車輌ハンドブック2006DVD」として付録いたします。ウインドウズ、マッキントッシュ両方のパソコンで使えるハイブリッド版のこのDVDには2通りの操作方法があります。車輌の形式・番代がお分かりの場合は車輌形式・番代・所属会社から、逆にお分かりではない場合は5項目の検索機能からご希望の形式・番代を簡単にすばやく表示することが可能です。そしてその写真の大半はカラーとなり、モデラーにとっても役立つこと請け合いです。
さらに「全車輌配置表」と「諸元表」も本誌と同じ内容のものを備えています。しかもこのうち「全車輌配置表」には検索機能も備えることで、形式・番代別はもちろんのことながら、車号別、配置区別、会社別などと様々な検索方法から特定車輌をピックアップすることができます。例えば人気のトップナンバーも瞬時に該当形式を表示します。
ページを捲る本ならではの楽しみ、検索機能という今までにない手順で楽しめるDVDとで、JR車輌を様々な角度から探ることができるJR全車輌ハンドブック2006年度版をぜひお手にとって体験してください。
▲多彩な検索が可能となったDVD車輌配置表の画面。番号欄に「1」と打ち込んだだけで、SLからDCまでに在籍するトップナンバー車の438輌が瞬時にヒット。SL・DLなどの「車輌種別」、クハ111などの「系列インデックス」、車号の1などの「車番」、東チタなどEC・DCに標記される「略号」、田端運転所の田など機関車の「区名札」、現業機関名から検索できる「区別名」、JR北海道など各会社ごとの「JR地区」の7通りの検索機能を備えている。
クリックするとポップアップします

ちなみに編集を担当した新井副編集長によれば今年度版新登場の形式・番代は45種。北海道の主力機DF200形に主変換装置を改良したDF200-100番代、ネコ耳新幹線とも呼ばれる時速360km/hを目指す高速試験車E954・E955、東武乗入れ特急用485系、京葉線に登場した連節車体を採用した次世代通勤近郊電車の量産先行車輌E331系、JR西日本の新世代通勤車321系、そして、マヤ34、キヤ191に替わる新型の軌道検測車キヤ141、キクヤ141など目白押しです。
いっぽうで63種もの形式・番代が今年度版から去って行きました。特に顕著だったのは0・200系新幹線、101・103系の仲間たちで、いずれも国鉄を象徴するスタンダード車輌です。さらにショッキングなのは常磐線で活躍していた二階建車・クハ415-1901がわずか15年で廃車されていることでしょう。『ハンドブック』でニューカマーとして紹介した形式・番代が、ついに消えてゆく時代になったのです。そんな消長に思いを馳せながらページを捲っていただくのも一興かもしれません。
●『JR全車輌ハンドブック2006年度版』
DVD付録付 A4変形国際判(本誌同寸)/692頁 定価6,980円(税込)

弊社創立30周年記念出版の第一弾として完成した広田尚敬さんの写真集『蒸気機関車たち』は、ここ数日、多くの方から力強い評価を頂戴しておりますが、続いて第二弾出版が今月末に完成いたします。

IMGP8504.jpg創立30周年記念出版第二弾は、写真集とはガラッと打って変わって、究極の資料集、列車運転史研究の第一人者として広く知られる三宅俊彦さんによる『列車名変遷大事典』です。
今では優等列車のことごとくに付いている列車名。その起源は今から77年前、1929(昭和4)年に遡ります。公募によってわが国初の列車名〈富士〉〈櫻〉が誕生して以来、現在まで多くの列車名が誕生してきました。また、なかにははかなく消えていったものも数多くあります。さらに、全く別の系統の列車に転用されたものも少なくありません。誕生から現在まで多岐にわたるこの列車名は、鉄道車輌とともに常に研究の対象となってきたものの、それを系統立てて時系列化した資料は存在しませんでした。

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著者であり編纂者でもある鉄道史研究家・三宅俊彦さんは、半世紀以上にわたって列車の運転や編成を中心に地道な調査・研究を続けてこられました。その成果の集大成ともいえるのが、この『列車名変遷大事典』です。本事典は2000年3月改正で現存している列車名を基準に、2005年10月改正まで、新設・改称・廃止の列車名をすべて加えた詳細データで構成されており、さらに過去に遡って廃止、転用されたものも索引としてすべて網羅。本文・編成表総字数61万3,126字、関連時刻表449項目、528ページにわたる本書は、とてもひとりの人間が達成できる規模とは思えず、まさに三宅氏のライフワークとも言うべき大著です。しかも本書の最大の特徴は時刻改正ごとの運転本数、時刻、使用車輌の形式・輌数が系統的に記述されていることで、一見複雑に絡みあった列車名の全貌が鮮やかに浮かび上がってきます。

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現在、本文はすでに印刷にかかっており、あとは装丁関係と製本を待つばかりとなっています。8月末には弊社特約店の店頭でご覧いただける予定ですので、どうかご期待ください。
●A4判変形(本誌同寸)、528頁オールカラー、ケース入り上製本/定価12000円(税込)

続・そして夕張は今…。

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▲大夕張炭山駅構内で給水を終えて仕業を待つ8号機。大夕張鉄道蒸機時代の残照のひとコマ。'73.3.30 P:名取紀之

地方財政再建促進特別法(再建法)に基づく「財政再建団体」申請を表明し、事実上の“倒産”に至ってしまった夕張市については2度にわたって本欄でもふれましたが、その波紋はやはり小さくはないようです。この27日に南大夕張駅跡で「汽車フェスタ2006」を企画している三菱大夕張鉄道保存会会長の奥山道紀さんから、ふたたびブログで皆さんへの理解と支援を呼びかけてほしいとメールを頂戴しましたのでご紹介したいと思います。

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三菱大夕張鉄道は明治44(1911)年、大夕張炭鉱の専用鉄道として開業し、昭和62(1987)年に炭鉱の合理化とともに全線廃止となりました。市内にある南大夕張駅跡地には廃止時の編成のまま、ラッセル車や客車、石炭貨車などが残されています。これらの車輌は平成11(1999)年まで放置状態にありました。なかでも客車では同鉄道唯一の自社発注車・ナハフ1が雪の重さで転覆、夕張市民やファンで三菱大夕張鉄道保存会が結成され、行政に働きかけて復旧を果たしました。その後、将来夕張市として保存・管理するという市長の市議会答弁をもとに多くの方々より寄付や支援を頂き、補修作業を重ねてきましたが、今回の夕張市の破綻により、最悪の場合は車輌の解体・撤去という事態も想定されます。南大夕張駅跡地は、永らく三菱マテリアル社が国から土地を借りたままとなっており、車輌自体の夕張市への正式譲渡も未だになされていません。
▲清水沢を発車する4号機牽引の大夕張炭山行き列車(左)。右は現役時代のキ1。ともに1971年撮影。P:三菱大夕張鉄道保存会

okuyamasann2b.jpg昨年末に近くで建設が進むシューパロダム周辺整備の一環として列車公園の構想が示され、現在公園化を前提に夕張市が三菱マテリアル社に変わり土地を借り受けています。ダム周辺整備事業自体は国費によるものですが、完成後の管理は地元の自治体に委ねられます。そのため夕張市による公園計画が断念されると国への土地返還、現状復帰で車輌の解体・撤去という事態も懸念されます。
▲三菱大夕張鉄道保存会会員によるスハニ6の木製窓枠の修復作業。P:三菱大夕張鉄道保存会

今までの活動により、綺麗になった客車内に置かれたノートには、ダム建設や閉山でこの地を離れた多くの人々や、かつて撮影に訪れた多くのファンの思いが書き込まれています。そのひとつひとつの思いや、今まで保存会に寄せられた多くの協力を無駄には出来ません。国や北海道などにも要望し、貴重な車輌の解体・撤去という事態は絶対に防ぎたいと思います。

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また、再建団体入りにより意気消沈する地元を支援する意味も込め、27日には南大夕張駅跡で「汽車フェスタ2006」を開催します。前日26日の19時~20時に列車をライトアップし、昨年失敗したラッセル車の汽笛吹鳴にも再度挑みます。
地域の産業を支えた貴重な車輌の保存活動を通じ微力ながら夕張の復興を支援したいと考えています。今後も皆さんの協力・支援をお願いいたします。
▲南大夕張駅跡で保存されているスハニ6+オハ1+ナハフ1+セキ×2の編成。右はスハニ6の車内に設けられた展示スペース。P:三菱大夕張鉄道保存会

三菱大夕張鉄道をはじめ、夕張鉄道、北炭真谷地、そして国鉄夕張線と、私にとっても夕張は忘れられない思い出がぎっしりと詰まった特別の場所です。聞くところでは、あれほど全国的に有名になった映画祭でさえ開催中止が決まったそうです。厳しい状況ですが、奥山さんらの思いが届くことを願ってやみません。

※12日にアップした本稿ですが、東京地方の落雷・停電等の影響か、サーバー上で止まってしまっており、ほんの短時間しか公開されておりませんでしたので再アップいたします。ご迷惑をお掛けいたしますが、2日遅れでご覧ください。

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かねてよりたびたびご案内してきた広田尚敬さんの写真集『蒸気機関車たち』がついに完成、すでに弊社特約店をはじめとして店頭に並びはじめています。見本が出来上がってきた時には、ちょうど広田さんご本人は北海道ロケにお出でになっており、今日はじめて完成本をご覧にいれることができました。細心の注意を払って校正を重ねただけに、その仕上がりには充分ご満足いただけたようで、まさにすべての蒸気機関車ファン、いや鉄道写真ファンに自信をもってお薦めできる写真集となりました。
▲ついに完成した写真集『蒸気機関車たち』を前に、北海道ロケから帰京したばかりの広田さん。左はデザイナーの清水幹夫さん。'06.8.11

hirotasyasinnsyuuhyoushi.jpgところで、カバー写真は呉線坂駅でC62 41の牽く上り各停と交換するC59 162牽引の下り急行「音戸」ですが、清水デザイナーとともに密かに企てていたのは実はカバーではなく表紙でした。店頭で目に触れるカバーは営業的要請もあってどうしても華のある絵柄にせざるをえませんが、普段はカバーで隠れてしまう表紙はある程度自由度があり、だからこそより広田さんらしいデザインをと思い描いていたのです。その成果がこの表紙です。ヨーロッパの写真集によく見られる張り表紙の絵柄は、夕闇の中を行く9600。ほとんど無彩色の中、わずかに残る黄昏の残照と前照灯の光だけが印象的な作品です。あえて題字もスミ文字。お買い求めいただいた際はぜひ一度カバーをとって、この表紙も眺めてみてください。
▲実はハードカバーの表紙はこんな感じになっている。

hirotasanhennsyoku.jpg話は変わりますが、今回の写真集で思いのほか苦労したのが退色・変色したポジフィルムの画像修復でした。出来上がった写真集だけをご覧になると、まるで昨日撮られたように見えるかもしれませんが、とんでもありません。とくに1968~1971年当時のエクタクローム、いわゆるプロセスE3、E4現像の4×5インチ判の退色はかなり“過激”で、最新のコンピュータによる画像復元技術がなければとてもお目にかけられるレベルにはならなかったと思います。恐らくこれからさらに加速度的に劣化が進行すると思われますから、ある意味ではラストチャンスだったと言えるかもしれません。編集者としてばかりでなく、いちファンとしても、この機会に広田さんの歴史的アーカイブを印刷物として保存できたことを嬉しく思います。
▲退色・変色の激しい4×5インチのエクタクローム。決して誇張ではなく修復不可能ではと思われたものさえあった。

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早いもので7回目となる「国際鉄道模型コンベンション」(JAMコンベンション)が大阪南港のインテックス大阪で開催され、昨日は私も家内とともに参加させてもらいました。新宿で始まったこのコンベンションも年々規模を拡大し、昨年までの定番であったビッグサイトを離れて、初めての関西地区での開催となります。
▲インテックス大阪のコンベンション会場は想像以上に広大だった。見渡す限りにひろがるクラブレイアウトの数々はまさに壮観。'06.8.12

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いつになく涼しい夏が続いている東京から来ると、クマゼミの大合唱が響く大阪は名にし負う強烈な暑さ。ニュートラム中ふ頭駅から会場のインテックス大阪までは徒歩5分ほどですが、それでも汗が噴出してくるような感じです。
▲西ゲート入口(左)を入ると1号館エントランスではEF58 42の前頭部がお出迎え。'06.8.12

IMGP8447.jpgモデラー、メーカー、媒体などがその垣根を越えて鉄道模型の楽しさを発信しようとスタートした「日本鉄道模型の会」(JAM)も、いまや特定非営利活動法人(NPO)として活動の幅を広げつつあります。そのなかで毎年夏に開催されているこのJAMコンベンションを東京以外の地で開くことは長年の夢でもあったといいます。それだけに今回のインテックス大阪での開催は、直接運営に携わった関西のメンバーのみならず、多くのJAMメンバーにとってまさに悲願達成でもありました。実際に足を運んでみて驚いたのはこのコンベンション会場の大きさです。1号館と2号館を使っての展示でしたが、お話では2号館だけで昨年までのビッグサイト西館とほとんど同面積だそうです。これだけの規模の会場でNPO主催による鉄道模型コンベンションが開催されるようになったわけですから、日本の鉄道趣味も胸を張って世界に発信できるステージにのぼったというべきでしょう。
▲吉村会長の後任としてこの2月にJAM会長に就任した古川 享さん(左)はアメリカン・ナローの世界では知らない人はいないモデラー。ビルさんとは12年来の友人だそう。'06.8.12

IMGP8487.jpgさて、今回のJAMコンベンションはこれまで以上に来場者参加型のプログラムが組まれ、JCPと呼ばれる「ジュニア・カレッジ・プログラム」も、ミニジオラマ工作教室などいくつものプログラムで賑わっていました。そしてもうひとつ、来場者にとって大きなサプライズだったのは米国の著名なプロ・レイアウトビルダーであるビル・バンタ(Bill Banta)さんによる「3日間レイアウト」です。「3日間レイアウト」は会期中の3日間でシーナリィ付きのレイアウトを完成させようという実演型プログラムで、いまやJAMの名物イベントともなっています。昨年までは複数のモデラーによる製作でしたが、今年はなんとビルさんひとりで地面作りからフィニッシュまでを行おうというのです。
▲昨年までの「3日間レイアウト」ビルダーからも“目からウロコ”と声があがったビルさんの実演。とにかく作業が大胆、かつ繊細。'06.8.12

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ビルさんはバーモント州でレーザーカット・ストラクチャーのメーカー(Banta modelworks)を営む一方で、プロのレイアウトビルダーとして全米に知られ、今年から3代目のJAM会長となった古川 享さんのシアトルのお宅のレイアウト製作も引き受けています。そんなご縁もあって古川会長が招聘されたのだそうですが、まさか大阪の地でビルさんのレイアウト技法を直接目にできるとは思ってもいませんでした。
▲福田将夫さんのNスケールの余部橋梁(左)はこの冬景色と夏景色がリバーシブルになっている大作。右はCトラック関西が出品していたファーラー・カー・システムとメルクリンデジタルによるバス自動運転システム。レイアウト上でクルマも走る時代になったのだ。'06.8.12

IMGP8480.jpg参加クラブレイアウト30あまり、出展企業・団体60以上、さらに個人出展に屋外ライブスチームと、初めて大阪で開催されたJAMコンベンションは、その規模や充実度からして東京での開催を凌ぐ大きな成功を収めたといえましょう。恐らくこれまでJAMコンベンションに参加したことのなかったであろう西日本各地のファンが、自らの実感としてJAMの雰囲気を味わえたことも大きく、ふたたび東京での開催が予定されている来年のコンベンションにも良い意味で影響が出てくるに違いありません。
▲大阪だけあってJR西日本のICOCAのキャラクター“イコちゃん”も登場! 会場内を練り歩いて大好評。'06.8.12

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かねてよりたびたびご案内してきた広田尚敬さんの写真集『蒸気機関車たち』がついに完成、すでに弊社特約店をはじめとして店頭に並びはじめています。見本が出来上がってきた時には、ちょうど広田さんご本人は北海道ロケにお出でになっており、今日はじめて完成本をご覧にいれることができました。細心の注意を払って校正を重ねただけに、その仕上がりには充分ご満足いただけたようで、まさにすべての蒸気機関車ファン、いや鉄道写真ファンに自信をもってお薦めできる写真集となりました。
▲ついに完成した写真集『蒸気機関車たち』を前に、北海道ロケから帰京したばかりの広田さん。左はデザイナーの清水幹夫さん。'06.8.11

hirotasyasinnsyuuhyoushi.jpgところで、カバー写真は呉線坂駅でC62 41の牽く上り各停と交換するC59 162牽引の下り急行「音戸」ですが、清水デザイナーとともに密かに企てていたのは実はカバーではなく表紙でした。店頭で目に触れるカバーは営業的要請もあってどうしても華のある絵柄にせざるをえませんが、普段はカバーで隠れてしまう表紙はある程度自由度があり、だからこそより広田さんらしいデザインをと思い描いていたのです。その成果がこの表紙です。ヨーロッパの写真集によく見られる張り表紙の絵柄は、夕闇の中を行く9600。ほとんど無彩色の中、わずかに残る黄昏の残照と前照灯の光だけが印象的な作品です。あえて題字もスミ文字。お買い求めいただいた際はぜひ一度カバーをとって、この表紙も眺めてみてください。
▲実はハードカバーの表紙はこんな感じになっている。

hirotasanhennsyoku.jpg話は変わりますが、今回の写真集で思いのほか苦労したのが退色・変色したポジフィルムの画像修復でした。出来上がった写真集だけをご覧になると、まるで昨日撮られたように見えるかもしれませんが、とんでもありません。とくに1968~1971年当時のエクタクローム、いわゆるプロセスE3、E4現像の4×5インチ判の退色はかなり“過激”で、最新のコンピュータによる画像復元技術がなければとてもお目にかけられるレベルにはならなかったと思います。恐らくこれからさらに加速度的に劣化が進行すると思われますから、ある意味ではラストチャンスだったと言えるかもしれません。編集者としてばかりでなく、いちファンとしても、この機会に広田さんの歴史的アーカイブを印刷物として保存できたことを嬉しく思います。
▲退色・変色の激しい4×5インチのエクタクローム。決して誇張ではなく修復不可能ではと思われたものさえあった。

「原生花園」の頃。(下)

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「原生花園」というと8月、夏休みと連想しがちですが、実は8月の声を聞けば道東はもう夏の終わり。花のシーズンは6~7月なのだそうです。たしかに釧網本線から海岸へと続く砂丘状の小清水原生花園に咲き誇る花の姿はなく、ところどころに名残の花が見られるだけとなっていました。
▲イメージとは裏腹に原野然とした風景の中をC58の牽く客車列車が駆け抜けてゆく。なけなしのブローニー判エクタクロームで写した一枚。'73.8.12 原生花園

kitahamastamp1.jpg1973(昭和48)年当時の釧網本線は、川湯-緑間の補機運用にDE10が投入されていたものの、客車列車は依然としてC58の牽引でした。しかも同線の客車列車は基本的に「混合列車」扱いで、入換えの都合から機関車の次位に貨車を連結するスタイルです。いつまで経っても発車しないので先頭を見ると、機関車は客車をホームに置いたまま入換え作業中…などという現代では想像さえできない光景が日常茶飯に繰り返されていたのです。ちなみに、同線に最後まで“だるまストーブ”が残ったのもこの編成方式と関係があり、同じ混合列車でも編成最後尾に貨車を連結するのではなく、機関車次位に貨車を連結するこの方式だと、機関車からの蒸気暖房管が客車に直通できないためです。

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あれからちょうど33年、感慨に浸っていると、なんと来年4月からあの原生花園周辺にJR北海道が誇るDMV(デュアル・モード・ビークル)が走りはじめるというニュースが飛び込んできました。しかもこれまでのデモ運転ではなく歴とした“営業運転”なのだそうです。
▲海岸砂丘越しに北浜からやってくる下り列車をのぞむ。茫洋とした風景の中、C58もこころなしかけだるそうに見える。'73.8.12 原生花園

gennseikaennsou.jpgJR北海道のプレスリリースによれば、DMVの運転は浜小清水を起点・終点としたラウンドトリップ。浜小清水をオンレールで出発したDMVは原生花園、北浜を通って藻琴まで11キロほどを列車として走行、藻琴駅でモードチェンジして道路に降り、バスとして周辺観光地の藻琴湖と濤沸湖をめぐって再び浜小清水駅に戻るという行路だそうです。もちろん“営業運転”とはいうものの事前予約による試験的運行で、土日、祝日の一日5~7便程度が設定されるとのことです。来年のシーズンには、あの原生花園を走るDMVの姿が見られることになります。

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▲暮れなずむ釧網本線原生花園。特有の起伏が道東の鉄路を象徴している。来春、この線路にDMVが走りはじめるのだ。'73.8.12 原生花園

「原生花園」の頃。(上)

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釧網本線の原生花園臨時乗降場に降り立ったのは、いまからちょうど33年前の8月12日のことでした。特に原生花園とC58の組み合わせを狙いたいと願ったわけではなく、流氷の冬場に足しげく通った北浜-浜小清水周辺が夏はどんな表情の変化を見せるのか、それを自分の目で確かめてみたい、そんな軽い動機だったような気がします。
▲“アンノン族”に“カニ族”…「知床旅情」の大ヒットもあって道東は時ならぬ大賑わいだった。溢れんばかりの乗客が待つ仮設ホームに入ってくるのは釧路区のC58 410の牽く網走行き634レ。'73.8.12 原生花園(臨)

genseikaen2.jpgそれにしてもこの年の北海道はえらい暑さでした。すでに渡道4日目にしてグロッキーぎみ、おまけにどこに行っても煙はスカスカとあって、“休養日”と決め込んで原生花園に足を向けたのです。当時、道東は“知床ブーム”の真っ只中で、網走湾越しに知床の主峰・羅臼岳をのぞむ原生花園にも“アンノン族”やら“カニ族”やらが溢れかえっていました。森繁久弥さんが作った「知床旅情」を加藤登紀子さんが歌って大ヒットしたのが1970(昭和45)年。1964(昭和39)年に仮乗降場として設置された「原生花園」駅もまさに開闢以来の大賑わいというわけです。
▲鋼体化客車に冷房などあろうはずもない。開け放った窓から照りつける西日を遮るのは木製の“鎧戸”だけだ。'73.8.12 原生花園(臨)

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▲土産物屋が並ぶ国道付近と対照的に、海岸では小舟を浮かべての漁が行われていた。日焼けした漁師夫妻に原生花園の賑わいはどう映じたのだろうか…。'73.8.12

当時の釧網本線網走口には4往復ほどの客車列車と2往復の貨物列車が設定されていましたが、いずれも決して美しいとは言えない釧路区のC58牽引で、流氷バックの季節ならまだしも、陽炎が立つ海岸砂丘では絵になろうはずもなく、結局、広角28ミリにトライXを詰めたカメラを肩に、蒸機ではなく海岸の日常風景を撮りに行ってしまいました。

この当時、鉄研と同時に写真部にも属していた私は、薗部 澄さんの『ふるさと』をはじめとした日本の原風景をテーマとした一連の写真に強く惹かれており、そんな思いもあって、ゆく先々で鉄道のいわば“周辺”にレンズを向けてきました。この時もおそらくそんな思いが優先したのでしょう。原生花園の浜からオホーツクに小舟で漕ぎ出そうという漁師夫妻に「撮らせてください」と頼み込んで、その出漁までをしつこく撮り込んでいます。いまさらネガを見返してみると、この出漁シーンだけで36枚撮り一本。「C58はどうしたんだ!」と33年後のおやじが叱責しようとも、決して動じない何かがあの時はあったのです。

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▲1973(昭和48)年8月号の「道内時刻表」。当時は何の気なしに使っていた時刻表だが、いまさら見返してみると“蒸機牽引マーク”など懐かしさがこみ上げてくる。
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この春『カー・マガジン』編集部に異動した“B滝さん”がへろへろと怪しい画像を持って古巣のRM編集部に姿を現しました。なんでもこの前の週末に宮城県栗駒町で行われた旧車(…といっても鉄道ではなくクルマのことです)のイベントに参加、くりはら田園鉄道ものぞいてきたのだそうです。
▲よく見ると、DB10に牽かれた(?)ト102+103の荷台にはなにやら怪しい物体が…。後部には木造緩急車ワフ74の姿も。'06.8.6 栗駒 P:滝澤隆久

kuridendb2.jpgこの旧車イベントは、来春廃止が予定されている地元のくりはら田園鉄道を応援し、町を盛り上げようと「宮城昭和の車保存会」が主催するもので、8月5日(土曜日)には鴬沢の「細倉マインパーク」駐車場、翌6日(日曜日)には栗駒六日町商店街で車輌展示が行われました。興味深いのはこのイベント、スポーツカーやレーシングカーではなく、商用車、バス、トラックを中心とした展示を目指しているところです。もちろん乗用車も数多く参加するものの、目玉はボンネットバスやオート三輪といった“三丁目の夕日”的面々。“くりでん”もとっておきの木造貨車を引っ張り出して一役買うことになったものです。
▲ワフ74は1924(大正13)年天野工場製。実に80歳を超えた木造貨車だ。'06.8.6 栗駒 P:滝澤隆久

kuridendb3.jpg登場したのは普段は若柳の車庫に留置されているDB10と木造貨車3輌。ト102+103の荷台にはダイハツのミゼットとマツダのK360という「昭和」を象徴するような三輪軽トラックが載せられ、いかにもな雰囲気をかもし出します。しかも展示されたのは栗駒駅構内だそうですから、DB10に牽かれたこの珍編成、本線をよろよろと自走してきたわけです。
▲ト102+103の荷台に載せられていたのはダイハツのミゼットとマツダのK360。'06.8.6 栗駒 P:滝澤隆久

さらに特筆されるのは“旧車”たちの展示方法です。ご多分にもれずシャッター通りと化してしまった六日町商店街の現状を逆手に取り、路上にクルマを並べるのではなく、しもた屋のシャッターを開けてその中に“旧車”を入れて展示しようというのです。昭和の商店街の町並みを色濃く残す屋並からオート三輪やらミゼットやらが顔を出している…それはまさに1分の1のバーチャルリアリティにほかなりません。ちなみにこの辺のわくわくする画像は9月26日発売の『カー・マガジン』誌上でB滝さんのレポートをご覧ください。

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▲“旧車”といっても旧いクルマのイベントだけにボンネットバスやキャブオーバーバスも姿を見せていたそうな。'06.8.6 栗駒 P:滝澤隆久

B滝さんはいつものビートルではなくレポート車のスズキ「ラパン」での遠征で、帰りは大渋滞に巻き込まれるなど散々だったようですが、「くりでんを舞台にしたこのイベント、来年の夏休みにはやりたくてもやれなくなってしまう…」と寂しさを隠し切れない様子でした。

■ギャッロピンググース・フォーエバー!
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はるか昔、中学生時代に銀座・天賞堂の模型売り場で衝動買いした一枚の絵葉書が、まさかこれほどまでに私をギャロッピンググースにのめり込ませることになろうとは思いもしませんでした。しかも生涯一度は実物を目にしてみたいと願っていたグースを一度ならず訪ね歩くチャンスに恵まれ、さらに何回目かの訪問では5番グース復活の奇跡の瞬間に立ち会う幸運に恵まれたのですから、今や、ことグースに関してこれ以上何を望もうかという心境です。
▲標高3000m、色づいたアスペンの森を5番グースが駆ける。アニマス川の清流を何度か渡りかえせば終点シルバートンも近い。'98.9.21 Elk Park-Silverton

5goosen84.jpg14年前、ドロゥレスの古びたデポで小さなガラスの募金箱に20ドルのドーネーションを入れた時には、ふたたびグースが“本線”上を駆けることなどありえないと思っていました。郷土史(?)好きのおばさんたちが荒唐無稽な“夢”を描いている…いまさら思うとそんな程度の認識しかなかった自分を恥ずかしくさえ思います。彼の地の「鉄道趣味」はその深さ、豊かさ、そしておおらかさにおいて、当時の私の想像を遥かに超越していたのです。そのことを実感として気づかせてくれたのも、ほかならぬギャロッピンググースだったのです。
▲スロットルオフとともに小気味良いアイドリング音を奏でながらウァイ(デルタ線)で方転にかかるNo.5。'98.9.21 Silverton

5goosen83.jpg7月9日から足掛け一ヶ月にわたったギャロッピンググースのお話は今日でひとまずお終いとなります。ここ数年、グースたちとはご無沙汰をしていますが、実はさ来週、ギャロッピンググースゆかりの地、コロラド州デュランゴで第26回ナショナル・ナローゲージ・コンベンションが開催され、再びアニマス渓谷に“ブリキの羽とガソリンの匂い”が戻ってきます。私も久しぶりに休みをとって会いに行ってみようと思っています。
▲“Tin Feather”(ブリキの羽)を輝かせて目の前を通過する。'98.9.21 Silverton

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▲秋の一日が終わる。ロッキーの山に沈まんとする夕日を追いかけるように5番グースが駆け去ってゆく…まさに至福の刻。'98.9.21 Silverton   

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本年4月1日に南海電気鉄道から貴志川線を引き継いだ和歌山電鐵(名称はわかやま電鉄貴志川線)のシンボル車輌である“いちご電車”がこのほど完成、8月6日に行われたグランドオープンイベント、第1回貴志川線祭りで一般公開されたのち、当日15時20分伊太祁曽発和歌山行の臨時列車より営業運転を開始しました。編集部からは高橋一嘉君が“灼熱”の伊太祁曽へ取材に行ってきてくれましたので、いちはやく“いちご電車”の画像をお目にかけましょう。
▲楢の木の無垢材を使ったサービスカウンターはまるで一般家庭のリビングのようで、とても電車の車内とは思えない。このサービスカウンターは2701号車にのみ設置されている。'06.8.6 伊太祁曽 P:RM(高橋一嘉)

ichigo04n.jpg “いちご電車”のデザインは和歌山電鐵の経営母体である岡山電気軌道を含む両備グループのデザイン顧問を務める水戸岡鋭治さんによるもので、何のために、誰のために、どこまで出来るかをテーマに、
「利用する側(人)にとっても、運用する側(人)にとっても、無理のない使い良い公共移動空間・装置にすること」
「“いちご電車”を使う全ての人に優しく、使いやすく、わかりやすく、楽しく、みんなのでんしゃに… 日本一カワイイ、楽しい、オシャレな電車に… みんなで楽しく、ワイワイ、通学・通勤、遠足、ミニ旅行、車内で井戸端会議やミニミュージアムに、いつでも誰でも好きなように使える電車に…」
というリニューアルコンセプトのもと、南海電鉄から引き継がれた2270系電車は全く新しい姿に生まれ変わりました。
▲2271号にはやはり楢の木の無垢材を使ったロングベンチが設けられている。'06.8.6 伊太祁曽 P:RM(高橋一嘉)

ichigo03n.jpg 今回改造が施されたのは2701+2271の2輌1編成。客室は床が滑り止め加工を施した楢の木の無垢材に変更されたほか、ブラインドには難燃処理加工処理した科の木の白木が、また吊り手にも樺の木の白木が使用され、いちご柄のモケットとなった腰掛と合わせてすっかり雰囲気が一新されています。
▲いちご柄のモケットのロングシート。袖仕切りも木材を使った凝ったもの。'06.8.6 伊太祁曽 P:RM(高橋一嘉)

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▲ホワイトをベースにいちごをあしらった“いちご電車”2701+2271。すでに運用に就いている。'06.8.6 伊太祁曽 P:RM(高橋一嘉)

 もっとも大きな変更点は連結側の車端部で、弱者コーナー(車椅子スペース)は車椅子のままで車窓から景色が楽しめるような配置とされ、テーブルがL字型に設置されています。腰掛はやはり木製のベンチに変更されたほか、2701号のみサービスカウンターが設置されました。このサービスカウンターはイベント使用の際に飲食のサービスコーナーとして使用されるほか、本棚が設置され、乗客の子供が自由に本を読めるようにされるとのこと。なお、車端部のテーブル、腰掛、カウンターにも床材と同じく楢の木の無垢材が使用されており、こんなところにもこだわりが感じられます。

ichigo02n.jpg なお、水戸岡さんによるリニューアルコンセプトは「これからも皆様の意見を元に“いちご”電車はリニューアルを続けることで「日本一心豊かなローカル線」になって行きます」と結ばれています。新たな門出を果たした貴志川線と“いちご電車”の今後に注目したいものです。 
▲通勤通学を主としたリニューアル車輌としては例のないユニークなコンセプトの“いちご電車”。'06.8.6 伊太祁曽 P:RM(高橋一嘉)

グースグッズあれこれ
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基本的にグッズ集めには興味がないのですが、なぜかギャロッピンググース関連のグッズ類はいつの間にか集まってきてしまい、今や“一山”をなすまでになってしまいました。メンバーになっているギャロッピンググース・ヒストリカル・ソサエティーがプロデュースするさまざまなノベルティーグッズはもとより、あのガチョウのヘラルドを目にするとついつい吸い込まれるように財布を開いてしまうのです。今日はそんなグッズの中から一部をお目にかけましょう。
▲グッズ蒐集には興味がないと言いながらも手元に集まってきてしまったグースグッズたち。グース時計はパソコン部屋に置いてあるが、きわめてチープな作りでチクタクうるさいことこのうえない。

撮影に際して我ながら驚いたのがTシャツです。たしか数枚あったはずと探しはじめたら、いや出てくるは出てくるは…。例のヘラルドだけをプリントしたシンプルなものから、中にはいかにもなアメリカンジョーク(I Got “Goosed”.=動詞のgooseの意味はここでは書けませんので気になる方はご自身でお調べください)を大書したものまで、十数枚が“発見”されました。

balladof51.jpgそんな数あるグース関連グッズのなかでも、やはりお気に入りは写真や本の類でしょうか。1950年7月にデュランゴのヤードで撮影された“トム・クリンガー・コレクション”の四切の5番グース“生写真”は額装して書斎の入口に掲げてあります。また、1971(昭和46)年に初版が出版されたスタンレー・レインさんの“Galloping Geese on the Rio Grande Southern”は今もってバイブルで、このブログの記事内容の出典も多くはこのバイブルによっています。“Tin Feather and Gasoline Fumes”(ブリキの羽とガソリンの匂い)という副題もどれほどグースへの想いをかき立ててくれたことでしょうか。
▲1981年にドン・リプレイさんのイラストで「出版」された“Ballad of Old No.5”。出版といってもコピーをホチキスで綴じただけの48ページほどの私家版だが、全編にグースへの愛が溢れた一冊。

balladof52.jpgそしてもう一冊、これは“本”というよりはコピー(なおかつ片面コピー!)を綴じただけの自費出版冊子ですが、5番グースの本拠・ドロゥレスのドン・リプレイさんのイラスト(というよりもむしろ漫画?)による“Ballad of the Old No.5”も忘れられません。スラングだらけのイラストで正確には理解できないものの、全編を通してギャロッピンググースへの哀惜が痛いほど伝わってくる一冊です。ひょっとすると、数あるグース関連グッズの中で、この“Ballad of the Old No.5”が一番のお気に入りかもしれません。

▲RGS末期のエピソードから、解体されそうなところを救い出されて保存されるまでが「絵本」としてつづられている。レールが撤去されてゆくグレードにグースが涙するシーンには思わずこちらが涙、涙…。

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▲臨時列車を意味する白いフラッグを掲げ、初めてのテストランでシルバートンに到着した5番グース。今日はここで一夜を明かし、明朝再びデュランゴへと向かってシルバートン支線を下ってゆく。'98.9.13 Silverton

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梅雨明けの強烈な日差しが降り注ぐなか、今日は14時からしもだて美術館の「写真展・永遠の蒸気機関車 くろがねの勇者たち」の関連行事「SLトーク 過去と今を生きる蒸気機関車」が行われました。昨日の本欄でお知らせしたとおり、真岡鐵道の蒸気機関車運転の要である湯浅陽三課長に私がお話を伺うというスタイルでトークショーが始まりました。
▲真岡鐵道の蒸気機関車を護り育ててこられた湯浅陽三課長(左)と演台で挨拶にたつ。’06.8.5 P:筑西市教育委員会

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事前の打ち合わせ時間が限られている中で、ありがたいことに湯浅さんは骨格となるプロットをA4判用紙12枚のメモにまとめておられ、実質的な司会進行役を務めねばならない私としては、これが大きな力となりました。トークの核心部分でも皆さんにご紹介申し上げたのですが、驚くべきことに湯浅さんは1957(昭和32)年に見習いとして乗務をはじめて以来、水戸線電化で蒸気機関車の運転台から降りる1967(昭和42)年まで十年間の全乗務記録をメモにして残しておられます。今回のトークショーのプロットにしても、このメモと一脈通じる几帳面さの体現に思えてなりません。
▲下館駅にほど近いアルテリオの3階にある美術館は天井が高く、実にルーミーな展示環境。じっくりと歴史的アーカイブを鑑賞するにはうってつけの会場だ。’06.8.5

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▲しもだて美術館が入るアルテリオ外観。ガラスを多用した館内からは筑波山も展望できる。’06.8.5

IMGP8403.jpgちなみに、その湯浅さんの乗務記録は日付、行路番号、列車番号、乗務機関車形式番号、現車輌数、換算輌数、相方乗務員名、さらには遅延等の詳細を記録した信じられないほど緻密なもので、OHPでその現物を投影しながらの解説はかつてない臨場感溢れるものとなりました。1列車「はつかり」をはじめ、メモに記載された列車や機号はどれも心ときめかされるものばかりですが、平区時代のD51 498の乗務記録を投影した際には会場から大きなどよめきが起こっていました。
▲真岡鐵道のC12には今回の写真展を記念するヘッドマークが付けられている。’06.8.5 下館

yuasasan%EF%BC%91.jpg熱のこもった湯浅さんのお話に1時間半の予定時間も30分近くオーバーしましたが、会場内の少年ファンも含めてみなさん食い入るように耳を傾けておられ、まずは成功裏に終わることができたのではないかと思います。このしもだて美術館の「写真展・永遠の蒸気機関車 くろがねの勇者たち」は9月10日(日曜日)まで開催されています。素晴らしい展示環境の美術館ですので、皆さんも是非会期中に一度足を運んでみていただければと思います。
▲D51単機による1100t勾配途中牽きだし、C58単機での現車12輌水戸線通勤列車…水戸機関区時代の驚きの経験談を熱く語る湯浅真岡鐵道課長。’06.8.5

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真岡鐵道のおひざ元、茨城県筑西市の「しもだて美術館」で7月15日から開催されている「写真展・永遠の蒸気機関車 くろがねの勇者たち」は夏休みに入って連日賑わっているようです。
▲真岡鐵道にC12 66が復活してから12年の歳月が流れた。C11 325も加わり、真岡は今や北関東の煙の牙城。写真は'94年運転開始時のC12 66。P:RM

shimodatetirashi1nn.jpgその写真展の関連行事として企画されているのが明日5日(土曜日)の14時から予定されている「SLトーク 過去と今を生きる蒸気機関車」です。真岡鐵道の2輌の蒸気機関車を護り続けている湯浅陽三課長と私の対談という設定になっていますが、対談というより私が司会的な立場で湯浅さんからお話を伺う形となると思います。湯浅さんは1957(昭和32)年に水戸機関区に入り、見習いとしてC62の牽く上野~水戸間の「はつかり」にも乗務した経験がおありです。1962(昭和37)年には上野口の無煙化で12輌のC62が尾久機関区から水戸機関区に転属、湯浅さんは私たちファンから見ればそんな黄金期の中枢機関区でレギュレータを握っておられた方ということになります。ちなみに、あの岩波映画社の名作「ある機関助士」の機関助士・小沼慶三さんとは同期生だそうで、本誌4月号(No.271)の「SL甲組の肖像」では、お二人の水戸機関区時代のさまざまな逸話をご紹介させていただいています。
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shimodatetirashi2n.jpg会場は美術館一階のホールで先着180名様の定員と伺っています。「写真展・永遠の蒸気機関車 くろがねの勇者たち」は4年前に東京都写真美術館で開催されて以来、田川市美術館、都城市美術館と巡回し、今回のしもだて美術館が4回目の展覧会となります。実は田川市、都城市でも関連イベントとしてトークショーに出演しておりますが、毎回苦労するのが、ご来場いただく皆さんがどんな話を望んでおられるのかを汲み取ることです。都心のイベントならまだしも、地域に密着した会場ともなると直截に「鉄道」の話よりも「地域」に根ざした話を聞きたくて来場いただく方も少なくなく、あまり専門的な鉄道の話題ばかりだと結果としてがっかりされてしまうことも少なくありません。逆に専門的な話を聞きたいがためにお出でいただく方も多く、こちらは「昔○○の山には熊がいて…」的な話題には興を逸らされてしまいかねません。いちパネラーとして壇上に昇るのならともかく、会場の雰囲気をつかみながら話を振ってゆくのは結構気苦労の多いものです。明日ははたしてご来場いただいた皆さんにご満足いただけるトークになりますやら…なにはともあれご期待ください。
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■7番グースのこと
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ギャロッピンググース7兄弟の末っ子7番グースは、3番4番と同じ1926年ピアース・アロー製タイプ“33”ボディを搭載して1936(昭和11)年10月27日に誕生しました。ただ、エンジンはグース一族のなかで唯一フォードV8(1936年モデル)を搭載していたのが特筆されます(1946年にGMC製6気筒に喚装)。また全長46フィート(約14m)は、ビッググースと呼ばれる3~5番よりさらに0.8mほど長く、自重(約7.5t)とともに一族最大です。
▲クラシックなリムジンボディが残るNo.7。荷室部分はNo.3~5と同様にエクスカーションユースの客室に改造されている。'92.9.13 CRRM

7goose2.jpgなぜかこの7番は3~5番のようにいわゆる“バスボディ”に載せ替えられることはなく、ピアース・アロー製のクラシックな車体のままエクスカーション用として改造を受けます。時に1950(昭和25)年、定員32名のシートはデンバーのトラムからの流用です。つまりバスボディ以外で唯一の「旅客車」となったわけです。側面中央の窓下、ホイールアーチの痕跡のすぐ前には例のギャロッピンググースのヘラルドが描かれ、1950年当時は3~5番に伍してエクスカーションユースに活躍したようです。ただその活躍も長くは続かず、1952(昭和27)年には後部客室部を取り払った無残な姿で路線の撤去作業に当たっている姿が目撃されています。
▲現役時代は“丑の刻参り”の蝋燭のごとく正面左右屋根上に掲げられたライトがおどろおどろしかったが、リビルド後は少々おとなしい表情となった。'94.9.3 CRRM

6goosedrive1n.jpg2番6番とともにコロラド・レールロード・ミュージアムに救い出された7番グースは、最後まで事業用として使われていただけあってとりあえずは可動状態にあり、1954(昭和29)年にエンジンをシボレー6気筒に喚装のうえ、同ミュージアムの園内デモ運転用軌道で“体験乗車”に供されることとなりました。しかし新製以来車体載せ替えを行っていないだけにその状態はかなり悲惨だったようで、“decrepit condition”(よぼよぼの状態)とまで評されるありさまでした。
▲グースのファイナルドライブは外掛けのチェーン。結構走行中にチェーンが外れるトラブルがあったらしい。ちなみにこの写真はNo.6。'92.9.13 CRRM

そんな満身創痍の7番グースにさらなる悲劇が訪れます。ある日、ロッキーから吹き降ろす突風で、あっけなく車体が吹き飛んでしまったのです。もちろん間もなくリビルドされたものの、その後は動く機会もなく、今もミュージアムの片隅でひっそりと余生を送っています。

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かねてよりご案内申し上げている広田尚敬さんの写真集『蒸気機関車たち』がいよいよ発売となります。すでに大半のページが刷了(印刷を完了すること)しており、まもなく最終的な製本工程にとりかかるはずです。
▲体裁見本が完成した写真集『蒸気機関車たち』。ずっしりとした重さも広田写真の集大成の証。

zyoukikikannzyatati2.jpg写真の再現性が命の写真集ゆえ、通常は16ページ単位となる印刷工程を今回は半分の8ページ工程とし、しかも片面ずつ刷ってゆくという実に手間のかかるプロセスとなっています。それでも一部に納得のゆかないクオリティーのページが出てしまい、当該ページに関しては急遽刷り直すなど、印刷会社もこれまでにないほど神経を遣った仕事をしてくれています。そんな事情もあり、当初は8月初旬とご案内していた発売予定は若干遅れ、皆さんのお目にとまるのは10日過ぎとなります。
▲本誌同様のサイズ(297×234㎜)のため、見開き写真の迫力は絶品。写真は伝説の4×5判組立暗箱流し撮りによる常磐線のC62 23。1967年9月 木戸-広野

zyoukikikannzyatati3.jpgこのブログでもご紹介しているように、折りしも先週木曜日から東京・品川のキヤノンギャラリーSで、次男・泉さんとの写真展「鉄道写真~二本のレールが語ること~」が開かれています。昨日行われたオープニングパーティーでは弊社社長・笹本が、この写真集『蒸気機関車たち』の刷り出しプリントを参加された皆さんに披露し、多くの期待の声を頂戴いたしました。発売開始の際には改めてこのウェッブ上でもご案内申し上げますので、どうか今しばらくお待ちください。
▲写真展「鉄道写真~二本のレールが語ること~」のオープニングで挨拶にたつ弊社社長・笹本。左は広田さんと泉さん。'06.8.1

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梅雨明けが待たれる7月下旬、北越急行(ほくほく線)を訪ねる機会に恵まれました。1997(平成9)年3月の開業以来、首都圏と直江津・富山方面のアクセスは上越新幹線→特急「はくたか」が一般的となり、かくいう私も幾度となく「はくたか」のお世話になっています。ただ、「はくたか」には乗っても、北越急行線に乗ったという実感がまったくといってよいほどありませんでした。北陸アクセスのショートカット路線としての大きな使命を担って誕生した第三セクター鉄道だけに、無理からぬことかもしれませんが、北越急行にはちょっと申し訳ない思いを抱いていたのも事実です。
▲天井いっぱいに映し出される映像と音響に、夏休み最初の週末に乗り合わせた家族連れからは歓声が上がる。上映されているのは「花火編」。'06.7.22

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▲北越急行オリジナルの普通列車用車輌HK100形には4バージョンあり、両運転台タイプも一般タイプ(HK100-1~7・10/写真下)、イベントタイプ(HK100-8/写真上)、それに「ほしぞら号」(HK100-9)の3タイプに分かれる。'06.7.22

そんななかで、今回は六日町から北越急行の一般列車に乗車するチャンスがめぐってきたのです。しかも北越急行社長の大熊孝夫さん自らがご案内くださるとあって、二重に願ってもないチャンス到来です。まずは六日町の車庫を見学。「はくたか」用特急車681系はJR管理となっているため、自社車庫で検修を行っているのは「HK100」形と称する普通列車用車輌のみですが、このHK100形にもさまざまなバリエーションがあって興味が尽きません。基本的には両運1M車ながら、160km/h運転の特急を縫って走るための加減速性能をはじめ、豪雪地帯ならではの細部のヒーター装置など実に手間のかかった車輌です。

hoshizora5.jpg合計12輌在籍しているこのHK100形の中で、片運転台仕様の第3次車101+102の2連が「ゆめぞら号」と名づけられた“シアタートレイン”です。ほくほく線は全長59.5kmのうち実に40.3kmがトンネル。車窓展望もないトンネル内でも観光客の皆さんに楽しんでもらおうと考案されたのがこの「ゆめぞら号」です。車内の鴨居部に設置されたプロジェクターとミラーによってさまざまなDVD映像を天井に投影するシステムで、これが実によくできています。隧道内に入ると自動的に車内照明が減光し、DVDショーが始まるのですが、大熊社長のお話では車内の騒音をセンサーで検知して自動的にDVD音量を調節する機能まで搭載しているそうです。
▲在来線最高速の160km/h運転を支える総合指令室。自ら説明してくださっているのは北越急行大熊孝夫社長。'06.7.22

hoshizora4.jpg映像は「花火」「天空」「海中」「星空」の4種類が用意されており、しかも2輌それぞれ上映方式が異なるのですから、その拘りようにはまさに脱帽です。この「ゆめぞら号」、普段は一般車輌として運用されており、シアタートレインとなるのは土日、祝日等で、上映列車はあらかじめ時刻表やホームページでアナウンスされています。もちろん静かな車内環境で乗りたい…という方には間仕切りされたデッキ部ロングシートも用意されています。
▲個性的な駅舎が多いほくほく線内でもとりわけ印象的なのがくびき駅。銀色に輝く卵型の駅舎はまるで宇宙船。'06.7.22

本年末には神岡鉄道が、来春にはくりはら田園鉄道が鉄道事業から撤退してしまうなど、第三セクターは相変わらず厳しい経営状況を強いられていますが、ここ北越急行は磐石な経営を誇っており、実に全第三セクター鉄道の営業利益の8割以上を北越急行が叩き出しています。もちろん短絡アクセス線としての地の利もありましょうが、在来160km/h運転への果敢な挑戦や、はたまた一方で、この「ゆめぞら号」のようなきめ細かな乗客誘致があってからこその成果に違いありません。

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