鉄道ホビダス

2006年7月10日アーカイブ

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JR上野駅2階のBreakステーションギャラリーで、今週土曜日から宮澤孝一さんの写真展「上野、東京…戦後を走った汽車・電車」が始まります。一昨年同時期の「賑わいの上野口」、昨年の「山手線・1973年夏」に続いて、夏休みシーズンに上野にちなんだ鉄道モノをとJRと東京都写真美術館から依頼を受け、無理を押して宮澤さんご相談申し上げたというわけです。
▲上野駅高架ホームの風景。背景は到着したC62の牽く常磐線列車。1958年3月 P:宮澤孝一

uenoten2.jpg都内にお住まいだった宮澤さんは、戦争の激化とともに1945(昭和20)年に浦和に転居され、以後16年間にわたって浦和にお住まいでした。それだけに上野を発着する列車への愛着はひとしおで、信じられないほど膨大なネガの中から昭和20?30年代の写真を中心にお選びいただきました。さらに、ギャラリーといっても極めてパブリックな空間だけに、できるだけ多くの方に興味をもっていただける絵柄を…とお願いし、最終的に12点が会場展示、30点ほどが常設モニターで映し出されることになりました。吹き抜けの広大な空間ゆえ、展示作品の大きさも通常では考えられないほど巨大で、B全判が中心となります。しかも木村伊兵衛や土門 拳といった日本を代表する写真家のモノクロを専門に扱っているプロラボ=写真弘社の銀塩プリント仕上げだけに、その面でも必見です。
▲常磐線下り平行列車。疲弊した木造客車の姿は痛々しい(上野)。1950年9月 P:宮澤孝一

uenoten3.jpg■JR上野駅Breakステーションギャラリー
写真展「上野、東京…戦後を走った汽車・電車」
2006年7月15日(土)→8月24日(木)
主催:東日本旅客鉄道株式会社
写真:宮澤孝一
協力:東京都写真美術館/レイル・マガジン編集部/写真弘社
企画・運営:Breakステーションギャラリー事務局
会場:JR上野駅正面玄関「ガレリア」2階
入場無料・会期中無休

http://www.jr-break.com/gallery/ueno/
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▲戦後しばらくはこのような情景が各所で見られた。丸の内GHQ隣にあった米空軍司令本部入口(現・第一生命付近)。1947年9月 P:宮澤孝一

JR上野駅Breakステーションギャラリーでは、レイル・マガジン編集部の協力を得て、「上野、東京…戦後を走った汽車・電車」展を開催します。
1945(昭和20)年夏、多くの犠牲をはらった太平洋戦争は日本の敗戦をもって終結しました。たびかさなる空襲で大都市圏のほとんどが焦土と化し、わが国の産業の荒廃ぶりはみるも無惨なものでした。しかしながら、敗戦の虚脱状態のなかにあっても、焦土に響く汽笛の音は人びとに安心と感動を与え、鉄道は国家再建の基幹産業として経済上はもちろんのこと、政治・社会・文化のあらゆる面にわたり、重要な役割を果たしてゆきます。
上野駅といえば、戦時中は出征の兵士を見送る風景、学童集団疎開、戦後は闇米の買い出しや、戦災で家や両親を失った子どもたちがあふれ、高度成長期には「金の卵」と呼ばれた集団就職の学生たちが降り立つ場でもあり、石川啄木や斎藤茂吉など多くの文人たちも上野駅に想いを寄せてきました。ここは旅立つ人を、帰ってくる人を、そして行き場をもとめてさすらう人のことも、長年見守りつづけてきたまさに「心の駅」だったのです。
本展覧会では、当時浦和在住で、終戦直後から上野?東京界隈の鉄道の変遷を撮影しつづけた元・鉄道友の会専務理事宮澤孝一氏の貴重な映像により、終戦直後から復興期にかけての鉄道風景を振り返ります。
(関次和子/東京都写真美術館)

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▲左/大宮操車場近くの丘の上には廃車となった木造客車が作業場の団地を造っていた。1953年1月 右/大宮駅で折返し桜木町へ向かう京浜東北線電車。先頭は駐留軍専用室に半分が充てられている。整備も良く目立つ外観だった。1948年11月 P:宮澤孝一

最後に、宮澤さんからのメッセージをいただいております。

展覧会に寄せて
宮澤孝一
 「駅はその街の表玄関だ」と古い昔、先輩から聞いて久しい。とすると上野の駅は日本の東半分に住む人を出迎え、見送る東京の大玄関である。私にとっても父の故郷が越後は高田の在であったことからたぶん1933年夏には両親に連れられてこの地平ホームから木造客車に乗り、蒸気機関車に先導されて旅立ったはずである。以来、縁あって昭和20年代から30年代の半ばまで16年にわたり浦和に居住したこともあり、上野駅とは浅からぬ縁を感じている。さまざまな人びとがこの上野駅に集まり散じる様に、本当に多くの列車、車輌もここに姿を見せてくれている。蒸気機関車から電気機関車へ、気動車から電車へ、木造車からステンレス車体車輌まで、この駅にたたずむと日本の鉄道技術の進歩がひと目でわかる。浦和ではこの駅を発着したり、通過する多くの列車を見ることができて幸せだった。いまの私は地平ホームにたたずみ、欧州の主要駅の雰囲気をほのかに味わったり、杜の美術館やコンサートのアクセスとして、またひと休みする格好のアトレをのぞくなど大切な駅である。玄関はかくありたいものである。
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▲いまの南浦和付近を走るEF55形電気機関車の牽く高崎線列車(蕨)。1949年8月 P:宮澤孝一

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