鉄道ホビダス

大連埠頭の「プレニ」。(下)

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話があらぬ方向に脱線してしまいましたので、埠頭に残されていた2輌のプレニに話題を戻しましょう。実はこの2輌、PL2-32とPL2-37の元気な姿を見ることができたのは、この1991年春の訪問が最後でした。ちょうど2年後に再び大連埠頭を訪ねる機会に恵まれましたが、プレニどころか、一緒に活躍していた4輌の「躍進形」(YJ形)もろとも、全機が新製DL「東方紅5形」に置き換えられてしまっていたのです。「火車」はどこへ行ったのか…と尋ねると、石炭埠頭の一番奥の側線に案内されましたが、そこには前年に火を落としたという2輌のプレニが赤錆びた姿で横たわっていました。第二埠頭でかいがいしく働いていた2年前の姿が、半世紀以上にわたって激動の歴史を生き抜いてきたプレニ最後の姿だったのです。32号機のクロスヘッドの錆を落とすと、そこには振り替えられた「ミカロ15」の刻印がうっすらと残されていました。
▲洋の東西を問わず、臨港線には蒸気機関車の姿がよく似合う。右は正調プレニPL2-37、左はプレニを模した中国産「躍進形」YJ137。'91.3.22 第二埠頭

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結局、私が正調(?)プレニを見ることができたのはこの時が最後となってしまいました。戦後、中国国内ではプレニを改良した「躍進形」(YJ形)が200輌以上製造され、各地の運炭鉄道や製鉄所に送り込まれましたが、この残党はその後もまだまだ各地で目にすることができました。遠目にはほとんど判別できない形態だけに、すわプレニか、と色めきだつのですが、結局“プレニもどき”の躍進ばかりでした。
▲戦前のプレニと戦後PL2となってからの姿を満鉄機に造詣の深いデザイナーの岡田徹也さんが描き分けてくれた。フロントデッキやキャブ回りの形状の違いもさることながら、岡田さんによればドーム前に付けられいた“鐘”がなくなってしまったのが一番残念だという。横浜、神戸を例にあげるまでもなく、臨港線の機関車にはいつの時代も鐘が付き物であった。(本誌'93年6月号/No.117より)
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ibarakipl2n2.jpgその躍進ですらほとんど絶滅してしまった1997年、予想だにしなかったニュースが飛び込んできました。なんと「プレニ」が日本に里帰りしてくるというのです。場所は茨城県の伊奈町。詳しい経緯はわかりませんが、何でも町内外の有志が“帰還”になみなみならぬ努力をされたとか…。残念ながら大連埠頭で活躍していたものではなく、鞍山鉄鋼公司(満州時代の昭和製鋼所)で1995年まで使われていたものだそうで、番号は「PL2‐248」。特徴的なスローピングバック・テンダーも振り替えられることなくきちんと残されています。もちろん日本国内に存在する「プレニ」としては唯一のものです。
▲伊奈町「きらくやまふれあいの丘公園」に保存されているプレニ(PL2-248)。鞍山のPL2はNo.226を筆頭にこのNo.248まで13輌が現認されているが、どの個体が現地(大連機械製作所)製なのかはわからない。ちなみに伊奈町の説明看板によると本機は「1935年日車製」とされている。'03.3.22

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