鉄道ホビダス

大連埠頭の「プレニ」。(上)

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早いものでもう15年も前のことになりますが、当時の中国東北部には旧南満州鉄道の生き残りと思しき車輌がかなりの数見られました。蒸気機関車にしてもしかりで、すでにパシロ形(中国形式SL形)などは消えてしまっていたものの、ミカイ形(同JF1形)やプレニ形(同PL2形)などを目にすることができました。その中でもとりわけ印象深かったのは大連埠頭で働いていた2輌のプレニでした。
▲第一埠頭突堤で入換えに励む大連機務段のPL2?32。特徴的なスローピングバック・テンダーは標準的なものに変えられているが、コールバンカー部には何やら米国でいう“ドッグハウス”のようなものが載っている。ひょっとすると冬季の後進時などに誘導掛が乗り込む小屋なのだろうか…。'91.3.22

dairenp6.jpg大連港は1920(大正9)年に3万tクラスの船舶が接岸できる第3埠頭が完成し、旧満州の玄関口として、また南満州鉄道(満鉄)の本拠として大きな発展を遂げてきました。この大連港の建設と運営も満鉄が行っており、当時、埠頭線の入換機として生を受けたのが満鉄プレーリー(1C1)機の二番手「プレニ」でした。1933(昭和8)年設計、1935(昭和10)年製造ですから、同じプレーリー・C58誕生の3年前ということになります。
▲大連埠頭線ではプレニをベースに戦後中国で生産された「躍進」(YJ)も働いていた。プレニゆずりの“前傾姿勢”もこの角度から見るとなかなかスタイリッシュだ。'91.3.22 第二埠頭

それまでリッチモンド(アルコ)製のプレイ形を使ってきた大連埠頭線ですが、最小曲線半径75mと大型機を導入できる線路条件になく、やむなく1D1のミカサ形(のちミカロに改称)から1軸抜いて全長を詰めたようなプレニが計画されたといいます。これによって全長はC58(18275㎜)とほぼ同じ(18226㎜)ながら、動輪固定軸距が極めて短い(C58の3470㎜に対して2940㎜)、たとえて言うならば特異な前傾姿勢のプレーリーが誕生することとなったのです。

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▲第二埠頭旅客ターミナルの今昔。まさに大陸の玄関として機能してきた旅客待合室は、建て替えられこそすれ、いまだに健在だ。(上='91.3.22/下=『日本地理大系』(満州及び南洋篇)

曲線通過性能の要請から動輪固定軸距を詰めたことにより、火床面積はのちの国鉄大型機なみ(3.69㎡)となり、罐圧は13㎏/c㎡ながら9600(13925㎏)より強い14250㎏のシリンダー引張力を得ることとなります。全体のスタイルもプレイのアメリカンスタイルをどことなく引きずりながらも、砂箱と蒸気溜を一体化したドーム状カバーなど日本的デザインが採用されています。ちなみにこの一体型ドーム状カバーは、鉄道省においてはまさに同じ製造初年のC55で初めて採用されたスタイルです。


プレニのもうひとつの形態的特徴はテンダーサイドを欠き取ったスローピングバック・テンダーにありました。大連埠頭の入換えを第一に考え出された形態なのでしょうが、奇しくもC56とまったく同じ時期にこのスタイルが採用されたことになります。私が訪れた1991(平成3)年当時、PL2‐32と37の2輌のプレニが生き残っていましたが、32号機の方はサイドが欠き取られていない一般的な形態のものに変えられており、原型のテンダーを持つのは37号機だけとなっていました。

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▲『日本地理大系』満州及び南洋篇(1930年12月20日/改造社)に見るプレニ誕生の頃の大連埠頭。
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すでに観光スポットとなっていた第二埠頭旅客待合室付近ですが、さすがに保税区域である埠頭内の立ち入りは厳しく制限されており、ようやく下された許可を携えてプレニたちの待つ突堤へと向かったのです。

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