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レイル・マガジン編集長自らが作る編集日記。

2006年5月10日

初狩、最後のスイッチバック。

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このところ姉妹ブログ「RMMスタッフ徒然ブログ」の視聴率(PV)が急上昇しています。『RMモデルズ』の編集スタッフが、ちょっと気になる模型情報をはじめとして、プライベートで訪ねた実車の話題などを縦横無尽に展開している新しいブログです。サイトオープンから二ヶ月あまりを経て当初のたどたどしさも感じられなくなり、いよいよ脂がのってきた感じです。
▲初狩駅ホームから上り方を見る。画面中央前方に下ってゆくのが本線、その右を登ってゆくのが甲州砕石の側線(正確にはJR側線で、先端部分300mのみが甲州砕石線)。'06.4.29 P:瀧口宜慎

その昨日分が瀧口宜慎君による「構内配線観察“初狩駅”」で、いまだにスイッチバックの配線が残る中央東線初狩駅を「模“景”を歩く」的視点で観察した記録です。ドローイング・ソフトを使った自作の構内配線図も楽しく、初狩駅にはひとかたならぬ思い入れがある私にとっても、実に興味深いものでした。

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▲甲州砕石線側から逆に初狩駅構内を見る(左)。右は初狩駅本屋で、1951(昭和26)年築造の木造駅舎。'06.4.29 P:瀧口宜慎

複線化完成以前の中央東線は軒並みスイッチバック駅が並ぶ山岳路線でした。初狩、笹子、勝沼、韮崎、新府、穴山、長坂、そして東塩尻と、列車は幾たびもスイッチバックを繰り返し、それが表定速度を極端に落とす要因ともなっていたのです。実際、ヨン・サン・トウ以前の時刻表をひもといてみると、登山客で賑わった新宿23時45分発の長野行夜行は、小淵沢5時04分、辰野6時33分、塩尻7時20分、そして終点長野10時14分着と、実に10時間以上を要しています。姨捨をはじめとして篠ノ井線もスイッチバック街道ですから、この列車、新宿から長野にたどり着くまでにいったい何回のスイッチバックを繰り返したことになるのでしょうか。

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そんな中央東線もE257系が最高速度130km/hで駆け抜ける現在、唯一奇跡的に残されているスイッチバックが初狩です。ただ、ヨン・サン・トウ時の複線化に伴って旅客ホームは勾配のある本線上に移設され、今日では旅客列車がスイッチバックすることはありません。現在のスイッチバックは、隣接する甲州砕石のプラントからの砕石輸送列車(工臨)用にのみ機能しているのです。
▲一般道から甲州砕石構内を見下ろす。甲州砕石の専用線は背中側の斜面にあるが、当然立ち入り禁止。'06.4.29 P:瀧口宜慎

hatukari1011n.jpg『トワイライトゾ?ン・マニュアル10』で渡辺一策さんが、この初狩からの砕石輸送の最盛期を紹介してくださっていますが、この砕石は中央本線→横浜線→相模線経由で搬出されて東海道新幹線建設にもたいへん重要な役割を担ったそうです。現在では水郡線の西金とともにJR東日本のバラスト供給拠点として稼動していますが、この初狩発の砕石列車、貨物列車ではなく工臨扱いのため、なかなかその姿は捕らえにくいようです。
▲甲州砕石専用線の最深部。すでに主力機は奥多摩工業から来た新潟製25t機(画面右)に代わってしまっていたが、奥には旧南部のDB251の姿が…。'83.2 P:名取紀之

さて、なにゆえ私がこの初狩にひとかたならぬ思い入れがあるかというと、この甲州砕石で使われていたディーゼル機関車をわざわざ事前許可まで取って見に行ったことがあるからです。この甲州砕石で入換用に使用されていたのは、黎明期の私鉄向けDLのうちの1輌である1952(昭和27)年日本車輌製の25tB型機。センタージャックロッドを持つこの無骨な機関車は、なんと1969(昭和44)年に廃止となった南部鉄道の生き残りで、地方鉄道から専用線に第二の職場を見つけた稀有な例でした。

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▲これが南部鉄道の生き残りDB251。戦前製の鹿島参宮(→上武)D1001との共通点も多い日車初期のDLとして貴重な存在であった。'83.2 P:名取紀之

「もう使ってないんですよ」とすまなそうに案内されて、残雪のスイッチバックを上がってゆくと、側線の一番奥にすっかりうらぶれたDB251の姿がありました。ほとんど車幅いっぱいに並んだラジエータコア、無骨なエンドビーム、そしてジャック軸…。念願かなってようやく目にすることのできたDB251でしたが、ペンタックス67の105㎜レンズではどうにも写しにくく、広角の35ミリ判を持ってくればよかったと悔やむことしきりでした。「もう一度来ます」というようなことを言って甲州砕石を去りましたが、当然ながら再訪する機会はありませんでした。そんなわけで、今も「あずさ」で初狩を通過するたびに、ついつい山肌があらわになったあの専用線の斜面を見上げてしまうのです。