鉄道ホビダス

2006年5月29日アーカイブ

龍ヶ崎、あのころ。(下)

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竜ヶ崎線唯一の途中駅が「入地」です。佐貫起点2.2km、つまり全線4.5kmの竜ヶ崎線のちょうど中間地点に位置します。字面からすれば「いれぢ」と表記されるべきなのでしょうが、駅名標にも時刻表にも「いれじ」と“し濁点”で表記されています。のっけから話が脱線しますが、同様の例は東北本線の野辺地にも見られ、国鉄・JRの表記は「のへじ」、南部縦貫鉄道側の駅名標だけが「のへぢ」となっていました。
▲入地駅点描。くぐもった制動音とともに気動車が停まると、女学生がひとり降りてきた。何もない周囲にDMH17のけだるいアイドリング音だけが響く。'76.3.9

ireji5n.jpgさてこの入地駅、1970年代まではまさに野中にポツンと立つ小駅でした。ホーム片面、当然無人駅です。小さな待合室の傍らには枝ぶりの良い桜の古木が立ち、ホームとも土留めともとれないような土盛りが吸い込まれるように農道へと続いていました。とても首都圏とは思えないこの入地の風情が実に好ましく、龍ヶ崎を訪れるたびに吸い寄せられるように足を向けていました。
▲そして最近の入地駅。辺りはすっかり住宅地と化してしまったが、あの待合室だけはそのままの姿で残っていた。'03.3.22

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▲いかにも関東平野といった茫洋とした風景の中をキハ521+522の2連が入地へと向かう。'76.3.9 竜ヶ崎?入地

ireji3nn.jpg近年ではこの入地駅周辺も住宅街と化してしまっており、“野中の”イメージはすっかり失せてしまいました。あの桜の古木もとうになく、コンクリート製の小さな待合室だけが70年代から変わらずにその姿を留めています。行き交う車輌も新鋭のキハ2001形となり、長閑だったあのころの龍ヶ崎はフィルムの中に残るだけとなってしまったのです。ただ、この非電化単線のミニ路線が今も元気に活躍している背景には、沿線開発に伴う通勤路線化が不可欠だったはずで、趣と引き換えに路線が生き残ったと考えるべきなのでしょう。
▲上の写真とほぼ同地点の現状。やってきたキハ2001は竜ヶ崎線専用車で、3駅すべてのホーム位置が下り進行方向右側のため、乗降扉は片側にしかない。'03.3.22

ryuun3n.jpgところで一昨日の本欄について、『国鉄時代』でも印象的な作品を発表くださっている寺田牧夫(田駄雄作)さんから、「龍ヶ崎の5号機は1969年4月にも運転されています。この時が最後かどうか定かでは無いのですが、友人に誘われて撮影に出かけました。当時はまだ小型蒸機にあまり興味が無く、しっかり撮影できなかったのが今考えると非常に残念です。」というお便りを頂戴しました。同年4月29日に運転された5号機の様子が素晴らしいホームページ(轍楽之路)となって公開されています。私にとってはかなわぬ夢だった龍ヶ崎の蒸機たち…寺田さんのホームページを見ながら、改めて龍ヶ崎、あのころに思いを馳せています。
▲龍ヶ崎市歴史民族資料館できちんと保管展示されている4号機。この資料館は館内展示も充実しており必見。'03.3.22

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