鉄道ホビダス

4110との再会。

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いつの時代でも多かれ少なかれ同じかも知れませんが、昭和40年代はことに時代の転換が目まぐるしく、生まれ年の一年の差が、その車輌なり路線なりを実際に目にすることができるかどうかの決定的な差となっていました。かく言う私の場合もそうで、国鉄蒸機で言えばC51、C54は夢の夢、D62には間に合わず、かろうじてC62に間に合った最後の世代でした。そんななかでまさに“滑り込みセーフ”でファインダーの中に捉えることの出来たのがEタンク4110形です。
▲東明駅跡に保存されている2号機は屋根がないにも関わらず極めて保存状態が良い。ちなみに同機は三菱造船の製造番号1番の記念すべき処女作でもある。'04.6.18 東明

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▲2号機のキャブ内。インゼクタが機関士側にも装備されているのがわかる。右はこれまた奇麗に保存されている東明駅駅舎。2号機はこの写真の右奥に保存されている。'04.6.18

toumei1n.jpg函館本線の美唄を起点に常盤台まで10キロあまりの運炭鉄道・三菱鉱業美唄鉄道が廃止となったのは1972(昭和47)年6月1日(運行は5月31日限り)。私がこの美唄鉄道を訪れたのは4月のことですから、廃止まで二ヶ月を切った本当の廃止間際でした。すでに残り少なくなっていた本線仕業は国鉄9600払い下げの6号機が主で、お目当ての4110は予備に回っている…との風評も聞いていたものの、ダメ元と早朝の美唄駅に降り立ってみると、ありがたいことに4号機が高々と煙を上げているではないですか。
bibaiticketn.jpg結局、機関区の話では、のべ7輌いた4110形とその同系自社発注機のうち、生き残っているのは2号と4号の2輌のみ。どちらも自社発注機で、国鉄4110形払い下げ機の中で最後まで残った4122と4142は前年1971(昭和46)年に廃車されたとのこと。ただ、4142は解体されたものの4122はそのまま保管されており、機関庫でその姿を拝むことができました。
▲廃線間近の頃の東明駅駅舎内の列車時刻表。なんと混合が1往復しかない。右は三菱鉱業発行の車内補充券。'72.4.3

結局この日の本線運用に就いていたのは4号機で、恐れていた9600の6号機は美唄の構内入換えに終日走り回っていました。それにしても初めて目にするEタンクは実に異様で、ことにオリジナルの4122のさながら袴のようなシリンダーケーシングには圧倒される思いでした。

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▲東美唄信号場付近の15.2‰勾配を東明に向けて力行する4号機。右に見えるのは美唄起点2.831kmに位置する東美唄構外側線。この付近は本線でも37kg/m、構外側線は30kg/mレールで、Eタンクの巨体と比較するとその脆弱さが際立つ。'72.4.3

美唄に最後まで残った4110の1輌、2号機が東明駅の跡に保存されていると聞いて訪ねてみたのは2年ほど前の初夏のことでした。東明駅は1972(昭和47)年のあの日、最初に4110の“走り”を撮った懐かしい駅でもあります。静態保存機の常で、ある程度の荒廃は覚悟していたのですが、信じられないほど状態良く保存されていました。美唄市の文化財にも指定されており、聞けば元機関士の皆さんらが保存会を結成して保守をされているそうです。冬季間はシートで覆い、春の訪れとともに再びメンテナンスを始める、そんな弛まぬ努力があってこそのこの状態なのでしょう。今はサイクリングロードとなっている美唄鉄道跡を見ながら、辛うじて目にすることのできた4110現役時代にしばし思いを馳せたのでした。
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▲国鉄からは戦後4輌の4110形が美唄に払い下げられた。1948(昭和23)年と1951(昭和26)年にそれぞれ2輌ずつで、この竣功図によると後者は代価61万4千円であったことがわかる。
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