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2006年4月22日アーカイブ

消えた都営鉄道。

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現在JR貨物が編纂中の『貨物鉄道130年史』(仮題)のお手伝いで、久しぶりに東京都港湾局臨港線の写真をスキャニングしました。東京臨海部の鉄道貨物輸送の記録として後世に残したいという趣旨ですが、これまでほとんど顧みられる機会のなかった都営臨港線だけに、実に意義あることといえるでしょう。
▲都港湾局晴海機関区前に並ぶD60-4(1961年日立製)とD60-7(1962年汽車製)。晴海線は専用鉄道としては異例の重量級DLを揃えていた。'79.5.9 晴海

KO_0005n.jpg“ゆりかもめ”が延伸し、いよいよ基盤整備が整ってきた東京臨海部ですが、つい20年ほど前までは“ウォーターフロント”などという小洒落たものではなく、“港湾地帯”としか表現しようのない無味乾燥な風景が広がっていました。そしてその臨海部の貨物輸送の要として活躍していたのが東京都営の臨港線でした。
▲日の出桟橋付近の倉庫群。都芝浦臨港線は浜松町から竹芝桟橋、日の出桟橋、そして芝浦桟橋を巡る。'79.5.9

KO_0006n.jpg 東京都港湾局は国鉄の越中島貨物駅から豊洲・晴海地区への深川・晴海線(20.3km)と芝浦?日の出桟橋間の日の出線(5.8km)を擁し、それぞれ独自の機関車を配置して貨物輸送を行っていました。ことに晴海地区には60t級の大型ディーゼル機関車を揃え、一日に20本近い列車を運行していたのです。今となっては想像さえできませんが、銀座から2キロと離れていない所に、全国的にも屈指の規模の臨港鉄道があったのです。
▲芝浦線にあった「古川可動橋」。規模こそ大きくはないものの、都心で見られた唯一の鉄道可動橋であった。'79.5.9

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▲国土地理院1:50000地形図に見る1981(昭和56)年頃の豊洲・晴海・芝浦周辺。東京都港湾局の臨港線網がよくわかる。ゆりかもめや東京臨海高速鉄道線が出来て激変したこの臨海部だけに、現状の地図と比較してみると興味は尽きない。
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この都営臨港線、ところがそれほど容易くは撮影できませんでした。ダイヤが判らないこともありますが、とにかく当時の臨海部は無用の者が立ち入れる雰囲気ではなく、実際のところ至る所が立入禁止でした。ことに保税倉庫周辺や豊洲の石炭埠頭は公道(?)にも関わらず厳しく規制されており、とてもカメラを持ってふらふらと近づける状況にはなかったのです。
▲東洋埠頭(東京石炭埠頭)豊洲支店所属のD35-9。豊洲地区での入換え作業は豊洲鉄道運輸などに委託されていた。'79.5.9

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結局、晴海地区、芝浦地区ともに数回訪問しただけで、満足ゆく撮影はできず仕舞いに終わってしまいましたが、いまさら思うとあれほど身近にあった臨港線だけに、なぜもっと足繁く通わなかったのか惜しまれてなりません。最後の都営臨港線が消えたのは1989(平成元)年2月9日、埠頭を渡る風が身を切る寒さの冬の日のことでした。
▲春海橋梁を渡る港湾局晴海線の最後の単機回送。この日を最後に東京都営の臨港線は消滅した。'89.2.9

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