鉄道ホビダス

2006年4月 5日アーカイブ

4月6日
461.jpg
函館0時15分出航の青函連絡船12便は、これまで乗ったことのない「松前丸」でした。「ニセコ2号」で23時05分に函館に着いたら何か食べようと思っていたのですが、青函待合室はすでに乗船待ちの列。やむなく40円の「よつば3.4牛乳」を飲んだだけで我慢します。ちなみにこの「よつば3.4牛乳」、内地では売っておらず、青函連絡船に乗って初めて入手できる道産子牛乳でした。その名のとおり乳脂肪分3.4という驚異のスペック(もちろん当時としては)で、初めて飲んだ時はなんて濃くて美味しい牛乳なんだろう、さすが酪農王国・北海道といたって感激したものです。

お決まりの普通船室椅子席を確保したものの、さすがに腹が減って仕方がありません。深夜便ゆえ船内グリルは営業しておらず、やむなく鮭寿司(300円)と味噌汁(60円)それにみかん(75円)を買って我慢することにしました。思えば、半月にわたる今回の旅のなかで、宿に泊まったのは結局夕張の一泊のみ。あとはひたすら夜行連泊の毎日で、食事もほとんどまともなものを口にしなかったことになります。

青森には未明の4時05分入港。1時間ほどの連絡で5時09分発8202レ急行「十和田51」号に接続です。乗車するオハ12 206の、半月ぶりに目にする「北オク」の所属標記に、なぜかちょっと一安心。ED75 1006〔青〕の発車のホイッスルを耳にするや、深い眠りに落ちたのでした。

あの日、私たちの目の前にあったのは、決して美しい蒸気機関車の姿ではありませんでした。LP405補助灯を掲げ、デフは切り詰められ、それどころか時として「団結」の文字を大書された様は、時代の狭間でもがく断末魔の蒸気機関車の姿そのものだったとさえ思えます。しかし今さら振り返れば、たとえどんな姿であろうと、それこそが、1974年北海道を旅した私たちにとってのかけがえのない蒸気機関車、いや「鉄道」だったのです。

この15日間に出会ったのは蒸機ばかりではありません。ともに三脚を立て、一緒に食事をし、同じ夜行に乗り、そして「じゃ、またどこかで…」と別れていった名も知らぬ彼らは、間違いなく同じ時間、それも今から思えば考えられないほど濃密な時間を共有した仲間でした。
その後、大沢先輩はプロの風景写真家となり、春日井のU君は念願かなって教職に就いたと聞きます。一方、そのU君と偶然出会って、4月1日の劇的再会をもたらしてくれた同期の土屋 隆君は、一昨年2004年夏、不治の病でこの世を去りました。
初日の阿仁合線で出会った秋田のファン、いく日も一緒に歩いた立教の人、FTbブラックの彼…あれから32年、みんなどんな人生を歩んでいるのでしょうか。

462.jpg
気がつくと「十和田51号」は昼下がりの常磐海岸を左に見ながら、陸前浜街道をひたすら南へと走り続けていました。窓の外にはあの吹雪の上川ターンが嘘のようなうららかな春の景色が流れています。上野まであと4時間。足掛け15日におよぶ旅が、まもなく終わろうとしています。

レイル・マガジン

2006年4月   

            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
「編集長敬白」が携帯電話でもご覧になれます。下記アドレスもしくはQRコードを読み取ってアクセスしてください。
http://rail.hobidas.com/blog/
natori/m/

ホビダス・マーケット新着MORE

  • 俺がイル
ネコ・パブリッシングCopyright © 2005-2018 NEKO PUBLISHING CO.,LTD. All right reserved.