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レイル・マガジン編集長自らが作る編集日記。

2006年2月28日

最後の木造国電。(上)

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「北モセ」と聞いても今やピンとくる方は少なくなったと思いますが、かつて東十条駅の赤羽方に「下十条電車区」と呼ばれる電車区があり、浦和電車区、蒲田電車区とともに京浜東北線の電車を受け持っていました。下十条なのになぜ電略が「モセ」なのかはまさに判じ物で、東京の電車区電略としては「南チタ」(田町電車区)の上をゆく難解さでした。ちなみに「チタ」の方は「タマチ」のタとチを逆にしたもの。東京の鉄道管理局がまだ3局に分かれる前の東京鉄道局時代、立川(タチ)との誤謬を避けるための策だったと言われています。一方の「モセ」の方はさらに凝って(?)いて、下十条の旧仮名“シモジウゼウ”のモとゼを抜いて、さらに濁音のゼを清音に戻したものだという説が一般的です。しかし真偽のほどは定かではありません。だいいち、調べてみると「条(條)」の旧仮名は「デウ」が正しく、本来は「シモジフデウ」となるはずです。
▲鋼板製の筋交い(?)がものものしいクエ9112のお面。こんなサボが入ることはなかったはずだが、せめて雰囲気だけでも本線上を走らせてやりたかった。'75.11.24 下十条電車区

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前置きが長くなってしまいましたが、この下十条電車区に最後の木造国電クエ9112を見に行ったのは1975年秋のことでした。鉄道研究会の見学会と称して撮影許可を申し込むとすんなりOKとなり、東北本線でEF57やらキハ181やらを撮ってから下十条電車区へと向かったのです。いまさら思えば東十条駅からいったいどうやって行ったのか、まったく記憶がありません。まぁ、鉄研の仲間たちとわいわい埒もない話で盛り上がりながら歩いていったのでしょう。
▲大正生まれの標準型電動車デハ23500形をルーツとする古色蒼然としたその姿。もともとは片運転台だったという。'75.11.24

時ならぬ訪問客にも関わらず、当直助役はとても親切に対応してくれました。もともと下十条電車区には救援車としてクエ9110が配置されていましたが、同車が1972(昭和47)年に廃車となり、その代替として、それまでお隣の池袋電車区に配置されていた9112号が転配されてきたわけです。車籍の残る最後の「木造国電」であるにも関わらず、見学に訪れる人はほとんどいないとのことで、助役さんは私たちの来訪にちょっぴり嬉しそうだったのを覚えています。

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果たして、案内してもらったクエ9112は、矩形庫横の、用品倉庫が立ち並ぶまさに“車庫裏”に押し込められるように突っ込まれていました。噂には聞いていたものの、台枠の歪みを矯正するターンバックルばかりか、車体正面の歪みを防止するために筋交いのような鋼板まであてられ、とても現役車輌とは思えない有様です。「救援車」とは名ばかりで、いざという時にこんな車が出動した日には、足手まといどころか真っ先に“救援”されるハメになりそうです。
▲「救援車」の前サボを入れた正規の姿。LP403形前照灯に密着連結器と一応の時代に合わせた装備は持ちあわせている。'75.11.24

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救援車というからには車内にはお決まりのクレーンが備えられているかと思いきや、そんな大層な設備は何もなく、細々とした資材が載せられているだけでした。どちらかというと倉庫代わり…が実態のようでしたが、正面のサボ受けには律儀に「救援車」の前サボが入れられていました。横にあった防火用水の蓋に、使わなくなった「浦和」やら「蒲田」やらといった京浜東北線の前サボが使われているのを見つけてこれを入れようとしたものの、角が折れてしまっていて入れられません。そんな様子を見ていた助役さんが、じゃぁこれを、と「東十条」と書かれた前サボをもってきてくれ、それを差し込んで記念撮影。いやはや、なんとものどかな時代でした。
▲モニタールーフの明かり取り窓も一部がしっかりと残っていた。半ガーランド式のベンチレータとキャンバス屋根も今だったら博物館行きだ。'75.11.24