鉄道ホビダス

もうひとつのディーゼル・エレクトリック。

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JR貨物の誇る最新ディーゼル電気機関車(DEL)DF200形に、主変換装置を従来のGTOサイリスタからIGBTに変更するなどした100番代2輌(101、102)が誕生しました。これで既存の0番代26輌と合わせて合計28輌の勢力となり、北の大地はいよいよ液体式ディーゼル機関車の時代からDELの時代へと転換を遂げつつあります。

その北海道でかれこれ30年以上も人知れず働き続けているDELがいます。道東・釧路に残された国内最後の海底炭礦「釧路コールマイン」の輸送を担当する太平洋石炭販売輸送のDE601です。今日の目をもってしても日本離れしたこの機関車、1970(昭和45)年9月に日本車輌がゼネラル・エレクトリック(GE)社と技術提携して試作したもので、キャットことキャタピラー社製1050PSディーゼルエンジンによって発電し、各軸に釣り掛けた280kWモーター4基を駆動するディーゼル電気式を採用しています。一説によると、需要が沸騰するであろう東南アジア方面を視野に入れた輸出用試作とされており、太平洋石炭販売輸送の前身・釧路臨港鉄道にはモニター的意味合いで入線したとも聞きます。
▲エンドキャブというよりもキャブフォワードといった方がしっくりくるほどバタくさいスタイルのDE601。プシュプル編成の知人側に連結される。

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ディーゼル電気機関車というと、さぞや新しい技術のように思えますが、じつはさにあらず、第一次世界大戦の賠償として1929(昭和4)年にドイツ(エスリンゲン)から輸入した鉄道省初のディーゼル機関車DC11がすでに電気式ディーゼル機関車でした。その後、戦後に進駐軍が持ち込んだ8500形(のちのDD12)も電気式でしたし、戦後の国鉄新製ディーゼル機関車の第一号となったDD50も電気式です。そして、今でも根強いファンの多いDF50がDELのひとつの完成形として一時代を築くことになります。

しかし、その後のDD13の成功もあってディーゼル機関車の主流は液体式に移り、ましてやどうしても車輌重量が嵩みがちなDELは国鉄以外には馴染みませんでした。それだけに、釧路のDE601はなおさら特異な存在で、DF50が現役を退いてからDF200が登場するまでの間は、わが国唯一のDELとして孤塁を護ってきたのです。
▲5年ほど前に慣れ親しんだオレンジ色からブルーに白のラインに塗色変更したDE601。冬場には目と口が描かれたユーモラスなスノープラウが装備されるそうだ。

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このDE601はかねてより気になる存在で、一度はきちんと写真を撮っておきたいと思いつつ、なかなか実現する機会がありませんでした。釧路臨港鉄道を初めて訪れたのは1972(昭和47)年。それ以来幾度となく現地を訪れているにも関わらず、なぜかこの機関車にだけは振られっぱなしでした。検査入場していたり、タッチの差で見逃してしまったり…。ようやくじっくりと対面できたのは数年前のことでした。

海外研修生への採炭技術の教習の場として出炭を続けている釧路コールマインは、3年前の太平洋炭礦閉山時の3分の1以下の出炭量しかありません。いきおい太平洋石炭販売輸送の列車本数も激減してしまい、DE601の稼働率も決して良いとはいえない状態となってしまいました。道東に残された貨物専業私鉄としても、また最後のコールトレインとしても目の話せない状況ではあります。なお、この太平洋石炭販売輸送の現状は本誌次号でもご紹介する予定です。
▲もうひとつの釧路名物、連接構造の石炭車セキ6000形との連結部。セキのホッパー扉もDE601の車上から行われるため、こちら側の連結器は空気管を持つ密着連結器に電気連結器とものものしい。

2005年11月   

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