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レイル・マガジン編集長自らが作る編集日記。

2005年11月 2日

影森、魔境の残り香。(上)

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一昨年秋に東武鉄道の貨物輸送が全廃となり、現在3’6”軌間の電化私鉄で恒常的に貨物輸送を行っているのは秩父鉄道、岳南鉄道、三岐鉄道の3社だけとなってしまいました。もちろん3社3様、それぞれ魅力的ではありますが、東京在住の者からすると、行きやすいのは秩父鉄道が一番でしょう。かく言う私も秩父鉄道は好きな路線のひとつで、1969(昭和44)年の初訪問以来、ことに旧型電機が現役だった頃は足繁く通ったものです。

秩父鉄道の大きな魅力は、その雄大な自然に育まれたシーナリィーはもとより、ストラクチャーにあると言ってもあながち間違いではないでしょう。かつて本誌の連載「模“景”を歩く」でも細かくご紹介したことがありますが、波久礼、野上、長瀞、上長瀞と続く味わい深い駅の佇まいは、C58の力走にもまして一見の価値があります。
▲影森のお立ち台を通過する5002レ「パレオエクスプレス」。フツーはこういう撮り方はしない。手前の線路が三輪構外側線。パレオの通過後10分も経たずに三輪鉱業所を発車した7206レがこの構外側線を通るのだが、残念ながらそれを見届けようという人は一人もいなかった。'05.3.19

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その中でもとりわけ魅力的に映るのが影森駅です。近年、卒業式ソングとして圧倒的な人気となっている「旅立ちの日に」が誕生した影森中学校の駅として全国的に有名になりましたが、趣味的には何といっても貨物列車の終着駅、しかもその先には今時めったに見られない貨物引込線が現役の駅として特筆されます。秩父鉄道の貨物列車は、この影森にある太平洋セメント三輪鉱業所から出荷される石灰石を三ヶ尻にある同社熊谷工場に輸送するのを主に運行されており、同駅には1?9番までの側線が見事に並んでいます。残念ながら最盛期から比べれば貨物列車の本数もずいぶんと減ってしまい、かつての“魔境”の面影は薄くなってしまいましたが、それでもこれだけの貨物側線が敷きつめられた構内は近年ではなかなかお目にかかれません。
▲国土地理院発行1:50000地形図「秩父」(昭和34年部分修正測量/昭和36年8月30日発行)より。三輪線、武甲線のほかに昭和電工に向かう特殊軌道の標記が判る。

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秩父方からやってきた空車列車は、一旦側線6番に入り、「三輪構外側線」と呼ばれる引込線の急勾配をよじ登るように三輪鉱山へと向かうのですが、この様子は一度見ておいて損はありません。かつてはお隣の側線5番から本線と三輪構外側線の間をさらに奥まで進む構外側線・通称“武甲線”もあったのですが、こちらはすでに使われてはいません。

さらにほとんど知られていませんが、側線9番に隣接する昭和電工ホームにはかつてナローの蒸気軌道が入っていました。駅の東側山腹に位置する昭和電工秩父事業所からの製品輸送用軌道で、かなり昔に廃止撤去されたものと思われますが、軌道跡はホームから工場入口までしっかりと痕跡を留めています。
▲昭和電工ホームから奇麗な弓形を描いて工場に向かう小路がかつての軌道跡。側溝のフタには軽レールを溶接したものが用いられている。

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ここで使用されていたとされるBサドルタンク機が謎の多い曲者で、蒸気機関車研究の泰斗・臼井茂信さんも生前「いつかは本腰を入れて調べてみたい」と仰っていたのを思い出します。
▲ホーム本屋方から見た影森駅下り方構内全景。左に見えるのが昭和電工ホーム。

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▲昭和電工秩父事業所の前身、関東水電秩父工場専用軌道の車輌認可書類。軌間2'6"、どこから見てもH.K.ポーターだが、この組立図の裏にはペン書きで「1296(雨宮)」の書き込みがあり、ポーターを雨宮で焼き直したものとも思える。臼井さんの遺志を継いで、いつかは謎解きを果たしたいものだ。