鉄道ホビダス

三井三池鉄道は今…。

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三井鉱山(株)の全面的な協力のもと、本誌連載の「模“景”を歩く」で三井三池鉄道をこと細かに取材させていただいたのは、今から9年前の1996(平成8)年1月のことでした。実はこの時点で三池鉱業所は存亡の岐路に立たされており、同年秋には閉山が決定、翌1997(平成9)年3月30日をもって日本最大の炭礦として名を馳せた「三池炭礦」は過去帳の中へと消えていってしまいました。そういっては何ですが、まさに絶好のタイミング、あの機会を逃せば同鉄道の施設をあれだけ詳細に調べあげることは出来なかったはずで、その意味でも印象深い取材でした。
▲蓄電池車「デ」を従えて宮浦で待機する11号。1917(大正6)年生まれだから、今年で88歳を迎えるオールドタイマーである。'96.1.18

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取材時にはまだ三池港から四山、万田、宮浦を経て三池浜に至る本線が健在で、三池港の大ヤードには三川鉱で採掘された石炭を満載した石炭車・セナが長蛇の列をなしていました。機関車もまだGE製のL型電機が2輌、シーメンスをコピーしたB凸電が10輌ほど、東芝製の戦時型45tBB電機が6輌、合計20輌近くの個性溢れる面々が在籍しており、日がな見ていても飽きることのない状況でした。
▲11号機のキャブ内。右側運転台で横向きに座る。コントローラーの木製ノブがこの凸電の歩んできた歳月を物語っている。'96.1.18

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あれから十年近く、かつての“本線”の線路はほとんど撤去されてしまい、三池浜には「石炭産業化学館」だけがさびしげに建っています。ではあの三井三池鉄道は跡形もなく消えてしまったのかというと、そうではありません。どっこい生きている区間があります。大牟田駅東方のかつて宮浦坑があった宮浦停車場から、JR線との接続点である大牟田駅北方の仮屋川ヤードまでの約1.8kmで、かつて旭町支線と呼ばれていた区間です。
▲昨年の熊本出張の際に一瞬垣間見た宮浦停車場の様子。背後に聳える大煙突が旧宮浦鉱で、現在は宮浦石炭記念公園になっており、この公園からは宮浦駅構内の全景が見渡せる。'04.9

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三池鉱業所閉山後、この旭町支線は宮浦にある三井東圧化学のJR連絡専用線の役割を担って三井東圧専用鉄道となり、さらに1997(平成9)年10月三井化学専用鉄道と名を変えて現在まで生き延びているのです。化学薬品のタンク車の出し入れが主な仕事のため、防爆の必要性もあって蓄電池を積載した電源車「デ」を従えたB凸電が工場と仮屋川の間を往復しています。工場内はもちろんのこと、残念ながら宮浦駅構内や仮屋川ヤードも立ち入り禁止で、車輌たちを間近で見ることはかないませんが、宮浦停車場の西側、宮浦鉱の跡地に出来た「宮浦石炭記念館」からは同停車場で待機する機関車たちや、入換作業の様子を手にとるように見ることができます。

そしてもうひとつ、とっておきのビューイング・ポイントがあります。大牟田駅北方に位置する旭町支線の国道208号線踏切がそれで、仮屋川へと出入りするかわいいB凸電の姿を直近で目にすることができます。午前中のみ2往復が運転されているようで、7:44大牟田着の南延岡始発専用貨物第4175列車に接続して8時過ぎに仮屋川に到着する列車が1往復、さらにこの専貨の折り返し第4172列車の発車12:05までにもう1往復が設定されているようです。機会があればもう一度彼らの元気な姿に接してみたいものです。
▲東芝製の45tBB電機も健在。かつては全国各地で見られた戦時設計の規格型機だが、近年では伊豆箱根や名鉄に同系機が残るのみ。'04.9

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