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レイル・マガジン編集長自らが作る編集日記。

2005年11月28日

三瀦に保存されたコッペル。

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全国各地に歴史的な路線変遷が極めて難解な地域がいくつかありますが、筑後平野の地方鉄道・軌道網も間違いなくそのひとつでしょう。九州鉄道を基軸に、この地方特有の3フィート(914㎜)ゲージの零細軌道網をも巻き込んで縦横無尽に発達した全盛期の鉄道網は、よほどの研究者でもない限り諳んじて描ける方はまずいないでしょう。

離合集散を重ねた挙句、多くの路線は歴史の彼方へと消えてしまい、現在ではJRと西鉄、それに甘木鉄道が残るのみ。しかも、その痕跡もほとんど見ることができなくなってしまいました。そんな中で今から十年ほど前に旧大川鉄道の2号機が縁の地に理想的な形で保存展示されたのが特筆されます。
▲地元小学校がメンテナンスに協力しているとのことで、状態はそれほど悪くはない。バッファー・リンク式のカプラーだが、西鉄の支線では戦後もこのプリミティブな連結装置が使われていた。

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三潴(みずま)町の三潴小学校脇の遊歩道に懇切丁寧な解説板を伴って展示されたのは、それまで北九州市の到津遊園に保存されていたコッペル製8tBタンク機(1911年製)です。上久留米?若津間を結んで大川鉄道が開業したのは1912(大正元)年の年末。この開業に際して用意された5輌の同形機のうちの1輌が本機です。大川鉄道は1937(昭和12)年に九州鉄道(現在の西日本鉄道)に吸収され、同社の大川支線として戦後まで蒸気動力のまま残りましたが、結局1951(昭和26)年9月以来、長期の休止を経て1966(昭和41)年に正式に廃止となりました。

この大川鉄道→西鉄大川支線の変遷も難解で、当初の上久留米?若津間を上久留米?榎津に延伸、さらに1937(昭和12)年には途中の津幡?大善寺間3.8kmが本線電車線区間に組み込まれ、上久留米線(2.4km)と大川線(13.6km)に泣き別れてしまうなど一筋縄ではゆきません。
▲ホイールベース1400mm30HPのレンジに属するコッペルで、ウェル(ボトム)タンク式である。

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この三瀦小学校脇で保存展示されている機関車、車体には大きく「5」の文字がありますが、どうもこの番号の由来は疑問符です。もともと1995(平成7)年4月14日にそれまでの展示場所である到津遊園から当地に移設させるまでは「4」を名乗っていました。西鉄の「4」は1952(昭和27)年2月20日付けで廃車になっており、到津遊園に保存されたのは間違いなく、となるとここ三潴に移った際になにゆえ「5」となってしまったのでしょうか。線路の変遷も複雑怪奇なら、保存機関車もなにやらややこしい流転を経ているようです。
▲陶板に焼き込まれたなかなか細かい説明板が横にある。戦前の一時期、久留米の足袋工場の従業員を7割引きという破格の「工員定期券」で輸送した…などの興味深いエピソードも刻まれている。

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▲ささやかながら上屋が設けられ、遊歩道には線路を模したタイルが埋め込まれている。郷土を走った鉄道を語り継ごうという静かな意志が感じられて小気味よい。