鉄道ホビダス

2005年10月アーカイブ

信濃竹原駅を訪ねる。

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発売中の『RM MODELS』12月号は“地面”特集。その中のスタッフコラムで写真担当の青柳が長野電鉄山ノ内線の信濃竹原駅を紹介しています。貨物側線や木造の上屋も健在のようで、訪ねてみたいなと思っていたのですが、先週末の長電詣でその夢が実現しました。
▲“右側通行”で信濃竹原に進入する3310列車。湯田中方の急勾配と急曲線がよくわかる。右の本屋の先には貨物側線とささやかな木造の上屋が見える。'05.10.29

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信濃竹原駅は信州中野から3.71kmに位置する小駅ですが、山ノ内線で唯一の停車場で、交換設備を持ち、ささやかな貨物側線も擁する同線随一の中間駅でした。信州中野側から40.0‰の急勾配で上ってきた本線列車は反位側にポイントを渡り、対向式ホームの本屋側に右側通行で進入します。これは構内を出た下り方がすぐに半径300mの曲線と30.0‰の上り勾配になっていることに関係しているようで、当然上り列車も本屋と逆側にポイント正位で進入します。上り方構内外れの、中野側33.3‰にかかる手前に脱線ポイントが設置してあることから推測するに、湯田中側からの上り列車が万が一逸走した場合、通常の左側通行ですと半位側にポイントを渡ることになり、その危険を避けるための窮余の策なのでしょう。
▲信濃竹原駅ホームに残る年代モノの標示の数々。本屋の建屋は残念ながら使われておらず、改札口などは窓ガラス越しに垣間見えるだけ。

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駅本屋はすでに無人化され、貨物上屋ともどもまったく使われてはいないようですが、見事なまでに現役当時、それも地方私鉄が輝いていた時代の香りを遺しています。なかでも驚いたのは数々の“看板”類です。ホームの木製柱に取り付けられた琺瑯製の乗り場案内や、貨物上屋には車扱い貨物に関する注意事項標示までもが、あたかも現役でもあるかのように残されています。
▲貨物上屋の軒に掲出されている車扱い貨物に関する標示。なお、昭和45年版「専用線一覧表」(『トワイライトゾ?ン・マニュアル12』所収)によれば、ここ信濃竹原には北信パルプ工業(株)の専用線があり、作業キロ0.2km、つまり200mを社機と手押しによって作業していたようだ。急勾配に挟まれ、なおかつ構内もレベルではなく3‰の勾配を持つだけに、入換え作業も神経を使うものだったのだろう。

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この信濃竹原駅の開駅は1927(昭和2)年4月28日。この駅本屋が開設当時のものだとすれば、実に80年近くも「ながでん」の移り変わりを見続けてきたことになります。残念ながら駅周辺にもあまり人影はなく、乗降客の姿もまばらで、列車交換もなくなった今となっては、ホーム片面1線の停留場に改築されてもまったく不思議はない状況です。

これから小田急10000形の運転開始や2000系の引退など話題の尽きない長野電鉄だけに、長電訪問の際は是非この信濃竹原駅を訪ねてみられては如何でしょうか。
▲本屋改札部の柵は閉じられていて、ホームへは隣接踏切側から直接出入りする形となる。かつてはこの駅まで電気機関車の牽く貨物列車がやってきており、この本屋もさぞや賑やかだったに違いない。

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▲四半世紀以上も前、個人的に模「景」を歩いていた時代のネガを見ていたら面白いことに気がついた。ホームの乗り場案内の標示が信濃竹原のもの(写真上)と同タイプではないか! スポンサーの広告もまったく同じ。「メガネのいとう」は今どうなっているだろうか…。'79.10.15 象山口

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この週末、毎年秋のイベントとしてすっかり定着した「日本鉄道模型ショウ」が、京急蒲田駅前の大田区産業プラザで開催されました。毎年夏に松屋銀座で開催されている日本Nゲージ鉄道模型工業会主催の「鉄道模型ショウ」に対して、日本鉄道模型連合会(JMRA)主催のこのイベントは、どちらかというとN以外のスケールがメインで、エンスージャスティックな出店内容が特徴でもあります。
▲本サイト「ホビダス」の新ロゴご披露も兼ねた弊社ブースのお隣は隧道屋グループさん。Gゲージの凸電がその軽快な走りっぷりを見せてくれていた。肩肘張らない鷲掴みできるビッグスケールを、説明役を務めるクラブ・ジョーダンの中田さんは「大人のぬいぐるみ」と表現…うぅ~ん名言!
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今年で26回目を迎えたこの「日本鉄道模型ショウ」、会場の大田区産業プラザ、愛称PIOには実に82社ものブースが並び、関連イベントのオークションやバザールなどを交えて終日大賑わいでした。

会場内を歩いていると、それこそJRの元車両部長さんやら新車開発プロジェクトのリーダーやら、えっ、この方も趣味で模型を…という方々と会えるのもこのショウならではで、あちらこちらで久しぶりの再会を悦ぶ声が聞こえてくるのも楽しいものです。
▲RMMでおなじみの西村慶明さんはお得意の早業でNスケールの小レイアウトを仕上げて出品。スケールを超えてのケーメイ・ワールドは流石だ。

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各ブースをのぞいてみると、ひと昔前なら考えられなかったようなアイテムが続々と製品化されているのに驚かされます。その存在さえごく一部の人しか知らなかったような車輌が「新製品」として展示されているのを目にすると、鉄道模型もある意味“飽食”の時代を迎えたことを実感します。ただ、それは決して悪いことではなく、車輌のみならず、ストラクチャーやシーナリー用品も同様の傾向にあることを考えると、ユーザーの“やる気”次第で限りないポテンシャルを秘めていることも意味しているのではないでしょうか。そう考えると、原動力たるモチベーション創りに直接関わっている私たち雑誌の使命の大きさに、改めて身の引き締まる思いがします。
▲会場がこの“ピオ”に移って何年目になるだろうか。激変真っ最中の京急蒲田駅と空港線を観察しながら“ピオ”へ向かうのを年中行事にしている方も多いはず。写真はさかつうさんのブース。

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▲RMが多少なりとも“実物資料”としてお役にたって生まれた製品をいくつかご紹介。モデル8さんは日立製凸電の改良新製品を発表。日本油脂武豊工場のデキ1と熊本電気鉄道EB1で、前者は『トワイライトゾ~ン・マニュアル11』が、後者はRMライブラリー25「熊本電気鉄道釣掛電車の時代」が“ネタ本”。右はこの凸電に合わせて新発売されたパワートラック。

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▲速攻を身上とする(?)ワールド工芸さんからは何と「ランケンハイマー」が登場。この夏発売した広田尚敬さんの『鉄道写真2005』に日本甜菜製糖十勝清水時代の各角度が出ており、RMライブラリー58「昭和29年北海道私鉄めぐり」(上巻)に出ている磯分内時代の写真と合わせて参考にしましたと田村社長。紙媒体の送り手としては嬉しい限り。右は篠原模型店さんのブースで参考展示されていたリード線付チップLED。木綿糸並に柔軟性に富んだ極細リード線とチップLEDの組み合わせは限りない可能性を予感させる。

「ながでん」秋たけなわ。

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趣味の大先輩・宮澤孝一さんのお誘いで、このところ何かと話題の多い長野電鉄に行ってきました。懸念された天候もまずまずで、本格的な紅葉にはちょっと早いものの、たわわに実った名産のリンゴをかき分けるように走る2000系の姿を堪能することができました。
▲今年は収穫期を前にした台風もなかったせいか、沿線のリンゴの樹は信じられないほどの実りよう。つっかえ棒が必要なほど実ったリンゴの向こうを2000系特急がゆく。ちなみに、リンゴ畑に敷かれた銀色のレジャーシートのようなものは、反射によりリンゴの実の色づきをよくするためのものだそう。'05.10.29 夜間瀬-上条

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すでにご存知のように、7月に東急電鉄から8500系8輌が到着、9月2日からの営業運転開始を前に、4編成あった生え抜きの名車・2000系のうちB編成(2004+2052+2003)が8月29日付けで廃車となってしまいました。残る3編成は長野?湯田中間の特急運用に使用されているため、今後の8500系の増備で淘汰されることはありませんが、小田急電鉄から譲渡された10000系が来秋運用に入ると、当然のことながらその地位が脅かされることになります。
▲朝陽付近を快走する2000系A編成の湯田中行き特急13A。微妙な曲線で構成されたエクステリア・デザインは、誕生後48年を経た今日でも決して色褪せていない。

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そんなわけで、2000系が元気なうちに…と足を向けたわけですが、実は長野オリンピック以降、長野電鉄を訪れるのは初めてで、その変貌ぶりには今浦島の心境でした。実は四半世紀前、1980年に当時編集アシスタントをしていた『蒸気機関車』誌(キネマ旬報社)で、徹底ガイドと銘打った9ページもののガイドをやったことがあり、長電に関してはちょっとは予備知識があるつもりだったのですが、そんな自負は微塵に吹き飛んでしまいました。
▲須坂構内で休む3500・3600系たち。総計37輌の最大勢力となった“日比谷線”は今やすっかり長電の顔となっている。

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とにかく沿線に住宅やら会社、工場やらの建物が増えたことに驚かされます。有名な夜間瀬の橋梁にせよ、イメージの中では未改修の河川敷と背後の鬱蒼とした山というシチュエーションだったのですが、実際に現場に立ってみると、背後の山腹はもとより周辺は建物だらけ、河川敷はゲートボール場と化しています。そのほかにも手軽に俯瞰撮影が出来たポイントも、樹木が伸びて視界が効かないなど、時間の流れを痛感する一日でした。
▲須坂駅ホームでT編成8501Fの544レを見送る。東急東横線利用者としては、長野で見る8500系は何とも不思議な光景。

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ところで、今では長野?湯田中間を「長野線」、屋代?須坂間を「屋代線」と称していますが、私の感覚では屋代?木島間が「河東線」、長野?須坂間が「長野線」、信州中野?湯田中間が「山ノ内線」という意識が拭い去れません。2002(平成14)年3月に信州中野?木島間の通称「木島線」が廃止になり、同年9月に正式に線名を変更したそうですが、ことに「山ノ内線」が「長野線」に“併合”されてしまったがどうもしっくりきません。まぁ、それだけ歳をとったということなのでしょうが…。
▲1970年代後半、長野電鉄に足繁く通った時期があった。お気に入りは河東線の旧型車たちだったが、当時の河東線は上野から湯田中直通の急行「志賀」が屋代経由で運転されていたこともあって“本線”の風格が感じられた。写真は屋代で発車を待つ川造型モハ611+モハ603の須坂行き。'79.9.9

久しぶりに寺田さん来社。

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本誌誌上で「消えた轍」を連載中の寺田裕一さんが久しぶりに来社、担当編集の中村君を交えて、連載スケジュールの打ち合わせや、今後の単行本化の内容検討などが行われました。幸い、先日完成したばかりのムック『消えた轍』第2巻(東北・関東編)も結構な評判をいただいており、それを励みに有意義な打ち合わせの時間を過ごすことができました。

早いもので、連載開始以来4年あまりになる「消えた轍」もいよいよ最終コーナーに差し掛かりつつあり、来月11月発売号と年末の12月発売号の2回を残すのみとなっています。とはいえ、寺田さんの筆はここで停まるわけにはゆかず、連載では紹介しきれなかった多くの会社・路線について、単行本化のための書き下ろしをせねばなりません。信じられないバイタリティーで執筆を続けている寺田さんだけに、来月も別の単行本の出版が控えているそうで、スケジュールのすり合わせも人気作家並みとなりつつあります。

その一方でご本業は京阪電気鉄道の要職にあり、現在では同社クレジットカード事業の責任者を務めておられます。関西私鉄を横断的にまとめる非接触型カード「PiTaPa」も寺田さんの管掌案件で、そちら方面でも東京で講演をされるなど八面六臂の活躍を続けておられます。いったいどこにそんな時間とパワーがあるのか首を傾げたくなるのは私だけではないでしょう。
▲小誌創刊号('84年2月号)の別府鉄道の終焉を伝える寺田さんのレポート「オープンデッキも乗りおさめ」と、第2号から始まった連載「ローカル私鉄独り歩き」の第1回(蒲原鉄道)と第2回(津軽鉄道)。

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思い返せば、小誌と寺田さんの関係は創刊号から続いています。創刊号の発売直後、1984(昭和59)年1月末で廃止になる別府鉄道をカラー3頁でレポートされたのを皮切りに、創刊2号目からは長期連載となる「ローカル私鉄独り歩き」が始まっています。減ったとはいえ、当時はまだまだ各地で命脈を保っていたローカル私鉄を寺田さん本人が訪ね、輸送人員の年度推移などを交えてその現況を探ろうという意欲的な企画でした。もちろんそれまでにも「私鉄車輌めぐり」に代表されるローカル私鉄探訪企画は数多くありましたが、筆者本人が逐一現地を訪問してコンテンポラリーなレポートを誌面に展開する試みは初めてで、ローカル私鉄に並々ならぬ熱意を抱いている寺田さんならではの好企画でした。

その連載「ローカル私鉄独り歩き」が佳境を迎えたのは、ちょうど今から20年前のことでした。三菱大夕張鉄道や片上鉄道、下津井電鉄といった個性溢れるローカル私鉄がまだまだ元気な時代で、毎月繰り出されるページの数々は編集者にとっても楽しみなものでした。翻って今日、北海道内に旅客営業を行うローカル私鉄はすでになく、全国を見渡しても櫛の歯が欠けるごとくその姿は少なくなってしまいました。そんな現代のローカル私鉄を、20年前の「ローカル私鉄独り歩き」をベースにもう一度噛みしめなおす、「轍」に続いてそんな企画が具体化できればと、寺田さんと語り合った一夜でした。
▲ご好評をいただいている最新作『消えた轍 2(東北・関東編)』を手に記念撮影。そのバイタリティーは留まるところを知らない。

テッドからの贈り物。

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今月はじめにドイツの動態保存蒸気機関車の祭典・プランダンプが開催され、『国鉄時代』担当の山下も休暇を取って馳せ参じました。千載一遇の機会とあって、地元ドイツはもとより、ヨーロッパ各地からファンが集結したわけですが、その中に英国人のテッド(Ted)ことエドワード・タルボット(Edward Talbot)さんもおられました。テッドは数年前まで十年近くにわたって日本で仕事(大学の英語教師など)をしており、もともと彼の地では高名なファンだけに、海外の蒸気機関車に興味を持つ日本人ともずいぶんと親交を深めることとなりました。

そのテッドが“For Natori san”と手書きした近著を山下に託してくれました。『CREWE WORKS Narrow Gauge System』 と題されたA4版変形64頁の本は、イングランド北西部の大ジャンクション・クルーにあった巨大な鉄道工場内で使用されていた18in(457㎜)ゲージの蒸気鉄道についての研究書です。テッドはこのクルー工場のヒストリーを執拗に追っており、今回、ロンドン&ノースウエスタン・レイルウェイ・ソサエティーから出版したこの本は、これまでの著作の中から工場内軌道に関しての部分を抽出してさらに肉付けした内容となっています。
▲クルーはLNWR(ロンドン&ノースウエスタン鉄道)のリバプールとマンチェスターへのジャンクションに位置し、クルー工場はひとことで言えば大宮工場のような存在。広大な敷地内には部品や材料を運搬する超狭軌の軌道が敷き巡らされており、そこで活躍していたのが、全幅2'6"(762mm)のスライスチーズのような超小型蒸機たち。

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それにしてもテッドのバイタリティーにはつくづく頭が下がります。というのも、昔から彼は自分の研究テーマ、撮影対象の蒸気機関車とともに世界を移動してきているからです。「移動」と言っても旅行ではありません。「移住」してしまうのです。もう四半世紀近く前、著名な『Steam in Turkey』(トルコの蒸気機関車)という本を上梓した際は実際にトルコに住んでおり、その後、南アフリカやジンバブエの蒸機を追っていた時は、そちら方面に住んでいたこともあるやに聞いています。日本に住んでいたのも世界の現役蒸気機関車がいよいよ残り少なくなり、最後の牙城である中国に行きやすいというのが本音だったようです。

テッドは徹底した大型蒸機ファンで、その面ではどうも私と相容れません。むこうも判っていますから、顔を合わせると“QJ is the best!”(前進形が一番さ!)などとわざわざ揶揄するようなことを言います。今回も名取は元気にしているか…と尋ねられた山下が、彼はつい先日もライン河の工事現場にこもっていたようだと言うと、“strange man”(変なヤツ!)と伝えてくれと伝言されたそうです。「冷戦」はまだ続いているのです。
▲テッドは1987年にはオックスフォード出版から『A PICTORIAL TRIBUTE TO CREWE WORKS IN THE AGE OF STEAM』と題した豪華本を出している。LNWR時代からLMS(ロンドン・ミッドランド&スコティッシュ鉄道)時代を経てBR(ブリティッシュ鉄道)へいたるクルー工場の歩みが詰まった大冊だ。奥はBRの標準機をまとめたテッドの著書。

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そういいながら彼が凄いのは、大型機関車を製造・修理する工場の関連設備であるとはいえ、この珍奇(それこそstrange)なナロー・システムをここまで調べ上げ、それをきちんと本にまとめてしまう点でしょう。年に数回、英国を中心とした細々としたナロー情報を送ってきてくれますが、大型蒸機しか興味がないようなことを言いながら、実はあちらのナローゲージャーの間でも結構知られた存在のようです。恐るべしテッド、やはり只者ではありません。
▲チャンネル材で自作したカメラ2台ホルダーがトレードマーク。M型ライカとペンタの67を、その重さをものともせず曲芸のように同時にシャッターを切る。テッド、あなたの撮り方もstrangeですよ! '92.11.15 福用

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テッドというと思い出すのが来日して間もない頃、大井川鐵道に案内した時のことです。帰りの新幹線の中で、名物(?)「うなぎパイ」をふるまいました。デリシャスだ…と食べているので、いったい何のパイだか知っている? eel(うなぎ)だよ、と言うと本気で怒りだしてしまいました。英国人が長モノに弱いのか、はたまたテッドがダメなのかは判りませんが、中国東北部の蚕のサナギ、狗(犬)肉、東南アジアの半ば羽化したゆで卵、等々の例を挙げるまでもなく、よその国の人に食べ物をふるまう際は細心の注意を払わねばならないのを痛感した出来事です。
▲「番号が読み取れない写真は鉄道写真ではない」と頑として譲らないのが英国流。レンズも標準レンズ。サンニッパや俯瞰撮影などとんでもない。この時は連れてゆくポジションが線路から離れているのがご不満のよう。最近では天気が悪いとシャッターさえ押さないそうだ。'92.11.15

室木線とハチロク。

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JR九州の58654がリタイアしてしまい、可動状態にある8620形は梅小路蒸気機関車館の8630だけとなってしまいましたが、実はこのハチロクという機関車、数ある国鉄蒸機の中でも、個人的に好きな形式のひとつです。

とはいえ、昭和30年代ならいざ知らず、私の世代だと8620が幹線を行く姿など見られるはずもなく、目にすることができたのは、五能線をはじめとしたローカル線での仕業ばかりでした。そんな状況の中にあって、とりわけ印象に残っているのが飯山線と室木線です。一般的には花輪線龍ヶ森に挑む姿が称揚されますが、軽快なモーガル8620にはあまりに過酷で、個人的にはどうもしっくりときません。

飯山線では朝の飯山発長野行きの通勤列車222レだけがハチロクの牽引でしたが、長野の2輌、18688と88623はどちらも見事に磨き込まれており、軽快なブラスト音を響かせて雪晴れの信濃川河畔をゆく姿は、うっとりするほど美しいものでした。

その飯山線に比べると、室木線のハチロクは今ひとつ精彩を欠く存在でした。鹿児島本線の遠賀川から室木まで11.2キロを走る盲腸線には、とりたててこれといった見所もなく、沿線の炭礦が比較的早く閉山してしまったこともあって、運炭鉄道としての本来の姿さえ見ることはできませんでした。それにも関わらず、私のイメージの中では、なぜかハチロクにはこのとりとめのない盲腸線がぴったりで、ハチロクと聞いてまず頭に浮かぶのが室木線のことなのです。
▲筑豊の夏の昼下がりはけだるい暑さが辺りを支配している。ジョイントを踏むTR11台車の音さえもがねっとりと纏わりついてくるようだ。逆機のハチロクからは、時折、思い出したように3室の汽笛が甲高く響く。'72.8

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9600の牙城だった北九州で、若松機関区にだけは5輌の8620が配置されており、室木線と香月線に運用されていました。なかでも室木線は一日6往復の全列車が8620牽引の混合(実際に貨車が付くことは少なかった)列車でした。若松を深夜2時過ぎに出たハチロクは、一旦中間まで行って東折尾に折り返し、さらに折尾で一時間あまりを過ごした後、早朝5時過ぎに室木に到着します。6時04分室木発の遠賀川行き始発822レを皮切りに2往復半をこなし、昼過ぎには若松からやってくる僚機に午後の部をバトンタッチする運用でしたから、午前と午後で別の号機が室木線を担当する形となります。

夏の粘りつくような暑さの中、遠賀川のホームで写真を撮っていると、38629の機関士と助士がしきりに添乗していけとすすめます。たいした勾配もなく、名目上は混合列車とはいえ入換作業もないとあって、キャブの中も実にのんびりしたムードです。東京から来たというので世間話でもしたかったのでしょうが、真夏の蒸機のキャブ内の地獄の暑さはすでに体感として知っていますから、いや客車にいますから結構ですと固辞し、オハフ61の窓を全開にして室木へと向かいました。

今や新幹線の高架下となってしまい面影もありませんが、当時の室木駅は何線かの側線を擁し、盲腸線の終着駅としては想像以上の規模でした。この先、小さな山を越えるとコッペルやアルコの働く貝島炭礦の長井鶴に出るはずです。

室木駅の発車を撮影して待合室で次の列車を待っていると、村祭りでもあるのか、半被を着た子供がやってきて、私の様子を遠巻きに見ています。そのうちに一旦姿が消え、今度はお父さんらしき人と一緒に現れました。そしてそのお父さんが遠慮がちに「写真を撮ってもらえませんか」と言うではないですか。これほどかしこまって頼まれたのは初めてです。この時は二眼レフにモノクロフィルムしか入っていなかったのですが、室木駅のホームで法被姿のその子を撮影し、帰京後さっそくキャビネにプリントして送ってあげました。しばらくして筑豊の片隅から丁寧なお礼の葉書が届きましたが、室木と聞くたびに、変哲のない路線をゆるゆると走っていたハチロクの姿とともに、あの親子のことを思い出してしまいます。
▲室木で転線中の38629〔若〕。構内にはトラが留め置かれていたが、すでに貨物設備はなく、ホッパービンのコンクリート土台だけがその風化した姿を晒していた。ちなみに、この時のフィルムはフジのリバーサルで、画像処理で補正してもこの程度にまでしか修正できないほど変色してしまっている。'72.8

奇妙な工具?

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「弘法筆を選ばず」という言葉があります。最終的には撮影者のセンスが問われる“写真”の世界ではまさに言いえて妙、その通りという気がしますが、逆に“模型工作”に関してだけはこの諺は当てはまらないように思います。鈍らな工具を使っていては、いくら腕が良かろうと、それなりの仕上がりのものしか出来ません。さらに言えば、工具に無頓着な人はいくら経験を積もうとも、腕が上達することはありえないと言っても過言ではないでしょう。

そんなわけで、モデラーの端くれとしては、かねてから工具に妙な執着心を持っておりまして、意味もなく高価な工具を衝動買いしてしまうことも少なくありません。
▲手にとってみるまでは一体どのように動くのか予測のつかなかった奇妙なピンセット(?)。銜える力は尋常ではなく、口の“合い”の良さとあいまって、見てくれだけでなく今や結構出番の多い工具のひとつとなっている。

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今回お目に掛けるのはアメリカので購入した奇妙なピンセット(?)で、その精密な作りと意表をついたモーションに惹かれて買ってしまったものです。結構なお値段だった記憶がありますが、なかなかの業物です。恐らく医療用だろうと思いますが、本当はどういう用途に使うものなのでしょうか、今もって本来の使い方は知りません。
▲口を閉じた状態(左)と開けた状態(右)。

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これは模型工作だけの話ではないかもしれませんが、気持ち良く「道具」を使えるか否かが、モチベーションを維持できるかどうかを大きく左右します。その意味でも、この奇妙なピンセット(?)なかなかのお気に入りではあります。
▲口を開ける様子を画像処理で再現してみた。そのモーションは結構動物的で親近感が湧く。

マニ30のこと。

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どんな世界にも“タブー”とされるものはあるもので、今だから語れますが、マニ30という「荷物車」もそのひとつでした。2003(平成15)年度末で用途廃止となるまで、歴とした車輌としてJR線上を走っていたのですが、どの趣味誌にも一切取り上げられることはありませんでした。

というのも、この荷物車、日本銀行所有の私有荷物車で、その用途は現金輸送! 用途が用途だけにいろいろな局面で緘口令が布かれ、ともすると車輌の存在そのものが伏せられていました。小誌にもたびたび「謎の車輌を見た」という報告が寄せられましたが、たいへん申し訳ないことながら、そのような投稿をいただいても誌面に反映することは適いませんでした。いささか言い訳がましいのですが、毎年発行している『JR全車輌ハンドブック』にも、マニ30はJRの車輌ではないという理由で掲載していません。
▲第1荷物室側から居住室側を見る。2段の寝台が3箇所備えられており、もちろん昼間は座席としても使える。

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このマニ30形、マニ34形1~6を出自とする2001~2006号と、1979(昭和54)年から翌年にかけて日本車輌で新製された2007~2012号の合計12輌が存在しました。新製グループはマニ50と類似した車体ながら荷物室にもドアにもいっさい窓がなく、後位側妻面にいたっては貫通路はおろかダクトひとつないのっぺらぼうという異様な風体です。

用途の性格上、運用も決まっておらず、いわゆる「電報手配」で寸前になって併結列車が指定されるという特殊なものでした。それでも急行「銀河」をはじめ、たびたび併結が目撃される列車もあり、実際のところどのような運用が行われていたのかは興味深いところです。
▲左は第1荷物室。パレットの上のケースは「容箱」と呼ばれる現金収納箱だそうで、1箱は実に2億円相当! つまり1輌あたりは数百億円となったはず。写真右は便所横の収納スペースに組み込まれた隠し金庫。ずいぶん小さい金庫だが、実は扉をはじめとした各種施錠箇所の鍵を収納する金庫だそうだ。まさにフェールセーフ、二重系のセキュリティーが施されている。

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さて、このマニ30の2012号が昨年、小樽交通記念館に保存され、一般公開されています。保存された2012号は隅田川駅常駐の寒冷地仕様で、僚車2011号とともに東北・北海道方面を担当していた車だそうです。

先日小樽で開かれた日本鉄道保存協会総会の際に、小樽交通記念館のご厚意でこのマニ30の内部を拝見する機会をえました。両端の第1荷物室と第2荷物室の間には寝台や冷蔵庫などを完備した「居住室」があり、簡単な炊事もできるようになっています。防弾ガラスなど不測の事態に備えたセキュリティーもさすがで、小樽においでになった際は是非ご覧になることをおすすめします。
▲第2荷物室横にはボックス席がある。この部分には小さな窓(防弾ガラス)もあって一般車っぽい感じもする。

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ちなみに、マニ30と聞くと即座に思い出す苦い経験があります。もう二十年も前になりましょうか、まだ国鉄時代のことですが、当時模型関連記事も併載していたRM本誌で、自作したマニ30の模型を採り上げたことがあります。簡単な図も掲載したのですが、発売日直後、国鉄本社から見事に呼び出されてしまいました。何でも日本銀行内にいた小誌の読者が記事を見つけ、日銀が国鉄に連絡を入れたらしいのですが…。
▲マニ30の全景。これまで知る人ぞ知る存在だっただけに、一見の価値あり。ただし、室内は特別公開日でないと見ることはできない。

そんな“歴史”も踏まえ、手元にあったマニ30の形式図をご覧に入れてしまいましょう。数年前までは絶対にかなわなかった大公開(?)です。
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今日は東京貨物ターミナル駅で「鉄道友の会」主催による2005年度「ブルーリボン賞」贈呈式が行われました。すでにご存知のように、今年度の「ブルーリボン賞」はJR貨物のM250系”スーパーレールカーゴ”が受賞しました。長いブルーリボン賞の歴史の中でも初めての貨物用車輌の受賞で、JR貨物の悦びもひとしお、鉄道友の会会員100名あまりを招いての晴れやかな式典となりました。
▲先頭車に取り付けられた記念プレート。ただしプラスチック製の小型記念公式プレート(左)は後日、運転室内に移設され、代わりにホウロウ製大型記念プレートが取り付けられる予定。正面のプレート(右)も本日のみのスペシャル。

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昨日までの雨が嘘のように晴れ上がった秋空の下、鉄道友の会馬渡会長の挨拶に続いて、曽根 悟選考委員長が今回の選考経過を報告、馬渡会長からJR貨物の伊藤社長に表彰状が手渡されました。伊藤社長は挨拶の中で、ひと足先に行われた「ローレル賞」贈呈式に触れ、JR九州の石原社長は同社の800系新幹線(つばめ)がローレル賞ではなくブルーリボン賞を受賞できるものと自信をもっておられただけに非常に残念がっておられた、との逸話を披露、この受賞を糧として鉄道貨物輸送のさらなる発展を語られました。
▲「鉄道友の会」馬渡会長(右)とJR貨物伊藤社長(左)によって記念プレートの除幕が行われた。

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1958(昭和33)年にスタートをきった「ブルーリボン賞」伝統の楯は、これまでの受賞車輌がすべて旅客車だったため、車内の妻面幕板部に取り付けられるのが常でしたが、今回は車内に取り付けてしまっては今後目に触れる機会がなくなってしまうとの配慮から、先頭車左右側面にも同デザインの大型プレートが取り付けられることになりました。小型の公式プレートは、セオリー通り車内(運転室内)に取り付けられるそうです。
▲「鉄道友の会」より表彰状と記念楯が贈呈された。右から鉄道友の会・久保副会長、同馬渡会長、JR貨物・伊藤社長、同小林専務。

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今回の有効投票数は4012票。そのうち1138票がこのM250系への投票だったそうですから、まさに圧勝といってよいでしょう。本誌先月号(No.266)では、ひと足先にこのブルーリボン賞受賞を記念して、JR貨物と佐川急便の全面的な協力のもと、特別添乗ルポ「スーパーレールカーゴが繋ぐ現代物流最前線」をお届けしています。走行時間帯が深夜だけに、なかなか伺い知ることのできないM250系の活躍ぶりを、椎橋俊之さんのルポと広田尚敬さんの写真で紹介する迫真のレポートです。私も安治川口駅での取材に同行しましたが、システムとしてのスーパーレールカーゴの完成度の高さととともに、それを取り巻く人々の知られざる活躍ぶりに感動を禁じえませんでした。それだけに、今回の受賞はわが事のように嬉しくもあります。
▲Mc250-6の2位側側面にはすでにホウロウ製大型記念プレートが取り付けられている。今後はすべての先頭車左右側面にこのプレートが取り付けられる。

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最終回:さらば、ライン河。
日本は言わずもがな、ヨーロッパでもナローゲージ、とりわけ実用軌道としてのインダストリアル・ナローゲージは急速にその数を減らしつつあります。十年ほど前までは数十ヶ所を数えたドイツ、オーストリア・エリアのピート軌道も今や見るかげなく、それだけに「ライン河上流工事事務所」がこれだけの規模で運転を続けているのが奇跡的にも思えるのです。

いつかは再訪を…と思いながらついに12年。ようやく思いかなって訪れたライン河は、驚くほど変わっていませんでした。コルバッハの煉瓦庫、ルスティナウの工場、そしてハイジやシンプレックスたち。どれもがまるで12年の歳月などなかったかのごとくそのままです。唯一、博物館などの啓蒙施設が充実したことが変化といえば変化かも知れませんが、それは逆に、この軌道がまだまだ将来にわたって重要視されてゆくことの証左でもあります。
▲ラインの一日が終わろうとしている。乗客を降ろしたエクスカーション・トレインが暮れなずむ土手上を引き上げてゆく。'05.9.24

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帰国便のチューリッヒ空港発は13時過ぎ。せめて最終日、6日目の午前中は市内でトラムの撮影や模型屋めぐりでもしてゆっくり…と空港近くのホテルを取ったのですが、やはりライン河への思い断ち難く、片道所要2時間としても朝のうちに往復できないことはないと、結局5時起き。まだ真っ暗な高速を最後のライン河へとクルマをとばしたのです。
▲陽が西に傾く頃、コルバッハ採石場も急に静寂に包まれる。発破や削岩機の喧騒が嘘のように静まり返った積み込み線には、明日の一番列車で送りだされる平トロや鍋トロが並ぶ。'05.9.26

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あれほどの好天続きが嘘のように、天気は急速に崩れつつありました。それでもボーデン湖ローディング・ポイントへのファースト・トレインを押さえ、ルスティナウの工場へ戻ってくると時計の針はすでに9時近くを指しています。戻らねば。何ものにも代えがたかった日々。ライン河に掛かるルスティナウの大橋を渡り終える寸前、眼下の河川敷に東岸本線の軌道がまっすぐに延びてゆくのが見えました。

数時間後、私が機上の人となった頃、きっと午後のレギュラー・トレインがこの路を辿るはずです。
さらば、ライン。

▲「ライン河上流工事事務所」の軌道はいつも人々の生活の中に当たり前のように溶け込んでいた。土手上をゆくナローが当たり前の日常…それこそが12年ぶりの再訪で一番体感したかった情景にほかならない。左のクルマは合計1200キロを走ってくれたレンタカー、ルノー・クリオ。'05.9.24
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※10回に渡った「連載」の最後に、ほんのわずかですが動画をご覧にいれましょう。コルバッハ採石場付近の国境の専用橋をスイス側西岸からオーストリア側に渡ってくる”ハイジ”の牽く本線列車の姿です。なお、万が一、来シーズンこの軌道を訪れてみようと思われる方がおられたら、編集部宛にご連絡いただければレクチャーをいたします。
[ご注意]クリックすると自動的に動画が再生されます。音声付きですので、クリックする前に周囲の環境(オフィス?)を確認してください。

■Macintoshユーザーの方(クイックタイムムービーファイル)


■Windowsユーザーの方(ウィンドウズメディアファイル)

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何とも残念極まりないニュースが飛び込んできました。去る18日、ドイツの、というよりヨーロッパ有数の鉄道博物館であるニュルンベルクの“DB?Museum”扇形庫から出火、庫内のあまたの保存機ともども機関庫が全焼してしまったというのです。

ヨーロッパの鉄道系ニュースサイトはこぞってこの悲報を写真入りで伝えていますが、その写真を見るに、あまりに凄惨な光景に思わず目を覆いたくなります。動態保存機として各地のイベントに顔を出していた01 150をはじめ、45 010、23 105、といった歴史的蒸気機関車たち、さらには液圧式ディーゼル機関車の名機V200 002なども原形をとどめないまでに焼け崩れてしまっています。レプリカとはいえ、ドイツ鉄道150年イベントなどで日本人ファンにも馴染みのある“アドラー号”も見る影なく丸焼けになってしまいました。

ヨーロッパの鉄道事情に詳しいPPLの石塚さんからは、さっそく以下のような焼失車輌のリストが送られてきました。
■ニュルンベルク博物館火災における焼失車輌
・ "Adler" mit Zug (Nachbau Kaiserslautern/Weiden 1935)
・ 01 150 (Henschel 1935/22698)
・ 23 105 (Jung 1959/13113)
・ 45 010 (Henschel 1941/24803)
・ 50 622 (Henschel 1941/25841)
・ 86 457 (DWM 1942/442)
・ 89 801/bay. R 3/3 4701 (Krauss 1921/7851)
・ 98 327/bay. PtL2/2 4515 (aufgeschnitten)
・ E 75 09 (Maffei 1928/5739)
・ 360 115 (MaK 1956/600035, Dampfbahn Fraenkische Schweiz)
・ V 60 150 (MaK 1957/600071)
・ 360 151 (MaK 1957/600072)
・ V 100 1023 (MaK 1961/1000041)
・ V 100 2023 (MaK (1963/1000159)
・ V 80 002 (Krauss-Maffei 1952/17717)
・ V 200 002 (Krauss-Maffei 1953/17901)
・ VT 98 9683 (Uerdingen 1959/66570)
・ ET 165 334 Linke-Hofmann 1928 (Berliner S-Bahnzug, nur Lackschaeden)
・ 627 001 (MaK 1974, seit Sommer 2004 beim DB-Museum)
・ Berliner U-Bahn-Wagenzug
・ WR 1146 Speisewagen
・ Verschiedene Drehgestelle: E 06, SVT, DT
・ Diverse Ersatzteile
・ 218 309 (ein Fuehrerstand brannte aus)

焼けたのはニュルンベルク駅に近い扇形庫で、少し離れた博物館本館には影響がなかったようです。この“DB?Museum”は、旧東独側のHalle(ハレ)など数箇所に分散して膨大な保存車輌を擁していますが、今回焼失してしまった車輌はそのコレクションの中でも中心的存在でした。なんとも残念でなりません。
http://www.v160.de/phorum5/read.php?3,12442,12442#msg-12442
http://www.eisenbahn-kurier.de/aktuell/news_db_museum_brand.html

今月の新刊ができました。

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今月の新刊が完成しました。レギュラー3誌(RM、RMM,RML)に加え、今月はお待たせしていた『トワイライトゾ?ン・マニュアル 14』(定価2500円/税込)が加わり、合計4冊です。『トワイライトゾ?ン・マニュアル 14』は以前にもこのブログで軽くご紹介したように、これまでにない“濃い”内容で、総頁数はシリーズ最多の492頁に及んでいます。読み応えたっぷりのうえ、巻末の昭和5年版「連帯線 貨物営業粁程表」も見れば見るほど新たな発見がある興味深い資料です。

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RM本誌の特集は「国鉄・JR一般型気動車」です。JR東日本盛岡支社を端緒に始まった「国鉄色」への回帰は、会社を超えて各社に波及し、今では各地で懐かしい塗色の気動車を目にするようになりました。今月号はこれら一般型気動車の最新情報を軸に、全般検査を出場したEF58 61の速報なども織り交ぜてお届けします。また、今月から始まった「首都圏JR車輌基地めぐり」は、車体標記の上では知っていても、実際にどこにあるどんな場所なのか見る機会のない「車輌基地」を、実際に訪ねてみようという新企画です。電車で最寄り駅に向かい、あえて「取材」ではなく、普通に一般道から見る、つまりは読者の皆さんが実際にいつでも体験できるシチュエーションに拘ってお送りします。

連載陣もますます好調です。「SL甲組の肖像」は、いよいよ最後の蒸機特急「ゆうづる」を支えた原ノ町、平両機関区を取り上げます。いよいよデッドエンドが迫ってきた広田尚敬さんの「30年目のカウントダウン」は陸羽東線。まさに広田調の硬軟とり混ぜた写真の数々で、秋深い東北の情景が昨日のことのように蘇ります。なお、今月号は定価1000円(税込)です。

RMモデルズは先月に続いて“地面”に拘ります。数々の秀逸なレイアウトはもとより、編集部で実際に製作した検証企画「表現力を考える」など、いつかはレイアウトを…と夢描いておられる皆さん必見の内容となっています。好評につき追加連載となった結解 学さんの「JNR EXPRESS」は北陸本線をフューチャー、フィールドワークをベースにした編成記録など、実物ファンにも必見です。こちらは特別定価1200円(税込)です

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そしてRMライブラリーは75巻目、小山敏夫さんの「全盛期の神戸市電」(定価1050円/税込)です。神戸市交通局鉄道車輌課長として神戸市電の盛衰を見守ってこられた著者ならではの愛惜がにじみ出る一冊となっています。系統ごとに路線図と写真を交えてつづる解説のほか、各工場の構内配線図など貴重な資料も多く、トロリーファンには欠くことのできないライブラリーとなっています。なお、この「神戸市電」は上下巻2冊で、来月発売の下巻は小西滋男さん、宮武浩二さんによる車輌編をお届けします。ご期待ください。

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第9回:エクスカーション・ツアーのこと。
ところで、治水業務一点張りと思われた「ライン河上流工事事務所」ですが、近年では積極的にイベントも企画し、これが結構な好評を博しています。
▲すでに陽が西に傾き始めた頃、マッファイの牽くエクスカーション・トレインがスイス側西岸の土手下をコルバッハへと向かう。単音の汽笛が心地よく耳に残る。'05.9.25

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長い歴史を持つこのライン河改修工事には、実にのべ30輌以上もの蒸気機関車が投入されてきました。最も古いものは1874(明治7)年クラウス製の20ps機で、以後、マッファイ、ユンク、コッペル、ボルジッヒといった、名だたるドイツ系軽便機が活躍を続けていたのです。もちろん、戦後は無煙化されてお役御免となったわけですが、比較的新しい1921年マッファイ製のBタンク機と、1910年ユンク製の同じくBタンク機は地元に静態保存され、その姿を留めていました。
▲ルスティナウには4線ながらささやかな扇形庫と転車台もある。2輌の動態保存蒸機は普段はこの庫で休んでいる。

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「ライン河上流工事事務所」ではこの静態保存機の動態復元を計画、ルスティナウ工場でレストレーションを行い、1990年には復元が完成しました。河川改修事業への啓蒙の意味もあって、それまでもにも見学列車を運行していたようですが、この蒸機復活後は毎年5月から10月にかけての週末、各種の見学列車が運行されています。
▲コルバッハ近くのスイス側国境を行くエクスカーション・トレイン。この写真はスイス側国境検問所とオーストリア側国境検問所の間の橋の上から撮っている。実は珍しく写真の検問所であれこれ尋問され、おまけにクルマのトランクの中を見せろ…などと言われているうちに列車が迫ってきてしまった。国境警備員はようやく納得したようだが、こちらはたまったものではない。もう間に合わないからここにクルマを停めて国境の真ん中から写真を撮らせてくれと頼んでこの写真を撮っている。画面右奥に写っているのが運転していたレンタカー。国境警備員もさすがに申し訳なく思ったのか、渋々OKしてくれた。'05.9.25

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考えてみると日本でも立山砂防軌道が「カルデラ見学会」と称する啓蒙見学会を行っており、抽選で軌道に便乗できますが、ライン河も意図としては同じようなものでしょう。“ショートトリップ”ではルスティナウの事務所前からボーデン湖の現場までの往復がプログラムされており、実際に乗車したわけではないので詳しいことはわかりませんが、車内では河川改修の重要性がレクチャーされているようです。さらに“ロングトリップ”はコルバッハの採石場からボーデン湖まで全線を走破するもので、途中の休憩なども入れて半日がかりの大規模なエクスカーションです。
▲コルバッハで折り返しを待つマッファイ製“200?90”。1920年製の90ps機で、自重は13.8t。もともとの東岸オーストリア側所属機である。もう1輌はユンク製の“St.Gallen”で、こちらはもとは西岸スイス側の所属機。'05.9.25

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12年前に訪れた時には簡素な事務所と現業設備だけだった記憶のあるルスティナウには、今では立派は「ライン河改修博物館」(?)が出来ており、“体験乗車”の皆さんはまずこの博物館でレクチャーを受けてから乗り込むという寸法です。これまた立山の「カルデラ博物館」と同様のコンセプトといえ、洋の東西を問わず、どこも治水・治山事業への啓蒙は苦労しているなぁと変なところで感じ入った次第です。
▲燦然と輝くマッファイの銘板。この機関車、現役当時の写真を見る限りはもっと“土工”ぽいのだが、1990年にレストアされてからはミュージアム・コンディションとなってしまい、ちょっと場違いな印象は免れない。'05.9.25

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この見学列車は何と平日にも運転されています。4日目だったか、ボーデン湖のローディング・ポイント付近で“URS”の牽くレギュラー・トレインを撮影して、2キロほど先に停めてあるクルマに戻ろうと歩いていると、やおら併用軌道の彼方から聞きなれたエンジン音が…。何かあってさっき去っていった“URS”が再び戻ってきたのかと思いきや、やってきたのは“HEIDI”の牽く見学列車でした。しかも車内は小学生くらいの子供たちで大騒ぎ。どうやら地元小学校の社会科見学会のようです。それにしても、ほとんど“安比奈”状態のロケーションの中にワイワイ、ガヤガヤと砂利列車ならぬジャリ列車がやってくるのですから驚きです。
▲マッファイの前で記念撮影に興じるエクスカーション参加者たち。すでにかなり出来上がっている方もおられ、なかでもルクセンブルグから来たというおじさんに「いやぁ、日本人か!」とやたらなつかれてしまい結構往生した。'05.9.25

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さらに興味深いのは、見学列車とはいえ堅苦しさがまったく感じられないことです。かの立山砂防はヘルメット必着のうえ各種“心得”を厳守のうえの見学乗車となりますが、何とライン河の方は酒類持込可! というか、編成の中にはビールやらワインやらを満載した“バー・カー”(?)まで連結されている始末。エクスカーションを終えてルスティナウに戻ってくる頃には、皆さんすっかり出来上がっているという寸法です。

今年の運転はすでに終わってしまいましたが、今年の実績でいうと、蒸気機関車牽引による見学列車の運転は合計13日間。それ以外の週末にはほとんど間違いなく“HEIDI”らディーゼル・電気機関車による見学列車が設定されています。
▲自転車で帰る地元民のために機関車次位には自転車積載用のフラットカーが連結されている。'05.9.25

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ひさしぶりに心に残る鉄道写真展を見ました。「鉄道の日」の先週14日(金)から始まった斉木 実さんと米屋浩二さんのフォト・エキジビション「鉄道遺産を旅する」です。

2002(平成14)年11月号から今年の10月号まで、まるまる3年間にわたって『旅の手帳』に連載した「ニッポン鉄道遺産を旅する」を基にした写真展ですが、最近では珍しい撮り手の“意思”がはっきり見える写真展に仕上がっています。
▲デジタル全盛の状況下で、シノゴのノッチまでもが妙な臨場感となって見る者を説き伏せる。蛇足ながら、無反射ガラスを用いるなり、会場の照明位置を微調整するなりするともっと見易くなったかもしれない。

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その最大の理由は、何といっても「銀塩一発撮り」による有無を言わせぬ説得力でしょう。決して広いとはいえない会場に展示されたプリント約40枚は、すべてが中判もしくは4×5in判による銀塩モノクロ写真です。

連絡船桟橋から列車チャイムのオルゴール器といったパーツまで、被写体と“正対”した構図が多く、それはタブレットキャリアを肩にした駅長、ホームに並んだ赤帽、さらには鉄道防雪林を前に隊列を組んだ保線区員などポートレートにまで及んでいます。本橋成一さんの作品を連想させもしますが、いわゆる「黒線出し」と呼ばれる画面周囲の黒枠までわずかに出したプリント法とあいまって、この“正対”こそが、より一層鮮明に撮影者の“意思”を体現しているといえます。「黒線出し」にした理由を米屋さんにお伺いすると、写ったもの記録したものすべてを見せたい、遺したいからです、と控えめにおっしゃっておられましたが、そこには「写真家」というよりも「記録者」としての“意思”が垣間見られ、清清しい思いが残りました。
▲会場の斉木さん(左)と米屋さん(右)。いや、良いものを見せていただきました。

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そしてもうひとつ、写真に添えられた短いコメントが絶大な効果を発揮しています。検修掛の一言であったり、車掌の一言であったり、はたまた地元小学校の校歌の一節であったりする短歌のごとき短文が、ここでも撮り手の“意思”を見事に伝えています。編集者の目から見てもそれぞれの言葉の抽出の仕方が実に秀逸で、決して言葉が前に出ずに写真を盛り立てています。伝説的名著『写真の読みかた』(名取洋之助)ではありませんが、写真における「言葉の力」を再認識する思いでした。
▲作品下に貼られた「短冊」の一言が何にもまして写真に力を与えている。通常であれば横書きにしたくなるところを、あえて縦書きにしたところも計算された仕掛けか…。

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何でも今回の出展作品は、お二人でレンタルラボにこもって3日間をかけてプリントしたものだそうで、マルチグレード・ペーパーながら、いわゆるバライタを使い焼き上げたとのこと。おざなりにプロラボ任せにするのではなく、酢酸とハイポの匂いの中で人に見てもらう作品を自らの手で作り上げる…目にはみえないけれど、そんな情念こそが、きっとどこかで写真の力に転換されて見る者に迫ってきているに違いありません。
▲最新刊『ニッポン鉄道遺産を旅する』(交通新聞社刊/1714円+税)も同時に上梓された。こちらは写真集ではなくビジュアル・ムックといった感じの仕上がりだが、かなりの下調べをなされた上での内容だけに本としての完成度は高い。ただし、写真のインパクトはその分減衰されてしまっており、写真展会場で見る説得力が感じられないのは残念。写真を写真集として商業ベースで売る環境と基礎体力がなくなってしまった昨今の紙媒体の不甲斐なさを、同じ出版人として痛感。

写真展「鉄道遺産を旅する」は今週土曜日まで開催されています。鉄道写真を云々しようという向きは、何はともあれまずはご覧になっておくべき写真展でしょう。
会場:アートスペースモーター
住所:東京都中央区入船2?5?9 (地下鉄日比谷線「八丁堀」・有楽町線「新富町」駅下車)
会期:10月22日(土曜日まで) 12:00?20:00(土曜日は17:00まで)
入場無料

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第8回:イエンバッハとシンプレックス

本線の主力は“URS”“HEIDI”そして“ELFI”“SANTIS”といったディーゼル・電気機関車たちですが、コルバッハの採石場をはじめとしたシャンティング・エリアで活躍するのは3輌のシンプレックスです。
▲12年前に写したイエンバッハJW20形(1950年製)。この時はまだ現役であった。全長2340mm×全幅1100mmとえらく小さいが、自重はそれでも3.8tある。'93.10.15

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“シンプレックス”とは、英国ベッドフォードにあった“Motor Rail Ltd.”が送り出した2?15tの小型内燃機関車の商品名で、その形態は実にプリミティブ、一言で言えば農耕用トラクターが軌道を走るような代物です。実際に初期の製品は“Petrol Tractor”とうたっていますから、メーカー側も軌道を走るトラクターといった感覚だったのかもしれません。
▲左はルスティナウ工場の入換えに働くシンプレックスの“Juno”、右は1950年自家製のロッド式DLで、その名も“Rhein”。残念ながら現役を退き、西岸本線脇のロータリーに保存展示中。'05.9.25

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この決してカッコいいとはいえないシンプレックスですが、英国のインダストリアル・ナローゲージ、ことにモデルシーンでは絶大な人気があり、さまざまなメーカーからさまざまなスケールで模型化されています。残念ながら本国イギリスでも現役で活躍しているシンプレックスはおらず、あまた残された個体はすべて動態・静態の保存機です。(余談ですが、かの地の名だたるインダストリアル・ナローゲージャーは、皆さんお決まりのごとく1輌はこのシンプレックスの実機を個人所有しています)。
▲“A Guide to SIMPLEX Narrow Gauge Locomotives”はシンプレックスの入門書としてベスト。残念ながら日本では手に入らず、これはイギリスで仕入れたもの。

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それだけに「今なお現役」として日々使用されているのは欧州広しといえども極めて珍しいことです。ライン河上流工事事務所には“Juno”(1950年製)、“Miki”(1951年製)、“Susi”(1960年製・2代目)の3輌のシンプレックス(いずれも7.4t)が在籍しており、今回は“Susi”がコルバッハ採石場の入換え、“Juno”がルスティナウ工場の入換え、そして“Miki”が検査入場中でした。
▲コルバッハの入換えで終日ちょこまかと構内を走り回っているのはシンプレックスの“Susi”。屋根上のパトライトは採石場入り口の国道を横切る際に点灯させる。'05.9.27

DH000126.jpgDH000123.jpgDH000114.jpgそしてもう1輌、忘れてはならないのが地元オーストリアのメーカー、イエンバッハ製の超小型DL“イエンバッハ”JW20です。この機関車も12年前はルスティナウ工場の入換えに用いられていたのですが、今回はコッペル製の古典DLであるMD2(静態保存機)とともに機関庫内に押し込められてしまっていました。
▲ルスティナウ工場の庫内に保管されているイエンバッハ(赤色)とコッペル(緑色)。なかには烏天狗(?)を思わせるインスペクションカーもあった。'05.9.27

「鉄道史学会」で講演。

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今日は阪南大学を会場として行われている鉄道史学会(会長・老川慶喜立教大学教授)2005年度大会の2日目です。「鉄道車両史研究を考える」と題した今大会の共通論題に対する問題提起と関連講演、そして討論が朝9時過ぎから夕方まで繰り広げられましたが、なんとこの講演の大役を私が仰せつかってしまいました。
▲天王寺ではこれまたお懐かしや、うぐいす色の103系と再会。それにしても、同じ色、たとえばうぐいす色(黄緑6号)にせよオレンジバーミリオン(朱色1号)にせよ、関東と関西では微妙に色合いが違うのはなぜだろう。マンセル記号としては同じはずなのだが…。

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RMライブラリーでもお世話になっている東京学芸大学の青木栄一名誉教授のご指名で、固辞したのですが、「学会」とかしこまらずに趣味の側からの講演で構わないから…との説得に、僭越は重々承知の上で引き受けてしまったわけです。なにしろ詰めかけた方々は皆さん大学教授やら○○博士やらの肩書きをお持ちの先生方ですから、迂闊な与太話でお茶を濁すわけにはゆきません。論旨をまとめ、ささやかながら8頁モノのレジュメを作って臨みました。
▲実に瀟洒な阪南大学全景。大学と言うと立て看とアジ演説、さらにはバルサンという私の世代にとって、どうもこの小奇麗さは信じがたくもある。

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青木名誉教授の「鉄道車両史研究の視点とその系譜」と題した趣旨説明と問題提起に続いて、大阪市立大学の坂上茂樹さんの「ガソリン動車における輸入部品の使用ならびに国産化について」の講演、そしていよいよ私の講演「中小鉄道車輌メーカーの発展とその意義」です。与えられた時間は40分。戦前期の中小車輌メーカーのギルド的結びつきと戦時統制下における「車輌統制会」の役割、そして割賦制の登場による戦後の大手メーカー寡占への道程を資料を交えて語らねばならないわけですが、マイク片手にまくし立てても論旨半ばではや30分が経過、後半はかなりはしょった内容となってしまいました。
▲ 恥ずかしながら講演中の姿。写真を撮ってくれたのはコメンテーターをお務めになった斎藤 晃さん。

第3講演は石本祐吉さんによる「わが国における電車の発達 --パーツから見た電車の特質--」、昼食をはさんで午後は奈良大学の三木理史さんの「戦時期における『都市鉄道』 --技術統制をめぐる戦時・終戦期--」の講演が続きます。会場には安保彰夫さんや湯口 徹さんらの姿も…。湯口さんにいたっては、「名取さんの講演の時は最前列でイヨッ ! と声をかけてあげるよ」などとおっしゃる始末。いやはやまいります。

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まぁ、冗談はともかく、青木さんが今回の「鉄道車両史研究を考える」というテーマのもと、私に声を掛けたのも、これまでの鉄道史、とりわけ車輌史の分野において、趣味の側からの調査研究と、学究者の研究があまりに相互交流がなく、その成果を反映してもこなかったという反省と問題意識に立ってのことだそうです。その後の討論では、これまで数多の成果をあげてきた趣味の側の調査研究を「アマチュア」と決めつけるのではなく、ボーダーレスな取り組みがなされるべきだという声が多く聞かれました。この大会を契機として、趣味の側の成果がアカデミズムの中でもきちんと評価されるようになるならば、鉄道趣味誌編集者として、慣れない学会講演をやった意味も少なからずあるというものです。
▲まったく関係ないが、大阪に行くたびに一度入ってみたいと思いながら未だに果たせない大阪駅御堂筋口階段下にある立ち食い串カツ屋さん。有名な「二度づけ禁止」はもとより、さまざまな「作法」があるらしい。湯口 徹さんによると、混雑してきて誰かが「ダーク」と声を掛けるとカウンターの皆さんが一斉に体を斜め45度にして入れてくれるとか…。ダークダックス方式とのことだが、少なくとも内燃動車に関すること以外は冗談の多い湯口さんだけに、本当かな?

雨の大阪に来ています。

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今日は「鉄道史学会」の2005年度大会に呼ばれて大阪に来ています。愛知万博が終わったこともあってか、飛び乗った「のぞみ」も乗車率70%といったところで、比較的ゆったり過ごすことができました。
▲新大阪に着くと、対向ホームには、あらお懐かしや、0系の姿が。ただその出立ちはイメージの中の0系とは別モノ。R68編成21形7007。

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ゆったり、と言っても最近は口を開けて寝ているわけにはゆきません。このブログをはじめ、ノートパソコンを持ち込んでの画像処理やら原稿書きやらの時間と化しています。ことに考え込まなくて出来る画像処理にはうってつけの時間で、ペンタックス・オプティオにため込んだ画像を機械的に開いては画像処理ソフトに投げ込んでゆきます。新大阪に着く頃にはデスクトップは処理済みの画像で埋め尽くされるといった寸法です。

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→会場の阪南大学へは近鉄南大阪線藤井寺行き各停で向かう。同大学副学長さんのお話では、阪南大学の前身は大鉄、つまり近鉄の前身である大阪鉄道が設立した技術学校だったそうだ。終戦直後は藤井寺球場に臨時教室を設けていたとか…。写真はあべの橋で発車を待つ6217。

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▲言わずもがな、大阪といえばコレ。大学が用意してくれたホテルがなんばなので、久しぶりに道頓堀を散策。
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さて、明日は朝からいよいよ「鉄道史学会」の共通論題「鉄道車両史研究を考える」が始まります。それにしても、先週末は日本鉄道保存協会の総会で小樽へ、そして今週は大阪、来週はブルーリボン賞の授賞式、さ来週は長野、その次は京都へと、この秋は家にいる時間がまったくない状況です。本来は究極の「出不精」の身としては何とも言葉がありません。
▲そぼ降る雨に濡れる法善寺横丁。横丁自体は数年前の火災で大きなダメージを受けたが、すっかり復興したようだ。

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第7回:“日本人管理者”としてのライン河。
改めて言うまでもなく、ラインの堤防には実に緩やかな時間が流れています。ウォーキング、日光浴、犬の散歩…誰もがこの大河との時間を慈しみ、大切にしているのです。
▲東岸、西岸本線ともに数箇所に国道(?)を横断する踏切がある。いったいどうやって列車検知しているのか判らないが、列車が接近すると蛍の光ほどの信号が点滅し、やがて警笛とともに最徐行で列車がやってくる。ハタから見ていると関心するが、気付かないほどささやかな踏切信号が点滅すると、パタッとクルマの列が停まり、しかもエンジンをストップする。写真後方に見える橋が国道(?)で、実はこのやっかいな列車の通過を待って結構な渋滞が発生している。'05.9.24

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架線終端でもある東岸のローディング・ポイントは機回し線があるだけのささやかな線路配置ですが、なかなか面白いギミックが隠されていました。

盈車列車を牽いてきた機関車は最初の貨車が取り卸しシュートの位置にくると列車を解放、単機で機回線終端のポイントまで進むと、やおらそこに放置(?)されているワイヤーを端梁のフックに引っかけて機回し線を戻ってきます。そして取り卸しシュートの位置まで戻ると一旦停車、このワイヤーを外して去ってゆくのです。最初は意味が理解できなかったのですが、どういうことかというと、機関車が去った後、取り残された貨車列をシュートに合わせて移動させるための巻き上げ機が設置されており、ワイヤーはその曳索だったのです。つまり、V字型に張られたワイヤーの折り返し点の滑車が機回し線終端にあり、どうせ機回しするなら使い終わったワイヤー端をシュート位置まで持って帰ってもらおうという寸法なのです。
▲鍋トロの盈車列車がまさに到着、右側の小屋でラジオを聞きながら待機していたおじさんが迎え出てしばしの歓談。機関車はポールを降ろしてエンジンを始動させ、機回し線終端へと向かう。'05.9.26

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このローディング・ポイントには取り卸し要員のおじさんが待機しています。機関車が去った後、さきほどの曳索を使ってシュートに合わせて貨車を移動、1輌1輌ダンプさせてゆくわけですが、見ているとこの一連の作業はいくばくもなく終わってしまいます。すると件のおじさんは小屋に戻ってラジオを聞きながらまったりとした時を過ごしはじめるのです。

このおじさんに限らず、最初は「いやー、のんびりしていていいなぁ」と思っていたのですが、しばらくすると日本人の悪い性で、どうもあれもこれも気になって仕方がありません。おじさんAとおじさんBが二人がかりでこの現場にいる必要はないのでは…、おじさんCをこちらに回せばもっと省力化できるのでは…、いっそのことこのダンプ作業は機械化すれば…、次々と「改善提案」が浮かんでしまいます。でも、思えばそんな世界と無縁だからこそ、今もってこのアナログな軌道システムが生き続けているわけですし、それにともなうワークシェアも確立しているわけです。
▲ダンプシュートは鍋トロ1輌分しかない。手作業で鍋をひっくり返すと、ご丁寧におじさんが引っ掻き棒のようなもので底をゴシゴシと掻き出す。'05.9.26

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▲半世紀に渡って機関車も変わっていなければ、システムそのものも大きくは変わっていない。あまりにアナログな手法だが、スイスとオーストリア両国は、環境、雇用、歴史、さらにはもっと形而上の要素まで考え抜いて、きっとこの軌道を使い続けているのだろう。'05.9.27

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「今年は出ないの?」とお問い合わせが殺到(…でもないですが)している『トワイライトゾ?ン・マニュアル』ですが、いよいよ来週21日(金曜日)に発売となります。毎年夏に1冊ずつ発行してきた『マニュアル』も、ついに14巻目を数えるまでになりました。しかもこのいわば“今年度版”No.14は怒涛の492ページ!

今年はB滝が中心になってまとめただけあって、私鉄の貨物列車と貨車ネタの充実ぶりは驚異的です。B滝好みの小田急はもとより、これまでほとんど紹介されることのなかった関西大手私鉄や名鉄の貨物輸送に関する記事も満載です。渋目の記事ではお馴染み三宅俊彦さんの「稚内駅3代記」、吉田明雄さんの「笠間稲荷軌道」、今井 理さんの「黎明期の国産瓦斯倫機関車」も大作です。編集の都合で昨年は休載となってしまった松田 務さんの保線車輌探求は「モロ、ハイモ」、相変わらず精力的に森林鉄道跡を歩き続けている竹内 昭さんからは「東大農学部軌道」の詳細レポートが来ております。硬派な記事ばかりなく、モデラーや撮影派にとっても心を揺さぶられる写真や記事も満載でお送りします。
▲「1冊で“立つ”マニュアルは初めて」とはB滝の言。本当に厚い。ちなみに、以前このブログで次のマニュアルでご紹介…と書いた常磐炭礦西部鉱業所のグラフは諸般の事情で今回間に合わず。失礼しました。

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さらに、今年の付録はちょっと趣向を変えて「昭和5年版・貨物営業粁程表(連帯線)」を収録しました。これは同年4月現在で鉄道省と連帯運輸契約を結んでいる私鉄・軌道・専用線・航路、さらにはいわゆる“外地”の連帯運輸線とそれを結ぶ航路について、実際の営業粁および運賃計算上の貨物営業粁、さらには貨物取り扱いの制限を一覧表にしたものです。すでに廃止されてしまった私鉄はもとよりのことながら、何といっても白眉は時刻表にも記載のない軌道の停車場名とその粁程が記載されている点です。しかも末尾の「五十音別駅名表」は鉄道省停車場を含めて、当時のすべての貨物取扱駅を索引にしたもので、すべてに読み仮名がつけられているため、廃止私鉄や軌道の難読駅名の判読にも有用です。

お待たせした分たっぷりのボリュームで、秋の夜長どころか、じっくり読み込めば年内一杯充分楽しめるこの『トワイライトゾ?ン・マニュアル 14』、定価は2500円です。是非ご覧ください。

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第6回:ライン河に“安比奈”の影を見た。
東岸本線の架線終端から先、つまりボーデン湖の現場へ続く非電化線はどうなっているのでしょうか。本線が敷設されている土手下には並行する道路がありますが、ちょうど架線終端部にゲートが設けられており、そこから先は一般車進入禁止となっています。ただ、ゲートの傍らの看板によると、バードウォッチングや釣りを楽しもうという市民のために、歩いて入ることは可能なようです。いったいどれくらいの距離があるものか判りませんが、ともかくすべての線路の末端を見届けねば気が済みません。最小限の機材を手に、堤防上を歩きはじめることにしました。
▲ずらり並んだ鍋トロに容赦なく砂塵をかぶせてダンプが行く。とてもあのスイスとは思えない素晴らしい(?)情景。西岸(スイス側)本線 ’05.9.26

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2キロほどは茫洋とした風景が続いていたでしょうか。左手に見えていたライン河の川幅が一気に広がったかと思うや、軌道は堤防上から未舗装の路上へと躍り出ます。夢にまで見た未舗装の併用軌道です。彼方から砂塵を巻き上げてやってくるトラック、唸りを上げるエキスカベーター、沖合いの浚渫船…これは「安比奈」だ、生きている「安比奈」だ。遥か9000キロと40年の時空を超えて、こんな所でまさか「安比奈」に出会おうとは !
▲西岸本線はこの地点から併用軌道となり、途中には一箇所、使われていない様子ながら未舗装路面の交換所もある。'05.9.27

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西武鉄道安比奈線。いうまでもなく、西武新宿線南大塚から分岐して入間川河川敷を目指す貨物線で、昭和40年代初頭に実質的な運転を終了したにも関わらず、いまもって「休止」のまま線路はもとより架線まで残されているトワイライトゾ?ンの代表格です。

タッチの差で現役時代の安比奈を見ることはできませんでしたが、昭和40年代中盤に初めて訪れた安比奈の印象は強烈で、その後の趣味を大きく方向付けたと言っても過言ではありません。
▲浚渫船が唸りをあげて河床の堆積を掻き上げる。大河・ライン、そしてボーデン湖。まさに気の遠くなるような作業が日々続けられているのだ。'05.9.28

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安比奈というと反射的に脳裏に浮かぶのが5月のどんよりと曇った天気です。最初の訪問時のイメージをひきずっているのかどうかは判りませんが、仲間うちで「安比奈日和」という言葉さえ出来てしまったほど、安比奈にはそんな曇天がお似合いでした。何人かの釣り人、ラジコン飛行機のエンジン音、そして時折響くヒバリの鳴き声…そんなひとつひとつが、動くことをやめてしまった砂利選別機や放置された鉄聯のEタンクをより一層引き立て、「安比奈」のイメージを何にも変えがたいものとしていったのです。
▲40年前の「安比奈」はきっとこうだったに違いない。しかも信じられないことに足下のレール踏面はしっかりと輝きを保っており、それどころか、もうしばらくすると生きている「列車」がやってくるのだ。'05.9.28

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それまであれほど晴れ渡っていた空は一転にわかに雲に覆われ、信じられないことに、わざわざあの日の安比奈を思い出させるかのごとく、辺りはまさに「安比奈日和」となりました。見渡す限り誰もいない軌道終端に一人佇む自分。しばしシャッターを切るのも忘れてあまりのコトの展開に立ちすくんでいると、彼方からかすかなディーゼル音が響きはじめ、やがて併用軌道をヨタヨタと“ハイジ”の牽く列車が姿を現すのでした。
▲東岸本線の軌道終端部付近のローディングポイント。平トロに載せられてきた巨石はユンボによって摘み降ろされ、浚渫現場へと運ばれてゆく。「採取」する安比奈と違って、こちらは「埋め立て」である。'05.9.28

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この情景を実際に目の当たりにしてしまうと、インダストリアル・ナローゲージャーとしては感極まり、語るべき言葉すら失ってしまいます。これが40年前、いや20年前ならともかく、つい2週間前の光景だと誰が信じましょうか。時空を超えて「安比奈」は生きていたのです。
▲ディーゼル機関車と化した“ハイジ”が併用軌道をゆく。軌道終端はボーデン湖に突き出した形となり、左右にはひたすら水面が広がる。'05.9.28

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第5回:“オレンジなめくじ”の恐怖。
「ライン河上流工事事務所」のレギュラー・トレインは採石場のあるコルバッハを平日の朝7時に出る一番列車で幕を開けます。このいわば“初電”は、前日夕方に平トロに積まれた巨大な石を東岸最奥の非電化ローディングポイントまで運ぶ長距離列車(?)で、続いて8時頃に架線終端部まで行く鍋トロ列車が出発します。まばゆいばかりの朝日を全身に浴びてラインの堤防上を行くこの2本は、一日の始まりにこれ以上ないほどの相応しさでした。日本とかの地の時差は7時間(サマータイム)。今日も日本時間の14時にはあの一番列車がポールをかざしながらコルバッハ採石場のヤードを後にするはずです。
▲日曜日の朝、平日であれば一番列車で賑わうコルバッハの採石場もひっそりと静まりかえっていた。秋の陽が駐泊用矩形庫とその周辺を照らし出す。画面奥に見える採石現場も、今日は発破の音さえなく静寂に包まれている。’05.9.25

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ところで、こうやって写真になった情景を見ている限りは、何ら問題のない素晴らしくきれいな所のように思われるでしょうが、実はとんでもない恐怖体験(?)をしてしまいました。お食事前の方はこれから先はお読みにならない方が良いと思います。

ライン河河川敷の土質はほとんど粘土に近いような感じで、しかも常に湿っています。それゆえに見た目にきれいな草地となるのでしょう。それは3日目のことです。

だいたいのロケーションも把握し、昨日、一昨日と続けて撮影した河川敷で列車を待っていました。そういえばそれまでにもあちこちで見かけたような気がするのですが、足下にはパラパラと紅葉した笹の葉(?)のようなものが落ちています。私は目が悪いもので、それまではよく見えなかったのですが、この時初めてその物体を凝視しました。

まさに身の毛もよだつとはこのことでしょう。そのオレンジ色の物体は何と“なめくじ”だったのです。見たこともない長さ10センチ以上もあるオレンジ色のなめくじがそこら中にウヨウヨ ! そんなこととは露知らず、2日にわたってスニーカーでずかずかと歩きまわり、カメラバッグをどかっと置き、思い出したくもないことに、一回は腰をおろして昼飯さえ食べてしまいました。
▲木製ダンプを連ねて東岸本線をゆく“ハイジ”。一見美しく見える土手周辺だが、足下に注意していないと本当にとんでもない恐怖体験をすることになる。'05.9.26

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そんなわけで、3日目以降は草地に入っての撮影はパタッとやめ、キョロキョロと足下ばかり気にしながらの挙動不審な行動となりました。

ちなみに、ベルギーのブリュセルに単身赴任中の同期の友人によれば、ベルギーあたりにもウヨウヨいるそうで、雨上がりなど事務所前の歩道にまで這い上がってきて踏んづけないように難儀するとのこと。彼からのメールによれば「色は焦げ茶で、木切れでひっくり返してやると、裏はアワビに似た模様…」だそうですから、ラインの方々と同族なのは間違いありません。おぞましや、おぞましや。一体何と言う種類なのか知りませんし、知りたくもありませんが、とにかく日本では見たこともないあの巨大な“オレンジなめくじ”の集団は、ライン河を思い出す時の個人的トラウマとなってしまったことだけは確かです。まぁ、森林鉄道歩きでよく遭遇する吸血ヒルのようにジャンプして飛びかかってこないだけ、多少マシではありますが…。
▲「利根川上流工事事務所」になぞらえるなら、近くの「町」といえば栗橋や古河に相当するルスティナウという町。当然ながら観光的要素など微塵もなく、5日間日本人の姿を見ることもなかった。スーパーの前に小型トラックを停めて焼きたてのローストチキンを売っていたので、無理を言って半身だけ売ってもらった。日本で言えばスーパー店頭のやきとり屋といったところか…。パンがついて日本円で300円ほど。ブロイラーを禁止しているスイスだけに鶏肉はうまい。写真は、あの方々が周りにウヨウヨしているとは気づかず、草地にドカッと座り込んで食べてしまった痛恨の昼食。'05.9.25

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いやはや、今日は圧倒されました。小雨模様の中、所要のついでに軽い気持ちで出かけた「軽便鉄道模型祭り」のことです。

「木曽モジュール倶楽部」や「軽便モジュール倶楽部」の母体となっている「カルタゴサロン」の畑中さんが呼びかけ人となって、東京・池袋の豊島区民センターを会場に開催されたこの「軽便鉄道模型祭り」、会場内はあまりの入場者にエアコンさえ効かなくなるほどの大盛況でした。
▲RMMでもおなじみの宮下洋一さんも「軽便モジュール倶楽部」の集合モジュール・レイアウトで新作をお披露目。「西大野」駅前の神社には狛犬の姿も…。

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それにしても昨今のナローゲージモデル・シーンの“進化”には目を見張るものがあります。つい十年ほど前までは、アメリカのナローゲージ・コンベンションやイギリスのエキスポ・ナローゲージの充実ぶりと比べてまだまだ足下にも及ばないと嘆いていたものですが、今やハード、ソフト両面で完全に比肩できるまでに成長したといえるでしょう。
▲「木曽モジュール倶楽部」の平田さん制作の「御嶽明神」は折しも秋祭りの真っ最中。同じセクションが四季折々に姿を変えるのもこれまでなかった趣向。

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奇しくも今日10月10日は、28年前、第2回「軽便祭」が開催されたその日でもあります。前年、1976(昭和51)年10月3日に第1回が開催された「軽便祭」は、東京・方南町の方南共同ホールを会場としたささやかなイベントでしたが、そのインパクトは絶大で、初めて具現化した「モジュール・レイアウト」をはじめ、ゲージの枠を越えてその後の鉄道模型、いやモデラーに与えた影響は計り知れないものがありました。
▲秋祭りの獅子舞の獅子ももちろんスクラッチ。たてがみ(?)はフィールドグラスの流用だそう。平田さんの縦横無尽な素材活用にはいつも脱帽 !

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また、私も含め、この2回の「軽便祭」に関わったスタッフが、その後の模型界やメディアの核となって活躍しているわけで、その意味でも規模の大小に関わらず歴史的イベントだったと言えます。思い返せば、主宰者として取りまとめ役を務められた珊瑚模型店の小林社長にして、よくあれだけ自由に任せられたものだと今更ながら頭が下がります。あの来る者拒まずといった柔軟さこそが、四半世紀を経ても伝説として語り継がれるイベントを築きあげたのでしょう。今回の「軽便鉄道模型祭り」も、主宰者の畑中さんがメーカーやメディアが前に出ないモデラー主体のイベントを…と立ち上げられ、まさにあの「軽便祭」同様に、参加者が自らの手でイベントを構築していったところにこそ、大成功の鍵があったのだと思います。
▲会場には十数社のメーカーも出店。ワールド工芸さんは新作・足尾のフォードとそれに続く客車をお披露目(左)。アルモデルさんは半田付けしなくても組めるエッチングの「軽便内燃機関車」(On)を販売。「ポールを付ければライン河の電気機関車風になりますよ」と代表の林さん。いやはや、ブログ見ておられる…。

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▲ますます進化した「木曽モジュール倶楽部」のモジュール・レイアウト。切磋琢磨という言葉は義務的で相応しくないかもしれないが、メンバー相互が影響を受け合ってセンスを磨いたことは確かだろう。

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それにしても、深い反省をこめて残念なのは、これだけの盛り上がりにメディア、ことに紙媒体が何の影響力も発揮できていないことです。かつての「軽便祭」のバックボーンは間違いなくTMSです。「87分署」をはじめ、当時次から次へと誌面を賑わした作品の数々が、限りないインスパイアーとなって私たちを動かし、模型店の店頭での出会いが横のつながりとなり、そしてイベントとして結実してゆく。そのフローの中で最大無二の役割を担ってきたのは雑誌でした。それに対して今回のイベントのバックボーンは一言で言い切ってしまえば「ネット」です。ネット上で誰かが発信した写真なり資料なりに別の誰かがインスパイアーを受け、いつの間にかサイト内の人の輪がイベントとして実を結んでゆく…模型に限らず、現在では当然といえば当然のフローですが、紙媒体の編集者の端くれとして考えさせられること大です。
▲沼尻鉄道の川桁駅の巨大モジュールも登場した「軽便モジュール倶楽部」のモジュールもすごい。DCCや車載CCDカメラを駆使した運転にも圧倒される。

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会場内を歩き回っていると、あちらこちらから「ブログ毎日楽しみにしています」と声を掛けられます。それはそれでありがたいことではありますが、本業である紙媒体の「再構築」も真剣に考えねばと思いつつ会場をあとにしました。
▲「全日本小型車両動力化研究会・Critter's Club」と銘打って展示していたのは究極の小型模型に挑戦し続ける眞崎さん。Critter(虫)とは米国ナローファンの俗語で貨車移動機などのこと。それにしても目があがってしまった身にはその細かさを見ることさえ辛い(左)。「あららぎ」さんはドコービルの走る河原のジオラマ(HOn2)を展示。併用軌道土手下の商店が何とも絶妙(右)。

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第4回:架線1本で列車交換する方法?
「ライン河上流工事事務所」がなぜ今もって軌道輸送に拘っているのか、その正確な理由はわかりません。ただ、スイスは古くから国策として鉄道貨物を最優先しており、その辺にも軌道を使い続けている訳があるような気がします。事務所の資料によれば、この軌道で運ばれる土砂は年間で実に10万トンにものぼるそうです。たかが750mmゲージのナローと侮るなかれ、この輸送量をトラックに転換するとなると、環境に大きな影響が出ることは自明です。
▲スイスの人々はどうやらたいへんな犬好き。各所に“ドッグラン”用の駐車場が設備されており、朝の河川敷は愛犬を散歩させにくる人で結構な賑わいとなる。西岸本線 '05.9.24

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軌道総延長33km中、現在運行されているのは26kmほど、その中でレギュラートレインが運転されているのは20km程度でしょうか。本線の使用レールは18kg/m、平均勾配は15‰、最急曲線は半径60m、電化区間は直流750V、最高運転速度は18km/hだそうです。
▲土手にはいたるところに犬の散歩用のビニール袋とフンポスト(?)が備えられている。見ていると誰もがごく自然にこの設備を利用している。
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本線の上下列車はほぼ中間地点となるスイス側(西岸)のウィドナウという所で交換します。かつては交換設備以外にも駐泊設備もあったようですが、現在では未舗装の道路脇にサイディングが設けられているだけとなっています。

ここでの交換の仕方がなかなか見物です。なにしろ架線は1本しかなく、いったいどうするものかと思って見ていると、実に単純かつ巧妙な方法で交換します。まず、ボーデン湖行きの盈車(積車)列車が到着、ポールを下げてコルバッハ採石場行きの空車列車を待ちます。空車列車は側線に入りますが、ポールはグイッとばかり角度を変えてお隣の線路上の架線を掴んだまま走り続けます。確かにこの方法であれば架線が1本しかなくても交換可能なわけで、この“コロンブスの卵”的発想には脱帽です。
▲ウィドナウで交換する盈車列車を牽くURS(右)と空車列車を牽くハイジ(左)。ハイジのポールがお隣のURS側の架線を掴んでいるのがわかろう。ここから国境の併用橋までは盈車にとって逆勾配となるため、空車列車を牽いてきたハイジはここで一旦列車を解放し、ディーゼル機関車となって盈車列車の後部補機を務める。'05.9.27

「SLニセコ号」に乗る。

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「日本鉄道保存協会」総会2日目は、JR北海道運輸部運用車両課の皆さんのご案内で小樽駅から「SLニセコ号」に乗車、倶知安へと向かいました。当日の牽引機はかつて日高本線の静内で撮影した記憶のあるC11 207号機。“二つ目”が特徴のC11ですが、さすがに参加者の多くは“ご同業”の保存鉄道だけあって、そんな外観とは関係なく、使用している石炭のカロリーは? ブレンドは? 清缶剤の混合比は? と超専門的な質問が飛び交っていました。一時は車軸の発熱で懸念された同機ですが、運用車両課さんによれば、コンピュータ管理の軸発熱センサーを搭載してからは完調だそうです。

私はちょうど相席となった『鉄道ジャーナル』誌の竹島紀元編集長から、名作16ミリ映画「雪の行路」撮影時のご苦労話などを伺いながら、久しぶりの蒸機牽引列車を堪能することができました。
▲小沢に降りるのは、よくよく思い返してみると1973(昭和48)年春以来。駅本屋も駅前もすっかり変わってしまって…というか、変わり果ててしまって、こちらが浦島太郎になってしまったよう。

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「SLニセコ号」は余市と小沢でそこそこの停車時間があります。余市のホームでは地元の皆さんが名産のリンゴをつかったアップルパイを販売し、これが結構な人気でしたが、一方の小沢はひっそり閑として何とも寂しい限りでした。

現役時代、つまりC62重連時代の急行「ニセコ」を追った方なら、小沢は間違いなく降車経験のある、しかもかなり印象深かった駅のひとつではないでしょうか。岩内線の分岐駅でもあり、小さいながらも活気に満ちた駅でした。ところが、立派な駅舎も小さな待合室だけに建て替えられ、あの頃の賑わいは想像さえできないような寂れようです。まぁ、この小沢に限ったことではないですが、線路が剥がされたやたら広い閑散とした構内に、キハ40が単行でやってくる函館「本線」は、なんともやるせないものがあります。
▲2933Dと交換する「SLニセコ号」。小沢駅上り方発車は数々の名シーンを生んだ伝説の場所だが、あの給水塔もシグナルブリッジも跡形もない。

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小沢といえば「トンネル餅」です。これまたC62重連時代から多くのファンに親しまれた“名物”でした。小沢に「SLニセコ号」が到着するや、駅前の末次商店に走ったのは、JTBパブリッシングでキャンブックスをはじめとした鉄道図書の編集長を務めておられる大野雅弘さん。すぐに踵を返してきて「ニセコ号の車内で売っているので店売りはないそうです」。たしかにカフェカーにしっかりと積み込まれていました。
▲末次商店製菓部謹製の「トンネル餅」だけは、パッケージも含めて何ひとつ変わっていなかった。餅といってもその実態は“素甘”のようなもの。

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▲あの稲穂トンネル内の「SLニセコ号」。窓はお閉めくださいとアナウンスがあるが、やはり客車内にはあの石炭の匂いが立ち込める。

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「SLニセコ号」が倶知安駅に滑り込むと、ホームでは倶知安町無形民俗文化財の「羊蹄太鼓」がお出迎え。ところが、この太鼓を叩いている方こそだれあろう、倶知安機関区の名物男だった高田緑郎さんなのです。“ロクさん”の愛称で親しまれた高田さんは、倶知安区の燃料掛として大スコを手に急行「ニセコ」の到着を待ち受け、機関車が停止するやテンダに登って石炭のかき寄せや給水にあたってきました。給水スポートと停車位置との関係、石炭や水の消費具合…大ベテランの“ロクさん”に誉められるのが「ニセコ」乗務員のささやかな目標でもあったと聞きます。連載「SL甲組の肖像」(本誌241号)にもご登場いただいた“ロクさん”は、大正4年のお生まれだそうですから御年90歳。期せずして高田さんと会えたことも大きな収穫でした。
▲もちろん高田さんの方は覚えていようはずもないが、私にしてみれば1971(昭和46)年以来、実に34年ぶりの「再会」である。

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▲最後に、これは倶知安駅で捉えた207号機の「後ろ形式」。昨年『梅小路90年史』の編集をする際に、同所保存機の全形式写真と、対角状の斜め後ろから撮ったいわば「後ろ形式」写真を収録したが、これが言うは易しでえらく大変だった。結局DEで1輌ずつ庫外に引きずり出してロッドの位置を合わせて…と気の遠くなるような作業となってしまった。そんな苦い記憶があるだけに、以後、「後ろ形式」は撮れる時には必ず押さえることにしている。

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全国の保存鉄道を横断的に取りまとめている「日本鉄道保存協会」(事務局:日本ナショナルトラスト)の平成17年度総会が今日始まりました。開催地団体であるJR北海道さんのご案内でまずは同社の苗穂工場を見学、午後からはホテルのレセプション・ルームに場所を移して議事が始まりました。
▲あまり知られていないが、苗穂工場内にある鉄道技術館はなかなかの充実ぶり。各種の実物展示のほか、資料類も驚くほど充実している。ただし、公開日にしか見学できなのが残念。

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今年のメインテーマは「これからの鉄道保存」。いろいろな意味で大きなターニングポイントにさしっかっているわが国の鉄道保存の現状を、海外の事例も検証しつつ多角的に議論しようということで、まずは交通博物館の菅 建彦館長の「これからの鉄道保存」と銘打った基調講演からスタートしました。生活の中に鉄道がどう生きてきたかを積極的に見せようとする欧米の博物館の事例が次々とOHPで投影されると、50名を越える参加者からは感嘆とも羨望ともつかない溜息が漏れました。
▲北海道最新の話題といえば、何と言ってもJR北海道の「DMV(デュアルモードビークル)」。ちょうど苗穂工場に戻っていた試作1号車をバックにDMVのポテンシャルを語るJR北海道の柿沼副社長。中央は交通博物館の菅館長、左が私。

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続いて行われたパネルディスカッションでは、「鉄道保存の将来を考える」と題したテーマのもと、開催地の北海道の保存団体、つまりJR北海道、遠軽町(旧丸瀬布町)、三笠市、小樽交通記念館、ほべつ銀河鉄道の里づくり委員会から、それぞれの保存活動の現況と問題点が報告され、いつにない活発な議論が繰り広げられました。

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東京では景気の踊り場脱却が云々される中にあって、開催地・北海道地方の経済状況は決して良好とは言えません。「鉄道村」の維持運営が危機的状況に陥っている三笠市をはじめ、理想と情熱だけでは必ず限界がくる「鉄道保存」という長期的なテーマを、決して理想を失うことなくどのように折り合いをつけ将来につなげてゆくか…その抜本的解決策は見えないにせよ、今日の数々の議論の中からいくつかのヒントだけは見えたような気もします。ことに、菅館長の基調講演の締めくくりにあった「むやみに幼児の興味に迎合することなく、大人も納得できる保存展示に務めなければ将来が見えない」という言葉や、コメンテーターを務められた産業考古学会の堤 一郎理事の「これからもっと困難になるであろう若年層の鉄道に対する興味の教育の側からの掘り起こしの必要性」は、多くの参加参加団体にとって深く心に刻まれるものとなったに違いありません。
▲苗穂工場に「静態」となって保存されているC62 3とも久しぶりの再会。気がついてみると、復活運転が終了してから今年の11月で10年になる。

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第3回:ハイブリッド”なロコたち。

「ライン河上流工事事務所」のメイン・エンジンは、軌間750㎜、一見ポール集電の「電気機関車」に見える2輌の機関車、“HEIDI”と“URS”です。ところがこの機関車たち、実はなかなかの優れモノでして、その実態は「ディーゼル・電気機関車」なのです。JR貨物のDF200に代表される『電気式ディーゼル機関車」ではありません。「電気式ディーゼル機関車=Diesel Electric」はディーゼル機関で発電した電力でモーターを駆動する方式ですが、こちらは“ディーゼルエンジン駆動もできる電気機関車”なのです。
▲すがすがしいラインの川風に吹かれながら“URS”の牽く返空列車がやってきた。空トロの奏でるジョイント音に続いて、最後のトロが引きずるリンクカプラーが鉄枕木上で踊る“カン、カカン”という甲高い不連続音がいつまでも聞こえていた。'05.9.27 右岸本線

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“ハイブリッド車”というと、1997年に発売されたトヨタ自動車の「プリウス」や、続いて1999年に発売されたホンダの「インサイト」を思い浮かべますが、こちらは1950年代末からすでにハイブリッド仕様でした。とはいっても、ポールで集電していることからもわかるように、搭載されているディーゼル機関と電気系統とは何の相互関係もなく、いわば架線のない所ではディーゼル機関車として使えるというだけの極めてアナログな方式です。
▲2輌の「本線機」は1946年(HEIDI)と1949(URS)の生まれ。自重13t、出力90ps。電気品はかのスイスの名門「ブラウン・ボベリ」(BBC)製だ。当初は左岸(スイス側)所属機で、前者は1959年、後者は1958年にディーゼルエンジンを搭載して“ハイブリッド”化されている。写真はURSだが、HEIDIもルーバー形状など細かい違いはあるものの同形。'05.9.26 コルバッハ採石場

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ではなぜこんな面倒な“ハイブリッド”仕様になっているのか…? それはこの軌道のローディングポイント(荷役現場)に秘密が隠されています。採石場で浚渫用の砕石を積み込んだ列車は、遥かボーデン湖のローディングポイントを目指すわけですが、何しろ目的地は浚渫現場ですから、その位置は刻々と変化します。つまり、電化された「本線」の先の現場作業線は電化しようもないわけで、ここにハイブリッドにせざるをえない理由があるのです。
▲自重5t、出力45psと実にかわいい“SANTIS”は1954年製で、やはりBBCの電気品を用いたハイブリッド・ロコ。当然、逆回転できない内燃機関用に逆転機を装備しているはずだが、このコンパクトな車体のどこにどうパッケージングされているのかはついに解明できなかった。3日目に左岸本線に単機で乗り込んでゆくところを見たのを最後に行方知れず、結局その後は帰国まで再会できなかった。'05.9.26 コルバッハ採石場

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“シュルシュルシュル”と小気味良い駆動音で走ってきた「電気機関車」は、現場の数キロ手前の架線終端部で一時停車、降りてきた運転士が紐を手繰り寄せてポールを下ろすと、今度はやおらディーゼルエンジンを始動、あっという間に「ディーゼル機関車」となって非電化の軌道に繰り出すといった寸法です。いや、その手際の良いこと。逆も同様で、ディーゼルエンジンを止めたかと思うや、飛び降りてきた運転士がささっとポールを回し、こともなげに電気機関車に化けて走り去って行くのです。
▲今回は修理工場に入ってしまっていて形式写真を撮ることのできなかった“ELFI”。この写真は12年前の初訪問の時に庫から出してもらって撮ったもの。自重10t、出力53psのハイブリッド機で、1958年“Gebus”製とされるが詳細不明。新製当初から右岸(オーストリア側)所属機であった。'93.10.15 ルスティナウ工場

C57 1が不調!

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6月22日付け本欄でJR九州の58654がリタイヤすることをいち早くお伝えし、実際に同機は去る8月28日のさよなら運転を最後に引退してしまいましたが、またまた心配なニュースが入ってきました。今度は「SLやまぐち号」のC57 1です。昨年運行開始25周年を向かえ、小誌でも247号・248号と連続して特集を組んだばかりだけに、まさに“寝耳に水”です。何はともあれ9月28日付けJR西日本広島支社発表のプレスリリースをご紹介しましょう。

「SLやまぐち号」牽引機関車の変更について
9月28日の臨時検査で、「SLやまぐち号」の牽引機関車として使用している蒸気機関車C57?1号機(愛称名:貴婦人)に車両不具合が発見されたため、10月1日(土)・2日(日)は、ディーゼル機関車DD51でレトロ客車(5両)を牽引して運転させていただきます。なお、10月8日(土)・9日(日)・10日(祝)については、蒸気機関車C56?160号機(愛称名:ポニー)とディーゼル機関車DD51でレトロ客車を牽引して運転させていただきます。その後の計画については、別途お知らせいたします。(広島支社総務企画課広報)

詳しい状況はわかりませんが、何とも心配でなりません。鉄道事業として運転されている路線を本線走行できる動態保存蒸気機関車は、最多時に16輌を数えましたが、8620のリタイヤ、さらにはトラストトレインのC12 164のように保安機器の整備待ちや全検待ち、さらには車輌そのものの不具合などで、今日現在で試算してみると、何と10輌ほどに減少してしまっています。しかもその中にも不調が伝えられるものがあり、ハード・ソフト両面で蒸気機関車の動態保存はいよいよもって厳しい局面に立ちいたってしまったと言えるでしょう。

明後日(7日)からはJR北海道を主催地団体として、「日本鉄道保存協会」の年次総会が小樽で開催されます。当然その場でも58654のリタイヤや今回のC57 1の不調が話題にのぼると思われますが、今後は近代化遺産としての税制優遇処置など、より踏み込んだ議論こそが急務です。同総会の模様はこのブログにてお知らせする予定です。

▲本誌248号取材時のC57 1。梅小路運転区で2年に一度の中間検査Bを受けて元気に本線復帰していったのだが…。'03.12.10

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第2回:工事列車は二度国境を越える。
チューリヒから高速をとばすこと2時間あまり、ザンクト・マルグレッテンを過ぎると、それまでひたすら東に向かっていた高速道路はライン河に突き当たり、一転南へと90度向きを変えます。お隣ドイツのアウトバーンと違って120km/hの速度制限があるものの、高速で走るクルマの中からは気づかないでしょうが、川側の防音壁越しに、弓なりに弛んだ電線を持った細い電柱の行列が見えるはずです。まさかこれが「ライン河上流工事事務所」の左岸軌道本線の架線だとは誰も思いもしないでしょう。
▲洋の東西を問わず日の出前には現地入りするのがこの趣味の鉄則。コルバッハ採石場の閉じられた門の前で待つこと一時間、午前6時過ぎになってようやく顔見知りになったシンプレックスの運転手がよたよたのプジョーでやってきた。「グーテン・モルゲン」(おはよう)。煉瓦造りの1線庫の扉が開くと、セル一発、辺りの冷気を震わせてディーゼルエンジンが目覚める。払暁の庫内の灯と顔見知りになった運転手とシンプレックスと自分、この距離感こそがインダストリアル・ナローゲージの魅力にほかならない。'05.9.27

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ドイツ語で表記すると“Die Dienstbahn der Internatoinalen Rheinregulierung”、つまりライン河改修用国際公共事業軌道という名のとおり、軌道はライン河右岸のオーストリア側の堤防上と、左岸のスイス側堤防上にそれぞれ本線が敷設されており、この本線同士は2箇所の橋梁で連結されています。ところが、利根川の右岸と左岸で「県」が違うのとわけが違い、両岸で「国」が違うので一筋縄ではゆきません。ご存知のように現在ヨーロッパはEUに統合への統合が急速に進んでいますが、最近まで国連にも加盟せず“永世中立”を標榜していたスイスは、当然まだEUに加盟していません。つまり両岸の間には今もって歴とした「国境」が立ちはだかっているわけです。
▲路線延長は実に33キロに及ぶ。詳細な線路配置をメモり、ロケーションを把握するには5日間を費やしてやっとだった。手持ちのオーストリア政府国土地理院(?)発行の1:50000地形図は終いには赤ペンの書き込みでご覧の有り様。

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そんな状況の中、こともあろうに午前午後それぞれ3?4往復設定されて定期列車は、右岸オーストリア側にあるコルバッハの採石場を発車して堤防に上がると、すぐに専用橋を渡って左岸のスイス領の堤防に移り、さらに5キロほど進み今度は併用橋を渡って再びオーストリア側の右岸に転じて10キロほど先のボーデン湖の改修現場を目指す、というややこしい経路で運行されているのです。つまり1列車が2度にわたって「国境」を越えるわけで、撮影しようとするこちらもいちいち国境を越えなければなりません。一日10回としても、5日間で50回以上は行き来したでしょうか。短期間にこれだけ“出入国”を繰り返したのは初めての体験です。
▲ボーデン湖に向かう列車を国境上の併用橋で追尾する。画面前方の橋の袂のバーがオーストリア国境。'05.9.28

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とはいえイミグレーション(入管)もかなりいい加減なもので、「コレクションしているのだから」とこちらから強引に詰め寄らない限り、パスポートにイミグレーション・スタンプすら押そうとしません。いちいち面倒なので“train chasing”している旨を何とか理解してもらい、ついには「顔パス」で往来できるようになりました。これはひとつの武勇伝かとひそかにほくそ笑んでいたところ、何と橋によっては夕方になると係員が帰ってしまってフリーパスになる箇所さえあることを発見、今となってはこの「国境」にいったい何の意味があるのでしょうか。
▲国境の併用橋を越える。右端に見えるのがオーストリア側のイミグレーション。もちろん列車はフリーパスで通過してゆくが、もうひとつの専用橋には線路沿いに“密入国”するのを防ぐため途中に鍵の掛かる扉が設けられており、列車はその扉をいちいち開閉施錠して橋を渡る。'05.9.28

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第1回:プロローグ
先週一週間お休みをいただいき、12年ぶりに「ライン河上流工事事務所」に“こもって”きました。唐突に「ライン河上流工事事務所」などと言われても、よほど捻くれたナローファンでもない限り、いったい何のことかまったくお分かりにならないでしょうから、まずはこの「ライン河上流工事事務所」なるものの説明から始めることにしましょう。
▲垂れ込めた雲間から、さながら後光の如く、今日初めての陽光が河原を射る。昨日取り残された木製ダンプが1輌、ポツンと一番列車を待っていた。'05.9.26

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スイスアルプスのトーマ湖に源流を持つ「ライン河」は、総延長1320kmに及ぶヨーロッパ屈指の大河ですが、その流れは実に複雑です。まずこの源流域からスイスとオーストリアの国境を抜けてボーデン湖までを「アルプスライン」、ボーデン湖から西進してスイスのバーゼルまでを「高ライン」、バーゼルから北に向きを変えて、フランスのアルザス地方とドイツのシュバルツバルトに挟まれたライン地溝帯と呼ばれる低地をドイツのマインツまで北進する流域を「上ライン」、さらにボンまでのローレライに象徴される狭隘な渓谷を「中ライン」、そこからオランダを縦断して北海に注ぐまでを「下ライン」と大別されています(小塩節『ライン河の文化史』講談社学術文庫)。
▲12年間の思いを果たし、ようやく出会えた“本線”列車。まさに“シンプルトロリー”と呼ぶに相応しい弛んだトロリー線を手繰るようにポール電機がゆく。'05.9.26

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このように大きく蛇行を繰り返す河川だけに、太古の昔からその氾濫は流域に大きなダメージを与え続けてきました。さらに近代に入って船舶による交易が盛んになると、おびただしい数の運河が開鑿され、氾濫原も利用が進んで氾濫原としての機能を期待できなくなってしまいました。そこでますます重要度を増したのが河川改修による治水です。「上ライン」を筆頭に、各流域で大規模な河川改修が行われていますが、そのひとつがスイスとオーストリアが共同で行っている“ライン河上流工事事務所”です。正式には「ライン河国際改修事業」と呼ばれ、「アルプスライン」が巨大な扇状地を形成してボーデン湖に注ぐまでの治水を担当しています。このボーデン湖が天然の流量調節機能を担って「高ライン」の制御役も担っているわけで、この関係は利根川水系における「赤麻遊水地」と似ているようにも見えます。赤麻遊水地といえば、古くからのナローファンには印象深い、建設省関東地方建設局「利根川上流工事事務所」の河川改修用軌道が縦横無尽に敷き巡らされていた所(『トワイライトゾ?ン・マニュアルⅠ』所収)で、何か因縁めいて同じようなシチュエーションで軌道による河川改修工事を行っていることから、私はこのスイスとオーストリア国境の改修を勝手に「ライン河上流工事事務所」と名付けました。

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実は今から12年前に一度だけこの「ライン河上流工事事務所」の軌道を訪ねたことがあります。すでに冬篭りの準備に入っていた軌道に列車の姿はなく、事務所を訪ねると一瞬「この東洋人は何しに来たんだ」といった顔をされたのを鮮明に覚えています。それでも幸い事務所長は英語を理解する方だったため、はるばる機関車を見に来たことを告げると、てきぱきと指示を出して庫内から何輌かの機関車を引き出してくれました。その時以来、いつの日かもう一度この軌道の全貌を確かめてみたいと思い続けてきましたが、ようやく今回そのチャンスが巡ってきたというわけです。

1988年にスイスの出版社から関連書が発行されていますが、現状とはかなり乖離しており、各国のウェッブ上にもこの軌道に関する詳細なレポートはほとんどありません。それだけに行ってみなければどうなっているものやらさっぱりわからない怖さと、昨今の国内ではなかなか体験することのできない、未知の状況を自分の足で確かめられる誘惑を胸に、単身現地へと向かったのです。
▲決壊した堤防の状況。本来のライン河はラインの曲がり角を意味するスイスのライネック方面に流れていたが、この上流工事によって直線の放水路でボーデン湖に注がれるように改修された。(工事事務所提供)

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1日目は「わざわざ日本からこれを見に来たのか」と驚かれ、2日目は「今日も来たのか」と笑われ、3日目には「えっ、まだいるの」と呆れられ、4日目には「本当は何かの調査か?」と疑われ、5日目には「もうどうにでも好きなようにしな…」と突き放されるまでの、5日間にわたる「ライン河上流工事事務所」レポート本編は明日からスタートです。一部(本当にごく一部でしょうが…)の方には乞うご期待です!
▲この上流改修工事は実に19世紀末から脈々と続けられている。蒸気駆動のラダー・エキスカベータの前で待機するのは1897年製クラウス機。後方の木製ダンプが現在使用されているものとまったく同タイプなのも驚き。(工事事務所提供)

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