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レイル・マガジン編集長自らが作る編集日記。

2005年9月 8日

飯田町駅を語り継ぐもの。

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今日はJR貨物の本社で打ち合わせがあり、35℃近くあるのではないかという気温の中、飯田橋駅から再開発地区「アイガーデンエア」を目指しました。

名前も洒落たものなら、ホテルエドモントから一昨年に開業したガーデンエアタワーに至るデザインされつくした都市景観もお見事ですが、ここがついひと昔前まで「飯田町駅」と呼ばれる一大貨物駅であったことを記憶している人はどれだけいるでしょうか。恐らく、高層オフィスで働く人の大半はそんな“土地の記憶”とは無縁でしょうし、知る術もないだろうと思って歩いていると、嬉しくなるものを見つけました。瀟洒に整えられた歩道にレールが埋め込まれているのです。

横浜の「汽車道」はよく知られていますが、鉄道の記憶を後世に残そうという同様のモニュメントがこんな身近にあろうとは、今日の今日まで気づきませんでした。表示によると、建築基準法に基づいた「公開空地」という空間なのだそうで、線路は200m近くにわたって“敷設”されています。
▲足下を注意して見なければそれとわからない埋め込まれたレール。画面左上にちらりと見えるビルが JR貨物本社ビル。

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私の世代の知っている飯田町駅はとっくに無煙化されていましたが、それでも品川区のDD13が昼夜兼行で入換えに励む一大貨物駅でした。「相模鉄道ホッパー」と大書された砂利ホッパービンには無害車がずらりと並び、併設されていた飯田町客車区には、新宿発の中央線夜行に充当される旧型客車が長々と留置されていました。

ご存知のように、飯田町駅は新宿?八王子間で開業した甲武鉄道が市街線を延長する際に1895(明治28)年に開業した駅で、以後、中央線の始発駅となり、1904(明治37)年には初の“国電”運転開始の栄誉に浴しています。しかしその後中央線が御茶ノ水へと延長されると、1933(昭和8)年には貨物専用駅となり、旅客駅は飯田橋駅と分離されることになります。その後は都心の貨物拠点駅として活躍し、ことに1971(昭和46)年に国鉄と製紙業界の共同出資で㈱飯田町紙流通センターが設立されると、日本全国の製紙工場から送られてくる印刷用紙の受け口としてきわめて重要な位置を占めるようになります。1993(平成5)年3月現在でも、一日に実に195輌のワム車が到着したと記録されていますから大変な賑わいだったわけです。

そんな飯田町駅の車扱貨物は1997(平成9)年3月改正でコンテナ化され、荷役も新座(タ)駅などに移管されてその役目を終えました。国電発祥の地として、そして都心の貨物拠点として、「アイガーデンエア」の2条のレールが「飯田町駅」の記憶を後世に語り継いでくれるのは嬉しい限りです。蛇足ながら、飯田橋駅の電略は「イイ」ですが、飯田町駅のそれは「イヒ」でした。