鉄道ホビダス

1976年、会津への旅。(第7回)

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「日中走らぬ日中線」と揶揄されたように、日中線のダイヤは朝の1往復と夕方の2往復がすべてでした。朝の1往復は客車の回送を兼ねた会津若松からの直通熱塩行き混621列車で、これは上野からの夜行急行「ばんだい11号」に5分の時間差で接続しています。この混621レが熱塩で折り返して喜多方に着くのが7時02分、次の下り混623レの発車が16時04分ですから、実に9時間も開くことになります。

この間、機関車はというと、じっと喜多方で待機しているわけではなく、7時53分喜多方発会津若松行きの244レを牽いて一旦運転区へと引き上げます。そして14時48分会津若松発の単623レで再び喜多方へ舞い戻ってくるという寸法です。
▲暮れなずむ熱塩構内で折り返しを待つ。一日に3回やってくる「列車」は子どもたちにとっても特別の存在だ。

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蒸機時代、乗務員の方から日中線の運転は怖いという話を聞いたことがあります。たいした勾配もなく、はた目にはのんびりしたものに見えますが、実は意外と踏切障害が多いのだそうです。「みんな日中線は列車が来ないものと思ってるから…」一旦停止もなしで踏切を渡ろうとするクルマが後を絶たないのだそうです。なにせ、ほとんどの踏切が遮断機も警報機もない第4種踏切なので、この日もDE10はひっきりなしに汽笛を吹きながら熱塩へと向かいます。

すでにこの1976(昭和51)年の時点でも「混合列車」は全国的に珍しい存在でした。日中線の3往復はすべて種別上は「混合」で、この日の623列車も途中の会津加納から屋根車(ワム)2輌を加えた編成となりました。どうせ折り返してくるのだから帰りに拾えばよいものをと思いますが、加納の線路配置の関係もあって下り列車でピックアップするようでした。

喜多方を出る時に、下り方の側線に珍しい家畜車カ3232が留置されているのを見かけました。どうせなら無味乾燥なパワムではなくカ3000を連結すればよかったのに、などと勝手な思いを抱いたのを昨日のことのように覚えています。ちなみに、私が家畜車を見たのはこの時が最後となりました。

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