鉄道ホビダス

2005年8月22日アーカイブ

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現在では、会津檜原?会津西方間42.5キロポスト地点の第1只見川橋梁は、クルマでもアプローチできる撮影ポイントとして賑わっているようですが、この当時は林道から斜面を這い降りるような状況でした。蒸機時代にさんざん通ってわかっているだけに、DE10ごとき(失礼!)にそれほどの労力を裂くまでもあるまいと、1491レは滝谷側、原谷隧道出口の持奇橋梁で待ち受けることにしました。

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この当時、只見線にはまだ蒸機末期と同じ本数の貨物列車が残されていました。すなわち、会津若松?只見間、会津若松?会津坂下間それぞれ1往復の定期貨物と、会津若松?会津川口間の季節貨物1往復です。いずれも郡山機関区所属のDE10が受け持っており、慣れ親しんだ「会」の区名札ではなく「郡」の札が入っているのにも違和感を覚えずにはいられませんでした。

檜原への軽い上り勾配をエキゾーストをなびかせてやってきたのは、その「郡」の区名札を掲げたDE10 41です。この当時の郡山機関区には7輌のDE10が配置されており、日中線での混合列車仕業を受け持っていることもあって、全機がSGを搭載した初期車でした。

何もないこの会津檜原で4時間以上、自販機さえないはずなのに、いったい昼食はどうしていたのだろうと手帳をめくってみると、会津川口でパン100円也とコーラ70円を買っただけで、会津若松到着まで飲まず食わずだったことが知れます。まぁ、毎度のパターンではありますが、今さら思えば、よくぞこんなストイックな旅をしていたものだと、我ながらあきれ果てます。

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13時11分、川口始発の430Dは、3輌のキハ51の間にキハ23を挟み込んだ4輌編成でやってきました。キハ51 14(仙コリ)に席を取り、周囲の窓を全開にしてしばしの微睡み…、塔寺の25‰を一気に駆け下りれば、いよいよ列車は夏の匂いの広がる会津盆地へと入ってゆきます。

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