鉄道ホビダス

1976年、会津への旅。(第6回)

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430Dの会津若松到着は14時30分、会津檜原で一度下車しただけなのに、小出から実に9時間も掛かってしまったことになります。会津若松からは日中線へ向かうべく磐越西線に乗り換えますが、接続は最悪で、4分前の14時26分に新津行き231Dが発車してしまったばかり…次の磐西下りは15時42分始発の233列車まで一時間あまり待たなければなりません。

蒸機時代に幾度となくお世話になった駅正面の喫茶店「サニー」で遅い昼食でもと思って向かったものの、店名も「サルビア」に変わって様変わり、結局、一番館ビル内の「幸楽苑」で味噌ラーメン(250円)と餃子(100円)を食べることにしました。それにしても、上野からここまで、上野駅で買ったペプシ(70円)と、先述の会津川口のパンとコーラだけで過ごしてきたのですから我ながら呆れます。

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さて、会津若松始発新津行きの233レは、当然ながらDD51の牽引する旧型客車です。この当時、磐越西線会津若松?新津間の普通列車は2往復ほどの気動車列車を除いてすべて旧型客車による客車列車で、なおかつ郡山?新潟を6時間近くかけて走り抜く“通し”の各停も2往復設定されていました。

233レの喜多方到着は16時ちょうど。会津若松からわずか18分ほどの乗車ですが、とりあえずガラガラのオハフ33 2070(仙コリ)にボックスを確保することにします。

会津若松を出た列車は架線下をかなりのスピードでとばしてゆきます。若松?喜多方間には5つの中間駅がありますが、真ん中の塩川以外の4駅、つまり堂島、笈川、姥堂、会津豊川は通過となります。この4駅は実に奇妙な駅で、停車する列車は下り2本、上り3本のみと信じられない少なさです。会津線には本州には珍しく「舟子臨時乗降場」がありましたが、この4駅は「乗降場」ではなく歴とした駅で、かえすがえすも不思議な存在です。

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喜多方では日中線623列車に4分接続です。昭和電工の専用線に気をとられながらも、跨線橋を慌てて渡り0番線の日中線ホームへ。待っていたのはDE10 47〔郡〕の牽くオハ61+オハフ61の2輌編成でした。牽引機こそC11からDE10に変わってしまったものの、この客車2輌は無煙化前から変わらぬ顔触れで、旧知の仲といった親しみを感じずにはいられません。

初めて日中線を訪れたのは1971(昭和46)年春のことでした。C11の牽く混合列車が3往復のみという究極のローカル線をこの目で確かめたく、撮影効率の良い会津線や磐越西線を投げ打っての訪問でした。それ以来、なぜかこの線が気に入ってしまい、四季を通して何回訪れたことでしょうか。とにかく、今回のラウンドトリップの目的のひとつが、この日中線の再訪であったことだけは確かです。

息を切らせて列車にたどり着いたものの、案の定乗客は皆無に等しく、乗務員室ドアを開け放ったままのDE10の機関士が「乗りますか?」とわざわざ声を掛けてくました。私がオハフ61 2751(仙ワカ)に乗り込むや「ピー」と出発汽笛が響き、623レは本線とは明らかに違う、何かだるそうな足取りでホームを後にしするのでした。

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