鉄道ホビダス

常磐炭礦最後の日々。(下)

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さて、本州最後の大規模炭礦であったここ常磐炭礦西部鉱業所には、他の炭礦にはない特殊な事情があり、それもあって昭和50年代まで延命してきたと言ってもよいでしょう。その事情とは、「常磐ハワイアンセンター」(現・スパリゾートハワイアンズ)、つまりは温泉です。

ご多分にもれず、1960には坑口整理を含めた大幅な合理化を推しすすめたものの、結局採算があわず、この湯本地区での採炭は1971(昭和46)年を最後に一旦は終了してしまいます。しかし、その名も湯本町の地下に滞留する湯脈を有効活用して1966(昭和41)年にオープンした関連施設「常磐ハワイアンセンター」は絶好調で、ここに潤沢な湯を供給するには常磐炭礦の坑道の維持が不可欠だったのです。

すでにこの時、常磐炭礦株式会社は、常磐ハワイアンセンターを経営する常磐湯本温泉観光株式会社を中心とした常磐興産株式会社の関連会社となってしまっていました。結局、坑道維持を兼ねて採炭を再開、西部鉱業所は石炭と温泉という、一見関係なさそうなふたつの産出物を預かることとなったのです。

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西部鉱業所の炭車は2?自重980kgの鋼製で、5000番代と6000番代のもの976輌が在籍していました。このほかに坑木運搬等に使用される台車が92輌、その他29輌と、まだまだゆうに千輌を超える車輌がいたことになります。

写真の炭車は脱線していますが、係員は特に気にするわけでもなく、そのままズルズルと牽引されているうちに復線してしまいました。

ちなみに、チップラーと呼ばれる回転式取り卸し装置に対応したこの手の炭車は、英語では“ore car”(鉱車)の中でも“tub”と呼ばれて区別されます。バスタブのタブ(桶)です。

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網の目のように敷き巡らされた軌道配線をノートに書き写していると、あまりの非効率さを不憫に思ったのか、水平坑責任者の方が新聞4面分はあろうかという構内図の青焼をくれました。

訪問から一ヶ月あまり、この年の9月1日付で西部鉱業所は閉山してしまいました。まさに最後の最後の姿を見届けたことになります。なお、この常磐炭礦西部鉱業所訪問の詳細は、グラフを含めてこの9月に発売を予定している『トワイライトゾ?ン・マニュアル 14』誌上でご紹介するつもりです。(写真はすべてユ76.7.29撮影)

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