鉄道ホビダス

次号特集は「夜行列車」です。

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夏になると決まって思い出すのが、夜行列車を待って並んだ熱帯夜のホームです。ロザ・ロネでもなければ冷房などなかった時代、蒸し風呂のようなホームはまだまだ地獄の前哨線で、これから朝まで延々寝苦しい夜が続くことになります。

学割周遊券を片手にひたすら全国を行脚していた身にとって、それでも夜行列車は何にも代えがたい味方でした。宿泊費が浮くという金銭的なメリットはもとより、早朝に目的地に着ける利点は絶大で、いったいどれほど多くの夜行列車を利用したことでしょうか。夜行の連泊記録を自慢する方も少なくありませんが、私が1972年夏の九州で“達成”した、連続15泊16日はちょっとした記録ではないかと自負しています。

そういえば、あの頃は上下の夜行を乗り継ぐ「ターン」もお得意でした。ご同類も多く一番“流行って”いたのが、石北本線の急行「大雪」を使ったいわゆる「上川ターン」でした。札幌を22:15に出た517レ下り急行「大雪6号」の上川着が2:06、網走を20:30に出た518レ上り「大雪6号」の上川着が2:07、発車が2:12ですから、定時であればぎりぎり乗り継げるわけです。睡魔を堪えてこのターンを成功させれば、再び翌朝6:13には札幌に舞い戻ってこられるわけで、まさに周遊券を最大限に利用した宿泊術でした。

ただ、517レと518レは上川駅の対向式ホームに入線する形となり、定時で6分の余裕時分の間に跨線橋を越えねばなりません。ある冬の夜、この上川ターンを試みてえらい目にあったことがあります。カレチに518レの定時を確認して上川ターンにかかったものの、降りようとした客車のドアが凍結して開かないのです。ようやく蹴り開けて外に飛び出したものの、何と車輌がホームから外れており、積雪1m以上あろうかという雪の中に垂直に突き刺さってしまいました。すでに対向ホームには518レが入線しており、おたおたしているうちに、2分ほど早く発車する517レの発車ブザーが鳴り始めてしまいました。万事休す! 厳冬の上川で夜明かしか…と思ったとき、さきほどの517レのカレチが、もがいている私に気付いてくれました。おかげで518レは私が乗り移るのを待ってくれ、再びスチームの利いた車中の人となることができました。

思えばあの頃は1218レ「すずらん6号」から1217レ「すずらん6号」への「東室蘭ターン」など、夜行列車を骨の髄まで吸い尽くす日々でしたし、逆にそれだけ夜行列車の本数が多く利用しやすかったともいえます。

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前振りが長くなりましたが、今月、7月21日発売のRMは「夜行列車」を特集します。無理をお願いして三宅俊彦さんに作成いただいた戦後の夜行列車の消長グラフは、ここ30年ほどでいかに夜行列車が激減したかをビジュアルに証明するものともなり必見です。また、これからご注目いただきたい「彗星」のヒストリーや、最盛期の東海道夜行列車回顧などもお薦めです。

特集以外でも、今何かと注目の名古屋・岐阜エリアを体感レポートする「Let’s enjoy 名古屋編」、知られざる身近な路線にこだわったRM GALLERY「小名木川貨物線」など多彩な内容でお送りします。また、復活した連載「SL甲組の肖像」は鷲別機関区編、ご好評をいただいている片野正巳さんの付録リフィール「1号機関車からC63まで」は第3回がついています。

さて、トップの写真はちょうど32年前、真夏の東京駅13番線で発車を待つ101レ急行「銀河1号・紀伊」です。この当時の東京駅は、特急タイムが終わった20時以降、今度は夜行急行タイムが始まり、臨時を含めると15~30分ヘッドで5本の「銀河」が下ってゆく、今となっては信じられない状況でした。この日の牽引機は浜松区のEF58 161。マシ号車を含めた長大編成の先頭に立ったゴハチは、ノッチをパラ最終段まで進段させて、漆黒の東海道を下ってゆくのです。'73.7.30 東京駅

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2005年7月   

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