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レイル・マガジン編集長自らが作る編集日記。

2005年7月28日

まもなく見納め? 余部橋梁。

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わが国を代表する鉄道風景のひとつとも言える山陰本線の余部橋梁が架け替えられることになり、来年には新橋梁の工事が始まろうとしています。

余部橋梁が完成して香住~浜坂間が営業を開始するまで、大阪と山陰地方を結ぶ最短ルートは舞鶴港?境港間を結ぶ航路でした。大阪?舞鶴間は官設鉄道に直通する形で阪鶴鉄道(現在の福知山線)が境航路との連帯運輸ルートを形成していたものの、米子・鳥取方面への旅は尋常ではありませんでした。

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鉄道敷設法による山陰線は和田山から西に向かって工事を進めましたが、リアス式海岸の余部凹地だけは築堤もままならず、やむなく香住以東を山陰東線、以西を山陰西線として分割施工することとなります。海岸部の風害を考慮して、一時は鉄筋コンクリート橋案もあったと聞きますが、結局、アメリカから主要資材を輸入して鉄橋を構築する案に決し、1909(明治42)年12月16日に着工、延べ25万人の作業員と、当時としては破格の33万円余りの巨費を投じて完成したのは、2年余りのちの1912(明治45)年1月13日(開業は3月1日)でした。

米国アメリカン・ブリッジ社による11基の橋脚は一度九州に陸揚げされたのち、再び船で余部沖に運ばれたといいます。橋梁長309.42m、橋梁高さ41.45mは東洋一と称えられ、現在でもトレッスル式橋梁としては日本一の規模を誇っています。

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ただ、ご承知のように国鉄末期の1986(昭和61)年12月28日13:30頃、回送中の大鉄局客車「みやび」が強風で橋梁上から転落、民家と水産加工場を直撃して死者6名を出す大事故が発生してしまい、一気にこの橋梁の問題点がクローズアップされるようになります。戦時中のメンテナンスの不備による劣化も否定できないようですが、いかんせん完成以後93年を経た鉄製橋梁ですから、当然架け替えは避けられない時期にきていると言えるでしょう。

↑上はすっかり観光名所と化している「お立ち台」。家族連れはもとより、最近では観光バスのシーニック・ポイントにもなっているという。

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JR西日本からまだ正式なリリースは出ていませんが、来年には新しいコンクリート橋の工事が始まるようです。すでに今年の2月にはJR西日本豊岡鉄道部が「余部鉄橋の架け替えを前に…」、「今の鉄橋は数年で見納め…」として記念オレンジカードを発売しており、古くから“原風景”のように目に焼き付いてきた余部橋梁を見られるのも今のうちのようです。

→駅ホーム端には例のお立ち台への「鉄道写真撮影ポイント」の案内ポストも !

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そんなこともあり、本誌次号では、長年にわたってこの橋梁を撮影し続けてきた服部敏明さんのGalleryを中心に、ヒストリーや撮影ガイドもお送りする予定です。服部さんのお話では、この夏休みは足場を組んだ塗装作業が行なわれていて、撮影しにくくなってしまっているそうです。しかし、すでに夏至をすぎた今、撮影可能時間帯は短くなるばかり…。果たして新橋着工までに、もういちど朝7時過ぎに通過する「出雲」を綺麗な姿で捉えることはできるのでしょうか…。

↑橋梁下り方に隣接する餘部駅は片面ホームの無人駅ながら、いかにも山陰らしい佇まいが感じられる。ちなみに、橋梁付近には長らく駅がなく、この餘部駅が開設されたのは1959(昭和3?)年4月16日のこと。橋梁は「余部」だが、駅は集落の大字から「餘部」と表記されている。(写真はすべて'04.8.7撮影)