鉄道ホビダス

2005年7月30日アーカイブ

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「明鉱平山」…正確には明治鉱業平山鉱業所のウエハスのような電気機関車に強く惹かれたのは、思い返せばかれこれ30年ほど前のことでした。

1971年7月、『鉄道ファン』誌上で始まった不定期連載「こっそり・ひっそり・めだたずに」の第1回がこの明治鉱業平山鉱業所でした。筑豊炭田の片隅で生きるひょろ長い面構えの電気機関車や、“珍犬ハックル”と表現されたファニーな表情の蓄電池機関車などは、HOn2のレイアウトを模索していた身には強烈なインスパイアとなって記憶に残りました。

しばらくして、この凸電のスペックが掲載されている古い『三菱電機型録(電鉄編)』を入手、1/87の模型化図面をひいて、いそいそと製作にかかったのでした。

それまでの経験(といっても十代ですが…)からして、強度的にも工作精度的にも真鍮では苦しいと判断、車体は洋白のt0.2を基本に、窓枠部はt0.1の燐青銅を予め半田付けし、当時一番細かったヘラクレスの#000000で抜き落とすことにしました。リベットはφ0.2の洋白線の埋め込みです。

車体の組み立てが途中まできた時、設計ミスから予定していた動力機構が組み込めないことが発覚、さてどうしたものかと考えあぐねているうちに熱が冷めてしまったようで、結局ご覧のような状態でジャンク箱の中に放置される運命となってしまいました。

改めて手にとってみると、自分で言うのも何ですが、結構な精度が出ており、十代の情熱が生み出す“突破力”を思い知る気がします。もちろん、ひどい老眼となってしまった今では、再びこの工作を続行して「明鉱平山」を完成させることなど、できようはずもありません。

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行きたい行きたいと思っていながら、なぜか明鉱平山には行かずじまいとなってしまいました。そんなわけで、上の写真は弊社社長・笹本が1970(昭和45)年に撮影したものを拝借してお目にかけます。

上山田線の臼井から鉱業所までは八幡製鐵からやってきたBタンクが活躍しており、この凸電は山元から選炭場までの間の鉱車運搬に活躍していたものです。No.601~603までの3輌が在籍、いずれも三菱電機製(1949年、603のみ1953年)の6t機ですが、なぜか軌間が546㎜ときわめて中途半端です。筑豊炭田では、珍しい四国機械製の蒸気機関車を使っていた金丸炭礦が584㎜という特異なゲージで知られていますが、584㎜は23インチに相当し、英国などではさほど珍しくもありません。それにひき比べても、インチにも換算できない546㎜の根拠は何だったのでしょうか? ちなみに先述の『三菱電機型録(電鉄編)』の諸元では「540㎜」と記載されており、納入台帳の546㎜とは異なっています。

この明治鉱業平山鉱業所が閉山したのは、まだまだ筑豊地区の国鉄蒸機が中心勢力を保っていた1972(昭和47)年のことでした。閉山以後、3輌の凸電の行方は知れませんが、同系機が今でも2箇所で保存されています。模型に端を発した凸電噺、次回はこの保存機たちをご紹介してみましょう。

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