鉄道ホビダス

2005年7月23日アーカイブ

johbanmine1.jpg
今年は国鉄本線上から蒸気機関車が消えて30年目に当たりますが、蒸気機関車の動力源である石炭産業もちょうどその頃、大きな転換点を迎えていました。政府の石炭鉱業構造調整対策は1973(昭和48)年のいわゆるオイルショックを経て第5次政策に突入し、大きなボーダーであった国内炭2000万トン体制は一気に崩壊してゆくのです。

昭和50年代に入ると、本州の大規模産炭地、宇部・山口炭田と常磐炭田からは壊滅的に炭礦は姿を消してしまいました。そんな状況の中で、大規模礦としては最後の採炭を続けていたのが、常磐線湯本駅近くの常磐炭礦西部鉱業所湯本(泉田)坑でした。

各地の専用線を訪ね歩いた日々の中で、この本州最後の炭礦=常磐炭礦西部鉱業所を訪ねたのは閉山を目前にした1976(昭和51)年夏のことでした。湯本駅と炭礦は「向田線」と通称された専用線で結ばれており、国道6号線を越えた先に広大な坑木置き場が、さらにその彼方には巨大な選炭場が聳え立っていました。

今風に言えばアポなしで突然訪問しただけに、撮影を断られるのではないかと危惧していたのですが、実際は断られるどころか大歓待され、斜坑内部まで案内してもらうことができました。ただ、期待していた軌道設備は、規模こそ大きいものの、とりたてて変哲のないもので(もちろん今となっては貴重ですが…)、その面ではちょっと肩すかしを食った感じでした。

水平坑兼用として構内入換えに使用されているのはトップの写真の6t電機No.39のみ。炭車こそそれこそ掃いて捨てるほど並んでいましたが、車輌面でも遅すぎた訪問を実感させられました。そんな中で多少なりとも興味を引かれたのが、写真下の自走式5tクレーンでした。坑木置き場と炭車修理場で使われていたもので、しつこくディテール写真を撮っていると、運転手の人が記念写真を撮ってくれと言います。気軽にOKしたものの、やおらどこかに消えていったその運転手さんが戻ってくると、ぞろぞろとえらい人数が集まってくるではありませんか。まぁ、考えてみれば職場で働いている姿を写真に撮る機会などまずないでしょうし、閉山を目前にして記念に残しておきたい思いもわかります。帰京後、蒸し風呂のような自室の簡易暗室で、このクレーンに取り付いた人数分のプリントを焼き、常磐炭礦へと送ったのでした。

johbanmine2.jpg

レイル・マガジン

2005年7月   

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
「編集長敬白」が携帯電話でもご覧になれます。下記アドレスもしくはQRコードを読み取ってアクセスしてください。
http://rail.hobidas.com/blog/
natori/m/

ネコ・パブリッシングCopyright © 2005-2016 NEKO PUBLISHING CO.,LTD. All right reserved.