鉄道ホビダス

2005年7月14日アーカイブ

「吹越」のこと。

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「吹越」と書いて「ふっこし」と読みます。大湊線の無人駅で、その名のとおり陸奥湾からの強風が容赦なく吹きつける海岸沿いの小駅です。

判然と理由はわからないものの、なぜか引きつけられて再訪してしまう駅がありますが、私にとってこの吹越駅はまさにそんな駅です。最初の訪問は確か1972(昭和47)年の3月。南部縦貫鉄道を訪ねるため野辺地で急行「八甲田」を降りたものの、予定していた青函連絡船までは12時間近くも時間があり、それでは手近なところで大湊線のC11でも撮ろうかと足を向けたのでした。

当時、大湊線のC11は大湊線管理所に167、215、224、225の4輌(うち1輌は一休)が在籍、大湊?野辺地間の貨物仕業が一日2往復設定されていました。ただ、そのうち2本は早朝と夜の運転で、撮影可能なのは日中の1往復だけという状況です。当時はC11の貨物がこの程度の運転頻度とあってはあえて目を向けられるはずもなく、実際のところ私も“行きがけの駄賃”程度にしか考えていませんでした。

撮影ガイドはおろか、写真すら見たことのない路線ですから、いったいどこで降りたものやら…。野辺地を出たキハ22は大きく北へ進路を変え、北野辺地を過ぎたあたりから荒れ狂う陸奥湾沿いを走ります。いや、これは五能線ばりの凄まじさだな、などと思いながら車窓を見ていると、次の有戸の先で今まで海側を走っていた国道が内陸側に移り、線路は波しぶきを被らんばかりの海岸線に踊り出るではありませんか。見ると次の駅はその名も“ふっこし”。よし、ここで降りてみようと決めました。

この時の吹越は名にしおう荒れ方でした。何しろマミヤフレックスを載せた三脚が、手を離した途端に数メートル先の潅木の中に吹き飛ばされたほどですから、撮影どころではありません。陸奥湾を埋め尽くす波頭と海鳴りは、当然のことながらこの日の青函航路の欠航を暗示していたのですが、撮影中はそこまで気が回りませんでした。

いつかは再訪を…と思わせる何かがこの駅にあったのかもしれません。1973(昭和48)年の夏に再び吹越のホームに立ちました。今度は陸奥湾もおとなしく、荒涼とした浜で潮風にあたりながら待つことしばし、C11は想像以上に長い貨物を牽いて姿を現しました。写真はその時の793レの姿です。’73.8.9 有戸?吹越


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枕木で土留めしたホームに木造の小さな待合室。吹越駅は典型的な国鉄ローカル線の無人駅です。『停車場一覧』(国鉄)によると、開業は1943(昭和18)年3月20日。戦争の最中に開業したのには何かそれなりの理由があるのでしょう。東へ向かう駅前の小路はあの六ヶ所村へと続いています。ちなみに「吹越」の名は駅南東側にある吹越烏帽子岳(標高507.8m)から名付けられたそうです。’73.8.9撮影

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