「明鉱平山」こと明治鉱業平山鉱業所の凸電を訪ねることはかないませんでしたが、その反動というか、釧路の太平洋炭礦の凸電は幾度となく通いつめました。写真は1977(昭和52)年に『蒸気機関車』誌に発表した時のものです。
釧路臨港鉄道春採駅の丘の上に、まるでスライスしたような凸電がいる…そんな噂を耳にして、春採駅からぬかるんだインクラインをよじ登っていったのが確か1973(昭和48)年3月のことでした。ようやく登った丘の上には、会えなかった「明鉱平山」風の凸電がずらりと並んで蠢いていました。
▲春採の選炭ポケット付近にあった事務所前にずらりと並んだ太平洋炭礦の凸電たち。軌間は2フィート(609㎜)。No.1~10までの9輌(4は忌み番で欠番)が四六時中走り回っていた。’75.4.2
明鉱平山とほぼ同形機が直方市石炭記念館に保存されています。こちらは三菱鉱業鯰田鉱業所で使用されていた5t機(40ps)ですが、納入台帳によればやはり軌間は平山と同じ540㎜ゲージ。1936(昭和11)年を端緒に同形機が大量に鯰田に送り込まれており、1949(昭和24)年現在20輌以上の坑外軌道用電機が在籍していたとの報告もあります。
この直方市石炭記念館は直方駅の南西、多賀公園の線路沿いに位置し、C11 131や貝島炭礦のコッペル32号などの蒸気機関車のほかにも、この凸電や極めて珍しい圧縮空気機関車(エアーロコ)などの屋外展示があります。決して規模は大きくないものの、一度訪ねてみて損はありません。
▲『三菱電機型録(電鉄編)』によると、全長3550×全幅980×全高(屋根高)2930㎜、ホイールベース980㎜、動輪直径710㎜、直流500V直接制御で、オリジナルは「MT-15-A形」と称するトロリーポールであった。それにしても、1/87で模型化するとなると車体幅はわずか11㎜ ! 何とも小さい。'03.11.3
筑豊地方ではもう一例、田川市石炭資料館に同様の凸電が保存されています。これは嘉穂郡にあった三井鉱山山野鉱業所で使用されていた6.6t機(50ps)で、メーカーは定かではありませんが、当然三菱製ではありません。えらく不釣合いなLP42を重そうに掲げており、こいつも一度走るところを目にしてみたかった機関車のひとつです。
田川市石炭資料館は、炭坑節発祥の地でもある旧三井田川鉱業所伊田坑跡に建設された、国内唯一の「石炭資料館」を名乗る歴史民俗資料館で、大煙突や竪坑櫓など当時の遺構を保存活用するとともに、膨大な数の展示物を擁しており、その規模はまさに圧倒的です。
▲田川市石炭記念館の屋外展示場には、この凸電のほかにもエアーロコや、さらに珍しいリールロコなども保存されている。ただ、なぜかすべての展示車輌が写真のようなピンク(?)色に塗られており、その点はちょっと残念。'03.11.3
同じ凸電つながりで最後にご紹介するのが、北海道の三笠鉄道村で保存中の太平洋炭礦No.2とNo.10です。前者は1948(昭和23)年、後者は1960(昭和35)年東芝製の8t機で、1985(昭和60)年まで坑口と釧路臨港鉄道春採駅を結ぶ坑外軌道で使用されていたものです。直方や田川に保存されているものと比べるとひと回り大きく、盈車を牽いて起動する時に、さながら尻もちをつくかのごとくガクンとのけぞる様が昨日のことのように思い浮かびます。
←それにしても、なぜ車体幅の狭い電機があちこちに棲息していたのだろうか? “エンドレス捲き”と呼ばれた複線曳索軌道を電化するに際して、軌道中心間距離が接近しすぎていたため…との説もあるが真相は不明。なお、鉱山保安法(金属鉱山等保安規則)によれば、架空線高はレール踏面上1800㎜以上と定められているから、その点でもこれほどノッポにする理由が判らない。'97.8.28