鉄道ホビダス

2005年6月アーカイブ

神岡鉄道が廃止へ!

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出社した途端、またまた残念なニュースが飛び込んできました。第3セクターの神岡鉄道が来年末で廃止されるというのです。6月30日付けの中日新聞岐阜県版朝刊が速報したもので、29日に開かれた取締役会で決議され、8月に開催される臨時株主総会で正式決定される模様です。

私たちファンには昨年10月の貨物列車廃止が記憶に新しいところですが、何しろこの鉄道にとって貨物収入は総収入の7~8割を占めていただけに、遠からずこのような日が来るのではないかと懸念されていた、まさにその矢先でした。

例のフランスのコネックス社などが、観光鉄道として再生させたいと経営委譲を飛騨市に申し入れていたようですが、これも到底実現はしそうもありません。寺田裕一さんの『データブック 日本の私鉄』(写真)によれば、1999年度の輸送密度は88人/km日、「一日平均利用客は126人で、有田鉄道に次いで全国ワースト2位…」とありますが、その有田鉄道もすでになく、厳しい状況は推して知るべしでしょう。

JR高山本線も昨年10月の台風23号で飛騨古川~猪谷間が不通(代行バス輸送)となったままで、奥飛騨の鉄道事情はまさに御難続きです。

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機関区の手前の本線上には、自然の流水を利用した簡単な給水設備があります。当然“生水”で、果たしてどれほどの硬度なのかは知りませんが、ボイラのために清罐剤を入れて…などということはいっさいありません。写真はひと仕事終えて給水中のデイビッドと牛です。

ところでこのウシ、何しろヒンドゥの神様ですから、どこへ行ってものうのうと邪魔をします。街中はもとより、幹線道路上も牛だらけ(?)で、一説によれば、この牛さんのために、インドの国民総生産は何パーセントか落ちているとも言われています。

現地に行く前はこの牛は皆“野良牛”だと思っていたのですが、実はほとんど買主がいるのだそうです。耳輪もなく、どうやって見分けるのかは定かでありませんが、買主がいるとすれば、それこそ迷惑な話です。飲食店にのそ~と入ってきてモノを食べてのそ~と出て行く姿を見ていると、宗教観の無い日本人にとっては頭が真っ白になってしまいます。

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デイビッドの後ろ姿です。残念ながら“DAVID"のネームプレートは右サイドにしか残っていません。また、キャブ側面に開いた穴は銃創らしく、入境制限されていた間には、このティポング地区でもかなり熾烈な民族紛争が繰り広げられていたようです。

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もともとティポング炭礦には4輌の“Bクラス”が在籍していました。“Bクラス”とは、かのダージリン・ヒマラヤン鉄道の主力形式で、1968年にダージリンからこの炭礦へ移籍してきています。現在ではこの1914年ノース・ブリティッシュ製No.789ともう1輌(No.796)が予備機として残されているだけですが、本家・ダージリンがほぼ完全に無煙化された今となっては極めて貴重な存在です。写真は身ぶり手ぶりでようやくサイドロッドを下ろしてもらって撮った一枚。

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このティポングで2泊お世話になったのが炭礦のゲストハウス“Tipong House”です。この2階すべてがゲストルームとなっており、裏庭には専用の調理人一家まで住んでいます。まさに英国統治下のコロニーを彷彿させる造りと言えましょう。

実態はこの写真で見るほど小奇麗ではないのですが、ともかくこの2泊の間のお客さんは私たちだけとあって、撮影行の宿としては充分なものでした。ちょっとそのアコモデーションの一部をご紹介してみましょう。

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何と蚊帳です。日中は信じられないほどの暑さですが、陽が落ちると急速に涼しくなってくるのは現在の日本との大きな違いです。ただ、やはり蚊や羽虫の類は多く、ことに蚊はマラリアの感染源でもあるので要注意です。もっともこちらの蚊はすれてない、というか極めて純真で、持参した蚊取り線香で気の毒になるくらいバタバタと撃墜されます。考えてみると、逆に日本の蚊はすっかり耐性ができてしまっているということでしょう。

そしてこの蚊帳、実はもうひとつの効果があります。それはヤモリ除けです。東南アジアではよく部屋の中にヤモリがいますが、このティポング・ハウスは、居間から寝室からかなりの数のヤモリが住み着いています。天井にくっついているヤツが何の拍子かボトッと落っこってくるのを蚊帳で防ごうというわけです。

ところでヤモリが鳴くのをご存知ですか。他所でも鳴いているのを聞いたことはありますが、ここのヤモリは実におしゃべりというか、正直言って耳障りです。甲高い「キュッ」といった声ですが、これがあちらの壁こちらの天井と鳴かれると、これは結構迷惑です。

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今日の最後は尾篭ながらトイレ兼シャワールームです。いっちょまえに水洗ですが、もちろんまっとうには流れてはくれません。当然、トイレットペーパーはなく、画面中央右にあるバケツの中に突っ込んである手桶を用いて“不浄の左手”で清めるわけです。ひどい…とお思いでしょうが、日本のトイレが異常にきれいなだけで、世界標準からしてもこれは充分に合格点です。

残念ながらシャワーは水しか出ませんでしたが、欧米のシティホテルでもお湯が出ないというトラブルは日常茶飯ですから、これでもありがたい限りです。最悪なのはインドネシアで経験した、さながら間欠泉のごとく熱湯と冷水が不規則に噴射されるシャワーで、この時ばかりは、何とか冷水だけ出てくれと祈るばかりでした。

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日本を出てから2日、ようやく辿り着いたティポング(Tipong)炭礦入口です。コール・インディアという巨大な石炭会社の管理下の炭礦で、想像していたよりはるかにセキュリティーが厳重です。すなわち、守衛のいる門(画面中央のトラックの奥)より内側のエリアは関係者以外立ち入り禁止で、私たちのようにパーミッションを持った者でさえしつこくチェックを受けなければなりません。

炭礦なら当たり前のこと、と思われるかもしれませんが、そのエリアがとてつもなく広範囲です。例えて言うならば、北炭真谷地専用線が全域、しかも沼ノ沢の町すべてが含まれるような感じです。ですからエリア内には住宅あり商店街あり、とにかく衣食住すべてが揃っています。こんなわけですから、逆にエリア内に入ってしまえば安全(?)で、コルカタ市街などよりよほど治安は良いといえます。

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現地に来るまでは果たして生きているものなのかどうか心配でしたが、無煙化されることもなく、蒸機2フーターはしっかりと健在でした。写真はローディングポイントへ向かって併用軌道に踊り出るダージリン“Bクラス”No.789です。

実は私、何が好きといって未舗装の併用軌道ほど好きなものはありません。しかもそれが2フィート・ナローとくればなおさらです。さらにこの専用軌道から併用区間に替わる部分が堪えられず、高校生の頃から幾度となくジオラマを作ったものです。

このティポング炭礦専用線、路線延長はわずか3kmほどですが、3箇所の橋梁と1箇所の素掘り隧道、そして言わずもがなの未舗装併用軌道と実にシーニックで、しかもほぼ24時間稼動で運転されているのも嬉しい限りです。

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これがはるばる会いにやってきたデイビッド君、感激の対面です。バグナルの“7×12inシリンダー”と呼ばれるカタログモデルで、1920年代から1930年代にかけて地元イギリスをはじめ、多くの英国植民地に送り込まれています。僚機は少なからず英国のプリザベーション・レイルウェイで動態保存されていますが、「現役」となると世界広しといえどもこのデイビッドだけです。なお、さきほどのNo.789同様に、煙室扉周りがやたらと白っぽいのは、煙室の気密性を高めるために牛糞(!)を塗りたくってあるからです。

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ガイドをお願いしたアショクさんは、英国ファンにはちょっと知られた鉄道ツアー・コーディネーター、しかもこういったインダストリアル系にめっぽう強く、今回の訪問も氏の事前ネゴシエーションなくしてはありえませんでした。

ちなみに、写真手前にあるお櫃のようなものに入っているのが“チャパティ”です。基本的に米は南部インドの食べ物で、北部の主食はこのフスマ入り小麦粉を薄くのばして焼いたチャパティです。日本のカレー屋さんで見かける“ナン”は精製した小麦粉を焼いたもので、しかも窯がないと焼けませんから、都市部のちゃんとしたレストランでもなければお目にかかれません。

アショクさんはじめ現地の人はこのチャパティを右手できれいにちぎり、ほとんど指を汚すことなくカレーをつけて食します。写真にあるように、外国人が来たとあってスプーンやフォークも出ていますが、そこは郷にいれば郷に従え、フォークで刺身をつつくようなことはしたくありませんから、私も手で食べる「技」にトライしてみることにしました。

ヒンドゥ(イスラムも)にとって左手は不浄なものとされていますから、基本的に食事はすべて右手で済ませます。ところがこれが簡単ではありません。まずチャパティが切れない、これにはまいりました。左手で押さえたくなりますがそれはNG。どうするかというと、皿においたチャパティを右手中指で強く押さえ、残りの指を使ってちぎるのです。スプーンやフォークで食べると美味しくないし食べた気がしない…とはアショク氏の言。日本の箸文化と似ている気もします。

8007F 奇跡の復活!

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6月10日付本欄で、長津田へ廃車回送されたとお伝えした東横線8007Fが、何と奇跡の復活を遂げました。7月中の休日を中心に、東横線で臨時急行「伊豆のなつ号」として運転される事になったのです。これは夏の観光キャンペーンの一環だそうで、外観を伊豆急へ譲渡された8000系と同様のハワイアンブルーの帯に変更して運行されるもの。塗色復元が流行りの昨今ですが、譲渡先の塗装に合わせての営業運転というのはこれまでにない椿事と言えるのではないでしょうか。写真は東横線の基地である元住吉に再び舞い戻り、改装を終えて、留置先の鷺沼へ回送される8007Fの姿です。'05.6.25 大井町線尾山台 P:高橋一嘉

ちなみに、これまで伊豆急電車が東急線で運転された事例を編集部の高橋君が調べてくれました。
1961年10~11月 100形電車試運転
1966年3~4月 クハ151落石復旧のため碑文谷工場入場、試運転
1986年6月 リゾート21 田園都市線開業20周年記念
1988年4月 リゾート21 今井浜東急リゾート開業記念

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ベンガル湾沿いのコルカタからインドの北東端・アッサム州のディブルガー空港までは空路で約1時間30分。どうせヨレヨレのプロペラ機だろうと観念していたのですが、実際はきわめてまっとうなジェット機で、短い飛行時間にも関わらず機内食(ベジタリアン・オンリー)まで用意されていました。

さて、いよいよアッサムの玄関口・ディブルガー空港です。こちらは想像に違わぬ小規模さで、鉄道に例えれば亜幹線の交換駅程度の感じです。実はこのアッサム州、民族紛争が絶えず、一時はこのディブルガー便に搭乗するには入境許可証と受け入れ先のインビテーションが必須だったそうです。最近になってようやく規制が緩和されたのですが、それでもセキュリティー・チェックはかなり厳重です。

写真は機内から見たディブルガー空港の全容です。正面に見える平屋の建物が空港ターミナル(?)で、駐機場で飛行機を降ろされると、機関銃を携えた軍隊が警備する中、炎天下をこの建物までよろよろと歩かねばなりません。

ちなみに帰路もこの空港を利用したのですが、搭乗するまでに実に4回もセキュリティー・チェックを受けました。1回目は空港用地に入る門(といってもそこらの小中学校の門程度のものですが…)、2回目は搭乗ロビー(これまた小中学校の教室のような大きさですが…)、3回目は搭乗開始時、そして驚いたことに、これで終わりかと思って駐機場まで歩き始めると、何と搭乗タラップの下で軍隊がまたまたチェックをしているではないですか。しかも炎天下でチェック待ちの長い列! いやはや恐れ入りました。

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イギリス植民地時代、ブロードゲージの幹線とは別にメーターゲージの地方路線が数多く建設されました。アッサム州もその例に漏れずメーターゲージの路線網が敷きめぐらされていたのですが、ここ二十年ほどで一気にブロードへの改軌、さらには路線そのものの廃止が推し進められ、メーターゲージを目にする機会はほとんどなくなってしまいました。

写真はディブルガー空港から30kmほど行ったチンスキアの駅で見かけたインド国鉄のメーターゲージ機YG形の廃車体です。この近辺はつい数年前にブロードへの改軌と路線の統廃合が行われたそうで、改軌とともに不要となったYGクラスの廃車体をそこここで目にします。

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空港から2時間ほど、デイビッドの前任地・レド村にはそっくりそのまま軌道が残されていました。粘土山と煉瓦工場を結ぶ2ft軌道は延長1kmほど。聞けば煉瓦工場そのものが数年前のモンスーンで壊滅的被害を受け、再建の目途がたたないままになっているとのことでした。

それにしても何という光景でしょうか。例え車輌の姿はなくとも、ナローファンにとっては、無限の想像をかき立ててくれる情景です。

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レドの煉瓦工場内で発見したデイビッドの仲間の亡骸。デイビッドの仲間は1904年から1931年にかけて、少なくとも7輌がアッサムに送り込まれたようで、それぞれにトニーやらベティやらサリーやら英国流の名前が付けられ、サドルタンク横には鋳物のネームプレートが貼られていたはずです。

製造番号の刻印での鑑定を試みましたが、さすがにここまで荒廃してしまっているとそれもかなわず、いったいこの骸骨が“誰”なのかは判らずじまいでした。

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またまたおまけに、インドといえばカレーです。ところが日本の感覚でいうカレーとはまったく異なり、肉やら野菜やらジャガイモやらが一緒くたに混ざっているということはありません。どういう事かと言うと、肉のカレーなら肉だけ、豆のカレーなら豆だけが独特のマサラで調味してあるわけで、当然いくつかの種類の皿が並ぶことになります。

写真は左上がオクラのようなもののカレー、左下がチキンカレー、右上がバナナの花(!)のカレー、右下が何たら豆のカレーです。ちなみに、ヒンドゥの国ですから、当然ビーフカレーなどというバチ当たりなものはあろう筈がありません。

さらに、基本的にベジタリアン(菜食主義)とノンベジタリアンが厳格に分けられており、現地の方はまずベジタリアンですから、肉類のカレーそのものがあまりありません。このベジタリアンとノンベジとの区分は恐ろしいほどで、ノンベジタリアンはロスなどアメリカ西海岸でのスモーカーのような扱いを受けます。すなわち、都市部のレストランでは別室(当然ノンベジは末席)となっていますし、なかにはノンベジお断りの店さえあるといいます。

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さて、コルカタです。ガンジス河下流域に位置する人口1300万人を超える大都市ですが、これが想像に違わぬ混沌の街でした。さしたる観光名所もないためか、訪れる外国人観光客も少ないようで、それだけに普段着のインドを実感するには絶好の都市かも知れません。逆に、インド的混沌がちょっと苦手…という人は積極的に避けるべき場所でしょう。

ところで私たちにとってインドと言えばブロードゲージ。写真は市内を流れるガンジス河支流のフーグリー河沿いを走るインド国鉄本線です。もちろんゲージは5ft6in、メトリックに換算すれば1676㎜で、サブロクに慣れきった目からすると、何かの間違いではないのかと疑いたくなるほどの幅です。ちょうどガードレールが設置されている溝橋で撮ってみましたが、左側のガードレールと右側の本レール間がスタンダードゲージ、ガードレール間がサブロクといった感じでしょうか。

ところでこの付近の線路、いたるところに素焼きの湯のみのようなものが捨ててあります。それも破片も含めればおびただしい数にのぼります。実はこれ、車内販売の「チャイ」のコップだそうで、飲み終わると窓から投げ捨てるのが流儀(?)のようです。聞くところによれば、環境問題を懸念したインド国鉄が、しばらく前に、土に還る素焼きの湯のみ以外使用してはならぬというお達しを出したそうで、そんなこともあって犬走りは湯のみだらけになってしまったようです。

これを拾って生計を立てている人もいるらしく、確かにリサイクルにはなっているのでしょうが、日本的感覚からすると、まず何よりも走行中の列車の窓から投げ捨てるのをやめてもらいたい気がします。

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コルカタいちの繁華街チョウロンギ通り付近の街の様子です。少なくなったとはいえ、人力車もまだまだ一般の交通手段として用いられています。画面では一見静かそうな街に見えますが、それはとんでもない誤解です。なおかつ観光客然としてカメラを出していようものなら、それこそあっという間に色々な市民の皆さんから色々なお話を頂戴してしまいますから、これはコンパクトデジカメで歩きながらノーファインダーで撮ったショットです。

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インドでも路面電車は次々と廃止されてしまいましたが、コルカタにはかろうじて数路線が生き残っています。しかも嬉しいことに今もってポール集電です。今回は目的が違いますから垣間見た程度ですが、一瞥した感じでは車輌的にはあまり変化がなく、2輌(前が1等、後が2等)連結片運転台の余り面白みのない車輌です。これも時流か“広告電車”と化した編成も多く、しかも自動車との衝突で前面が派手に潰れたヤツや、側面がへこんだヤツなどが平然と客を満載して走っています。

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そんな中でちょっとした逸品に出会いました。写真の“R.S?3”なる単車の事業用車です。係員らしき人がいないため問いただすこともできず、現車をつぶさに観察しても、いったい何をするための事業用車なのか皆目判りませんでした。散水車にしては散水装置がありませんし、水槽車でもタンク車でもなさそうですし、結局その正体は判らずじまいです。

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でもかなりの年代モノであることだけは確かで、コントローラー天板にはかの“デッカ?”の文字が! もう少し待っていれば係の人が現れて正体が判ったのかも知れませんが、いかんせんこの時の気温は手持ちの温度計で42度! 軌道敷の土はもうほとんどボコボコのパウダー状となって、しかもその深さがスニーカーが半分沈むほどとあって、ほうほうの体で退散したのでした。

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おまけに、写真は今回初めて食べたインドのおせんべい“パパドゥ”なるものです。なにやら解説によればスパイシーなウルダール豆粉を使った焼煎餅だそうで、厚さは1㎜ほど。直火で網焼きにするようで、マサラが効いていてかなり辛口、ビールのつまみには絶好です。どこに行ってもあるようですが、写真のものが一番のメーカー品だそうです。やはり彼の地にも○○製菓やら○○食品やらのシェア争いがあるのでしょう。

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イントロの第1回をアップしておきながら、頸城の保存車輌公開、九州の58654のリタイヤと、立て続けにニュースが飛び込んできて拍子抜けてしまった感がありますが、気を取り直してインド撮影行第2回を始めることにしましょう。

さて、目指す目的地はアッサム州の最北にあるディブルガー空港(下図)からさらに3時間ほど。ところが、このディブルガーという地方空港、デイリーの便がほとんど設定されておらず、デリーからもコルカタからも週に何便といった曜日設定となっています。とにかくこちらは5日間という“日本のゴールデンウィーク”に合わせて往復せねばなりません。パズルのようなトランジットを色々と考えた挙句、結局、曜日の組み合わせからコルカタを起点とするしかないことが判明、SQ(シンガポール航空)で夜中のシンガポール・トランジットでコルカタへと向かうことにしました。

ちなみに、“飛びモノ”には余り興味がないため今回初めて知ったのですが、インドの航空会社は国際線は「エアー・インディア」、ドメスティック(国内線)は「インディアン・エアーラインズ」と違う会社になっています。タイトル写真はインディアン・エアーラインズのコルカタ?ディブルガー便から見たヒマラヤ山脈です。ちょっと見難いのですが、彼方の雲海の上に8000メートル級の山々が突き出しています。
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海外へ行くと、飛行機を降りてロビーに踏み込んだ途端に“その国のスメル(匂い)”があることに気付きます。ソウルはやはり韓国食材の匂いですし、中国はなにやら中華料理っぽい匂いがします。ヨーロッパはえてしてバターとパフューム系、南アジアはガラムの香りが漂っています。ではインドは…というと、当然“マサラ”、つまりはカレーの元となる香辛料の匂いが鼻腔を捉え、空港ターミナルを出る前に見知らぬ地にやってきた実感に包まれるのです。

では日本は…というと、実は私は成田に帰ってくるたびに、「いや、日本は無臭の国だな」と思っていたのですが、ある時、英国の友人に聞いたところ、「とんでもない! 醤油と焼き魚(つまりは彼らにとって死臭!)の匂いが漂っている」というではないですか。これにはびっくりしました。生まれてこのかた日本で生活している「日本人」にとって、日本のスメルは感知できなくなってしまっているだけのようです。

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コルカタ、というより私たちにとってはカルカッタといった方がわかりやすいのですが、カルカッタという名称はイギリス植民地時代の名称だということから、近年、もともとの現地名であるコルカタに改名されたようです。日本でもこの経緯をもじった肩こり薬のテレビCMがあったのを覚えておられる方も多いでしょう。

さて、写真はそのコルカタのチャンドラ・ボーズ空港の正面玄関前にずらりと並んだタクシーの列です。いまだにアンバサダーという英国ライセンスの現地生産車が主流を占めていますが、これが聞きしにまさる非力さです。いったいどういうスペックなのか弊社『カー・マガジン』スタッフを詰問したくなってきますが、とにかく力がない。市内のちょっとした陸橋でも登るのがやっとといった感じです。

まあ、とにかく灼熱のコルカタまでは辿りつきましたが、まだまだ道半ば。デイビッド君に会うにはこれからが苦難の道のりです。

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テレビ東京の経済ニュース番組「ワールドビジネスサテライト」(23:00~)の特集枠で弊社が紹介されることになりました。趣味に特化した紙媒体+ウェッブ(ホビダス)の展開に焦点を当てる特集だそうで、その中でちょうど第2号が発売になった『国鉄時代』もクローズアップされる予定です。

収録は今日(23日)の午前中で、皆さんからお送りいただいたアルバムやプリントを前に、編集担当の山下と私が打ち合わせをしている光景や、私のコメントなどが収められました。

ところで、やってきた制作会社のディレクター氏によれば、1チームが2週間に1本この特集枠を完成させてゆくフローだそうで、アイデアフラッシュから取材アポ取り、現場取材、編集、放映…と、私たち月刊ペースでの仕事からは考えられないタイトさのようです。

実は正直なところ、私たち紙媒体、ことに鉄道誌編集者にとっては、拭いきれないテレビ・アレルギー(?)があります。小誌編集部にも頻繁にテレビ製作会社から紹介依頼の電話が舞い込みますが、これが要注意です。企画内容をただしてゆくと、その大半はバラエティー番組などに「変人」としての「鉄道マニア」を出したいだけで、失礼極まりないものです。どれほど反社会的行為に及ぼうとサッカーは「サポーター」で、何もせずとも鉄道は「マニア」というステレオタイプな見方がある限り、「マニア」の側の専門誌としては、構えてかからずを得ません。

さらにテレビの場合、まず“校正”が出来ません。週刊誌や新聞の場合は、ファックスで構わないので必ずゲラをチェックさせてほしい旨の連絡をし、実際にほとんど実行していただいていますが、テレビの場合は放映前に取材先にデモ・テープを見せる風習(?)はないようで、いったいどんな取り上げられ方をしているのか、実際の放映を目にするまで判りません。

もちろん今回の取材の場合はそんな不安は無用とは思いますが、何はともあれご覧になってみてください。放映は来週7月2日(土曜日)の「ワールドビジネスサテライト・土曜版」で、23:00~です。

火を落とす58654。

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残念なニュースが飛び込んできました。JR九州の動態保存蒸機58654がリタイヤすることになったのです。実は以前より同機の不調は少なからず耳にしており、いつかはこの日がやってくるのではないかと危惧していたのですが、ついに現実となってしまいました。

人吉機関区で1975(昭和50)年3月31日に廃車となって以来、矢岳駅構内で静態保存されていた58654号機が華々しく復活を遂げたのは、今から17年前、1988(昭和63)年の夏のことです。この年はまさに蒸機復活元年とも呼ぶべき年で、北海道ではC62 3が、秩父鉄道ではC58 363が、そして年末にはD51 498が車籍復活を遂げています。

つまり4輌もの国鉄機が動態復活した記念すべき一年だったわけですが、事情は異なれ、C62 3に続いて58654が火を落とすとなると、この年に復活した半数が再び冷たい体に戻ってしまうことになります。

JR九州本社広報6月21日発表のプレス・リリースによれば「SL車両の経年83年に伴う老朽化により、SL単独での牽引運転が困難になったため、復活運転を開始した同じ日の平成17年8月28日をもってその運転にピリオドを打ち、有終の美を飾ることになりました」とあります。

さらに「SL運転終了後の取扱い」として「SL本体については復活の可能性を精査します。なお、困難な場合は保存方法も含め検討します」と付け加えられており、再び58654の元気な姿を見ることは適わなそうな気配です。

15日付けの本欄でも触れたように、動態保存機を取巻く環境は一年一年厳しさを増しています。理由こそ多少異なりますが、日本ナショナルトラスト所有のC12 164も保安機器の関係から現在運転できない状態にあります。来年にかけて全般検査入場を予定している機関車も複数あり、場合によってはそこでまた新たな問題が発生するかも知れません。いずれにせよ、8月28日以降、わが国の本線運転可能な蒸気機関車が16輌から15輌に減じてしまうことだけは確実です。

写真は昨年の「日本鉄道保存協会」の年次総会で訪れた際の58654の姿です。実は昨年の総会の開催地団体はJR九州で、石井前社長以下たいへんな歓迎でお迎えいただきました。もちろん開催地団体の58654に関する基調報告もあり、お歴々一行は熊本駅へ…ところが、そのハレの舞台に58654が不調! DE10を後補機に付けるという少々寂しいハプニングとなってしまいました。

最後に、瑣末なことですが、せっかく立派な砲金製区名札を付けているにも関わらず、寸法取りを間違えたのかえらく小ぶりです。ずっと気になっていたのですが、今となってはそれも詮無いことです。’04.9.11 立野(時ならぬ不調に乗務員のみならず心配げなJR九州スタッフ)

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昨年夏休みにJR上野駅Break Station Galleryで開催した「写真展 賑わいの上野口」に続き、来る7月16日(土)から写真展「山手線 1973年夏」??定点観測に見る山手線29駅の32年??を開催いたします。

2005年 Break Station Gallery 企画
写真展 定点観測に見る山手線29駅の32年 「山手線1973年夏」
2005年7月16日(土)?8月25日(木)
主催 東日本旅客鉄道株式会社
協力 レイル・マガジン編集部/東京都写真美術館
企画・運営 Breakステーションギャラリー運営事務局
会場 JR上野駅正面玄関口「ガレリア」2階
入場無料 会期中無休

実はこの写真展、私が1973年の夏休みに山手線29駅とその周辺を撮りまくった記録を基に、32年目の定点観測を試みてみようという企画です。

1973年、振り返れば、写真に模型にと、信じられないほどの情熱を傾けていた日々でした。こと写真に関しては、時代背景や年齢もあって、かなり“青臭い”情熱が頂点を迎えつつありました。

蒸気機関車の姿を追って日本全国を駆け巡りながらも、東京からやってきた一旅行者が、自らの日常に存在したことのない“日常風景の中の蒸気機関車”を撮ろうとする矛盾…そんなことを口角泡を飛ばして仲間と議論していた日々でしたから、1973年の夏休みにはとんでもない計画を胸に秘めていました。

貝島炭礦大之浦坑の犬鳴(いんなき)川沿いの部屋を借りて一箇月暮らす、しかもカメラも一切持たず、日常風景の中に蒸気機関車がいる生活を送る…窓を開ければコッペルやアルコがロトやセムを牽いてドカドカと通り抜け、入道雲の下からは、選炭機の音と蝉時雨が連続音となって聞こえてくる??そんな荒唐無稽な計画でした。

しかし、すぐにこの計画は破綻しました。具体的な実現の可能性よりも、シチュエーション自体があまりに“やらせ”で、さらなる自己矛盾(というより、当時の感覚からすれば「自己批判」ものの“ブルジョア趣味”!)に陥っていたからです。

そこでふと我にかえって気が付いたのが、自分の日常=身の回りの鉄道にさえ正面から向き合ったことがないという現実でした。例えば山手線。日々利用しながらも、29駅全駅降りたことさえない。これでは、鉄道は“日常風景”の中にあってこそ、などと語るのもおこがましい…というわけで貝島炭礦から一転、1973年の夏は、山手線を徹底的に撮ろうと思い立ったのでした。

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かくして1973年夏、山手線を巡る撮影が始まりました。3月には長かったベトナム戦争が一応の終結を迎え、東京は10月に勃発する第4次中東戦争、そしてあのオイルショックまでのつかの間の平穏な夏休みを迎えていました。

写真は池袋東口駅前の夜景です。現在のサンシャイン60通り入口の、ビックカメラ東口店付近には、戦後の闇市時代を引きずっているようなバラックの一杯呑み屋がありました。折りしもこの年にスガモプリズン=東京拘置所跡地の再開発が着工され、以後、池袋東口一帯は猛烈な勢いで変貌を遂げてゆきます。

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蒸し風呂のような真夏の東京は、それでも今から比べればまだまだ凌ぎやすかった気がします。「まぁるい緑の山手線」とうたわれた103系には当然冷房などなく、開け離した窓からの風だけが頼りでした。そしてあの頃はどこへ行っても、アパートのテレコからはかぐや姫の「神田川」やガロの「学生街の喫茶店」が聞こえていました。

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実はこの時から、いつかは「定点観測」をしてやろうという密かな企みがありました。今回の写真展はその意味で私にとって32年ぶりの企みの実現でもあります。上野駅中央改札前(2F)のステーション・ギャラリーとはいえ、場所は少々わかりづらく、しかもスペースもそれほど広くはないため、実際に展示できるのは十数駅分で、他は会場入口で常時流しっぱなしにするDVDのスライドショーでご覧いただく形となります。オープン時には改めてご案内いたしますが、すくなくとも会期中、上野駅が開いている時間は無休・無料でご覧になれますので、撮影行のお帰りにでも是非お立ち寄りください。

ラストの写真は歩行者天国の銀座です。3年前、つまり1970年の8月に始まった歩行者天国は、高度経済成長と、そして敗戦後30年に満たないこの国の平和の象徴でもありました。日本初のマクドナルドが銀座に開業したのは2年前、歩行者天国でハンバーガーを食べるのが流行の最先端だった時代です。

甦る“マルケー”。

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昨日(6月19日)、新潟県上越市頸城区の旧頸城鉄道百間町機関庫で、30余年振りの里帰りを果したホジ3などのお披露目が行なわれました。その社紋から"マルケー”の愛称で親しまれ、今なお根強い人気を誇る頸城鉄道だけに、たいへんな賑わいだったようです。プライベートで現地に行ってきた編集部・高橋一嘉君から、さっそく当日の画像とレポートがきましたのでご紹介してみましょう。

このホビダス・ニュースでも告知しただけあって、いつもは静かな百間町も、県内外から駆けつけた多くのファンで時ならぬ賑わいでした。昔と同じ場所に現存する旧機関庫は、旧頸城村の街づくりを進める「くびきのお宝のこす会」により、「頸城鉄道展示資料館」として整備が進められており、以前から保管されていた2号機(コッペル製Cタンク機)に加え、今回、里帰りしたホジ3やDC92、客車、貨車なども納められるようになっています。今回の展示では、人力によってホジ3、コッペル2号、DC92が屋外に引き出されました。写真は実に33年ぶりに再会を果たしたホジ3とコッペル2号機です。

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西武鉄道山口線から戻って以来、頸城村で大事に保存されてきたコッペル2号機もひさしぶりに太陽の下に…。磨き抜かれたボイラが、これまでどれほど大事にされてきたのかを物語っています。

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コッペルやホジの影に隠れて目立たない存在でしたが、DB81(森)とDC92(協三)、それに十勝からやってきたDC123(日立)の3輌のディーゼル機関車も、忘れてはならない頸城の顔です。それにしても30年間にわたって六甲山中のトンネルに保管されていただけあって、DC92の状態は驚くほど良いようです。ひょっとすると再起できるかも…?

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こちらは客車を改造して誕生した頸城鉄道名物ホジ3の室内。木造軽便客車の真ん中にエンジンを取りつけて気動車化した稀代の珍車です。室内中央に出っ張っている木製の箱状のものがエンジンカバーです。('05.6.19 P:高橋一嘉)

この頸城鉄道車輌の公開、次回の日程は未定ですが、今回の大好評を受けて遠からず第2回が企画されることと思います。その際はまたホビダス・ニュースでもお知らせしたいと思います。

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昨年のゴールデンウィークは、5日間の連休を使って、念願だった「デイビッド」に会いにインドへと行ってきました。突然デイビッドなどと言われても、その筋の人でないかぎり判ろうはずもありませんので、最初にプロフィールをご紹介すると、デイビッドとは、1924(大正13)年英国はバグナル製のBサドルタンク機で、トニーやらベティやらの仲間とともに、宗主国・イギリスが植民地だったインド・アッサム州に送り込んだものです。

何しろ80年から昔の話ですから、当然“絶滅”したと思われていたのですが、十年ほど前にアッサム州の煉瓦工場に“生存”していることが報告され、その筋では世界的衝撃として情報が飛び交いました。本誌でも高野陽一さんが渾身のレポートを寄せてくださり、いちはやくその姿を誌面で紹介することができました。

ところがこのアッサム州、独立運動等の影響もあって渡航が制限されており、その後はなかなか情報もなく、件の煉瓦工場がトラックに転換した…という外電を最後に消息が途絶えていました。当然、私も含めて誰もがとっくに廃車解体されてしまったものと諦めていました。

デイビッドのことをすっかり忘れかけていた昨年春先、世界の現役蒸機情報のポータルサイト“International Working Steam Locomotives”にとんでもないニュースが掲載されました。煉瓦工場で不要となったデイビッドが、さらに奥地にあるティポング炭礦に移籍して再起している、というのです。

これはもう何をおいても行かねばなるまい。雨季に入る前、といってもGWの5連休ではかなりのハードスケジュールです。なにしろ現地に到達するまでに2日は必要ですから、5連休とあっても実質現地に丸々いられるのは1日のみ。それでも、えいやっとばかりインド、しかも辺境の地・アッサムへと向かいました。

同行はRMライブラリー『国鉄蒸機の装備とその表情』の著者でもあり、ナロー蒸機にもきわめて造詣の深い西尾恵介さん。まさに珍道中ではありましたが、収穫は大きく、忘れられない5日間となりました。この時の報告は英国の“Narrow Gauge News”2004年7月号(No.263)に掲載しましたが、今回はこのインド行の顛末を、誌上ではご紹介しにくい周辺情報も含めてご覧にいれましょう。ただし、時事的な話題を優先してアップするため、紙媒体で言うところの「不定期連載」となりますので、その点はあしからず。

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おくればせながら、旧新橋停車場二階の鉄道歴史展示室で開催されている企画展「蒸気機関車?動輪が刻んだ時代(とき)」を見てきました。会期が4月5日から7月18日までの三ヶ月余りですが、近いだけについついその日延ばしになってしまい、オープンから二ヶ月以上経っての訪問です。

この企画展、トレビシック200年を記念して企画されたものだそうで、展示品の多くは交通博物館からの貸し出し品です。とはいっても、明治期の機関車の製造銘板や、なかにはC63の計画組立図(青図/JR東日本大宮車両センター所蔵)のようにめったに実物を拝めない逸品もあって、まさに眼福、一見の価値はあります。

これでいて無料というのもありがたい話ですが、週末にも関わらず、残念ながら会場は閑散としており、少なくとも私が観覧している間には、ほかに一組お客さんが入ってきただけでした。

実は今回の展示には微力ながら小誌編集部もご協力をさせていただいています。また、掲示されている変遷年表の蒸気機関車イラストは、小誌付録リフィールでご好評をいただいている片野正巳さんの作ですし、少なからずご縁があります。それだけに集客の“予実対比”はどうなのだろうか、企画展として成功裡に幕を閉じることができるのだろうかと、少々心配でもあります。

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さて、JR東日本が企業メセナの一環として興した財団法人東日本鉄道文化財団が運営するこの旧新橋停車場は、今から2年ほど前の2003年4月にオープン、これまでにいくつもの企画展を実施しており、今回の「蒸気機関車?動輪が刻んだ時代(とき)」は7回目の企画展となるそうです。

新橋駅から徒歩数分ほどの位置にあるこの旧新橋停車場は、汐留再開発の際に発掘された国の指定史跡「旧新橋停車場跡」を保護しつつ、現行の建築基準法などの法令に則って再建されたもので、一階には常設展示コーナーのほか、小洒落たレストランも入っていて、平日のランチタイムなどはなかなかの賑わいを見せています。南側には短いながらも双頭レールを使った復元軌道(下写真)も敷設されています。

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ちなみにこの復元軌道、車止め側がやたらとバラスを被っているように見えますが、実はこれが明治期の一般的なスタイルで、枕木が隠れるまで土砂を被せます。手前は双頭レールなどの構造が判るようにあえて枕木を露出させているものと思われますが、この辺の時代考証や、展示の細やかな心遣いはさすがです。

この旧新橋停車場、都心にあるにも関わらず、意外とお出でになった方は少ないようです。残すところ一ヶ月ほどとなったこの企画展「蒸気機関車?動輪が刻んだ時代(とき)」開催中に、ちょっとのぞいてみられては如何でしょうか。

150円の領収書。

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どちらの会社も大同小異かと思いますが、弊社も経費の精算には原則として「領収書」が必要です。しかもお願いしている監査法人からのアドバイスもあって、基本的に正式社名の宛先がない(つまりはよくある「上様」のたぐいの…)領収書は、経理部から突き返されてしまいます。そのほかにも精算期限やらなにやら細かい決まり事があり、それを踏まえた上で、各自のパソコンから社内LANを通じて経理ソフトに入力することになるのですが、唯一、領収書を必要としないのが近場の移動にかかる「電車代」です。

先日、編集部でアルバイトをしている大学生の松本浩司君に簡単な取材に行ってもらいました。事後報告とともに渡された領収書の中に見慣れぬ紙片が…。何と渋谷~都立大学間150円也の領収書ではないですか! 東京急行・渋谷駅発行のこの「領収書」、日付・時間はもとより、伝票番号から果ては「印紙税申告納付につき渋谷税務署申告済」の文言まであります。

実は松本君、とにかく何でも領収書が要るものと勘違いしてもらってきたらしいのですが、まさに瓢箪からこま、新幹線ばかりか、通常の券売機でもこの領収書発行機能があることを私はまったく知りませんでした。金額ボタンを押した後、ディスプレーの左下に出る「領収書」のアイコンをタッチすると切符と一緒に領収書が出てくるそうで、次回切符を買う時(定期券やパスネットなどでなかなか「切符」を買う機会がないのですが…)には是非とも試してみたいと思います。

「領収書」の話題ついでに、出版業界では有名な領収書に関する笑い話をひとつ。バブル華やかなりし頃、出版界一羽振りの良かったある会社の編集部員がタイに海外ロケに出かけました。果たして取材かどうかも怪しいものですが、とにかく現地で目の玉が飛び出るほどの散財をしてしまったそうです。当然「領収書」などあろうハズもありません。考えあぐねた挙句、そうだ、現地で撮影用に“象”を買ったことにしようと思いたち、象ナンボの領収書をでっち上げました。受け取った経理担当も素直に納得するわけがありません。だいいち“象”はいくら位するのか…経理担当は動物園に聞いてみることにしました。「○○社ですが、タイで象はいくら位するものなのか教えてもらえませんか」。すると、電話に出た動物園の担当者、「ついさきほどもお宅の編集部から同じ質問がありましたが?」??この業界で語り継がれている伝説のひとつです。

名残の「交博」。

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沖田佑作さんと交通博物館前で待ち合わせ、今や沖田さんのライフワークとなっている『機関車表』の進捗状況をうかがいました。自費出版のため、ご存知の方はそれほど多くないかと思いますが、『機関車表』とは、国鉄・私鉄を問わず、わが国に存在したすべての機関車の形式・番号、製造年、メーカー、製造番号、軸配置、自重、廃車年を表にまとめたもので、1400頁(第3版)にもおよぶ膨大な資料です。

1970年代から延々と、気の遠くなるような膨大な時間と労力を掛けて築き上げてきたデータは、前回拝見した時よりもさらに収録項目を増やしてバージョンアップし、その蓄積は実に520メガバイトに達しているとのことです。

沖田さんと最初にお会いしたのは、私が高校生の時でした。朝日麦酒大阪工場の構内軌道で使用されていたガソリン機関車について書かれた雑誌の記事について、生意気にもお手紙を差し上げたのが発端でした。まさか高校生、とはお思いにならなかったのか、その頃、毎年1月15日の成人の日にご自宅で開かれていた新年会にお招きいただき、初めてお会いしたのでした。

雑誌上でしか存じ上げない著名なファンの方々が次々とお年賀にお出でになる中で、場違いな小僧はひとり舞い上がってしまいましたが、この時に初めてお目にかかったお一人が、現在、本誌でも精力的にご執筆いただいている鉄道史研究家の三宅俊彦さんでした。いずれにせよ、和服姿でにこにこと接客下さる沖田さんは、この当時から、日本に存在したすべての機関車をデータとして後世に残したい、と熱い思いを語っておられました。すでに“執念”の域となっているこの沖田さんの『機関車表』に関しては、いずれまたご紹介してみたいと思います。

閑話休題。待ち合わせ場所の交通博物館は、そぼ降る雨の中、心なしかひっそりと静まり返っていました。エントランスには「閉館イベント」の告知が…そう、大宮に新設される鉄道博物館に後を譲って、来春にはその長い歴史に幕が下ろされるのです。

1921(大正10)年のオープン以来、戦前・戦後を通して日本の鉄道文化の発信基地であり、ことに「鉄道友の会」をはじめとして、ファン同士を結びつける“場”としての役割は計り知れないものがありました。かく言う私にとっても、交通博物館、いや「交博」は、個人的にも決して忘れることのできない場所です。

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遠征資金を捻出するために、学生時代はいろいろなアルバイト(といってもほとんどが鉄道がらみですが)を掛け持ちしていましたが、そのひとつが交通博物館の資料室でのアルバイトでした。夏休み期間中は図書室で「質問相談員」を、他の時期には、当時未整理であった鉄道省文書認可書類付図の整理など、社会勉強としてもたいへんにお世話になりました。

それだけに、あの「交博」が消えてしまうのは、私にとっては自分の歴史の一部が消えてしまうような気さえして、何ともいたたまれないものがあります。
写真は70年代中盤の夏休み、相談員を務めている私です。左は資料課の佐藤豊彦さんで、この時私が作った「相談コーナー」の札を、その後も十年近く大事に使ってくださっていました。

C57 158の解体。

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九州の読者の方から衝撃的な画像が送られてきました。北九州市門司区の大里(だいり)児童館に保存されていたC57 158(1972年2月7日付早岐機関区で廃車)の解体映像です。それも何もここまで…と思うほど完膚なきまでに切り刻まれてバラバラ、蒸機ファンのみならず、目を覆いたくなる光景です。'05.6.2

このC57 158に限らず、最近になって、長年保存されてきた保存蒸機があえなく解体されてしまった、という話をたびたび耳にします。国鉄本線上から現役蒸機が姿を消して間もなく30年。高度経済成長の蒸機末期には、“SLブーム”の余波を受けてか、蒸気機関車を保存することさえブームのように熱を帯びてきた時期がありました。

しかし、屋根付きの展示場ならともかく、30年以上にわたって風雨に晒されてくれば、いくら「金属」とはいえ精魂尽きてしまうのは当然です。もちろん、機関区OBの方たちが中心となって地道な保守を続けておられるケースも少なくありませんが、それとて抗し難い高齢化の波の中で、今後の不安は拭いきれません。

一方で、このところ動体保存蒸機の不具合を頻繁に耳にします。もちろんボイラや主台枠といった基幹は別として、給水ポンプ(…これは本当に予備品が払底しています)など補器類の不調が少なくないようですが、交換部品も心許ないのが現実です。JRの場合、“貸与”先の保存機を調査、予備品として再利用できる補器類は、ケ-シングだけ存置して中身を回収するなどの方策を講じたものの、今ではさすがにそれも限界を迎えています。

となると、今後もっとも重要なのは保存鉄道間のネットワーク作りです。今回のC57 158にしても、解体が事前に判ってさえいれば、給水ポンプが、空気圧縮機が、分配弁が、はたまた逆止弁がと、手を挙げる保存鉄道もあったかも知れず、そう考えるとなんとも残念な限りです。現在、日本ナショナルトラストが中心となって、保存団体間を連携する「日本鉄道保存協会」が地道な活動を続けていますが、今後はより連携を深め、やむなく解体される保存機がいれば、せめて再利用できる“骨”を拾うことが不可欠ではないでしょうか。

犬顔の犬釘

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PC枕木の普及や、昨今ではスラブ軌道化の進展などですっかり目にする機会の少なくなってしまった「犬釘」ですが、今となってはそのアナログな温もりが妙に懐かしくもあります。廃線跡などを歩いていると、赤錆びた犬釘が土砂に埋まるように落ちていることがあり、小さな犬釘が過ごしてきた歳月に想いを馳せることもしばしばです。

長いことこの趣味を続けていると、こうして拾ってきた犬釘たちも結構な数となってきました。あえて錆も落とさず、ひとつひとつPP袋に入れて、拾った年月日と場所を記入し、どちらかと言えばぞんざいな扱いで保管しているのですが、そんな中にもお気に入りの“逸品”がいくつかあります。

そのひとつがこれ、長さ85㎜ほどの小さな軽便用犬釘ですが、ご覧のようにその頭はまさに犬の顔! 極めて古い犬釘は頭部が犬の顔をしているのですが、これだけ表情が感じられるのも稀です。

この犬釘、ずいぶんと前に東武鉄道の館林機関区の給水スポート付近で拾ったもので、その大きさから6kg/m程度の極小軽レール用のものと思われますが、いったいなぜ館林の庫の脇に落ちていたのか…館林起点の中原(ちゅうげん)鉄道は3’6”軌間だし、だいいち開業が20世紀に入ってから、付近の古い馬車鉄道といえば安蘇馬車鉄道が遠くはないが、やはりこちらも3’6”…、と謎は深まるばかりです。ひょっとすると中原鉄道側のホームから、かなり大規模に軌道を巡らしていた正田醤油の軌道(1’8”)あたりのものなのでしょうか。

私が持っている軽レール用の犬釘で犬顔のものは現在3本。1本はつい先頃、南大東島に廃線跡探訪に行った広田 泉さんからお土産にもらったものです。こちらはさすがに南海の孤島で幾星霜、ほとんどポロポロの状態に芯まで錆びていて、お犬様の表情は詳しく見てとれません。

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手元の『軌道構造及保線』(1942=昭和17年鉄道工学会発行)には、「第34図の如きものでその頭部が一見犬の頭部に似て居ると云ふので犬釘の名稱がつけられたと云はれて居る」とあり、その三面図が掲げられています。今までの経験からすると、3’6”の37kg/m以上用の「犬顔」は稀に見掛ける機会がありますが、この図にあるように“耳”はあるものの、上部から見て単純に凸型をしているケースが多く、より犬顔に近いものは軽レール用のものに多いような気がします。

ところで犬釘は英語でも“dog spike”ですが、レールの遊間を締結する継ぎ目板は“fish plate”と言います。釘が犬なら、板は魚なわけですが、さすがに魚の形をした継ぎ目板は見たことがありません。

気前の良い時刻表。

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6月10日の金曜日に東急大井町線、池上線、多摩川線、世田谷線のダイヤ改正が行なわれました。弊社の地元・東横線は別段変更はないのですが、駅貼りの告知ポスターに「時刻表」が必要な方は差し上げますとあります。これが、よくあるポケット時刻表の類かとお思いでしょうが、さにあらず。驚いたことにB5判192頁の立派な「本」ではないですか!

恐ろしく気前の良い話ですが、限定3万部の頒布だそうで、まさに引く手あまたのようです。写真は、地元・都立大学駅で通過する5050系急行をバックに、ちょうだいした時刻表を記念撮影!

タダよりありがたい話はないのですが、紙媒体を生業としている出版人としてはちょっと複雑です。ご存知のようにここ一年ほどで「フリー・ペーパー」と呼ばれる無料の雑誌(?)が急増、従来の広告冊子の枠を超えて、下手をすると老舗週刊誌より記事内容が面白かったりすることさえ稀ではありません。ウェッブの進化とともに、よほど気合を入れ直さないと、鉄道雑誌もうかうかしていられない時代になりつつあるのかも知れません。

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ひさしぶりに新額堂さんにうかがい、『レビュー』最新号を購入。『レビュー』とは、英国の“NARROW GAUGE & INDUSTRIAL RAILWAY MODELLING REVIEW”誌のことで、私の愛読書(?)のひとつです。ナローゲージ・モデリングの世界では、『ガゼット』と通称されるアメリカの“NARROW GAUGE AND SHORT LINE GAZETTE”誌が有名で、こちらも定期購読していますが、マニアックとされる『ガゼット』をはるかに飛び越して、『レビュー』誌はかなりアブナイ世界へと突き進んでいます。

最新号は架空索道の「搬器」をカラーでフューチャー! もちろんシャープ・スチュアート製B1タンクの製作記事(といっても、これまた5.5㎜スケール=1/55にも関わらずチェーン・ドライブ!)といった“鉄道モノ”もあるものの、毎号インダストリアル・イクイップメント、つまりはベルコンやらクレーンやらといった類が、大手を振って前面に出てきているのが最大の特徴です。

この『レビュー』誌、一応クウォータリィ、つまりは年4回発行の季刊ということにはなっていますが、そこは何ともおおらかで、いつ次号が出るものかさっぱりわかりません。もちろん『ガゼット』誌のように定期購読すれば良いのですが、後述のように少々事情もあって申し込んではいません。そうなると国内で入手できるところは数件しかなく、しかも、バックナンバーも含めて取り扱っている模型屋さんは、今では東京・練馬の新額堂さんくらいです。

新額堂さんは、オーナーの竹中さんのご自宅地下を改造した店舗で、アメリカ型ナローを趣味とする竹中さんのこだわりがそこかしこに散りばめられています。けっして広くはない、というより正直言って狭い店内は、数人入れば身動きがとれないほどです。それでも何とも評し難い居心地の良い空間に感じられるのは、量販店にはない、売り手と買い手の関係を超えた“何か”が存在するからでしょう。

新額堂さんのご本業はその名が示す通り、絵画用の額縁屋さんです。表通り側には額縁のショールームがあり、かつてはこのショールームに鉄道模型も同居していました。ちなみに、私の亡き父は画家で、数年前に遺作10点ほどを額装する際は、ナローゲージ繋がりで竹中さんにお願いして素敵に仕上げていただきました。そうそう、この新額堂さん、営業日が毎週月・火と祝祭日、それに第2、第3土曜日だけとかなり変則的ですので、お出でになる際はご注意のほどを。詳しくはRMモデルズの広告をご覧あれ。

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これが『レビュー』誌最新号(62号)。同誌はマイケル・ブラウンさんを発行人、ロイ・C・リンクさんを編集人として1989年に創刊(写真左が創刊号)しましたが、その後、紆余曲折があってリンクさんが編集・発行人となって今日に至っています。リンクさんが発行人となった時点で、誌名から“NARROW GAUGE”と“RAILWAY”が取れて、「鉄道」を標榜しない『インダストリアル・モデリング・レビュー』に誌名変更するとの噂もありました。

そのリンクさんと会ったのは、創刊して数年目のロンドンのコンベンション会場です。まだブラウンさんも同じブースにおられ、事前に渡航を伝えていたこともあって、わずかな時間で意気投合(少なくともこちらはそのつもり…)、帰国後さっそくRM本誌を、その後はRMモデルズ誌を定期的に献本していました。

ところがある日、リンクさんから一通の手紙が。いわく、「あなたの雑誌はインダストリアル・ナローゲージと関係ないので、もう送っていただかなくて結構」…いや、正直これには参りました。日本的感覚からすれば嘘も方便、もう少し婉曲な表現もあろうかと思いますが…。ともかくその一件以来こちらも引いてしまい、音信は途絶えたままとなってしまっています。

それでも『レビュー』誌と、リンクさんがプロデュースする7㎜スケールの模型製品の数々は、個人的には今なお私の最もシンパシーを感じるアイテムであり、毎回『レビュー』誌を手にするたびに、なにやら失恋にも似たほろ苦い思いに包まれるのです。

8007Fを見送る。

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2日の本欄でご紹介した荻原二郎さんから、10日の午前中に東急8007Fの廃車回送を撮りに行くが…とのご連絡をいただきました。90歳を迎えられた荻原さんの撮影風景を拝見できる絶好のチャンスとあって、さっそく広田尚敬さんに連絡。今回の荻原さんのRMライブラリー編集に際してアンカー役をしていただいた関田克孝さんにもお出ましいただいて、武蔵小杉駅へと向かいました。

菊名を5:47に発車、急行で渋谷へ向かい、折り返して各停運用で元町中華街へ、元町中華街から急行で渋谷まで往復し、折り返して各停で元住吉9:22着…けなげにも朝から目一杯の営業運転をこなした8007Fは、方向幕を「回送」に替えて長年住み慣れた元住吉を10:51に発車。武蔵小杉の渡り線で直接目黒線へと入り、大岡山駅引き上げ線で方向転換、17分停車の後、大井町線を通って11:29.30に二子玉川着、1分停で田園都市線に入り、終焉の地・長津田には12:01着という行路です。

東京の梅雨入りが発表されたのに合わせるように、どんよりと曇った空からはパラパラと雨粒が落ちていましたが、8007Fの通過を目前にして本格的な降りとなってきました。「回送電車の通過です」――無味乾燥な機械音声が流れると、やがてせわしなくワイパーを作動させた8007Fが目の前を通過してゆきます。1970年3月以来、35年の生涯でした。

去る者もあれば生まれる者もあります。8007Fが長津田に到着してわずか50分後の12:52、今度は8007Fに代って元住吉検車区に新製配置される5158Fが長津田を後に、廃車回送の逆経路で元住吉へと向かってゆきました。

十年ぶりの私鉄電機誕生!

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モーダルシフトの波に乗って快進撃を続けるJR貨物は別として、JR・私鉄を問わず「機関車」受難の日々が続いています。こと私鉄の電気機関車ともなると本誌259号でも特集したように、現在車籍を持つ私鉄電気機関車は所属20社総計93輌(3’6”軌間)。しかもその大半は定期の仕業を持たず、定期運用があるのは秩父鉄道、岳南鉄道、三岐鉄道、それにアプト区間の大井川鐵道だけという寂しい状況です。

そんな中、思いもかけぬところでニューカマーが登場しました。東京都交通局です。都営地下鉄大江戸線の車輌の検修を浅草線の馬込車両検修場で実施するのに伴い、その牽引用として新製されたのがこのE5000形電気機関車です。検査入場する大江戸線車輌は汐留まで自走し、そこから大江戸線と浅草線を結ぶ汐留連絡線を通って西馬込の馬込車両検修場までこのE5000形に牽引されてゆくことになります。

車輌限界の小さい大江戸線に対応して、大井川鐵道井川線のDD20を連想させる小さな車体には、IGBTによる3VFインバータ制御をはじめハイテク機器がぎっしり。しかも片運転台の2輌永久連結構造とあって、ひと目現物を拝んでみたいものですが、検修車輌の入出場は当然営業時間外。残念ながら現車を目にする機会はなさそうです。

ちなみに、JR以外の電気機関車の新製は、1994年4月に黒部峡谷鉄道のEDR33(日立製)が誕生して以来、実に11年ぶりのことです。2'6"軌間を別とすれば、何と1989(平成元)年に大井川鐵道井川線のED90が製造されてから16年間も“新車”が途絶えていたことになります。

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スタイリッシュな運転台はとても機関車とは思えません。ちなみに今回製造されたのはE5001+E5002、E5003+E5004の4輌2編成。詳細は21日発売のRM本誌にて…。'05.5.18 高松車庫(光が丘) P:RM

会心の一日…?

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弊社社長・笹本健次が本日付の自らのブログに「会心の一日」と題して頸城鉄道の撮影行(上写真)について書いています。この世界ではすでに多くの方がご承知のように、社長・笹本も大変な鉄道好きでして、1970年代初頭の『鉄道ジャーナル』誌の表紙を何回も飾っています。この6月1日からスタートしたRMのブログ「消えた車輌写真館」でも、パラボラのキ273をはじめ、その多くは笹本の撮影によるものです。仕事柄、いろいろな方のネガを拝見する機会がありますが、およそ笹本ぐらい全国津々浦々、それこそC62から得体の知れないナローまで撮りまくっている人物も稀です。雑食(失礼!)と言ってしまえばそれまでですが、何にでも興味を持ち、レンズを向ける貪欲さと、その行動力には正直脱帽します。さらにその写真が決して"下手ではない"ときているから、何とも複雑です。学生時代、一時はプロカメラマンを目指そうか、という時期もあったやに聞いていますが、独特の(お気に入りの)ローアングルの絵には、確かに並々ならぬ被写体への「情念」が写り込んでいるような気がします。今後は笹本本人のブログでも鉄道の話題がたびたびアップされることと思います。こちらもご注目ください。

さて、その頸城鉄道ですが、小誌257号でお伝えしたように、六甲山中に保管されていたDC92やホジ3が33年ぶりに地元・百間町に戻り、来る19日の日曜日にはじめてのお披露目が行なわれます。詳細はトップページのニュース欄をご覧ください。

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第1号でたいへんご好評をいただいた『国鉄時代』ですが、この21日にいよいよ第2号が発売です。担当の山下はここ連日夜っぴいて校正三昧です。第2号のアピールかたがたひとこと挨拶を…と申しております。
やっと表紙ができあがりました。表紙も凄い迫力ですが、中身はもっと凄い! 重連、三重連のオンパレードです。補機といえばやはり蒸気機関車の見せ場です。今回は「まりも」、奥中山、花輪線から城東貨物線まで、熱気に溢れた記事が集まりました。煙が目に染みる第2号です!

…この第2号、山陽本線のC62+20系特急の同時録音カラー動画(!)などお宝映像がたっぷり55分入ったDVDも付録につきます。ご期待あれ。

ただいま校正中です。

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湯口 徹さん渾身の大作『内燃動車発達史』の下巻=戦前メーカー編の校正作業がいよいよ大詰めを迎えています。予定では今頃店頭に並んでいるはずでしたが、直前になって新資料が続々と発見され、大幅な加筆をお願いすることとなりました。7月下旬には発行できるよう現在最終校正中ですので、今しばらくお待ちください。ところでこの本の校正、内容が内容だけにひと筋縄ではゆきません。毎日通勤電車の中で校正紙に目を通し、引っかかった部分は自宅の資料をひっくり返して確認するという作業の繰り返しです。

引っ張り出してきた資料の中でちょっと面白いものをお目にかけましょう。川崎車輌の金名鉄道(→北陸鉄道)向け40人乗りガソリン動車の仕様書です。1931(昭和6)年2月19日の日付印があり、金名鉄道の内燃化(1931年7月1日付瓦斯倫動力併用認可)に向けて代理店の浅山商会がプレゼンしたものと思われます。結局ライバルの日車に発注が決まってしまい、この車は幻と終わったわけですが、見積金額で負けたか、はたまた別の要因があったのか、すっかり色褪せた70年以上前の仕様書に、しばし校正の手を止めて思いを馳せてしましました。

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湯口さんの考察(下巻参照)では、この当時の鉄道資材は中古の場合現金決済が通例、新品の場合は間に代理店が入って割賦支払い(しかしかなり高利の…)可能で、資金力の乏しい新設小鉄道はいきおい割賦の利く新品に頼らざるを得なかったとのことです。資金がないから中古ではなく、資金がないから新品なわけです。
さてこの「仕様書」、その辺の支払い条件に関しては記載がないものの、見積によれば総金額「七千九百円也」、ただし「エヤーブレーキ装置ヲ取付クル場合ハ壱輌ニ付金九百廿円也増値申受度コト」とあり、引渡し場所は「金名鉄道神社前駅渡ノコト」となっています。最後には「シート地見本」としてモスグリーンの実物モケット片が貼り付けられており、「色合選択御随意」とあるのも泣かせます。

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添付されている昭和5年11月18日付の作図印がある50分の1図(ネガポジ反転・実際は青図)。エンジンはブダKTU、変速機はフラーSU-12。折畳み手荷物台付。実際に導入された日車キハ1に手荷物台はなく、5年後に設置認可(上巻181頁参照)されていることを思うと、こと金名の手荷物台に関する限り、川車の方が先見の明があったようです。

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今月21日発売のRM263号は、この時期恒例となった貨物列車特集です。毎年ご好評をいただいている運転時刻表・運用表・配置表をまとめた付録別冊『FREIGHT TRAIN SPOTTER’S GUIDE』は、列車毎の積載品目表を加えてさらにパワーアップ、実に総頁124頁の大冊となってお届けします。

この特集にあわせて読者の皆さんから多くの作品をお寄せいただきました。実はこの「貨物列車」というテーマ、数ある募集の中でも毎回圧倒的な作品数が集まります。今回も実に3000点を超える作品を頂戴しましたが、その作品レベルが高いことも特筆されます。さらにはブローニー・フィルムでのご応募が多いことも特徴的で、全国津々浦々、いかに多くの方が貨物列車に真剣な眼差しを注いでおられるかがひしひしと感じられます。

さて、表題の写真は先日石巻線涌谷-前谷地間で捉えた専用貨物第5665列車の姿です。東日本エリアでは数少ないDL牽引の貨物列車とあって、今回の特集にも多くの作品が寄せられました。列車が出てくる鳥谷坂隧道(133m)は、前身の仙北軽便鉄道が国有化され1934(昭和9)年に3ft6in軌間された際に築造されたと思われる煉瓦積み(イギリス積み)のポータルを残しています。'05.5.14 涌谷-前谷地

ところで、この場所で気になったのが枕木端に並べられたコンクリートのブロックです。あまり他所では目にしたことのないもので、いったい何のための設備か気になっていました。

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この写真でおわかりのように、木製枕木の端に整然とコンクリートブロックが締結されています。いずれ調べてみようと思いつつそのままになっていましたが、昨日、同行したRGGの荒川好夫さんがわざわざ調査結果をお電話くださいました。お話しによれば、同区間は定尺25mレールをロングレール化したものの、枕木はPC化されておらず木製のままとなっており、気温差によるレールの膨張収縮を抑えるためのレールプレスチョックの役を担っているのがこのコンクリートブロックなのだそうです。そう言われてみると、ロングレールに木製枕木の組み合わせというのも珍しく、まだまだ“模「景」を歩く”材料は全国にありそうです。'05.5.14 涌谷-前谷地

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最後に、旅客駅でないだけにあまり目にする機会のない石巻港駅駅舎の写真をお目にかけましょう。石巻線の貨物列車の発着駅・石巻港は、リンクの1:25000地形図でおわかりのように、実は石巻線ではなく仙石線陸前山下駅から分岐しています。石巻駅に到着した下り貨物列車はスイッチバックする形で陸前山下に向かい、そこからJR貨物の第一種鉄道事業区間である陸前山下-石巻港間(1.8km)へと入っていくのです。チャンスがあれば、意外に知られていない各地の貨物駅を訪ねてみるのも面白いかもしれません。'05.5.14 石巻港駅

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現在発売中のRM LIBRARY『昭和10年東京郊外電車ハイキング』(上)の著者・荻原二郎さんは先日、5月29日に90歳のお誕生日を迎えられました。齢90のおじいさん(失礼…)というと、どうもマイナスイメージが先行してしまいますが、こと荻原さんに関してはまったく別です。多少お耳は遠くなられていますが、今なお現役のファンとして撮影にも出ておられます。現在追っておられるのは,近々運用離脱予定の東急の8007Fだそうで、驚くべきことに、毎朝インターネットで運用状況をリサーチして撮影計画を立てられるのだとか。小田原急行鉄道(現在の小田急)の建設工事からご自分の目で見てこられた方が、2005年の今日も「現役」として趣味をお続けになってなっているのは、私たちにとっても何とも痛快無比ではありませんか!

そんな荻原さんと鉄道写真との長いお付き合いを伺おうと、今日(2日)は広田尚敬さんと世田谷のお宅を訪問しました。いかにも世田谷、といった閑静な住宅街にあるお住まいは、昭和8年にお父様がお建てになったという瀟洒な木造住宅です。木製の重厚な玄関の幕板部に嵌め込まれた飾り硝子や、最近の建築では考えらないほど高い天井の応接間等々、半世紀以上も前の撮影行をまるで昨日のことのように抜群の記憶力で語られる姿とあいまって、さながらタイムマシーンでも乗ったかのようなインタビューでした。上の写真は、これまた神業的雰囲気作りでカメラの存在を消し去ってポートレートを撮影中の広田さんと、ミランダ・センソレックスを手にした荻原二郎さんです。このインタビューは、これからさらに追加取材を加え、今夏発売の『鉄道写真2005』誌上で詳細にお伝えする予定です。

と言いながらもうひとこと。このミランダ、別に荻原さんが愛用されていたものではありません。ではどうして…、何と、ミランダカメラの前身=オリオン精機産業は、東大を出て海軍の航空機開発をしていた弟さんが戦後に興した会社だそうで、わが国初の試作ペンタプリズム式一眼レフをはじめ、初期のミランダカメラはほかならぬこの家で組み立てらてたものなのだそうです。その辺も広田さんの『鉄道写真2005』にご期待あれ!
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荻原さんのRM LIBRARY『昭和10年東京郊外電車ハイキング』下巻は間もなく発売です。表紙は1939(昭和14)年8月9日に撮影された東京高速鉄道渋谷駅。現在の銀座線が新橋を境に東京地下鉄道と東京高速鉄道に分かれていた頃の写真です。現在の銀座線渋谷駅をご存知の方にとっては、あまりに雰囲気がそっくりなのが逆に新鮮かもしれません。なお、実は原画は縦横比がもう少し横長(RMLの表紙写真の比例は24×36㎜の35ミリとほぼ同比例)で、画面右には表参道方の明かり区間が見えているのですが、あえて左側の「ビフテキ」の広告看板を優先したトリミングにしてあります。

所沢工場は今…

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西武鉄道所沢車輌工場がその歴史に幕を下ろしてから5年、所沢駅西側の工場跡地は、現在でも“跡地”という言葉がふさわしくないほどそっくりそのまま残されています。実は、先週の週末は、一年に一度この工場跡地に立ち入れるチャンスでした。毎年ここを会場として行なわれている「ところざわ旬の市」です。地元の物産市やフリーマーケット、さらにはヤキソバやフランクフルトの屋台といった、どこでも目にするような地域イベントですが、なにしろその会場たるや工場そのもの。「車体検修場」では物産市が、「台車検修場」横ではフリマが、巨大なバルーン遊具“ふわふわ”の脇にはそっくりそのまま残された入場線が…といった具合にそのシチュエーションはまさに涙モノです。工場の遺構目当てに入場(もちろん無料)する人などまずいないでしょうが、ファンにとっては一見の価値あるイベントでした。タイトルカットはトラバーサこそ撤去されてしまったものの、時が止まったかのごとく往時の姿を留める工場中心部。画面右が手前から車体塗装場、車体検修場、左が全般検修場です。’05.5.28
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入出場線も見事にそのまま残っています。この入出場線からどれほど多くの心ときめく車輌たちが巣立っていったことでしょう。ちなみに所沢工場は、いち電鉄の車輌検修工場というより、独立した車輌メーカー的色合いが濃く、しかもその生い立ちも極めて複雑です(西尾恵介さんのRM LIBRARY『所沢車輌工場ものがたり』をご覧ください)。昭和20年代の「復興社所沢車輌工場」時代は、西武鉄道の守衛所のほかに財務局の守衛所も設けられてダブルチェックが行なわれていたそうで、趣味で立ち入ることなどかなわぬ夢でした。その後も構内立ち入りは厳しく制限されており、こうやって構内を散策できることなど想像さえできませんでした。’05.5.28
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入出場線の最奥部。このあたりには、構内入換用として使われていた元山形交通DB151がいつも待機していました。架線も残されており、転轍器横の線路内に伸びた草さえ除けば、たまたま入出場車が出払っただけの現役時代の光景といっても通用しそうな光景です。はたして、また来年の「ところざわ旬の市」の時までこの光景は残されているでしょうか? ’05.5.28

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