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糠南、幌延あのころ。

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▲今から41年前の糠南駅。駅といっても当時は隣の上雄信内とともに臨時乗降場扱いで、営業キロの設定はなく、下り4本、上り5本のみの停車だった。'74.3.30 糠南 P:名取紀之
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糠南...ほんとうにひさしぶりに懐かしい駅名を耳にしました。北海道・幌延町役場が、糠南駅をはじめ町内に8駅存在する"秘境駅"をまちおこしに活用しようという取り組みを始めており、なんと糠南駅の携帯クリーナーまで作ってしまったのだそうです(→こちら)。

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▲天塩川の崖っぷちに架かる錦川橋梁を行く音威子府行き1396レ。先頭にたつのは稚内機関区の49601。'74.3.30 上雄信内−糠南 P:名取紀之
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宗谷本線糠南駅を初めて訪れたのは今から41年前のことでした。当時、宗谷本線音威子府以北には琴平(佐久-天塩中川間)、糠南、上雄信内(糠南-雄信内間)、南下沼(幌延-下沼間)と営業キロが設定されていない「臨時乗降場」がいくつもありました。道内時刻表には記載されているものの、全国版の時刻表にはその存在さえ記されておらず、東京から見知らぬ北の大地を目指す者には何とも神秘的に思えたものです。そんな糠南臨時乗降場に降り立ったのは、糠南-上雄信内間の天塩川沿いを行く321列車を撮影するためでした。321列車とは、旭川機関区のC55の牽く稚内行きで、全国的にも最後に残されたC55牽引の定期列車でした。

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▲幌延駅3番線。この当時はまだ羽幌線が健在で、幌延駅はその分岐駅としての重責を担っていた。構内で待機しているのは稚内保線区の排モ「008」、富士重工業製TMC100BS形初期型。'75.3.31 幌延 P:名取紀之
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管理局長権限で設置された臨時乗降場も、国鉄分割民営化とともに「臨時駅」となり、糠南もこの時点で晴れて営業キロが設定されることとなります。幌延町のホームページによると、現在の糠南駅はホームと物置を流用した待合室があるだけの無人駅ですが、その素朴さゆえ根強い人気があり、訪ねてくるリピーターも少なくないとのこと。そこで町ではこの糠南駅を基軸に鉄道によるまちおこしを図ろうとさまざまな企画を練っており、10月にはフォトコンテストも計画されています(→こちら)。

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▲DD51 30〔旭〕の牽く324レが到着。稚内発旭川行きの324レは前年まではC55牽引で、趣味的には宗谷本線の白眉とも言える列車だったが、1974(昭和49)年12月にDL化されている。画面左後方に給水・給炭設備が見える。'75.3.31 幌延 P:名取紀之
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先般もご紹介したように、留萌本線留萌~増毛間の廃止(アーカイブ「留萌本線留萌~増毛間廃止へ」参照→こちら)、来春廃止予定の8駅(アーカイブ「鷲ノ巣駅は今...」参照→こちら)など、北海道新幹線新函館北斗開業とは対照的に道内のJR在来線は再び大きな岐路に立たされています。去る6月の第三者委員会「JR北海道再生推進会議」が発表した提言書では、幌延町を含む宗谷本線名寄~稚内間も輸送密度(1キロあたりの一日平均輸送人員)500人未満の「利用の少ない区間」と名指しされてしまっており、沿線自治体としても安穏としていられない状況となりつつあります。

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▲幌延駅2番線下り本線先頭の給水スポート。C55こそ消えたものの、9600の貨物はまだ健在で、火床整理用のピットでは手作業でアッシュの掻き出しが行われていた。'75.3.31 幌延 P:名取紀之
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ところで、幌延の隣町、豊富からは日曹炭砿専用鉄道が出ており、9600形の最若番9615号が活躍する路線としても知られた存在でした。この日曹天塩鉱業所の専用鉄道は全長18.1㎞。豊富駅構内の南東から分岐した専用鉄道は現在の豊富温泉から幌延町境の「登龍峠」の33‰勾配を越えて駅逓先の一坑へと至っていました(1972年廃止)。何とも印象深い名称の「登龍峠」ですが、地理院地図で検索してみたものの、すでにその名前自体がなく、専用鉄道とともに記憶の彼方へ消えていってしまったようです。

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▲日立製No.1(泰和改造)の牽く幌延町営軌道問寒別線のミキスト。客車(ハ1もしくはハ2)は前任地の当別線時代のままの姿。1964(昭和39)年にバス窓に更新改造されているので、それ以前の撮影と思われる。所蔵:小林隆則
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そして幌延町といえば忘れてならないのが町営軌道の存在です。問寒別駅から二十線(上問寒別第二)までを結んでいた幌延町営軌道問寒別線は、1971(昭和46)年に廃止されるまで自走客車(気動車)を導入せず、機関車が客車を牽引する形態を維持し続けた唯一の簡易軌道でした。私は実見することがかなわなかったものの、歌登町営軌道とともに道北の憧れの簡易軌道のひとつでした。幌延町内の名林公園で機関車(No.50)と客車(ハ1もしくはハ2)が保存されていましたが、残念ながら1991(平成3)年に解体されてしまっており、現在では町内にその名残を留めるものは残されていないようです。

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▲国鉄問寒別駅前の幌延町営軌道起点には転車台を備えた車庫が設けられていた。日立製No.1の右側は当別線から転入した加藤製作所製No.10。左には自家製のラッセルとロータリーの姿も見える。所蔵:小林隆則
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幌延町には実はもう1線簡易軌道(殖民軌道)がありました。まさに幌延駅前から出ていたその名も幌延線で、この軌道は馬力ながら最終的には天北線の沼川駅を起点に延伸してきた沼川線と接続し、なんと宗谷本線と天北線を結ぶルートを形成します。昭和30年代初めには運転されなくなってしまったようで、ほとんど写真・資料も残されていない、まさに幻の簡易軌道でした。今回の"まちおこし"を契機として、幌延町にはぜひこの簡易軌道幌延線の再調査も期待したいものです。

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