先日の「雪待ちの沼尻へ…」でもご紹介いたしましたが、今月と来月のRMライブラリーは青木栄一さんの『日本硫黄沼尻鉄道部』をお送りします。地方私鉄、とりわけ軽便ファンの皆さんには今さら説明の必要もない「沼尻」ですが、ご存知ない方のために改めて簡単に紹介しますと、磐越西線川桁駅を起点とする2フィート6インチゲージ、延長15.6kmの軽便鉄道で、その社名が示す通り、終点の沼尻駅のさらに奥に位置する沼尻鉱山から産出される硫黄を運搬する目的で敷設された鉄道でした。1913(大正2)年5月11日に馬車軌道として開業、翌年1月には早くも蒸気動力に変更され、のちに内燃動力となったものの、以後55年間にわたって時代が止まったかのようなプリミティブな軽便鉄道として走り続けてきました。最後は「磐梯急行電鉄」と夢のような壮大な名称に変更したものの、時代に翻弄されながら数奇な運命の幕を閉じます。
![]()
▲川桁停車場を見る。木造平屋の駅本屋を中心に運転関係の施設や荷役設備が建ち並ぶ。田中新一さんご提供による平面図によって往年の構内が手にとるようにわかる。 (RMライブラリー『日本硫黄沼尻鉄道部』上巻より)
クリックするとポップアップします。
この“沼尻”、基本的には鉱山鉄道という性格ながら、裏磐梯の大自然に包まれた沿線は高原列車の趣さえ感じられ、映画や歌謡曲の舞台にも抜擢されました。しかも他の軽便鉄道が次々と姿を消す中にあって、1968(昭和43)年まで運転を続けていたことから、頸城鉄道や井笠鉄道(ともに1971年廃止)などと並んで、今もって多くの軽便ファンの心のふるさととして語り継がれています。
![]()
▲第2章「性格と沿線」から。鉱山鉄道とはいえ山元に住む人々の生活の足として、そして沿線の温泉への湯治客の便になくてはならない路線であった。 (RMライブラリー『日本硫黄沼尻鉄道部』上巻より)
クリックするとポップアップします。
本書上巻では、日本硫黄の設立から軌道敷設、第二次大戦前後にかけて、沿革をはじめ、施設、運転、そして輸送の変化について多くの写真と資料をもとに解説し、沼尻鉄道の概要を明らかにします。各駅の写真とともにご紹介している構内平面図は模型ファンにとっても必見の資料となりましょう。
![]()
▲梅村正明さんのコラム「ラッセル車の出動」より。貨車を改造した自家製ラッセル車が定期旅客列車の先頭に立って除雪に活躍する様はまさに圧巻。 (RMライブラリー『日本硫黄沼尻鉄道部』上巻より)
クリックするとポップアップします。
ところで、“沼尻”の特徴のひとつが白津、内野付近をはじめとした併用軌道区間でした。ファン的視点では趣のあるシーンとして映りがちなこの路面併用区間も、実は敷設にあたって地元住民との間で丁々発止のやり取りが行なわれた挙句の産物であったことが『鉄道院文書』から明らかにされますが、このあたりの考証はわが国鉄道史研究の第一人者である青木先生ならではの慧眼にほかなりません。
本書のもうひとつの見所は、全編にわたって使用させていただいた梅村正明さんのドラマチックな写真の数々です。もと“けむりプロ”のメンバーでもある梅村さんは、昭和30年代後半から廃止時まで足しげく沼尻通いを続け、「組写真」を意識した作品を撮り続けてこられました。すでにご著書・RMライブラリー『頸城鉄道』でもその作品群の素晴らしさは周知のところかと思いますが、今回の『日本硫黄沼尻鉄道部』編集に当たっては、その膨大な本数のネガすべてをお預かりし、ふんだんに秀作を使用させていただくことができました。
▲秋の会津樋ノ口駅で交換する上下列車。まさに模型のレイアウトを見ているかのような長閑なシーン。 (RMライブラリー『日本硫黄沼尻鉄道部』上巻より)
クリックするとポップアップします。
さらに、梅村さんにも3編にわたる回顧録をご執筆いただき、本書中にコラムとして掲載させていただきました。ことにラッセル車出動の一部始終を追ったフォトドキュメントは必見です。
なお、車輌についての各論、さらに1968(昭和43)年に突然の休止を迎えるまでの顛末を収録した下巻は1月21日頃の発売予定です。どうかご期待ください。