レイル・マガジン編集長自らが作る編集日記。

宇高連絡船の名残。(下)

2012年02月09日 23:59
名取紀之

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▲現在の宇野駅の様子。残念ながら宇高連絡船ありし頃の賑わいは感じられない。'12.1.14 P:宮武浩二
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さて今度は本州側の港であった宇野を訪ねてみましょう。宇野港は再開発が進んで、昔の線路跡、連絡船への連絡通路の跡は道路などに変わり、わずか20年ほど昔の連絡船の遺跡はほとんど見られません。ただ新しく建て直された宇野駅駅舎の中に連絡船のパネルが掲出されているぐらいです。

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▲玉野市立海洋博物館に展示されている宇高連絡船「瀬戸丸」の船舶模型。'12.1.14 P:宮武浩二
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宇野駅からバスで20分ほど児島に向って海岸線を走ると渋川というところがあります。ここには玉野市立海洋博物館という昔からの水族館があります。私も35年ほど前に訪ねたことがありますが、そこに宇高連絡船の「瀬戸丸」の模型があったことを覚えていたので、改めて訪ねてみることにしました。

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▲「瀬戸丸」(左)と「第三宇高丸」(右)。「瀬戸丸」はかつての「紫雲丸」で、両船は1955(昭和30)年に衝突し、「紫雲丸事件」としてその名を歴史に刻まれることとなる。'12.1.14 P:宮武浩二
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目的の「瀬戸丸」(旧 紫雲丸)の模型は今も展示されており、紫雲丸事件のあとに改装して瀬戸丸として再就航した時の姿を見ることができます。また紫雲丸事件の相手船の第三宇高丸の模型もあって往時を偲ぶことができます。悲しい記憶も残りますが、宇高連絡船78年の歴史は、楽しい思い出も残してくれました。

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▲周囲はすっかり変わってしまったが、宇野駅にはかつての同駅構内や連絡船桟橋の写真も掲げられている。'12.1.14 P:宮武浩二
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終航時の4隻がすべて海外で活躍しているというのも嬉しいことです。このほかに宇野桟橋に保存されていた「鷲羽丸」の船名板も高松市内の図書館に収蔵されているようです。たしか以前には大阪の弁天町の交通科学博物館にも讃岐丸の大型模型があったように記憶しています。昨年は連絡船を偲ぶ航海があったそうで、残念ながら私は参加できませんでしたが、またの機会があればぜひ参加しいと思います。

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▲宇野駅東の宇高連絡船桟橋跡地の今。かつては昼夜を分かたず本四連絡の乗客があふれていた場所である。'12.1.14 P:宮武浩二
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余談ですが宇野駅から両備バスで渋川まで乗車したときに、同乗されたおばあさんと話す機会があり、「私のつれあいが昔、玉野市電の運転士をしていました」というお話を伺うことができました。路線バスの旅も出会いが多く、良い思い出になり、今度は知人と玉野市電の線路跡でもたどる旅をしようかと相談しています。

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宇高連絡船の名残。(上)
私鉄の"ジョルダン"?。
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