鉄道ホビダス

2016年12月アーカイブ

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まずは11年半にわたるご愛読ありがとうございました。月初にご報告いたしましたように、定年退職に伴い、この「編集長敬白」も本日がラストランとなります。

思えばHTMLのタグの打ち方さえおぼつかないままスタートした「編集長敬白」ですが、回を重ねるにしたがって、ほんとうに多くの方にアクセスいただくようになり、Yahoo!やGoogleの検索でも、「編集長」と打ち込むだけで、トップに「編集長敬白」が表示されるまでになりました。なんのSEO対策も行っていないブログが、2千万以上の検索結果の頂点を維持し続けたのは奇跡的で、ひとえに日々ご愛読いただいた皆さんのお力以外の何物でもありません。

「平日帰ってきてからパソコンを立ち上げて真っ先に見るのが楽しみでした。」「毎晩の寝る前のひと時に何か穴が開いたような気分になるのかな、などと想像しております。」...等々、ありがたいメールも数えきれないほど頂戴しており、足掛け12年にわたって"突発"(現場用語で連絡なしに突然休んでしまうこと)することもなく続けてきたことに対するなによりのご褒美と感じております。

「編集長敬白」はこれにて終着駅となりますが、この仮想空間で皆さんと同じ時間、それも足掛け12年という時間を共有できましたことをあらためて感謝申し上げ、筆を置かせていただきます。
ご愛読ありがとうございました。いつの日か、またお会いしましょう。

編集長 名取紀之 敬白

年史編集を振り返る。

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▲これまでに手掛けた「年史」とそれに類する書籍の数々。P:浅水浩二
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雑誌やムック、さらにはRMライブラリーのような一般に市販される書籍のほかに、この世界には、いわゆる"BtoB"(business-to-business)と呼ばれる出版形態があります。鉄道事業者や企業からの受託や契約で編集・出版するもので、「年史」がその最たるものでしょう。この十年ほど、『梅小路90年史』(西日本旅客鉄道)を皮切りに、数多くの年史編集に関わらせていただきました。ちょうど民鉄各社が次々と100周年を迎えたこともあり、『京阪電車 車両の100年』(京阪電気鉄道)、『都営交通100年のあゆみ』(東京都交通局)、『都営交通100周年 都電写真集』(東京都交通局)、『京王の電車・バス100年のあゆみ』(京王電鉄)、『写真で見る西武鉄道100年』(西武鉄道)と編集を担当させていただき、今年になってからも『梅小路100年史』(西日本旅客鉄道)、『東京地下鉄 車両のあゆみ』(東京地下鉄)、そして今月完成した『KATO Nゲージ生誕50周年記念誌』(関水金属)と3点を編集責任者として完成させることができました。なかには『梅小路100年史』のように市販されないものもあり、さらにはそのビジネス・スキームも一括納品から"協業"までさまざまですが、思えば100年、50年といった大きな節目に立ち会えたのは編集者冥利に尽きます。
いよいよ小ブログ「編集長敬白」も明日でラストラン。編集長生活30余年をしみじみと振り返っております。

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PIKE'S PEAK 標高4,300mへ。

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▲割れんばかりの激しいブラスト音を響かせて客車を押し上げる4号機。ヴォークレイン複式の1897(明治30)年ボールドウィン製。'92.9.18
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現在、世界で最も高所にある駅は、中国・チベット自治区にある青蔵鉄道タングラ駅で、海抜5,072m。あまりに標高が高いため不用意に下車することは許されず、列車内も気圧調整がなされていると聞きます。ヒマラヤを望むダージリン・ヒマラヤン鉄道のグーム駅(アーカイブ「聖地ダージリンへ」参照→こちら)は、インド最高地点駅というにも関わらず標高は2,257m(参考:わが国の最高地点駅・野辺山駅の標高は1,345m)、ヨーロッパ最高地点駅のユングフラウヨッホ駅でさえ3,454mです。そんななか、タングラ駅には及ばないものの、標高4,000mを超える駅がアメリカ・コロラド州にあります。

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▲MANITOU & PIKE'S PEAK COG RAILWAYの線路縦断面図と平面図。起点のマニトウ・スプリングスの標高は6675.52ft、つまり約2,029mなので、頂上までは2,260mも登ることになる。(Morris W.Abbott著『THE PIKE'S PEAK COG ROAD』より)
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近年は自動車のヒルクライムレースでも知られるコロラド州コロラドスプリングス近郊のロッキー山脈に聳えるパイクスピーク(PIKE'S PEAK)がそれで、標高は14,199ft、つまりメトリックに換算すると4,316mになります。19世紀初頭に探検家のゼブロン・パイクによって紹介されたことから、その名を取ってパイクの頂と名付けられたこの山頂には1890(明治23)年にラックレールを用いた登山鉄道が開業、以来、コロラドの頂上として親しまれてきました。

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▲ひさしぶりのデモ運転を前に麓のマニトウ・スプリングスで給水する4号機(二代目)。後ろに見えるのは静態保存の5号機(1901年BLW製)。駅構内は勾配が緩いため、車体はかなりつんのめって見える。'92.9.18
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このパイクスピークを初めて訪れたのはほぼ四半世紀前の1992(平成4)年のことでした。コロラドスプリングスで開催されたナローゲージ・コンベンションに参加した際、周辺保存鉄道の関連イベントとしてMANITOU & PIKE'S PEAK COG RAILWAYのスチームアップがプログラムされており、さしてその重要性もわからぬまま起点のマニトウ・スプリングスを目指しました。

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▲さすがに蒸機の運転は途中まで。Shady Spring付近を下る4号機。下りは速度も速く乗車していても結構恐怖を感じる。実際、過去にはピニオン・ギアの破断で滑落する事故も起こっているという。'92.9.18
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▲客車内から猛然と押し上げる4号機を見る。ちなみにこの50人乗りのウッド・コーチ"ASPEN"にはしっかりとトイレが付いている点にも注目。'92.9.18
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▲定期気動車列車に続行するかたちでマニトウ・スプリングスを発車する特別列車。左奥の二階建ての建物がマニトウ・スプリングス駅本屋。'92.9.18
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あとから知ったことですが、このパイクスピーク・コグ(COGとは歯車式鉄道を注す米語)で動態保存されている蒸気機関車は4号機1輌のみで、しかもめったに動くことはないとのことで、まさに千載一遇の機会だったのです。

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▲森林限界を超えると、周囲にはまったく樹木がなくなる。さながら月面のような岩陰にはかわいらしいマーモットたちが棲息している。'92.9.18
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▲サイディングでメンテナンスカー№12と交換。GM製エンジンを搭載した自社製(1955年製)のワークカー。'92.9.18
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▲1939(昭和14)年GE製の№9。戦前を代表するなかなか好ましいスタイルの旅客用気動車だが、この時点ではすでにワークカーとなっていた。'92.9.18
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20161221171008-cf5407e0f876e91519233601692cd7e6550336eb.jpgMANITOU & PIKE'S PEAK COG RAILWAYの延長は14.3㎞(軌間は標準軌)。標高4,300mの山頂までを1時間15分ほどかけてスイス製の登山ディーゼルカーが登ります。途中、森林限界を超えると風景が一変し、気温もどんどん下がってくるのが実感されますが、実はこれが大問題。起点のマニトウ・スプリングスで撮影に夢中になり、発車間際のディーゼルカーに飛び乗ったのはよいものの、何とこの車輌、トイレの設備がありません。どういうわけか暖房も入らず、頂上に着く間際は絶景もまったく目に入らぬこととなりました。

▲かつてはこんな猛者(?)もいた。称して"Mile a Minute Scooter"。(Morris W.Abbott著『THE PIKE'S PEAK COG ROAD』より)
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▲初訪問から6年後、再びPIKE'S PEAK山頂を訪れた。当時最新のSLM製18号車が折返しを待っている。'98.9
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その後、6年ほど経ってから再びパイクスピークを訪れましたが、この時は前回の轍を踏まないようにしっかり"準備"をし、標高4,300mへの路を堪能することができました。

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▲ラック分岐器から頂上を仰ぎ見る。写真で見る限りではわからないが、ちょっとでも小走りしようものなら強烈に息が切れる。なんといっても標高は4,300m!'98.9
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さて、来年のナローゲージ・コンベンションは実に14年ぶりにデンバーが開催地となって8月30日から行われます。すでにエントリーをしておりますが、果たしてコンベンション協賛というかたちでパイクスピークのスチームアップが行われるかどうかも気になります。コロラドスプリングスがコンベンション開催地であれば可能性は高いのでしょうが、もう一度あのコグ・レイルのブラスト音を聞いてみたいと、今から淡い期待を抱いています。

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▲小さな木造電車が並ぶ、春の日ノ丸自動車法勝寺電車部米子市駅構内。'65.3.28 P:宮田寛之
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2016年の掉尾を飾るRMライブラリーは、お馴染み白土貞夫さんによる『米子を走った電車-日ノ丸自動車法勝寺電車部・米子電車軌道-』をお届けします。

20161221141941-088d1a20ce8e85503231170475bd8cc86e607f6a.jpg現在ではJR線のみが乗り入れる鳥取県米子市ですが、今から百数年前の大正末期には二つの民営の鉄軌道が建設されていました。ひとつは南側の法勝寺村を目指す法勝寺鉄道、もうひとつは北東側の皆生温泉を目指す米子電車軌道です。
法勝寺鉄道は、当初は単端式ガソリンカーによる軽便鉄道として計画されたものの、その後、1067mm軌間の蒸気鉄道を経て、1924(大正13)年、600V電化の電車線として完成しました。開業後、伯陽電鉄と名を変え、途中の阿賀から県境を越えて島根県母里村に至る5.3kmの支線も開通させましたが、この支線は戦時下に休止となり、そのまま復活することはありませんでした。

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▲当初は単端式ガソリンカーによる軽便鉄道として計画された法勝寺電車だが、開業時には1067mm軌間の電車線となっていた。
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1944(昭和19)年には戦時統合により荒島~島根広瀬間を結んでいた島根鉄道と合併、山陰中央鉄道が成立します。この合併は県境を越えた異例のもので、生活圏も異なり、双方の株主も納得できない面があったようで、戦後1947(昭和22)年には再び島根鉄道が分離しました。
法勝寺線のみとなった山陰中央鉄道は、乗客が減少したこともあって1953(昭和28)年9月にバス会社である日ノ丸自動車の傘下となり、同社電車部として再発足しますが、その後、目立った近代化も行われないまま、1967(昭和42)年に廃止されました。

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▲開業当初の車輌はすべて愛知電気鉄道から譲り受けたものであった。
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 一方、米子電車軌道は1925(大正14)年から1928(昭和3)年にかけて米子駅、米子港、市街地と、日本海沿いの皆生温泉を結ぶ3路線7.8kmを開業させました。山陰地方では唯一の市街電車でしたが、未舗装路に敷かれた併用軌道は市民から決して快く思われていない面もあったようで、当時の新聞には「廃止すれば雨中の泥濘、晴天の土塵から市民は救われる」とまで書かれてしまっています。さらに昭和初期の不景気などにより温泉客が減少したこともあって、1938(昭和13)年11月に全線を廃止、わずか約14年のみの営業期間でした。廃止時5輌あった電車はすべて小倉電気軌道(のちの西鉄北方線)に売却されました。

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▲わずか14年間のみの運行であった米子電車軌道。残された絵葉書と公文書などからそのあゆみを紐解く。
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著者の白土さんご自身は、実は両鉄軌道を訪れたことがないそうですが、所蔵されている絵葉書から、法勝寺鉄道電1形の出自が通説とは異なることに気づき、それを端緒に約10年の歳月を費やして「米子を走った電車」について綿密に調査・検証されてきました。その成果をまとめたものが本書です。小私鉄研究の第一人者である白土さんならでは本書、ぜひご覧ください。

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▲今年の全国高等学校鉄道模型コンテストの最優秀賞・文部科学大臣賞に輝いた広島城北中学高等学校鉄道研究部は、副賞としてアメリカ・ミルウォーキーで開催された「トレインフェスト2016」に招待された。しかもシカゴ・ユニオンステーションで一行を待っていたのはミルウォーキー鉄道のスカイトップラウンジカーの動態保存車。信じられないことに、彼らのために全検を早めて出場、サプライズでミルウォーキーまでの1時間40分余りを貸切にして運行してくれた。P:杉山牧夫(A.N.A)
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先の日曜日(18日)にホビーセンターカトー東京で、この夏の全国高等学校鉄道模型コンテストの優秀作品を集めた「ベストオブレイルコンテスト2016」が開催されました。モジュール部門最優秀賞・文部科学大臣賞に輝いた広島城北中学高等学校鉄道研究部をはじめ、上位5校のメンバーが遠路東京・新宿のホビーセンターへと集い、プレゼンテーションを行いました。

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▲今年のベストオブレイルコンテストは去る11月21日に亡くなられた関水金属の加藤祐治会長への黙祷から始まった。挨拶に立つ関水金属 加藤 浩社長。'16.12.18 P:RMM(瀧口宜慎)
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今年の全国高等学校鉄道模型コンテスト、特にモジュール部門は大接戦で、審査員の間でも喧々諤々の議論の末、広島城北中学高等学校鉄道研究部の作品「原爆ドームと灯篭の流れる元安川」が最優秀賞に選ばれました(アーカイブ「鉄道模型コンテスト2016リザルト」参照→こちら)。

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▲続いて完成したばかりの『KATO Nゲージ生誕50周年記念誌』について私が説明をさせていただいた。'16.12.18 P:RMM(瀧口宜慎)
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そして今年の副賞はアメリカ・ミルウォーキーで開催される「トレインフェスト2016」への招待。原爆ドームをモチーフとした作品が、趣味の世界とはいえ米国本国でどう受け止められるのか、最終選考した審査員の一人としても気を揉んでいたのですが、果たして広島城北の遠征メンバーはどこでも手厚いもてなしを受け、さらには賞までいただいて凱旋しました(RM MODELS2月号参照→こちら)。この日は彼らの帰朝報告も注目で、パワーポイントのエンドロールに記された一言、「一生忘れない」を見て、審査員として選考が決して間違いではなかったことをあらためて確信しました。

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▲全国高等学校鉄道模型コンテストの優秀校によるプレゼンテーション。徹底した現地調査に基づいた極めて完成度の高いモジュールで優秀賞を受賞した共立女子高等学校地理歴史部(左)と、関西の下町をモチーフとして健闘した灘中学校・灘高等学校鉄道研究部(右)のプレゼン。'16.12.18 P:RMM(瀧口宜慎)
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▲映画「となりのトトロ」の世界で一畳レイアウト部門最優秀賞を受賞した白梅学園清修中高一貫部鉄道模型デザイン班(左)と、高校生HO車輌部門最優秀賞を受賞した芝浦工業大学中学高校鉄道研究部(右)のプレゼン。'16.12.18 P:RMM(瀧口宜慎)
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▲トレインフェスト2016の会場では、夢に描いた平和の光景、アメリカの貨物列車が広島の相生橋の上を走り抜けた。P:杉山牧夫(A.N.A)
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▲モジュールの規格が異なるため、現地では接続用の中間モジュールを用意してくれていた(左)。右はミルウォーキーの地元テレビ局での番組に生出演した広島城北のメンバー。P:杉山牧夫(A.N.A)
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▲トレインフェスト最終日にはいよいよ英語でプレゼンテーション。そしてなんと「BEST OF SHOW-MODULE」を受賞。P:杉山牧夫(A.N.A)
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この日は鉄道模型コンテストのプレゼンテーションに続いて、来年から実施されるT-Trakコンテストの説明会、さらには新たな試みのホビセンフェスティバルとして、新サウンドデコーダや、開発中のキハ58サウンドカーのデモンストレーションなども行われ、ホビーセンターは終日熱気に包まれていました。

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鯎川線あのころ。

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▲大鹿停車場の朝。本線はすでに廃止されているが、鯎川線はまだ現役で朝の構内は活気があった。後ろに片側オープンデッキの貴賓車の姿が見える。'76.5 P:古村 誠
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「編集長敬白、毎日名残り惜しく拝見しております」とのお便りとともに、古村 誠さんから木曽森林鉄道最晩年の記録をお送りいただきました。古村さんは小ブログにこれまでにも数多くのレポートをお寄せいただきましたが、実は今回ご紹介いただく木曽と同年、1976(昭和51)年に富山県の小口川軌道で偶然お会いしてからのご縁です。

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▲王滝営林署の理髪車。奥地の合宿所などを回って散髪を行っていた。'76.5 P:古村 誠
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20161218232421-9eec7471b3c26efb00c9b18ca3b841e25d9114d9.jpg先日の記事のループ線で思い出したものがあります。木曽森林鉄道王滝本線大鹿停車場と助六作業所の間を結んでいた鯎川線(うぐいがわせん)です。木曽谷にはそれまでにも数回訪れていましたが、中央西線の蒸機を撮影するのに夢中になり、木曽森林鉄道は一度も訪れることができないまま王滝本線か廃止になってしまいました。

▲これが乗せてもらったモーターカー。鯎川線の連絡用で助六作業所まで走る。'76.5 P:古村 誠
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▲樽ヶ沢橋梁を渡るモーターカー。鯎川線きっての景勝地で、カモシカの姿も見られた。'76.5 P:古村 誠
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王滝本線廃止の翌年、1976(昭和51)年5月にある方から「奥の支線はまだ動いているから一緒に行きませんか」と誘われて鯎川線の起点・大鹿を訪れました。本線廃止に伴って定期列車はなくなっており、山仕事に向かう方々が乗るモーターカーに同乗させていただき助六作業所へと向かいました。そんなことができた良い時代でした。

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▲山肌に貼り付くように走る鯎川線の軌道。'76.5 P:古村 誠
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途中、坊主岩のあたりだったか、かなりの小半径のループ線がありました。どうも仮設線のようでしたが、詳しいことはわかりません。
ところが、われわれのモーターカーが通過しようとしたところ、途中で見事に脱線。みんなで降りて、置いてあった丸太をテコにして復線作業を行い、無事線路上に戻して助六を目指しました。

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▲途中、急ごしらえのループ線にさしかかるわれらがモーターカー。'76.5 P:古村 誠
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▲ところが、あえなく脱線。丸太を持ってきて復旧作業に入る。'76.5 P:古村 誠
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▲苦労の末なんとか復旧。ふたたび助六作業所目指して走りはじめた。'76.5 P:古村 誠
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助六作業所に到着後は、ご厚意で合宿小屋に泊めさせていただき、翌日は仮設された作業軌道を見学させていただきました。作業軌道は地面を傷めないように、尾瀬の木道の様に浮かせて設置されているのが印象的でした。

この時乗車したモーターカー、最近復活したとの情報を耳にしました、来年にはぜひ訪ねてみたいと思っています。

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▲助六の作業軌道のパノラマ合成写真。オメガループとティンバートレッスルの連続する圧倒的な景観は、木曽森林鉄道最後の桃源郷であった。'76.5 P:古村 誠
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▲完成した『KATO Nゲージ生誕50周年記念誌』。右上のカバー無しバージョンは引換用、中央のカバー付きバージョンは書店販売用。
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一年以上前から編集作業を続けてきた『KATO Nゲージ生誕50周年記念誌』がついに完成、まもなく皆さんにもご覧いただける運びとなります。

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▲第1期 1965~1974年 (『KATO Nゲージ生誕50周年記念誌』より)
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ご承知のように、わが国の1/150スケール・9㎜ゲージの量産市販鉄道模型は、1965(昭和40)年に関水金属が発売したC50形蒸気機関車とオハ31系客車がそのスタートラインでした。当時1/80スケール・16.5㎜ゲージが大勢を占めるなかで、"グリコのおまけ"と揶揄されながらも、のちにNゲージ呼ばれるようになる1/150スケール・9㎜ゲージの日本型鉄道模型は急速な成長を遂げます。ことに近年30年ほどの発展ぶりはあらためて語るまでもないでしょう。

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▲第2期 1975~1984年 (『KATO Nゲージ生誕50周年記念誌』より)
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▲第3期 1985~1994年 (『KATO Nゲージ生誕50周年記念誌』より)
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▲第4期 1995~2004年 (『KATO Nゲージ生誕50周年記念誌』より)
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▲第5期 2005~2015年 (『KATO Nゲージ生誕50周年記念誌』より)
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本書は大田治彦さんを編集委員長に、関水金属が総力を挙げて製作した大冊で、自社の製品史のみならず、日本のNゲージの歴史そのものを振り返る記念碑的内容となっています。その圧倒的な資料性、正確無比な記述は、これからの50年、いや100年、Nゲージを語るうえで決して欠くことのできない一冊となるに違いありません。
今日はそのおおまかな内容を目次からご紹介いたしましょう。


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第1章 関水金属の初期製品
関水金属の第1号製品 C50とそのバリエーション/初期のオハ31とそのバリエーション/初期の103系とそのバリエーション/初期のEF70 とそのバリエーション/初期の客車および貨車/初期のEF65 500およびキハ20/最初の米国向け製品PA-1とJ3a/米国塗色の日本型モデルたち/初期の線路など

第2章 現在の関水金属製品
2.1 国鉄およびJR車輌                 
2.2 私鉄車輌
2.3 米国型車輌
2.4 欧州型車輌

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第3章 関水金属の製品ができるまで       
3.1 加工工程
3.2 生産工程
3.3 組み立てから出荷まで

第4章 関水金属の歴史
4.1 創業期からNゲージの開発まで
4.2 加藤祐治会長による65年前の手作りモデル ALCO PA-1 について
4.3 関水金属/KATO Nゲージのあゆみ
 
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第5章 Nゲージ生誕の頃
5.1 KATO Nゲージ生誕40周年記念対談
「Nゲージ開発物語 -新たなる挑戦からNゲージ誕生前夜まで-」
5.2 KATO Nゲージ生誕50周年記念対談「Nゲージ生誕を振り返る」

第6章 Nゲージ製造技術の進展 -ものづくりへの探求-
6.1 設計・製図                         
6.2 金型加工
6.3 放電加工
6.4 射出成形                     
6.5 C12通電スポーク車輪の開発     
6.6 車輪打ち抜き加工の詳細       
6.7 モーターの開発                
6.8 塗装・印刷             
6.9 組立 -車体構造や台車の固定方法を例にとって-     
6.10 鉄道模型サスペンションの履歴と効果      
6.11 台車マウントカプラーの変遷          

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第7章 Nゲージ50年の進化 -記憶に残る製品群-

第8章 Nゲージの世界を広げる
8.1 PA-1の開発と米国進出
8.2 ニュルンベルク出展30年を振り返って
8.3 KATO USA, Inc. の設立と最高の走り"KATO Drive"   
8.4 関水金属ショールームの開設
8.5 スイス型車輌「氷河特急」の製品化
8.6 JAM・鉄道模型コンテスト・T-TRAK
8.7 殿堂入りの栄誉を授かって

20161216171541-14f2f5e7f00d3459145e69ec317df7e780204788.jpg第9章 Nゲージの起源と関水金属の初期製品   
9.1 関水金属Nゲージ開発前の世界状況 9.2 関水金属によるNゲージの開発 9.3  Nゲージ初期カプラーのバリエーションとカプラー統一について 9.4  東ドイツとスペインのNゲージ 9.5 調査の経過など    

(復刻版) 最初のカタログ 1967(昭和42)年発行

英文抄録

なお、KATO Nゲージ50周年記念製品のC50に添付されている引き換え券でのKATO直営店での引き換え、および販売は12月17日(土曜日)より行われます(→こちら)。
また、一般書店での販売は来週末頃からとなる予定です。なお、書店販売分はカバー付きの装丁となっております。
KATO Nゲージ生誕50周年記念誌
発行:株式会社 関水金属
発売:株式会社 ネコ・パブリッシング
定価:3,950円+税
(A4判/176頁/オールカラー上製本/カバー付き)

NHKラジオ第1「鉄道なトリップ」:12月19日(月曜日)16:07~16:27  今回は「道東・釧路は鉄道の聖地」と題して釧網本線、臨港鉄道、それに簡易軌道のお話をいたします。全国どこでもお聞きになれます。なお前回、臨時国会中継で延期となったダージリン・ヒマラヤン鉄道については、来年2月6日(月)にお話しする予定です。

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松山市駅のループ線。

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▲現代の"坊ちゃん列車"は自ら装備するリフティングジャッキでいとも簡単に方転する。'13.5.25 道後温泉
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昨日の「編集長敬白」楽しく拝読いたしました、と湯口 徹さんから松山市駅転車台に関する補遺情報を頂戴しました。

玉井良孝さんは1952(昭和27)年に撮影された松山市駅方向にバック運転する3号機の写真から、松山市駅構内に転車台があったのではないかと推理し、さまざまな資料からその存在を論証しようとされてこられました。先週オープンした伊予鉄道の「坊っちゃん列車ミュージアム」に展示されている松山市停車場図に転車台が描かれているのを発見、昨日の小ブログでご発表いただいたものです。

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▲王滝森林鉄道田島駅構内の転車台。軽便用の転車台は極めて小スペースで設置が可能。'75.9.2 田島
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湯口 徹さんによると、もっと古い1910年代、まだ予讃線は開通していないので伊豫鉄道松山駅だった時代には、駅構内にループ線があったらしいと言います。曰く...
明治43年10月14日申請した、「施工基面ノ幅員縮小ノ件特許ス」なる一件には、「中ノ川沿ヒ『ループ』線ノ一部ハ規程ノ構造困難ニヨリ」云々とあるからです。
たしかに"坊っちゃん列車"の機関車ような小型車輌であれば、転車台を作らずとも小半径のループ線で方向転換は充分可能だったはずです。

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▲立山砂防軌道の方転用ループ線。それなりのスペースは必要だが、ポイントひとつで方転できるのがメリット。'75.9.1 千寿ヶ原

ちなみにアメリカではいわゆるデルタ線が多く用いられており、米語ではウァイ(WYE)と呼ばれて親しまれています。ただし、デルタ線の場合は3基の転轍機が必要ですが、スペースさえあれば、1基の転轍機で方転可能なループ線の方が経済合理性は高いのかも知れません。

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▲12月9日にオープンした伊予鉄道「坊っちゃん列車ミュージアム」のメイン展示はこれまで屋外に置かれていた1号機のレプリカ。'16.12.10 P:玉井良孝
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「編集長敬白」が終わりになるとのことで寂しい限りです...とのお便りとともに、愛媛県の玉井良孝さんから、先週オープンしたばかりの伊予鉄道「坊っちゃん列車ミュージアム」についてのレポートを頂戴いたしました。

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▲面積こそそれほど大きくはないものの、一次資料の展示もあり一度は訪れてみたいミュージアムとなっている。'16.12.10 P:玉井良孝
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12月9日(金)、伊予鉄道の「坊っちゃん列車ミュージアム」がオープンしました。場所は、松山市駅の伊予鉄道の本社ビル1階です。以前はビル前に坊っちゃん列車1号機のレプリカが展示されていましたが、今ではそこはスターバックスコーヒーの入口となり、その中を通って「ミュージアム」に行くような経路です。案内板が詳しくないため、最初は迷い、ビルの周りを一回りすることとなりました。ちなみに「スタバ」の外装デザインは車輌の緑基調のデザインを踏襲しています。

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▲レプリカの1号が置かれていた本社1階はなんと"スタバ"になっている。'16.12.10 P:玉井良孝
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20161214130410-0882e0010ca2139ca1a74324201135dfb29ad456.jpgコーヒー店の奥にレプリカが見え、ミュージアムのメイン展示となっています。周りには、伊予鉄道の歴史、古い乗車券・絵葉書・写真類、さらには、DB-1、2の銘板・メーカ銘板などが展示されています。DB-2の新三菱重工の銘板は他機関車も付けていたので見覚えありましたが、DB-1のメーカ銘板は初めて見ました。クラウス6号機の下回りを使って森製作所が製作した試験車輌的な履歴の持ち主は、後にDB-2以降と同型に改造されたことは聞いていましたが、銘板から見ると自社工場改造を意味しているようです。

▲本社前に置かれていた頃の1号機レプリカ。'05.1 P:玉井良孝
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▲坊ちゃん列車3号機(愛媛大学工学部新居浜返却)の番号板と社紋(左)。DB-1とDB-2の銘板類。DB-1は森製作所で竣功後、一年後に再改造された際の銘板と思われる(右)。'16.12.10 P:玉井良孝
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クラウス3号機の銘板も展示されています。クラウス1号を復元する時、道後公園に展示していた際に無くなった部品調達を愛媛大学工学部(当時、新居浜)に展示していた3号機の返還を得て成し遂げ、現在は梅津寺公園に展示されています。その3号機の残った銘板であり、レプリカの中に3号機の部品が利用されているようです。

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▲伊予鉄道の歴史年表(左)とレールと犬釘の変遷(右)。'16.12.10 P:玉井良孝
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▲伊予鉄 鉄道クラブの皆さんによる写真展示。'16.12.10 P:玉井良孝
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訪れた10日(土)は、伊予鉄 鉄道クラブのNゲージレイアウト、歴史的車輌の写真展示、オリジナルグッズ販売が別部屋で行われていました。全体的に、大規模な「ミュージアム」ではありません。以前、道後駅の2階に部品類、写真類(今回のミュージアムに移動されているようです)が展示されていましたが、しばらくして閉じられてしまいました。朝日新聞によると、伊予鉄・清水社長は「松山市駅前のにぎわいにつながれば」「かつての写真も発掘して展示し、鉄道の歴史や松山市駅前の移り変わりが分かる。コーヒーを味わいながら、ゆっくりとくつろいでいただきたい」と話していますが、いろいろイベントを開いて、長く続いて欲しいものです。

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▲展示されている松山市停車場図。確かに転車台の位置が描かれている。'16.12.10 P:玉井良孝
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ところで、私の収穫は長年探していた「資料」が展示されていたことです。
私の疑問の始まりは、色々な鉄道雑誌に出ていた江本廣一さんが昭和27年2月1日に撮影された伊予鉄道クラウス3号機の写真です。梅津寺を松山市駅方向へ行く3号機の貨物列車がバック運転しています。古町駅の3号機も松山市駅方向へのバック運転です。この時代、この高浜線も郡中線も電化され、クラウスが旅客を牽引しているのは、森松線と横河原線だけです。そのため、この時代の写真として残っているクラウスは、全て松山市駅から森松・横河原方向へ先頭を向けていて、松山市駅での機関庫の出口方向も機関車を前にしています。ところが、3号機の写真のまま松山市駅に帰っていくと、バックを森松・横河原方向に向けることになります。今まで見た写真の中でこの写真だけが逆方向を向いていることになります。

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▲昭和初期の松山市停車場図(左)と、高浜線平面図。'16.12.10 P:玉井良孝
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そうなると、松山市駅の設備に転車台(ターンテーブル)があったと考えられます。ところが、今まで、伊予鉄社史や関連出版物に一枚の写真も見たことありません。転車台の存在を確かめたいと、江本廣一さんや坊っちゃん列車を撮影した先輩方にも問い合わせしましたが、ついに見たという人に出会いませんでした。江本廣一さんには何回もお手紙をいただき、問題の引き伸ばし写真までいただきました。

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▲西井 健さん自筆による松山市駅構内図。'16.12.10 作図:西井 健
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その後、伊予鉄へ昭和20年に入社し、昭和28年まで機関助士をして、バスに配置転換された西井 健さんに知遇を得ました。西井さんは、平成2年、退職時、「坊っちゃん列車物語」を自費出版されました。「機関車の仕事は厳しかったが、それだけに男みょうりに尽きる職場。みんな誇りを持って働いていた」と当時を振り返って、この本にエピソードをいろいろ記録しています。その後、同名の書籍として、アトラス出版から一般に販売されています。その西井さんに松山市駅の転車台の事を聞いてみると、存在の記憶があり、手書きでその場所を示していただきました。

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▲西井 健さんの記憶による転車台の位置。'16.12.10 提供:玉井良孝
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あとは、公文書か写真を探すことでしたが、なかなか出てきません。伊予鉄 鉄道クラブの方にも何か転車台の資料は無いか問い合わせてはいたのですが、数年前、転車台の資料がありそうだとの「ささやき」を聞きました。その後、具体的に資料は出てきませんでしたが、今回、「坊っちゃん列車ミュージアム」で探していた「資料」に出会うことができました。
「資料」は「松山市停車場図(昭和初期)」で、問題の転車台が記載されています。坊っちゃん列車の市駅での写真が多く残っていますが、そこから考えられる線路配置や戦後、伊予鉄で働いていた西井さんの記憶からの線路配置と比較すると、若干、異なります。戦後すぐに米軍が日本全国の航空写真を撮っています。松山市駅周辺の写真もあり、そちらも確認したところ、解像度の問題か、線路配置、転車台の存在の確認は出来ませんでした。松山は、大空襲にあっていますので、戦前戦後で変わっていることの可能性は考えられますが、転車台の存在は続けてあったと信じて「ミュージアム」を後にしました。

※これまでにご紹介した坊っちゃん列車関係記事
・伊予鉄道のディーゼル"坊っちゃん列車" →こちら
・「坊っちゃん列車」を撮る →こちら
・伊予鉄道本社の複製1号機 →こちら
・もうひとつの伊予鉄道1号機レプリカ →こちら
・晴海に来た「坊ちゃん列車」 →こちら
・梅津寺公園の伊予鉄道1号機 →こちら
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48650号機が整備完了。

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▲さながら全検出場直後のような見事な仕上がりとなった48650号機。煙突上の回転式火粉止めはC58形のもの。'16.12.10 P:清原正明
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広島県三次市の文化会館跡地で保存されている48650号機については、これまでにも清原正明さんのレポートでその修復過程をご紹介してまいりましたが(アーカイブ「48650号機の晴れ姿」参照→こちら)、このたび2年にわたる修復整備が完了、先週土曜日(10日)にお披露目会が開催されました。今回も清原さんのレポートでご覧いただきましょう。

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▲保存活動に取り組む若者にOBの皆さんが声を掛ける。'16.12.10 P:清原正明
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▲近所の家族連れもやってきた。'16.12.10 P:清原正明
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製造から95年を迎えた三次の48650号機は、作業開始から2年を経て、修復も概ね終わり、国鉄時代、乗務員として蒸機に接したOBなどを招き、12月10日(土)にお披露目を行いました。

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▲神杉を発車する現役末期の48650号機。'70.10 神杉 P:竹廣敏秀
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傷んだ塗装を剥がし、錆止めを塗った後に仕上げの塗装を施し、足回りは磨き出しで、その出来栄えにはOBも納得したようです。半世紀あまり前の懐かしい話に花が咲いていました。

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▲見事に磨き出された足回り。今にも動き出しそうな美しさだ。'16.12.10 P:清原正明
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48650号機は住山式給水温め器を装備していた8620形式の中では唯一の現存車で、ボイラーには取り外した後の蓋が残っています。
この48650号機、苦労した修復の甲斐あって、外部のコンプレッサーから空気を送ると汽笛が鳴り、ブレーキや発電機も動作します。

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▲実際に作動するようになった発電機。前照灯、尾灯も点灯する。'16.12.10 P:清原正明
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▲住山式給水温め器の取り付け跡(左)。確認できただけでも機関車部分で15ヶ所、炭水車部分14ヶ所が他機からの流用。右のシリンダー被第一覗穴蓋には68697の部品が流用されている。'16.12.10 P:清原正明
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▲磨きこまれたクロスヘッド。こちらはオリジナルの48650と右を示すRの打刻が打ち込まれている。'16.12.10 P:清原正明
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▲火室内も照明が点灯し、構造がわかるようになっている。'16.12.10 P:清原正明
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▲運転時刻表も設置し、ほぼ現役時代そのままの姿を再現した機関士席。'16.12.10 P:清原正明
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当日は関係者以外にも、運行当時本機の写真を撮影した鉄道愛好家や、飛び入りの家族連れなども訪れ、特に子どもは大喜びでした。
今後は毎月の保守、周辺の整備などが課題ですが、来春には一般向けのイベントを計画しておりますので、その際はぜひお出で下さい。

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▲三次の転車台にのる48650号機。この転車台は東武鉄道に引き取られ、来年から鬼怒川温泉駅でC11 207号機を回すことになっている。'70.9 芸備線管理所三次運転支所 P:竹廣敏秀
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「FEDERAL」再発見。

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▲岡谷市のecoポッポ(諏訪湖周クリーンセンター)で"再発見"された「FEDERAL」。今年整備された施設だが、1980年代初頭に所在不明になって以来、実に30年以上の空白を経て再び忽然と姿を現した。'16.11 P:高橋 滋
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それは今から30年以上も前のことです。中山道塩尻峠の頂上付近の資材置場に、プリムス(Plymouth)ともう1輌、聞いたこともない外国製のガソリン機関車が置き去りにされているという噂を聞きつけ、詳しい状況もわからぬまま探しに出掛けたことがあります。今のようにカーナビがあるわけでもなく、道路地図と地形図、それに"聞き込み"だけが頼りの捜索でした。

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▲上回りは後年の改造と思われるが、やけに腰の高い鋳鋼台枠はオリジナル。通常見られる台枠側面の陽刻はなく、軸箱部のチェーンアジャスト機構もない。'16.11 P:高橋 滋
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20161211225841-6be44e02c45cef29fc21fbadc283a10a59b416e8.jpg果たして目的の機関車は「塩尻峠やまびこ公園」の造成地に無造作に置かれていました。しかもその前には国鉄蒸機のものと思われる動輪も...。なんともシュールな光景でしたが、この時を最後に、2輌の機関車はその姿を消してしまいました。後年、プリムスの方は岡谷市の釜口水門河川公園で保存されたのが確認されたものの、もう1輌、FEDERALと陽刻のある謎のガソリン機関車の消息は知れないままでした。

▲保存場所のecoポッポは正式名「諏訪湖周クリーンセンター」が示すように、諏訪湖周辺のゴミ処理センターに隣接する休息施設。'16.11 P:高橋 滋
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▲「自然と人を守り育て、地域をつなぐ活動をけん引し、ecoポッポ(施設名:諏訪湖周クリーンセンター)は、岡谷市・諏訪市・下諏訪町の2市1町と共に、子どもたちの夢を乗せ、光り輝く未来へのレールを、元気に力強く駆けて行きます。竣工 平成28年11月 標高999m」と解説看板にあるが、なにゆえインダストリアル・ロコの展示なのか、いまひとつ要領を得ない。'16.11 P:高橋 滋
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りんてつ倶楽部の高橋 滋さんから「FEDERAL発見!」の報が入ったのは先月のことでした。果たしてFEDERALは諏訪湖周クリーンセンター付帯の「ecoポッポ」という公園施設に立派な屋根を伴って保存され、再びその姿を見せてくれたのです。施設の完成が11月と記されていますから、ナローファンにとってはまさにホットなニュースといえましょう。

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▲"たれ目"の特徴的なキャブ正面窓。Hゴム支持で、当然ながら後年の改造によるもの。'16.11 P:高橋 滋
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▲キャブ側から見たパワートレーン。変速機・逆転機はフリクション式ではなくともに歯車式。ドライブチェーンは失われている。'16.11 P:高橋 滋
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▲FEDERALの文字が鋳出されたウォーターマニホールド。エンジンはストリップシリンダーの4気筒ガソリン。'16.11 P:高橋 滋
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ところで、このFEDERAL(フェデラル)、産業用も含めたアメリカ製機関車メーカーのバイブルともいえる『American Locomotive Builders』 にも記載がなく、その素性は良くわかりません。高橋さんがお調べになったところでは、フェデラルはフルネームが「Federal Trucks」で1910(明治43)年〜1959(昭和34)年にアメリカに存在していたトラック(自動車)メーカーのようです。この会社のロゴは「FEDERAL」の文字の中央を左右に貫通する一本の線が結んでおり、これはラジエターやエンジンの陽刻と一致します。

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▲今から33年前、塩尻峠で発見された当時のプリムス(右)とフェデラル。プリムスはその後、釜口水門河川公園に保存された。'83.7.24 P:名取紀之
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▲両機のバックビュー。黒一色に黄帯の塗色はこの当時からのものだが、警戒色塗装が鉄則の建設現場で黒色とは解せない。'83.7.24 P:名取紀之
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この機関車を使っていたとされる岡谷組さんのホームページを見ると、「昭和3年1月 天竜川上流改良に伴う釜口水門工事(ストニー式構造)に着手し掘削工事用としてアメリカより機関車2輌購入しトロッコけん引により王子の機械化の先端を成し昭和11年3月完成する」とあり、フェデラルとプリムスはまさにその2輌と思われます。

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▲資材置き場に仮置きされた状態のFEDERAL。それにしても蒸機の動輪まで置かれているのは謎。'83.7.24 P:名取紀之
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高橋さんは「釜口水門の工事が1932(昭和7)年〜1934(昭和9)年。工事開始年に新製されたとしたら今年で84歳の機関車です。フェデラル製の機関車は日本で唯一の1輌かも知れませんね」と言っておられます。

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▲南海電車と大阪市営バスとの出会い。鶴見跨線橋上は負担荷重からバスが通行できないため、側道踏切を通ることになる。'16.7.17 P:宮武浩二
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新阪堺電車を継承した大阪市電三宝線廃止後、軌道敷は道路として転用、車庫用地は隣接する企業に売却されて姿を消しました。その中で南海高野線(汐見橋線)をオーバーパスする鶴見跨線橋は撤去されないまま自動車道路に転用されました。2016(平成28)年現在も、新阪堺開業当時からの唯一の遺構として現存しています。なお、市電が走っていたころの画像はRMライブラリー№144『大阪市電最後の日々』の16-17頁にあるのでご参照下さい。

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▲「新阪堺電車御案内」。龍神通-浜寺間は目下工事中とある。所蔵:宮武浩二
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この鶴見跨線橋は架線柱の基礎部分が残っていること、鉄道線路跡に見られる鋳鉄シューの粉塵がこびりついていることから鉄道橋であったことを物語っています。現存する鶴見跨線橋の外観は石組みになっているものの、伝承では構造物は木造ということで、耐久性と道路幅で大型車の離合ができないことから、大型車の通行は禁止されています。よって大型車は側道の踏切を渡ることとなり、市電の後継者たる大阪市営バスも側道を運行しているのはなんとも皮肉なことです。

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▲鶴見橋商店街側から見た鶴見跨線橋。大阪市電三宝線ありしころはセンターポール区間で市電が往復していた。'16.7.17 P:宮武浩二
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▲鶴見跨線橋を側面から見ると緩やかな勾配で南海汐見橋線をオーバーパスするのがわかる。'16.7.17 P:宮武浩二
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▲踏切手前には架線柱の基礎が残り、わずかであるが架線柱が残っている。'16.7.17 P:宮武浩二
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▲これが新阪堺時代からの架線柱の遺構。'16.7.17 P:宮武浩二
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▲跨線橋は石組にも見えるが実は木造橋と伝承があり、強度が落ちていることと道幅が狭いことから大型車の通行は禁止されている。将来国道を拡張するときは撤去される予定である。'16.7.17 P:宮武浩二
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▲津守神社側の勾配は比較的角度がきつい(左)。右は津守神社側から見た鶴見跨線橋。RMライブラリー144巻18頁下段の写真と比較されたい。'16.7.17 P:宮武浩二
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▲こちら側にも架線柱の基礎が残り、架線柱の一部も残されている。RMライブラリー144巻19頁の写真と比較されたい。'16.7.17 P:宮武浩二
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架線柱が数カ所根元から切断されたためか一部が今も残っており、この架線柱は新阪堺時代からの貴重な遺構と言えましょう。南海線とのクロス部分は道路橋に転用する際に鉄道用では幅が狭いため作り直されていて、この部分は市電とは関係がありません。

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▲鉄橋そのものは市電廃止後の1969(昭和44)年に架け替えられている。'16.7.17 P:宮武浩二
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なお、この跨線橋にはひらがなで「つるみこせんきょう」と橋の名前が石材で彫り込まれていますが、人も自転車も通ることができないので車からのみ確認することができます。いずれにせよ、もともと鉄道橋であったため、橋の中央部分でカーブするなどしており、道路幅も狭いことから跨線橋としては使い勝手が悪いと言えます。ちなみに、この鶴見跨線橋も1927(昭和2年)に建設され来年で90年となるだけに、長寿跨線橋と言えましょう。ただしこの道路も拡幅計画があるため、その時はいよいよこの鶴見跨線橋も撤去されることとなるでしょう。

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▲かつて新阪堺電車が走った鶴見跨線橋下を行く南海2200系2連の汐見橋行き。'16.7.17 P:宮武浩二
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2008(平成20)年7月11日アップの「消えた阪神甲子園パークの保存車」以来、たびたび小ブログに記事をお寄せいただいてきたのが、RMライブラリー『全盛期の大阪市電』などの著者でもある宮武浩二さんです。実は宮武さん、『編集長敬白』に掲載されたご自身の記事をエクセルで一覧表にされておられ、その数はなんと93回にも及んでいます。さらに、エントリーされながらまだご紹介できていない記事がそれこそ山ほどあり、ご自身は100回達成を心待ちにされていたそうです。そんななか、小ブログを閉じるのはなんとも忍びないのですが、せめて宮武アーカイブの94回目、95回目として知られざる新阪堺電車こと阪堺電鉄のお話をご紹介いたしましょう。

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▲大阪市交通局の市バスは鶴見跨線橋は走ることができず側道を通過する。'16.7.17 P:宮武浩二
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20161208171127-e2c8b2411e2c307fb2e4cc27efe390388f9d6f0f.jpg今ではほとんど聞くことが無くなった「新阪堺電車」。そのルーツは1927(昭和2)年10月1日に芦原橋から三宝車庫前間を走ったのが最初でした。当時すでに営業していた天王寺駅から浜寺公園を走る阪堺電気軌道と区別するため、正式な社名こそ阪堺電鉄であるものの、会社もPRする際には「新阪堺電車」の名称を使用していました。

▲新阪堺の社章。大阪のOと堺のSを組み合わせたもの。所蔵:宮武浩二
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▲新阪堺の路線図。この先の浜寺までの延伸が計画されていた。住之江公園付近は新阪堺が住宅地を開発していたところであったが、1934(昭和9)年の室戸台風のため跡形もなく破壊されてしまった。所蔵:宮武浩二
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▲1930(昭和5)年に開園した際、新阪堺電車が製作した住之江公園の絵葉書と沿線案内。所蔵:宮武浩二
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▲絵葉書に見る住之江公園の全景。所蔵:宮武浩二
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20161208171314-80cdd4038d9c614aaf3ec717c31256e0d7743a9e.jpg1927(昭和2)年10月1日に第一期開業区間である芦原橋から三宝車庫前間が開業しました。1930(昭和5)年10月には沿線の住之江に府営住之江公園が完成しました。この公園は欧米諸国の運動施設公園と築山泉池を持つ日本庭園を併せ持った新しい都市公園として整備され、当時の金で25万園の費用が掛かりましたが、うち費用負担として南海鉄道が15万円、沿線の新阪堺電車から6万円の寄付金で賄われたと伝えられます。公園には野球場、陸上競技場、テニスコートのほか府民の憩いの場所として大花壇が作られて休日はたいへんな盛況ぶりだったと聞きます。当時新阪堺電車が発行した住之江公園絵葉書には日本庭園の池(ひょうたん池)とそこにかかる太鼓橋が写されていますが、幾多の災害を克服して現在もその姿を留めているのは嬉しい限りです。

▲住之江公園の陸上用トラック。所蔵:宮武浩二
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▲開園当時の花壇。所蔵:宮武浩二
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▲そして現在の花壇。'16.8.13 P:宮武浩二
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20161208171456-11db45ae7fc0d058ac220510b397b3cba7e8b667.jpg日中戦争が始まり、新阪堺電車沿線の造船所(藤永田造船、浪速船渠、佐野安造船)が増産体制となると、この付近唯一の鉄道路線である新阪堺電車の輸送量は急速に増えてゆき、新阪堺電車の輸送量だけでは追いつかなくなりました。1943(昭和18)年1月19日、現状を見かねた大阪府警察部長から新阪堺電車に対して業務改善の通牒が出されました。

←藤永田造船所跡に立つ石碑。'16.7.30 P:宮武浩二
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▲室戸台風、ジェーン台風で痛めつけられた太鼓橋は近年老朽化が目立ち、状況を調査中とのこと。'16.8.13 P:宮武浩二
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▲大阪府と公園管理事務所による太鼓橋の現状についての説明。P:宮武浩二
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▲新阪堺電車による「住ノ江公園節」歌詞カード。所蔵:宮武浩二
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内容は阪堺電鉄輸送力増強に関する件とし、会社側に改善を勧告したものの、一向にはかどらずついには新阪堺電車を大阪市電に買収させて一元化した運営が望ましいとの流れから、運輸通信省から新阪堺電車に対して会社の持つすべての資産を大阪市に譲渡すべしと強制に近い勧奨があり、1944(昭和19)年3月27日、当時の金633万円で大阪市が買収することとなりました。

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▲開園から86年を経たひょうたん池と太鼓橋。'16.8.13 P:宮武浩二
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その後は大阪市電三宝線として経営されましたが、昭和30年代後半になって堺泉北臨海工業地帯の開発が始まると、三宝線の軌道敷をアスファルト塗装にするなどした結果、ここを通る大型車輌が増えてかえって危険な状態となってしまいました。高度成長時代に増え続けた自動車は市電の軌道敷をも占領、ついには道路交通の邪魔もの扱いされた市電は廃止へと進み、新阪堺線の開業から41年、1968(昭和43)年10月1日(最終電車は前日の9月30日)をもって廃止されてしまいました。この時、三宝運輸事務所も同時に閉鎖されて、新阪堺電車の系譜は途絶えたのです。

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▲歌舞伎の隈取りをアレンジした5500形外観(イメージ)。提供:東京都交通局
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東京都交通局では、2020年に開業60周年を迎える浅草線について、「Tokyoと世界を結ぶ地下鉄」というトータルコンセプトに基づいて、車輌から駅施設まで路線全体をリニューアルするプロジェクト"浅草線リニューアル・プロジェクト"をスタート、車輌の更新や駅構内の改装などを実施し、計画的にリニューアルを行なうこととなりました。その第1弾として、2018(平成30)年春を目途に、浅草線で20年ぶりとなる新型車輌「5500形」が誕生します。

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▲和の雰囲気に満ちた5500形内装(イメージ)。提供:東京都交通局
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羽田・成田両空港を結び、浅草や銀座といった東京を代表する観光地をつなぐ路線にふさわしく、通勤・通学での利用者から訪日外国人旅行客まで、誰もが使いやすい車輌とするとしており、コンセプトは「日本らしさとスピード感が伝わる車輌」。外観デザインは、国際的にも日本のイメージとして一般的で、かつ浅草線沿線とゆかりのある歌舞伎の隈取りを現代風にアレンジし、凛々しく躍動感あるデザインとなります。

20161207141030-e0cbab4b5b79eb289fd423c75d0f987bcf6bce0b.jpg内装は、和紙や寄せ小紋のほか、東京の伝統工芸品である江戸切子などの柄とともに、沿線由来のイラストを使用し、落ち着きのある和の雰囲気の中にも遊び心がある空間デザインが予定されています。

▲座席柄(寄せ小紋)。提供:東京都交通局
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▲左:カーテン柄(沿線由来イラスト)。右:壁面(和紙調)。提供:東京都交通局
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20161207141155-ae14f693e9693cb9674d633a5e9185748a07095f.jpg■車輌概要
(1)車輌形式
 5500形
(2)導入編成数
 2017(平成29)年度1編成(8輌)、2018(平成30)年度7編成(56輌)
 以降、順次導入予定
※今後、全27編成を新型車輌へ置き換える。
(3)車輌の特徴
①ユニバーサルデザインの考え方を取り入れた「人にやさしい車輌」
・車いすやベビーカー、大きな手荷物を持つ方にも利用しやすいように、全ての車輌に車いすスペースまたはフリースペースを設置する。
・ラッシュ時にスムーズな乗降ができるように、乗降口脇のスペースを広くする。
・吊手や手すりの数を充実させるとともに、低い吊手や荷物棚を設置する。

▲座席仕切り(江戸切子調)。提供:東京都交通局
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②快適な車内空間
・座席は幅を広くするとともに、大型化した見通しの良い仕切りを採用。
・冷房能力を強化するとともに、空気清浄機能を採用し、快適な車内空間を提供する。
・多言語対応の液晶モニターの設置など、日常で利用の方はもちろんのこと、訪日外国人の方へも充実した案内を提供する。
③環境性能
・全照明にLEDを採用。
・次世代半導体素子SiC(※1)を採用したVVVF制御(※2)装置を採用し、環境負荷の低減を図る。
(※1)SiC:炭化ケイ素(SiC シリコンカーバイド)を用いる半導体デバイスで、従来から用いられてきたSi(シリコン)に比べて低損失・高温動作が特徴。
(※2)VVVF制御:可変電圧・可変周波数制御:直流の電流をインバーター装置で交流に変換し、構造が簡略で高出力な交流モーターで電車を走らせる仕組み。

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▲沿線由来イラスト。提供:東京都交通局
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なお、"浅草線リニューアル・プロジェクト"では今後、以下が予定されています。
2017(平成29)年度 エリアごとの駅デザインガイドラインの策定
2018(平成30)年度 プロジェクトの基本構想発表
東京2020大会まで  泉岳寺駅・大門駅へのホームドア設置

資料提供:東京都交通局

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宇津峠を目指して 手ノ子駅を出発した29622牽引の貨物列車は、宇津峠を目指して颯爽と走り去って行く。行く手には25‰の急勾配と1,279mの宇津トンネルが待ち受けている。'71.1 米坂線 手の子−羽前沼沢 P:後藤 篤 (『わが国鉄時代』Vol.17より)
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読者の皆さんからお寄せいただく投稿型ブログ「わが国鉄時代」も、早いもので11年目を迎え、そこから生まれたムック『わが国鉄時代』もこのたび17巻目を発刊いたしました。山下編集長からこの『わが国鉄時代』Vol.17の見どころをご紹介いたしましょう。

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急行「つくし」 C59 166〔糸〕に牽引された42レ急行「つくし」が加速しながら轟音とともに芦田川を渡る。山陽路のC59が輝いていた時代。'62.2.14 山陽本線 福山−備後赤坂 P:宇田賢吉 (『わが国鉄時代』Vol.17より)
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数えきれないドラマがあった...。写真の数だけ思い出があります。ビジュアルムック『わが国鉄時代』も17巻目、今号も多くの皆様からのご投稿をいただき、昭和の香りの高い一冊となりました。

20161206150803-714b9adf104dc830020fadf083b5138c5f354b69.jpg特集は「C59・C60」「夜汽車の時代」「上越線 昭和の記憶」の三本立て。C62の陰にかくれた印象がつきまとうC59ですが、その活躍は、北は東北本線小牛田から南は鹿児島本線熊本におよび、特急・急行を始め幹線の主力機として君臨していました。その改造機C60は均整のとれた美しいプロポーションそのままに、二軸従台車を履いた密度の高い足回りが魅力です。多くの皆様から寄せられた写真の数々から、あらためてこの2形式の美しさを認識いたしました。

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▲九州内のC59・C60の栄枯盛衰を綴った「九州に生きたC59・C60」(右頁)。 (『わが国鉄時代』Vol.17より)
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C59 1が保存されている九州鉄道記念館の宇都宮照信副館長にご寄稿いただいた「九州に生きたC59・C60」は、九州内での優等列車牽引を中心とした栄枯盛衰を綴った記事で、貴重な写真とともに往時に思いを馳せることができます。

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冬の朝 荷2031レで下った荷物列車は荷34レで上がってきます。朝日を浴びて東上する"ロクイチ"の顔に少し雪がついていました。'84.1 東海道貨物線 横浜羽沢−鶴見 P:中山英昭 (『わが国鉄時代』Vol.17より)
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「夜汽車の時代」は美しい名の夜行列車が縦横に日本列島の夜を彩っていた時代、「上越線 昭和の記憶」では181系「とき」やEF15・EF16・EF58が日本有数の山岳線で快走していた時代、思いのこもった写真とエピソードで、インクの香りとともに懐かしさが漂ってきます。メインとなる一般ページの写真も単なる個人の思い出の域に留まらず、後世への語り部として息づいています。冬の夜、コタツに入って『わが国鉄時代』で時間旅行もよいのではないでしょうか。

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▲左頁:ふるさと 唱歌「ふるさと」は国文学者・高野辰之がわが故郷の千曲川沿いの里の風景を詩にしたものだが、この心和む風景にはC56がよく似合う。まさに日本の原風景である。 '69.2 飯山線 替佐-蓮 P:田邊幸男
右頁上:富士山と小海線 「小海線沿線からでも富士山が見えるよ」と言う友達の言葉にそそのかされ、お天気が良さそうな日に出掛けてみた。今まで静岡側からしか富士山を見たことが無かったが、山梨側からの富士山の容姿にすっかり魅了され、この一枚がその後の「小淵沢詣で」のきっかけとなった。 '86.1.12 小海線 小淵沢−甲斐大泉 P:矢野登志樹
右頁下:余韻 「上手く撮れた?」小学生たちの声が聞こえてきそう。爽やかな高原の風が吹く野辺山駅を、軽快に出発するC56牽引の貨物列車。夏休みの林間学校、楽しかった自由時間の一場面。 '70.7 小海線 野辺山 P:後藤 篤
 (『わが国鉄時代』Vol.17より)
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峠に向かって 常紋に行くため前夜札幌から乗車した「大雪6号」は大幅に遅れ、生田原到着時は明るくなっていた。列車の最後尾はホームに掛からないので、雪中に飛び降り上りホームに駆け上がった。多少の遅れなら撮れないであろう雪の生田原発車が撮影できた。517レ '70.3.4 石北本線 生田原 P:田中敏一 (『わが国鉄時代』Vol.17より)
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▲ヨ5000形(ヨ13785)+ヨ8000形(ヨ8709)を従えて試運転線を行くC11 207。ヨ5000形(ヨ13785)は東武博物館所有の産業文化遺産であるが、車籍がないことから残念ながらSL「大樹」では使用されない。'16.12.1 P:RM(伊藤真悟)
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東武鉄道は12月1日、2017(平成29)年夏に東武鬼怒川線下今市~鬼怒川温泉間で運転開始を予定しているC11 207牽引の列車名称をSL「大樹」(たいじゅ)とし、ヘッドマークデザインを発表しました。

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▲SL「大樹」のヘッドマーク。「三つ葉葵」をもとに、葵の紋を3つの動輪で表現している。'16.12.1 P:RM(伊藤真悟)
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「大樹」は、日光東照宮から連想される「将軍」の別称・尊称と言われていることと、「東京スカイツリー(R)」を想起させることから、沿線とともに力強く大きく育ってほしいとの思いを込めて列車名称に採用したものだそうです。

20161205150456-cf0bb66346ef00418176d05ae43df0377d84f610.jpgヘッドマークデザインは、徳川家の家紋である「三つ葉葵」をもとに、葵の紋をC11形らしく3つの動輪で表現して、「大樹」の文字を重ねています。また、「葵」はつながっていくことを意味する文様とも言われていることから、3つの動輪については、日光・鬼怒川温泉・下今市の3つのエリアが互いに連動し、地域の回遊性が向上してほしいという思いを込めています。なお、「大樹」の文字は、書道家であり日光観光大使も務める涼風花(りょうふうか)さんが揮毫(きごう)しています。

▲南栗橋SL検修庫内からヘッドマークに幕を覆ったC11 207が登場。検修庫には、以前にはなかった「東武鉄道 南栗橋SL検修庫」の銘板が取り付けられている。'16.12.1 P:RM(伊藤真悟)
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▲南栗橋SL検修庫内で行われた「列車名称発表会」。涼風花さんが列車名称を揮毫するともに(左)、根津嘉澄 東武鉄道株式会社 取締役社長から列車名称が発表された(右)。 '16.12.1 P:RM(伊藤真悟)
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当日は、南栗橋SL検修庫内で「列車名称発表会」が行われ、実際に涼風花さんが列車名を揮毫するとともに、根津嘉澄東武鉄道株式会社取締役社長から列車名称が発表されました。続いて同検修庫前へ会場を移し、庫内からヘッドマーク部に幕を覆ったC11 207が登場。涼風花さんと根津嘉澄取締役社長により除幕が行われ、ヘッドマークのデザインがお披露目されました。その後は、C11 207単機での自走シーンと、ヨ5000形(ヨ13785)+ヨ8000形(ヨ8709)を従えての走行シーンが公開されました。

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▲SL「大樹」のヘッドマークが披露され、フォトセッションが行われた。左から、都筑 豊東武鉄道株式会社取締役鉄道事業本部長、牧野 修東武鉄道株式会社専務取締役、根津嘉澄東武鉄道株式会社取締役社長、涼風花 日光観光大使/書道家、角田建一東武鉄道株式会社取締役副社長、三輪裕章東武鉄道株式会社常務取締役。'16.12.1 P:RM(伊藤真悟)
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列車名称がSL「大樹」に決定し、営業運転開始に向けての準備が着々と進められていますが、今後は、12月頃にJR東日本よりDE10 1099を譲受し、来年4月頃には東武鬼怒川線で試運転が開始される予定となっています。
取材協力:東武鉄道株式会社

※本日放送予定だったNHKラジオ第1「鉄道なトリップ」は臨時国会(参議院TPP特別委員会質疑)中継のため延期となりました。次回は再来週12月19日(月曜日)の放送となります。

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▲2005(平成17)年5月27日、「編集長敬白」はこの私のデスクの写真から始まった。
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早いものでカレンダーは12月。私ごとで恐縮ですが、年明け早々についに還暦を迎え、本年年末をもって定年退職いたします。当然ながらこれにともない、小ブログ「編集長敬白」も年内で終着駅とさせていただきます。思えば足掛け12年、HTMLタグも知らずにスタートしながらも、多くの皆さんに支えられてロングランを達成することができました。あらためてお礼申し上げます。

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▲そして現在のデスク。この期におよんでここでも"定点観測"。
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2005(平成17)年当時はブログが世間的にも新たなコミュニケーション・ツールとして脚光を浴びている、いわばブログの全盛期でした。アフィリエイト広告でブログを生業とする"ブロガー"さえ生まれ、個人ブログもPV(ページビュー)を上げるためのSEO(検索エンジンの最適化)対策に躍起となっていた時代です。しかしSNSツールはその後Facebook、Twitter、Lineと変遷し、字数制限、さらには絵文字へとより単純な方向へと流れ、テキストと写真で"編集"するブログはその趨勢のなかでいつしか時代遅れの感を免れなくなってしまいました。事実、数年前までは頻繁に更新されていた有力ブログも、新たなアップロードが滞ったままという例は少なくありません。

Wikipediaには「ブログ読者によるコメントやトラックバックを許可していない。この非双方向性ブログは1日1万アクセスを超える閲覧があり、インターネット的電子媒体というよりも旧来的紙媒体の性格を持つブログである」と紹介されてしまっていますが、実際、日々のメールの返信だけでも四苦八苦しているなかで、頂戴するであろう膨大なコメントに返信をすることはほとんど不可能で、あえて"非双方向性ブログ"(前出Wikipedia)のまま、なおかつ終始フォーマットを変えずに走り続けてまいりました。

さらに、たとえ短文であろうと、日々アクセスしていただく皆さんに多少なりともお役にたつ内容をと努力してきた心算ではあります。これが思いのほか"重労働"で、アップロード後の深夜、間違った記述をしてしまったのではないかと飛び起きることも一再ではありませんでした。そんな足掛け12年でしたが、おかげさまで一定の評価を頂戴するようになり、今では鉄道事業者や車輌メーカーのトップの方からも毎日楽しみにしていますとお声掛けいただくまでになりました。

それだけに名残惜しいですが、まさに寄る年波、終着駅とさせていただくことにいたしました。最終アップロードは12月27日(火曜日)の例によって23時59分。残すところ16回となりましたが、どうか最後までご愛読のほどをお願い申し上げます。

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初冬の釧路を巡る。(補遺)

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▲雄別鉄道跡にはいくつかの橋梁が残されている。写真はベルツナイ川橋梁で、手前の橋脚の基礎部は長年の浸食で半分ほどになってしまっている。'16.11.26
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3回にわたって簡易軌道を中心にその遺構をご紹介してまいりましたが、補遺として瞥見した雄別鉄道跡の現状もご紹介いたしましょう。

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▲雄別炭山駅構内に残る擁壁。画面前方が選炭場方面。'16.11.26
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釧路~雄別炭山間44.1㎞を結んでいた雄別鉄道が廃止となったのは1970(昭和45)年4月ですから、すでに46年も前のこととなります。現在でも釧路製作所で保存されている8722号機をはじめ、自社発注のC56 1001など多彩な機関車を擁したこの運炭鉄道は昭和30年代に入っても順調に輸送量を伸ばしてきましたが、1970(昭和45)年2月に突如として会社倒産、全山閉山という衝撃的な最後を迎えます。

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▲そしてこれが雄別炭山駅のホーム跡。まったく人気のない山中に忽然と石積みだけが残る。'16.11.26
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20161201143654-de6a9bd70054e32856e2ac4cc0cfbc8ff47082b6.jpg当時、古潭地区から炭山にかけてはたいへんな賑わいだったようですが、今ではまったく住居もなくなってしまい、雄別炭山駅の手前からはまったく人の気配のない荒地となってしまいます。それでも旅客ホームの跡などが辛うじて残されており、その広い構内面積からはかつての繁栄が偲ばれます。

▲お洒落な外観の阿寒町炭礦と鉄道館。6~9月の日曜日、夏休み期間中しか開館しておらず、展示を見る機会はなかなかない。'16.11.26
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▲車紋や通票、それにあの9046号機の番号板なども展示されている。'16.11.26
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▲雄別炭礦の賑わいを伝える展示の数々(左)。歴代の機関車銘板や番号板も展示されている。'16.11.26
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途中の阿寒町は丹頂鶴の飛来地として知られ、「あかんランド丹頂の里」として各種観光施設が並んでいます。その観光施設群に隠れるように「阿寒町炭礦と鉄道館」があり、裏庭にはC11 65号機とヨ8057が模擬ホームを伴って保存されています。実はここは9年ほど前に訪れたことがありますが(アーカイブ「雄別鉄道記念館のC11」参照→こちら)、その際に荒廃ぶりが気になっていたオハ62 95は、その後あえなく解体されてしまったそうで、台車だけが空しく残されていました。

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▲なんと9年前に見たオハ62 95は解体されてしまい、台車だけが残されていた。'16.11.26
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▲一見軌道跡に見えるが、これは後から作られた模擬線路。軌道自転車もあり、体験運転もできそうだ。ちなみに周囲の沢は天然クレソンの自生地。'16.11.26
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前回は残念ながら館内の見学ができませんでしたが、今回は地元の皆さんのご配慮で特別に鍵を開けていただき、その展示品を拝見することができました。鉄道関連の展示もさることながら、雄別炭山全盛期の信じられないほどの賑わいぶりが、ことのほか印象に残りました。

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▲再塗装と修理が行われて見違えるほどきれいになったC11 65。もと国鉄機で、1961(昭和36)年に雄別入りしている。客車はなくなってしまったが、後ろのヨ8057は健在。'16.11.26
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▲釧路製作所正門前に保存されている8722号機。すでに毎年恒例のクリスマスイルミネーションの下準備が行われている。'16.11.25
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釧路市立博物館での講演の前後を縫っての駆け足での遺構探訪でしたが、釧路の皆さんのサポートのおかげで、このように実に印象深い3日間を過ごすことができました。この場を借りてあらためてお礼申し上げます。

NHKラジオ第1「鉄道なトリップ」:12月5日(月曜日)16:07~16:27  今回はダージリン・ヒマラヤン鉄道のお話をいたします。全国どこでもお聞きになれます。

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