鉄道ホビダス

2016年11月アーカイブ

初冬の釧路を巡る。(下)

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▲朝の春採駅構内。廃墟ではない生きた炭砿の息吹きが心地よい。'16.11.26 P:名取紀之
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講演当日の午前中は釧路臨港鉄道の会の皆さんのご配慮で、ひさしぶりに太平洋石炭輸送販売の春採駅を訪れました(アーカイブ「道東の鉄道遺産を巡る」参照→こちら)。聞くところでは興津地区に火力発電所を建設する計画があり、オンレールでの石炭輸送も先行き不透明な部分が出てきたそうです。シャトルトレインとして親しまれている運炭列車の豪快なサウンドを聞きながら、春採を最初に訪れた42年前を思い返していました。

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▲この日の1列車の"B車"は珍しくD401が登場。1964(昭和39)年日車製のロッド式で、ロッドの回転をひさしぶりに堪能。'16.11.26 P:名取紀之
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▲"A車"担当はもちろんDE601。豪快なCatサウンドがシャトルトレインの健在ぶりをアピールする。'16.11.26 P:名取紀之
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講演後の27日は釧路市博物館の石川学芸員にご案内いただき、浜中町営軌道と標茶町営軌道の跡を巡りました。ご一緒したのは湯口 徹さん、『簡易軌道写真帖』の今井 理さん、鶴居村営軌道の研究で知られる九州大学教授の清水一史さん、釧路製作所の奥山道紀さん、そして酪農と乳業の専門家・雪印メグミルクの佐々木正巳さんら。簡易軌道に関してこれ以上のメンバーはいない、まさに最強の顔ぶれとなりました。

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▲最後まで運行していた浜中町営軌道だが、残された車輌は茶内駅近くの「ふるさと公園」に保存されている釧路製作所製DLと運輸工業製自走客車の台車のみとなってしまった(アーカイブ「道東の鉄道遺産を巡る」参照→こちら)。'16.11.27 P:名取紀之
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▲最近になって「浜中町軌道跡」の看板が設けられ、一部の軌道跡も遺跡として整備されつつある。'16.11.27 P:名取紀之
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▲浜中町営軌道円朱別線と茶内線の分岐点・秩父内の現在。ブロック積みの建物は軌道時代からのもの。板材で軌道敷きを表現しているようだ。'16.11.27 P:名取紀之
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20161130182211-d14e4f4811f948ef01ad462088b049f47c437e36.jpgとりわけ興味深かったのが雪印メグミルクの佐々木正巳さんの解説で、クーラーステーションの役割からJA(農協)の担当区域、さらには集乳缶の構造まで、車輌にばかり興味が向いていた不徳を思い知る結果となりました。佐々木さんは企画展の会期末、来年1月14日に「酪農・乳業と簡易軌道講演会」の講師を務められる予定で(→こちら)、既知のアプローチではない別の角度から私たちが知りえなかった簡易軌道の実像をお話いただけるはずです。

▲秩父内で60年前の訪問時の様子を語る湯口 徹さん(中央)。右端が雪印メグミルクの佐々木正巳さん。'16.11.27 P:名取紀之
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▲西円朱別手前にあったクーラーステーション支線の現在。往時の写真を掲げて説明されているのは今回の企画展の中心となった釧路市立博物館の石川孝織学芸員。'16.11.27 P:名取紀之
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最後に訪れたのは標茶町営軌道の開運町車庫跡。道東の日没は早く、15時台というのに到着時にはすでに夕闇が迫っておりましたが、しっかりと残る軌道時代の車庫にあらためて感動しました。町有地とのことで、更地となっている構内面積も広く、車輌さえ残っていればこの地を簡易軌道ミュージアムとして再生することも決して夢ではないのでは...と思いを馳せてしまいます。

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▲こちらは標茶町営軌道の車庫があった開運町。現在でも2棟の車庫がそのまま残っている。雪に転車台の位置を描いているのは私。'16.11.27 P:奥 清博
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▲開運町車庫の今昔。残念ながら標茶町営軌道には車輌が残されておらず、その点が何とも残念。'16.11.27 P:名取紀之
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さて、3日にわたって釧路近郊の鉄道を巡りましたが、一方のJR線はいろいろな意味で危機的状況に陥っています。根室本線が分断されているため、釧路空港は駐車場が溢れ、一方の釧路駅構内の商店は特急の発着がないため夕方で店じまいしてしまう閑散ぶりです。「冬の湿原号」の蒸気機関車あり、臨港鉄道あり、そしてほかにはない簡易軌道の遺構ありと、まさに鉄道の聖地でもある釧路、その根幹が揺らぎ始めている不安を感じつつ東京へと帰路につきました。

明日はご紹介しきれなかった雄別鉄道跡を追録としてご紹介いたしましょう。

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▲今夏の水害によって根室本線の東鹿越~芽室間はいまだに不通のまま。不通区間をバス連絡する臨時列車が釧路と札幌を結んでいる。'16.11.26 P:名取紀之
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初冬の釧路を巡る。(中)

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▲企画展「釧路・根室の簡易軌道」開催にあわせ再塗装が施されてすっかりきれいになった鶴居村の保存車輌。'16.11.25
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26日の講演会に先立ち、釧路臨港鉄道の会の笹 正之さんのご案内でひさしぶりに鶴居村へと向かいました。鶴居村営軌道の保存車は1968(昭和43)年の廃止時まで使用されていた泰和車輌製ディーゼル機関車(1960年製8t)と、「自走客車」と呼ばれる同じく泰和製の気動車(1964年製)の2輌。ながらく鶴居村中心部にある商工館(もと郷土資料館)前に展示されていましたが(アーカイブ「道東の鉄道遺産を巡る」参照→こちら)、2年ほど前に「ふるさと情報館みなくる」前に屋根を伴って移設されています(アーカイブ「整備・移転した鶴居村の保存車輌」参照→こちら)。

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▲泰和車輌製自走客車も軌道OBの証言を基に現役時代に近い塗色に変更された。'16.11.25
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▲「鶴居村の軌道について」と記された説明板も設けられている。'16.11.25
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かつての郷土資料館前に保存されていた当時は数回訪問しているのですが(アーカイブ「鶴居村営軌道の忘れ形見」参照→こちら)、現在地に移転してからは訪れたことがありませんでした。なおかつ、今回の企画展「釧路・根室の簡易軌道」開催にあわせて、自走客車の再塗装が施されたとのことで、見違えるような美しい姿を見ることができました。

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▲自走客車の客室内の見学もできるようになった(事前に村教育委員会に申し出る)。'16.11.25
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▲車内に残されている泰和車輌の銘板(左)と、開発局の銘板(右)。'16.11.25
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▲復元された自走客車運転台(左)。右は「札幌 泰和車両 昭和39年」の文字が浮かぶ車体裾の銘板。'16.11.25
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再塗装に際しては、以前より「青色が濃い」など、当時と塗色が異なるといった指摘があったため、軌道OBらの証言をもとに軌道最末期の塗色により近い塗り替えが行われたとのことです。実際に目にしてみると、ブルーの濃淡に白帯を巻いたデザインはとてもお洒落で、原野を颯爽と走る姿を一度目にしてみたかったとの思いをあらためて強くしました。

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▲鶴居村の保存車輌は機関車も泰和車輌製。保存状態はすこぶる良好。'16.11.25
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▲泰和製機関車のキャブ内。なぜか2人掛け用のバックシートがあり、そのシートのために右ドアからの乗降は極めてやりにくい。'16.11.25
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▲エンジンはトラック等でも一般的ないすゞDA120形(左)。左側キャブドアには矩形の巨大な銘板が付く。'16.11.25
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ご案内いただいた鶴居村教育委員会の吉田教育課長のお話では、近年は見学に訪れる方も多く、改めて簡易軌道の魅力に気づかされるとのこと。ちなみに、自走客車の客室内も、事前に教育委員会に連絡をすれば見学可能だそうです。

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▲幌呂線の終点近く、上幌呂には軌道現役時代の車庫がそのまま残されている。かつて手前の空き地には小さな転車台が設けられていた。'16.11.25
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初冬の釧路を巡る。(上)

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▲根室を5時30分に出た初発の5624D(左)が釧路に到着する。4番線(右)に停車しているのは5624Dの到着を待って8時18分に発車する根室行き5627D。根室本線釧路~根室間も、先ごろJR北海道が発表した「単独では維持することが困難な線区」(→こちら)とされており、今後が懸念される。'16.11.27 釧路 P:名取紀之
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先週末は釧路市立博物館の創立80周年企画展「釧路・根室の簡易軌道」での「簡易軌道と鉄道遺産講演会」にお招きいただき、1年4ヶ月ぶりに釧路の地を訪れました。

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▲会場となった釧路市立博物館の講堂は満員御礼の盛況ぶり。地元の方ばかりでなく、関東や関西からわざわざ足を運ばれた方も少なくなかった。写真は私の講演。'16.11.26 P:情野裕良
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この「簡易軌道と鉄道遺産講演会」は、簡易軌道研究の第一人者である湯口 徹さんが「北海道殖民/簡易軌道」と題した講演を、続いて私が「唯一無二の地域遺産をどう活かすか~道内・そして全国の事例から~」と題した講演をさせていただくもので、会場は釧路市立博物館の立派な講堂。事前予約制ではないため、果たしてどれほど多くの方にお越しいただけるものかと心配しておりましたが、結果的には満員の大盛況。しかも道内各地はもとより、東京、大阪、さらには遠路福岡から来られた方もおられ、演者の一人としても恐縮することしきりでした。

20161128160614-fb7498aa8038d4223b2165e8534e6b70f21092ad.jpg湯口さんのご講演は殖民軌道の成り立ちからその特殊性、そして車輌や運行に関しての変遷をわかりやすく解説し、後半は昭和30年代に自らが訪ねられた際の、現代では考えられないエピソードの数々を、ユーモアたっぷりに語りかけるものでした。ことに雪裡線と幌呂線の自走客車が原野で続行デッドヒートを繰り広げる鶴居村営軌道や、新車の試運転列車が対向してくる定期ミルク列車と鉢合わせしてまう浜中町営軌道の様子などは、実体験したファンでなければ語ることのできない逸話で、会場の皆さんも身を乗り出さんばかりに聞き入っておられました。

▲「釧路に来るのは概ね60年ぶり」と仰る湯口 徹さん。軽妙な語り口で簡易軌道を巡り歩いた体験談を披露された。'16.11.26 P:奥 清博
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湯口さんが総括されるに、殖民軌道(簡易軌道)とは泥炭土壌地帯の道路の代用として考え出されたもので、一言で言ってしまえば鉄道というよりは道路の変形だったのではないかとのこと。戦後、道庁も北海道開発局もその育成には必ずしも熱心ではなく、一方、鉄道を所管する中央官庁からは最後まで不可侵の関係を保ったことが、他に類例を見ない独自の世界を築き上げていったと言えましょう。

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▲今や伝説の書となった『簡易軌道見聞録』を著者の湯口さん自らが語られるまたとない機会となった。'16.11.26 P:奥 清博
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さて私の方は、ようやく見直し機運が醸成され始めたこの簡易軌道という地域遺産を、それではどうやって利活用してゆくのか、その可能性を、全国各地、さらには海外の事例を含めて解説申し上げました。

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▲続いての私の講演は「唯一無二の地域遺産をどう活かすか」という、むしろ現在、そして将来に軸足を置いたもの。'16.11.26 P:奥 清博
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20161128160731-bfffdb15b68f24bb5b1ea2f612a8d15e9526aae3.jpg会場には実際に簡易軌道が存在した町村の行政関係者、教育委員会、文化財委員の方も多く見えられており、講演後に名刺交換させていただいた際にも、実に力強い感触を得ることができました。一時は保存車輌でさえ荒れるにまかせ、仕舞いには解体の憂き目を見てしまったものが少なくありませんでしたが、この企画展を機に、確実に"潮目"がかわりつつあるようです。
最後の浜中町営軌道が廃止されてから44年。簡易軌道の存在が歴史に埋もれることなく、再び光を放つ日がやってくる...僭越ながら今回の講演がその一助にでもなれば、望外のよろこびです。

▲会場には女性の方も少なくなく、ちょうど100枚のパワーポイント画像も熱心に見ておられたのが印象的だった。'16.11.26 P:奥 清博
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▲マンモスホールで開催されている「釧路・根室の簡易軌道」展のエントランス。会場は決して広くはないものの、簡易軌道に関してこれだけの写真・資料が一堂に集まったことはなく、その密度は圧巻。'16.11.26 P:名取紀之
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▲初出のカラー写真や地元自治体が保管していた文書類が数多く展示されているのも出色。'16.11.26 P:名取紀之
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▲全国のファンに提供を呼びかけたというだけあって、各線別に展示された写真はじっくり見ると数時間は掛かるボリューム。'16.11.26 P:名取紀之
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頸城の材木車図面顛末記。

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▲危うく灰塵と化すはずだった「材木車」の組立図。所蔵:くびきのお宝のこす会
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コッペルやホジなど頸城鉄道の車輌の保存(アーカイブ「頸城のお宝 再訪」→こちら)に尽力されているNPO法人 くびきのお宝のこす会の木村正明さんから、1918(大正7)年に頸城鉄道が導入を検討したと思われる未知の車輌についての興味深いレポートを頂戴しました。

今年の9月の公開運転会の前々日の事でした。
例によって翌日の保存活動を控えて車庫泊まりの準備をしているところに、保存会の重鎮でご近所に住むSNさんが「むかし車庫の2階を片付けたときの段ボール箱が出てきたけど、邪魔だから田圃で燃やそうかと思って...」と、車庫の隅に数個の段ボール箱を置きに来たのが事の発端でした。
どれどれ、と中身をのぞいて見ると、頸城鉄道の関連会社関係の土地登記の写しや倉庫の賃貸契約書に混じって古い封書の束があり、差出会社の名前や注記から頸城鉄道初期から戦前の通信の束と判明しました。

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▲日本車輌「大正七年拾月拾日」付けの見積書。見積金額は「参仟貮百五拾円也」。所蔵:くびきのお宝のこす会
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中でも興味を引かれたのが、「日本車輌製造株式会社」からの(材木車見積)と表記された頸城鉄道宛ての封筒。三銭切手が2枚貼られて、日付は「7.10.11」で熱田局の消印。RMライブラリー『頸城鉄道』によれば、大正7年10月といえば全線開業の2年あまり後。貨車は有蓋車12輌と無蓋車6輌が在籍しているものの、全て2軸車で全長も5m足らず。となると長物の輸送用に8mほどのボギー無蓋車の増車も有り得るところですが、材木車との呼称が気になります。
終点の浦川原には、ご存知のとおり森林鉄道などはなく、個人的な推測ですが、時代背景などから山村の電化の進捗用の木製電柱の一括輸送が考えられる用途で、材木車との呼び方もそれを示しているようにも思えます。電柱の全長も、今のコンクリ電柱が8mなので、符合しそうです。
結果として頸城にこの車輌が入線した形跡は無く、プランのみで終わってしまったようです。ちなみに発見した封筒からは、栃尾鉄道との輸入レールの融通話、給油機やターンテーブルの図面と見積り、東条英機署名の陸軍へ寄付の感謝状、更には開業前の蒸気機関車の選定用と思われる比較一覧表なども発見されています。

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▲謎の機関車一覧表。開業を前に各商社に提出させた見積を比較したものだろうか。所蔵:くびきのお宝のこす会
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この「材木車」について湯口 徹さんに"鑑定"をお願いしました。

日車が頸城鉄道から四輪ボギー材木車の見積依頼を受け、即日図面を引いたのか、日付だけ合したかは分からないが、図面日付も8月12日である。それでいて日車からの見積書送付が1918年10月10日(消印年10月11日)で、なぜ2か月もかかったのかが分からない。見積書には品名八噸四輪ボギー木材車壱輌、引渡し場所弊社(日車)、運賃貴方持、荷造日当方持、引渡し期限1919年1月末日、代金3,250円、見積有効期間日付後7日間とある。
車輪径22吋、ホイルベース3呎8吋、台車は常識的なダイヤモンド型、ボギーセンター間17呎、台枠長26呎、車体実幅6呎2吋、スティック2 3/4吋角×3呎、連結器を含む最大長27呎10吋、全高(スティック尖端まで)7呎5 1/4吋、床高2呎1/4吋。
この車輌は結局発注に至らず、戦前の頸城鉄道は2軸有蓋貨車12輌、同無蓋貨車6輌で終始している。材木輸送の打診があっての見積依頼ではあろうが、詳細は分からず、1輌だけというのも少し首を捻るが。
なお軽便でのボギー長物車には次のような例がある。国鉄湧別軽便線ケホト500〜509(→草津軽便鉄道チト1〜10)、苫小牧軽便鉄道ムボ1〜100、小坂鉄道フボ1、2、釜石製鉄所ホナ21〜65、静岡鉄道駿遠線チホ1、2、住友鉱山別子鉄道チホ10〜26、宇和島鉄道チ1、2、日本鉱業佐賀関鉄道ケチ101〜103。

※明日から釧路市立博物館での湯口さんとの講演(→こちら)のため休載させていただきます。

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▲JR北海道各線の現状分析。赤と黄色の線区が単独では維持できないとされる区間。 (JR北海道プレスリリースより)
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JR北海道は厳しい経営環境を鑑み、単独で維持可能な線区と、逆に単独では維持することが困難な線区を秋口までに発表するとしていましたが、相次ぐ水害等で順延となり、先週末、11月18日にその詳細が発表されました。

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▲線区別の輸送密度、営業係数などの諸元。 (JR北海道プレスリリースより)
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「当社単独では維持することが困難な線区について」と題されたプレスリリースによると、単独では維持することが困難とされた線区はなんと10路線13区間1,237km。逆に単独で維持可能な線区などは11線区1,151kmで、単独維持不可能な区間延長の方が上回るという驚くべき内容です。

単独で維持することが困難な線区は、①輸送密度が200人未満(片道100人未満)の線区、②輸送密度が200人以上2,000人未満の線区、③すでに「持続可能な交通体系のあり方などについて話し合いを始めている線区で、③については石勝線(新夕張~夕張間16.1km:アーカイブ「石勝線新夕張~夕張間廃止へ」参照→こちら)と日高本線(鵡川~様似間116.0km)が該当します。

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▲輸送密度200人未満(片道100人未満)の線区。 (JR北海道プレスリリースより)
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単独維持が困難とされた線区は、①では札沼線(北海道医療大学~新十津川間47.6km)、根室本線(富良野~新得間81.7km)、留萌線(深川~留萌間50.1km)、②では宗谷本線(名寄~稚内間183.2km)、根室本線(釧路~根室間135.4km、滝川~富良野間54.6㎞)、室蘭本線(沼ノ端~岩見沢間67.0㎞)、釧網線(東釧路~網走間166.2㎞)、日高本線(苫小牧~鵡川間30.5㎞)、石北本線(新旭川~網走間234.0㎞)、富良野線(富良野~旭川間54.8㎞)となっています。

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▲輸送密度200人以上2,000人未満の線区。 (JR北海道プレスリリースより)
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逆に単独で維持可能な線区は、①大量・高速輸送の観点からも鉄道でなければ輸送を担えない札幌圏に、輸送密度4,000人以上の線区を加えた範囲で、今後の経営収支を考慮した場合単独で維持可能な線区、②北海道高速鉄道開発株式会社関連線区、③北海道新幹線(2030年度末までに札幌開業を想定)となっています。

来年春で国鉄分割民営化、JR発足から30年。かろうじて北海道の地図のかたちを維持してきたJR北海道の路線網も、今や発足以来最大の困難に陥っています。

詳しくはこちらを参照→(pdf形式
こちらも参照→(pdf形式
経営改善の取り組みについて→(pdf形式

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▲銀座線1000系特別仕様車輌外観。提供:東京地下鉄株式会社
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東京メトロは、銀座線1000系の2編成を、内・外装のデザインを銀座線開通当時の旧1000形をモチーフとした特別仕様の車輌として導入し、2017年1月中旬から運行を開始します。

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▲外観デザインの通常仕様車輌からの変更点。提供:東京地下鉄株式会社
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▲内装デザインの通常仕様車輌からの変更点。提供:東京地下鉄株式会社
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銀座線1000系は、2012(平成24)年1月から01系に替わる新型車輌として運行を開始し、今年度中に銀座線の全ての車輌(全40編成)を1000系に更新する予定ですが、このたび導入する最後の2編成(39、40編成)は、通常運行で使用するとともに、地下鉄開通90周年イベントなどで活用することを目的とし、これまでの1000系以上に旧1000形のイメージに近づけたデザインに一新しているのが特徴です。

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▲予備灯(左)と号車・製造者銘板(右/いずれもイメージ)。提供:東京地下鉄株式会社
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■通常使用車輌からの変更点
・外装デザイン
 前灯を1灯式に変更、窓周りのウィンド・シル/ヘッダーを模擬したデザインに変更、車輌前面をはじめとした外装の塗装変更などを行う。
・内装デザイン
 室内全体を開通当初の旧1000形車輌をイメージされる色合いで再現。また、手すりや握り棒を真鍮色として、吊手をリコ式風の形状とする。機能面では、イベント列車などで運行する際、銀座線開業時から活躍した旧1000形や1993年まで運行されていた旧2000形車輌を彷彿とさせる「ポイント通過時などの室内灯消灯、同時に側面予備灯の点灯」を再現する機能や室内灯を電球色に切替える調色機能など、特別な仕様とする。

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▲旧1000形の外観と内装。提供:東京地下鉄株式会社
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▲1000系通常仕様車の外観と内装。提供:東京地下鉄株式会社
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特別仕様対象車輌と運行開始は1139編成が2017年1月中旬、1140編成が2017年3月中旬の予定とアナウンスされています。

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▲EF57に連結され東京駅で発車を待つマニ34 3。窓は内側から鉄板で塞がれ、異様な外観を見せていた。P:鈴木靖人 (RMライブラリー『現金輸送車物語-タブーとなったマニ34・30形-』より)
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今月のRMライブラリーは和田 洋さんによる『現金輸送車物語-タブーとなったマニ34・30形』です。日本銀行所有の現金輸送用荷物車、マニ34・30形の知られざる全貌を詳らかにします。

20161118151025-62b5bad6493a87ea9677ed54c2caecdbcf45eaaf.jpgそもそもマニ34・30形とは、日本銀行が所有し、国鉄線上で運用した現金輸送専用の荷物車です。その任務は、東京にある日銀本店から全国各地の支店へ送る新札の輸送、そして支店から本店へ戻す古札・廃札の輸送でした。この任にはもともと一般の有蓋貨車が使用されており、添乗する日銀職員にとっては過酷な任務であったといいます。しかし戦後の混乱期、インフレにより新札の発行・流通量が激増したことから貨車による輸送では警備上の問題が出てきました。このため日銀が計画したのが専用荷物車の製造で、一旦はGHQに却下されたものの、ちょうどそのころ、強盗団による現金輸送列車襲撃計画が露見したこともあって、結局6輌の専用荷物車の新造が許可されたという経緯があります。

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▲1949(昭和24)年に完成したマニ34形。荷物室の扉にはモハ63形と同じものが使用されている。当初、日銀は20輌の製作を計画したが、GHQ・CTSとの折衝の末、6輌となり、この輌数が最後まで続いた。 (RMライブラリー『現金輸送車物語-タブーとなったマニ34・30形-』より)
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こうして完成したマニ34形は、外観は極力目立たぬように一般の客車に似せて製作されたものの、その一方で前後二つの荷物室は窓を鉄板で塞げるようにして、中央には添乗する日銀職員や警備の警官が乗車する警備室を設けた独特の設計となりました。ちなみに添乗された経験のある方によれば、添乗する職員は荷物室の鍵は持たされていなかったそうで、たとえ途中で強盗が襲撃してきて脅されたとしても、荷物室の鍵を開けることはできないようになっていたのだそうです。

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▲1961(昭和36)年の改造により荷物室の扉は2m幅の両開きに変更された。マニ34・30の前位側には出入台がないため、上野での推進回送で先頭に立つ場合には後位を先頭にする必要があり、尾久客車区ではその向きに気を使ったという。 (RMライブラリー『現金輸送車物語-タブーとなったマニ34・30形-』より)
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さて、マニ34形は誕生から21年目の1970(昭和45)年に「何故か」形式が変更され、マニ30形となりました。そしてこの頃から、当局は次第にこの車輌に関する情報をなるべく公にはしないようになります。国鉄時代、半ば公式資料であった『国鉄車輌配置表』にも1980年を最後に掲載されなくなりました。分割民営化後、弊社が刊行していた『JR全車輌ハンドブック』にも、「JR所有の車輌ではない」という理由でついに掲載することはありませんでした。

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▲1978(昭和53)年に登場した2次車。1次車を置き換えるために50系をベースに製作されたものであったが、形式は継承され、番号も続番とされた。国鉄分割民営化では客車で唯一JR貨物に承継された。 (RMライブラリー『現金輸送車物語-タブーとなったマニ34・30形-』より)
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1978(昭和53)年には50系客車をベースにした事実上の二代目である2次車に代替わりしますが、形式は不変、車号も1次車の続番となりました。おそらく多くの読者の方が馴染みがあるマニ30形はこの2次車の方でしょう。国鉄改革による荷物列車の廃止後もマニ30の運用は続行され、JR貨物がその籍を引き継ぎコンテナ列車に連結する形で運用が続けられました。地方の高速道路の発達により自動車便への切り替えが進み運用が廃止されたのは2003(平成15)年度のことでした。

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▲小樽交通記念館に保存されているマニ30 2012号。左は第1荷物室。パレットの上のケースは「容箱」と呼ばれる現金収納箱だそうで、1箱は実に2億円相当! つまり1輌あたりは数百億円となったはず。P:名取紀之
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本書では、そもそも「なぜ紙幣が運ばれるか」から筆を起こし、マニ34形の製造の経緯から誕生、数度の改造、2次車への代替わり、そして運用終了から保存までを解説します。なにより、実際に添乗された日銀関係者の方々からの聞き取りは、これまで知られることのなかったマニ30・34の実像を浮かび上がらせるもので、客車ファンならずとも必読です。ぜひご覧ください。

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▲加賀市歴史民俗資料館(現在は閉館)に保管されていた頃の山中馬車鉄道客車。民家の物置として生き残っていたものだという。'09.9.21
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山中馬車鉄道と聞いてピンとくる方は少ないでしょう。明治時代から大正時代初期にかけて、山中温泉(石川県)への湯治客輸送を目的に、山中村~大聖寺間約8.6㎞を結んでいた馬車鉄道で、わずか14年ほどで改軌・電化(のちの北陸鉄道山中線)されてしまったため、馬鉄時代の記録も絵葉書に残る程度で、決して多くはありません。その山中馬車鉄道の客車がなんと2輌も現存しています。

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▲その内部。唐破風屋根が鉄道車輌としては異色。'09.9.21
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1輌は北陸本線大聖寺駅にほど近い加賀市歴史民俗資料館に保管されており、かれこれ7年ほど前にヘリテージ・オブ・レイル北陸の岩谷淳平さんにご案内いただき見学にうかがいました。聞くところでは、山中馬車鉄道電化後、お隣の片山津馬車鉄道で使われていたものの、こちらも電化で不要となり、近隣の民家が払下げを受け、瓦屋根を架けて物置として利用していたものだそうです

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▲出入口上部には木彫の装飾が施されている。'09.9.21
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▲「大正三年十一月四日」の文字が残るが(左)、いったい何を示しているのだろうか。側窓は一段下降で、一部はまだ機能する(右)。'09.9.21
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▲出入口の外側上部(上)。右は車端部の小さな手すりで(右)、形状からしても当時のものと思われる。'09.9.21
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寺社仏閣を思わせる唐破風屋根が特徴のこの馬車鉄道客車、残念ながら足回りは失われておりますが、軌間が3フィート(914㎜)であったことも特筆されます。明治生まれの木造車体ながら、さすがに瓦屋根を架けて、なおかつ日々物置として使用していたとあって、思ったほど状態は悪くはありません。

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▲加賀市歴史民俗資料館の個体は実測で、車体長2,430㎜、全幅1,540㎜、全高1,830㎜、WB830㎜。'09.9.21
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ところがこの加賀市歴史民俗資料館、その後、閉館してしまったそうで、市役所に電話で問い合わせたところ、客車は市が管理して保管しているが、原則として非公開とのことでした。なお、2011(平成23)年には大聖寺駅待合室で特別展示が行われており、今後、再び見える機会もあるかもしれません。

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▲もう1輌は加賀市動橋小学校の倉庫に保管されていた。唐破風屋根など歴史民俗資料館の個体と共通する部分も多いが、車体長、窓数などが大きく異なる。'09.9.21
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さて、もう1輌が加賀市動橋小学校に保管されています。同じく唐破風屋根を持つ木造車体ですが、全体にこちらの方が状態が悪そうに見えます。出入口上部にははっきりと「9」の標記が残されており、この個体が山中馬車鉄道の9号客車と見て間違いはなさそうです。

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▲動橋小学校保管の客車内部。出入口上部の木彫装飾などは確認できない。'09.9.21
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▲出入口上部の幕板部に「9」の標記が残る(左)。また天井には「山中よしや旅館」の書き込みが残る(右)。前所有者だろうか...。'09.9.21
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▲動橋小学校保管の個体は実測で、車体長2,815㎜、全幅1,530㎜、全高1,790㎜、WB1,120㎜。'09.9.21
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小学校だけにこちらも公開はされていませんが、明治期の馬車鉄道用客車が2輌も保存されているのは類例がなく、2輌ともに加賀市指定文化財となっており、今後なんらかの形で多くの方の目に触れるようになれば...と願っております。
なお、この2輌の客車については『北陸都市史学会誌』2009年7月号に詳しい検証論文(山崎幹泰「山中馬車鉄道株式会社とその客車の遺構について」)が掲載されており、インターネット上でも公開されています。

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▲21日発売の400号は特別付録付きでDD51を大特集。定価1,620円(本体1,500円+税)/付録とも
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『Rail Magazine』は週明けの11月21日(月曜日)発売の2017年1月号でついに通巻400号を迎えます。倍の800号、さらには900号を超える先輩誌もあるこの趣味界にあって、ようやく400号到達ではありますが、これもひとえにご協力いただいている著者の皆さん、カメラマンの皆さん、デザイナー、印刷会社、書店の皆さん、そして何よりもご愛読いただいている読者の皆さんの賜物と、あらためて感謝申し上げます。

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▲創刊号(左)と100号(右)。100号は1992(平成4)年1月号。
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『Rail Magazine』の創刊は1983(昭和58)年の年末。もちろん国鉄時代で、まだ分割民営化が現実のものとなるとは信じられなかった頃です。既存誌よりさらに趣味性の高い誌面を志向し、大きな判型を活かした大胆なグラフや実践的なガイド、さらには模型記事を大幅に取り入れたのも特徴でした。いま、この創刊号を振り返ると、誌面に登場する面々(ED75、EF58、EF15、別府鉄道のオープンデッキ客車...等々)も隔世の感があります。

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▲200号(左)はミレニアムイヤーを前にした2000(平成12)年5月号で「蒸気機関車の20世紀」を特集。300号(右)では沖田祐作さんの『機関車表』CD-ROMを付録。
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その後、100号、200号と巻を進めるに従って誌面構成も内容も大きく変わり、1995(平成7)年には模型誌面を分離して『RM MODELS』を独立創刊、続いて1999(平成11)年には『RM LIBRARY』を、2005(平成17)年には季刊『国鉄時代』を創刊し、『Rail Magazine』本誌はその中核を担うフラッグシップとなって、2008(平成20)年には創刊300号を迎えました。

20161116143321-6cab27c73deb6fe14551a5713d9a3d5ac3382805.jpgさて、記念すべき400号はDD51を大特集。思えば創刊号の巻頭グラフもDD51の3重連、磐越東線790列車で、何とも不思議な縁を感じずにはいられません。現在では定期運用は愛知機関区の仕業のみとなっていますが、希少価値も手伝ってか、世代を超えて注目を浴びているようです。


→そして400号特別付録の『DD51と仲間たち』の復刻版。RMポケットシリーズの一冊として発行したもので、A5判236ページ。
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実は30年前には"ディーゼル機関車は売れない"という業界のジンクスがありました。ことに無煙化の仇として白眼視されてきたDD51はなおさらです。その壁を打ち破ったのが103号(1992年4月号)の特集「DD51・12万2千㏄の逆襲!」でした。以後、DD51は大きなムーブメントとなり、2年後には増刊号としてRM POCKET 9 『DD51と仲間たち』を発行するまでになりました。今回の400号では、記念特典としてこの『DD51と仲間たち』の復刻版を付録しております。当時をご存知ない世代にはあの時代の熱気を、また同時代体験しておられる方には懐かしい空気を感じ取っていただければと思います。

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97式、いや91式。

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▲裏返しに重ねられた鉄道聯隊の軽貨車。すでにこの状態のままかなりの年月放置されていたようだ。'93.4.11 武蔵横手
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探し物をしていてふと手に止まったのが、今から20年以上前に武蔵横手駅で撮影した旧日本陸軍の軍用貨車の写真です。トワイライトゾ~ンをご愛読いただいた方ならご記憶にあるかと思いますが、初出の『トワイライトゾ~ン・マニュアルⅡ』(1993年)所収「もしかして97式?」で、西武鉄道工務部の「97式」としてご紹介してしまった個体です。

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▲整地された駅前に忽然と置かれている様はなんともシュール。ご案内いただいた西武鉄道の方も呆れ顔だった。左が西武鉄道池袋線武蔵横手駅。'93.4.11 武蔵横手
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当時はまだ97式の調査も緒についたばかりで、97式とその前身である91式の区別もおぼつかない状況でした。その後、「まだまだあるぞ97式」(『トワイライトゾ~ン・マニュアルⅢ』)、「さまよえる軍用貨車の亡霊」(『トワイライトゾ~ン・マニュアルⅣ』)、「さまよえる軍用貨車の亡霊'96」(『トワイライトゾ~ン・マニュアル5』)と全国の皆さんからの情報が集積してくるなかで、91式と97式の差異や形態分類が急速に進みました。

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▲軌間可変式の足回りを見る。戦前にしてコロ軸受を採用しているのは軍用車輌ならでは。ただし、車軸の軌間可変カラーはすでに脱落してしまっており、1067㎜軌間に固定されているものと思われる。軸受の逆U字型の縁取りが97式との識別点。'93.4.11 武蔵横手
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「97式」は旧日本陸軍の鉄道聯隊が採用した"制式貨車"のひとつで、神武紀元2597年、つまり1937(昭和12)年に正式採用されたことから「97式」と命名されました。「91式」はそれ以前、1931(昭和6)年(=2591年)に制式採用されたもので、荷重が97式の8tに対して5tとされています。

20161115115943-8b803028bd4ed851b7f55cd448d774516f40eab4.jpg武蔵横手の個体は残存していた製造銘板が「昭和12年12月...」とあったことから、当然97式、それも極めて初期のタイプだろうと誤認してしまったもので、正しくは91式でした。今さらながらに訂正させていただきます。
ちなみに外観上の最大の識別点は軸受部の構造で、91式の方は逆U字型の縁取りと、その上部に垂直方向のリブが入っています。

▲小さなアルミ製の製造銘板も健在だった。「昭和12年12月 汽車会社東京支店」と打刻されていた。'93.4.11 武蔵横手
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▲メタル軸受の一般的な平トロと十把一絡げに置かれた91式。まさに、さまよえる軍用貨車の亡霊だった。'93.4.11 武蔵横手
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『トワイライトゾ~ン・マニュアル5』所収の山廣康夫さん作成の一覧表でも、現認された91式は6例ほどしかなく、この武蔵横手の個体もたいへん貴重なものでしたが、残念ながらこの写真を撮影してからいくばくもなく姿を消してしまいました。

■これまでにブログでご紹介した97式関連記事
●人吉機関庫で「97式」発見!→こちら
●中国大陸に残る「97式軽貨車」→こちら
●くぬぎ山の97式軽貨車を見る→こちら
●那珂湊の97式軽貨車を見る→こちら

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▲大水害後の運転再開は無事だった機関庫側の線路を使っての雨宮21号+客車+DLのプシュプル運転となった(ドローンにより撮影)。提供:遠軽町丸瀬布総合支所産業課
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これまで本誌はもちろん、小ブログでも寄付を募る内容(クラウドファンディングを含む)については基本的に掲載を見合わせてまいりましたが、先週、遠軽町丸瀬布総合支所長の只野博之さんより、この夏の水害で大きな被害を受けた丸瀬布森林公園いこいの森の復旧のために、町でふるさと寄附金(ふるさと納税)を募集する旨の連絡をいただきました。最当事者である行政からのSOSでもあり、ご紹介することと致します。

只野さんに電話でうかがったところ、先日、11月としては異例の大雪に見舞われ、今日現在でも10㎝以上の積雪があるなか、係員の皆さんが懸命に路盤復旧作業を続けておられるそうです。

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▲ドローンが撮影した台風10号通過直後の惨状。左側にかろうじてバンガロー側の分岐が見える。提供:遠軽町丸瀬布総合支所産業課
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雨宮21号が走るいこいの森を愛してくださる親愛なる皆様へ
皆様ご承知のこととは存じますが、8月17日から31日にかけて台風などによる4度の大雨によりいこいの森を流れる武利川が氾濫して公園内の鉄橋から山手側は濁流に流されました。雨宮21号の軌道が流されたほか、キャンプ施設や遊具施設なども甚大な被害を受けました。
(アーカイブ「丸瀬布いこいの森が大被害」参照→こちら
(アーカイブ「日本鉄道保存協会2016年度総会より」参照→こちら)この災害に対しまして全国各地の鉄道ファンやキャンプ場利用者の皆様方より、温かい励ましやお見舞いのお言葉をいただきました。さらに、雨宮21号の軌道やキャンプ場の復興に向けた支援のお申込みも全国から多数寄せられました。

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▲一部の軌道は道床を失って宙吊りの状況となってしまった。提供:遠軽町丸瀬布総合支所産業課
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遠軽町では皆様方の温かいご支援の声を受けて寄附金の受け皿作りを進めておりました。大変遅くなりましたが、11月8日から遠軽町のホームページで「いこいの森に愛の手を-いこいの森災害復旧-遠軽町ふるさと寄附金(ふるさと納税)」の募集が始まりました。http://www.engaru.jp/engaru/01soumu/ikoinomori/hurusatokihukin.html →こちら
寄附額の2000円を超える部分については税金の控除が受けられますので詳しくはホームページをご参照ください。なお、災害復旧のための寄附金募集であるため、通常のふるさと寄附金のように特産品などの返礼品はございませんが、何卒皆様のご支援ご協力をお願い申し上げます。また、寄附額につきましては、無理のない範囲で十分と考えております。

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▲雨宮21号をはじめとした車輌は無事で、来年ふたたび元気な姿を見せてくれるはず。提供:遠軽町丸瀬布総合支所産業課
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最後になりますが、1日も早くいこいの森が皆様にとって楽しいオアシスとなるように、職員が路盤復旧作業を実施するなど懸命に頑張っております。遊具施設なども含めて来年度中の完全復旧を目指しているところです。来年、いこいの森で皆様にお会いできますことを楽しみにしております。

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▲さながら古代遺跡のような釧路市立博物館全景。タンチョウが羽を広げた姿を模しているという。提供:釧路市立博物館
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9月初めにもご紹介した釧路市立博物館の創立80周年企画展「釧路・根室の簡易軌道」が開催中です。道東地域の開拓を支えた「簡易軌道(殖民軌道)」は、その牧歌的な姿から、いまだに根強いファンが多く、模型の世界でもひとつのジャンルを築き上げています。

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▲「釧路・根室の簡易軌道」展会場。博物館マンモスホールでの開催。提供:釧路市立博物館
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釧路といういわば簡易軌道の中心地で開催されている今回の展覧会は、地方都市の市立博物館としては屈指の歴史を誇る釧路市立博物館が満を持して企画したもので、屋内展示や講演のみならず、バス見学会といったフィールドワーク(こちらはすでに終了)も組み込んだ、たいへん意欲的なプログラムとなっています。

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▲博物館マンモスホールはその名の通りマンモスの骨格標本がシンボルとなっている。提供:釧路市立博物館
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▲貴重な乗車券類も展示されている。ことに簡易軌道の定期券は珍しい。提供:釧路市立博物館
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▲去る11月6日に開催された「簡易軌道バス見学会」。奥行臼の保存車輌を見学する参加者。提供:釧路市立博物館
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20161110154020-6ed42a159c2826a99a029b90e5c30e7d295faec2.jpgまた今週末、11月12日(土曜日)にはNHK番組で振り返る「簡易軌道と酪農の記録」も開催されます。これはNHKのアーカイブの中から、簡易軌道をテーマとした番組、明るい農村「村の風土記 ローカル駅 お客さんは牛乳カン」、「村の風土記 トロッコは馬にひかれて ~北海道 別海村~」などを上映するもので、めったに見られない簡易軌道の"動画"は必ずや感動を呼ぶに違いありません。
■NHK番組で振り返る「簡易軌道と酪農の記録」
[日時]11月12日(土)13時30分~15時(予定)
[会場]釧路市立博物館 講堂(入場無料・申込不要)
[主催]NHK釧路放送局・釧路市立博物館

▲かわいらしい記念スタンプも用意されている。提供:釧路市立博物館
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▲簡易軌道の模型レイアウトも多数展示されている(車輌:小島祐二製作/レイアウト:清水一史蔵)。提供:釧路市立博物館
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続いて再来週の週末11月26日(土曜日)には「簡易軌道と鉄道遺産講演会」が開催されます。簡易軌道研究の第一人者である湯口 徹さんが「北海道殖民/簡易軌道」と題した講演を行われますが、多くの研究家の方の最新成果も盛り込んだ、まさに決定版とも呼べる講演となります。実は湯口さんに続いて私も「唯一無二の地域遺産をどう活かすか~道内・そして全国の事例から~」と題した講演をさせていただきます。ようやく緒についたばかりの簡易軌道の顕彰。これからどうやって地域遺産として利活用してゆくのか、全国各地、さらには海外の事例を含めて皆さんと考えてゆきたいと思います。
■簡易軌道と鉄道遺産講演会
[講演]湯口 徹氏(鉄道研究家) 「北海道殖民/簡易軌道」
名取紀之氏((株)ネコ・パブリッシング編集局長/日本鉄道保存協会顧問)
「唯一無二の地域遺産をどう活かすか~道内・そして全国の事例から~」
[日時]11月26日(土) 13時30分~16時
[会場]釧路市立博物館 講堂(入場無料・申込不要)

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▲講演会で使用予定のパワーポイントの一部。
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このほかにも1月14日(土曜日)には佐々木正巳氏(雪印メグミルク(株))による講演「酪農・乳業と簡易軌道」が予定されています。さらに釧路市立博物館での企画展は来年1月15日までですが、2月以降は各地で巡回展が行われる予定となっています。
《巡回展会場・期間》
釧路空港ビル2017年2月1日(水)~28日(火)
別海町図書館3月3日(金)~16日(木)
浜中町総合文化センター3月18日(土)~4月2日(日)
鶴居村ふるさと情報館みなくる4月7日(金)~5月7日(日)
標茶町図書館5月12日(金)~6月11日(日)
*休館日や開場時間は各施設へお問い合わせください。

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▲釧路市立博物館創立80周年企画展「釧路・根室の簡易軌道」のフライヤー。
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■釧路市立博物館創立80周年企画展「釧路・根室の簡易軌道」
[主 催]
釧路市立博物館
[共 催]
鶴居村教育委員会・標茶町教育委員会・浜中町教育委員会・別海町教育委員会
釧路空港ビル株式会社・釧路臨港鉄道の会・釧路市立博物館友の会
[後 援]
北海道新聞釧路支社・釧路新聞社・NHK釧路放送局・FMくしろ
[協 力]
株式会社釧路製作所・雪印メグミルク株式会社・東邦コンサルタント株式会社
NPO法人名古屋レール・アーカイブス・有限会社モデルワーゲン

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▲2種類の自走客車ペーパークラフト。左が別海村営軌道、右が浜中町営軌道。提供:釧路市立博物館
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●自走客車ペーパークラフトを差し上げます
簡易軌道ペーパークラフト (釧路製作所製 自走客車)
■ 10月29日~:別海村営軌道 (オレンジ)
■ 12月1日~ :浜中町営軌道 (緑)
それぞれ先着1,000 名様に差し上げます(お1人様1枚限り・無くなり次第終了)。博物館窓口へお申し付け下さい。
「NHK番組で振り返る簡易軌道と酪農の記憶」 (11/12[土])・「簡易軌道と鉄道遺産講演会」(11/26[土])ご参加の方、各先着 100 名様には2種類ともプレゼント!
・ペーパークラフトは A4 サイズ・縮尺1/66)
・提供:株式会社釧路製作所 (同社でも会社敷地内で保存中のSL「8722」見学者などにお配りしています)

※明日は不在のため休載させていただきます。

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▲23は琴電に入線時半円形の運転台はフラットに作り変えられて平凡な姿となった。近鉄時代の5623の切り抜き文字が車体に6カ所あり、百の位と千の位の56を外して21~23は近鉄時代の切り抜き文字が残った。側面の飾り窓は21、23は近鉄時代に撤去されたものの、段付きウインドウシルなどは残されている。P:宮武浩二
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今年の「ことでん電車まつり」ではほかにレトロ電車3輌も展示され、来場者は思い思いに歴史ある電車と親しんでいました。また瓦町駅ビル11階のオープンスペースでは、部品の即売会が開催されましたが、注目されたのは琴平線三条−太田間で使用していたレールと枕木、バラスト一式が販売されていたことです。

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▲「ことでん電車まつり」の会場全景。車庫手前には名物デカ1の姿も。'16.11.3 P:宮武浩二
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▲仏生山駅のホームで展示された120号。'16.11.3 P:宮武浩二
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▲サイドからみた23号。屋根上からはガーランドベンチレーターが無くなりさっぱりしたが、深い屋根は大正末期の鋼製電車の特徴が残されている。また客扉の上隅にある大きなRも大阪鉄道デロの血統である証明といえよう。'16.11.3 P:宮武浩二
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▲工場内では500号を使用してパンタグラフの昇降、制御器の作動など実物での展示にたくさんの人が並んでいた。'16.11.3 P:宮武浩二
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▲HL制御器の動きが見えるようにセットされている。制御器の横にトラス棒のブラケットが残されているのがわかる。'16.11.3 P:宮武浩二
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▲展示用の運転台(左)。制御器の操作はだれでも操作できるように工夫されていた(右)。'16.11.3 P:宮武浩二
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このホンモノの線路セット(?)、工賃込みで1メートル10万円だそうで、「自宅に線路を敷きませんか」とのうたい文句が何とも衝撃的です。果たして手を挙げる方がいるのかと興味深く見守っていましたが、後日、琴平線の一宮駅付近にお住まいの方が購入されたと知りました。なんでも線路に面しているお宅だそうで、ちょっとうらやましい気がいたします。

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▲面白い試みとして瓦町FLAG会場で発売されたレール。1mあたり10万円で5mまで。この線路は琴平線三条ー太田間で使用されていたもので工事費込みの値段。工事は香川県下離島を除くとされていた。'16.11.3 P:宮武浩二
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▲今年のことでん電車まつりでの23号。今回は仏生山駅での展示であったため車内も公開されていた。ちなみに近鉄から他社に流出したのは、大井川鐵道に南大阪線の特急車輌が入線するまで唯一の存在であった。'16.11.3 P:宮武浩二
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去る11月3日の文化の日は全国的に晴天に恵まれ、各地で鉄道イベントが開催されました。そのうちのひとつ、高松琴平電気鉄道仏生山車両所では15回目となる「ことでん電車まつり」が開催され、多くの来場者で賑わいました。

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▲大阪鉄道、現在の近畿日本鉄道南大阪線を走っていたデロ20形21+23。最初は前面5枚窓で半円形の運転室で、側面には優雅な飾り窓が存在していた。車内には曇りガラスがはめ込まれて採光を取り入れていたとのこと。屋根上には大型のパンタグラフと、これまた大型のガーランドベンチレーターが並ぶ。藤井寺付近。所蔵:宮武浩二
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この「ことでん電車まつり」を訪れたのはお馴染みの宮武浩二さん。盛りだくさんなイベントや物販が繰り広げられる中で、宮武さんのお目当てはひとえに大阪鉄道生き残りの23号の詳細撮影でした。公開イベントでも自分なりの目標を決めて楽しむ好例ではないでしょうか。

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▲23は最初に更新されたこともあって、車内の木部も使用できるものはできるだけ残したことから、ニス塗りの車内が残ることとなった。室内灯は琴電入線時から蛍光灯である。入線当初シート生地は22~24号は金茶色の段織生地の柔らかい座り心地が自慢であった。なお、琴電入線後しばらくの間はシートの肘掛はチーク材の優雅なものが8カ所残されていたが、更新によってパイプ型に変更されてしまっている。'16.11.3 P:宮武浩二
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琴電23号は、歴史を紐解くと大阪鉄道(現在の近鉄南大阪線)のデロ20形(21~27)がルーツで、1925(大正14)年に川崎造船所と大阪鉄工所で製造され、阿部野橋から古市、藤井寺、吉野方面で活躍しておりました。

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▲大阪鉄道時代からの荷棚と吊り手のブラケット。戦前は幕板部に曇りガラスが入れられ外光が取り入れられていた。現在はふさがれてしまっているのは残念な限り。'16.11.3 P:宮武浩二
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▲大阪鉄道デロ23当時から引き継がれている柱飾り(左)。花びらの形を採用しており、現在23号には8箇所現存する。この柱飾りが残っていたことからレトロ電車として唯一、他社からの転入車にも関わらず動態保存車となった。右は車内スピーカー。中心部をよく見ると阪神電鉄の稲妻にレイルの社紋が見える。これは阪神881形を琴電が導入した際に、放送装置を部品として購入して取り付けたもの。'16.11.3 P:宮武浩二
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戦時中に大阪鉄道は幾多の変遷ののち近畿日本鉄道南大阪線となり、形式も5621形5621~5627となりました。1961(昭和36)年に5621~5624の車体のみ琴電が購入し、半円形5枚窓の運転台を貫通式のフラットなスタイルに改造して現在に至ります。

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▲23の高松築港寄り運転台。いたって簡素なものながら、運転台のスペースは広い。これは近鉄時代は非貫通で中央に運転台があったが、貫通化で運転台が左側に寄せられたことによる。'16.11.3 P:宮武浩二
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現在の姿は昭和50年代に車体更新された姿ですが、車内は昔ながらのニス塗りが残り、あたたかな雰囲気が保たれています。

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▲近鉄時代から長く引き継がれていた切抜番号は車体更新や外板の取り換えに伴って撤去されている。面白いのはペイント描きでも近鉄の番号書体が守られていること。製造から一定期間2623になったものの、再び元の番号に戻った経歴も大変珍しい。'16.11.3 P:宮武浩二
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銀座線で単線並列運転。

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▲表参道駅を出発する青山一丁目行き。案内表示は2日間限定の暫定的なものが貼られている。'16.11.5 P:渡辺康正
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渋谷駅を中心とした大規模な再開発により大きく変貌を遂げつつある渋谷の街ですが、その一環として進められているのが、東京地下鉄銀座線の渋谷駅を約130メートル浅草方の明治通り上へ移設する工事。新しい島式ホームを建設するスペースを確保するために、銀座線の線路を南側に移設する段階を迎え、この土日には一部区間を終日運休として工事が行われました。レポートをお送り下さったのは単身赴任を終えて北海道から東京にお戻りになった渡辺康正さんです。

20161106223519-ef449e6ab883a25510ce213ed796c92e70d999c5.jpgこの工事のため、11月5日・6日には銀座線の渋谷−表参道と青山一丁目−溜池山王が終日運休となりました。これは渋谷から先、溜池山王まではA線とB線の間に渡り線がなく列車の折り返しができないためですが、他の鉄道路線との接続がない外苑前へのアクセスのため、表参道−外苑前−青山一丁目では7時〜24時台の間約12分間隔で単線折り返し運転が行われました。

▲表参道駅。運休と青山一丁目までの運転を案内する。'16.11.5 P:渡辺康正
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▲表参道駅。ホームに停車する青山一丁目行き。'16.11.5 P:渡辺康正
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▲表参道駅。4番線は降車専用となった(左)。外苑前駅のホーム案内(右)。'16.11.5 P:渡辺康正
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単線折り返し、といっても複線のうちの片方の線路を1列車が往復するだけではなく、A線・B線のそれぞれで1列車ずつが往復する単線並列のいわばダブル単線運転です。

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▲外苑前駅ですれ違う回送列車。右側通行で通常とは逆向きに運転している。'16.11.5 P:渡辺康正
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20161106224036-b740353c92b398e66e628885dbf3a95857964d10.jpg具体的には、浅草方向の線路(B線)では表参道発青山一丁目行きと折り返しの表参道行き回送が運転され、渋谷方向の線路(A線)では青山一丁目発表参道行きと折り返しの青山一丁目行き回送が運転される、というものです。これは表参道での半蔵門線との乗り継ぎを考慮してのものと思われますが、折り返しの両回送列車がそれぞれの線路の上を逆走して、外苑前付近では右側通行ですれ違うといったシーンも見られました。

▲青山一丁目駅の案内表示。'16.11.5 P:渡辺康正
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▲外苑前駅に到着する表参道行き(左)。青山一丁目駅に到着する折り返し表参道行き(右)。'16.11.5 P:渡辺康正
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▲表参道行きの車内表示。'16.11.5 P:渡辺康正
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線路移設のための同様の終日運休は11月19日・20日にも予定されており再び「ダブル単線運転」が行われるものと思います。

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▲溜池山王駅に到着する溜池山王行き列車。'16.11.5 P:渡辺康正
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▲溜池山王始発の浅草行き列車。'16.11.5 P:渡辺康正
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▲列車が来ない赤坂見附駅銀座線ホーム(左)。終日運休を案内する渋谷駅(右)。'16.11.5 P:渡辺康正
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▲異例の部分運休によって一気に工事が進む渋谷高架線。'16.11.5 P:渡辺康正
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これからも長期間にわたり工事が進められる渋谷駅界隈ですが、仕事への行き帰り、日々変わっていく様子に目が離せない、そんな日々が続きそうです。

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富山地鉄 開発駅界隈。

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▲秋の西日を浴びて屋敷林の横を走る16010系(もと西武鉄道5000系)の629列車。'16.9.24 月岡ー開発
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これまでにも幾度かご紹介してきたように、富山地方鉄道には昭和時代の趣ある駅舎が数多く残されており、富山を訪れる際の大きなモチベーションのひとつとなってきました(アーカイブ「富山地鉄 西魚津駅を訪ねる」→こちら、「摩訶不思議な岩峅寺駅」→こちら)。
この9月にはかねてより一度じっくりと見ておきたいと思っていた上滝線の開発駅を訪ねてみました。

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▲開発駅は1921(大正10)年に富山県営鉄道の駅として開業。三方に軒の張った堂々たる駅舎はかつての賑わいを彷彿させてくれる。'16.9.24
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上滝線は南富山と岩峅寺を結ぶ12.4㎞の路線ですが、列車はすべて電鉄富山駅発着で、本線(電鉄富山~稲荷町)、不二越線(稲荷町~南富山)を経由して上滝線に乗り入れてくるかたちとなります。本線(宇奈月方)や立山線と比べて富山平野をゆるゆると走る平坦な路線ですが、稲田の中の屋敷森など山岳路線とは異なる魅力があり、ことに夏の夕方はドラマチックな光景を見せてくれます(アーカイブ「夏の夕暮れは富山地鉄」参照→こちら)。

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▲もちろん現在では無人駅。一部サッシ化されているものの、模型のプロトタイプとしても恰好の題材だろう。'16.9.24
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▲「かいほつ」と平仮名標記の駅名標が残る改札口(左)。本屋裏の自転車置き場の上屋はかつての貨物施設だろうか...。(右)。'16.9.24
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▲木製のラッチには乗車券収受箱がぶら下げられている(左)。待合室は地域の皆さんが清掃しているのか清楚な佇まい(右)。'16.9.24
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開発と書いて「かいほつ」と読む開発駅はこの上滝線の南富山起点4.4㎞に位置する無人駅で、かつては交換駅としても機能していたというだけに、木造の立派な駅本屋を備えています。果たしていつ頃建造されたのかは知りませんが、模型心をくすぐってくれる実に魅力的なストラクチャーに思えます。

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▲朝の澄み切った空気の中、岩峅寺行きの14760系がやってきた。開発駅はかつて交換可能駅だっただけに、構内は広く、対向ホーム跡が残っている。'16.9.24
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富山平野もそろそろ本格的な冬。また機会を見つけて富山地鉄の魅力的な駅探訪に出掛けてみたいものです。

■7日(月曜日)はNHKラジオ「鉄道なトリップ」
※臨時国会中継で順延になっていたNHKラジオ第1の「鉄道なトリップ」ですが、7日(月曜日)は放送できることとなりました。16時07分からの30分生放送ですので、ぜひお聞き下さい。もちろん全国どこでも、またNHKネットラジオ「らじる☆らじる」で、パソコン、タブレット、スマートホンでもお聞きいただけます。

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夕映えの譜 高津泰之さんが何度も挑戦した石狩川の夕景。苦労の末、思い描いた光景が...。 (『国鉄時代 アーカイブズ』vol.7「日本の蒸気機関車 1」より)
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『国鉄時代』も2005年3月にvol.1が出てから11年半。お陰様をもちましてvol.1〜31・vol.39は売り切れとなっております。絶版の巻を中心に再編集した『国鉄時代 アーカイブズ』も巻を重ねてご好評を得ており、今回その7巻目が完成いたしました。例によって、『国鉄時代』の山下編集長よりご紹介申し上げましょう。

11月4日発売のvol.7は『日本の蒸気機関車 1』と題した蒸機をテーマとした記事の総集編、本巻では1962(昭和37)年時点の国鉄蒸気機関車24形式があまねく登場するようアーカイブの中をさぐってみました。

20161102193632-96b561c62637d4e57c0519ea64fea13a34134f6b.jpg国鉄蒸機は動力近代化計画の下、1960(昭和35)年頃から徐々に数を減らしていきますが、C10・E10が1962(昭和37)年に、C54が1963(昭和38)年に、D62が1965(昭和40)年に、C51が1966(昭和41)年に廃形式となっていきます。これらの形式を含め、どんな形であれ過去の記事に写真があるか見てみると、実はB20・C50・D61が載っているのは最近の号で、この2形式は新規の写真・記事といたしました。ともあれ、24形式の蒸機が活躍していた佳き日々に思いを馳せていただければ幸いです。

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仙台物語 大山正さんの「仙臺物語」は一ノ関〜仙台間の上り急行「八甲田」回復運転の模様を誌上で再現。 (『国鉄時代 アーカイブズ』vol.7「日本の蒸気機関車 1」より)
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蛇足ながら...。少し遡って、25形式目は国鉄最後のB6である岡山機関区の2220で、機関区構内の入換えに活躍していましたが、1960年C12が配置され引退しています。逆にC51の次に廃形式となったのはC59・C60で、1970(昭和45)年10月の呉線・鹿児島本線電化開業で同時に引退したのは、皆さんよくご存じのことと思います。

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C55全機62輌の肖像 俵弘道さんの「C55全機62輌の肖像」はC55のうち最も早く1963(昭和38)年に廃車となったC55 9(右上)を撮影したから成し遂げられた偉業。ただし最後に撮影したC55 26の原版を失ったという悲劇も...。 (『国鉄時代 アーカイブズ』vol.7「日本の蒸気機関車 1」より)
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表紙は写真家・広田尚敬さんが愛機ローライフレックス SL66で撮影した中央西線のD51。テレテッサー500mmの世界。
今回は長短24の記事を掲載しており、その中でも早い時期に絶版となったvol.11の「黄金時代の急行列車」、vol.15の「C55全機62輌の肖像」、vol.16の「仙臺物語」は『国鉄時代』を代表する記事で、「黄金時代の急行列車」では鉄道史研究家である三宅俊彦さんによる解説記事、「 C55全機62輌の肖像」は俵弘道さんが一人で62輌のC55を追いかけた撮影記、「仙臺物語」は元仙台機関区機関助士の大山 正さんによる東北本線蒸機時代の乗務の回想録、『国鉄時代』の根幹をなす解説・撮影記・乗務回想録という三つの柱が融合して新たな光を放っています。

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華麗なるハドソン特急 八代市にお住まいだった故 小沢年満さんの2冊のアルバムからC61「はやぶさ」の名場面を。 (『国鉄時代 アーカイブズ』vol.7「日本の蒸気機関車 1」より)
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今巻は旅客機に軸足を置いた構成で、「東海道蒸機時代」「華麗なるハドソン特急」「急行旅客機C61の生涯」など、華々しいハドソン機が誌面を疾走いたします。
多くの方々から、巻数が増えると、あの記事が読みたいと思ってもなかなか探し出せないとのお話を伺って、テーマ別に再編集した『国鉄時代アーカイブズ』ですが、『国鉄時代』スタートした10年前とは製版・印刷技術は格段に進歩し、より美しい刷りあがりとなっています。

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黄金時代の急行列車 「黄金時代の急行列車」では鉄道史研究家の三宅俊彦さんが昭和38年10月ダイヤ改正の編成表を掲載し詳細に解説する。 (『国鉄時代 アーカイブズ』vol.7「日本の蒸気機関車 1」より)
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■『国鉄時代 アーカイブズ』vol.7「日本の蒸気機関車 1」
A4変形判/132ページ
本体1,994円+税
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▲リニア・鉄道館のモハ52004。後ろにはクモハ12041があるので連結面はほとんど見られない。'12.7.5 リニア・鉄道館 P:宮武浩二
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引き続きもう1輌の保存車、JR東海のリニア・鉄道館のモハ52004をご覧いただきましょう。ご承知のように「流電」モハ52は側窓が小窓の通称「第一次流電」001・002と、側窓が大窓の通称「第二次流電」003・004・005・006に分かれますが、幸いなことに吹田総合車両所に保存されている001が第一次、ここリニア・鉄道館に保存されている004が第二次と、両タイプが1輌ずつ残ったことになります。

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▲すばらしいコンディションで展示されているモハ52004。車内も常時公開されている。'12.7.5 リニア・鉄道館 P:宮武浩二
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ただ、両者ともに戦前のいわば原型に復されており、私たちに最も馴染み深かったスカ色を纏った晩年の姿を偲ぶことはできません。その意味では少々残念な気もいたします。

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▲飯田線で廃車後に日本車輌に運び込まれた際のクモハ52004。後ろは新造中の大阪市交通局10系2号編成。P:宮武浩二
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リニア・鉄道館の004はもちろん休館日以外は見ることができますし、車内も公開されていて白熱灯に照らされた木製の内装をゆっくりと味わうことができます。また、乗務員室は001の半室運転台に対して全室となっており、その点でも両者を比較すると興味深いものがあります。

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▲モハ52004の車内。吹田総合車両所のモハ52001とは異なり、天井の通風口がない。'12.7.5 リニア・鉄道館 P:宮武浩二
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▲モハ52004の運転室。全室運転台なのでモハ52001と比べて実に広々としている。'12.7.5 リニア・鉄道館 P:宮武浩二
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▲現役時代のクモハ52002の運転室。助士席も備えられており、実にルーミーな空間となっている。'78.11.2 飯田線牛久保 P:名取紀之
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宮武さんありがとうございました。2輌のクモハ52がこのようなかたちで残るまでには、さまざまな紆余曲折があったようにうかがっています。それにしても、リニア・鉄道館は通年で見学可能ですが、吹田総合車両所の公開はまた一年後...なにやら織姫と彦星のようです。

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▲牛久保駅で顔を合わせたクモハ52002(左)と、現在はリニア・鉄道館で保存されているクモハ52004(右)の豊橋区35編成。'78.11.2 飯田線牛久保 P:名取紀之
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