鉄道ホビダス

2016年5月アーカイブ

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▲真新しい「牛若號Ⅳ」。多宝塔駅側の運転台窓は大きいが、こちら側、山門駅側の窓はコンパクトになっている。'16.5.21 山門駅 P:宮武浩二
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昨年5月から大規模改修工事のため運休していた鞍馬山鋼索鉄道(アーカイブ「改修運休に入った鞍馬山鋼索鉄道」参照→こちら)が、5月20日(金)14時から一年ぶりに運転を再開しました。

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▲車内を見る。先代の「牛若號Ⅲ」とは下段窓枠の構造が変更されている。'16.5.21 P:宮武浩二
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昨年は運休に入る前日に現地を訪れた宮武浩二さんが、今回も運転再開翌日にお出でになり、すっかり生まれ変わった鞍馬山鋼索鉄道をレポート下さいました。

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▲車内見付。使用電気量に上限があり、換気ファンは今回から見送られ自然通風のみとなった。また安全を考慮してつかみ棒を設置している。またインテリアもブルーを基調とした床材に変更、座席は「牛若號Ⅲ」と同じえんじ色のシートとなっている。'16.5.21 P:宮武浩二
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安全索道㈱で製作された車輌は伝統の名前を引き継いで「牛若號Ⅳ」と名付けられています。さらに地上設備も一新され、なんと巻き上げ機自体も新しくなっています。

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▲愛称板と安全索道㈱のメーカーズプレート(左)。右は出入口表示。'16.5.21 P:宮武浩二
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▲多宝塔駅に新しく設置された巻き上げ機。'16.5.21 P:宮武浩二
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▲乗車口の位置が変わったため、窓から巻き上げ機が間近に見られるようになった。'16.5.21 P:宮武浩二
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叡山電車の終点・鞍馬駅から200mほどの山門駅と多宝塔駅を結ぶこの鞍馬山鋼索鉄道、営業距離0.2㎞と日本一短い「鉄道」で、前回もご紹介したようにそのほかにも数多くの日本唯一を擁しています。事業者が「鞍馬寺」、つまり宗教法人というのもわが国唯一で、今回の改修にも、お寺さんならではの配慮がなされているのも特筆されます。

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▲山門駅待合所には先代「牛若號Ⅲ」の撤去説明などが写真とともに詳しく紹介されており、必見。'16.5.21 P:宮武浩二
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▲二度と再び購入することはないであろう新千歳空港駅から東京都区内への乗車券。それにしてもまさかこんなことになろうとは...。'16.5.27 新千歳空港駅

先週末は日本鉄道保存協会のMTGで札幌へ。順調に視察・意見交換を終えて、さあ帰ろうとなってから、とんでもないトラブルに巻き込まれてしまいました。

20160530125459-4ae4ca0ac9a468ce966e2b0209d8860a3af48420.jpgインターネットのニュースで、羽田空港で大韓航空機がエンジントラブルを起こしてたいへんな騒ぎとなっているのは認識していたのですが、国際線だし、ほかの滑走路は大丈夫なのだろうから...と甘い認識で新千歳空港までやってきて愕然! なんと羽田空港ではすべての発着が止められており、空港ロビーは大混乱状態となっているではないですか。

▲人、人、人。どこもかしこも長蛇の列だらけの新千歳空港カウンター。なかにはお土産の毛ガニが入った保冷パックを手に途方に暮れる人も...。'16.5.27 新千歳空港
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搭乗予定だった全日空便も空しく「欠航」の表示。振り替えや払い戻しの列は何重にもとぐろを巻いて延々と続いています。あとになってわかったことですが、羽田空港のすべての滑走路が使えるようになったのは18時過ぎのことで、実に400便以上が欠航、7万6千人に影響が出たのだそうです。

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▲翌朝の東室蘭駅前。この地を踏むのは恐らく42年ぶり。鉄の街らしく何やら巨大な鉄製オブジェが聳えている。'16.5.28
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とにかく列に並ばないことには始まらないと並んだものの、末端の方は見事に微動だにしません。一時間ほど経っても進んだのは数メートルだけ。しかもよくよく見ていると、諦めて列を離脱する人の分だけ前に進んでいるようで、根本的にはまったく埒が明かない状況です。そのうちに「明日の振り替え便も20時以降でないと空席がないらしい」との"風説"も流れ、いよいよ万事休す。

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▲「スーパー北斗」を待つ間にDF200 121〔五〕牽引の下り高速貨が到着。すでにDD51の姿はない。'16.5.28
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ただ、こちらは別件もあって翌日夕方までには東京に帰着せねばなりません。そこで浮かんだのは当然ながら列車で帰ること。そう、北海道新幹線です。ところがこの時点で時間的に乗車可能なのは「スーパー北斗24号」で、新函館北斗23時16分着。これでは函館に投宿して翌朝の新幹線に乗るしかありません。

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▲ひたすら移動に費やすにはもったいない爽やかな快晴が車窓に広がる。最高速度120㎞/hとリデュースしてしまったものの、4D「スーパー北斗4号」は快調に函館を目指す。'16.5.28
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念のためにiPadで周辺ホテルの空室を探すも、千歳、札幌周辺はことごとく満室。そこで浮かんだのがかつて「東室蘭ターン」(アーカイブ「敦賀ターン 思い出の彼方」参照→こちら)でお世話になった東室蘭です。東室蘭であれば新千歳空港駅からでも一時間ほど。名物の"室蘭やきとり"でもつまんでからゆっくり休み、翌朝の「スーパー北斗」で函館に向かおうという算段です。

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▲有珠山の威容をバックに長和駅を通過。長和といえば北菱産業(志村化工)専用線のB6を思い浮かべるのは私だけだろうか。'16.5.28
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▲乗り換えの新函館北斗ももうすぐ。思えばこのルートを通るのは3月の「カシオペア」以来2ヶ月半ぶり。'16.5.28
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▲10時23分、新函館北斗駅に定時到着。写真ではわかりにくいが、先頭のキロ261 1104の正面には長旅を物語るように羽虫の痕がびっしり。'16.5.28 新函館北斗
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▲向かい側のホームには10時27分発の1334M「はこだてライナー」が発車を待っている。驚いたことに車内は満員状態。'16.5.28 新函館北斗
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20160529231232-150418c4d96ac1a8d2bc871b1016ba27785c82fd.jpgところが、またしても落とし穴がありました。誰しも考えることは同じ。新千歳空港駅の「みどりの窓口」で聞くと、翌日の「スーパー北斗」はすでに満席で、わずかにロザが3席空いているだけというではないですか。もともと大出費を覚悟のルート選択だけに、もう毒を食らわば皿までもの心境で、「スーパー北斗」→東室蘭宿泊→「スーパー北斗」(ロザ)→「はやぶさ」で、ようやく帰京できたのはトラブル発覚からほぼ24時間後の28日夕方のことでした。

▲2階の改札フロア。さすがに開業2か月とあってどこもすこぶる綺麗。'16.5.28 新函館北斗
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▲新千歳空港駅を出てからおよそ14時間、ようやく3018B「はやぶさ18号」に乗り込む。'16.5.28
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▲青函隧道を抜けて間もなく新青森。想定外の長旅となってしまったが、図らずも地に足の付いている鉄道の安心感を思い知ることとなった。'16.5.28
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▲ブルーリボン賞に選ばれた阪神電気鉄道5700系。'15.6.12 尼崎車庫 P:高間恒雄
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昨日、鉄道友の会から2016年ブルーリボン賞とローレル賞の発表があり、ブルーリボン賞(最優秀車輌)に阪神電気鉄道5700系、ローレル賞(優秀車輌)に東日本旅客鉄道HB-E210系、および、四日市あすなろう鉄道新260系が選ばれました。あらためてご紹介すると、ブルーリボン賞は鉄道友の会(会長 須田 寬、会員約3,100 名)が毎年1 回、前年中に営業運転に就いた新車および新車と見なせる車輌(改造車等)のなかから、会員の投票結果をもとにして選考委員会(鉄道車輌に精通する鉄道友の会会員9名)が優秀と認めた車輌に与えられるもので、今年は14形式がノミネートされていました。
ブルーリボン賞に選ばれた阪神電気鉄道5700系は、最新技術を導入して、標準化の流れに沿いつつ、旅客サービス向上による「人へのやさしさ」と環境負荷物質の低減による「地球へのやさしさ」の追求をコンセプトに、各駅停車用車輌に特化した性能としていることが選定理由として挙げられています。

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▲ローレル賞を受賞した東日本旅客鉄道HB-E210系。P:東日本旅客鉄道
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一方、ローレル賞に選定された東日本旅客鉄道HB-E210系は、ディーゼルハイブリッドシステム、3扉車の2輌編成、ステンレス車体などにより、環境性能向上、旅客サービス向上、メンテナンスコスト低減などを具現化し、今後の地方都市近郊の鉄道輸送に大きく貢献する優れた車輌であることが評価されました。

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▲ローレル賞を受賞した四日市あすなろう鉄道新260系。P:鉄道友の会
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もうひとつのローレル賞受賞車輌は異色のナローゲージの新車、四日市あすなろう鉄道新260系。762mm軌間の鉄道車輌という厳しい条件を克服して、当節の車輌として必要にして十分な内容を具えていることから、栄えあるローレル賞を受賞しました。


今回でブルーリボン賞は第59回、ローレル賞は第56回となります。ブルーリボン賞は1958(昭和33)年の小田急3000系(SE車)以来59回目、ローレル賞は1961(昭和36)年の京阪神急行電鉄(1973年から阪急)2000系・2300系以来56回目となりますが、前者では名鉄7000系(1962年)、国鉄581系(1968年)、西武5000系(1970年)、後者では京王5000系(1964年)、営団6000系(1972年)、国鉄24系25形(1975年)等々、まさに歴史的名車が名を連ねており、その歴史の深さが知れます。

※明日、明後日は不在のため休載させていただきます。

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▲茶内中学校前に保存されていた頃の浜中町営軌道自走客車。車体の錆は目立つが、この時点ではそれほど荒廃してはいないように見える。'82.1 P:秋本敏行
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先週の浜中町営軌道の記事をご覧になった秋本敏行さんから、廃止後十年あまり保存されていた自走客車の貴重な画像をお送りいただきましたのでお目にかけましょう。
茶内中学校の正門前に保存されていたのは1964(昭和39)年泰和車輌工業製の自走客車。計器類などバス部品を活用して道産子メーカーが製造した簡易軌道用気動車で、1972(昭和47)年に浜中町営軌道が廃止となるまで活躍していました。廃止後、茶内駅から1キロほどにある茶内中学校の正門前に保存されましたが、茶内中学校前バス停の真横でもあり、ひょっとするとバス待合所の役割も担っていたのかも知れません。

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▲乗降口側から見る。ちょうど車体の真ん中あたりに「茶内中学校前」のバス停標識が見える。'82.1 P:秋本敏行
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浜中町営軌道の自走客車はこの茶内中学校の泰和製と、ふるさと広場の運輸工業製の2輌が保存されましたが、ともに1984(昭和59)年に解体されてしまって現存しません(運輸工業製の台車のみ存置→こちら)。気候の厳しい根釧地域だけに無理からぬことかもしれませんが、再び簡易軌道の存在が見直されようとしている今日、もし残っていれば、別海町のように指定文化財などとして顕彰されたに違いありません(→こちら)。

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▲釧路市の新宮商行株式会社釧路防腐工場で働いていた当時の鶴居村営軌道DL。キャブ背面に枕木の束(?)を括り付けられ、かなりの重労働に就いていたようだ。'82.1 P:秋本敏行
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秋本さんからは、今週末に丸瀬布森林公園いこいの森で開催される「鶴居村営軌道DLを学ぶ会」(→こちら)の主役である運輸工業製DLが、新宮商工㈱釧路防腐工場で働いていた頃の珍しいカラー写真もお送りいただきました。

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▲釧路時代とはうって変わって"新車"のように美しく生まれ変わった鶴居村営軌道DL。'15.7.19 丸瀬布森林公園いこいの森 P:名取紀之
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鶴居村営軌道廃止後、この木材加工工場の構内軌道に転じた運輸工業製DLはスパルタンな日々を送っていましたが、1989(昭和64)年についに故障で現役離脱。ところが解体されずに残っていたことが奏功し、1995(平成7)年に有志の働きかけによって丸瀬布町が引き取り、札幌交通機械でフルレストアして翌年から丸瀬布の新しい仲間として活躍を始めました。このあたりの数奇な運命についても週末の「学ぶ会」では詳しく解説されるはずです。

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▲安保彰夫さんが遺された4冊のRMライブラリー。
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これまでにRMライブラリー4タイトルをご執筆いただいた安保彰夫さんが5月19日朝、入院中の病院でお亡くなりになりました。

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▲『出石鉄道 -二千人の株主が支えた鉄道-』では1980(昭和55)年当時の出石鉄道跡の空撮が圧巻だった。

安保さんには第38巻『図説 別府鉄道』以来、第55巻『赤穂鉄道の発掘』、第89巻『西大寺鉄道』、そして第131巻『出石鉄道』と足掛け8年近くを掛けて4作品をまとめていただきましたが、とりわけ『出石鉄道 -二千人の株主が支えた鉄道-』は「2011年島秀雄記念優秀著作賞」を受賞し(→こちら)、ご本人もこの栄誉をたいへん喜んでおられたのが昨日のように思い出されます。

20160522225734-e9b97af83de40105eac95d1a1d5de2baa0930cc1.jpg安保さんの地方鉄道研究の手法は、常に"現場"ありきでした。自ら現認することがかなわなかった鉄軌道でさえも繰り返し現地を歩き、当時としてはまだしっかりと確立していなかったオーラルヒストリーの聞き取りを積極的に行い、結果として消えた鉄軌道を自ら体感することを旨とされていました。もちろん公文書など一次資料の調査も並行して進められていましたが、安保さんには失われた鉄軌道の記録をあくまで血の通った歴史として残したいという思いが強くあったように思います。

▲安保さんは訪問記を逐一アルバムにまとめておられた。写真は1975(昭和50)年の紀州鉱山探訪記で、新聞の切り抜きから旅館の領収書までが綺麗にまとめられている。
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安保さんは長年にわたって大阪朝日放送にお務めで、職業柄もあってか、撮影記や訪問記を逐一アルバムにまとめておられました。なかには敬愛してやまなかった西尾克三郎さんとの撮影行などもあり、アルバムを見せていただくたびに新鮮な驚きと、そして羨望があったのを思い出します。

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▲「2011年島秀雄記念優秀著作賞」贈呈式のスピーチで、調査対象の鉄道の時代に自分自身が入り込んでしまうことが大切と語っておられた安保彰夫さん。'11.9.4 私学会館(再掲)
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20日(金)夜に芦屋市内で執り行われたお通夜には私も列席させていただきましたが、長年にわたって趣味を同じくした皆さんに囲まれて、安保さんもさぞや安心されたのではないでしょうか。享年83歳。あらためてご冥福をお祈り申し上げます。

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▲善通寺赤門通から本郷通りを西へ、国鉄善通寺駅近くの車庫前に到着する坂出行の59号。'61.8.11 P:中谷一志 (RMライブラリー『琴平参宮電鉄』より)
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今月のRMライブラリーは宮武浩二さんによる『琴平参宮電鉄』をお届けします。琴平と聞くと高松琴平電鉄を思い浮かべ、琴平参宮電鉄を想像される方はほとんどおられないかと思いますが、"琴参"はその名の通り、香川県琴平町の金刀比羅宮への参拝客を運ぶ目的に特化されて建設された鉄道でした。

20160520134659-44ce85ac184b08203941a01f34a54a2148d3289f.jpg今も全国からの参拝客が絶えない金刀比羅宮ですが、琴平へ最初に通じた鉄道は現在のJR予讃線・土讃線の一部にあたる讃岐鉄道丸亀~多度津~琴平間で、1889(明治22)年のことです。琴平参宮電鉄(琴参)はそれに次ぐもので、1922(大正11)年から1928(昭和3)年までに、坂出~丸亀~善通寺赤門前~琴平間と、多度津桟橋通~善通寺赤門前間、合計26.6kmの路線が完成しました。この頃はまだ、大阪や神戸を起点に四国、九州に寄港する瀬戸内海航路の汽船が一般的で、琴参も多度津や丸亀からの汽船連絡を意図した路線でした。ちなみに丸亀~琴平間は軌道線、それ以外は地方鉄道として開業しましたが、実際には一体で運用されており、車輌もすべてステップのついた路面電車然としたものでした。

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▲昭和10年頃の琴平参宮電鉄沿線案内。琴参は多くの路線を計画したが、その中でも坂出~下笠居~高松間の延長線は昭和30年代まで免許の更新を続けており、この図でも破線で描かれている。 (RMライブラリー『琴平参宮電鉄』より)
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その後、琴平には1927(昭和2)年に高松からの現在の高松琴平電鉄琴平線である琴平電鉄が、そして1930(昭和5)年には坂出~琴平間をショートカットする琴平急行電鉄が開業。小さな琴平の町に4つもの駅がひしめくことになります。しかしこの状況は短く、戦時下の1944(昭和19)年には琴平急行が休止となりました。ちなみに琴平急行と琴参は競合関係で、様々な乗客争奪戦が繰り広げられたと伝えられていますが、その一方で、1938(昭和13)年には琴参から琴平急行へ有蓋電動貨車がレールなどとの交換により譲渡されているのも、興味深いことです。

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▲最初に開業した丸亀~善通寺間は軌道線として開業している。軌道と鉄道が併存していたのも寿命を縮める要因となった。 (RMライブラリー『琴平参宮電鉄』より)
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琴参は戦後も車輌の更新、新造などを積極的に進めましたが、そもそもの目的であった本四連絡の主役はすでに瀬戸内海航路から宇高連絡船へと取って代わられていました。さらに道路整備も進んだことから、琴参は1960(昭和35)年の株主総会でバス事業への集中を決定。新造車88号の投入からわずか2年後のことでした。そして3年後の1963(昭和38)年9月15日限りで、全線が廃止されました。

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▲自社で鋼体化改造を行った60形電車。1輌目の59号はリベット付きで、ダブルルーフは種車から流用であった。 (RMライブラリー『琴平参宮電鉄』より)
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廃止が半世紀以上も前と古いため、現役時代を知る方も少なくなってきております。そんななか、本書は、この琴参の沿革と、2軸電車から電動貨車まで歴代の車輌を、多くの写真とともに振り返り、後世に伝えるものです。ぜひお手に取ってご覧ください。

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大夕張通信・2016年春。

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▲今年も公開を開始した南大夕張駅跡の保存車輌。'16.5.3 P:三菱大夕張鉄道保存会
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三菱大夕張鉄道保存会から夕張地区の近況をお送りいただきましたのでご紹介いたしましょう。

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▲大夕張鉄道の最盛期を彷彿とさせる№3+ワフ+ナハ2+ナハ1+ハ×2+セキの編成。1950年頃 大夕張炭山 提供:三菱大夕張鉄道保存会
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20160519115633-a9283b64e7fa41bf415f73d8ddcf638f08d1bdd0.jpg三菱大夕張鉄道保存会では4月24日にブルーシートを取り外して南大夕張駅跡の保存車輌の公開を再開し、同時にスハニ6荷物室内の展示パネルの更新を行いました。展示パネルはA2判のアルミ複合板パネル8枚で、北海道空知総合振興局の補助を受け制作、夕張の炭砿や大夕張地区の歴史、大夕張鉄道の歴史、保存会活動、大夕張鉄道の駅と沿線、保存車輌の紹介、保存会活動・車輌修復の軌跡を紹介しています。

▲見学者で賑わう客車内。'16.5.3 P:三菱大夕張鉄道保存会
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▲解説パネル「炭鉱と共に歩んだ三菱大夕張鉄道」(左)と、保存車輌についての解説(右)。P:三菱大夕張鉄道保存会
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ゴールデンウィーク中は多くの見学者で賑わいましたが、今年は隣接する「あったカフェR452」(旧シューパロダムインフォメーションセンター)でカレーやコーヒ等の軽食が楽しめるようになりました(10月末までの土・日の開館)。

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▲宝沢橋梁跡の築堤。'16.5.3 P:三菱大夕張鉄道保存会
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20160519115801-efccd9f256088ad16360a6d9036e8455212b4055.jpg昨年4月より運用を開始した夕張シューパロダムは雪融け水でほぼ満水。夕張川ダム総合管理事務所前には「三弦橋」の解説板が新たに設置されました。「三弦橋」は残念ながら水没していますが、南大夕張駅跡付近には下夕張森林鉄道の廃線跡も残り、ダムの上流部では築堤化された大夕張鉄道7号・宝沢橋梁の跡も確認でき、傍らにコンクリートの橋台が残っています。

▲南大夕張駅跡近くに残る下夕張森林鉄道の廃線跡。'16.5.4 P:三菱大夕張鉄道保存会
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▲夕張川ダム総合管理事務所前に設置された「三弦橋」の解説板。'16.5.3 P:三菱大夕張鉄道保存会
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ところで、石勝線も昨年10月に清水沢駅が無人化、3月26日に東追分、十三里駅が信号場化され、支線の列車も減便されましたが、清水沢駅では一部展示を入れ替え8月末まで「清水沢駅の思い出展」(主催:清水沢プロジェクト、共催:三菱大夕張鉄道保存会)を継続開催中です。夏休みなどに当地へお出でになられた際はぜひご覧ください。

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▲信号場となった十三里駅。'16.5.4 P:三菱大夕張鉄道保存会
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南大夕張駅跡の保存車輌は炭砿の歴史を伝える貴重な文化遺産です。本年も11月初旬までの公開予定となりますが、多くの皆様の来訪をお待ちしています。
「三菱大夕張鉄道保存会」 →こちら
http://www.ooyubari-rps.net/
「清水沢プロジェクト」 →こちら
http://www.shimizusawa.com/

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▲前回の展示の様子。展示スペースが限られているため品数は限られているが、その稀少さは驚きに値する。ちなみに右ケース上段の「豊岡行」の横サボは来場者とのコミュニケーションのための"ひっかけ"。提供:小池武史
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直近のご案内となりますが、今週土曜日(21日)、埼玉県入間市の指定有形文化財「旧黒須銀行」内で「第2回 入間のミニ鉄道展」が開催されます。この展覧会、本誌380・381号でご紹介した「特別企画 未公開写真と資料で振り返る...武蔵野鉄道100年」で、おびただしい切符や資料類をご提供いただいた小池武史さんのコレクションの実物を展示するものです。

20160518170610-bfef70ef1393845aa6294de92196462f3ca8274f.jpg実はすでに同様の「第1回」も開催されたのですが、事前周知がほとんどされず、見学に訪れたのは鉄道愛好家というよりは地元の方だけだったそうで、今回はそのリベンジの意味も込めて一日だけの展覧会を企画されたのだそうです。

▲電照式になる前の5000系のヘッドマークでも「こぶし」はとりわけ珍しい。提供:小池武史
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展示内容は西武鉄道関連を中心に、その周辺の八高線も含む切符と鉄道部品類で、武蔵野鉄道や川越鉄道、武蔵水電、それに短期間の社名であった西武農業鉄道などの切符(実物)も展示されます。また西武鉄道の部品関係では、5000系"レッドアロー"で使用されたヘッドマーク類、前面行先板、ホーローの駅名板、西武復興社時代の銘板などが展示されるほか、八高線コーナーでは、同線で活躍した蒸気機関車と同じC58形のナンバープレートや吊り下げ式の行先板、同線唯一の優等列車「奥利根」の愛称板などが展示されます。

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▲ホーローの駅名標や池袋線関係の各種前サボ。稲荷山公園の前サボも極めて珍しい。提供:小池武史
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会場の旧黒須銀行は1909(明治42)年に建築された土蔵造り二階建ての歴史的建造物で、1960(昭和35)年まで埼玉銀行豊岡支店として使用されていましたが、現在では入間市が所有、同市の指定有形文化財となっています。通常は公開されておらず、この日はやはり通常非公開の「西洋館」(大正時代の迎賓館的建物)とともに特別公開されますので、その意味でも千載一遇の機会と申せましょう。

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▲武蔵野鉄道の乗車券類。連絡乗車券や回数乗車券、定期乗車券をはじめ、山口線(狭山線)の開通記念乗車証(右下)も。提供:小池武史
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"小池コレクション"は、こと西武鉄道関係においては質・量ともに圧倒的です。実は本誌誌上で紹介させていただいた際も、スキャン・データをお借りして現物はほとんど拝見していないだけに、その意味でもたいへん貴重な機会となります。展示は1日限り。なおかつ今回が最後の展示となるそうですので、どうかお見逃しなく。

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▲こちらは川越鉄道、武蔵水電の乗車券類。現存していること自体が奇跡のような歴史的史料である。提供:小池武史
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第2回 入間のミニ鉄道展
■開催日時
 2016(平成28)年5月21日(土) 10:00~16:00
■開催場所
 入間市指定有形文化財 旧黒須銀行2階
 (埼玉県入間市宮前町5-33)
■アクセス
 西武鉄道池袋線「入間市駅」下車、徒歩約10分

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▲浜中町営軌道秩父内。簡易軌道を象徴するミルク缶の積込み作業風景。なお、ブロック積みの詰所は今も残っている(下記参照)。1972年 P:西村 光
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「簡易軌道」と聞いてその姿が思い浮かぶ方も少なくなってしまったかと思いますが、簡易軌道とは北海道内の未開地での道路の代替手段として発達したもので、1970年代初頭までその姿を見られました。戦後、北海道開発局により、道東・道北の各地で軌道改良・車輌動力化が進められましたが、その中でも最大規模で、最後まで運行を継続したのが、根室本線の茶内駅近くを起点として根釧台地に支線を巡らせた「浜中町営軌道」でした。

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▲廃止間もない頃の浜中町営軌道茶内。長年活躍してきた泰和製自走客車。簡易軌道では気動車と呼ばす自走客車と称した。1972年 P:大谷正春
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浜中町営軌道は1927(昭和2)年11月開業。最盛期には茶内線(茶内・西円朱別間延長13.0km)、円朱別線(秩父内・上風蓮間延長13.4km)、若松線(中茶内・別寒辺牛間延長7.8km)の3路線が運行されていましたが、道路の整備とともに1972(昭和47)年3月に全廃(正式廃止は同年5月)となりました。釧路市を中心とした道東地域では、近年この簡易軌道をもう一度見直そうという機運が高まってきており、今秋からは釧路市博物館で大規模な企画展も予定されています。

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▲ガリ版刷の浜中町簡易軌道運行時刻表。昭和43年10月1日改正。提供:佐々木正巳
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さて先日、釧路在住の奥山道紀さんがこの浜中町営軌道の痕跡をたどられました。簡単にそのレポートをご紹介いたしましょう。

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▲浜中町ふるさと広場(茶内)に保存されている釧路製作所8tDL。荒廃が気になる。'16.4.24 P:奥山道紀
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20160517122227-f4c7b20a97539b43048ad42530d8c4d2f618eaea.jpg起点の根室本線茶内駅近くの公園には釧路製作所製DL(8t・1965年)が保存されており、駅から離れた場所にはかつての雪印乳業(現・雪印メグミルク)の工場を引き継いだタカナシ乳業の工場が見えます。往時は簡易軌道でミルクが集められた工場ですが、現在はミルクローリーでの集荷となり、高級アイスクリームの原料乳が本州方面に出荷されています。(アーカイブ「道東の鉄道遺産を巡る 4」参照→こちら

▲浜中町営軌道の起点であった茶内駅前。かつての軌道車庫あたりからタカナシ乳業を遠望。'16.4.24 P:奥山道紀
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円朱別線の分岐点であった秩父内には詰所と軌道跡が史跡として保存されています。円朱別線の終点は町界でもある風蓮川を渡った上風蓮。正確には別海町上風蓮開南と呼ばれ、別海村営軌道(簡易軌道風蓮線)の終点である上風蓮と接続しているかのような印象を受けますが、実際には10km近くは離れています。

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▲円朱別線の分岐点でもあった秩父内に残る軌道跡と詰所。トップに掲げた現役時代の写真と比べるとその位置関係がわかる。'16.4.24 P:奥山道紀
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▲秩父内詰所跡には浜中町による説明板が設置された。'16.4.24 P:奥山道紀
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20160517122331-adda46f49a99118ea3c92ff968041bcefd003c96.jpg1965(昭和40)年12月に地区住民の強い要請により延伸開業しましたが、ターンテーブルと機回り線の痕跡は無く、残土が積み上げられ、林の中に続く軌道跡らしき痕跡が見えるだけです。近くの学校跡に残る記念碑には開拓の厳しさが刻まれていました。

▲残土が積み上げられた上風蓮。'16.4.24 P:奥山道紀
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▲上風蓮・開南地区の開拓の歴史を伝える記念碑。'16.4.24 P:奥山道紀
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釧路・根室の開拓地を支えた「簡易軌道」。「地方鉄道法」や「軌道法」に準拠せず、「道路の一変形」として整備されましたが、その実態は必ずしも明らかにされていません。釧路・根室管内には複数の簡易軌道の車輌が保存され、車輌を多く手掛けた(株)釧路製作所も操業中です。
まだ先の話ですが、10月29日(土)〜来年1月15日(日)のスケジュールで開催予定の釧路市博物館企画展「釧路・根室の簡易軌道」では、その「簡易軌道」の実態に迫ります。
http://www.city.kushiro.lg.jp/museum/kikaku/2016/kan-i-kidou.html →こちら
また、このプレ企画として「鶴居村営軌道DLを学ぶ会」が今月28日に「丸瀬布森林公園いこいの森」で開催予定です。ぜひご参加下さい。なお、引き続き釧路市博物館では簡易軌道関係の資料などを収集中です。こちらもぜひご協力下さい。

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▲「鶴居村営軌道DLを学ぶ会」のフライヤー。
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海芝浦 あのころ。

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▲京浜運河に面した鶴見線海芝浦支線の最終端部。この付近は現在は「海芝公園」と称するミニ公園となっている。'79.4.21 海芝浦
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改札口を出ることのできない奇妙な駅、海に面したいわゆる"秘境駅"としてメディアでもたびたび取り上げられている鶴見線の海芝浦駅。先日探し物をしていた際にふとこの海芝浦駅のネガに手が止まりました。

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▲海芝浦のホームで折り返しを待つ鶴見行き72系。国鉄末期にはクモハ12も鶴見〜海芝浦間の運用を持っていた。ちなみに一般人が立ち入れるのはこの構内踏切までで、画面左手はすぐに東芝の構内となっている。'79.4.21 海芝浦
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20160516161820-e836d3e9e806526fd317443b3cd9df827920338f.jpg時は1970年代末。17m車が激減したとはいえ、鶴見線はまだまだ旧型国電の天下でした。鶴見臨港鉄道を祖とする鶴見線は臨海部の工業地帯に深く入り込み、その最たるものが、一般乗客が駅構内から出ることもできない海芝浦駅でした。もともと東京芝浦電気(東芝)の従業員輸送用に戦中に設けられた駅だけに、観光目的の降車客など想定しておらず、改札口に相当する守衛所からの冷たい視線に耐えながらカメラのシャッターを切ったのを覚えています。

▲1970年代の京浜工業地帯はまだまだ活気に溢れていた。海芝浦支線も東芝の社員や訪問者で結構な賑わいを見せていた。'79.4.21 海芝浦
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最近では東芝自らが「海芝公園」と銘打った駅構内公園を設置、相変わらず構内を出ることはご法度ながら、30数年前のようにびくびくせずともこの奇妙な駅を楽しむことができるようになっています。

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▲海芝浦を発車、もちろん海には興味がないので東芝側の車窓を凝視する。さっそく現れたのは何やら曰くありげな大物車。'79.4.21 海芝浦-新芝浦
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▲続いて現れたのは巨大なシキ610。240tB1梁を持つ全長33m近い巨体は東芝所有で、ここ新芝浦駅の常備車。'79.4.21 海芝浦-新芝浦
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▲東芝構内へと入ってゆく専用線。よく見ると平面クロスとなっているのがわかる。'79.4.21 海芝浦-新芝浦
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ところで、この海芝浦支線の魅力のひとつは新芝浦駅構内から分岐する東芝の専用線群にありました。もちろん構内に立ち入ることはできず、なおかつ並行道路もなく、海芝浦支線を挟んですぐに海とあって、専用線の様子を探るには乗車列車の車窓に頼るしかありません。行くたびに車窓を凝視していたのも懐かしく思い出されます。

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▲浅野駅に到着する鶴見行き。駅構内に覆い被さるように構築された鋼橋、そしてその上部に見える片持ちの架線柱のようなものは...? '79.4.21 浅野
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▲海芝浦支線の列車は浅野駅鶴見方で複雑なクロスを渡って本線に合流する。画面左手の空き地はつい数年前まで日本鋼管鶴見製鉄所のヤードで、さらにその出自をたどれば鶴見臨港鉄道時代の機関区跡であった。'79.4.21 浅野
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▲オープンから3年、盛業中だった頃の赤坂遊園。井笠鉄道の保存車(右)を取り巻くように2フィートのミニ列車が走る。ボイラー風に改造されたボンネットが巧妙だが、実は"加藤くん"。'75.10.1 P:清原正明
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20年以上前になりますが、広島県福山市赤坂町にその名も「赤坂遊園」という遊園地がありました。残念ながら私は行ったことがないのですが、開園したのが1972(昭和47)年ということもあって、前年に廃止となった近隣の井笠鉄道の車輌を園内で保存していました。

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▲移築され「鉄道資料館」になっていた井笠鉄道薬師駅駅舎。井笠の鉄道資料館としては旧新山駅駅舎を利用した井笠鉄道鉄道記念館(アーカイブ「井笠鉄道 鉄道記念館を訪ねる」参照→こちら)が知られているが、はたしてこちらの鉄道資料館にはどんな資料が収蔵されていたのであろうか? '75.10.1 P:清原正明
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その赤坂遊園の保存車の写真を清原正明さんからお送りいただきました。しかも車輌ばかりか井笠鉄道の薬師駅駅舎まで移築して「鉄道資料館」と銘打つほどの力の入れようですから、当時は一連の鉄道遺産を遊園地の目玉のひとつとしようと目論んでいたのかもしれません。

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▲現役時代そのままの雰囲気の薬師駅本屋入口(左)。右は発車を待つミニ列車で、それなりのホームも誂えられているのがわかる。ちなみにDB1と標記された機関車の台枠にはKATOWORKSの陽刻がくっきり。'75.10.1 P:清原正明
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保存車輌は3号蒸気機関車(なぜか標記は「2」)、ホハ11、ホハ12、ホト2、ホワフ5の5輌で、この保存車輌を取り巻くように2フィートゲージのエンドレス軌道が敷設され、いかにも遊園地然としたミニ列車が走っていました。ところがこのミニ列車も只者ではありませんでした。遊園地のこの手の汽車というとチャンス社の "C.P.HUNTINGTON"(アーカイブ「模型列車の"C.P.HUNTINGTON"」参照→こちら)の類と相場は決まっていますが、ここ赤坂遊園の機関車はなんと加藤製作所製の内燃機関車なのです。すっかり蒸気機関車ぽく装飾が施されてはいますが、その出自は芦田川改修工事の機関車と伝えられており、その意味でも由緒ある存在でした。

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▲コッペル製の3号機。標記はなぜか「2」となっており、逆に池田動物園に保存されている2号機が「3」となっている(アーカイブ「池田動物園の井笠と西大寺」参照→こちら)。'75.10.1 P:清原正明
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▲コッペルとホト2を上から見る。さすがに木造無蓋車のホトはこの時点でかなり傷んでしまっている。'75.10.1 P:清原正明
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▲ホハ12(上)とホハ11(下)。日車製の好ましいオープンデッキ客車。ホハ12の方はデッキの手摺りの意匠が凝っている。'75.10.1 P:清原正明
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▲有蓋貨車ホワフ5。車掌室を持ち、客車との連絡を考慮して貫通扉を備える珍しい形態だった。【追記】ご覧になられた湯口 徹さんからご教示をいただきました。この貨車は車掌室の反対側に客車照明用のバッテリー搭載スペースを最初から設けており(設計申請1923年11月24日、認可は半年後の1924年5月20日)、地上設備で充電したバッテリーを搭載したそうです。'75.10.1 P:清原正明
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プールもあって一時は賑わいを見せたこの赤坂遊園でしたが、開園から20年に満たない1991(平成3)年春に閉園。3号機とホハ12は福山市内のゴルフ場前に、ホハ11と蒸気機関車スタイルの"加藤くん"は同じく福山市神辺町の保育園に引き取られたものの、貨車2輌は姿を消してしまったようです。清原さんのお話では、その後遊園地の跡地はすっかり宅地開発されて面影はなく、もちろん井笠鉄道薬師駅駅舎も跡形もなく消え去ってしまっているとのことでした。

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▲リニューアル改造によって生まれ変わったもと121系の7200系近郊型直流電車。 (JR四国プレスリリースより)
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JR四国は現在予讃線(高松~伊予西条間)と土讃線(多度津~琴平間)で普通列車として使用している121系近郊型直流電車について、VVVFインバータ制御化などリニューアル工事を行い、形式も7200系として改めると発表しました。

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▲7200系のサイドビュー。赤いラインは121系新製当時の赤色を踏襲しているという。 (JR四国プレスリリースより)
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121系は国鉄末期、四国島内初の電化にあたって準備された抵抗制御の直流近郊型電車で、当時2輌編成19本38輌が製造されました。来年で誕生以来30年を迎えることとなり、今回、7000系近郊型電車との併結を考慮してリニューアル工事が行われることとなったものです。

20160512114542-a5cf0d50deba155640ffbabc0d769b4d1e10532f.jpg主な変更箇所は以下の通りです。
(1)車号
JR四国7000系近郊形直流電車との連結を考慮し「7200系近郊形直流電車」とする。Mc車(運転台付動力車)を7200代、Tc車(運転台付付随車)を7300代とする。
(2)デザイン
121系新製当時の赤色を踏襲した赤いラインと、新型台車「efWING®」を用いるなど、環境に配慮したエコロジーな車輌を緑のラインで表現。
(3)客室設備
腰掛モケット、窓枠などをリニューアル。また、車いす使用者も安心して利用できる車いすスペースを設置。
(4)車輌性能
車輌の制御方法をVVVF(可変電圧周波数)インバータ制御とし、主電動機を直流モータから交流モータに変更。
(5)台車「efWING®」
「efWING®」は川崎重工業が開発した新型台車。従来の台車は鋼製の側バリと独立したコイルバネを用いるが、「efWING®」では側バリとコイルバネの両方の機能をCFRP(炭素繊維強化プラスチック)製のバネに集約することにより、走行安全性の向上と大幅な軽量化が図られる。また、2016(平成28)年2月~4月にかけて、予讃線で走行試験を行い、CFRP台車の走行安全性と現行台車からの乗り心地の改善効果を確認している。

▲正面スカート部にも形式番号が記入されている。 (JR四国プレスリリースより)
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▲川崎重工業が開発した新型台車「efWING®」の外観。 (JR四国プレスリリースより)
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今回のリニューアル工事の対象車輌は2輌固定編成×19編成計38輌、つまり121系全車で、これにより121系は形式消滅することとなります。なお、営業運転は本年6月以降、運用線区は予讃線(高松~伊予西条間)、土讃線(多度津~琴平間)となります。

資料提供:四国旅客鉄道株式会社

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▲普段は閉ざされている車内を見られる千載一遇の機会となった。'16.5.5 P:宮武浩二
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4年ほど前に和歌山城横の丘公園に保存されている南海和歌山軌道線の321号をご紹介いたしましたが(アーカイブ「南海和歌山軌道線の保存車たち」参照→こちら)、この321号、一年に一回5月5日のこどもの日にだけ車内が公開されます。宮武浩二さんが今年の公開にお出でになられたとのことでレポートをお送りくださいました。

20160510192822-63ad8e6ab1fb1d8c0bdac1ec9f20bde5aa1d3a5d.jpg南海和歌山軌道線が廃止されてから今年で45年となります。岡公園には市電(和歌山では軌道線を市内電車の略として市電と呼ぶ)とC57 119号蒸気機関車が保存されています。どちらも美しく整備されていますが、通常はフェンスがあるためどちらも外からの見学しかできません。ただ一年に一回、こどもの日だけはフェンスの中に入って車内まで見学することができます。公開時間は10時から16時まで。つまり一年で6時間だけの公開です。

▲年に一回の子どもたちへのプレゼント。ただし公開時間は6時間だけ。'16.5.5 P:宮武浩二
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▲国鉄和歌山駅前行き(左)と琴ノ浦行きの方向幕(右)も懐かしい。'16.5.5 P:宮武浩二
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▲321号の車内。廃止から45年経つが、車内は当時そのまま状態で維持されている。路線図も当時のまま。'16.5.5 P:宮武浩二
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▲2枚引き扉も状態が良い(左)。右は車掌スペース。'16.5.5 P:宮武浩二
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▲車内に残る路線案内。和歌山軌道線と貴志川線(現わかやま電鉄)が描かれている。'16.5.5 P:宮武浩二
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▲321号の運転台。直接式制御器は日立製作所DR BC-447。'16.5.5 P:宮武浩二
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▲日立製作所製コントローラの銘板(左)。右は同じく日立製の台車銘板。ちなみに主電動機は取り外されている。'16.5.5 P:宮武浩二
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▲和歌山の電気軌道線の移り変わりと題した説明看板も向けられている。'16.5.5 P:宮武浩二
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321号の車内は普段公開されていないだけあって状態は抜群に良く、まさに45年前に廃止された当時のままの姿を見ることができました。いっぽうC57 119はコンプレッサーからエアーが送り込まれて汽笛を鳴らし、子どもたちにたいへん好評でした。年に一回の公開というのが惜しまれます。

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▲いっぽうこちらもこの日だけ内部が公開されるC57 119。コンプレッサー(右)で汽笛を吹鳴するデモンストレーションも行われた。'16.5.5 P:宮武浩二
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ところで、この岡公園からほど近い和歌山市立博物館にも和歌山軌道線を偲ぶことができる資料が展示されています。さらに館内のおみやげショップには平成25年に企画展として開催された際に発行された『市電が走っていた街 -開業から廃止まで-』という100ページを超える立派な図録が販売されていました。開業以前の和歌山の鉄道の歴史を端緒に、数多くの資料と写真で和歌山軌道線の歴史がつづられ、竣功図など車輌図面も数多く収録された見事なものです。在庫のある限り税込み800円で発売されております。

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▲和歌山市立博物館発行の2013(平成25)年特別展図録(800円)とその前年に発行された『写真にみるあのころの和歌山 -市街電車編(戦前)-』(500円)。前者はA4判オールカラー104ページ、後者はA4判32ページで、ともに貴重な写真や資料が満載。
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かつて「ケロヨン電車」と呼ばれて市民に親しまれた和歌山軌道線。45年も前に廃止されただけに、現役時代を知る人もずいぶん減ってきたのでは思っていましたが、実はそうではなく、今もって和歌山市民に愛されているのがよくわかった一日でした。

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▲朝の賑わい ひっそりと出発を待つD51と対照的に、気動車が停まったこちらのプラットホームでは行商の人たちが運ぶ荷物の整理に大忙し。 D51 797 863レ '74.11.9 山陰本線長門市 P:永井修二 (『わが国鉄時代 』vol.16より)
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20160510132101-b6d9e06fd888363bb9cd605daa37b8cddda24499.jpg『わが国鉄時代』も2009年1月のvol.1から丸7年、読者投稿ブログがベースとなった、古いようで新しいタイプの本です。多くの方々からご投稿いただき、先週5月7日にvol.16が発売となりました。今回も山下編集長から見どころをお伝えいたしましょう。

「煙もきらめく、ぼくらの季節」...、表紙では筑豊・伊田のホームで少年が夏の日射しの中、眩しそうに歩いています。背後では9600爺さんがちょっと一服。野球帽を被った少年の目であの頃の風景を甦らせたい、そんな思いを込めてトップをこの大谷眞一さんの写真で飾りました。

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▲まえがきは国鉄職員でもあり16ミリ映画の大家である大石和太郎さん。蒸気機関車と映画を通して昭和の香りが漂う。 (『わが国鉄時代 』vol.16より)
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まえがきは国鉄職員でもあり16ミリ映画の大家でもあった大石和太郎さん。特集は「旧型国電と昭和の風景」「近畿地方の蒸気機関車」です。今なお人気の高い旧型国電。その世界はまさに小宇宙ともいうべき広がりをもっています。ここでは、それら魅力的な電車が生きた時代の光景を切り取って構成いたしました。リヤカーを引く駅員、通学する高校生...、勇ましくも哀愁の漂う吊掛けモーターの音や油の引かれた床の匂いに思いを馳せてページをめくっていただければ幸いです。

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▲春浅き山里 一面霜が降りた早春の朝、備後落合発津山行き844レが長々と煙の尾を引いて丹治部越えに向かう。この区間の最急勾配は20‰、C58の力強いブラストが朝の山々にこだまする。遠い日のふるさとの風景。'66.3.27 姫新線新見-岩山 P:藤山侃司 (『わが国鉄時代 』vol.16より)
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「飯田線 旧型国電覚書き」では、鉄道模型作家としても有名な宮下洋一さんに、"旧国博物館"として多くのファンから親しまれた1970〜80年代にかけてのエピソードを、折々の懐かしい写真とともに綴っていただきました。

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▲鉄道模型作家としても有名な宮下洋一さんの「飯田線 旧型国電覚書き」では、"旧国博物館"として多くのファンから親しまれた1970〜80年代にかけてのエピソードを綴ったもの。 (『わが国鉄時代 』vol.16より)
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4月29日に「京都鉄道博物館」が開館し大きな話題となっていますが、第二特集の「近畿地方の蒸気機関車」では、まだそこら中に煙が上がっていた昭和40年代の関西にタイムスリップします。今は嵯峨野観光鉄道となってトロッコ列車の走る保津峡にC57のブラストが轟いていた頃、関西本線、紀勢本線、播但線など近畿地方の多くでは、まだ第一線で活躍していた蒸機。関西の蒸機全廃は1973年10月と意外に遅く、「梅小路蒸気機関車館」が開館1972年10月の時点でも加太越えではD51が勇壮に貨物列車を牽引していました。

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▲「近畿地方の蒸気機関車」では山陰本線保津峡を始め関西本線、紀勢本線、播但線などの名場面で構成。左頁2枚 P:青木一郎 右頁 P:田邉幸男 (『わが国鉄時代 』vol.16より)
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▲倶知安峠へ 急曲線の連続する小沢〜倶知安トンネル間だが、ワイス温泉付近に短い直線区間があった。風の強い日で、山陰から轟音とともに飛び出してきた「ニセコ」は煙がまとわりついて編成はおろか前補機のキャブすら見えない。ところが、一瞬、風向きが変わり煙を割って2輌のC62が飛び出してきた。'71.1.2 函館本線小沢-倶知安 P:大谷眞一 (『わが国鉄時代 』vol.16より)
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一般ページでもC62重連「ニセコ」やD51と9600の古戦場・常紋から錦江湾を望む竜ケ水まで、蒸機、電機、DL、電車、気動車、私鉄などジャンルを越えて力作が寄せられ、2000枚を上回る写真の中から厳選しました。来年は国鉄が消えて30年を迎えますが、あの熱き時代の思い出は尽きません。

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宮澤孝一さんと語る会。

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▲少々辛辣ながら示唆に富んだお話は宮澤さんならではのもの。今回の「語る会」は戦後の趣味界をその中心で見続けてこられた宮澤さんのお話をたっぷりうかがうのが主眼だった。'16.5.7 P:名取紀之
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一昨日、5月7日(土)に東京・元赤坂の明治記念館において、その名も「宮澤孝一さんと語る会」が開催されました。宮澤孝一さんはあらためてご紹介するまでもないとは思いますが、日本の鉄道趣味界を代表するご長老(←この表現はご本人はお嫌いですが...)のお一人です。

20160509170224-f8f9e32a1df39b12ea4db384cda9d01a603b5036.jpgそれにしても突然「宮澤孝一さんと語る会」とは何ぞやと訝しがられる向きも少なくないかと思います。戦後直後の"ジュラ電"の昔から、先日のカシオペアのラストランまでお元気で撮影に向かわれる姿は私たちファンの鏡でもあり、その失せることない情熱はまさにかくありたいと願う憧れでもあります。もちろんあらゆる会合で宮澤さんのお姿は拝見いたしますが、ゆっくりとお話をうかがい、また会話を交わす機会は意外と少なく、ここは一度そんな場を設けては、というのが本会の発端でした。

▲まさに五月晴れの好天に恵まれた会場の明治記念館。明治神宮外苑に位置する戦前の憲法記念館で、都内でも有数の由緒ある会場。'16.5.7 P:名取紀之
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▲「曙の間」には100名を超える皆さんが集い、宮澤さんとの親交を深めた。'16.5.7 P:木村一博
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幸いなことに趣旨に賛同された方、実に百名以上が五月晴れの明治記念館に集われましたが、まさに現在の日本の鉄道趣味界の中核をなす皆さんが一同に会したかたちとなり、私としても圧倒される思いでした。

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▲開会の挨拶と乾杯は60年来のライバルでもあり刎頚の友でもある鉄研三田会の斎藤 晃さんが務められた。ちなみに司会進行は私が務めさせていただいた。ところで乾杯のお酒は...。'16.5.7 P:木村一博
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20160509170342-fc34dcd2a4c5d62f98593b2131842e2d0d1375a6.jpg宮澤さんは開式、式中、そして中締めと3度登壇されてたっぷりとお話をされ、いずれも含蓄のある趣味界への提言をされました。今回の「語る会」もそうですが、大ベテランから若手のホープまで年齢を超えた顔ぶれが集ったのも宮澤さんならではと言えます。年齢とともに近しい人とだけ交流し、新たな出会い、ことに若い人との交流を怖がる傾向にあるが、それではいけない、世代を超えてどんどん交流すべき、と説かれたお話は多くの皆さんの胸に響いたのではないでしょうか。それというのも、戦後すぐに東京鉄道同好会で遙か年上の高松吉太郎さんから趣味の上では皆平等と薫陶を受けた原点が、宮澤さんをこれまで導いてきたのかもしれません。

▲乾杯のお酒は、なんと明治神宮からこの会のために差し入れられた「御神酒」。'16.5.7 P:木村一博
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▲会場の一隅には宮澤さん秘蔵の書籍類と初期に愛用されたカメラが展示された。ともに戦前、戦後の鉄道趣味の歴史を物語る貴重な品々。'16.5.7 P:木村一博
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▲展示された雑誌類から...戦前の『鉄道』は広く知られているが、こちらは戦後になって日本鉄道協会から3号だけ発行された『鉄道』。その左後ろは1949(昭和24)年から6号だけ発行された交通科学研究会の『鉄道ファン』で、もちろん現在の『鉄道ファン』とはまったく無関係。ともに現物が残っているのは極めて珍しい。'16.5.7 P:名取紀之
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会場には小学生時代に使ったベークライト製の「ミノルタベスト」や、1949(昭和24)年に身延線のモハ62を撮りに行く際に持参された「ミニオン35C」など歴史的カメラの実物、さらには戦前から戦後にかけての雑誌、同人誌などの実物も展示され、なおかつ自由に手に取ることができたため、期せずして生きた資料館ともなりました。

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▲宮澤さんを囲んで6人の発起人一同で記念撮影。後列左から成田冬紀さん、志水 茂さん、荒川好夫さん、宮澤さん、宮田寛之さん、西尾恵介さん。そしてしゃがんでいるのが私。'16.5.7 P:木村一博
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ところでこの「宮澤孝一さんと語る会」、実は"その先"を見据えたものでした。趣味団体、大学、サークル、同人、そんな枠を超えて自由に集い、語り合える機会を創りたいというのが宮澤さんを含めた発起人の総意であり、今回はいわばその旗揚げに相当するものと言えましょうか。「宮澤孝一さんと語る会」が今後果たしてどんな発展を見せるのか、今から楽しみでなりません。

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▲終点のリヒテンハイナー瀑布駅周辺は国立公園内のシーニック・ポイントだけあって多くの観光客で賑わう。'14.9.18
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大型連休中日とあって国外にお出でになっておられる方も少なくないのではないでしょうか。今日は海外のトラムの話題をひとつお届けしましょう。

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▲キルニッシュタールバーンきっての撮影名所がこの奇岩が突き出た曲線区間。路側の併用軌道をゆく列車は混走するクルマに注意しながらゆっくりと走り抜ける。'14.9.18
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一昨年、ドイツはザクセン州を訪れた際、造詣の深い服部重敬さんのサジェスチョンもあって足を向けたのがバートシャンダウ(Bad Schandau)にあるキルニッツシュタルバーン(Kirnitzschtalbahn)でした。メーターゲージ(3ft 3 3/8inゲージ)のこのトラム、最大の魅力は全車輌が単車である点です。トラム天国の欧州といえども、さすがに単車が現役で営業運転に供されている路線は数少なく、なによりもその点に興味を引かれました。

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▲キルニッシュタールバーンのパンフレットより。左には主な在籍車輌(動力車のみ)のイラストと簡単なスペックが記されている。最も古い9号車が1925(大正14)年製、常用されている1〜4号車でも1957〜1960(昭和32〜35)年製とかなりの年季。
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20160501233809-e1c6bac4a943c0e520cbdfc2496c590cfaa6b1a1.jpg路線はバートシャンダウからキルニッチュ川を遡ってリヒテンハイナー瀑布(Lichtenhainer Wassarfall)までの7.9km。全線単線の直流600V架空線式です。
ところが起点のバートシャンダウまでやってきてびっくり。軌道上に巨大な落石があったとかで不通となっているではないですか。聞けば途中の車庫(Depot)から上流側は暫定的に運転しているとのことで、まずはその車庫まで行ってみることにしました。

▲落石による障害で訪問当日はバートシャンダウ〜車庫間が不通となっていた。'14.9.18
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このキルニッツシュタルバーン、1898年開業とたいへん歴史ある路線ですが、切り立ったキルニッチュ渓谷を縫うように走るだけにたびたび災害に見舞われており、2010年8月にも大規模な土砂崩れに襲われ、全線の復旧は訪問2年前の2012年年末までかかっています。

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▲臨時の起点となってしまった車庫。キルニッチュ川沿いに建つ修理工場を兼ねた車庫はなかなかの雰囲気。'14.9.18
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臨時の起点となった車庫を発車した列車は、決して広くはない路側の併用軌道を急カーブを繰り返しながら進みます。途中6つの駅がありますが、いずれも路上に設けられた乗降場といった雰囲気で、一部交換設備を有するものもあります。

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▲こちらは終点のリヒテンハイナー瀑布駅。とりたてて駅舎などはなく、M車が機回し(?)する側線があるのみ。'14.9.18
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▲T車の車内(左)。意外と近代的な造りとなっている。右は電磁吸着ブレーキで、勾配のきつい当線では必需品。'14.9.18
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終点のリヒテンハイナー瀑布駅も拍子抜けするほど小規模で、それにも増して驚いたのが観光名所となっている瀑布の小ささです。わざわざトラムを敷設するほどですから、当然、華厳の滝のような勇壮な大瀑布を想像していたのですが、実際は「えっ!」と声を上げてしまうほどの小ささ。日本ではまさにどこにでもありそうな、滝というよりは川の段差(失礼)のようなものではないですか...。

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▲モーター音とフランジ音を響かせてリヒテンハイナー瀑布駅へと登る2号車。通常1〜2輌のトレーラーを従えての運転。'14.9.18
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開業時にはさらに延伸して現在のチェコ国内まで路線をのばす計画だったというこのトラム、現在ではエルベ川の遊覧船なども運営するエルベ川上流交通会社(OVPS)が運行しており、今シーズンは障害もなく一日24往復ほど順調に運転しているようです。

※小ブログは6日(金)は休載させていただき、9日(月)より再開いたします。

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