鉄道ホビダス

2016年2月アーカイブ

ネガカラー再評価。

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▲11時ちょうどに旭川を出たC55 47〔旭〕牽引の宗谷本線321列車は、17時05分幌延に到着し8分ほど停車する。終点の稚内到着は18時57分。まだまだ前途は長い。'73.3.26 幌延 (MAMIYA FLEX Sekor 75㎜ Ektacolor Pro Type S)
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「C62 3現役最後の春」(→こちら)「最晩年の美唄鉄道」(→こちら)と、このところ1970年代初頭のカラーをいくつかご紹介しておりますが、実はこれらはブローニー判のネガカラーで撮影したもので、これまで軽んじてほとんど見返すことのなかったものです。もちろんスキャニングすることもなく、戦力外と決めつけたネガカラーだけを詰めた箱に眠っていました。

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▲大湊線吹越は幾度となく足を運んだお気に入りの地(アーカイブ「吹越のこと」参照→こちら)。このカットは"ついで"に撮ったもので、スキャンするまでまったく記憶になかった。キハユニ26〔盛オミ〕を先頭にした野辺地行き普通列車。'73.3.24 有戸−吹越
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カラー印刷が今日ほど一般的ではなかった1970年代、印刷適正は中判以上のエクタクロームか、35㎜であればコダクロームと相場は決まっており、ネガカラーなどプライベートユースの家族写真が関の山でした。しかも大学時代から雑誌編集の現場に関わってきたこともあって、ネガカラーは"色の記録"程度でしかないと教え込まれ、それ以来、見返すことさえなかったのです。

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▲小沢を発車する函館本線下り貨物列車。このカットもエクタカラー・プロ・タイプSによるもの。43年の歳月を経てもヘタなポジフィルムよりよほどしっかりしている。'73.3.25 小沢−銀山
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それが40年以上経ってみてどうでしょう。E-3プロセスのエクタクロームなどが極端に退色が進んでしまったのに対し、当時使っていたブローニー判のエクタカラー(プロ・タイプS)はほとんど劣化が見られず、昨今のデジタル機器を使えば、フラットベッドのスキャナーでも難なくご覧のような画像を得ることができます。もともとラチチュード(露出許容範囲)が広く、なおかつ階調が豊かなネガカラーは、ひと時代前、いや二時代前の印刷適性がトラウマのような忌避伝説を生んでしまいましたが、実は驚くべきポテンシャルを秘めていたのです。思わぬところで拾い物...まだまだ"初めて見る"ネガカラーに心ときめく日が続きそうです。

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▲高松港旅客ターミナルビル1階エントランス部のレールモニュメントは健在。P:宮武浩二
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瀬戸大橋開業にともなって宇高連絡船が廃止となったのが今から28年前の1988(昭和63)年4月10日。人びとの記憶からも次第に遠ざかりつつありますが、地元の顕彰施設にも寂しい変化があったようで、大阪の宮武浩二さんからレポートを頂戴しました。

昨年末に高松港旅客ターミナルビル内の「宇高連絡船記念展示場」を見学してきました。前回訪れたとき(アーカイブ「宇高連絡船の名残」参照→こちら)は3階にこの「宇高連絡船記念展示場」が開設されており、ガラスケースの中には宇高連絡船ゆかりの品々が展示されていましたが、最近になって高松港旅客ターミナルビル内のテナント整理があり、宇高連絡船記念展示場は1階ロビー内に移設されました。この移設にともなって、残念ながら展示物は半減されてしまいました。

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▲1階ロビーに移された宇高連絡船記念展示場。規模はかなり縮小されてしまった。:宮武浩二
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しかし、モデルシップや船内にあった「伊予丸」客室案内図、船の写真パネル類は残されています。いっぽう新たに展示された資料もあります。戦後の海難事故で沈没し多くの犠牲者を出した「紫雲丸」の船体の一部が新たに展示されています。「紫雲丸」は事故後に引き上げられ、安全対策を強化し船名を一般公募で「瀬戸丸」と改名しました。1966(昭和41)年まで就航していましたが、「伊予丸」が登場するに至り引退し、船は客室部分を取り払われて広島県の金輪島にあるドックの台船として平成の時代まで残りました。

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▲「伊予丸」客室案内図(左)と、モデルシップ愛好家が寄贈された歴代連絡船の模型(右)。P:宮武浩二
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▲「心に生き続ける宇高連絡船」と題した写真パネル展示。P:宮武浩二
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近年になり廃棄処分される際に船体の一部がここ「宇高連絡船記念展示場」に引き継がれたわけです。ちなみに紫雲丸型は三隻あり、「眉山丸」の操舵輪は現在高松駅の「連絡船うどん」店で展示、「鷲羽丸」の船名板は宇高連絡船廃止まで宇野桟橋乗船口に展示後、高松市が保存しているそうです。

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▲これが「紫雲丸」の船体(外板)の一部。まさに歴史の断片といえる。P:宮武浩二
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▲高松駅の「連絡船うどん」店。画面左側に「眉山丸」の操舵輪が置かれている。P:宮武浩二
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▲「眉山丸」の操舵輪(左)と二代目「讃岐丸」の錨のモニュメントに付けられたプレート。P:宮武浩二
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▲高松駅前に置かれた二代目「讃岐丸」の錨のモニュメント。P:宮武浩二
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展示場の規模は縮小されてしまいましたが、機会があればぜひ訪ねてほしいところです。また高松駅前には二代目「讃岐丸」の錨がモニュメントとして展示されていますので、こちらも忘れずにご覧ください。

明日は不在のため休載させていただきます

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名残の安比奈へ...。

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▲終点の安比奈停車場への最初の分岐。樹木の太さが半世紀にわたる"休止"の歳月を物語る。画面前方が南大塚方。なお、安比奈構内の分岐はすべて8番ポイントが用いられていた。'16.2.21
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先日の安比奈線"廃線"の報は広く反響を呼び、思い出を語られるメールもいくつか頂戴しております。安比奈線といえばトワイライトゾ~ンのまさに原点。そこで感謝の念も込めて、私ももう一度現地へと足を運んでみました。

20160223192205-0c5f700cf602778818fc261f44df2df05acea811.jpg新宿線南大塚駅北口横から続く安比奈線の軌道は、現在ではその多くが柵に囲まれて、基本的には立ち入ることができなくなっています。国道16号線までの500mほどの区間も同様で、かつては住宅の裏庭といった雰囲気で、洗濯物干しやら縁台やら鉢植えやらに埋め尽くされていましたが、今ではすっかり整備されて雑然とした雰囲気はまったくありません。さらに周囲の住宅自体もすっかり建て替えられ、30㎏/mレールの"貨物線"と奇妙なミスマッチを見せています。


▲南大塚駅(橋上駅)から見た安比奈線の分岐。右奥に見える2000系は新宿線下り列車。なお、南大塚駅本屋は橋上駅化前は現在より下り方にあった。'16.2.21
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▲国道16号線(前方のトラックが走っている道路)との交差部。国道部分にはすでにレールはないが、長年懸案だったこの交差も鉄道側の廃線というかたちであっけなく幕を閉じる。'16.2.21
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▲南大塚から国道16号交差部までは住宅街の中を進む(左)。国道16号踏切跡には警報機のものであろうか台座が残る(右)。'16.2.21
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安比奈線最大の見どころは池辺周辺で、雑木林を直線で貫くシーンは、安比奈線そのものを超えて"廃線"を象徴する光景として多くの出版物に登場してきました。現在でもその幻想的な情景は変わっていませんが、立入禁止区域となって柵が設けられています。池辺用水橋梁から八瀬大橋付近までも立入禁止となっていますが、途中何カ所か一般道が横断する箇所があり、そこから観察することが可能です。ただし、この周辺はマムシが出没するとのことで注意喚起の札も立てられており、その面での注意も必要でしょう。

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▲池辺付近の直線には春の息吹きが感じられた。この区間には溝橋も残されており、公道からつぶさに観察することができる。'16.2.21
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▲かつては地域住民の通路としても使われていて立ち入ることのできた池辺の森は現在では立入禁止。それでも柵外から安比奈線を象徴するトワイライトな情景を味わうことができる。'16.2.21
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▲西武鉄道主催のウォーキングイベント(アーカイブ「"西武安比奈線を歩く"開催」参照→こちら)の折に整備された池辺用水橋梁(現在は立入禁止)。周辺には武蔵野の原風景が残されている。'16.2.21
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八瀬大橋手前で県道114号線を潜ると、軌道は大きく左カーブを描いて入間川河川敷へと進んでゆきます。この付近は子どもモトクロス場として開放されており、少々エンジン音が気になるものの、自然に還ろうとしている線路を間近に堪能することが可能です。

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▲八瀬大橋手前で大きくカーブをきった軌道はいよいよ入間川の河川敷へと進む(前方が安比奈駅方)。子どもモトクロス場として開放されている区間にも線路はしっかりと残されている。画面前方の橋は水路橋。'16.2.21
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"休止"となってから半世紀近く、いつまでも見られると思っていた光景も、ついに歴史の彼方へと旅立ってしまう時がやってきたようです。この日も廃止の報を知ってお出でになったのか、数時間で5~6組のファンの方を見かけました。
間もなく芽吹きの季節。安比奈が最も輝きを増す季節です。最後のトワイライトゾ~ン探索にお出でになってみてはいかがでしょうか。

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最晩年の美唄鉄道。

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▲東美唄構外側線での入換を終え東美唄信号場で停車中の4号機。4110形と同形の三菱造船製の自社発注機で、このように間近で見るとその量感に圧倒される。'72.4.3 東美唄(信)
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Eタンク機4110形とその同形機が活躍することで知られた美唄鉄道が廃止となったのが1972(昭和47)年6月1日。私が訪れたのは廃止まで二カ月を切った4月初めのことでした。前年に三菱大夕張炭礦と合併して三菱大夕張炭礦美唄鉱業所となった美唄炭礦はこの時点でまだ辛うじて出炭を続けていましたが、今さら振り返れば閉山が4月29日でしたから、運炭鉄道として本当に最後の姿であったといえましょう。

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▲廃線まで残すところ二カ月ほど、旅客列車はついに一日1往復となってしまっていた。それにも関わらず4号機の牽くオハフ8(混12レ)に乗客の姿はない。左後方の煙は函館本線貨物列車のもの。'72.4.3 東名ー美唄
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お目当ての4110形4122号は一年ほど前に廃車、最後に換装された煙室扉の円型ナンバープレートを付けたまま庫内に眠っていました。車籍があるのはいずれも自社発注の2号機と4号機の2輌のみで、実際に運用に就いていたのは4号機だけでした。(アーカイブ「4110との再開」参照→こちら

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▲混12レが美唄に到着、機回し後、客車を留置線へと移動する4号機。背後の機関区には6号機の姿が見える。'72.4.3 美唄
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それでも初めて目にするEタンクは存在感が圧倒的で、やはり有火で構内にいたもと69603の6号機の姿が霞んでしまったのはやむを得ないでしょう。ただ、美唄の機関区は決して活気が感じられるものではなく、閉山・廃線が目の前に迫ってきていることがひしひしと感じられました。

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▲6号機も最後まで有火で使用されていた。本機は戦時中に美唄へ払い下げられた69603。'72.4.3 美唄
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国鉄からキハ05形3輌を譲り受けて客貨分離していた美唄鉄道ですが、1970(昭和45)年に気動車運転自体を廃止、以後、廃止までの2年間は蒸機牽引による混合列車が旅客輸送を担っていました。しかし私が訪れた最晩年にはついにそれも1往復のみとなってしまい、朝7時に終点の常盤台から降りてきて、夕方16時半に美唄を出て常盤台に戻るスジだけでした。
この日の訪問では早朝の美唄から東美唄、東名、盤の沢と移動し、その後、バスで2500形の働く南美唄(三井美唄)の三美運輸へと抜けました。今回は最近になって初めてスキャンしたカラー(ブローニー)分をお目に掛けます。

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今も残る南薩線の痕跡。

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▲加世田駅跡から枕崎方面に向けて100mほど進んだ所に残る鮮明な踏切跡。'15.12.10 P:清原正明
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広島で48650号の保存活動(アーカイブ「48650号機の晴れ姿」参照→こちら)をされる傍ら、遙か鹿児島の「南薩線」の保存・伝承にも尽力されている清原正明さんから、加世田駅周辺に残る踏切跡を中心とした遺構のレポートを頂戴しました。

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▲枕崎付近をゆくありし日の鹿児島交通南薩線106。'83.1.16 P:長坂 望
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3月17日は南薩線最後の運行となった日で、早いものであれから32年の歳月が経とうとしています。鹿児島交通南薩線は伊集院から枕崎まで、50kmほどを結ぶ路線でしたが、廃線後、駅跡は宅地や保育園、線路跡は自転車道や広域農道などに転用され、場所によっては風景が一変してしまいました。しかし、転用されず草に埋もれた駅や線路跡も残されており、往時を偲ぶことができます。今回は鉄道の痕跡が色濃く残る踏切跡をご紹介しましょう。

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▲鹿籠付近に残る踏切跡。警報機の基礎部分も残されている。'15.12.10 P:清原正明
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加世田は南薩鉄道時代は本社も置かれ、車輌基地がありました。現在は北側を商業施設、南側がバスターミナルとして使用されています。その加世田駅跡から枕崎方面に向けて100mほど進んだ所に、踏切跡が鮮明に残っています。この辺りの線路跡は合併前の加世田市時代に払い下げられ、現在は旅館の駐車場として活用されています。

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▲枕崎駅跡近くに残る踏切跡。前方は量販店敷地となってまったく面影がない。'15.12.10 P:清原正明
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枕崎方面に移動すると、鹿籠駅跡を出て100mあまりの所に踏切跡が残っています。ここは道路改修工事で残された場所で、警報機の基礎部分も4ヶ所揃っています。枕崎駅跡は商業施設に転用されていますが、直ぐ手前に踏切跡が残されています。以前は駅寄りにも古レールを使った柵がありましたが、転用工事の際に撤去され、現在は加世田寄りに残るだけです。

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▲枕崎駅付近の踏切跡に残る古レール製の柵。米国カーネギー社の陽刻がしっかりと残っている。'15.12.10 P:清原正明
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このレールは米国カーネギー製であることが刻印で確認できました。踏切から先は切通しでしたが、枕崎市が払い下げを受けた後に埋め立てられ、真新しい住宅が立ち並んで、かつて南薩線が走っていたとは思えないほど変貌しています。なお、枕崎駅跡に隣接する踏切ですが、数年後には道路改良工事で姿を消すと聞きました。

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▲かつては切通しだった枕崎駅付近の線路跡は埋め立てられ、住宅が建ち並んでいる。'15.12.10 P:清原正明
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ところで、南薩線の車輌は加世田バスターミナルに蒸機(4号機)、ディーゼル機(DD1201)が屋外展示され、バス車庫内に蒸機(1号機、2号機)、ディーゼル機(DD1202)、ディーゼルカー(キハ103)、加藤製ディーゼル機(南薩線とは直接無関係)が保管されています。ほかに、運動公園に蒸機(12号機)が保存されています。保存車輌の整備の様子などはまた次の機会にご紹介したいと思います。

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▲朝倉行の軌道線315と、検査のため若松町工場に入場した鉄道線モハ1003。'62.10 P:山本淳一 (RMライブラリー『土佐電気鉄道』(下)より)
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今月のRMライブラリーは、先月に引き続き、山本淳一さんによる『土佐電気鉄道』の下巻をお届けいたします。上巻ではその112年におよぶ歴史を振り返りましたが、続く下巻では歴代の車輌群をご紹介します。

20160219100242-8ef924c5e99de733e7ae0adff2f5e9f70f0462fc.jpg元阪神の電車のイメージが強い鉄道線(安芸線)ですが、高知鉄道として1924(大正13)年に開業した当初は汽車会社製Cタンクが2軸客車を牽くスタイルでした。また、沿線は野菜の生産が盛んな地域のため貨物輸送は多く、13輌もの蒸気機関車が足跡を残しています。一方、旅客輸送には1928(昭和3)年からガソリンカーも導入しました。
戦後、1949(昭和24)年に電化が成ると、当時の京阪神急行から旧京阪100形の車体、南海電鉄から台車、三菱電機製から電気品を調達して組み合わせたモハ1000形を投入。付随車にはガソリンカーを改造して引き続き使用し、後に制御車化しました。また、貨物輸送にも電化翌年とその翌年に電気機関車を導入し、無煙化が図られました。

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▲高知鉄道のガソリンカーはのべ13輌が在籍した。うち、日車製の流線型ガソリンカー・キハニ2000形は電化後も付随車、制御車として活躍した。 (RMライブラリー『土佐電気鉄道』(下)より)
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一方、軌道線は、1904(明治37)年の開業時から1929(昭和4)年まで断続的に2軸単車の増備を重ねました。これらはベスチビュールの取付けをはじめとする車体形状の変更を重ねつつ、火災や戦災などで一部が失われながらも戦後まで活躍を続け、残ったものは1950(昭和25)年からは大型の木造単車140形に、さらに1953(昭和28)年から半鋼製単車の300形に改造されていきました。

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▲電化後の鉄道線の情景。車窓には太平洋、土佐湾が広がっていた。 (RMライブラリー『土佐電気鉄道』(下)より)
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軌道線にボギー車が登場したのは戦後、1950(昭和25)年のことで、現在も活躍する200形からです。1957(昭和32)年には600形が登場、その後、山陽電気軌道から700形、800形を譲り受け、ボギー車への統一が図られていきました。ちなみに300形のうち、最後まで残った321号は1975(昭和50)年に廃車されており、これで営業用の2軸単車は終焉を迎えました。

本書ではこれら歴代の車輌について、外国電車などのイベント用車輌まで含めて解説するものです。

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▲現在も軌道線の主力として活躍を続ける600形。鉄道線内では最大3輌編成で運転された。 (RMライブラリー『土佐電気鉄道』(下)より)
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なお、お気づきのように本書はRMライブラリーの199巻目となります。来月、3月下旬発売はいよいよ記念すべき200巻。先日ご案内しましたように、東京・神保町の書泉グランデではこれを記念して3月16日(水)よりRMライブラリーフェアを開催いたします。また、3月21日(月/祝)には記念トークショー(→こちら)も予定しておりますのでご期待ください。

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▲濃紺色にゴールドをあしらった、16200系「青の交響曲(シンフォニー)」の外装イメージ。 画像提供:近畿日本鉄道株式会社
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近畿日本鉄道では、南大阪線・吉野線沿線に注目を集め観光振興を図るため、大阪阿部野橋~吉野間で「上質な大人旅」をコンセプトとする観光特急の運行を計画しており、この観光特急の名称、運行開始日、運行ダイヤなどが発表されました。

20160218125608-908f7dc43b104505d2d51a62e8e2f9e0147800ba.jpg観光特急の名称は「青の交響曲(シンフォニー)」。南大阪線・吉野線沿線はさまざまな観光資源にあふれており、この沿線を「青色の列車」が走り、魅力的な観光資源と調和し響きあうことをイメージして命名されたものです。運行開始日は2016(平成28)年9月10日(土)で、大阪阿部野橋~吉野間を1日2往復(水曜日は運休/水曜が祝日の場合は運行。運休日は一般特急車輌が運行)する予定です。

▲「青の交響曲(シンフォニー)」の名称ロゴ。 画像提供:近畿日本鉄道株式会社
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▲16200系の客室内レイアウトイメージ。 画像提供:近畿日本鉄道株式会社
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車輌は6200系一般車輌を改造した16200系3輌編成で、定員は65名(全席座席指定、全車禁煙)。外装は落ち着いた濃紺色にゴールドのラインをあしらい、前面や側面にエンブレムなど特別な装飾を施す計画です。

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▲1・3号車の座席スペースイメージ。座席配置は2列+1列で、グループ旅行にも最適なテーブルを備えた席も設置される。 画像提供:近畿日本鉄道株式会社
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1・3号車の座席はすべて2列+1列で幅広のデラックスシートとし、グループでの旅行が楽しめるようにテーブルを備えた「サロン席(3~4人用)」「ツイン席(2人用)」も設置、さらには1号車に車椅子対応席と車椅子対応の多目的トイレを設置します。座席・カーペット・カーテンには、それぞれ質感のある素材を使用し、上質な空間を演出するほか、座席の一部には地元の吉野地域の竹材が使用されます。

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▲2号車のラウンジ車輌のイメージ。革張りのソファが配置され、照明はLEDの間接照明となる。 画像提供:近畿日本鉄道株式会社
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2号車はラウンジ車輌で、ホテルのラウンジをイメージ。革張りのソファを配置し、LEDの間接照明を活用して非日常感を感じる上質な空間をつくりだしています。また、大型のバーカウンターを設置し、専属のアテンダントが地元の特産品を活用したスイーツやワイン・地酒・ハイボールなどを販売する計画です。ちなみにバーカウンターの背面は、ホテルのバーをイメージしたディスプレイとなる予定です。

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▲大型バーカウンターのイメージ。 画像提供:近畿日本鉄道株式会社
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このほか、名称の「青の交響曲(シンフォニー)」にちなみ、クラシック曲をアレンジしたメロディを制作し、このメロディを鳴動するミュージックホーンを車輌に装備するほか、出発予告放送(発車メロディ)として大阪阿部野橋駅で放送されます。
■運行開始日
 2016(平成28)年9月10日(土)
■運行ダイヤ
○吉野行
 1便 大阪阿部野橋10:10→吉野11:26
 3便 大阪阿部野橋14:10→吉野15:26
○大阪阿部野橋行
 2便 吉野12:34→大阪阿部野橋13:51
 4便 吉野16:04→大阪阿部野橋17:22
※1日4便 2往復
※水曜日運休(祝日の場合は運行)。運休日は同ダイヤを一般特急車輌で運行

資料提供:近畿日本鉄道株式会社


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▲今月発売の第199巻『土佐電気鉄道』(下巻)に続いて、3月にはついに200巻を達成...そのテーマは『日本の展望客車』。乞うご期待!

17年前、1999(平成11)年に創刊したRM LIBRARYシリーズは来月、3月発売でついに通巻200巻を達成します。知られざる国鉄車輌、人びとの足として活躍した地方鉄道、モータリゼーションの波に力尽きた路面電車...歴史の狭間に消えていったそんな「語り継ぎたい鉄道の姿」を後世に残したいと毎月一冊、こつこつと積み上げてきたライブラリーは、皆さんのご支持を得て、日本の鉄道趣味が世界に誇りうるアーカイブとなりました。

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▲白土貞夫さんの代表作『銚子電気鉄道』(142巻・143巻)は島秀雄記念優秀著作賞に輝いた。(アーカイブ「白土貞夫さんの『銚子電気鉄道』が島秀雄記念優秀著作賞を受賞」参照→こちら
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この200巻達成を記念して、来月3月21日(月/祝)に書泉グランデ7階特設会場においてトークショーを開催いたします。会場のキャパシティーの関係から事前予約(無料)制となっておりますので、ご参加希望の方はご注意ください。

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▲髙井薫平さんの最新作は第161巻・162巻の『福島交通軌道線』。震災を挟んでの現地調査が実を結んだ力作。
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RMライブラリー200巻記念トークショー
鼎談(ていだん)「1960年代・70年代の地方私鉄を語る」

白土貞夫・髙井薫平・名取紀之(MC)
日時:3月21日(月/祝) 14時00分~16時00分
場所:書泉グランデ 7階特設会場
人数:50名様(無料・粗品進呈)
●イベント参加券配布について
2月20日(土)店舗開店時(10時)より、書泉グランデ6階にて先着50名様にイベント参加券を配布いたします。
※電話・メールでの受付は2月20日(土)13時から開始いたします。
【電話】書泉グランデ6階 03-3295-0016(直通)
【メール】grande★shosen.co.jp ★を@に変更してお送りください。
書泉ホームページ(https://www.shosen.co.jp/grande/→こちら)

20160217125145-305f2c671e4bcea99bffb0596b48e0a2741bd7d3.jpg(内容)
RMライブラリーの主要著者であり、言わずと知れた地方鉄道研究の泰斗である白土貞夫さん、髙井薫平さんが1960年代の地方鉄道を縦横無尽に語り尽くします。MC役はお二人とは公私ともども親しいRMライブラリーの名取紀之編集長。髙井薫平さんは2000年の第13巻『東野鉄道』以来、共著も含めて7タイトル10巻、白土さんは2002年の第37巻『九十九里鉄道』以来5タイトル7巻を上梓されており、今なお精力的に地方鉄道探訪を続けておられます。今回は知られざる往年のエピソードを含め、地方鉄道研究の楽しさ、醍醐味を豊富な写真・資料とともに語っていただきます。RML200巻記念のこの機会でなければ聞けない貴重な鼎談です。
なお、書泉グランデ6階では3月16日(水)よりRMライブラリーフェアを開催いたします。合わせてぜひお立ち寄りください。


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鹿島臨海鉄道8000形登場。

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▲2位側から見た鹿島臨海鉄道8000形。同社初の3扉車で中ドアは両開き式。カラーリングも6000形とは異なり、ブルー、レッド、ブラウンで構成されている。また、「K.R.T.」の銘板も6000形より受け継いだ。'16.2.10 神栖 P:RM(伊藤真悟)
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20160216143427-cb99c202ce359c7662d9d2f9d7a979af6a6c3d74.jpg鹿島臨海鉄道では、大洗鹿島線で使用している6000形気動車が導入から30年を経過し、老朽化が進んでいることから、順次新型車輌に置き換えることとなりました。このほど導入されたのは8000形気動車1輌で、車体長20mの新潟トランシス製NDCシリーズです。同鉄道では初となる片側3扉車(中ドアは両開き)となり、車体色は鹿島灘の海と空を「ブルー」、砂浜と大地を「ブラウン」、地域に支えられ発展していく大洗鹿島線を「レッド」で表現しています。


▲前位側前面。デビューを記念したヘッドマークも用意されている。'16.2.10 神栖 P:RM(伊藤真悟)
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▲前位側から見た客室内。腰掛はすべてロングシートで構成され、定員は座席定員45人、立席定員91人の計135人。'16.2.10 神栖 P:RM(伊藤真悟)
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客室内はオールロングシートとなり、腰掛モケットは沿線に咲く「ハマナス」をイメージした柄となっています。なお、4位側に優先席と車いすスペースを設置していますが、トイレは設置されていません。このほか、中ドア鴨居部にLED式の車内表示器を設置し、運賃表示器は液晶式のものとなっています。

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▲4位側には優先席と車いすスペースが設けられている。'16.2.10 神栖 P:RM(伊藤真悟)
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20160216143647-2dd79ab7aff9679c7c34acab43d675ccf26f7c88.jpg駆動機関はDMF13HZ(定格出力242.7kW)で、変速機はTACN-22-1607C。台車は空気ばね式ボルスタレス台車で、動台車がNF01HD、従台車はNF01HTを履いています。また、常用ブレーキは電気指令式空気ブレーキ装置(応荷重装置付)で、保安ブレーキは電気指令式の二重系としています。さらに、JR鹿島線に乗り入れることから、自動列車停止装置はATS-SNとATS-Pを搭載しています。

▲運賃表示器は液晶式のものが採用されている。'16.2.10 神栖 P:RM(伊藤真悟)
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▲(左)車端ドアは片開き式。(右)中ドアは両開き式。各ドアは押しボタン式を採用しているとともに、中ドア上部にはLED式の車内表示器が設置されている。'16.2.10 神栖 P:RM(伊藤真悟)
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営業運転開始は3月のダイヤ改正からの予定で、営業運転に際してはブレーキ方式の違いから6000形との併結は行われません。また、今回の8000形1輌の導入により6000形に廃車が生じることになっています。
なお、2月21日(日)には大洗駅構内(3番線)で8000形の一般公開が行われる予定となっていますので(→詳しくはこちら)、営業運転前の同車を見に行かれてはいかかでしょうか。

取材協力:鹿島臨海鉄道株式会社


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C62 3現役最後の春。

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▲7時38分ニセコ駅発車、C62 3〔築〕の牽く137レは晴れ渡った早春の山線を軽快に駆け抜けてゆく。進行正面を振り返ると羊蹄山がくっきりとその山容を見せていた。'73.4.3 ニセコー比羅夫
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探し物をしていてふと目に止まったのが、急行「ニセコ」引退後のC62 3号機牽引の函館本線普通列車の写真です。C62重連牽引で伝説を作った急行「ニセコ」が1971(昭和46)年9月に無煙化されて、函館本線の、いやC62自体の運用は終了したかに思われがちですが、実はその後も3号機は1973(昭和48)年9月まで2年間にわたって断続的に普通列車牽引に充当されていたのです。

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▲あの急行「ニセコ」の主戦場を行く137レ。現車4輌の普通列車とはいえ、容易い行路ではない。'73.4.3 熱郛ー上目名
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該当列車は小樽発15時51分の長万部行き普通列車132レ(1972年3月改正前は136レ)と、その折り返しの5時24分長万部発の137レ(同じく135レ)の一往復。132レの長万部到着は19時43分で、C62 3は「ニセコ」時代から慣れ親しんだ長万部機関区で一夜を明かします。なんとも"老後"に相応しいゆるい仕事に思えてなりませんでした。

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▲137レはニセコで35分ほど停車する。あのC62牽引にも関わらず、車内にも沿線にもファンの姿は決して多くはなかった。'73.4.3 ニセコ
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現在のように情報が溢れている時代とは違い、あのC62が走っているにも関わらず、この普通列車の一往復は意外と話題にならなかったようです。というのもD51と共通運用で、かならずC62が充当されるとは限らなかったこと、さらには1972(昭和47)年10月でこの運用がいったん廃止された(翌年4月に復活)ことから、情報が錯綜してしまったのが原因かもしれません。

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▲乗車したオハフ33 1564車内から牽引する3号機のテンダーを見る。現役C62の息吹きを間近に感じられる最後の機会だった。'73.4.3
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この最後のC62運用、実に撮りにくい時間帯でした。上り132レは小樽を発車した時点で夕暮れ、下り137レは5時24分長万部発と早朝です。この写真を撮影した際も一計を案じて、札幌から上りの急行「すずらん6号」(1218レ)で長万部3時20分着、そのまま待合室で137レの入線を待つというハードな行程でした。137レに乗り込み、11D「北海」の通過待ちで35分ほど停車するニセコで下車、先回りして走りを撮ろうという算段です。
それにしても、この時はまさかC62 3が15年後に「C62ニセコ号」として復活しようとは、想像さえしませんでした。


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▲入間川に寄り添うように安比奈めざして続く軌道。半世紀近く"休止"扱いだった安比奈線もついに正式に廃止される。'13.3.9
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トワイライトゾ~ンの原点でもあり、これまでにも幾度となくご紹介してきた西武鉄道安比奈線(南大塚-安比奈間3.2㎞)がついに"廃止"されることとなりました。

20160212231459-dc014b6cd04778260fcceeb880d9071adf75dc78.jpg一昨日、西武ホールディングスが発表した2016年3月期第3四半期決算中の「特別損失(減損損失)の計上に関するお知らせ」で明らかになったもので、将来的に安比奈に建設する計画だった車輌基地整備計画を廃止し、これにともなって"休止"扱いだった安比奈線も正式に"廃止"することとなったというものです。ちなみに固定資産の減損にかかる会計基準に基づき、同社はこの計画廃止にともなって126億4千万円の特別損失を計上しています。


▲踏切警報機に無造作に下げられた「休止」の札。'74.7.14
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▲安比奈線の位置関係と計画中止となった安比奈車輌基地計画。 提供:西武ホールディングス
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安比奈線の車輌基地建設は、新宿線西武新宿~上石神井間の複々線化にともなう輸送量増加対策として計画されたもので、休止中の安比奈線を活用し、安比奈駅跡に収容200輌の車輌基地を建設するとともに、南大塚-安比奈間の中間に旅客新駅を設置するものでした(上図参照)。しかしその後の輸送需要の見直しとともに計画は凍結、安比奈線も"休止"扱いのまま歳月が流れてゆきました。

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▲今から42年前、最初に訪れた当時の南大塚駅。安比奈線(左)はまだ休止数年しか経っておらず、全線にわたって架線も残されていた。右手に橋上駅になる前の南大塚駅が見える。'74.7.14
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▲同じく42年前。入間川に向かって真っすぐに伸びる安比奈線。専用線ならまだしも、営業路線(貨物専業)であるにも関わらず、現在まで本線上を走る列車の写真は発見されていない。'74.7.14
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▲安比奈線線路図。トワイライトゾ~ン第3回(1990年11月号/№84)より再掲。
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安比奈地区は川越市総合計画において周辺環境との調和を図りながら、地区の特性に応じた土地利用に努める箇所とされており、西武ホールディングスでは今後、川越市などと協議しながら土地利用計画を検討したいとしています。
なお、気になる線路の撤去時期ですが、同社広報部のお話ではまだ決まっていないそうで、あの安比奈線の線路を目に焼き付けておけるのも今のうちです。

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▲終点・安比奈は歳月の中で自然に還ろうとしている。架線柱を支えにした木立ちが時の流れを物語る。'13.3.9
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▲終点・安比奈の河原に残る軌道。背後に見えるのは西武建材の安比奈工場で、現在でも盛業中。'13.3.9
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これまでにご紹介した安比奈線関係アーカイブ
「西武安比奈線を歩く開催」(2006年11月1日)→こちら
「発見! 安比奈線列車写真」(2006年11月17日)→こちら
「衝撃! 安比奈はED14だった!」(2006年11月21日)→こちら
「安比奈線再訪」(2009年2月21日)→こちら
「"鉄聯"を探して安比奈へ」(2013年5月7日)→こちら


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▲検修庫前で休む新旧の列車。右が現在使われているSchalke製のBB電機、中央が近代的な「鉱車」編成。左奥に見えるのがかつて使われていたLEW製BB電機。'14.9.16 Bernburg
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ドレスデンから西へ200㎞、ザクセンアンハルト州Bernburg(ベルンブルク)は古くから石灰鉱山で栄えた町で、周辺には現在でも多くの専用線が稼働しています。日本で例えれば葛生のような感じだろうか...そんなイメージを抱きながらこの地を訪れたのは一昨年秋のことでした。

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▲露天掘り採掘場へはふたつの大きな隧道を潜る。隧道断面はさほど狭隘でもなく、車輌限界が極端に低いのはホッパービンの影響と思われる。'14.9.16 Bernburg
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何か所かを訪れたのち、たどりついたのがソルベイ・ケミカルズ社の900㎜軌道。炭酸ナトリウムや過酸化水素を製造する同社のプラントは想像を超えて巨大で、露天掘り鉱山から工場へと続く軌道も、電化され、単線ながらナローとは思えない立派なものです。延長は2㎞ほどですが、375mにおよぶ隧道や、ザーレ川を越える大鉄橋など見どころは少なくなく、果たしてどんな光景に出会えるものかと、少なからず期待しての現地入りでした。

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▲1978年LEW製のEL3形。現在では歴史的遺産として残されているという。なお、このベルンブルクの鉱山では戦前は索道を用い、戦後になって軌道に変更、1978年に電化されるまではカール・マルクス製のDLが使用されていたという。'14.9.16 Bernburg
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▲まるで羊羹のようなスタイルの2号機。2006年Schalke製(製番2567)で、出力は760kW。'14.9.16 Bernburg
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▲Schalke製2号機の銘板(左)と、ドイツ民主共和国(東ドイツ)で生産されたことを示すLEW製2号機のプレート(右)。'14.9.16 Bernburg
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ところが一日あたり20往復ほどもあると聞く列車が待てども待てども来ません。やむなく状況を確かめに検修庫へと行ってみると、構内には上下(?)列車が編成ごと停まっており、人の気配さえありません。ようやく探し出した事務部門らしき方によれば、どうもこの日は会社の行事か何かで半休となったようで、もう列車は動かないとのこと...。営業鉄道以外では良くある話ですが、一気に力が抜けてしまいました。

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▲片側にダンプする構造になっている在来のカバードホッパー。現行のものと比べるとまだ鉄道車輌らしい。左にSchalke製1号機の姿が見える。'14.9.16 Bernburg
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走行シーンを目にすることができなかったから、と合理化するわけではありませんが、噂に聞く"羊羹"機関車は、現物を目の当たりにしても決して気持の良いものではなく、まして2006年に導入されたSchalke製機関車+カバードホッパーはなおさら写欲の湧くものではありませんでした。いずれにせよ、よほどの"ついで"でもない限り、生涯再訪することもないでしょう。


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▲「ながまれ号」の外観イメージ。 画像提供:道南いさりび鉄道
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来月、3月26日の北海道新幹線新函館北斗開業にともない、江差線木古内~五稜郭間37.8㎞が経営分離されて新たに「道南いさりび鉄道」としてスタートします。北海道ちほく高原鉄道廃止(2006年)以来、実に十年ぶりに道内に旅客営業を行う民鉄(軌道を除く)が誕生することになります。

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▲「ながまれ号」の内装イメージ。 画像提供:道南いさりび鉄道
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開業と同時にJR北海道よりキハ40形9輌を譲り受け、当面は現行塗色のまま運行する計画ですが、そのうち2輌を"地域情報発信列車"として改装、「ながまれ号」と名付けて開業初日から運転を開始します。

20160209141852-b0bb4eda162d909d76e5cdf61d63ecca0a592908.jpgこれは道南地域の食や文化といった魅力ある情報を発信するため、北海道の補助事業を活用して導入するもので、「ながまれ」とは、道南地域の懐かしい方言「ゆっくりして」「のんびりして」の意味だそうです。通常は日常の通勤・通学・買い物などに利用する列車として運行しますが、観光団体用に車内で食事が楽しめるようなテーブルやヘッドレストを設置した特別仕様としても利用可能となっており、内装には道南の名産「道南杉」が使用される予定です。

▲道南いさりび鉄道概要図。 (道南いさりび鉄道HPより)
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▲道南いさりび鉄道概要図(行政区分等) (道南いさりび鉄道HPより)

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なお、開業後の道南いさりび鉄道は全列車がワンマンとなり、また、全列車が函館まで直通運転される予定です。

資料提供:道南いさりび鉄道株式会社


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西鉄に新型車輌「9000形」。

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▲新たに登場する9000形車輌外観(イメージ)。 画像提供:西日本鉄道
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西日本鉄道株式会社は先週、2017(平成29)年3月より天神大牟田線に新型車輌「9000形」を導入することを発表しました。西鉄電車における車輌のモデルチェンジは、2006(平成18)年3月の天神大牟田線3000形以来11年ぶりとなります。

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▲9000形車内装備(イメージ)。 画像提供:西日本鉄道
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この9000形は、既存の3000形車輌をベースに、安全性やサービスの向上および環境にやさしい省エネルギー化を図った通勤型車輌です。側出入口は片側3扉、座席は全てロングシートとし、現在の主力車輌である5000形車輌との代替が計画されています。

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▲車内各扉上部に設置される17インチ液晶画面2画面の案内表示器イメージ。 (西日本鉄道プレスリリースより)
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外観デザインの特徴として、車体側面にロイヤルレッドの帯を配置することで、歴代の車輌でも多く使用されている「赤帯」のDNAを継承しつつ、先頭部では貫通扉をカラーリングの基軸として縦のラインを強調することで、前に進む力強さと次世代車輌としての新しさを表現しています。また、車内は白を基調とした明るく清潔感のある色調とし、各部にガラスを積極的に採用することで、見通しの良い開放的な車内環境としています。

車内の安全設備、環境対策については以下のように発表されています。
■安全対策
・乗客同士の衝突を防止するために大型袖仕切りを採用したほか、スタンションポール(縦手すり)の増設をし、安全性を向上させている。
・各車輌に床・吊革の色を変更して識別化した優先スペース(車イス、ベビーカースペース)を設置し、扉開閉動作ランプを設置するなどバリアフリー設備の拡充を行っている。
・ホームから線路への転落防止のため車輌連結部に転落防止幌を設置し、幌が設置できない先頭車同士の連結部では音声による注意喚起放送を行う。
■快適設備
・車内各扉上部に液晶画面を2画面設置し、4ヶ国語(日・英・中・韓)による多彩な案内や車内広告の表示など、より細やかな情報を提供する。
・車輌前面および側面の車外行先表示器にフルカラーLED表示器を採用し、行先や種別の視認性向上を図る。
・窓ガラスにUVカットガラスを採用。
・より快適に座れるように1人あたりの座席占有幅を既存車よりも拡幅。
■環境対策
・主要な電気機器(車輌制御装置、補助電源装置)に次世代半導体素子「SiC」を適用したインバータを採用し、前照灯・尾灯・車内照明などすべての照明装置を LED化することで、既存5000形と比較し約50%の省エネルギー化を図っている。
・車体材質に3000形と同様のステンレスを採用し、軽量化による消費電力削減および、塗装作業の削減による環境負荷の低減を図っている。

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▲既存車輌との主要機器比較。 (西日本鉄道プレスリリースより)
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なお、新型車輌9000形は川崎重工業株式会社の製造。2017(平成29)年3月に3輌固定編成2編成6輌と2輌固定編成を2編成4輌、2017(平成29)年度中にまでに、3輌固定編成を2編成6輌と2輌固定編成1編成2輌のあわせて計7編成18輌が導入される予定です。

資料提供:西日本鉄道株式会社


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金華往復便に乗る。

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▲金華駅。ほとんど利用者はないと思われるがホームや駅舎前もしっかり除雪されていた。また駅舎は除雪基地として利用されており、信号設備も残されているようだ。'16.1.23 金華 P:古村 誠
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20160203194230-ae9576a412c58fc8048fb82f66eda52c838e84c7.jpg先日急行「はまなす」の乗車記(アーカイブ「名残の急行"はまなす"」参照→こちら)をお送りいただいた古村 誠さんから、続いて石北本線金華行き普通列車のフォト・レポートを頂戴しました。実は古村さん、「はまなす」で札幌に入り、ループ化された札幌市電を見てから石北本線で北見へと向かうはずが、なんと石北本線全線が除雪作業のため終日運休となり、札幌から北見までは高速バスで移動することになってしまったのだそうです。

▲留辺蘂駅発行の留辺蘂-金華往復の乗車券。北海道を図案化した無効印が嬉しい。'16.1.23 P:古村 誠
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▲4663Dの横サボ、いまでも横サボを使用しているのは驚き。'16.1.23 P:古村 誠
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北見で一泊した翌日、石北本線金華行き4660Dとその折り返し4663Dの留辺蘂~金華間に乗車しました。JR北海道で今年3月に廃止になる8駅の中で折り返し便があるのは金華駅だけではないでしょうか。

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▲4660Dに留辺蘂で乗車したとき乗っていた二人の乗客は西留辺蘂で下車してしまった。'16.1.23 P:古村 誠
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▲キハ40の扇風機にはJNRのマークが...。ダイヤ改正の中吊りが何となくさびしい。'16.1.23 P:古村 誠
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▲編成はキハ40 746とキハ54 515の2輌編成(左)。変速機はキハ17,キハ20譲りの手動切り替えの1段直結型。右は折り返しの4663D。西留辺蘂で一人乗ってきた。結局、西留辺蘂~金華間の乗客は往復とも古村さん一人だけだったという。'16.1.23 P:古村 誠
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西留辺蘂駅の目の前には道立留辺蘂高校があり、近隣には住宅も建っていて朝夕の便は多くの乗降客があるそうです。
JR北海道の発表によると、現在3往復ある金華折り返し列車の内、無くなるのは私が乗った昼の1往復だけのようです。とすると、残りの朝夕の2往復はどうなるのでしょう。西留辺蘂は交換設備がなく閉塞内にあるため西留辺蘂~金華を回送扱いにして継続するのでしょうか。いずれにせよ金華駅で降りるのは今回が最後になるのは間違いありません。

明日は不在のため休載させていただきます


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銚子電鉄デハ1001引退へ。

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▲笠上黒生で交換する1001(右)と、現役時代の1002(左)。1002はひと足早く昨年1月に引退している(アーカイブ「デハ1002引退で最後の"協調運転"」参照→こちら)。'12.12.15 笠上黒生
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1994(平成6)年以来、22年の長きにわたって親しまれてきた銚子電気鉄道のデハ1001が今月末に引退することとなりました。新型車輌3000形(もと伊予鉄道700系)の導入にともなうもので、2月27日(土)・28日(日)に引退記念イベントが開催されます。

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▲1001の外川方運転台は両運転台化にともなって増設されたもの。'14.12.13 仲ノ町
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デハ1001はもと営団地下鉄2000形2046。第三軌条式でゲージも異なる銀座線用車輌のため、同じ営団地下鉄3000系で使用されていた主電動機やパンタグラフ、富士急行5700形の台車FS316を組み合わせ、さらに同じ2000形2033の廃車発生品の運転台を用いて両運転台化改造したもので、1994(平成6)年に僚車1002とともに誕生しました。
以後、銚子電気鉄道の主力車輌として活躍、2007(平成19)年からはゲーム「桃太郎電鉄」のラッピング車輌となり、さらに2012(平成24)年からは"銀座線カラー"に塗色変更されて現在に至っています。

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▲銚子名物のキャベツ畑の中を行く"銀座線カラー"に変更間もない頃のデハ1001。'12.12.15 海鹿島―君ヶ浜
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「デハ1001 おつかれさま運転」と銘打たれた今回のイベントでは、27日(土)と28日(日)で異なるヘッドマークを装着して運転されるほか、28日(日)の最終充当列車到着(銚子駅15:08着)後、運転士への花束贈呈が予定されています。
●運行ダイヤ:銚子駅発外川行9:49 → 以降 銚子~外川間運行 → 銚子駅着15:08 運転終了
仲ノ町車庫ではデハ1001とデハ1002最後の共演と題して両車を並べての撮影会が予定されています(27・28日の15:30~16:30。要入場券150円)。また、記念乗車券・グッズの販売(27・28日の10:00~15:00、OTS犬吠埼温泉犬吠駅前広場)も予定されています。

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▲「デハ1001 おつかれさま運転」のフライヤー(表裏)。 提供:銚子電気鉄道
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全駅のネーミングライツ実施や3000形の導入など変貌を遂げつつある銚子電鉄。デハ1001のラストランを見届けに、早春の銚子に足を向けてみられてはいかがでしょうか。

資料提供:銚子電気鉄道


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▲土佐湾を望んでかつての安芸線ルート(線路跡はさらに海側)をゆく土佐くろしお鉄道9640-10「阪神タイガース号」。高架の多い阿佐線だが、この付近は地上を走る。'14.7.27 穴内-赤野
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RMライブラリー『土佐電気鉄道』上巻(→こちら)が好評をいただいております。一昨年10月に「とさでん交通」として再出発した旧土佐電気鉄道には、かつて軌道線のほかに「安芸線」と呼ばれる鉄道線(後免~安芸間26.8㎞)が存在し、市内からの直通運転も行われていました。

20160131225050-8e43233a5766fcfb3dc7aa2bbdb4f74b9bfd3b06.jpgこの安芸線の廃止は1974(昭和49)年4月1日。それほど遠い昔のことではありませんが、安芸線の記録は決して多くはありません。時間軸で考えてみれば、国鉄無煙化の前年で、私たちの世代でも充分"間に合った"はずなのですが、周囲から行ったという話を聞いたことはついぞありませんでした。それだけに今回ご執筆いただいた山本淳一さんの『土佐電気鉄道』は、校正をしながら勉強させていただくことばかりで、編集する側にとっても新鮮な驚きに溢れていました。ちなみに山本さんは長く土佐電気鉄道にお勤めになられ、数々のエポックを事業者の側から実体験してこられています。それだけに、海水を利用した帰回路の構成や、塩害による車体腐食を防止するために年に一回、転車台を使用して鉄道線全車輌を方転させる...等々、実に興味深い逸話も数多く収録しております。

▲後免町に駅構内脇に今なお残る高知鉄道時代の給水塔(アーカイブ「生まれ変わる土佐電気鉄道を訪ねて」参照→こちら)。'14.7.25 後免町
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▲安芸線和食川橋梁の橋台には往時の貨物列車の写真が嵌め込まれてオブジェとなっている。頭上は土佐くろしお鉄道阿佐線。'14.7.27 西分ー和食
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▲和食川橋梁を行く土佐くろしお鉄道のオープンデッキ車9640-2S。右下に写真が嵌め込まれた安芸線の橋台が見える。'14.7.27 西分ー和食
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▲和食川橋梁周辺は野外イベントスペースともなっており、遊歩道の途中にも和食川橋梁を行く安芸線電車の写真が掲示されている。かつての橋梁を望む同角度で建植されているのが嬉しい。'14.7.27 西分ー和食
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さて、その安芸線ですが、廃止から28年後の2002(平成14)年7月1日に土佐くろしお鉄道阿佐線(ごめん・なはり線)として生まれ変わっています。といっても安芸線の軌道敷がそのまま再利用された区間はわずかで、ほとんどが高架橋と新設隧道による直線的な新ルートとなっております。

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▲赤野駅付近を遠望する。土佐くろしお鉄道阿佐線の高架橋が直線で視界を貫く。'14.7.27 穴内ー赤野
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いっぽう、安芸線軌道跡の多くは自転車道としてその面影を留めており、和食川橋梁などモニュメントが残されている箇所もあります。寺田裕一さんの『新・消えた轍』(第10巻/九州・四国)によれば、終点の安芸駅跡にも写真を嵌め込んだモニュメントが設置されているとのことですが、残念ながらこちらはまだ訪れておりません。

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▲かつては安芸線へとつながっていた後免線。長閑なこの区間は安芸線ありし頃を彷彿させてくれる。'14.7.25 小篭通−長崎
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▲架線式蓄電池電車819系の外観イメージ。愛称は「DENCHA」と名付けられた。 提供:JR九州
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JR九州は、従前の気動車に代わる次世代の車輌として架線式蓄電池電車の開発を進めていましたが、このたびその車輌デザインなど発表されました。形式はベースとなった現行の817系に続いて819系。愛称は"UAL ENERGY CHARGETRAIN"から「DENCHA」と名付けられました。

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▲架線式蓄電池電車の走行概要。
○交流電化区間
・従来の電車と同じように架線からの交流電力で走行
・走行及び停車中に、架線からの交流電力を変換して蓄電池に充電
○非電化区間
・パンタグラフを下げて、蓄電池のみの電力で走行
・ブレーキ時に回生エネルギーを蓄電池に充電
 (JR九州プレスリリースより)
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開発コンセプトは「人と地球の未来にやさしい」をイメージした車体で、地球をイメージした青色で環境へのやさしさを表現しています。ベースは現行の817系です。最大の特徴は架線のない区間では蓄電池のみの電力で走行する架線式蓄電池電車であること。ブレーキ時に発生する回生エネルギーを蓄電池に充電することで高効率も実現しています。

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▲架線式蓄電池電車819系の客室内イメージ。 提供:JR九州
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客室照明にはLEDを使用。室内温度環境の維持のため「スマートドア」を採用し、省エネ効果を実現しています。また、バリアフリー・ユニバーサルデザインを追求した視認性のよい液晶画面「マルチサポートビジョン」で停車駅や乗換案内などのほか、車輌内の電力の流れを解説するエネルギーフローを表示します。

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▲スマートドア(押しボタン式開閉ドア)の概要。駅に到着後、ドア横のボタンが点灯し、青いボタンを押すことでドアが開扉。車内の黄色いボタンを押すとドアが閉扉。(すでに筑肥線の305系でも同様の方式を導入) (JR九州プレスリリースより)
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▲マルチサポートビジョン(MSV)。各車輌のドア上部の液晶画面に、停車駅や乗換案内、スマートドアのご案内などを表示するとともに、各車輌に電力の流れを解説するエネルギーフローを表示。 (JR九州プレスリリースより)
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導入される非電化区間は筑豊本線(若松線)若松~折尾間、今後のスケジュールは以下のように発表されています。
2016(平成28)年4月:試験運転を開始(1編成2輌)
2016(平成28)年秋:営業運転を開始(先行投入)
2017(平成29)年春:6編成12輌を追加投入
資料提供:九州旅客鉄道株式会社

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