鉄道ホビダス

2016年1月アーカイブ

20160128164615-4dfb87f7814c4c6cee146fe6289edef75613ae7b.jpg
▲ここまで牽引してきたED79のトレインマークは雪で真っ白。'16.1.22 函館 P:古村 誠
クリックするとポップアップします。

20160128164653-85a7b557de7fb5ecdc8225db87b66523df181750.jpg列車は22時18分、定刻に青森駅を発車。寝台、カーペットカー、指定席とも完売とのことでしたが、瞥見したところでは自由席は5割程度の乗車率のようでした。しかも、乗客は60歳位のかつてカニ族だった世代の方がお一人か奥様を連れて、と、20歳~30歳位の旅慣れた感じの方が多いように感じました。
前夜は夜行バスだったこともありフルフラットの寝台は天国のように心地よく早々に寝てしまいました。

▲解結されるED79。ここまでお疲れ様でした。'16.1.22 函館 P:古村 誠
クリックするとポップアップします。

20160128164801-33cef408251cdce0d76c9a828be3fd2d97fe7d49.jpg
▲函館着は0時44分、発車は1時23分。これから札幌まで牽引するDD51が連結される。'16.1.22 函館 P:古村 誠
クリックするとポップアップします。

20160128164820-ecabe04f23790483d2647e7061043c65e42fda96.jpg
▲今から40年前、函館駅に停まる急行「ニセコ」。ホームのカーブだけは変わっていない。'76.12.23 函館 P:古村 誠
クリックするとポップアップします。

ふと気が付くと「はまなす」は函館駅に停車しています。あわててホームに出ると札幌方にDD51 1143がつながれていました。函館駅の緩やかなカーブを描くホームも昔のままで、DD51に牽かれた急行「ニセコ」を思い出しました。

20160128164935-a275669154619cc5fa42b122886c20e9dd879b0e.jpg20160128164955-e1adccd8c7637ba2bdfe78eea04769d35279fc98.jpg
▲午前1時ながら皆さんホームに出て熱心に撮影中(左)。プラットホームの想い出のカーブに停まる「はまなす」。これまでにどれだけ多くの列車をこのホームで見てきたことだろうか...。'16.1.22 函館 P:古村 誠
クリックするとポップアップします。

20160128165020-fac3341432e44c6aaf3de706e679467e2548658e.jpg
▲5時24分、南千歳到着。ここから車内放送が再開。'16.1.22 南千歳 P:古村 誠
クリックするとポップアップします。

20160128165102-04c50f83b5861dc48600563adc7e14aaa22dc809.jpg
▲DD51の旋回窓。やはり北海道の機関車には旋回窓が良く似合う。'16.1.22 札幌 P:古村 誠
クリックするとポップアップします。

20160128165122-d6f4e937340f6d824c5f09ce1898f1cb4fdf6606.jpg
▲6時07分、札幌駅に到着。早朝にも関わらず多くの方が撮影に駆け付けていた。'16.1.22 札幌 P:古村 誠
クリックするとポップアップします。

再び就寝し、目覚めたのは南千歳の車内アナウンス。下車の準備をして、定刻に札幌に着きました。札幌でもホームで写真を撮っている方々はみな紳士淑女で、互いに譲り合って写真を撮っていたのが印象に残っています。
函館から牽引してきたDD51の旋回窓が遠い日の蒸気機関車を思い出させてくれました。思い出に残る旅行となりました。

20160122105556-18cf2d822174a08d323439a277edbfa3d3aeb70f.jpg

20151222161801-8b7482bf7dea3a5646594eaa604417ecd5cc2bc2.jpg

20151211193753-8a5863164703fc4d3c24a5c17fb1f01da091546a.jpg

20150603134641-07e5f8358df8eaf602b9261fe035b9c3c2d5d661.jpg

20160128124105-c6e48565162f6833ffcd985118f6137fd7f1407c.jpg
▲スハネフ14の側面表示窓には急行「はまなす」札幌行きの方向幕が。'16.1.21 青森 P:古村 誠
クリックするとポップアップします。

二ヶ月後に迫った北海道新幹線の新函館北斗開業で姿を消してしまうのが寝台特急「カシオペア」と、最後の夜行急行「はまなす」。1988(昭和63)年3月の青函トンネル開業時に誕生し、以来28年間にわたって青森~札幌間を結んできた「はまなす」は、これまで決して華やかな存在ではありませんでしたが、今や最後に残されたブルートレインの残り香として大きな注目を浴びています。先週、古村 誠さんがお名残乗車をされたとのことでレポートを頂戴しましたので、2回に分けてご紹介いたしましょう。

20160128124124-d5a3563859eb290f5d2c636f3f727a1d6d7a3ef8.jpg
▲21時35分頃、DE10に牽引され「はまなす」が入線。'16.1.21 青森 P:古村 誠
クリックするとポップアップします。

ご多分に漏れず北海道に撮影に行くようになったそもそもの理由は無煙化迫る国鉄蒸機撮影でした。全廃までカウントダウン状態だった高校生の頃、まとめて撮影できることで北海道通いを始めました。まさにあっという間に1975(昭和50)年を迎えて無煙化完了。大学生になったとき、国鉄蒸機はもういませんでしたが、なぜか惰性と自分探しで北海道通いは続きました。

20160128124142-58903ba2f0323cd243668ac52b3023c64d2168c1.jpg社会人になっても、北海道通いは途絶えませんでしたが、頻度は減り、往復も飛行機を使うことがほとんどでした。ところが昨年の秋、1980(昭和55)年春の北海道通いで知り合った友人から、どちらからともなく「なくなっちゃう前に乗ろうよ!」ということになり、今回の急行「はまなす」乗車旅行が実現しました。

▲かつての青函連絡船乗り換え階段は閉鎖されたが残っており、彼方には八甲田丸の姿がある。'16.1.21 青森 P:古村 誠
クリックするとポップアップします。

20160128124205-d40b2a97b488f4133f2d33f5d72002d7151cd310.jpg
▲函館まで牽引するED79とそれを撮影する皆さん。ちなみにED79もあと二ヶ月で引退と思われる。'16.1.21 青森 P:古村 誠
クリックするとポップアップします。

先週1月20日の夜、浜松町から五所川原行夜行バスの車上の人となり旅はスタートしました。21日は津軽鉄道と弘南鉄道を見てから青森へと向かいました。19時頃青森駅で友人二人と落ち合って、まずは駅前の居酒屋で腹ごしらえ。21時過ぎに改札を入りました。

20160128124222-7b56688a92413b93758f1775b86505ea8563ba73.jpg青森駅のホームは昔のままで、足元には消えかけた「連絡船→」の文字が残っていました。
また、かつての連絡船乗船場への跨線橋は今は自由通路として残り、その先には懐かしい八甲田丸の姿が...。
21:30頃、ホームにはお名残乗車と思しき人が増えてきました。アナウンスの後、DE10に牽かれたブルーの客車達が入線してきました。編成は函館方からED79 4-スハネフ14 551-オハネフ25 7-オハネ24 502-スハフ14 557-オハ14 515-オハ14 505-オハ14 510-スハフ14 502、増結1輌を含めた客車8輌編成です。

▲青森駅のホームには今でもうっすらと「連絡船」の文字が残っている。'16.1.21 青森 P:古村 誠
クリックするとポップアップします。

20160128124247-dc8d04c8393a5cb0df80ab14eef6ec37f49ba33f.jpg
▲上段の寝台はロフトのようで妙に落ち着く。'16.1.22 P:古村 誠
クリックするとポップアップします。

20160128124305-230ed187403b87d8f65c610d03e7693274b2ae12.jpg20160128124326-539cd616fc42075a004be189a179111564a9d9ec.jpg
▲伝統的な片側通路の寝台とも間もなくお別れ(左)。通路の折り畳みの椅子も懐かしい(右)。窓にはうっすらと反射した梯子も。'16.1.22 P:古村 誠
クリックするとポップアップします。

のちに函館や札幌でも感じたことですが、機関車の周りで写真撮影する皆さんはお行儀がよく、譲り合って撮影していました。撮影後は早々に乗車し友人たちと飲み直し。入線から発車まで40分ほどあり、発車のころにはすっかり出来上がってしまいました。

20160122105556-18cf2d822174a08d323439a277edbfa3d3aeb70f.jpg

20151222161801-8b7482bf7dea3a5646594eaa604417ecd5cc2bc2.jpg

20151211193753-8a5863164703fc4d3c24a5c17fb1f01da091546a.jpg

20150603134641-07e5f8358df8eaf602b9261fe035b9c3c2d5d661.jpg

20160127144058-d987fec63aab567a43dc76cf330ee0a11ed9b258.jpg
▲三鉄ものがたり「那珂湊第壱車庫」の外観。もとは花屋さんだったという。'16.1.24 P:名取紀之
クリックするとポップアップします。

ひたちなか海浜鉄道の吉田千秋社長に誘われて、先週末は那珂湊にできたと聞く「三鉄ものがたり」を訪問してきました。三鉄?と首を傾げる向きもあろうかと思いますが、それもそのはず、なかなか判じ物でして、「鉄道模型」の鉄、ひたちなか海浜鉄道の鉄、そしてこれは容易く連想できませんが、「那珂湊焼きそば」の鉄板の鉄で「三鉄」なのだそうです。

20160127144118-f869f204242d9cb18e9764b099772dae1c8dec68.jpg
▲「那珂湊第壱車庫」内のシーナリィ付きレイアウト。運転ばかりでなく、ボランティアがNゲージ車輌の点検保守を行う「那珂湊検車区」もスタートしている。'16.1.24 P:名取紀之
クリックするとポップアップします。

20160127144137-9e1129eb1ce5fd06f5d3b91febd5713e09a83726.jpg三鉄ものがたり実行委員会代表の佐藤久彰さんによると、かつては旧那珂湊市の中心部として栄えた那珂湊本町商店街も、ご多分に漏れず近年はシャッターを閉めた店舗が目立つようになり、一方で全国的に有名になった「那珂湊お魚市場」周辺は週末ごとに大渋滞といった明暗分ける状況となっています。

▲こちらは名産の干し芋をパックした「ポ鉄」。さまざまなコラボレーションが実現してきている。
クリックするとポップアップします。

20160127144201-98273d4a31cb0e7b5b52073b937134aae0351eeb.jpg
▲体験運転レイアウト。誰でも気軽に運転を楽しめ、まさにクラブの部室のような雰囲気。'16.1.24 P:名取紀之
クリックするとポップアップします。

そんな現状に、佐藤さんらは"気動車の聖地"として注目を浴びるひたちなか海浜鉄道の誘因力をなんとか商店街にも波及できないかと思いを巡らし、遊休店舗を活用して鉄道模型の"秘密基地"を創ることにしたのだそうです。

20160127144221-af9d7f45caeb128a0857482065d67a78d8202090.jpgその名も「那珂湊第壱車庫」と名付けられた"秘密基地"は本町商店街にあるもと花屋さんの店舗。「鉄道模型(Nゲージ)を思いっきり楽しむ街」を合言葉に、常設のシーナリィ付きレイアウトで手持ちの車輌を走らせたり(無料)、同好の士との交流の場とすべく、さまざまなイベントも組まれています。

▲短い時間ながら、集まった皆さんを前に鉄道模型の魅力について語らせていただいた。'16.1.24 P:船越知弘
クリックするとポップアップします。

20160127144246-becad784342742eede216b0d606833997d40d6d8.jpg
▲まさにクラブの部室。毎週通われる方も少なくないという。左端はひたちなか海浜鉄道の吉田社長。'16.1.24 P:船越知弘
クリックするとポップアップします。

吉田社長のご案内で私が訪れた折も、30名近い方が集まられ、決して広いとは言えない会場内は熱気に包まれていました。将来的には週末のみならずいつ来ても気軽に入れる、それこそ"秘密基地"を目指しているそうですが、現在のところ週末限定。それでも一カ月に一回程度はさまざまなイベントを企画するなど、佐藤さんらの秘密基地に賭ける思いは誰にも負けぬ熱いものがあるようです。

20160127144305-a8a5566e314324c58c258efd283ddb74984b2316.jpg
▲お集りいただいた皆さんで記念撮影。まだまだ発展途上で、これからこの"秘密基地"がどう発展してゆくのかが楽しみ。'16.1.24 P:船越知弘
クリックするとポップアップします。

ところで、湊線はついにキハ11が運用入りしており、4か月ほど前に訪れた際には元気だった最後の旧型気動車キハ205も、最近は休んでいることが多いようです。吉田社長のお話では次のダイヤ改正でランカーブ自体を見直して所要時間を短縮、それにともなって旧型車はいよいよ運用しづらくなってしまいますが、そこは「三鉄」の中心でもある湊線、旧型車が生き残れる新ダイヤを思案中だそうです。

20160127144324-ea2df66fd57122d530cf914f8ef3d4e1fe88b272.jpg
▲定期運用を持つようになったキハ11形。実際に乗車してみると乗り心地の良さに驚かされる。'16.1.24 那珂湊 P:名取紀之
クリックするとポップアップします。

20160127144341-88f1321c72d46953387758aeeb3f1c170f9af02e.jpg
▲下り列車最後部から那珂湊機関区を見る。検修庫にはJR東海と東海鉄道事業から購入したキハ11が並び、旧型車は庫外に並ぶ。'16.1.24 那珂湊 P:名取紀之
クリックするとポップアップします。

最後に三鉄ものがたり実行委員会からのメッセージです。
「手持ちの名品を走らせたり、気動車の聖地ひたちなか海浜鉄道で乗ったり撮ったりの体感、鉄道模型で作ったり走らせたりを楽しみ、同好の士と鉄板(那珂湊焼きそばや海鮮焼き)で語らいの場を設け大いに懇親。学生時代の文化部の部室さながらといった感じです。鉄道ファンにとっての憩いの場。なくてはならない秘密基地を手作りとアイデア、ボランティア精神でこしらえます。毎週、来られる方々で様々な車輌や話題が膨らむのも凄く楽しいものです。皆さまの熱い思いをお待ちしております。」
「三鉄ものがたり」サイト→こちら

20160122105556-18cf2d822174a08d323439a277edbfa3d3aeb70f.jpg

20151222161801-8b7482bf7dea3a5646594eaa604417ecd5cc2bc2.jpg

20151211193753-8a5863164703fc4d3c24a5c17fb1f01da091546a.jpg

20150603134641-07e5f8358df8eaf602b9261fe035b9c3c2d5d661.jpg

20160126164013-650c475e51fe3e0b01e02545f3eb08e414d4a7d2.jpg
20160126164036-58059dafec59c909dc3cc03e401e9a04ac2b8cea.jpg
20160126164056-5e4ae348e7b1e3f287f512e2ce5d02f489dbee30.jpg
20160126164116-dc1808aa787911d2b2f789b5e01109f7f5e052d4.jpg
▲「秩父」の四季と、自然豊かな秩父や武蔵野を流れる荒川の水をダイナミックに表現した外装。 提供:西武鉄道(※いずれもイメージイラストであり、実際のものとは異なります。)
クリックするとポップアップします。

昨年6月にその概要が発表となった西武鉄道の「観光電車」(全席レストラン車輌=アーカイブ「西武鉄道4000系が全席レストラン車輌に」参照→こちら)の運行開始が4月17日に決定いたしました。列車名は、西武 旅するレストラン「52席の至福」。西武鉄道100年アニバーサリーの集大成ともなる列車が間もなくお目見えします。

20160126181805-0420fba6a0ce0389181f1f158c71fa9e7e518ba1.jpg「52 席の至福」というネーミングは、定員 52 人のプレミアムな観光電車の中で過ごす時間の「くつろぎ」や「特別感・限定感」を表現しており、オリジナリティーがあり、記憶に残りやすいネーミングであることも選定理由のひとつだそうです。また、「西武 旅するレストラン」は、特徴的なネーミング「52 席の至福」 を引き立てるためのキャッチフレーズとして用いられます。
▲ロゴマークは「52」という数字から、西武鉄道の代表的な観光地である「秩父」の自然をトランプの柄に見立て、電車の外装との調和を持った色づかいでデザインしたもの。 提供:西武鉄道

20160126165619-9f7f655245837a581c477d839df2116c67799cb1.jpg20160126181942-30d09d5bd3acdd59cc2c4d2be67d4a3a2e5958f0.jpg
▲2号車(左)と4号車のオープンダイニング。それぞれ車内とデッキの仕切りには秩父銘仙が使用される予定。また、2号車の天井には柿渋和紙が、4号車の天井には西川材が使用される予定。 提供:西武鉄道
クリックするとポップアップします。

20160126182023-b61161783c853e8cde73f36742a697a1ae887a1c.jpg注目の食事内容(4月~6月)は、和食・洋食・中華の著名シェフ(「つきぢ田村」代表取締役・田村隆氏、「La BOMBANCE」オーナーシェフ・岡元 信氏、「La FinS」オーナーシェフ・杉本敬三氏、「海鮮名菜 香宮」料理長・篠原裕幸氏)が、豊かな自然に囲まれた関東屈指の農産物宝庫でもある埼玉県の食材を中心に、埼玉県産の「牛肉」をテーマとして腕をふるわれる予定で、運行スケジュールや各コースの料金、申込方法も発表となりました。

▲3号車、厨房車輌オープンキッチンスペース。 提供:西武鉄道(※いずれもイメージイラストであり、実際のものとは異なります。)
クリックするとポップアップします。


20160126184851-1ee99c88372c79ceae039fb0dd7bbf106c7f4257.jpg
▲編成概要。画面左が西武新宿・飯能方、右が池袋・西武秩父・本川越方。 提供:西武鉄道
クリックするとポップアップします。


20160126182433-b5679ced888f6c54094145e5eb26371e214a45cd.jpg
▲1~4号車のシートアレンジメント。1号車はさまざまなイベントに対応可能なスケルトン仕上げとなっている。 提供:西武鉄道
クリックするとポップアップします。

ブランチコース(所要約3時間)は10,000円(税込)、ディナーコース(所要約2時間30分)は15,000円(税込)で、それぞれの運行コース(4月~6月分)は以下のようになっております。

20160126182846-e3f10f19502b84f031e5aa70a7cbb7b01aac200b.jpg20160126182917-f6cada93756a3d9e2b68b2b52854cb58fb88fecc.jpg
20160126190149-020391e5cb681ac4776dacbb04412bc96be74f39.jpg
■運行スケジュール
ブランチコース
A:池袋 10:50頃発 → 西武秩父 14:00頃着
B:西武新宿 10:45頃発 → 西武秩父 14:00頃着
C:西武新宿 10:45頃発 → 本川越 13:15頃着
ディナーコース
D:西武秩父 17:40頃発 → 池袋 20:00頃着
E:西武秩父 17:40頃発 → 西武新宿 20:00頃着
F:本川越 17:15頃発 → 西武新宿 20:00頃着
提供:西武鉄道
クリックするとポップアップします。

運行を開始する4月17日(日)~6月26日(日)乗車分の予約は、2月1日(月)14時00分より西武鉄道「52席の至福」特設サイト内(→こちら)で受付が開始されます。

20160122105556-18cf2d822174a08d323439a277edbfa3d3aeb70f.jpg

20151222161801-8b7482bf7dea3a5646594eaa604417ecd5cc2bc2.jpg

20151211193753-8a5863164703fc4d3c24a5c17fb1f01da091546a.jpg

20150603134641-07e5f8358df8eaf602b9261fe035b9c3c2d5d661.jpg

20160123223151-aa9e3056e75f6077c379df4db1612dc543bb189f.jpg
▲651系〈IZU CRAILE(伊豆クレイル)〉のエクステリアイメージ。画像提供:JR東日本横浜支社
クリックするとポップアップします。

JR東日本横浜支社は昨年6月に、伊東線に「のってたのしい列車」の導入を検討している旨を発表しておりますが、先週、その具体的な列車名や車輌デザインが発表になりました。

20160123223244-d9d2c46ad102d1be4af81de4fda60e2989f8bf5c.jpg列車名は「IZU CRAILE」(伊豆クレイル)。Cresciuto(クレシュート 伊語:大人、成長した)とtrain(トレイン)とile(イル 接尾辞:~に適した)を組み合わせた造語で、「大人に適した列車」の意味を含ませています。また、C(クール)+RAIL(レール)+E(エレガント)で「CRAILE」の表記とし、景色と食、お酒を楽しむクールでエレガントな大人のリゾート列車で、伊豆に来てほしい(来てくれ~る)というメッセージが込めているそうです。

▲「IZU CRAILE」(伊豆クレイル)のシンボルマーク。画像提供:JR東日本横浜支社
クリックするとポップアップします。

特に女性を意識し、海や山など自然豊かな「景色」、伊豆の食材を使用した「食」、同行者との「会話」を楽しむ、あえて"ゆっくり行く"リゾート列車となる予定です。

20160123223336-338e4ab99fd0a733f16a7ef601878462279b4d25.jpg
▲1号車のイメージ。2人用のカウンター席と向かい合わせ席で構成。全座席から雄大な海の景色を見ることができる。画像提供:JR東日本横浜支社
クリックするとポップアップします。

注目の使用車輌は651系4輌編成で、座席車3輌とカウンターを備えたラウンジ車1輌で構成されます。エクステリアデザインは、同系の力強い印象に「柔らかさ・女性らしさ」を取り入れてリゾート列車にリデザイン。伊豆ゆかりの「桜」、「海風」、「さざ波」をピンクゴールドのラインで描き、エレガントな大人のリゾートを表現しています。

20160123223417-0c01e10e245dc9c3da56985e280a18b388cc3980.jpg
▲2号車のイメージ。バーカウンターとラウンジを併設し、景色を眺めながらくつろげるシックな空間となる。画像提供:JR東日本横浜支社
クリックするとポップアップします。

インテリアデザインは、和モダンをベースに、伊豆の豊かな自然を感じる心地よい空間をデザイン。1・4号車の腰掛は、車窓の両側に広がる伊豆の「海」と「山」をイメージした「青」と「緑」で、3号車の腰掛は「夕日」をイメージした「オレンジ」となります。また、通路のカーペットは桜の花びらが川面を流れる様子をイメージしたデザインとし、天井は朝日に照らされた竹林が織り成す影をイメージしたデザインが予定されています。

20160123223455-23330cf92cdda0a9d9bd774df22e7ccd79d841d8.jpg
▲3号車のイメージ。グループ旅行に最適なコンパートメント席を海側に配置し、入口の暖簾は四季折々デザインを変えて季節感を醸成する。なお、3号車には車イスを置けるスペースを確保したコンパートメント席を1室配置する。画像提供:JR東日本横浜支社
クリックするとポップアップします。

20160123223546-f5fb386bd1d410e2319dd677069abb8358bc4dba.jpg
▲4号車のイメージ。1人からグループまで気軽に利用できる回転式リクライニングシートと固定ボックス席で構成。画像提供:JR東日本横浜支社
クリックするとポップアップします。

この「IZU CRAILE」(伊豆クレイル)は、今年夏以降、土休日を中心に小田原~伊豆急下田間で1日1往復の運行を予定しています(具体的な運転開始日などは改めて発表)。全車グリーン車指定席の快速となり、定員は98名の予定。車内サービスや発売方法についても順次発表される予定です。
なお、運転予定時刻は次の通りです。
【下り】
小田原11:40頃発→伊豆急下田14:06頃着
【上り】
伊豆急下田15:09頃発→小田原17:12頃着
※途中停車駅:熱海、伊東、伊豆高原、伊豆熱川、伊豆稲取、河津

20160122105556-18cf2d822174a08d323439a277edbfa3d3aeb70f.jpg

20151222161801-8b7482bf7dea3a5646594eaa604417ecd5cc2bc2.jpg

20151211193753-8a5863164703fc4d3c24a5c17fb1f01da091546a.jpg

20150603134641-07e5f8358df8eaf602b9261fe035b9c3c2d5d661.jpg

20160122114327-70f07818a31c998a7e3d347b8abde14c7b115961.jpg
▲手結港を眺めながら鉄道線を快走する600形による市内線直通電車。'74.3 海浜学校前-手結 P:山本淳一 (RMライブラリー『土佐電気鉄道(上)』より)
クリックするとポップアップします。

今月のRMライブラリーは『土佐電気鉄道』の上巻をお届けします。ご存知の通り、一昨年の10月より「とさでん交通」として再スタートした土佐電気鉄道、通称"土電"ですが、その歴史は古く、路面電車の開業は1904(明治37)年にまで遡ります。当初の開業区間は堀詰~乗出(現在のグランド通付近)と梅ノ辻~桟橋間の2区間でした。まだ高知に官設鉄道が通じる前のことで、この両区間は、現在では、現存する路面電車としては日本最古の路線となっています。

20160122114414-78e6cc999eccd5a20b0e73608eb8407597ad6f3e.jpgその後、路面電車は西の伊野、東の後免へと路線を伸ばしていきますが、現在の高知を代表する風景ともいうべき、はりやま橋の交差点での平面交差が完成したのは1928(昭和3)年になってからのことです。この年に高知駅前~播磨屋橋~潮江橋北詰間が開通し、現在の路線が形作られました。ちなみにこの間に土佐電気鉄道は「土佐水力電気」と合併し、「土佐電気」となり、一旦土佐電気鉄道の名前は消えました。

20160122114448-223b7d3cffc1f3051514ab5a5c1536ca15ceb009.jpg
▲軌道線の電車は四輪単車の時代が長く、ボギー車の登場は戦後、1950年の200形が最初であった。 (RMライブラリー『土佐電気鉄道(上)』より)
クリックするとポップアップします。

一方、後免から県東部の安芸を目指して建設されたのが、後に安芸線となる高知鉄道です。当初は非電化、Cタンクがマッチ箱客車を牽くスタイルで、1924(大正13)年に後免(後の後免町)~手結間が開業しました。その後、経営上の問題からやや間があったものの、1930(昭和5)年に安芸まで全通し、県東部の足としてはもちろん、沿線で採れる野菜などの輸送に大いに活躍し、機関車不足に悩まされるほどに成長します。

20160122114509-4c1d946c373751f78f2baeb367161ab7580a945e.jpg
▲新造の汽車会社製のCタンクに鉄道省などから譲り受けたマッチ箱客車で開業した高知鉄道だったが、その後ガソリンカーを導入した。 (RMライブラリー『土佐電気鉄道(上)』より)
クリックするとポップアップします。

この高知鉄道が土佐電気の軌道部門や土佐バスと戦時統合により合併し、1941(昭和16)年に土佐交通が誕生。土佐電気鉄道という名前が復活するのは戦後の1948(昭和23)年のことでした。翌1949(昭和24)年には鉄道線が電化され、1955(昭和30)年には軌道線・鉄道線の直通運転を開始と、発展を続けることになります。しかし、昭和40年代に入ると鉄道線の輸送量は減少するようになります。その一方で国鉄による阿佐線建設計画が本格化してきたこともあり、用地の一部を阿佐線に譲る形で1974(昭和49)年に鉄道線は営業を廃止しました。

20160122114530-b53dae1c91fba78563e66b95d3dee8e55cbc897b.jpg
▲1974年に廃止された鉄道線。ほぼ同じルートを辿る土佐くろしお鉄道阿佐線(通称:ごめん・なはり線)が開業したのは28年後の2002年のことである。 (RMライブラリー『土佐電気鉄道(上)』より)
クリックするとポップアップします。

本書は、まず上巻で1904(明治37)年以来112年の歩みを、軌道線・鉄道線直通運転や咥内坂改良工事といったエピソードを交えつつ振り返り、続く下巻で鉄道線・軌道線双方の車輌について解説するものです。ぜひご覧ください。

20160122105556-18cf2d822174a08d323439a277edbfa3d3aeb70f.jpg

20151222161801-8b7482bf7dea3a5646594eaa604417ecd5cc2bc2.jpg

20151211193753-8a5863164703fc4d3c24a5c17fb1f01da091546a.jpg

20150603134641-07e5f8358df8eaf602b9261fe035b9c3c2d5d661.jpg

20160121182214-6d667d82f202da4de742bfaccba36121bc299487.jpg
▲大阪市営トロリーバス1号の公式側。扉などは開閉できる構造になっている。P:宮武浩二
クリックするとポップアップします。

最後に市電とともに親しまれたトロリーバスと、番外として大阪市電1号をご紹介いたしましょう。

20160121182435-851d87d23560f4ce9207709227e08a44204ae2ee.jpg無軌条電車1号
市営無軌条電車(トロリーバス)は1953(昭和28)年に大阪駅前から神崎橋間を走りました。その時に一般の方に無軌条電車の構造や性能を知らしめるために製作されたのがこの模型です。公式側は実車同様としているものの、反対側は切開して内部構造や駆動装置がみられるようにしています。なお、この模型は当初からディスプレイモデルで可動はしません。現在は森之宮車両管理事務所で保存されています。

▲電気科学館に展示されていた当時のケースのまま、現在は森之宮車両管理事務所に保存されている。P:宮武浩二
クリックするとポップアップします。

20160121182251-663f12d64444b157fe9c643307c5fef7b3e813d8.jpg
▲トロリーバス1号。開業当時は屋根はクレーム色であったが、ポールから出るスライダーの粉塵が屋根を汚したことから車体色の濃いグリーンに塗装し直された。P:宮武浩二
クリックするとポップアップします。

20160121182324-43cb7470556954b2d5ae5b8974dfb873f7b872ad.jpg
▲反対側は構造がわかるように車体を開口した姿になっている。P:宮武浩二
クリックするとポップアップします。

番外 大阪市電1号
この模型は電気科学館とは直接関係がありませんが、市営交通100周年を記念して最近発見されたヘルブランド台車の図面などを参考に、先に紹介した二階付電車と同じ大きさで製作されたものです。製作者は交通局の職員で、車体は木製とし、車内はニス塗り仕上げ、ポールも初期の形である札幌市電22号のものを参考に製作しています。現在は大阪市交通局本局で保存されています。

20160121182541-c8b3f3893c32ac546200a5dc41ea74d637b1858a.jpg
▲2005(平成17)年に交通局職員の手で復元された市電1号。二階付電車と同じ縮尺で製作されており、車体は木製でモニター屋根は脱着可能である。台車はヘルブランド台車を正確に復元している。ちなみに動力化も視野に入れての復元。P:宮武浩二
クリックするとポップアップします。

20160121182607-c31793a71e3357243ba8639d4abbb19f7b6d6fa2.jpg
▲二階付電車と復元された1号のそろい踏み。まだこの時は二階付電車は改修前で色調が異なっている。P:宮武浩二
クリックするとポップアップします。

最後に新しく建設された大阪市立科学館にも市営地下鉄の部品が展示されているのでご紹介しましょう。これは御堂筋線を走る10系の主電動機で、内部構造の一部が見える状態で展示されております。機会があればぜひご覧ください。

20160121182656-894212d9805b9557ac15b467fa9fc861a219741c.jpg20160121182727-6f484ae2a70ae781494006aea36d195d09db7955.jpg
▲大阪市交通局10系の主電動機(左)。電車用のモーターの実例として展示されている。右はその銘板。P:宮武浩二
クリックするとポップアップします。

20160121185437-01bf137ac267d116c454a945e5647009c777ce53.jpg旧電気科学館はその後土地信託事業で再開発され現在はビジネスホテルとなっておりますが、外観は電気科学館のイメージを残したものとなり、四ツ橋の交差点には電気科学館を彷彿させるビジネスホテルの姿をみることができます。なお、電気科学館の歴史については財団法人大阪科学振興協会が大阪市立電気科学館70周年記念誌として2008(平成20)年に発行した『日本の科学館は大阪から』に詳しく紹介されており、この本は大阪市立科学館でも販売されております。

▲大阪市立電気科学館が無料配布していた「四つばし」。内容はかなり専門的で資料としての価値が高かった。
クリックするとポップアップします。

20160121184233-b3459b5fcdb9678944274d79b56188ce22d68f99.jpg
▲長堀通より眺めた現在の電気科学館跡に建つヴィアイン心斎橋長堀通。P:宮武浩二
クリックするとポップアップします。

20151222161801-8b7482bf7dea3a5646594eaa604417ecd5cc2bc2.jpg

20151217180929-66d69069b07a764bd9e2508835e7d910d1149095.jpg

20151211193753-8a5863164703fc4d3c24a5c17fb1f01da091546a.jpg

20150603134641-07e5f8358df8eaf602b9261fe035b9c3c2d5d661.jpg

20160120143935-126ad8ce7d612beeefbce59455553d9363be3df4.jpg
▲電気科学館当時の展示ケースに納まる二階付電車。製作されたのは大正末期で、現車を製造した汽車製造株式会社が大阪市に納めたもの。木製で、実際の製作は大阪市北区野田8丁目にあった大阪模型製作所の手による。P:宮武浩二
クリックするとポップアップします。

引き続き大阪市立電気科学館の収蔵模型を見てゆきましょう。まずは200型と同様に戦前に製作された市電1600型です。

20160120144000-db8b7f0c9aa1daa3bdb2a3dd08f20321242a3f58.jpg
▲市電廃止時に大丸心斎橋店で展示されるのに先立ち、電気科学館から車輌工場に持ち込まれ車体塗り替えなど整備がなされた。P:宮武浩二
クリックするとポップアップします。

市電1600型
こちらも地下鉄200型と同じく大阪市電福町車両工場で製作されたもので、製造の方法もほぼ同様です。戦前は車体の色は赤い塗装でダブルポール、救助網がついていましたが、市電霞町工場での戦後の修繕でクリームとインディアンレッドの2色塗に、ポールはビューゲルに改造され、現在もその姿が見られます。

20160120144024-eb13447a0b096c8d4c30419cf0f2be3003fd8844.jpg
▲車体の構造がわかるように床部も作りこんでいるのがわかる。電気科学館から搬出するときにはエレベーターが使えず8名ほどでかついで階段から持ち出したという。P:宮武浩二
クリックするとポップアップします。

20160120144047-177a9571eabb9c76d6b14959c426c2dc13be8829.jpg
▲手前の運転台も電気科学館に設置されていたもので、制御器をノッチオンすると車輪が回転するような仕掛けになっていた。また前照灯の他、室内灯も点灯することができた。P:宮武浩二
クリックするとポップアップします。

車体を詳しく見ていくと、戦前についていたパーツ類が残っているのがわかります。圧巻なのが運転台の直接制御器で、日立製のCF65形の内部が見られるようになっています。車体の骨組みも実車と同じように作られており、見るものを飽きさせません。ちなみに、この1600型と地下鉄200型は修理や展示の時には電気科学館のエレベーターには乗らないため、人海戦術で階段から降ろした由。美しく整備された模型を元の電気科学館に入れるのも大変な苦労があったそうです。

20160120144150-393ed7e7ff3d6fa4bc856a11abf97bbf55db0364.jpg
▲正確に作りこまれた市電型台車にはモーターが組み込まれており、電気科学館で展示されていた当時は制御器をノッチオンすると片側の車輪が回転した。P:宮武浩二
クリックするとポップアップします。

市電二階付電車5号
二階付電車は1904(明治37)年から1911(明治44)年まで大阪市電の名物電車として花園橋から築港まで走っていた車輌です。この模型は大正末期にはすでに存在していたらしく、市営電気鉄道20周年の展示の時には姿を見せていたようです。車体は木製で当時の記録を見ると汽車製造会社が大阪模型製作所で製作させたもの。しかし残念なことに台車はヘルプランド製の組み立て台車ではなくブリル社製の単台車がついていました。この時には二階付電車に関する資料が無くなっていたと思われます。

20160120144307-eec07b3a2d6522730a9bbbd603033c7b7807f308.jpg
▲改修前の二階付電車。この時点で塗装はすでに数回塗り替えられていた。戦前には、11型、501型、601型、1001型など主要車輌の模型が取り揃えられていたという。P:宮武浩二
クリックするとポップアップします。

20160120144347-2696ef8fe125ab6e4a2cae4b4a289d34e8f5fa2d.jpg
▲市電1号を復元したのと同じ時期にヘルプランド台車を新製、車体色も1号車の御料車の色に復元した。P:宮武浩二
クリックするとポップアップします。

この模型も長らく電気科学館に展示されていましたが、現在は森之宮車両管理事務所に保存されています。近年になって車体の改修が行われ、新造当時の姿に車体色は戻され、台車もヘルプランド製のものが新製されて取替えられました。

20160120144413-c453403e7844e95acddc2689a06a8ef07bffff96.jpg
▲新製されたヘルプランド台車。P:宮武浩二
クリックするとポップアップします。

20160120144438-0f141b9b9a1c152fed70b1414502f2ab77060e2b.jpg
▲修復された二階付電車。台車は新しくヘルプランド台車が作られ、救助網も開業当時の鉄製のものに交換された。P:宮武浩二
クリックするとポップアップします。

20151222161801-8b7482bf7dea3a5646594eaa604417ecd5cc2bc2.jpg

20151217180929-66d69069b07a764bd9e2508835e7d910d1149095.jpg

20151211193753-8a5863164703fc4d3c24a5c17fb1f01da091546a.jpg

20150603134641-07e5f8358df8eaf602b9261fe035b9c3c2d5d661.jpg

20160119153203-2de1f138102f2eabf6b741fa44a991cfea313e30.jpg
▲1953(昭和28)年ごろの大阪市立電気科学館。四ツ橋交差点の一角にあり、戦前から大阪名物のひとつとして数えられた。所蔵:宮武浩二
クリックするとポップアップします。

大阪の宮武浩二さんから、今はなき大阪市立電気科学館の展示品についての興味深いレポートを頂戴しました。宮武さんは数年前からこの電気科学館について調査されておられたそうで、今回はその一部をご紹介いただきましょう。

20160119153609-85660c9b103a74bb4b0d450182fa234fbe112021.jpg大阪市立電気科学館は大阪での鉄道趣味が楽しめる場所として戦前から有名でした。戦後は鉄道系の博物館が増えて存在が薄れてきましたが、収蔵品は技術の粋をこらした素晴らしい工芸品の数々で、東京の鉄道博物館(のちの交通博物館)の可動式模型と双璧をなすものでした。
大阪近郊にお住まいの40歳以上の方なら、四ツ橋にあったこの大阪市立電気科学館を今でも懐かしく感じられの方も多いと思います。小学校の校外学習、修学旅行の立ち寄り先としても戦前から多くの人が訪れた電気科学館は子供たちの人気の的でした。関西地区の修学旅行のコースにも入っており、たとえば九州・四国方面から関西汽船に乗船した学生さんは弁天埠頭で下船、徒歩で四ツ橋まで歩いて電気科学館にいったそうです。ここから大阪城や四天王寺を見学して京都に向けて列車で旅立っていったわけですから、大阪近郊はおろか四国・九州にお住いの方にも印象深かったのではないでしょうか。ちなみに、関西汽船での修学旅行が新幹線に移っていくと、自然と電気科学館は見学ルートから外れていったようです。

▲昭和30年代の電気科学館。絵葉書 所蔵:宮武浩二
クリックするとポップアップします。

20160119153648-42dfe016502c428ce6697978fc034385a00e3c52.jpg
▲長堀通より眺めた閉館直前の電気科学館。手前の高架道路は阪神高速環状線。P:宮武浩二
クリックするとポップアップします。

20160119153741-9e6d7b392c7326db93414ab0ae297b8a8315a85e.jpg20160119155118-7bc4f5716b87c9d9225fc58b9978ee6add337965.jpg
▲大阪市立電気科学館は新しく中之島に建設された大阪市立科学館に任を譲り、1989(平成元)年5月31日をもって閉館された。その後大阪市立中央図書館の建て替え工事に伴い一時期中央図書館が入居していた。写真左はその時に撮影。右は跡地の現状。旧電気科学館の建物をイメージして建設された土地信託事業で、当初はオリックス系のホテルとして運営されていたが、現在はJR系のホテルグループ、ヴィアイン心斎橋長堀通として営業している。P:宮武浩二
クリックするとポップアップします。

20160119154143-364075dd8e3d58040c38eb2ecec47539f15d4e61.jpgさてその大阪市立電気科学館、日本初のプラネタリウムも有名ですが、実は子供たちが楽しみにしていたのが地下鉄の模型と市電の模型で、順番を争ってでも見たいものでした。そんな電気科学館も1989(平成元)年に老朽化のため閉館となり、新しく中之島に建設された大阪市立科学館へと引き継がれました。その際、大阪市交通局からの展示物はすべて返還されて現在は車輌工場に保存され、一般公開の際に見ることができます。今回はこれら車輌模型の展示品を、見方を変えて技術遺産として、少し掘り下げてご紹介しましょう。

▲現在の大阪市立科学館全景。P:宮武浩二
クリックするとポップアップします。

地下鉄200型
大阪市営地下鉄が開通したのが1933(昭和8)年のこと、それから3年後に大阪市立電気科学館が誕生しました。この頃に大阪市電福町車両工場で実物を約6分の1スケールで製作されたもので、車体は半分が切開した状態として車体構造がわかるように断面処理されているほか、床下機器も実物と同じように作られ、コンプレッサーなども動いている様子がわかるようにしています。

20160119154216-065f03470f6ac44343861159bfa2950989d0e522.jpg
▲電気科学館から返還された当時の200型模型。背後の保存車105号と比較してもその大きさには驚かされる。説明板も電気科学館当時のもの。P:宮武浩二
クリックするとポップアップします。

20160119154236-d468ca223972fe2846074b2bb1e570b353538226.jpg
▲電気科学館にあったころは、車輪が回転していたほか、室内灯、前照灯も点灯していた。この模型は1936(昭和11)年に大阪市電福町車両工場の技工さんが直営で製作したといわれている。P:宮武浩二
クリックするとポップアップします。

鋳鋼製台車と車輪も手元の主幹制御器のノッチをいれると車輪が回転、制動弁を操作すると基礎ブレーキが作動、制輪子で車輪を止めるようになっていました。室内灯も点灯するようになっています。

20160119154302-500b48cfa3491f3226fa76bfeeae95183d453143.jpg
▲現在の200型模型。市営交通フェスティバルではこの状態で展示される。開口された側が見られる反面、原型に近い側は壁に接して見ることができなくなってしまった。'14.11.9 P:宮武浩二
クリックするとポップアップします。

車体の色は当初クリーム色にコバルトブルーでしたが、戦後の展示替えの時に地下鉄我孫子車両工場で地下鉄1200型と同じクリームとオレンジ色に変更、車内も薄い緑色とされたのが現在見ることができる姿です。

20160119155411-4011dff3031325da9d1c5fc0bfac4f99852ea0f2.jpg見どころは、電気連結器と保存車105号でも復元できなかった車内の放送装置で、ラッパ型の拡声器が天井に設置されています。聞くところによれば、戦前は客扉の開閉もスイッチひとつでできたそうで、好奇心旺盛な小学生など目を輝かせて見入っていたとか...。技術の粋を集めた匠の技というべき200型は貴重な文化財といえそうです。現在は緑木車両管理事務所で保存車105号と共に保存されています。

▲車内も実車同様の作りとなっており、現在の技術では同じものは作れないと思われる。'14.11.9 P:宮武浩二
クリックするとポップアップします。

20160119154435-b836f4fd1f7076d47f451cc5eb11b5b460c2d69c.jpg
▲一昨年、市営交通ふぇすてばるで公開されたときの105号。市役所前で展示(アーカイブ「新世界に大阪市電、大阪市役所前に地下鉄登場」参照→こちら)された後、車体及び床下は改修され、1972(昭和47)年に復元した当時の姿が甦った。室内灯、前照灯も点灯している。'14.11.9 P:宮武浩二
クリックするとポップアップします。

20151222161801-8b7482bf7dea3a5646594eaa604417ecd5cc2bc2.jpg

20151217180929-66d69069b07a764bd9e2508835e7d910d1149095.jpg

20151211193753-8a5863164703fc4d3c24a5c17fb1f01da091546a.jpg

20150603134641-07e5f8358df8eaf602b9261fe035b9c3c2d5d661.jpg

「K2 134」の歳月。

20160117230151-8145702aae46019437d863ec0599de597171d9b1.jpg
▲都会の喧騒の中にぽっかりと広がる津田沼一丁目公園。その一隅に鉄道聯隊の記憶を伝えるK2 134が佇んでいる。70数年前、果たしてこの地でどんな光景が繰り広げられていたのだろうか。'13.8.15
クリックするとポップアップします。

JR津田沼駅と新京成新津田沼駅に挟まれた一角にある「津田沼一丁目公園」に小さな蒸気機関車が保存されています。かつての鉄道聯隊K2形機関車で、この地に来てから22年の歳月が経とうとしています。

20160117230241-11cf4496ca486b4ad7b177c2624e2f8c1467c333.jpgこの津田沼一丁目公園、もとを正せば鉄道第二聯隊の敷地で、戦後はあの大榮車輌の車輌工場があった場所です(RMライブラリー『大榮車輌ものがたり』中巻参照→こちら)。管轄する習志野市の設置した看板には「K2形機関車134号 この蒸気機関車は、かつて、この津田沼に本部を置いていた陸軍鉄道第2連隊が使用していたもので、現在の新京成線敷地にあった陸軍演習線での機関車として活躍したものです。この度、西武鉄道㈱ユネスコ村に保存してあったものを譲り受け、鉄道連隊ゆかりの、この津田沼一丁目公園に設置したものです。平成6年3月」とその由縁が記されています。

▲本機が保存された経緯を記した説明看板。'13.8.15
クリックするとポップアップします。

20160117230355-0c136bb1fbc5700a2de17a6fa10879329e45c8a0.jpg
20160117230512-9dc4bc5f1246d75e257313b20be7b035d17bb82c.jpg
▲K2 134の今昔。下が当地に移設された直後の姿で、公園自体もまだ造成中といった雰囲気。'13.8.15/'94.5.3
クリックするとポップアップします。

この看板にもあるように、ユネスコ村に保存展示されていた本機が津田沼に"戻って"きたのは1994(平成6)年のことです。移設直後に撮影に訪れましたが、まだポール・チェーンが周囲に巡らしてあるだけで、説明看板も未設置といった状況でした。

20160117230547-07374deca87fb7e7e616cd84a0732f81af842eed.jpg
20160117230622-f2d012d27f86eba3dc30b4796ea560866c106066.jpg
▲同じく津田沼一丁目公園の今昔。旧写真背後のビルは当時の丸井。ここは戦時中は鉄道第二聯隊の材料廠、戦後は大榮車輌があった場所。'13.8.15/'94.5.3
クリックするとポップアップします。

それがうって変わって今では"籠の鳥"状態。さまざまな要因があってこうならざるをえなかったようですが...。

20160117230825-986e94144c623707c709f71239d06558e77fe8e5.jpg
▲K2 134のバックビュー。背後にイトーヨーカドーのサインが見える。'94.5.3
クリックするとポップアップします。

20160117230856-0e5b4e3e513c9fa65f7339fe16d94435103d655d.jpg
▲600㎜から1,067㎜軌間に改軌された足回り。アウトサイドフレームだったものをインサイドフレームとし、最大の特徴だった遊動輪装置は撤去されている。第3動輪がフランジレスなのに注意。'13.8.15
クリックするとポップアップします。

鉄聯形式"K2"形の"K"はクリーン・リントナー(Klien-Lindner)遊動輪装置装備に由来します。5軸のうち第1動輪と第5動輪の車軸が中空軸となっており、その中心の球体を核に車輪だけが遊動する(クランク部は遊動しない)という特殊な機構で、コッペル・ギャードと通称されるルッターメラー歯車遊動装置を持つ"E"とともに、鉄聯を代表する遊動輪機でした。

20160117230936-d372f0664e99c8c317f1768d76549220b986c42c.jpg
▲ユネスコ村に保存されていた頃のK2 134。西武鉄道4号(ナスミス・ウィルソン製1B1機)とともに来園者の遊具として展示されていた。'78.4.9
クリックするとポップアップします。

ただ、本機は戦時中に国鉄工場で600㎜から1,067㎜軌間に改軌されたグループのうちの1輌で、残念ながら最大の特徴であったクリーン・リントナー遊動輪装置は取り払われてしまっています。
ユネスコ村で初めて出会ったのが今から38年前の1978(昭和53)年春...図らずもその流転の歳月を見続けてきたことになります。

20151222161801-8b7482bf7dea3a5646594eaa604417ecd5cc2bc2.jpg

20151217180929-66d69069b07a764bd9e2508835e7d910d1149095.jpg

20151211193753-8a5863164703fc4d3c24a5c17fb1f01da091546a.jpg

20150603134641-07e5f8358df8eaf602b9261fe035b9c3c2d5d661.jpg

「乗車記録」 受難の時代。

20160114154958-50444e15c9dd1d8167167078de71674689f654b8.jpg
▲歴代の乗車記録ノート。ポケットに入るB7サイズのリングノートを使い続けている。右下は今年一年携帯することになる2016年版。
クリックするとポップアップします。

長くこの仕事に就いていながら「乗る」ことに関してはいたって淡泊ではありますが、それこそ高校時代から今日まで途絶えずに続いている"習慣"があります。それが乗車記録です。戦前の『鐵道』『鐵道趣味』の時代から見られる乗車記録とは、なんのことはない、乗車した列車と車輌番号を記録するだけのことですが、これが積もり積もると結構なアーカイブとなります。

私の場合は丸一日以上の撮影旅行や仕事の出張の場合のみ専用のノートに記録しております。なかには驚くべき達人もおられ、親しくお付き合いいただいているこの趣味界の大先輩には、通勤を含めてすべての乗車記録を続けている方もおられます。取引先との同行、痛飲した後の終電...と襲い掛かる困難は数知れず、想像しただけでも難行苦行に思えてきます。

20160114155232-da88a34b9ab8080220fc977fe4a2d84cf28286d6.jpg
▲35年ほど前のノート(左)と、昨年のノート(右)。WATTRAIN国際会議に随行した際(アーカイブ「WATTRAINの旅」参照→こちら)の記録の一部(10月28日分)。
クリックするとポップアップします。

かつてご紹介した「32年前の"今日"へ -1974年北海道の旅-」(書籍『編集長敬白』所収)でもこの乗車記録ノートを駆使して撮影旅行を再現しておりますが、ここでは35年ほど前の東海道→身延→中央東線→小海→中央東線→篠ノ井線→中央東線のエクスカーションをお目に掛けましょう。

1981(昭和56)年
(9月2日/水)
5:43  東京発 323M クハ111-201
8:15  原着
9:02  原発 437M モハ113-213
9:15  富士着
10:06 富士発 4713M(急行「富士川3号」) サハ153-216
11:56 南甲府着
13:52 南甲府発 4713M モハ114-2612
14:00 甲府着
15:24 甲府発 407M(急行「アルプス7号」)モハ164-813
15:58 小淵沢着
16:30 小淵沢発 249D キハ52 23
16:43 甲斐小泉着
      (泊)
(9月3日/木)
13:45 甲斐小泉発 243D キハ52 22
14:07 野辺山着
17:05 野辺山発 244D キハ52 54
17:32 小淵沢着
      (泊)
(9月4日/金)
10:44 小淵沢発 427M クモハ115-304
13:21 南松本着
14:39 南松本発 429M (?)
14:43 松本着
15:57 松本発 1412M(「アルプス12号」) クハ165-57
20:17 新宿着

多少補足しますと、東海道本線原で下車したのは図書印刷専用線で働く日通の三菱20t、富士は富士運送の森10t、身延線南甲府は甲府倉庫専用線の加藤6.5t、篠ノ井線南松本は昭和産業専用線の東急15tと、それぞれ産業用DLを訪ねてのことでした。
また、小淵沢〜南松本間を乗車した427Mの欄には「上諏訪駅3番線12:02発飯田線駒ヶ根行き242M クハ86314」の書き込みも見られます。
なおこの旅では唯一、南松本〜松本間の429Mだけ車番を記録できていません。

20160115112011-61bb79ce29d69465f5baa32233795d65ec91e553.jpg
▲"地元"目黒駅の山手線ホーム。ホームドアが設置されてから車体標記は確認しづらくなった。
クリックするとポップアップします。

ところでこの乗車記録、近年とみに手ごわくなってきてしまっています。その最大要因はホームドアの普及で、従来は乗車時、もしくは降車時にちらっと見れば車体側面の標記が目に入ったものの、ホームドアが設置されるとそうはゆきません。しかも車内妻面の標記もやたらと小振りになってしまい、混んだ車内ではなかなか見通すことさえ困難です。ことに新幹線は難関で、側面標記が25m車体の車端部、客室内には標記がなくデッキ部まで出ないとならないときています。もちろん編成番号から逆探知することも可能でしょうが、"本業"ではないのでそこまで探求する気もなく、最近では(?)と書き込まれた箇所も散見されるようになってしまいました。
ちなみに、毎年年末に新調する乗車記録ノートですが、「2016年」はまだ真っ白のままです。

20151222161801-8b7482bf7dea3a5646594eaa604417ecd5cc2bc2.jpg

20151217180929-66d69069b07a764bd9e2508835e7d910d1149095.jpg

20151211193753-8a5863164703fc4d3c24a5c17fb1f01da091546a.jpg

20150603134641-07e5f8358df8eaf602b9261fe035b9c3c2d5d661.jpg

20160113152058-f165588f0d020f9dd58abf75ffeb2c38d7dd3292.jpg
▲イルミネーションに彩られて幻想的な釧路の夜を演出する8722号機。'15.12.22 P:奥山道紀
クリックするとポップアップします。

現存唯一の8700形、テンホイラー機として釧路製作所に静態保存されている8722号機が、冬季限定でイルミネーション点灯しているそうで、三菱大夕張鉄道保存会の奥山道紀さんからお便りをいただきました。

20160113152124-abb8ab44377ecc48942f478321430afb2ae80081.jpg8700形は1911(明治44)年、当時の東海道本線など、幹線の急行列車牽引用として、英・独・米の3国から輸入された蒸気機関車の一形式で、英国ノースブリティッシュ社から12輌が輸入され、翌年には国産大型機関車の製造技術取得を目的に、汽車製造会社で18輌が追加製造されました。
▲8722号機の僚機8721号の現役時代の姿。デフは未装備であった。1960年頃 山花駅 P:釧路製作所
クリックするとポップアップします。

製造当初は東海道、東北本線用として活躍しましたが、その後国産の大型蒸気機関車が登場すると一線を去り、1950(昭和25)年1月に廃車された8721と8722が、1952(昭和27)年と1953(昭和28)年にそれぞれ雄別炭礦鉄道と北海道拓殖鉄道に払い下げられています。8722は1957(昭和32)年に雄別炭礦鉄道に再譲渡され、除煙板を追加するなどの改造を行って釧路・雄別炭山間の石炭列車などに使用されました。

20160113152155-ede3e3e6c2424a4b461c15a000783388bda26096.jpg
▲東京の出版社に売却され、釧路製作所で整備された8722号。結局、売却は破談となってこのまま釧路製作所に引き取られた。1970年 P:釧路製作所
クリックするとポップアップします。

8722は1966(昭和41)年に、8721は1970(昭和45)年に廃車となりましたが、8722は釧路市内の釧路製作所で1980(昭和55)年より過熱式へ改造直後の姿に復元の上、構内で保存されて今日にいたります。

20160113152337-64f01c76adb0c84fcd3d7ede2e56147d547a0e43.jpg
▲雄別炭礦鉄道の8722号竣功図表。提供:釧路製作所
クリックするとポップアップします。

昨年末、釧路製作所では地域住民との交流を深める意味で、8722の冬期間のイルミネーション点灯を企画し、昨年12月13日に「釧路臨港鉄道の会」会員と釧路製作所社員よりイルミネーションの取り付けが行われ、クリスマスを前にした21日に点灯を開始しました。当日は17時より点灯式として釧路短期大学音楽ゼミの皆さんによるトーンチャイムの演奏や、近隣のお子さん達へのサンタとトナカイさんからお菓子のプレゼントもあり、その様子はFM946でも生中継されました。

20160113152219-b8951447ae3466af69cead30d526bd5b942546f0.jpg
▲ボランティアの手を借りての8722号機へのイルミネーションの取り付け作業。'15.12.13 P:奥山道紀
クリックするとポップアップします。

20160113152245-0a249056081841d7a1de38e249de83ae2c8c0a3a.jpg
▲多くのギャラリーで賑わったイルミネーション点灯式。'15.12.21 P:奥山道紀
クリックするとポップアップします。

イルミネーションは来月2月末(土・日を除く、夕暮れから19時30分頃)まで点灯しています。また、釧路製作所では8722号グッズも用意しています。JR北海道の「冬の湿原号」も1月30日より運行を開始します。是非、冬の釧路へお越し下さい。
株式会社釧路製作所=http://kushiro-ses.co.jp/
JR北海道釧路支社「冬の湿原号」=http://www.jrkushiro.jp/sl2016/index.html

20151222161801-8b7482bf7dea3a5646594eaa604417ecd5cc2bc2.jpg

20151217180929-66d69069b07a764bd9e2508835e7d910d1149095.jpg

20151211193753-8a5863164703fc4d3c24a5c17fb1f01da091546a.jpg

20150603134641-07e5f8358df8eaf602b9261fe035b9c3c2d5d661.jpg

20160113160600-392067658dfbde152697fe2732e92112fd218ebe.jpg
▲11号車のE321-702を先頭に、仙台方から大宮駅15番線ホームに入線するE3系700番代「GENBI SHINKANSEN(現美新幹線)」。'16.1.12 大宮 P:RM(伊藤真悟)
クリックするとポップアップします。

昨年3月に導入を発表し、10月に外観デザインが公表されたJR東日本の「GENBI SHINKANSEN(現美新幹線)」の報道公開が1月12日に大宮駅で行われました。

20160113160631-25e70947723156a46da543ec16f6f0cef2abedcc.jpg
▲新潟方先頭車で16号車のE322-702。非公式側の側窓が埋められ、先頭部は塗装仕上げとなっている。'16.1.12 大宮 P:RM(伊藤真悟)
クリックするとポップアップします。

今回は外観が完成し、内装を新潟新幹線車両センターで実施するため、新幹線総合車両センター(仙台)→大宮→新潟新幹線車両センター(新潟)の回送の合間を縫って公開されたものです。このため外観のみの公開となりました。

20160113160655-a987e1bff541f6737d7129d3f2e7f0e7c813c190.jpg
▲乗務員扉付近にはシンボルマークが配されている。シンボルマークは、「現美」の漢字をモチーフとし、新幹線が水平に移動する速さを表現している。'16.1.12 大宮 P:RM(伊藤真悟)
クリックするとポップアップします。

「GENBI SHINKANSEN(現美新幹線)」は、E3系R19編成を改造したもので、改造後も編成番号は変わらないものの、形式車号が東京方からE321-702+E326-702+E329-702+E328-702+E325-702+E322-702となり、E3系700番代"とれいゆ"の続番となっています。

20160113161108-c76ee76d1c2ce1248b27933df29f3dcb623fd3e0.jpg

改造に際しては、新潟方先頭車のE322-702の非公式側、中間車のE326-702、E328-702、E325-702の公式側の側窓が埋められているのが特徴で、車体側面は写真家で映画監督でもある蜷川 実花(にながわ みか)さんによる「長岡の花火」がラッピングされています。また、先頭車の乗務員扉部には「GENBI SHINKANSEN(現美新幹線)」のシンボルマークが配されているほか、両先頭車の先頭部はラッピングではなく、ダークブルーによる塗装が施されています。
なお、車体改造はE321-702が新幹線総合車両センターで、それ以外の車輌は川崎重工業で実施され、塗装・ラッピングは新幹線総合車両センターで実施されています。

20160113160717-a2cc73b9404bc005c8e36a462a468692f087078a.jpg
▲11号車のE326-702(左)と12号車のE329-702(右)。E329-702の公式側は一部の側窓が埋められている。'16.1.12 大宮 P:RM(伊藤真悟)
クリックするとポップアップします。

20160113160744-3290f79912549feb0101b7a9a2989fe94a59b75c.jpg
▲14号車のE328-702(左)と15号車のE325-702(右)。両車とも公式側の側窓がすべて埋められている。'16.1.12 大宮 P:RM(伊藤真悟)
クリックするとポップアップします。

今後、「GENBI SHINKANSEN(現美新幹線)」は新潟新幹線車両センターで内装関係の工事が実施され、今年春以降の予定で新潟エリア(越後湯沢~新潟間)を中心とした上越新幹線区間で、臨時列車として土休日を中心に年間約120日程度の運行が予定されています。

取材協力:東日本旅客鉄道株式会社

20151222161801-8b7482bf7dea3a5646594eaa604417ecd5cc2bc2.jpg

20151217180929-66d69069b07a764bd9e2508835e7d910d1149095.jpg

20151211193753-8a5863164703fc4d3c24a5c17fb1f01da091546a.jpg

20150603134641-07e5f8358df8eaf602b9261fe035b9c3c2d5d661.jpg

函館本線山線あのころ。

20160111231859-d7ecf123eb5af1cec48309b331ac6e4d8cba2c13.jpg
▲31年前、1985(昭和60)年元旦の長万部駅構内。ホームに停車しているのがこれから乗車する10時30分発121列車。無煙化から十年以上経っても、この当時の長万部駅構内の佇まいは蒸機時代の面影を留めていた。'85.1.1
クリックするとポップアップします。

どういった経緯だったかは思い出せませんが、今から31年前の年末年始、学生時代のバイト仲間と北海道の温泉で正月を過ごそうということになり、1984(昭和59)年の12月30日、上野発の寝台特急「ゆうづる3号」で北の大地を目指しました。

20160111001011-d0f0d4e72332514b88ce1606d3b06bf55ea21459.jpg目的地は岩内線の終点・岩内からさらに日本海沿いを北上した盃温泉。21便→101列車急行「ニセコ」を経て大晦日は長万部で一泊し、元日に函館本線→岩内線経由で温泉に向かおうという算段です。当時の函館本線長万部~小樽間、通称「山線」はまだまだ道内を代表する幹線の面目を保っており、『道内時刻表』でも青函連絡船を介した本州連絡に次ぐトップに掲載されているのは函館本線山線経由の札幌・旭川方面で、室蘭本線・千歳線ルートはその次というプライオリティーでした。もちろん、C62重連の急行「ニセコ」時代を思えば、輸送需要が室蘭本線・千歳線ルートにどんどんシフトしてきているのは自明でしたが、少なくともこの時点では、「山線」がまさか今日のような寂れた状況になろうとは想像さえできませんでした。
▲当時の『道内時刻表』(1985年1月号)。奇しくも表紙はいわないスキー場。

20160111001407-0b191edec097059a19285780a1defdbccb54cd7f.jpg
▲DD51 718〔築〕の牽く121レ。函館発札幌行きの各停で、全区間の所用時間は9時間を要した。'85.1.1 熱郛
クリックするとポップアップします。

元旦の長万部駅から乗り込んだのは札幌行きの各停121列車。函館を6時22分に出て長万部に9時53分着。37分も停車して10時30分発車というまさに"鈍行列車"です。

20160111001436-01aefc90d8d0d2ba8d2960d09720a6c2f9d49ed5.jpg
▲黒松内では142Dと交換。3年ほど前に誕生したばかりのキハ40 100番代の4輌編成。当時はまだ札幌〜長万部間の各停も4連の需要があった。'85.1.1 黒松内
クリックするとポップアップします。

平日であれば通勤・通学で込み合った車内も一段落といった時刻なのでしょうが、何しろ今日は元日、乗客はほとんどおらず、機関車次位のスハフ44 104に居を構えることにしました。前日の「ニセコ」の車内では函館の朝市で買い込んだ毛ガニを堪能したものの、暖房の影響もあって車内にカニ臭(?)が充満、顰蹙を買った経緯もあってこの日はおとなしくしていることにしました。

20160111001535-1a785ad6778eb9884a6fbe90ef6a3c80b3d4a264.jpg
▲そして熱郛ではDD51 1082〔築〕を先頭にしたDD51重連による102レ急行「ニセコ」と交換。雪煙を巻き上げながら受器にタブレットキャリアを投げ込んでゆく。'85.1.1 熱郛
クリックするとポップアップします。

なにしろ撮影旅行ではありませんから停車時間に対向列車を撮る程度。しかしなぜかカメラはゼンザブロニカS2を持っていっており、無意識のうちに函館本線「山線」という古戦場に対する畏敬の念があったのかも知れません。

20151222161801-8b7482bf7dea3a5646594eaa604417ecd5cc2bc2.jpg

20151217180929-66d69069b07a764bd9e2508835e7d910d1149095.jpg

20151211193753-8a5863164703fc4d3c24a5c17fb1f01da091546a.jpg

20150603134641-07e5f8358df8eaf602b9261fe035b9c3c2d5d661.jpg

20160108163450-de495a1d53ec64dc6309328dc187ce177f8429cf.jpg
▲新型特急「富士山ビュー特急」の外観イメージ。画像提供:富士急行株式会社(Design and Illustration by Eiji Mitooka + Don Design Associates)
クリックするとポップアップします。

富士急行株式会社は、会社創立90周年事業の第一弾として、新型特急「富士山ビュー特急」を2016年春に導入することを発表しました。JR東海から譲り受けた371系をベースにしたこの「富士山ビュー特急」は、観光列車「富士登山電車」を手掛けた水戸岡鋭治さんがデザインを担当されています。

20160108163515-acdb242d35c7371eb75efce30f1df72275267643.jpg
▲新型特急「富士山ビュー特急」の内装イメージ。画像提供:富士急行株式会社(Design and Illustration by Eiji Mitooka + Don Design Associates)
クリックするとポップアップします。

車窓から世界遺産・富士山の雄大な姿を望むことのできる特別な列車となっており、また、木を活かした車内では、スイーツやドリンクが提供され、ゆったりとしたホテルのような空間が演出される予定です。

20160108163536-4014203ae5743e70ae779ebd2007d7591104764f.jpg
▲新型特急「富士山ビュー特急」の内装イメージ。画像提供:富士急行株式会社(Design and Illustration by Eiji Mitooka + Don Design Associates)
クリックするとポップアップします。

○名称
 富士山ビュー特急 FUJISAN VIEW EXPRESS
○編成
 1編成3輌(JR東海371系 7輌1編成を改造)
○運行経路
 富士急行線 大月~河口湖間
○停車駅
 大月、都留文科大学前、富士山、富士急ハイランド、河口湖

20160108163559-0e54b400fb04980a71db26bf8b64078d55d88da3.jpg
▲新型特急「富士山ビュー特急」の内装イメージ。画像提供:富士急行株式会社(Design and Illustration by Eiji Mitooka + Don Design Associates)
クリックするとポップアップします。

なお、運行開始以来13年にわたって活躍してきた「フジサン特急」2000系車輌(2001号編成)は、来月2月7日(日)に運行を終了します。ご存知のように「フジサン特急」2000系車輌は、JRのジョイフルトレイン"パノラマエクスプレスアルプス"をリニューアルしたもので、昨年2月に引退した2002号編成に続く2001号編成の引退をもって、旧国鉄165系車輌はすべて現役を離れることとなります。

20160108163620-c19e0dad523bd021f0bfc10c0b7c6fcb030e56e5.jpg
▲2月7日をもって引退する「フジサン特急」2000系車輌(2001号編成)。画像提供:富士急行株式会社
クリックするとポップアップします。

富士急行では現在「"フジサン特急"2000系さよならキャンペーン」を実施中で、富士急行線ウェブサイト内に設けられた特設ページ(→こちら)では、2000系車輌のヒストリーなどが紹介されています。

20151222161801-8b7482bf7dea3a5646594eaa604417ecd5cc2bc2.jpg

20151217180929-66d69069b07a764bd9e2508835e7d910d1149095.jpg

20151211193753-8a5863164703fc4d3c24a5c17fb1f01da091546a.jpg

20150603134641-07e5f8358df8eaf602b9261fe035b9c3c2d5d661.jpg

個人的な年賀状。(下)

20160104172407-d5bee5ef9ce809c95864e7a6d895908b7d3c4418.jpg
20160104172450-13dc5ac11929636fdeb0866d1ba4114ae5d2174f.jpg
▲解説はクリックするとポップアップします。

ご覧になっておわかりのように、"解説"といってもあくまで個人的インプレッションで、しかも営業誌と違い、専門用語も略号もいっさい斟酌せずに使ってしまっています。いわば"解説"に解説が必要な状況で、この世界の皆さんはまだしも、まったく鉄道と関係のない同級生やゼミ仲間などからは「毎年、名取の年賀状は何が書いてあるのかさっぱりわからない」と評判の悪いことしきりです。
いずれにせよ、まったく同じフォーマットで四半世紀...よくぞ続いてきたものとわれながら呆れるばかりではあります。ちなみに、近年は宛名は住所録ソフトでプリントアウトし、手書きで一言添えるようになりましたが、宛名も手書きしていた頃の年末はまさに不夜城状態でした。とはいえ、まだ年賀切手を貼る作業は内職さながらの手仕事で、乾燥のため部屋一面に並べられた数百枚の年賀状を目にするたびに、間もない新年の到来を実感するのでした。

20160104172542-3ae2cc6fb6e44f9153e3c84f0874a99436b3c7f4.jpg
20160104172611-480408fdd09210d70b36ca984a36fa170dfb1829.jpg
▲解説はクリックするとポップアップします。


20160104172640-0a1233e3597fe963f172cfe942c51c8978e3b5d1.jpg
20160104172717-4688f24bebb086f05e13faff3189292a079fbf16.jpg
▲解説はクリックするとポップアップします。


20160104172910-fafd0b025efe75496e2715f883ad5daffae102d2.jpg
20160104172936-fa39d28d99002c93e3d2b0203a95a633e9db9ca7.jpg
▲解説はクリックするとポップアップします。


20160104173001-b9ae32df3cb633d3779c0396d743be43e95eb1e9.jpg
20160104173028-34597404abc87ece28db365cbadb9da96fb6d9ee.jpg
▲解説はクリックするとポップアップします。


20160104173057-7bd3b0573fe856d7eaa350b1d9958fef6a09e4d8.jpg
20160104173126-721f3cecc280a9bf9f7e7edad25cd09564d4d0ec.jpg
▲解説はクリックするとポップアップします。


20160104173153-11bc657f0cfda7e43523e52d83c9122dd6b0db77.jpg
20160104173218-9bdc88b7119e6ce9f01229e86922e99abaa4c777.jpg
▲解説はクリックするとポップアップします。


20160104173243-40005db500a9c84e534ad5ec49913fd2985f8e06.jpg
20160104173310-97b5924e59544772c8085cdfbd6e06d8518b1354.jpg
▲解説はクリックするとポップアップします。

20151222161801-8b7482bf7dea3a5646594eaa604417ecd5cc2bc2.jpg

20151217180929-66d69069b07a764bd9e2508835e7d910d1149095.jpg

20151211193753-8a5863164703fc4d3c24a5c17fb1f01da091546a.jpg

20150603134641-07e5f8358df8eaf602b9261fe035b9c3c2d5d661.jpg

個人的な年賀状。(中)

20160104111752-e88172dc5122e0e683c1294ff710ff67d47e991e.jpg
20160104111823-23727af7eee27909a276e05be76c0b70b6efa9bd.jpg
▲解説はクリックするとポップアップします。


引き続き2002年以降をご覧いただきましょう。昨日も記しましたように、世界各地のインダストリアル・ナローも、まるで年賀状を追いかけるかのように次から次へと廃止されてしまい、今ではその大半が思い出の彼方となってしまいました。ちなみに今日までご紹介した分で廃止、もしくは運行停止となったのは、1996年の梅老鉄路、1997年のノール煉瓦製造、1998年の重光煤礦、2000年の江合煤礦、2002年の博山水泥、2004年のウィーンの老人ホーム、2006年のライン河上流工事軌道(一部観光軌道化)で、プリザベーションを除けば、2003年のボード・ナ・モナ(アイルランド)、2005年のティポング(インド)、2008年のシモ煉瓦製造(フランス)が辛うじて命脈を保っているに過ぎません。私の個人的年賀状の二十数年は、図らずも世界のインダストリアル・ナローの墓標でもあったわけです。

20160104111938-4b51157d3d8273262f6971b23b5bb2154be651a1.jpg
20160104112026-ca065e637ca676605792c0d003d5ed4b53f2e4a4.jpg
▲解説はクリックするとポップアップします。


20160104112054-3ab463d9fae96e878322f380e5b7f0318b76df1c.jpg
20160104112127-bcb71589194e96ed735185a8072cbb547a62521f.jpg
▲解説はクリックするとポップアップします。


20160104112201-31b89b03d941fad0a88bc19bb3486811afd5a7cc.jpg
20160104112230-ce69b045e2b6b258b1c163f20d41501eb6ade2e5.jpg
▲解説はクリックするとポップアップします。


20160104112301-ad65e3892a18ff3967775c2fde26d7774764cafd.jpg
20160104112330-7f97470c742cf84f783b0501e9c0692ab466bf60.jpg
▲解説はクリックするとポップアップします。


20160104112401-90f2d3f312178a813dadcee609d7b1add7534768.jpg
20160104112433-e8df86f8b0463e8f635a419b52b23cb90ba544f0.jpg
▲解説はクリックするとポップアップします。


20160104112502-85d2d51e9e24e0f0fff90b41ce205a6e9f7b1bbb.jpg
20160104112537-8b9b20fd315fafed9d0aa49577b5aaaa5eb6cd2b.jpg
▲解説はクリックするとポップアップします。

(※明日に続く)

20151222161801-8b7482bf7dea3a5646594eaa604417ecd5cc2bc2.jpg

20151217180929-66d69069b07a764bd9e2508835e7d910d1149095.jpg

20151211193753-8a5863164703fc4d3c24a5c17fb1f01da091546a.jpg

20150603134641-07e5f8358df8eaf602b9261fe035b9c3c2d5d661.jpg

個人的な年賀状。(上)

20160104103735-326ad9264adb8d31ba19630832f52aeea2f5740f.jpg

あらためまして、明けましておめでとうございます。
今年も編集部にたくさんの年賀状を頂戴し、この場を借りて御礼申し上げます。ところで、私個人の年賀状は毎年数百枚、この世界の多くの皆さんにお送りしており、楽しみにしていただいている方も少なくないようです。そこで今年は年頭にあたり、ここ二十数年の私の年賀状をお目に掛けることにいたしましょう。

20160104103816-0fa0cbac8508a12c0ad813a5b6281c515a86ca24.jpg全面カラー写真に年号のロゴをあしらうフォーマットは、ちょうど四半世紀前の1991年に遡ります。インドネシアはジェテ庫のC19、大連埠頭のプレニ、クンブレス・パスのK-36、ライン河上流工事事務所のイエンバッハJW20と、4年ほど簡単な撮影場所と日付だけ記したものでお茶を濁してきたのですが、どうせなら受け取った方に多少なりとも被写体に思いを馳せていただけるようにと、1995年から400字程度の解説を添えるようになり、現在まで形を変えずに続いております。今回はその1995年以降を順にご紹介いたします。

▲宛名面の下に400字程度の解説を入れるようになったのが1995年から。このフォーマットは二十数年間まったく変わっていない。
クリックするとポップアップします。

20160104103859-8025e9568ae6b1fff5cb74dc086941439130be95.jpg
▲解説はクリックするとポップアップします。

当たり前の話ですが、あくまで個人的な年賀状ですから絵柄は個人的にシンパシーを感じる被写体となり、いきおい20年以上にわたってすべてナロー、しかもその大半はインダストリアルという偏狭ぶりです。基本的に海外、それも前年に訪れた地を取り上げてきましたが、こうやって振り返ってみると、その大半はすでに過去帳入りしてしまっており、時の流れを感じずにはいられません。いっぽう、ここにご紹介するように、1995年のギャロッピング・グースが1999年には復活を果たすといった嬉しい展開もありました。

20160104104209-20f001affbe5732d7d64a0a1f83faddd16d71e5d.jpg
20160104104240-c0e4224dd96f6667dd52726409de7be0f8111b02.jpg
▲解説はクリックするとポップアップします。


20160104104349-b78a2e130d661225c4f2a8ddd01537fdb31d6920.jpg
20160104104432-ab978ef3a751ba10f959d772cf5268b4a99fb328.jpg
▲解説はクリックするとポップアップします。


20160104104511-da3ec829ad24e58f2b27bfea43b9fea21597685c.jpg
20160104104539-90fce0ff216561dd1ace5f1cf46e350ffc7a223a.jpg
▲解説はクリックするとポップアップします。


20160104104608-531c5ebeb2c3609ffb1ab864693fa7d00ad14cb5.jpg
20160104104637-423950bd0b2b4f230b26af73fdfc7918fc2e1151.jpg
▲解説はクリックするとポップアップします。


20160104104703-b5cb10fc8d27769af67e4ed6acbd4206f80addfe.jpg
20160104104731-4e30300a9467f85bb48fd1154de350a8c5c36ed0.jpg
▲解説はクリックするとポップアップします。


20160104104801-b3755b9241ef3d784a26affbec4e769e637af5b3.jpg
20160104104830-2cc4efa69652c01c40ee2d9d4deec84a43e3cc34.jpg
▲解説はクリックするとポップアップします。

(※明日に続く)

20151222161801-8b7482bf7dea3a5646594eaa604417ecd5cc2bc2.jpg

20151217180929-66d69069b07a764bd9e2508835e7d910d1149095.jpg

20151211193753-8a5863164703fc4d3c24a5c17fb1f01da091546a.jpg

20150603134641-07e5f8358df8eaf602b9261fe035b9c3c2d5d661.jpg

20151224004839-9bc8da06ea21561ab36ba30dc9f13cf4caa60ce8.jpg

Dagebull(GERMANY)

明けましておめでとうございます。

本年も皆さんにとって、そして鉄道趣味にとって実り多い一年となることを祈念いたしまして、年頭のご挨拶とさせていただきます。

なお小ブログは5日(火曜日)より再開する予定にしておりますので、どうか本年も、本誌ともどもかわらぬご愛読のほどをお願い申し上げます。

2016年元旦

編集局長:名取紀之 敬白

レイル・マガジン

2016年1月   

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
「編集長敬白」が携帯電話でもご覧になれます。下記アドレスもしくはQRコードを読み取ってアクセスしてください。
http://rail.hobidas.com/blog/
natori/m/

ホビダス・マーケット新着MORE

  • 俺がイル
ネコ・パブリッシングCopyright © 2005-2016 NEKO PUBLISHING CO.,LTD. All right reserved.