鉄道ホビダス

2015年1月アーカイブ

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▲登山口駅から見た五剣山。仰向けに寝た人の顔に見えるのが特徴。五剣山の麓「登山口駅」と八栗寺前の「山上駅」間の距離は約700mで、高低差は約170m。木立を抜け、約4分で山上に到着する。P:宮武浩二
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「屋島と八栗 ふたつのケーブル」(アーカイブ参照→こちら)でご紹介した八栗ケーブルが昨年12月28日に開業50周年を迎えました。宮武浩二さんからレポートを頂戴しましたのでご紹介いたしましょう。

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▲開業当時の沿線案内にある鳥瞰図。2輌のケーブルカーの絵が描かれている。手前の屋島は小さく描かれ、ケーブルカーの姿は省略されているのが面白い。提供:宮武浩二
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八栗ケーブルについては戦前の八栗登山鉄道と戦後の八栗ケーブルがありますが、会社的には全く関係はなく、八栗登山鉄道の線路敷を買い取って1964(昭和39)年12月28日に開通したのが現在の八栗ケーブルです。運営する四国ケーブルによると、これまでの乗客数は延べ約2100万人に達するそうです。

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▲登山口駅の1号(左)。全国のケーブルカーが更新される中で開業当時の姿を残している貴重な車輌。流線形のフォルムは、0系がモデル。塗装も、当初は白地に緑のラインを引いた新幹線風のデザインだったという。右は朝日をあびて降りてきた2号車。P:宮武浩二
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開業に合わせて日立製作所が納車したのが現在も現役の1号と2号。外観はユーモラスな前面が個性的で、50年を経た今でも塗装デザインこそ変わったもののそれ以外はまったく変わらず、古き良き時代の姿を残していることから八栗寺の参拝客からも懐かしい雰囲気と喜ばれているそうです。

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▲登山口駅(左)まで観光バスできたお客さんは八栗ケーブルに乗り換えて八栗寺に向かう。お遍路さんの姿が絶えることがないのも他のケーブルにはない光景といえる。昭和初期当時の位置に昭和39年に駅(右)が建設された。背景に見えるのが五剣山。以前はコトデンバスが高松築港から登山口まで結んでいたが、あまり利用者がなく現在では路線バスがないので琴電八栗口駅から歩くことになる。P:宮武浩二
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この八栗ケーブル(社名は四国ケーブル)が開業50周年を記念して地元の特産である庵治石を加工した記念乗車券を発売することになりました。記念切符は縦8㎝、横17㎝で、2台の車輌で結ぶケーブルカーと硬い庵治石をかけて「かたい絆」をテーマに製作したそうです。限定200枚価格は3500円と少し高価ながらも世界的にも高価な庵治石にケーブルカーの図柄を彫り込んだもので人気を呼びそうです。2月1日日曜日午前5時から登山口駅前で発売されます。またこれとあわせて2月1日午前10時からは、八栗寺門前で「八栗聖天だいこん祭り」が初開催され、白みそ仕立ての大根煮が500食ふるまわれる予定です。

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▲2月1日から限定200個発売される記念乗車券。庵治石に50年のデザインとケーブルカーの絵が彫り込まれたもので化粧箱入りで3500円。この乗車券で一往復乗車ができる。シリアルナンバー入り。提供:八栗ケーブル
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八栗寺参拝のために戦前にもケーブルカーが営業していたことは先述しましたが、戦後開通した八栗ケーブルとは会社的には全く無縁なこともあって、戦前の八栗登山鉄道の資料は極めて少なく絵葉書すらほとんど見たことがありません。そこで手元にある八栗登山鉄道の沿線案内から当時を偲んでいきたいと思います。

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▲昭和6年開業当時の沿線案内の表紙 八栗登山鉄道沿線案内。五剣山を背景に手前は源平合戦ゆかりの屋島の戦いを彷彿させる白旗が描かれている。提供:宮武浩二
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▲当時の交通アクセス図にはケーブルカーと乗合バスの案内も具体的に掲載されている。提供:宮武浩二
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八栗登山鉄道は香川県の財界人によって1926(大正15)年に設立され、高松電気軌道(現在の琴電長尾線)と琴平電鉄(現在の琴電琴平線)を後ろ盾に1931(昭和6)年2月15日に開業しました。初代社長は高松電気軌道の北村社長が就任、自らも大株主として経営にあたりました。交通アクセスとなる四国水力電車(現在の琴電志度線)八栗駅から登山口駅まで乗合バスを運行するなど経営の安定に力を注いだようです。

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▲開業当時の山上駅および駅前広場周辺。山上駅も立派な駅舎であった。提供:宮武浩二
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20150130154059-c44d63eca42625ba1bae07b6b80b00f130bd4395.jpgしかし戦時中の不要不急路線の鉄道施設供出指定を受けて1944(昭和19)年2月、開業からわずか13年で事実上の廃業に追い込まれました。終戦とともに隣の屋島登山鉄道は愛宕山鉄道の鋼索線の資材を調達して復活したのに対して、八栗は資材の調達がままならなかったのか復活することができず、1960(昭和35)年12月25日をもって正式に廃止となりました。それから3年たった1964(昭和39)年に新会社を設立して免許を受け復活することになったのが現在の八栗ケーブルです。戦前の八栗登山鉄道を偲ぶものは軌道敷ぐらいで駅舎はまったく新しく作り変えられて昔の面影は残っていません。
▲開業当時の登山口駅。立派な駅舎の上部は五剣山の雄姿が見える。不鮮明ながら当初の車輌が見える貴重なもの。駅前には当時珍しかったシボレーA8人乗り乗用車が見える。最初は北村社長の自家用車で登録番号が「香1号」であった。翌年この車を使用して乗合バスを四国水力電車八栗駅まで開業した。提供:宮武浩二
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▲開業翌年からは四国水力電車八栗駅からケーブル登山口駅まで同社経営の乗合自動車が2台運行された。幌型8人乗り1931年式シボレーA。元は北村社長の私用車であった。提供:宮武浩二
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▲後免町駅構内に残る安芸線時代の蒸気機関車用給水塔横を走る「金太郎塗り」の207号。P:高知の電車とまちを愛する会
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今年初めにお知らせした「とさでん交通」200形207号の「金太郎塗り」(アーカイブ「とさでん交通"金太郎電車"出発式・撮影会を開催」参照→こちら)が無事に完成、111周年に因み、去る1月11日(日)に桟橋車庫において出発式・お披露目が行われました。

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▲鉄道線の安芸線乗り入れ時の方向板「てい」を付けた207号。「てい」は安芸線の途中駅だった「手結」のこと。P:高知の電車とまちを愛する会
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これは高知に路面電車が走り始めて111周年になることを記念して、「高知の電車とまちを愛する会」が企画したもの。実際に復元塗装や信鈴の修復も、同会の手によって行われました。当日は、出発式のあと111周年に合わせて、1月11日11時11分11秒に桟橋車庫から高知駅に向けてお披露目運行が発車しました。

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▲塗色の変遷。左から現役時代の「金太郎塗り」、ツーマン時代の塗装、ワンマン時代の塗装。現在では新しい「とさでん交通」色へ順次塗り替えが行われている。提供:高知の電車とまちを愛する会

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▲ボランティアで207号の塗り替えを行う高知の電車とまちを愛する会のメンバー。右は塗色変更を機に復活を果たした信鈴。提供:高知の電車とまちを愛する会

その後、同会によって同様に提案されたツーマン塗装電車213号と横並びにした撮影会も開催され、「金太郎塗り」電車が活躍していた当時の懐かしい方向板などが取り付けられました。

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▲「ごめん」「朝倉」の方向板も昔のものは色が違う。P:高知の電車とまちを愛する会
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「金太郎塗り」となった207号は、現在では一般運用に入って活躍しています。どの仕業に就くかは決まっていませんので、はりまや橋でウォッチングしてみるのも良いかもしれません。

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▲「金太郎塗り」は一般メディアでも取り上げられて大きな話題となった。提供:P:高知の電車とまちを愛する会
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EF55 鉄道博物館入り。

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▲水上駅の転車台で方転する引退直前のEF55 1。その独特の"表情"はムーミンの愛称を呼び、世代を超えて人気となった。'08.11.29
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先週末、高崎車両センター高崎支所で保存されていたEF55形1号機が大宮へと運ばれ、今週はじめにはJR東日本と鉄道博物館から同機の鉄道博物館入りが発表されました。

EF55 1は1936(昭和11)年日立製作所笠戸工場製(製番636)。折しもこの年の4月26日に旧万世橋駅本屋跡に鉄道博物館(2代目)が開館しており、この2代目鉄道博物館→交通博物館をルーツとする鉄道博物館にとっては、まさに「同い年」の機関車ということになります。

20150128150054-3a4b39daa7806f7405c3ac7342241d523b8e01d0.jpgおらためてご紹介するまでもないかと思いますが、EF55形は世界的な流線型ブームのなかで生まれた国鉄(鉄道省)初の流線型電気機関車で、日立、日車、川車でそれぞれ1輌ずつ、計3輌が製造されました。全機が沼津機関区に配置され、戦前は特急「燕」や「富士」の先頭にたって活躍しましたが、残念ながらそれも長くは続かず、3輌それぞれがどちらかというと幸薄い日々を送ります。

▲高崎車両センター高崎支所手作りのファイナルラン用ヘッドマーク。上越線と信越本線、そしてその中心であった高崎を前頭部の飾り帯に合わせて象形化した秀逸なデザインであった。
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今回鉄道博物館入りする1号機は終戦間近い1945(昭和20)年8月3日に沼津機関区で米軍機の機銃掃射を受けて16カ所破損、2号機はそれより前、1941(昭和16)年7月に品鶴線で衝突事故に遭って大破、3号機は終戦後の1948(昭和23)年12月に二宮駅で自動車と衝突...とどうにも不運が続きます。

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▲"後進"運転を前提としていないだけに2エンド側の運転台はいわゆる回送運転台のような造り。ワイパーも手動式。
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最終的に3号機は1962(昭和37)年に浜松工場でED30 1に改造され、2号機は1964(昭和39)年に廃車、翌年に昭島駅の解体場で解体(『機関車表』 による)、1号機のみ中央鉄道学園の教材として残されました。その後、1号機は高崎第二機関区に返還されて1986(昭和61)年に奇跡の動態復活、2009年1月のさよなら列車までさまざまな名シーンを見せてくれたのはご存知の通りです。

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▲1エンド側の運転台。こちらも極端に狭く、大柄な乗務員は乗務すること自体が無理そう。もちろん手動進段。
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▲レトロな電流計と双針圧力計。「日立製作所」の銘が入った電流計は戦前からのものだろう。
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▲乗務員室天井には戦時中に沼津機関区で被弾した機銃掃射の弾痕が残る。
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▲機械室灯のスイッチ箱。左の列にはエッチング製の「空襲」「警甲」「警乙」のプレートが付く。
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思えば、そのさよなら列車「快速さよならEF55横川」号(9137レ)が発車した高崎駅ではJR東日本高崎支社主催の「EF55ファン感謝祭」が行われ、私もトークショーのゲストとして登壇いたしました(アーカイブ「EF55ファン感謝祭 大盛況」参照→こちら)。本論とは関係ありませんが、駅頭に設けられたステージ上がたいへんな寒さだったのを昨日のように思い出します。

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▲高崎線の普通列車で余生を送っていた頃のEF55 1〔高二〕。前部連結器回りのカバーは外されてしまっており、往年の特急機といえども落ち武者の様相。この2年後には第一次休車となっている。'55.1.16 上野 P:三谷烈弌
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鉄道博物館ではこのEF55をヒストリーゾーン1階に展示する予定で、ゴールデンウィーク前には公開されるそうです。また、展示エリア中央の転車台上への展示も検討中とのことですので、こちらの動向も注目されます。

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▲さよなら運転まで残すところ一か月あまり、名所・第一利根川橋梁(通称・大正橋)にEF55+旧型客車のシルエットが浮かぶ。'08.11.29 渋川-敷島(試9735レ)
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▲冬の日差しを浴びて上野へとラストスパートをかける2列車「北斗星」。'15.1.18 片岡-蒲須坂 P:山下修司
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先週末、JR東日本とJR北海道から、3月ダイヤ改正で定期運行を終了する寝台特急「北斗星」等の4月~9月分の運転計画が発表されました。北海道新幹線開業に向けた総合的な検査・試験及び訓練運転等の実施に伴うもので、臨時寝台特急「カシオペア」と「北斗星」の運転日、急行「はまなす」の運休や時刻変更等が詳らかとなりました。

注目の「北斗星」ですが、4月~8月までの期間で、下り(上野発)56本、上り(札幌発)56本の計112本が計画されています。なお「北斗星」の最終運転日は、上野発が8月21日(金)、札幌発が2015(平成27)年8月22日(土)となります。
■臨時寝台特急「北斗星」の運転日及び運転時刻
○下り
【運転日(上野発基準)】
4/2,4,6,9,11,13,16,18,20,23,25,27,30、 5/7,9,11,14,16,18,21,23,25,28,30、
 6/1,4,6,8,13,15,18,20,22,25,27,29、 7/2,4,6,9,13,16,22,24,26,28,30、
8/1,3,5,7,9,11,17,19,21
【運転時刻】
上野16:20発→大宮16:45発→宇都宮17:48発→郡山19:13発→福島19:52発→仙台20:59発→
 函館6:35着→森7:38着→八雲8:05着→長万部8:29着→洞爺8:59着→伊達紋別9:11着→
 東室蘭9:32着→登別9:48着→苫小牧10:20着→南千歳10:40着→札幌11:15着
※3/13(上野発基準)までは、定期列車として毎日運転
 ※3/14~4/1(上野発基準)は運転日の設定はない
 ※上野発の最終運転日は、2015(平成27)年8月21日(金)となる
○上り 【運転日(札幌発基準)】
4/3,5,7,10,12,14,17,19,21,24,26,28、 5/1,8,10,12,15,17,19,22,24,26,29,31、
 6/2,5,7,9,14,16,19,21,23,26,28,30、 7/3,5,7,10,14,17,23,25,27,29,31、
8/2,4,6,8,10,12,18,20,22
【運転時刻】
札幌16:12発→南千歳16:46発→苫小牧17:06発→登別17:37発→東室蘭17:57発→
 伊達紋別18:29発→洞爺18:43発→長万部19:15発→八雲19:51発→森20:18発→
 函館21:12発→仙台4:33着→福島5:36着→郡山6:15着→宇都宮7:50着→大宮9:00着→
 上野9:25着
※3/13(札幌発基準)までは、定期列車として毎日運転
 ※3/14~4/2(札幌発基準)は運転日の設定はない
 ※札幌発の最終運転日は、2015(平成27)年8月22日(土)となる

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▲"北斗星以後"もその姿を見ることができる「カシオペア」。東大宮-蓮田 '13.5.24 P:福元貞人(『お立ち台通信』vol.15より)
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いっぽう、「カシオペア」については4月~9月までの期間で、下り(上野発)74本、上り(札幌発)75本の計149本の運転が予定されています。
■臨時寝台特急「カシオペア」の運転日及び運転時刻
○下り 【運転日(上野発基準)】
4/3,5,7,10,12,14,17,19,21,24,26,28、 5/1,5,8,10,12,15,17,19,22,24,26,29,31、
 6/2,5,7,9,12,14,16,19,21,23,26,28,30、 7/10,14,17,21,23,25,27,29,31、
 8/2,4,6,8,10,12,16,18,20,22,24,26,28,30、 9/1,4,6,8,11,13,15,18,20,22,25,27,29
【運転時刻】
上野16:20発→大宮16:45発→宇都宮17:48発→郡山19:13発→福島19:52発→仙台20:59発→
 一ノ関22:08発→盛岡23:16発→函館6:35着→森7:38着→八雲8:05着→長万部8:29着→
 洞爺8:59着→伊達紋別9:11着→東室蘭9:32着→登別9:48着→苫小牧10:20着→
 南千歳10:40着→札幌11:15着
○上り 【運転日(札幌発基準)】
4/1,4,6,8,11,13,15,18,20,22,25,27,29、 5/2,6,9,11,13,16,18,20,23,25,27,30、
 6/1,3,6,8,10,13,15,17,20,22,24,27,29、 7/1,11,15,18,22,24,26,28,30、
 8/1,3,5,7,9,11,13,17,19,21,23,25,27,29,31、 9/2,5,7,9,12,14,16,19,21,23,26,28,30
【運転時刻】
札幌16:12発→南千歳16:46発→苫小牧17:06発→登別17:37発→東室蘭17:57発→
 伊達紋別18:29発→洞爺18:43発→長万部19:15発→八雲19:51発→森20:18発→
 函館21:12発→仙台4:33着→福島5:36着→郡山6:15着→宇都宮7:50着→大宮9:00着→
 上野9:25着

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▲海沿いの築堤を行く上りED79牽引「はまなす」。瀬辺地-蟹田 '14.8.17 P:赤松謙一 (「お立ち台通信」より)

急行「はまなす」については期間中、上下計18本の列車が運休となり、札幌発青森行き上り列車は、函館~青森間で時刻を変更して運転を行う日を設定です。
■急行「はまなす」の運休日・時刻変更
○下り 【運休日(青森発基準)】
5/3~5、 7/13,20,21、 8/14~16
○上り 【運休日(札幌発基準)】
5/2~4、 7/12,19,20、 8/13~15
【時刻変更日(札幌発基準)】
4/1~30、 5/1,5~10,23,24、 6/7,13~15、7/22,26,31、 8/1~12,16~31、 9/1~30
※函館発と青森着時刻が変更となる
【運転時刻】
札幌22:00発→新札幌22:11発→千歳22:36発→南千歳22:41発→苫小牧23:04発→登別23:35発→
 東室蘭23:52発→伊達紋別0:17発→長万部1:03発→函館2:52着
 函館3:22発→青森5:39着(所定)
 ↓
 函館3:56発→青森6:19着(変更)
※この時刻変更により、翌朝、新青森から東北新幹線「はやぶさ4号」(新青森6:17発→東京9:23着)には乗り換えできないため、「はやぶさ8号」(新青森6:49発→東京10:28着)の利用となる。

※明日は不在のため休載させていただきます。

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1953(昭和28)年に発足した鉄道友の会が、60周年を記念して後世に残る60年史を編纂されているのはかねてよりお聞きしておりましたが、このたびついにその60年史が完成し、さっそく拝見いたしました。『鉄道友の会60年のあゆみ』と題された立派な装丁の本はA4判128ページの上製本。鉄道友の会のみならず、わが国の鉄道趣味の歩みそのものを克明に振り返るたいへん意義ある一冊となっています。

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▲『鉄道友の会60年のあゆみ』の目次(左)。5年をひとつの章として経年順に展開されている。右は歴代ブルーリボン賞の受賞式のグラフ。 (『鉄道友の会60年のあゆみ』より)
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実は十年前には『鉄道友の会半世紀のあゆみ』が上梓されていますが、少部数であったため広く目につくことはありませんでした。今回は内容的にもより広範囲に鉄道と鉄道趣味全般の動向を盛り込もうと編纂委員会が立ち上げられ、編纂委員長には鉄道史研究で知られる白土貞夫さんが就任されています。60年を5年毎のバンドで12章に分け、さらに"有史前"ともいえる1952(昭和27)年以前の1章を加えた13章構成で、各章が「鉄道友の会のあゆみ」、「鉄道趣味界の動向」、「鉄道略史」の3項目に分けられています。

20150123164638-8abbacd79f0e9f90d5c1c3f7113048b222e857d6.jpg興味深いのは各所に散りばめられたコラムで、「ブルーリボン賞制度がどうしてできたか」や「"鉄道の日"制定のとき」等々、最当事者自らの述懐が記されており、後世に残す史料としても非常に価値あるものとなっています。なかには「鉄道趣味顕賞の功罪」といった本来は語りにくい部分にまで言及しているコラムもあり、企業の「社史」とは違った清々しさも感じます。なお、巻末には資料編としてブルーリボン賞をはじめとした各賞の受賞一覧、支部製作のグッズや記念乗車券の一覧なども収録されています。

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▲第1章は「前史」として幕末期からの動向を振り返る(左)。鉄道史の"通史"としてもおおいに役立とう。右は第2章の冒頭を飾る鉄道友の会設立の「趣意書」。 (『鉄道友の会60年のあゆみ』より)
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「鉄道史」と同様に「鉄道趣味史」もきちんと後世に残さねばならないと常々おっしゃっておられたのは青木栄一先生です。戦前から活躍されてきた先人の皆さんから直接聞き取りをされ、趣味の"潮流"といったものを体系的に纏められようとしてこられました。1970年代後半には東京学芸大学で「鉄道趣味史」をテーマとした自主ゼミも催しておられ、私も聴講生として小金井のキャンパスに通ったことを思い出します。

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▲鉄道友の会自らが製作したカラフルな記念券の数々(左)。各章の関連写真は各頁下にまとまられている(右)。 (『鉄道友の会60年のあゆみ』より)
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今回の『鉄道友の会60年の歩み』は、鉄道友の会というインナーグループの歩みのみならず、わが国の鉄道趣味が歩んできた道のりそのものを可能な限り記録しようと努めたのが出色で、まさに「鉄道趣味史」の基礎資料そのものと言っても過言ではありません。

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▲巻末には19頁にわたって支部を含めた行事などの年表が収録されている。 (『鉄道友の会60年のあゆみ』より)
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市販目的で製作されたものではないため、基本的に販売はされないそうですが、「半世紀のあゆみ」の轍を踏まないように若干の余裕があるそうで、ご希望の方には実費頒価で分けてくださるそうです。
■『鉄道友の会60年のあゆみ』
頒価:6500円+送料500円=7000円
※現金書留もしくは郵便振替で購入希望の旨を明記して下記へ。
〒102-0074 東京都千代田区九段南4-7-16
          第5DMJビル3階
         鉄道友の会本部事務局「60年史」係
TEL:03-5215-0305(平日10時~17時・昼休みあり) FAX;TELに同じ
郵便振替口座 00100-4-18188(加入者名:鉄道友の会)

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▲昨年の営業運転開始直後の「きかんしゃトーマス号」。'14.7.13 福用―大和田 P:西村典恭 (「今日の一枚」より)

昨年は「きかんしゃトーマス号」の運転で大ブレークした大井川鐵道ですが、今年はなんと「きかんしゃトーマス号」に加えて「ジェームス号」も登場することが決まりました。

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▲新金谷で客車と連結する「きかんしゃトーマス号」。客車も専用色に塗色変更された。'14.9.5 新金谷 P:RM
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昨年、アジアで初めて登場した本物の蒸気機関車「きかんしゃトーマス号」は、日本のみならず世界の話題ともなりました。乗車予約のために大井川鐵道のHPサイトはパンク状態、まさにプラチナチケット化したそうです。申し込まれる方のなかには、ところで大井川鐵道ってどこ? といった方さえおられたそうで、トーマスファンの熱気にはあらためて脱帽です。

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▲千頭駅構内で「ヒロ」と並んで撮影タイム。今年はジェームスとのツーショットも期待される。'14.9.5 千頭 P:RM
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一方、古くからの蒸機ファンからは少なからず疑問の声がわき上がったのも無理からぬことでしょう。しかし、運転が始まってみるとそんな雰囲気も一変...大井川にはここ数年ご無沙汰をしていたというベテランファンまでもが詰めかける賑わいとなりました。これもひとえにトーマスならではの"人徳"なのかもしれません。

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▲新金谷の転車台に載る「きかんしゃトーマス号」。今年は6月7日から運転が始まる。'14.9.5 新金谷 P:RM
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実は今年は「きかんしゃトーマス」誕生70周年の記念すべき年にあたり、本国イギリスでもさまざまなイベントが計画されています。70年もの長きにわたって愛されてきたトーマスやジェームスに会いに、今年はこれまでとは違った大井川鐵道を訪ねてみるのも一興ではないでしょうか。

(運転日数と本数)
トーマス号 期間中ののべ74日間、148本                   ジェームス号 期間中ののべ16日間、32本
(運転日) 2015(平成27)年6月7日(日)~10月12日(月)の以下の日
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(運転区間)
大井川鐵道 新金谷(静岡県島田市)~千頭(静岡県川根本町)
(運転時間)
トーマスの日  千頭行きトーマス号  新金谷10:38発 → 千頭11:51着
        新金谷行きトーマス号  千頭14:10発 → 新金谷15:27着
ジェームスの日 千頭行きジェームス号 新金谷10:38発 → 千頭11:51着
        新金谷行きジェームス号 千頭14:10発 → 新金谷15:27着
トーマスとジェームスの日
        千頭行きジェームス号 新金谷10:00発 → 千頭11:13着
        新金谷行きジェームス号 千頭13:39発 → 新金谷14:53着
        千頭行きトーマス号  新金谷10:38発 → 千頭11:51着
        新金谷行きトーマス号 千頭14:10発 → 新金谷15:27着
(予約方法)
●大井川鐵道株式会社公式ホームページよりメールフォームのみの受付、受付後 抽選。
(予約開始日)
原則として乗車日の125日前(およそ4か月前)の「14時から翌日13時まで」の受付。
(トーマス号、ジェームス号の乗車料金)
2015(平成27)年運転分からSL急行料金に変わって、トーマス・ジェームス料金を新設。乗車には運賃+トーマス・ジェームス料金が必要。
<表記は片道単位>
新金谷~千頭
大人1名運賃 1,720円 + トーマス・ジェームス料金 1,000円
合計 2,720円
小人1名運賃  860円 + トーマス・ジェームス料金 500円
合計 1,360円
*期間中、金谷~千頭で臨時電車を運転予定。

資料提供:大井川鐵道株式会社
(c)2015 Gullane (Thomas) Limited.

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▲特別修繕を終えて大榮車輌から出場し、京成津田沼第二工場に陸送される新京成モハ121。この頃の大榮車輌の工場は本線と線路が接続しておらず、入出場は短距離ながらも陸送にたよっていた。 (RMライブラリー『『大榮車輌ものがたり』下巻より)
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3ヶ月にわたり刊行してまいりました稲葉克彦さんによるRMライブラリー『大榮車輌ものがたり』の完結編となる下巻が完成しました。

20150121181949-4d46926b8071c891582c540d88eb1713e1f83fd7.jpg大榮車輌は戦後直後の1946(昭和21)年、東京・城東区(現・江東区)大島町三丁目で創業した鉄道車輌メーカーです。当初は農機具などを製造していましたが、創業の翌年には都電や京成電車の戦災復旧などから鉄道車輌業界に参入しました。そして1952(昭和27)年には千葉県・津田沼に移転、以後、地元京成電鉄やその系列会社の車輌を中心に、数多くの車輌の修理や更新、そして時には新造まで行ったのです。
本書上巻では創業から昭和30年代までを、続く中巻では昭和40年代のあゆみを収録しましたが、今回の下巻では昭和50年代から平成13年の操業終了までをまとめています。大榮車輌が得意とした車体新造による半鋼製車の全鋼化は昭和40年代中ごろには終了し、その後は全鋼製車の特別修繕が中心となっていきます。一方、津田沼駅周辺の都市化が進み、京成関連の工場機能は移転することになります。まず、1979(昭和54)年には新京成電鉄くぬぎ山車両検修場が完成し、新京成電鉄の車輌の検査・修繕は津田沼からくぬぎ山に移管されます。そして1982(昭和57)年には京成電鉄宗吾工場が完成し、それまでの津田沼第二工場の機能が移転することになりました。京成津田沼第二工場とともに歩んできた大榮車輌も、これに合わせて宗吾工場の構内に工場機能を移転することになったのです。

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▲昭和50~57年の受注実績。変わったところでは日本ケーブルから受注している「新潟展望台チェーン交換」や富士急行からの「日本ランドSL機関車車輪交換」などがある。 (RMライブラリー『『大榮車輌ものがたり』下巻より)
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▲昭和50年代に入ると赤電の更新修繕が行われるようになった。当初、車体デザインは原型に近い形で行われていたが、その後、前灯位置の変更などデザインの変更を伴うものとなった。 (RMライブラリー『『大榮車輌ものがたり』下巻より)
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宗吾・くぬぎ山移転後も引き続き京成・新京成の車輌の検査・修繕を行ってきた大榮車輌でしたが、1990(平成2)年には久々の車体新造の仕事を受注します。初代AE形から更新される3400形でした。さらに1995(平成7)年からは3500形の更新修繕を受注、こちらも前面の形状や側面の窓配置を変更するという大がかりなもので、大榮車輌の技術力の高さを示すものでした。しかし、これが結果として大榮車輌としては最後の仕事となったのです。

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▲宗吾移転後初の車体新造となった3400形の新造。各部の鋼体を製作後に6面体を組み立てるブロック工法が採用された。 (RMライブラリー『『大榮車輌ものがたり』下巻より)
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これまでほとんど顧みられることのなかった中堅鉄道車輌メーカーの盛衰をまとめた本書、ぜひ上・中巻とともに書架にお揃えください。なお、2月発売の第187巻は清水 武さんによる『名鉄木造車鋼体化の系譜』をお届けする予定です。こちらもお楽しみに。

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江ノ電100形を見る。(下)

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▲保管庫から顔を出した108号の横をすり抜けてゆくありし日の304F。304Fは100形106、109号を種車としているので、いわば兄弟の出会いシーン。'00.3.25 極楽寺
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実は私は江ノ電100形が現役で走る姿を見たことはありません。1970年代の何回かの訪問時には、残された107号と108号はいつも江ノ島や極楽寺の側線で休車状態となっていました。

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▲専用の保管庫を誂えてもらい幸せな余生を送る"タンコロ"108号。ちなみに、前サボの意匠はそれぞれ意味があり、この「鎌倉」の場合は四方の黄色い部分が鶴岡八幡宮の大イチョウを表現しているという。'00.3.25 極楽寺
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20150119191851-2ab3f59405e03144305e2d9051c224af027b132e.jpg昭和30年代に入ってホームの嵩上げが行われ、それまで路面電車然としたステップが備えられていた側出入口も鉄道線らしく改造されましたが、なぜか連結器は軌道時代(1944年まで)を踏襲して装備されておらず、他車との連結運転ができないのも大きなハンディとなっていたようです。昭和30年代前半までに連接車300形の種車となったり、廃車解体されたりして、残ったのは105、107、108、110号の4輌。さらにその後、105、110号は部品取りとなり、最期に残された107号と108号も1980(昭和55)年に廃車処分となってしまいました。
▲"DICK KERR"のパテントが輝く108号のコントローラー。東洋電機製。'00.3.25 極楽寺
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▲108号の車内。ミュージアム・コンディションと言っても良いほどに修復されている。'00.3.25 極楽寺
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昨日ご紹介したように107号は鎌倉市に引き取られて保存され、108号は江ノ電自身が歴史遺産として修復して極楽寺車庫に専用の保管庫を新設して保存しています。数ある保存車輌のなかでも、博物館以外でわざわざ専用の保管庫まで誂えてもらっているのは異例で、108号はけだし幸せ者と言えましょう。

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▲108号の35年前、現役時代末期の姿。107号とともに、保安装置搭載の困難さなどから、最終的には車籍を失うこととなった。'80.4.20 極楽寺
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▲110号の断末魔の姿。主電動機をはじめ部品を供出して極楽寺車庫の片隅に哀れな姿を晒していた。'76.12.27 極楽寺
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▲最後に三谷烈弌さんの遺作から現役で活躍していた頃の116号をご覧にいれよう。戦前の玉川線の余剰車体と京浜電鉄から譲受した台車を組み合わせたもので、これも100形に一括りされていた。1958(昭和33)年廃車。'52.8 P:三谷烈弌
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江ノ電100形を見る。(上)

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▲鎌倉海浜公園由比ヶ浜地区の多目的グラウンドに保存されている江ノ電107号。海岸沿いの国道134号線側から見た状況で、潮風が直接当たる厳しい保存環境ではある。'15.1.17
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"タンコロ"の愛称で親しまれる江ノ電100形108号は、極楽寺検車区の片隅に建てられた専用の保管庫でたいせつに保存されており、年に一回「江ノ電タンコロまつり」の際は一般公開されてたいへん賑わいます。

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▲サッカーなどが行われるグラウンドの片隅ということもあってか、車輌の全高に近いフェンスに覆われている。鎌倉市のHPによると雨天以外の9時から16時まで車内を開放しているとのことだったが、この日は残念ながらフェンスは施錠されたままだった。'15.1.17
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そんな100形でもう1輌保存されているのが107号です。108号とともに最後に残された100形の1輌で、1931(昭和6)年新潟鐵工所製。1980(昭和55)年12月に引退するまで実に半世紀にわたって古都・鎌倉の街を走り続けてきた古豪です。引退後、江ノ電ファンクラブの皆さんの尽力で解体を免れて鎌倉市に寄贈され、現在では鎌倉海浜公園由比ヶ浜地区の多目的グラウンドの片隅に保存されています。

20150119005734-e1004068a4382bcdebde02820123e23dc535fd53.jpg球技場に隣接しているためボールが当たるのを防ぐ役目も担っているのでしょうか、保存車輌としては異例の厳重なフェンスが設けられており、残念ながらすっきりとした車輌写真を撮影することはできませんが、ポールに換装された車体は数年前に塗り替えられたようで決して状態は悪くありません。
▲新潟鐵工所製のNDE-1台車がほぼ原形のまま残る。車体標記の"EKS"は江ノ島・鎌倉・Sightseeingの略。'15.1.17
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▲保存にあたっては集電装置がポールに取り換えられている。連結器を装備していない点に注意。'15.1.17
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100形は江ノ電初のボギー車として1929(昭和4)年に最初の4輌(101~104)が誕生、以後117号までの大ファミリーを築きますが、その陣容はまさに混沌としており、複数のメーカーによる新製グループがあるかと思えば、譲渡車を編入して同形式としたものもあり、さらには111・112号のように納涼電車だったものもあります。言うなればボギー車はすべて100形に纏めたというのが実態でした。

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▲107号最後の年のひとコマ。この年の年末にさよなら運転が行われた。なお、左の300形も100形を改造して誕生している。'80.4.20 江ノ島
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▲江ノ島の側線で休車中の107。集電装置はZパンタを装備していた。'80.4.20 江ノ島
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現在残っている107号と108号はともに1931(昭和6)年に新潟鐵工所で製造されたグループ(106~110)に属し、路面電車然としたスタイルが何とも愛らしい小型車です。

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▲107号の竣功図。100形はそれぞれ出自が異なり複雑な遍歴を持つだけに車輌竣功図も号車ごとに作成されていた。形式が106となっている点にも注意。
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鍛冶屋線跡を訪ねて。

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▲市原駅跡に保存されているキハ30の2連。2010(平成22)年に地元出身の絵本画家・吉田稔美さんがデザインしてカラフルなイラスト列車に変身した。作者名は渡り板にサインされている。'14.12.21 P:宮武浩二
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加古川線には播丹鉄道をルーツとする4つの支線がありました。高砂線、三木線、北条線、そして鍛冶屋線ですが、第三セクターの北条鉄道として生き延びた北条線以外の3線はいずれも廃止の運命を辿ってしまいました。

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▲ホームに停車中の姿で保存されている。手前がキハ30 72、後ろがキハ30 7。'14.12.21 P:宮武浩二
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高砂線については先月発売の本誌「トワイライトゾ~ン」で多賀章善さんが「国鉄高砂線廃止から30年」と題してレポートしてくださっていますが、今回はお馴染みの宮武浩二さんが鍛冶屋線跡の現状をお送りくださいました。

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▲鍛冶屋線市原駅記念館の全景。ここ市原駅と鍛冶屋駅が記念館として活用されている。'14.12.21 P:宮武浩二
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▲市原駅記念館にはさよなら列車のヘッドマークをはじめ、鍛冶屋線ゆかりの品々がきちんと整理されて展示されている。'14.12.21 P:宮武浩二
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鍛冶屋線は加古川線野村駅から鍛冶屋駅まで13.2㎞を結んでいた盲腸線で、1923(大正12)年の全通時点では"本線"の終点に位置していました。しかし翌1924(大正13)年末に野村~谷川間が開通、谷川駅で福知山線との接続を果たしたためこちらが本線となり、逆に野村~鍛冶屋間は支線となってしまったのです。以後、国鉄時代、JR時代を通して加古川線の支線のひとつとして常に存廃の狭間に立たされてきました。

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▲星の遊歩道として整備された羽安町内の廃線跡。'14.12.21 P:宮武浩二
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▲旧中村町駅跡も公園として整備されている(左)。右は加古川線との分岐点であった旧野村駅。1990(平成2)年に西脇市駅と改称して現在に至っている。'14.12.21 P:宮武浩二
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▲星の遊歩道の説明板(左)と鍛冶屋駅から西脇方面にのびる廃線跡。こちらも一部遊歩道として整備されている。'14.12.21 P:宮武浩二
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そんな鍛冶屋線が廃止されたのは、JRに承継されて3年後の1990(平成2)年4月1日のことでした。今春で廃止25年、四半世紀。駅舎が鉄道資料館として活用され、車輌も良好な状態で保存されているなど、鍛冶屋線が地元の人たちにとってどれほど愛されていたかがうかがい知れます。

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▲鍛冶屋駅ホームに保存されているキハ30 69。駅舎周辺は道路がロータリー化されている。なお車内は非公開。'14.12.21 P:宮武浩二
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▲正面から見た旧鍛冶屋駅駅舎。現在は鍛冶屋駅記念館となっている。駅舎後ろのホーム側にはキハ30 69が保存されている。'14.12.21 P:宮武浩二
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▲旧鍛冶屋駅の正面ロータリー(左)。駅前らしい雰囲気が残り、今でも列車が発着しているような錯覚に陥る。右は駅裏手から見たキハ30。現役当時を彷彿させる姿を見ることができる。'14.12.21 P:宮武浩二
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私の「1975年」。

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東武ED5019 1975年4月5日 上白石 上白石は日鉄専用線との接続駅で、葛生~上白石間はタブレット閉塞でした。P:古村 誠
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一昨日の「1975年から40年」はさまざまな方から反響を頂戴しました。いつもレスポンスをいただく古村 誠さんからは、これまた懐かしい私鉄電機の「1975年」をお送りいただきましたのでお目に掛けましょう。

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東武ED4012 1975年4月5日 葛生 葛生は石灰石をはじめ多くの貨物があり、終日入換えで賑わっていました。P:古村 誠
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ブログの懐かしい写真の数々、ありがとうございます。私の1975年は高校三年生。本来なら受験勉強にいそしまなければいけなかったはずですが近場でチョクチョク撮っていました。名取さんのブログに載っている事柄以外でもう一つ思い出すのが、「私鉄の電機がまだまだ元気」だったことです。東京近郊だけでも東武、西武、秩父鉄道...みな元気が良かったのが思い出されます。

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秩父ED38 3 1975年10月17日 秩父 今や関東私鉄唯一の貨物輸送となってしまった秩父鉄道。40年前はED38やディッカーの天下でした。P:古村 誠
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西武E42 1975年10月17日 吾野 西武は博物館級の輸入電機がたくさんいました。P:古村 誠
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西武(西武建設)加藤のスイッチャー 1975年10月17日 吾野 吾野のホッパーで働くカトー君。当時でもすでに珍しい存在でした。吾野のホッパーは今でも残っています。P:古村 誠
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JR九州305系電車登場。

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▲「人にやさしく、環境にやさしいスマートトレイン」をコンセプトとした305系直流通勤型電車。編成番号は「W」が冠された。'15.1.8 唐津車両センター P:RM(伊藤真悟)
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JR九州は、このほど筑肥線に305系直流通勤型電車を導入、去る1月8日に報道関係者向けの公開が行われました。筑肥線に新車が投入されるのは303系以来、実に15年ぶりのことです。

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▲クハ305形。西唐津方の制御車で1号車。定員は128名。同車のみ客室の床が木のフローリングとなっている。JR九州では初めて押しボタン式開閉ドアを採用した。'15.1.8 唐津車両センター P:RM(伊藤真悟)
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報道公開された305系は、1本目となるW1編成で、西唐津方からクハ305-1+モハ305-1+モハ304-1+モハ305-101+モハ304-101+クハ304-1の6輌、編成定員は851名(座席291名、立席560名)となっています。

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20150114173901-57732b56185f255a7c5908d0be6763174063698e.jpgコンセプトは「人にやさしく、環境にやさしいスマートトレイン」で、車内の冷暖房効果を高めるために、JR九州では初めて押しボタン式開閉ドア(JR九州ではスマートドアと呼称)を採用しています。押しボタン開閉の対象区間は筑肥線の美咲が丘~西唐津間で、長時間停車する場合のみ下山門~筑前前原間でも使用できます。
▲大型液晶画面は、停車駅・ホーム設備案内以外にドアの開閉説明も表示する。'15.1.8 唐津車両センター P:RM(伊藤真悟)
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▲1号車の客室内。床がフローリングされているのが特徴。優先席は背もたれ部を白にして明確化している。'15.1.8 唐津車両センター P:RM(伊藤真悟)
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▲5号車の客室内。2~6号車とも共通でホワイトを基調とした明るい空間としている。7人掛けの腰掛は両側2席がヘッドレスト付き。なお、腰掛の柄は全部で11種類ある。'15.1.8 唐津車両センター P:RM(伊藤真悟)
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内外装ともデザインは水戸岡鋭治さんが担当。ホワイトを基調としており、西唐津方先頭車の1号車の床には唐津への観光気分を湧き立てるために木のフローリングを採用しているとともに、防音車輪、密閉式モーター、スクロール式空気圧縮機を採用することで車内の静音を向上して快適な車内空間を提供しています。

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▲1号車の運転台背面。303系と異なり、仕切扉は一番助士側に配置されている。'15.1.8 唐津車両センター P:RM(伊藤真悟)
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また、バリアフリー・ユニバーサルデザインを追及し、各車に車椅子・ベビーカースペースを配置しているとともに、視認性のよい大型の液晶式画面で停車駅やホームの設備案内やスマートドアの操作説明をするほか、非常通報装置を各車4ケ所(103系1500番代は各車1ケ所)に増設しています。

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▲クハ305形の4位側には車椅子・ベビーカースペースを設置している(左)。303系クハ303形は4位側に車椅子対応トイレを設置しているが、クハ305形は3位側に設置している(右)。'15.1.8 唐津車両センター P:RM(伊藤真悟)
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さらに、高効率の駆動用モーター(永久磁石同期電動機)採用により消費電力量を削減(103系1500番代と比較して約57%、303系と比較して約85%)し、客室照明にLEDを採用することで環境性能を向上させています。

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▲各車とも後位に車椅子・ベビーカースペースを設置している。'15.1.8 唐津車両センター P:RM(伊藤真悟)
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▲客室内の側扉にはさまざまな表情の"くろちゃん"が描かれている。'15.1.8 唐津車両センター P:RM(伊藤真悟)
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この305系は6編成の計36輌が投入され、2月5日から順次営業運転に投入する予定となっており、既存車輌と同様に福岡市地下鉄空港線(福岡空港~姪浜間)と相互直通運転を行います。
なお1月31日には、唐津~筑前前原間で試乗会の実施が予定されています(既に募集締切)。一般営業運転開始前に305系を見るよい機会となるでしょう。

取材協力:九州旅客鉄道株式会社

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「1975年」から40年。

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▲国鉄蒸機最後の年の春、石北本線では残されたD51が最後の活躍を続けていた。通称「三角山」より金華方を見下ろす。'75.3.27 金華−常紋(信)
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「ジャネーの法則」というものがあるそうです。フランスの心理学者ピエール・ジャネが説いた心理学の法則で、「年齢とともに1年がどんどん早くなっているような気がする」のは、50歳の人にとっての1年は人生の50分の1だが、5歳の人にとっては5分の1に相当する(年齢の逆数に比例する)ことに起因するというものです。専門ではないので詳しいことは判りませんが、なるほどそう考えると加齢とともにどんどん1年が短く感じられるようになるのも納得です。

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▲上野で発車を待つEF57 7〔宇〕。宇都宮運転所のEF57はすでにEF58と共通運用となっていたものの、まだ「八甲田」「津軽」「新星」など急行を含むA11~A21の11仕業を受け持っていた。'75.8.17 上野
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昨日は成人の日。今年の新成人は阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件のあった1995(平成7)年生まれですが、その倍数の過去、つまり40年前というと1975(昭和50)年で、国鉄本線無煙化の年にあたります。そう、国鉄本線上から現役蒸機の煙が消えて40年にもなるのです。

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▲もちろん上越新幹線はまだ陰もかたちもなく、上越線はL特急「とき」や急行「佐渡」が席巻していた。'75.8.17 上野
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▲東北・常磐線はまさに特急街道だった。上野に到着した「はくつる」(左)と「はつかり」(右)。'75.8.16 上野
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時間軸上にエポックを置いてみると愕然としますが、その40年前の1975年を今と捉えてその40年前を折返してみると、時は1935年、昭和10年となります。つまり、あの国鉄本線無煙化の年に昭和10年(丹那トンネル完成直後)を振り返っているのと同じで、あらためてその後の40年の速さに驚かざるをえません。

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▲1列車「さくら」で始まる東海道本線東京口の"ブルトレアワー"も日常の光景だった。夏の夕日を浴びてEF65 530〔東〕の牽く「はやぶさ」が西を目指す。'75.8.16 有楽町付近
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今回は手元のネガから40年前、1975(昭和50)年の画像をオムニバス調でお目にかけましょう。北海道内だけとなってしまったとはいえ、まだ国鉄蒸機は現役で、C57、C58、9600、D51、C11の姿を見ることができました。首都圏ではEF57の人気が高まり、後年人気を博すEF58は東北筋ではゴナナを追い落とす敵役のように見られてさえいた時代です。

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▲3023M特急「あまぎ2号」の157系。伊豆特急では157系が最後の活躍を続けていた。翌1976(昭和51)年に「あまぎ」廃止を受けて形式消滅。'75.10.25 東京
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16時30分発の「さくら」で幕を開ける東海道本線東京口の寝台特急群は名門・東京機関区のEF65Pが先頭を務め、「ひばり」「とき」「ひたち」などL特急がひっきりなしに上野を発着していました。いっぽうで73形をはじめとした旧型国電も総武本線、南武、横浜、鶴見、青梅、五日市の各線で現役で、満員の通勤・通学客を載せた"旧国"が盛大な吊り掛け音を響かせて活躍していました。

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▲東海道本線もまだまだ"ゴハチ"の天下だった。宮原区と浜松区の重連、しかも4パンタグラフを上げたこの荷35レは汐留(貨)仕立てで15時24分品川発。多くのファンの被写体となった。'75.8.16 大井町付近
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▲首都圏でもまだ旧型国電が通勤輸送に活躍していた。クモハ73520を先頭にした南武線の73系4連。'75.10.25 川崎
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国鉄ばかりでなく、例えば王滝森林鉄道が運転を終了したのもこの年の5月でした。
国鉄本線無煙化から30年を期に本誌誌上で広田尚敬さんの「30年目のカウントダウン」を連載してからでも10年...「ジャネーの法則」ではないですが、今年もいよいよ加速度を増して過ぎてゆくのかも知れません。

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▲木曽森林鉄道として親しまれた王滝森林鉄道も5月30日のおわかれ運転まで現役だった。ただし、その後も一部の支線では運転が続いていた。'75.9.4 上松運輸営林署
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▲市街中心部を行く207号。1952(昭和27)年製で、すでに還暦を超えた大ベテラン。'09.5.2 堀詰-はりまや橋 P:高橋一嘉
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高知の路面電車は昨年10月1日に「とさでん交通」に生まれ変わりましたが(アーカイブ「生まれ変わる土佐電気鉄道を訪ねて」参照→こちら)、今年は1904(明治37)年5月2日に高知で路面電車が走り始めて111周年となり、これを記念して200形207号がいわゆる「金太郎塗り」に変身して今週末にお披露目が行われます。
これはこれまでにもさまざまなサポートを行ってきている「高知の電車とまちを愛する会」の発案で、過去の塗装を復活させることで、これからも路面電車を高知の顔として大切にし、利用促進につなげるようと企画されたものです。

20150109151120-94853762a3c9fb4390ecff6dfc9ee4aadd6ec476.jpgあらためてご紹介するまでもなく、いわゆる「金太郎塗り」は1949(昭和24)年に国鉄の80系電車で導入されたもので、正面の塗り分けが金太郎の前掛けに似ていることに由来します。明快なこの塗り分けは全国に波及し、土佐電気鉄道でも昭和20年代後半にこの「金太郎塗り」を採用、以後長年にわたって高知の"顔"として親しまれてきました。
▲現役時代の土佐電鉄金太郎塗り。'54年頃 P:谷澤潤二

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▲高知の電車とまちを愛する会メンバーのボランティアによる塗装作業。金太郎部を描く。P:高知の電車とまちを愛する会
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今回「金太郎塗り」への塗色変更が施されたのは200形207号。1952(昭和27)年に日立製作所で製造された車輌で、現在でも非冷房、床が登場時のままで、木の板張りになっている原形に近い車輌です。なお、同車が「金太郎塗り」となっていたのは昭和20年代後半~30年代前半にかけて。以後は白帯が入り、その後、本来の「金太郎塗り」は単車に残るのみとなってしまいました。

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▲基準線をケガいて慎重に番号を書き入れる。P:高知の電車とまちを愛する会
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▲「土佐電気鉄道」の社紋はステンシルを使って書き入れる。P:高知の電車とまちを愛する会
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今回は復元塗装と合わせて、信鈴についても紐を取り付け音が鳴るように修復されているそうです。これら金太郎塗りを復元するための塗装、信鈴の取り付けなどは、高知の電車とまちを愛する会の皆さんがボランティアで行なわれたとのことで、その熱意には頭が下がります。

20150109151307-ff770ba26a65485e7ddb69f34625b6781030f17a.jpg金太郎電車は、とさでん交通桟橋車庫において、111周年に合わせて、1月11日11時11分に桟橋車庫を出発、高知駅に向かいます。また、11時50分ごろからは、運行当時の懐かしい方向板等も取り付け撮影会が実施されます。通常運行では付けられない方向板のため、撮影はこの日だけの限定。また、先着20名につき事前申し込み(余席があれば当日参加も可能)で、207号を使用して車内で弁当を食べながらの運転会が実施されます(参加費 運賃・弁当込で3000円)。
問い合わせ・運転会の申し込みは、高知の電車とまちを愛する会 事務局まで。
TEL 088-874-1089  (10時から18時のみ)
WEB  http://www.kochi-tramtown.sakura.ne.jp/
ブログ  http://toden.exblog.jp/

▲完成した金太郎塗りの207号。11日(日)のお披露目でデビューする。P:高知の電車とまちを愛する会
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○出発式
1月11日(とさでん交通桟橋車庫にて)
 10:45 開会挨拶
 10:50 主催者挨拶(高知の電車とまちを愛する会)
 10:55 来賓挨拶
 11:11 金太郎電車出発  (桟橋車庫~高知駅お披露目運行)
       (111周年に合わせ、1月11日、11時11分)
 11:50頃 金太郎が高知駅から戻り次第、12時50分まで撮影会
  (運行では使用できない昭和20年当時の方向板等を取り付け、本日限定の撮影会)
 12:50 撮影会終了 
 (事前に申し出のあった方で、貸切運行。車内でお弁当を食べながら運転会)
※翌、1月12日より一般営業用として通常運行開始
なお、撮影会においては、車掌さんが乗務していた当時のツーマン塗装電車(213号)も金太郎塗り電車(207号)の横に並べて撮影。

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▲昨年の雪下ろしの様子。幸い快晴に恵まれた。'14.1.19 P:三菱大夕張鉄道保存会
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毎年この季節になるとご紹介している三菱大夕張鉄道保存会(→こちら)が中心となった「夕張SL館」の雪下ろしですが、今年も来たる1月18日(日)に行われることとなり、協力のお願いがまいりましたのでご紹介いたしましょう。

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▲参加者が力を合わせて屋根の雪を除去。'14.1.19 P:三菱大夕張鉄道保存会
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夕張市石炭博物館の展示サテライトとして1981(昭和56)年に開館し、石炭輸送や市民の足として活躍した夕張鉄道14号機、同ナハニフ151、三菱大夕張鉄道4号機のほか、鉄道関連資料を保存・展示していた「SL館」ですが、夕張市の財政破綻後2008(平成20)年10月末に指定管理が返上され、その後三菱大夕張鉄道保存会が中心となり自主開館や雪下ろしなどを行ってきました。

20150107195920-9a2ef696a2504eaad0aa8232c79215e1bc501641.jpg財政破綻後スイミングセンター、美術館等が雪害により倒壊する中、補修もままならず建物の老朽化が進んでいる「SL館」の雪下ろしは貴重な鉄道遺産を守るための欠かせない作業となっており、18日には下記フライヤーの通り、今年も夕張鉄道㈱の協力により雪下ろしバスツアーを実施します。
▲現在は「SL館」内に保存されている三菱大夕張鉄道№4の現役時代。'70年 P:松下 実
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▲再びその姿を現した「旭沢橋梁」。'15.1.1 P:宇山歌子
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昼食付きで、帰路には日帰り温泉施設「夕鹿の湯」に立ち寄り、雪下ろし後の汗を流す予定となっています。たくさんの方々に参加・協力していただき、貴重な夕張の鉄道車輌を雪害から守っていただければ幸いです。なお、シューパロダムの試験たん水も終了し、旧三菱大夕張鉄道の旭沢橋梁が再び姿を現しました。今月中旬以降には旧下夕張森林鉄道夕張岳線の「三弦橋」も美しい姿を現すものと思います。(参考 :夕張シューパロダム試験湛水→こちら

20150107200019-4a682fa95bf5f32769b91c3e37832afa3b100748.jpg・催行日:2015(平成27)年1月18日(日曜日) 締切 1月15日
・日 程:8:00 札幌大通西3丁目夕鉄バス停発 (途中乗降所:白石本通8丁目、新さっぽろ、大麻駅南口、野幌駅南口、夕鉄野幌バスターミナル)
10:30~15:00頃 SL館雪おろし(昼弁当、特製豚汁付きです)
作業後は夕鹿の湯で温泉入浴
(入浴料はツアー代金に含まれています)
18:30頃、札幌大通西3丁目帰着予定
・参加費:3,000円(子供料金の設定はありません。参加は高校生以上の方とさせていただきます)
・お申込:夕鉄旅行センター江別営業所
(北海道知事登録旅行業2-167号)
電話011-382-1101 FAX011-382-0105
受付時間 月曜日~土曜日 9:10~17:00 日曜日、祝日休
・企 画:三菱大夕張鉄道保存会
・主 催:夕鉄旅行センター江別営業所
・運 行:夕張鉄道野幌営業所
▲鹿ノ谷で満載のセキ車の入換えをする夕張鉄道14号機。同機も「SL館」に保存されている。'62.4 P:安藤文雄
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▲クラッシャーでの最後のデモンストレーションも終わり、2014年の公開が無事終了しようとしている。'14.9.14
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この日はミューゲルン駅130周年記念イベントに連動した公開とあって、デルニッツバーンの記念列車の到着に合わせて「送迎列車」が運転されていました。牽引機はカール・マルクスNs2のキャブレス。簡易ボギーのゴンドラにお客さんを乗せての送迎ですが、興味深いのがその"客層"です。いわゆるご同業(?)の姿はほとんどなく、どちらかというと高齢のご夫婦といった方ばかり。これには少々面食らいました。

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▲旧採掘場構内にはスタックしたまま草生したナベトロが置き去りにされていた。こんな情景も新設施設ではないインダストリアル・サイトならではのもの。'14.9.14
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▲採掘場(画面前方)から上部軌道へと上る線はかなりの勾配。上部軌道のレベルラインは画面右上に続いており、ラダーエキスカベーターが陶土を掘削・積込みする。'14.9.14
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20150102235417-63376c9ef971f0a7fb430f89685ead2f613074ab.jpg下部軌道からスイッチバックするかたちで送迎列車が博物館前に到着するとリヒターさんが笑顔でお出迎え。建物の中に誘導して滔々と説明が始まります。もちろんドイツ語なので内容は理解できませんが、かなり専門的な話をされているようで、それでも皆さん興味深そうに聞き入っておられるのが印象的でした。
ひとしきり説明が終わると再び列車に乗車。今度はクラッシャーの上部へと案内されます。クラッシャー・ビンに集合して説明を聞いているうちに側線に待機していたナベトロ列車が接近、参加者の目の前でナベがダンプされ、クラッシャーで粉砕される様子が間近で見られるという寸法です。妙齢のご婦人までもが熱心に見学していましたが、これまた何とも不可思議な光景でした。
▲シーソー式の簡易ターンテーブル。こんな小物もその価値をわかってこそ保存できるというもの。'14.9.14
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繰り返しになりますが、ここグロッセン最大の魅力は、インダストリアル・サイトそのものが動態として保存されていることです。これまでに小ブログでご紹介してきた中でも、英国のレイトン・バザード(アーカイブ「レイトン・バザードの秋」参照→こちら)もその一例ですが、一部を除いてツーリスト・レイルウェイ化されており、趣味的にはこちらの方に軍配が上がります。

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▲最奥の旧採掘場へ進む軌道。残念ながら今回は列車が入線する姿を見ることはできなかった。'14.9.14
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聞けばリヒターさんはドレスデン・フェルトバーン博物館の運営にも関わっておられたそうですが、現在ではもっぱらこのグロッセンに専念しておられるとのこと。規模こそ小さいものの、まさにご本人が描く理想郷を着々と現実のものにされているようです。

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▲「博物館」1階では地元の「Modelleisenbahnverein Glossen e.V.」、その名もグロッセン鉄道模型クラブによる模型展示と運転会が行われていた。もちろんグロッセン駅のホッパーも再現されている。'14.9.14
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ところで、建物1階ではグロッセン鉄道模型クラブの公開運転会が行われておりました。建物2階に相当するリヒターさんの博物館とはまったく無関係とのことで、それも少々意外でしたが、とにかく拝見することにしました。小さ目の教室位の部屋には地元のナローをモチーフとしたレイアウトが並べられ、メンバーが楽しげに集っていたものの、ギャラリーと思しき人は2名ほど。そこに謎の東洋人が単身入ってきたものですから誰何の眼差しを向けられたのは無理もありません。しかも英語が堪能なリヒターさんと異なり、このクラブのメンバーはどなたもドイツ語オンリー。これには参りました。

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▲モチーフはやはり郷土の誇り・デルニッツバーン(Döllnitzbahn)。ほとんどギャラリーのいない身内だけの運転会ながら、シーナリィ―の完成度はなかなか侮れないもの。'14.9.14
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▲750㎜→9㎜ゲージの"本線"のほかに600㎜→6.5㎜ゲージのフェルトバーンも盛り込まれ、郷土愛に溢れた展示となっている。'14.9.14
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それでも指差して質問をするうちに打ち解けたのか、あれもこれもと作品を見せてくれます。そこでハタと思いだしたのが、持参した本の一冊『ナローゲージ模型入門』。日本語は読めずとも、写真やメーカーのURLは参考になろうかと進呈することにしましたが、その時の彼らの驚きようといったらありませんでした。まさに貪るようにページを捲り矢継ぎ早に質問を浴びせるのですが、もちろんわかろうはずもなくタイムリミット。片づけに余念のないリヒターさんに別れを告げ、逆に模型クラブの皆さんに見送られながら、この魅力的なフェルトバーン博物館をあとにしたのでした。

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▲逆機の99 4511に牽かれた特別列車がグロッセン駅をあとにする。ブラスト音があのホッパーに反射する。'14.9.14
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▲クラッシャー下へと進むカール・マルクス2号機。クラッシャー・ビン地点は立体交差となっており、右上に見える軌道で運ばれて来た原石がクラッシャーで粉砕されてこの下部軌道に積み込まれる。'14.9.14
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この「Feldbahnschhauanlage Glossen e.V.」最大の見せ場は本線の途中にあるクラッシャーでしょう。現役時代、最奥の採掘場でナベトロに積載された原石は、推進運転で急坂を上って上部軌道を進み、クラッシャー・ビンのポケットへと落とされます(昨日の路線概念図参照)。面白いのはここからで、ダンプし終わったナベトロはリンクの連結を切られると"突放"状態となって緩い勾配を下ってゆきます。突っ込み線のスプリングポイントで勝手に転線、今度は下部軌道へと一気に下ってゆくという寸法です。まさに自然の地形を最大限に活かした自動運転システムといえましょう。

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▲リヒターさんのご厚意で、撮影のため特別にクラッシャー下に入れてもらった。ボランティアのスタッフが上部の係員とブザーで連絡を取り合ってシュートを下げると、粉砕された鉱石が轟音とともに滑り落ちてくる。'14.9.14
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ポケットに投入された原石はクラッシャーで砕かれてビンの中に貯蔵され、今度は下部軌道の列車がこれを受け取りにやってきます。古典的なシュートからナベトロ1輌ずつに積み込まれ、積載が完了した列車はやはり推進運転でグロッセン駅へと下ってゆきます。牽引でなく推進なのは、最終的にグロッセン駅のホッパー桟橋に登ってゆく必要があるからで、四半世紀前まではこんな作業が毎日見られたに違いありません。

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▲クラッシャー上部で一連の作業を見るギャラリー。左下に下部軌道の列車が見える。'14.9.14
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車輌ばかりでなくこのクラッシャーのようなインダストリアル・エクイップメントまでもが現役時代のまま動態保存されているのは驚きです。この日も一般見学者が興味深そうにクラッシャー作業を見守る中、現役時代そのままの作業フローが再現されていました。

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▲上部軌道桟橋上から下部軌道で積込み中の列車を見下ろす。デモンストレーションとはいえ、まさに現役と見紛うばかりの情景。'14.9.14
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▲上部軌道クラッシャー・ビン付近の全景。画面前方が旧採掘場方向。クラッシャー部をサミットにして線路は画面手前に下っており、ダンプを終えたトロはカプラーを解かれて"突放"で下ってゆく。'14.9.14
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▲クラッシャーのポケット部(左)と、その下にあるクラッシャー本体(右)。巨大な電動フライホイールが轟音とともに回転している。'14.9.14
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▲ボランティアスタッフによるクラッシャーの実演。ナベトロ(手前)からダンプされた原石(実際は煉瓦などの廃材)が次々とクラッシャーの歯に飲み込まれてゆく。'14.9.14
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▲デルニッツバーン(Döllnitzbahn)の終点・グロッセン駅構内入口には下部トラス構造のホッパーが聳える。ナベトロが並ぶ600㎜ゲージのフェルトバーン下には750㎜ゲージのロールボック(ロールワーゲン)に載った標準軌1435㎜ゲージの無蓋貨車が...。'14.9.14
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先日2回にわたってご紹介した「ミューゲルン駅130周年を見る」(→こちら)の最後に「実はミューゲルン駅130周年イベントは行きがけの駄賃(失礼...)でして、本来の目的は別にありました」と記したのをご記憶でしょうか。今回はその"本来の目的"の方をご覧に入れましょう。

20141217224312-935f56788e9400683c32a7bb9ae3ac3f387d3607.jpgデルニッツバーンの現在の終点・グロッセン(Glossen)駅からは600㎜のフェルトバーンがのびており、1991年に休止されるまでは鉱石や陶土などを運搬、同駅構内のホッパーから750㎜軌間へと積み替えていました。そのフェルトバーンをそっくりそのまま保存しているのが「Feldbahnschhauanlage Glossen e.V.」です。ちなみに、「schhauanlage」は保管施設といった意味ですので、正式には博物館を名乗ってはおりませんが、ここでは便宜的に博物館と称させていただくことにします。
▲ホッパー下に置かれた物置のような有蓋貨車がグロッセン・フェルトバーン博物館の「受付」。見えにくいが画面右側に600㎜の線路があり、公開日にはここから「送迎列車」が出る。'14.9.14
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▲グロッセン・フェルトバーン博物館路線概念図。グロッセン駅を出た列車はターフフィールドを大きく右にカーブをきり、森の中を進んだのち、クラッシャーの下を潜って旧採掘場へと向かう。現在の博物館へはスイッチバックしないと入線できない線型。
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▲インダストリアルサイト全体を動態保存するかたちでのミュージアムだけに、その雰囲気は現役時代そのもの。'14.9.14
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この軌道が休止されたのが1991(平成3)年。3年後の1994(平成6)にはそのままとなっていた施設と車輌を活用しての保存の取り組みが始まりました。グロッセン駅のホッパーをはじめ、クラッシャーや採掘場のラダーエキスカベーターなども現役時代そのままの状態で残し、しかも可能な限り動態で維持しようというのです。

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▲カール・マルクスNs2f形が迎えに来てくれた。狭いキャブにしがみつくようにして博物館へと向かう。'14.9.14
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ドイツのフェルトバーン博物館といえば、有名なフランクフルトや、近年とみに保有車輌数を増やしているドレスデンなどが思い浮かびますが、規模こそ比較にならないものの、ここグロッセンの特長は、インダストリアルサイトそのものをほとんど手つかずのまま動態保存していることです。

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▲博物館は「schhauanlage」と自称するだけにご覧のようなささやかなもの。1階に見えるが、実は画面左側にある斜面に建てられており2階に相当する。手前に出ているのはコッペルの単気筒RL1c形。1938(昭和13)年製(No.9462)。'14.9.14
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▲蒸気機関車こそないものの、2線の矩形庫には垂涎の歴史的内燃機関車がぎっしりと保存されている。'14.9.14
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▲レストレーションが終わったもの、これから作業にかかるものと様々。左手前はコッペルのRL1a形、右のグレーの車体は珍しいDEMAG(デマーク)製のML15形(1938年製)。やはり単気筒機で、リヒターさんによればこの単気筒の排気音が一番うるさいとのこと。'14.9.14
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▲「モンタニア」コッペルRL1a形のエンジン部。なぜか収蔵されている内燃機関車は大半が単気筒機で、このRL1系も3輌が保存されている。'14.9.14
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この保存活動の中心となっているのがリヒター(Matthias Richter)さんです。中心というより実質的にリヒターさん個人の情熱に支えられているといっても過言ではなく、今回もベルリンの木村右史さんを介して事前にアポをとっての訪問でした。それにしてもこの"博物館"、年間を通して公開される日が極めて少なく、2014年は4月21・22日、5月17・18・29日、6月8・9日、それに9月の13・14日の9日間のみ。9月の公開は例のミューゲルン駅130周年イベントに連動したもので、なんと訪問した9月14日(日)が年内最終日でした。

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▲「モンタニアを動かしてご覧にいれましょう」とリヒターさん。やおらクランク棒を差し込んでぐるんぐるん力一杯回す。'14.9.14
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▲ストン、ドーン、ドン・ドン...と単気筒の「モンタニア」が息を吹き返す。それにしてもえらいエキゾースト...大丈夫ですかリヒターさん。なんとも環境に"厳しい"機関車である。'14.9.14
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▲それでも一旦エンジンが掛かってしまうと結構快調。'14.9.14
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明けましておめでとうございます。

本年も皆さんにとって、そして鉄道趣味にとって実り多い一年となることを祈念いたしまして、年頭のご挨拶とさせていただきます。

なお小ブログは5日(月曜日)より再開する予定にしておりますので、どうか本年も、本誌ともどもかわらぬご愛読のほどをお願い申し上げます。

2015年元旦

編集局長:名取紀之 敬白
レイル・マガジン

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