鉄道ホビダス

ドコービルの切通し。

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▲決して山手線のE231系を撮っているのではない、今からちょうど130年前、わが国初のドコービルが切り拓いた日本鉄道第一区材料運搬線(品川線)の現況を撮っている。右奥に軽便鉄道模型祭が開かれている目黒さつき会館が見える。'14.9.28
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先週日曜日は毎年秋の恒例となった軽便鉄道模型祭へ。会場はお馴染みの目黒さつき会館ですが、同開館での開催は改築のため今年が最後とのこと。JR目黒駅からさつき会館への坂道を下りながら、今年はドコービルに思いを馳せていました。

141002n601.jpgというのも、前日の土曜日(9月27日)午後、早稲田大学大久保キャンパスで古谷昌二さんの講演「平野富二とドコビール軽便鉄軌事業」を拝聴したばかりで、件の山手線目黒界隈こそ、平野富二が最初にドコービル軌道を用いた記念すべき場所にほかならないからです。古谷昌二さんは早稲田大学を卒業後、石川島重工業(現IHI)に勤務、定年退職後に同社の祖でもある平野富二について膨大な調査研究をされ、昨年はその成果を纏めた実に864頁におよぶ大冊『平野富二伝 考察と補遺』(朗文堂/税別12,000円)を上梓されたばかりです。
▲古谷昌二さんのご著書『平野富二伝 考察と補遺』のフライヤー。なお、古谷さんは平野文書に基づいて「ドコビール」と表記されている。
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平野富二は石川島のルーツとなる造船事業をはじめ、海運事業、土木事業、そしてドコービルの専売人として鉄道事業にも足跡を残した、まさに明治期の産業近代化のパイオニアの一人でした。さらに本木昌造とともに活版印刷業を成功させたわが国の近代印刷技術の始祖としても知られており、出版業の片隅に身を置くものとしては決して足を向けて寝ることのできない存在でもあります。

141003n000.jpg実はこの平野富二とドコービルの関係は私も学生時代に興味を持って調べたことがあり、このたびの古谷さんの講演はその意味でも一層興味深くうかがうことができました。1878(明治11)年のパリ万博に出展されて以降、急速に世界に伝播してゆくドコービル・システムですが、平野富二はいち早く1883(明治16)年に日本における専売権を獲得、その有用性を知らしめるための、いわばデモンストレーションの場として受注したのが1884(明治17)年1月に起工した日本鉄道品川線上大崎180号(目黒橋、目黒不動尊付近とされるが古谷さんのご研究でも未だに場所は同定できず)~穏田(現在の渋谷-原宿間)間の土木工事でした。
▲1970年代にガリ版刷で大学鉄研の機関誌に発表した「土工比爾異聞」。「佛蘭西新發明小形輕便鋼鉄路効驗書及び報告書」所収の平野富二による効験書(1882年)や内務省臨時報告書などを資料にまとめた10頁ほどのもの。
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平野土木組はこの工事を他社の半値近い廉価で受注、『本木昌造・平野富二詳傳』や『日本鉄道請負業史明治篇』はその軋轢にまで言及していますが、古谷さんは今回の講演で平野土木の積算が決して不当なものではない点を論証されました。つまり、従来の人力土工の場合と異なり、平野は担当工区の地形を見てドコービル軌道による機械化土工のメリットを活かし、切通し工事で発生した土砂を、築堤構築に利用する手法を取ったのだそうです。その結果、廉価にも関わらす高い利益をあげることに成功しています。

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▲軽便鉄道模型祭では数多くのドコービル模型も見ることができた。写真はKEMURI PROの下島啓亨さんのOナローセクション。シーナリィがすべて生きている苔類という異色の作品。画面には見えないが、渓流横の池には本物のメダカも生息(?)している。'14.9.28
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「平野富二の輸入せる嶄新の土工用利器ドコービルに着目し、同業に率先して本区間の工事に初めて之を採用運転し...(中略)...本軌条を敷設し其上を初め容積一合位のトロリーを運転した。後二合五勺位の大なるものに改め且鉄鎖の切断其他にも事故頻発するに由り、又初め通り一合二勺大の容量にて連結を止め単車運転を行ひ、大に良成績を上げ鉄道当局の賞讃を博し...(後略)」(『日本鉄道請負業史明治篇』)、このデモンストレーションを視察した英国人パーマーが横浜水道建設で、オランダ人ムルデルが利根川治水工事で、また古河市兵衛が足尾銅山でドコービルを導入する運びとなってゆきます。

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▲ドコービルが築いた切通しを抜けて目黒駅に進入する山手線内回り電車。130年前のこの地ではどんな光景が展開していたのだろうか...。'14.9.28
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軽便鉄道はおろか、まだ人車鉄道でさえ生まれていなかった時代にドコービル軌道が敷設された目黒付近...今年の軽便鉄道模型祭でも数多くのドコービル模型が展示されていましたが、その真横がわが国のナローゲージの原点だったわけですから、不思議な縁を感じずにはいられません。

※ドコービル関係の主なアーカイブ
「年のはじめはドコービル詣で」こちら
「フランス製糖軌道の70年」こちら
「リリプットの森」こちら
「ノルマンディーに欧州最古の現役内燃機関車を訪ねる」こちら
「ドコービルの厩」こちら
「東大農場の軌道」こちら

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