鉄道ホビダス

2014年10月アーカイブ

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▲見渡す限りの農地が広がるOtto Grosse & Sohn農園。草生して判別できないようなところにも500㎜の軌道は敷きめぐらされている。ちなみにこういった日陰の湿地には例の"オレンジなめくじ"(アーカイブ「12年ぶりのライン河上流工事事務所-オレンジなめくじの恐怖-」参照→こちら)がうようよいるので注意。'14.9.17
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旧東ドイツ側には近年まで数多くのさまざまなフェルトバーンが残されていました。ドレスデン周辺もその例に違わず、戦後のがれき撤去用軌道(アーカイブ「ドレスデンのがれき撤去用軌道」参照→こちら)から、鉱山、採砂、工場、そして農園まで、ありとあらゆる種類のフェルトバーンが存在し、ザクセン州だけでも59カ所もの軌道がリスティングされています(『Die Feldbahn』Band 6)。しかしここ十年ほどで激変してしまい、その多くは跡形もなく消滅、残されたものも保存目的で遊園地化するなど、本来の意味でのフェルトバーンはほとんど見ることができなくなってしまっているのが実情です。

20141031124608-a43da6a07e4f706d32c6d0a371cbc2666e638c93.jpgそれだけにOtto Grosse & Sohn農園のラルフさんの「明後日来なさい」という言葉は大きな期待となって響きました。
さて、その「明後日」、約束通り9時きっかりに農園を訪れた私を迎えてくれたのは曇った顔のラルフさんでした。「すまない、どうしても動かないんだ」。ほんとうにすまなそうな顔で案内された例のビニールハウスの中では、担当従業員の人も機関車に取りついて修理中。バッテリーは充電を完了しているとのことで、インジケーターランプは煌々と点灯しているのですが、スターターレバーを回してもうんともすんとも言いません。クランキングで始動させようにもクランク棒が見当たらずそれもダメ。あちらこちらいじってはみるものの、結局エンジンは掛からず仕舞いでした。
▲倉庫なのか納屋なのか、あらゆる建物に軌道が入って行く。まさにドコービルの厩(アーカイブ「ドコービルの厩」参照→こちら)そっくり。'14.9.17
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▲ビニールハウス内のカール・マルクスNs1b形(1958年/№260084)。状態は決して悪くはないが、かなりの期間動いてはいなさそうだ。ボンネット上の板きれは運転席のシート。'14.9.17
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▲充電したバッテリーを座席下の所定位置に収める。左のダッシュパネルにインジケーターランプとL形のスタータースイッチが見える。'14.9.17
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どうやら早朝から二人で修理に取り組んでくれていたようですが、もともと突然訪問してご厚意に甘えている身。いやもう結構ですから...と引き下がることにしました。

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▲本来はここを走る"はず"だったと思うと何とも残念...。'14.9.17
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するとラルフさん、よほど悪いことをしたと思ったのか、それではとっておきのものを見せてあげるからこちらへ来なさいと、納屋の外れの方へ。埃だらけの汚いシートをめくると、そこに現れたのは何とも形容しようのない奇妙な「車輌」でした。

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▲ラルフさんが埃だらけのシートを苦労して外すと、そこには何とも得体のしれない"車輌"が!'14.9.17
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ラルフさん曰く「これは先々代が作ったわが農園最初の機関車だ」とのこと。なんでも小型飛行機の廃エンジンを載せて作ったものだそうで、エンジン部に跨ってこうやって運転したんだとシフト操作の真似をしてみせてくれました。

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▲小型飛行機用だったという車端部のエンジン(左)と、プロペラシャフトで結ばれた逆端部の機器(右)。ミッションはエンジン部にシフトレバーがあるので、これは逆転機なのだろうか?'14.9.17
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▲常識を超越した足回りを覗く。右上に見えるのがエンジン・ミッションからのプロペラシャフト。車輪は踏面のテーパーもなく、車軸はなんと角棒!'14.9.17
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しかしどう見てもこれが機関車とは思えず、だいいち中央に乗っている巨大なポリタンクの意味がわかりません。その点を尋ねてみたものの、いまひとつ要領を得ず、現車自体も肝心のファイナルドライブの部分が欠損してしまっていて、果たして自走できたものなのかどうかさえ不明です。

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▲その「形式写真」。どう見ても機関車には思えず、ラルフさんには悪いが、タンク体から見ても散水などの目的に使われたものではなかろうか...。'14.9.17
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しきりに申し訳なさそうにしているラルフさんに別れを告げて農園をあとにしたのはまだ昼前...このあと空いてしまった今日一日をどう過ごそうか、漫然とそんなことを考えながらクルマのステアリングを握っていました。

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▲「すまないねぇ、また来る機会があったら今度こそ動くようにするから」とラルフさん。いえいえ、そのお気持ちだけでも感謝、感謝です。'14.9.17
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▲自然農法のOtto Grosse & Sohn農園は今もってほとんど機械化されておらず、自然のままの農地が広がる。'14.9.17
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ドイツナローの中心地ザクセン州ドレスデン。その隣町、ラーデボイル(Radebeul)は750㎜軌間の蒸気鉄道レスニッツグルント鉄道(Loessnizgrundbahn)の起点で、ドレスデンからのトラム4系統との平面交差で知られています。そのラーデボイルに現役の農園軌道があると知り、9月に渡独した際に訪ねてきました。

20141029183104-2ff6226ff1ba5a110d2e8461d628cce73e2ca05a.jpgといっても例によってこの手のインダストリアル・ナローの場合、確実な情報というものは皆無に等しく、今回もヨーロッパの各種ファンサイトに書き込まれた情報や、グーグルアースによる目視が頼りです。ちなみにドイツはストリートビューを許しておらず、地上目線での確認はできません。いずれにせよ現存するかどうか、動いているのかどうか、さらには見せてくれるのかどうかは行ってみなければわからないということになります。
▲バイブルとも言えるドイツとオーストリアのフェルトバーンを網羅した『Die Feldbahn』Band 6(2003)。膨大なリストには最後に現認された年月日も記載されており、十年以上前の資料ながら大きな手掛かりとなる。下は怪しいドイツ語で「日本のフェルトバーンファンで、仕事の支障になるようなことはしないので、ぜひ敷地内に入れてほしい...」旨が書かれた紙。いつもこれを持ち歩いている。
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▲Otto Grosse & Sohn農園の正面玄関。ここからは軌道があるとはまったくわからない。正面の窓がある部屋が直販所(?)で、野菜やら卵やらが並べられている。'14.9.17
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場所は宿泊先のホテルからクルマで10分ほどと極めて便利。迷うこともなく訪ねてみると、そこは古びた煉瓦積みの煙突が立つ工場のような場所で、とても農園とは思えない佇まいです。正面には近年リニューアルしたと思しき直販所(?)があり、そこでさっそく来意を告げることにしました、

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▲「機関車はこっちだよ」と軌道が張り巡らされたビニールハウス脇をずんずん進んでゆくRalf Moskenthinさん。'14.9.15
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「直販所」にはお客さんはおろかレジの人さえおらず、「Guten Tag」と叫ぶことしばし、ようやくおばさんが姿を現しましたが、英語はまったく理解しないようで、持ち歩いているドイツ語のペーパーを見せることに...。ところがどうも表情がフレンドリーではありません。まぁ、突然やってきた謎の東洋人がフェルトバーンを見せてくれという紙を差し出したのですから誰何されるのも無理ないことでしょう。

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▲果たしてビニールハウスの中にお目当ての機関車が...。ただ、どう見ても動いてはいなさそう。'14.9.17
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とにかく、ちょっと待っていろとばかり姿を消すこと5分ほど、今度は英語が話せる作業着姿の男性が現れました。この人が農園主のラルフ・モスカンティーン(Ralf Moskenthin)さんで、今度は打って変わってえらくフレンドリー。というよりも、はるばる自身の農園を見に来たのに大感激されたようで、さっそく案内してくださることになりました。

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▲イチゴのビニールハウスを貫くフェルトバーン。ラルフさんがもいでくれたイチゴはとても甘かった。'14.9.15
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一見古びた工場に見えた建物群は厩舎や加工場で、驚いたことにそのすべての建物に網の目のように500㎜軌間の軌道が入り込んでいます。この農家の造りはかつて訪ねたドコービルの生家と酷似しており、このラルフさんの農場も19世紀から続く旧家だそうです。

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▲農園とはいえ、とにかくあらゆる動物がいる、ニワトリ、ウサギ、ブタ、ダチョウ等々、ダチョウ舎(?)の軌道にはナベトロが列をなしている。'14.9.15
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軌道を辿ってその建物群を抜けると背後には広大な農地が広がっており、そこには碁盤の目のように軌道が敷き巡らされています。ラルフさんによると軌道の延長は3.2㎞。祖父の代からこの軌道を使って作物を生産しているそうで、今は自然農法で野菜や果物、さらには卵などを出荷しているとのことでした。

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▲日本で言うところの1合ナベ程度の極めて小さなナベトロ。用土や糞を運ぶために使われているようだ。'14.9.17
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▲総延長は3.2㎞と説明されたが、とにかくいたるところに迷路のように軌道がのびている。'14.9.17
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いよいよお目当ての現役のフェルトバーンの姿を拝めるかと思いきや、そうは問屋がおろさないのが世の常。機関車のところまで来てラルフさん曰く「実は機関車はしばらく動かしておらず、バッテリーも外してしまっているので、今日は動かない」とのこと。残念無念! がっかりした表情を読み取ったのかどうか、続いておしゃるには「明後日の朝9時にもう一度こられないか? その時までにバッテリーを充電しておくから。そうしたら自由にどこでも走ってやるよ。そうだ、あなた自身が運転して走り回ればよい!」。
予想もしなかった言葉に思わず握手。幸いホテルは連泊だったので明後日朝の再会を誓って農場をあとにしたのですが、そううまくゆくはずがない顛末はまた明日...。

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▲機関車は同形のカール・マルクス製10ps機が2輌。屋外に留置されているこの黄色い方は1958年製(No.247641)。'14.9.17
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▲小坂線改軌5ヶ月前の大館駅構内。花岡線用のホハフ50の右には、日本車輌から到着した新鋭キハ2100形の姿が見える。'62.5.5 大館 P:田尻弘行 (RMライブラリー『小坂鉄道(下)』より)
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先月に引き続き完結編としてお届けする寺田裕一さんによる『小坂鉄道』の下巻が好評発売中です。上巻では762㎜軌間時代の小坂鉄道を中心に解説していただきましたが、下巻では改軌から廃止までの歴代と車輌を紐解いてゆきます。

20141029151435-84685c155cc0d3312bc390a4cf9153b03bf5b3dd.jpg小坂線が1067mm軌間に改軌された1962(昭和37)年、同和鉱業では新製気動車キハ2100形とDD10形を投入、762mm時代に改軌前提で投入されていた22t機DC1形と合わせて機関車5輌、気動車5輌の態勢で小坂線の貨客分離も行いました。しかし、増加する貨物に45t機のDD10形では役不足となり、1967(昭和42)年にはDD130形2輌を投入。さらに翌年にはDD130形1輌が増備され、小坂鉄道を象徴する3重連での貨物列車牽引が始まったのです。

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▲昭和40年代のダイヤでは、0~1時台にも旅客列車が運行されていた。 (RMライブラリー『小坂鉄道(下)』より)
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また、当時は人の行き来も多く、1967(昭和42)年にはキハ2100形2輌が増備されます。この当時の小坂線の旅客列車は平日1日13.5往復、深夜1時台にも列車の設定があるほどでした。もちろん、花岡で産出される鉱石を小坂へ輸送する貨物列車も設定されており、まさに小坂製錬所の全盛期という時代でした。

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▲1985年に廃止された花岡線。わずか4.8kmの路線であったが、花岡には滞泊用の機関庫や鉱石積み込み用の構外側線も備わっていた。 (RMライブラリー『小坂鉄道(下)』より)
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しかし、鉄道が近代化したのとほぼ時を同じくして、昭和40年代も中頃を過ぎると旅客・貨物とも減少傾向が続くようになります。1972(昭和47)年には岱野、1974(昭和49)年には新沢での閉そく取扱を廃止、1983(昭和58)年には花岡線の貨物営業を廃止、そして1985(昭和60)年には花岡線の旅客営業も廃止されました。その後の歩みは皆さんもご存知の通りで、1994(平成6)年には小坂線の旅客営業が廃止され、以降は貨物列車のみが残ることになったのです。(関連アーカイブ「茂内駅の腕木式信号機」参照→こちら

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▲小坂線に先行して改軌された花岡線は、DC1・2の投入までは機関車も旅客車もすべて国鉄などからの譲渡車で賄われていた。 (RMライブラリー『小坂鉄道(下)』より)
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本書下巻は、寺田さんの、臨場感あふれる昭和50~60年代の現地レポートや聞き取り取材を中心に、開業から全廃までの沿革、駅や橋梁などの施設、そして車輌について解説するものです。運行終了から6年が経つ小坂鉄道ですが、幸い、線路のほとんどは現在も残っており、かつての小坂駅構内は小坂鉄道レールパークに、また、大館側もレールバイクに活用されています。現地を訪ねられる際にはぜひ、本書を携えてお出かけください。

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▲強羅で折り返しを待つ3000形試乗列車と到着するモハ1・2形の3輌編成。'14.10.8 P:RM(髙橋一嘉)
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11月1日からの営業運転開始が予定される箱根登山鉄道の新型車3000形の報道関係者向け試乗会が去る10月8日に開催されました。

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▲3000形と同じ"バーミリオンはこね"色になった2000形第2編成との交換。営業運転では3000形同士の2輌編成か、2000形+3000形の3輌編成が予定されているが、今後、状況を見て1輌での運転も考慮されているとのこと。'14.10.8 P:RM(髙橋一嘉)
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この3000形は箱根登山鉄道にとっては1989(平成元)年に登場した2000形"サンモリッツ号"以来25年振りの新型車輌です(新造車輌としては2000形第3編成から数えて17年振り)。これまで箱根登山鉄道では1000形、2000形と2~3輌編成の投入が続いていましたが、3000形は2000形2輌編成と連結した3輌編成での運転も想定しているため、久々の両運転台車として製造されました。

20141028152102-56f4493fad7374e0f09d8b7d768a5478ef151fc1.jpg正面からはやや面長に見える車体デザインは小田急ロマンスカー50000形VSEや60000形MSEなどを手掛けている岡部憲明アーキテクチャーネットワークによるもので、車内にいながらにして箱根の雄大な自然が満喫できるように、前面、側面とも大きな窓を採用していることが特徴です。実際に乗車してみますと、車内のデザインは観光用の電車ながらシンプルかつ非常に落ち着いた雰囲気でまとめられており、車内の造作を見せるよりも車窓風景を楽しむことに重点が置かれていることがよく判ります。特に両端の運転室背後は側窓が足もとまで伸びており、出山の鉄橋では足許に早川の渓谷が見えるなど、これまでになかった景色も車内から見ることができます。また、ボックス席の窓は開閉可能で、自然の風を採り入れることができるのも嬉しい配慮です。
▲試乗会では箱根登山鉄道沿線の風祭に本社を構えるかまぼこの老舗「鈴廣」の社員さんの姿も。3000形の登場に合わせて売り出す「箱根登山電車かまぼこ」をPR。'14.10.8 P:RM(髙橋一嘉)
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▲足許まで伸びる乗務員室背後の窓。スイッチバックの同時進入ではこんな景色も。'14.10.8 P:RM(髙橋一嘉)
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愛称は箱根登山鉄道の姉妹提携鉄道であるレーティシュ鉄道が走る、スイス・グラウヴィンデン州の希少言語であるレート・ロマンシュ語のあいさつから"アレグラ"号と決定、連結相手の2000形も1本が3000形にそろえて"バーミリオンはこね"を基調とした新塗装に変更されるなど、3000形の営業運転開始に向けて着々と準備が進む箱根登山鉄道。この秋は旧型車の撮影も紅葉の箱根に出かけてみてはいかがでしょうか。

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▲両側の窓に美しい緑が流れる3000形"アレグラ号"の車内。ちなみに営業開始時には"アレグラ号"のプレートが車内に取り付けられるとのこと。'14.10.8 P:RM(髙橋一嘉)
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※サイトリニューアルに伴うシステムの変更で不具合が生じ、現在とりあえず暫定的に復旧いたしましたが、ブラウザによっては正しく表示できないなどの現象が生じているようです。また、PC以外のスマートフォンなどでの表示も不安定で、現在、システム担当が修復作業中でございます。引き続きご不便をお掛けしますが、今しばらくご容赦下さい。

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「鉄おも!号」を運転。

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▲伊豆高原の検修工場見学でこれから乗車するクモハ103の前に勢揃いした参加者の皆さん。天気にも恵まれて今日一日の期待がふくらむ。'14.10.25
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※サイトリニューアルに伴うシステムの変更で不具合が生じ、現在とりあえず暫定的に復旧いたしましたが、ブラウザによっては正しく表示できないなどの現象が生じているようです。また、PC以外のスマートフォンなどでの表示も不安定で、現在、システム担当が修復作業中でございます。引き続きご不便をお掛けしますが、今しばらくご容赦下さい。

先週土曜日(25日)、ファミリー向け姉妹誌『鉄おも!』の読者イベントとして「伊豆急行100系『鉄おも!号』」が伊豆高原~伊豆急下田間を走りました。

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▲検修工場では特別にピット線を案内していただいた。ちょうど全般検査で入場中のリゾート21EX「黒船電車」の床下機器に興味津々。'14.10.25
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当日は幸いお天気にも恵まれ、全国から集まってくれた月刊『鉄おも!』読者ファミリーが9時過ぎには伊豆高原駅に続々と到着、さっそく同駅に隣接した検修工場見学へと向かいました。

20141027010057-d5f14cc5dbd61b4b30a7fddb12354bcb2b017c3c.jpgクモハ103号のクロスシート定員から50名ほどの参加に絞らせていただきましたが、1歳から11歳までのちびっこファンは初めて被るヘルメットと検修工場の迫力に大興奮。2班に分かれてピット線や構内留置線を見学し、これから乗車するクモハ103号の前でしきりに記念撮影を行っていました。
▲初めて触れるホンモノの台車にビックリ。取り外された主電動機の大きさも驚きだった様子。'14.10.25
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▲この日も半世紀以上前の車輌とは思えない軽快な走りっぷりを見せてくれたクモハ103。その端正なスタイリングはまさに「名車」と呼ぶに相応しいもの。'14.10.25
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「鉄おも!号」のヘッドマークを掲げたクモハ103は11時10分、定刻に伊豆高原駅を発車、私たち世代にとっては"あたりまえ"の電車ですが、ちびっこファンにとってはまず「窓が開く」電車が珍しかったようです。クロスシートに壁のスイッチを押すと回り出す扇風機...そんな車内風景も新鮮に映ったのか、コンパクトカメラで逐一撮影している姿が印象的でした。

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▲下段上昇で窓が開く電車が初めての子も! 交換待ちでの対向列車にも熱い視線が向けられていた。'14.10.25
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それにしても2年ぶりに乗車したクモハ103は、車齢50年を超えるとは思えない矍鑠たる走りっぷりを見せてくれました。単行ゆえのヨーイング、ピッチングはあるものの、コイルバネのTS台車の乗り心地は現代的レベルでも決して侮れないもので、バネクッションのモケットシートや、昔ながらの空気笛の音色と相まって、しばしその乗り心地に酔いしれてしまいました。

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▲「鉄おも!号」の横サボ(左)と、参加者に配られた特製お弁当(右)。'14.10.25
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▲伊豆急行さんの心配りで、お土産の硬券はダッチングマシーンを使って自分で日付を印字する体験も...。'14.10.25
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▲くじ引きによるプレゼント大会で大盛り上がり。カトーさん提供の「東海道新幹線開業50周年記念スターターセット・スペシャル」(右)まで登場!'14.10.25
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▲一番のシーニック・ポイント、片瀬白田-伊豆稲取間の海岸沿いでは徐行運転していただき車窓を堪能。'14.10.25
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伊豆急下田にはお昼前の11時53分着。参加者の皆さんはそれぞれ下田の街の散策にお出かけになり、再び15時12分発の「鉄おも!号」に乗車、16時09分に伊豆高原に戻り、名残を惜しみながら帰路につかれました。

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▲伊豆急下田駅で「鉄おも!号」と記念撮影。なかには大阪や兵庫から来てくれたご家族もおられ、和やかに一日が終了した。'14.10.25
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D51 200が本線復帰へ。

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▲「鉄道の日」と梅小路100周年を祝うライトアップに登場したD51 200号機。動態復帰を遂げたばかりの「義経」と9633号機とならんでの晴舞台。'14.10.14 梅小路運転区 P:高橋 修(撮影協力:JR西日本)

※サイトリニューアルに伴うシステムの変更で不具合が生じ、ことにこの「編集長敬白」が長らく更新不能となってしまいご心配・ご迷惑をお掛けいたしました。とりあえず暫定的に復旧いたしましたが、ブラウザによっては正しく表示できないなどの現象が生じているようです。また、PC以外のスマートフォンなどでの表示も不安定で、現在、システム担当が修復作業中でございます。引き続きご不便をお掛けしますが、今しばらくご容赦下さい。

先週、JR西日本からD51 200号機の本線復帰と、持続的な蒸気機関車動態保存体制の整備についての発表がありました。近い将来、D51による「SLやまぐち号」や「SL北びわこ号」の姿を見ることができそうです。

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▲本線復帰が確定したD51 200号機。1938(昭和13)年に浜松工場で製造されて以来、稲沢機関区→米原機関区→大垣機関区→中津川機関区と中部地方で活躍してきた機関車で、中央西線時代に撮影された方も少なくないはず。長野式集煙装置装備のため煙突が切り詰められているが、これはぜひ原形に復してもらいたいところ。P:JR西日本提供

D51 200号機は梅小路運転区(梅小路蒸気機関車館)の保存車輌の中で、ボイラ検査を受けて構内展示運転可能な「Bグループ」(Aグループは本線運転可能なC57 1とC56 160の2輌)に所属しており、これまで「SLスチーム号」の先頭に立つことはあっても、本線走行することできませんでした。(BグループはほかにC61 2、C62 2、8630、B20 10の4輌)

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▲「SLスチーム号」で活躍していた当時のD51 200号機。1979(昭和54)年3月に一度車籍抹消となっているが、JR発足時に復籍している。P:JR西日本提供

今回のプレス発表では、平成17年度より大規模修繕を実施してきたC57 1号機に続き、D51 200号機の大規模修繕と本線運転用の改造を実施し、「C56に置き換えて、SLやまぐち号・SL北びわこ号のけん引機関車として使用」するとしています。注目の使用開始は「平成29年度以降」とのことです。

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▲新設されるSL検修庫と扇形車庫の位置関係。JR西日本提供

もうひとつ特筆されるのは、これとあわせて「持続的なSL動態保存の体制の整備」が発表されたことです。蒸気機関車の解体検査に特化した専用検修庫を京都鉄道博物館に隣接する梅小路運転区内に新設し、日本の蒸気機関車動態保存の拠点にしようという壮大な計画です。
国鉄時代末期から、西日本地域の蒸気機関車の解体検査(全般・中間検査)は旧鷹取工場で実施をしていましたが、阪神淡路大震災後に鷹取工場を網干総合車両所へ移転したことに伴い、関連業務は梅小路運転区へと移管をしています。しかし、梅小路運転区(旧梅小路機関区)はもともと解体検査よりも軽微な検査(仕業・交番検査)を施工していた箇所であったため、設備面での増強が必要となっていた一方で、重要文化財に指定されている扇形車庫の設備更新や大規模修繕が困難というジレンマを抱えていました。

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▲梅小路運転区屋上から見たSL検修庫建設予定地。すでにピットが造られている。なお、京都鉄道博物館本館とはペデストリアンデッキで結ばれる。'14.8.11 P:名取紀之

そこで今回、運転区内にまったく新たな検修庫を設置し、ボイラ検修場の設置や天井クレーンなどの大型装置を一新することにより、検査・整備の作業性を向上させることとなったものです。しかも、ペデストリアンデッキによって京都鉄道博物館との一体化を図ることによって、博物館の来館者も蒸気機関車の検修の作業風景を目の当たりにできることになります。
【SL検修庫設備概要】
建築面積:869.25㎡
延床面積:984.16㎡(検修場面積765.00㎡)
階数:2階建
主な設備:ボイラ検修設備、天井クレーン等
実施検査:中間検査A、中間検査B、全般検査などの解体検査

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▲京都鉄道博物館の全体レイアウト(JR西日本パンフレットより)に新設される検修庫を加筆。検修庫が重要な位置を占めることがわかる。

完成は平成27年度秋以降。この専用検修庫によって、少なくとも数十年程度は安定的に蒸気機関車の動態保存が継続できる体制が担保されることとなります。なお、JR西日本はこの発表の中で「産業革命の原動力となり近代日本の産業遺産の一つであるSLを後世に継承することは当社の社会的使命であると考えています。」としております。なんとも心強い発表です。

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▲周囲もすっかりきれいになって"動態復活"したニセコ駅の転車台。薄暮の中、小樽発長万部行き2944Dが発車してゆく。'14.10.3 P:有島記念館
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※サイトリニューアルにともない現在投稿フォームに不具合が生じており、「編集長敬白」が更新ができない状態となっております。システム担当が状況を調査中ですので、いましばらくご容赦ください。

北海道ニセコ町の有島記念館では荒川好夫さんの写真展「北海道 冬」~蒸気機関車C62 栄光の記録~の開催に合わせて、地域の鉄道遺産を再認識すべくさまざまな試みをされています。

141016n016.jpgそのひとつがニセコ駅構内にある転車台の修復です。「C62ニセコ号」が運行されていた当時は、この転車台でC62 3号機が方向転換をしていましたので、懐かしく思い出される方も少なくないはずです。もとを正せばこの転車台、根室本線の要衝、新得機関区で使用されていたもので、1990(平成2)年に「C62ニセコ号」のニセコ延長運転に備えてニセコ駅に移設されました。しかしご存知のように1995(平成7)年に「C62ニセコ号」の運転は終了し、以後、今日まで草生したまま眠りについていました。
▲使用されなくなって19年...すっかり草生してしまった転車台。'13.9.6 P:有島記念館
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有島記念館では昨年、外観の見学会を開催し、今年も春先から草刈などをしてきたそうですが、写真展に合わせてお出でになった荒川好夫さんが率先してさらなる草刈や木の伐採、各種機構へのグリスアップなどを行い、あれよあれよという間に動くようになってしまったというから驚きです。

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▲新得機関区時代の転車台。あの狩勝峠の要衝で活躍した転車台が今、ニセコ駅でふたたび脚光を浴びようとしている。'66年 P:荒川好夫
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▲動かなくなっていた転車台を"動態復活"させようと奮闘する荒川好夫さん(左)と、「昭和32年汽車製造」の銘板(右)。'14.9.14 P:有島記念館
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具体的には、モーターは電源がないので不可能、テコをつけての手回しも重すぎてできず、最終的には、モーターにクランクをさして、直接モーターを手回しすることで転車台を回転させることに成功しました。

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▲ 「転車台・殖民軌道跡 植物観察ウォーク」の多くの参加者を乗せて転車台が復活! '14.9.14 P:有島記念館
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9月14日はこの「旧新得機関区転車台」と「殖民軌道真狩線跡」を巡るウォーキングツアーも開催されました。有島記念館主任学芸員の伊藤大介さんによれば、鉄道愛好家ばかりではなく、それ以外の方にも興味を持っていただこうと植物観察も兼ね、鉄道に興味のある方には植物を、植物に興味のある方には鉄道を知っていただく機会としたそうです。

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▲函館本線旧真狩隧道入口。1962(昭和37)年まで使用されていたトンネルで、ポータルがしっかりとその姿を留めている。'14.9.15 P:有島記念館
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▲殖民軌道真狩線跡を歩く参加者の皆さん。転車台付近から絶妙なカーブを描いて軌道跡の道路が続いている。'14.9.14 P:有島記念館
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殖民軌道の跡を歩きながら、北海道における殖民軌道の発達や真狩線の歴史、急カーブなどの軌道特有の線形などについて解説を聞き、その跡に繁茂する植物についての説明も加えて、参加者は約1キロを歩きました。

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▲「殖民軌道要覧図」(左)と殖民軌道狩太停留所待合室正面図(右)。ともに北海道立図書館蔵の貴重な資料。
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▲「殖民軌道要覧図」の真狩線部分の拡大。真狩線は留寿都までの延長計画があったことが知れる。それよりも興味深いのは計画線となっている「上目名~磯谷」間で、あの上目名駅から殖民軌道が敷設される計画があったことになる。北海道立図書館蔵'14.9.13 P:有島記念館
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殖民軌道真狩線は真狩方面の農作物や営農物資、旅客を輸送するために、1936(昭和11)年に狩太(現ニセコ)と真狩村(真狩別6線20)の間12.966㎞に敷設された馬力線で、農作物はこの殖民軌道を利用して中央倉庫に集められ、その後は国鉄の貨車に積み込まれて全国に発送されました。『簡易軌道写真帖』(1997)によれば1938(昭和13)年にいち早く動力化、最終的には1954(前掲書/別説では1952・1953)年に廃止されています。

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▲殖民軌道と中央倉庫の解説。1999(平成11)年にはレールの残骸も発掘された。有島記念館提供
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来たる11月3日(月・祝)には「ニセコの歴史を散歩する~産業遺産と鉄道遺産~」が開催され、これらの遺構も一般公開されるそうです。「SLニセコ号」のファイナルランとあわせてぜひご参加ください。

※鉄道ホビダス サイトリニューアル作業実施のため20日(月曜日)は休載させていただきます。なお、21日(火曜日)より、小ブログも新デザインでリニューアルオープンいたします。

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▲有島記念館で来年2月22日まで開催されている荒川好夫さんの写真展「北海道 冬」~蒸気機関車C62 栄光の記録~の会場風景。'14.10.3 P:有島記念館
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「カインの末裔」「生れ出づる悩み」「或る女」などで知られる大正期の作家・有島武郎の人と作品、武郎が所有した農場の足跡を紹介している北海道ニセコ町の有島記念館で、荒川好夫さんの写真展「北海道 冬」~蒸気機関車C62 栄光の記録~が開催されています。写真展のみならず、ニセコ町の鉄道遺産の利活用に向けたさまざまな取り組みが行われていますので、二日間に分けてご紹介してみましょう。折しも「SLニセコ号」のファイナルランが近づいてきています。紅葉のニセコを訪れた際には有島記念館にもぜひ足を向けていただきたいと思います。

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▲会場の有島記念館は羊蹄山を望む風光明媚な立地にある。周辺には農場事務所跡や、有島武郎が農場解放を宣言した弥照神社などがある。P:有島記念館
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あらためてご紹介するまでもないかとは思いますが、荒川好夫さんは1968(昭和43)年から国鉄本社広報部の専属カメラマンとして、国鉄の広報及び宣伝用写真撮影に従事され、あの「ヨン・サン・トオ」改正前後から1987(昭和62)年の分割民営化に至るまでを記録し続けてこられました。なかでも1971(昭和46)年冬に函館本線小樽~長万部間(山線)にC62重連の急行「ニセコ」を追ったドキュメンタリーは、今でも多くのファンの心に残っており、小誌『感動の所在地』などでもその迫真の作品を数多く使わせていただいております。

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▲デジタルではなくフィルムにこだわった作品は荒川さんならではのもの。"山線"の列車ばかりでなく、当時のニセコ町周辺の生活の息吹きも感じられる。'14.10.3 P:有島記念館
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▲会場にはニセコ駅駅名標や模型なども展示されている。なお、10月15日~11月30日の間は会場の都合で展示スペースが狭くなるそうだが、展示内容に大きな変更はない。'14.10.3 P:有島記念館
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今回の写真展はこの一連の作品57点(2010年に東京の個展で展示)と、同時期に撮影されたニセコ駅を巡るある一日の記録や、当時のニセコ町の風景などの作品18点の計75点が展示されています。もちろん展示作品はすべて銀塩プリントですが、実は荒川さんは現在もフィルムにこだわり続けておられ、先日、プライベートで撮影をご一緒した際も、フィルムカメラを愛おしそうに持参されておれらました。

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▲講演会「回想・函館山線」でC62重連急行「ニセコ」を追っていた当時の思い出を語る荒川好夫さん。'14.9.13 P:有島記念館
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▲展示会場で観覧者と気軽に話し込む荒川さん(左)。講演会参加者には荒川さん自らが手焼きして、1点1点サインを入れたしおりがプレゼントされた(右)。'14.9.13 P:有島記念館
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また、すでに終了してしまっておりますが、去る9月13日には荒川さんの講演会「回想・函館山線」が開催されました。急行「ニセコ」を追いもとめていた当時の話をはじめ、その運行を陰で支えた鉄道マンの姿、1971(昭和46)年に急行「ニセコ」を車で追っかけ撮影していた際に、ニセコ町内の雪道でスリップして路外に落ちた裏話などを交えて、たいへん盛り上がった講演会だったそうです。

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ところでニセコ町と有島記念館ではニセコ駅構内にある転車台の"動態化"や、かつてニセコ駅(狩太駅)を起点にしていた「殖民軌道真狩線」の探訪など、地域に根ざしたさまざまな取り組みを行っています。来たる11月3日にはこれらの見学会も予定されているそうです。くしくも、この11月3日は19年前に「C62ニセコ号」の運行が廃止になり、転車台が使用停止となった日です。明日はこの転車台"動態化"の取り組みと、殖民軌道真狩線について詳しくご紹介してみましょう。

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第21回「鉄道の日」を祝う。

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▲今年の「鉄道フェスティバル」も恒例の日比谷公園大噴水広場周辺を会場に開催された。'14.10.12 日比谷公園
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先週末の3連休は全国各地で「鉄道の日」にちなむさまざまなイベントが開催され、ことにメインイベントともいえる東京・日比谷公園の「鉄道フェスティバル」は台風19号の襲来目前の11~12日の土日に開催され、今年も多くの来場者で賑わいました。

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▲全国各地の地方私鉄のブースが並ぶ。普段は現地に行かねば手に入らぬご当地グッズの数々が大人気。'14.10.12 日比谷公園
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10月14日がかつての「鉄道記念日」から「鉄道の日」へと変わったのが1994(平成6)年、今年で21年目。昨晩(14日)は東京・品川のグランドプリンスホテル新高輪「飛天」において盛大に「鉄道の日」記念祝賀会が開催され、全国の鉄道関係者の皆さんが集いました。

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▲台風19号が懸念されたが、幸いにも最後まで天気は崩れずに多くの来場者で賑わった。今年から各国大使館にも招聘を行い、11カ国が参加するなど、国際色豊なものとなってきた。'14.10.12 日比谷公園
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そしてその祝賀会上で、13回目となる「日本鉄道賞」の表彰が行われました。「日本鉄道賞」は、「鉄道の日」創設の趣旨である鉄道に対する国民の理解と関心を深め、国民の強力な支持を得るとともに、鉄道の一層の発展を期することを目的として、2002(平成14)年に創設された表彰制度で、鉄道に関する施設整備・サービス・映画・楽曲・アート・写真集・テレビ番組など様々な取組の中から優れた取組を表彰するものです。選考は「鉄道の日」実行委員会の日本鉄道賞表彰選考委員会によって行われます。

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▲今年の「日本鉄道大賞」は「東海道新幹線の50年 ~「進化」へのたゆまぬ努力と着実な実績~」が評価されて東海旅客鉄道株式会社が受賞した。 '14.10.14 グランドプリンスホテル新高輪
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141015n012.jpg今回の日本鉄道賞の選考は、家田仁東京大学大学院教授を選考委員長とする表彰選考委員会(委員:8名)によって行われました。
その結果、以下の受賞が決定しました。

▲記念祝賀会で挨拶をされる「鉄道の日」実行委員会会長の森地 茂政策研究大学院大学政策研究センター所長教授。'14.10.14 グランドプリンスホテル新高輪
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▲日本鉄道賞表彰選考委員会による「『鉄道×ヒーロー』で親子が鉄道をもっと好きになる!」特別賞は株式会社テレビ朝日・東映株式会社・株式会社東映エージエンシーによる「烈車戦隊トッキュウジャー」が受賞。'14.10.14 グランドプリンスホテル新高輪
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141015n015.jpg【日本鉄道大賞】
東海旅客鉄道株式会社
「東海道新幹線の50年 ~「進化」へのたゆまぬ努力と着実な実績~」
【日本鉄道賞表彰選考委員会による特別賞】
「震災復興支援」特別賞
三陸鉄道株式会社、東日本旅客鉄道株式会社
「三陸の復興を願って! 地域の協力が実を結んだ公共交通の早期復旧」

「『鉄道×ヒーロー』で親子が鉄道をもっと好きになる!」特別賞
株式会社テレビ朝日・東映株式会社・株式会社東映エージエンシー
「烈車戦隊トッキュウジャー」

▲日本鉄道賞表彰選考委員会による特別賞の「震災復興支援」特別賞は「三陸の復興を願って! 地域の協力が実を結んだ公共交通の早期復旧」の三陸鉄道株式会社、東日本旅客鉄道株式会社が受賞。'14.10.14 グランドプリンスホテル新高輪
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▲受賞盾を手に記念撮影に臨む三陸鉄道望月社長(左)と東日本旅客鉄道冨田社長(右)。'14.10.14 グランドプリンスホテル新高輪
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▲たくさんの園児たちに見送られて自走で扇形庫4番線を出る「義経」号。'14.10.10 P:高橋 修
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先週金曜日、10月10日15時から「梅小路運転区100周年記念セレモニー」が開催され、かねてより修復工事を行っていた7100形「義経」号が動態でお披露目されました。

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▲動態でこの転車台に乗るのは17年ぶりとあって多くのファンが詰めかけた。'14.10.10 P:高橋 修
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現在は梅小路蒸気機関車館を併設している梅小路運転区は、今からちょうど100年前の1914(大正3)年10月10日に二条機関庫と合併して「梅小路機関庫」として開設されました。重要文化財にも指定(2004年)されている鉄筋コンクリート扇形車庫もこの時(竣功日は11月10日)に建造されたものです。機関庫→機関区→運転区と名称こそ移り変わったものの、伝統ある「梅小路」の名称は実に一世紀にわたって守り抜かれてきたことになります。

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▲梅小路運転区長、梅小路蒸気機関車館館長らの手によって100周年の除幕が行われた。'14.10.10 P:高橋 修
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141014n007.jpgいっぽう「義経」号は、4月6日に52年にわたる歴史に幕を下ろした交通科学博物館から、建設中の京都鉄道博物館への展示車輌移設のトップバッターとして梅小路へと運ばれて大規模な整備が行われていたもので(アーカイブ「"義経"構内運転復帰へ」参照→こちら、「"義経"梅小路へ」→こちら)、約半年にわたる整備を終えて「SLスチーム号」としてその元気な姿を披露してくれました。「義経」号が「SLスチーム号」を牽引するのは、1997(平成9)年に京都駅グランドオープン記念行事の一環として運転されて以来、実に17年ぶりのこととなります。
▲来賓を交えてのテープカット。台風の襲来をぎりぎり回避してのセレモニーとなった。'14.10.10 P:高橋 修
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▲「SLスチーム号」の先頭に立つ「義経」号。「義経」の動態復活で梅小路の動態保存蒸気機関車は8輌(車籍を有さないB20 10、8630を含む)となった。'14.10.10 P:高橋 修
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セレモニー当日は、扇形庫前で来賓をはじめとした関係者による除幕、テープカットののち、招待された地元の幼稚園・保育園児たちに見守られて「義経」が転車台へと移動、「SLスチーム号」の先頭にたって汽笛を響かせました(「義経」号による「SLスチーム号」の今後の運転は未定)。
なお、梅小路蒸気機関車館では現在「梅小路運転区・梅小路機関車庫100周年記念特別展『汽笛響かせ一世紀』」を開催中(来年2月3日まで)です。

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▲湯浅 啓さんの写真展「RAILWAY DAYS~北陸発~」は新宿駅東口駅前、高野ビルの4階にある・コニカミノルタプラザ ギャラリーAで開催されている。'14.10.10 P:名取紀之
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今日から東京都内で注目の鉄道写真展がふたつ開幕しました。まずは新宿・コニカミノルタプラザ ギャラリーAで開催されている湯浅 啓さんの写真展「RAILWAY DAYS~北陸発~」からご紹介いたしましょう。

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▲ラフワークとして撮り続けている北陸の鉄道は四季折々さまざまな表情を見せてくれる。中には意外と撮影しにくい黒部峡谷鉄道のあまり目にしたことのないカットなども見受けられる。'14.10.10 P:名取紀之
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湯浅さんは1968(昭和43)年金沢市のお生まれ。1995(平成7)年よりフリーカメラマンとして北陸を拠点に活躍され、2005(平成17)年には写真集『能登線日和』を、続いて2008(平成20)年には『能登線憧景』を出版されました。ことに後者はその卓越した造本ともあいまって心に残っておられる方も多いのではないでしょうか。

141010n006.jpg今回の写真展は副題にもあるように、自らのフィールドである北陸、新幹線開業で変貌するであろう北陸を、慈しむように写し込んだ作品群で構成されています。「東京に住む人にとって北陸の地は、日本海側にある遠くて地味な地方というイメージがあると聞くことがあります、しかし実際は、四季折々の変化に富む自然があり、自然に抱かれて健気に走る鉄道の姿があります。そんな北陸の鉄道風景を鉄道ファンのみならず、一般の多くの皆さんにご覧いただきたくて、本写真展を催すことになりました」とは会場挨拶文冒頭の文言。
▲会場では湯浅さんご本人が来場者に親しく声を掛けてくれていた。'14.10.10 P:名取紀之
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▲出展作品には富山県内で撮影されたものが多い。湯浅さんによると富山県の鉄道はとりわけ魅力的とのこと。ちなみにその割りに富山地方鉄道が少ないのは、先行して富山で開催された写真展で発表しており、今回は初出の作品を中心に構成したためだそうだ。'14.10.10 P:名取紀之
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出品作品は2点を除いてデジタルで、ファインアート紙へ出力された画像は深い味わいがあり、豊富な階調に吸い込まれるような魅力が感じられます。
なお、試運転中の北陸新幹線も一枚だけ出品されていますが、やはり白眉はライフワーク的に撮り続けておられる「のと鉄道」をはじめとした北陸の日常風景の数々でしょう。地元に特化して撮影を続けられる姿勢は、鉄道写真の原点を思い返させてもくれます。

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もうひとつご紹介するのは吉永陽一さんの写真展、その名も「空鉄の詰合せ」です。吉永さんは空撮による鉄道写真を自ら「空鉄」(そらてつ)と名付けて独自の世界を築かれ、これまでにも2冊の写真集を上梓されていますが、先ごろ新刊『空から見た絶景鉄道』を出版され、その出版記念も兼ねた写真展の開催です。

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▲吉永陽一さんの写真展「空鉄の詰合せ」は浅草のバンダイ本社向かいのギャラリーtenabetteで開催されている。エントランスには巨大な空撮のスクリーンが...。'14.10.10 P:牧窪真一
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▲まさに縦横無尽の空撮。新刊書籍と同様に新幹線の空撮も多数展示されている。'14.10.10 P:牧窪真一
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141010n101.jpg空撮写真は地上からの撮影に比べてひとコマに写り込む"情報量"が圧倒的に多く、まさに見れば見るほど発見があります。しかも吉永さんの作品はイベント等で新聞社が撮影する空撮とは異なってほとんどが日常の世界の空撮であり、走っている車輌はもとより、通行人からなにから普段の光景が平面となって切り取られている不思議さも大きな魅力です。
▲なんと床面にも作品が敷き詰められている。右奥で説明されているのが吉永さん。'14.10.10 P:牧窪真一
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実は残念ながら私はまだうかがえていないのですが、この3連休、ゆっくりとふたつの鉄道写真展を巡ってみられてはいかがでしょうか。

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▲会場となるアディ―レ会館ゆうばりはかつての夕張本町駅。'67年 P:石田 司(提供:三菱大夕張鉄道保存会)
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毎年恒例の「汽車フェスタ」をはじめ、地道な活動を続けている三菱大夕張鉄道保存会から10月25日(土)に開催される「鉄道遺産活用シンポジウム」のご案内をいただきました。

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▲今年も多くの来場者が楽しんだ「汽車フェスタ2014」。'14.9.7 P:川合宏幸
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汽車フェスタも盛況に終わり、夕張は一気に秋の気配を深めていますが、北海道各地で鉄道遺産を利用してまちづくりを行っている団体による「北海道鉄道遺産ネットワーク」(会長・飯田勝幸/NPO北海道鉄道文化保存会代表理事)と三菱大夕張鉄道保存会は10月25日(土)に、アディ―レ会館ゆうばり(夕張市本町4丁目)を会場として「鉄道遺産活用シンポジウム」を開催します。

141009n007.jpg当日は13時30分に同会館前に集合、旧夕張本町駅が一階に入居し、来春には閉鎖予定の会場となるアディーレ会館ゆうばりや「SL館」、旧南大夕張駅跡等の鉄道遺産見学後、全国唯一の財政再生団体の夕張市で維持・管理が困難になっている鉄道遺産の現状とその活用法を考え、合わせて道内各地の鉄道遺産活用の状況を紹介し、鉄道遺産を活用した地域活性化を展望します。
▲「汽車フェスタ2014」前夜の情景。'14.9.6 P:川合宏幸
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▲保存のため夕張本町駅跡の夕張市郷土資料館に回送される夕張鉄道14号機。'72.5.20 P:柴原新平所蔵(提供:三菱大夕張鉄道保存会)
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当日は札幌発着の夕張鉄道㈱による「夕張の廃線跡バスツアー」も企画されており、栗山公園の夕張鉄道21号や旧新二岐駅等を経て夕張市内に入りシンポジウムの鉄道遺産見学に合流、その後は続けてシンポジウムへの参加か、真谷地・登川地区の探索を選べる行程となっています。シンポジウムへの参加は申し込み不要で無料。バスツアーは料金5,500円で申し込みは夕鉄旅行センター(電話011-382-1101)に。

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▲三菱大夕張鉄道大夕張炭山駅の転車台上の№4。'70年頃 P:松下 実(提供:三菱大夕張鉄道保存会)
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141009n008.jpg開催日:10月25日(土)
場 所:アディーレ会館ゆうばり2階・夕張市本町4丁目
集 合:13時30分までに アディーレ会館ゆうばり前
鉄道遺産見学:13時30分~15時20分頃 旧夕張本町駅・SL館・旧南大夕張駅跡ほか
※鉄道遺産見学の際の移動は各自自家用車乗合わせをお願いします。
シンポジウム:15時25~17時00分
・夕張の鉄道遺産について
・鉄道遺産を活用したバスツアー等の展開について
・北海道鉄道遺産ネットワーク会員紹介
・質疑応答、まとめ
主催:北海道鉄道遺産ネットワーク・三菱大夕張鉄道保存会
後援:北海道新聞夕張支局、読売新聞夕張中央メディアセンター、夕張タイムス社
協力:夕張地域史研究資料調査室

▲「SL館」で4号機を見学する参加者の皆さん。'11.7.30 P:三菱大夕張鉄道保存会
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▲廃線跡バスツアーと鉄道遺産活用シンポジウムのフライヤー。
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▲瀬戸蔵ミュージアムといえば、モ754のカットボディと尾張瀬戸駅旧駅舎の再現でも有名。この懐かしい駅舎の前にある展示室で「せとでん展」」が開催された。P:山田 司
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愛知県瀬戸市の瀬戸蔵ミュージアムで、去る8月2日(土)から9月28日(日)の間、「せとでん展~赤い電車の軌跡~」が開催されました。本来であれば会期中にご紹介できればよかったのですが、山田 司さんからお送りいただいたレポートでこの企画展を振り返ってみたいと思います。

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▲展示室内の様子。「赤い電車」各系列の解説とともに、赤い電車に関わるさまざまなエポック、知られざる資料も紹介されていた。P:山田 司
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141008n3.jpg名鉄瀬戸線といえば、名鉄路線網中全く他線との接続がない唯一の存在であり、戦前、戦後~現在に至るまで、独自の歴史を歩んできた感があります。そのため、かつて「青電」と呼ばれた名鉄の戦前形一般車が濃緑色を標準としていたのに対し、瀬戸線ではむしろ原色に近い色相の緑色をまとうなどの差異も見られ、揖斐・谷汲線とともに地方私鉄的小型・中型車たちの終の棲家となっていました(RMライブラリー『名鉄瀬戸線 -お堀電車廃止からの日々-』参照→こちら)。
▲瀬戸線に初めて登場した「赤い電車」には逆富士形系統板やパノラマカーと同じミュージックホーンも装備され、車内にはもちろん転換クロスシートを備えた。P:山田 司
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▲6000系引退までは、瀬戸線では沿線催事の絵入り系統板やヘッドマークを頻繁に掲出し、ファンの注目を集めてきた。P:山田 司
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141008n5.jpgしかし、本格的なマイカー時代を迎えた1966(昭和41)年、瀬戸線のテコ入れ策としての特急運転が始まり、この大役を担ったのが、モ900形(旧知多電デハ910形)とク2300形(旧愛電電7形)で、まだ本線にもパノラマカー7000系、7500系以外にスカーレットの車体は存在しない時代、この戦前形コンビはスカーレットをまとい、パノラマカー譲りの逆富士形系統板やミュージックホーンまでも与えられました。
▲昭和50年代頃の硬券や軟券は今見ると実に味わい深い。瀬戸線では券売機が導入されてからも、乗車券の窓口販売は普通に行われていた。P:山田 司
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▲名古屋鉄道模型クラブ会員 足立健一氏製作のペーパー製6600系(左)。昭和50年代の作とのことであるが、いまだ歪みも見られず、先頭部の再現も秀逸。足立氏はこのほか、真鍮製フルスクラッチのOJゲージ6750系4連も提供し人気を呼んだ。右は瀬戸鉄道倶楽部が、「瀬戸線90周年展」(1995年/瀬戸市歴史民俗資料館)に際して製作した集合レイアウトでいまだ健在。P:山田 司
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これが瀬戸線の赤い電車のルーツとなったのですが、それから48年経った今年4月、今度は本線系に先駆けて瀬戸線から赤い電車が一掃されることとなり、18編成72輌全車がステンレスシルバーの4000系に統一されました。以前の、車輌近代化が本線系より後手に回っていた瀬戸線が、名鉄の中でもいっきに最先端に躍り出るという画期的な現象が起こった反面、6600系や6000系の、ふくよかなスタイルにスカーレットの塗色を持つ「赤い電車」こそが瀬戸線らしかった、と惜しむ利用者の声が予想外に多く上がりました。

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▲同時開催の「水野ア一(みずのあいち)せとでん版画展」。水野氏が瀬戸線を題材に制作を続けてきた版画やスケッチ画も見ごたえ充分であった。P:山田 司
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▲昭和30年代から瀬戸線沿線のスケッチを続けてきた水野ア一氏ならではの観察眼と温かみの感じられる作品は、瀬戸線の記念乗車券などにも採用されるほど(左)。会場内には、版画展を開催している水野ア一氏制作による特製スタンプが置かれ、見学者にとって、ちょっと素敵な記念となった(右)。P:山田 司
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瀬戸蔵ミュージアムでは、そういった沿線利用者の「赤い電車」惜別の声に応え、瀬戸線半世紀の歴史を積み上げてきたスカーレットの車輌全系列を紹介し、その記憶を辿る企画展を催したものです。同ミュージアム担当者の話では、「せとでん」をテーマとした企画展は例外なく入りがよい傾向が見られるそうですが、今回はレイルファンよりも沿線利用者と思われる入館者が懐かしげに展示を眺める光景が特に多く多く見られた、とのことで、「赤い電車」がいかに半世紀にわたって瀬戸線沿線で親しまれてきたかが窺える企画展となりました。

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▲花岡で産出された鉱石を満載し、小坂を目指す混合列車。すでに改軌間近で、道床は改軌準備されている様子がうかがえる。'62.5 岱野-雪沢鉱泉 P:髙井薫平 (RMライブラリー『小坂鉄道(上)』より)
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国外に出ていたりしてすっかりご紹介が遅れてしまいましたが、RMライブラリーの新刊、第182巻『小坂鉄道』上巻が発売中です。著者は『消えた轍』をはじめ地方私鉄探訪ではすっかりお馴染みの寺田裕一さん。ご自身のリアルな体験をベースに、公文書等を駆使して小坂鉄道の100年にわたる歴史をひも解きます。

RML182_h1sn.jpg小坂鉄道、同和鉱業、小坂製錬と何度か社名が変わったこの鉄道の旅客営業が廃止されたのは1994(平成6)年ですから、今年でちょうど20年が経ったことになります。とはいえ、貨物営業の終了は6年前の2008(平成20)年3月でしたから、DD13タイプの三重連などつい昨日のように思い出される方も多いのではないでしょうか。

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▲1950(昭和25)年には小雪沢まで電化区間を延伸。さらに大館までの全線電化も目論んでいたが、その後、全線改軌に合わせ内燃動力で統一することになった。 (RMライブラリー『小坂鉄道(上)』より)
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この鉄道について改めて概要をご紹介しますと、十和田湖の西に位置する小坂とその西側の奥羽本線大館駅の間23.3kmの小坂線、そして大館と花岡の間4.8kmの花岡線からなる鉄道です。もともと銅山として発展していた小坂と大館を結ぶ目的で1908(明治41)年に小坂鉱業所の専用鉄道として開通したものでしたが、その後、小坂の銅鉱が枯渇してきたことから、大館に近い花岡から産出される銅を小坂で製錬することになり、大館~花岡間が1914(大正3)年に開通しました。

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▲右は大館駅構内。改軌後の大館駅構内は広大なヤードが特徴だったが、軽便時代は非電化区間の車輌の拠点として機関庫があった。 (RMライブラリー『小坂鉄道(上)』より)
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この鉄道の特徴は日本の近代化に合わせたかのように変貌を続けたことで、開業時は全線762mm軌間、蒸気動力の軽便鉄道でしたが、当初から新造の蒸気機関車とボギーの客車を揃え、1927(昭和2)年には勾配のきつい小坂~茂内間を電化、電気機関車を導入しました。戦後は電化の延伸とともに改軌を目指し、1951(昭和26)年に花岡線を改軌、その後両線相次いでディーゼル機関車を導入し、そして1962(昭和37)年には小坂線も改軌され、車輌も一新されたのです。

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▲開業時に用意された8輌のボギー客車をはじめ、軽便時代の小坂鉄道には述べ15輌の客車が足跡を残した。 (RMライブラリー『小坂鉄道(上)』より)
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本書は上下巻に分けてこの小坂鉄道の歴史と車輌群を紹介するもので、上巻では専用鉄道の開通から1962(昭和37)年の小坂線改軌までの歴史を解説するとともに、その車輌群を多数の竣功図とともに解説しています。なお、今月発売の下巻では、1067mm軌間に改軌後の歴史と車輌について解説する予定です。折しも終点・小坂駅構内は昨秋より「小坂レールパーク」として整備され、鉄道末期を支えた車輌たちが動態で保存されています。本書をご覧になってから、秋の一日、小坂レールパークに足を向けてみられてはいかがでしょうか。

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JR東海 キハ25形1000番代登場。

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▲岐阜方のキハ25-1102を先頭としたキハ25形1000番代(P102編成)。'14.9.19 美濃太田車両区 P:RM(伊藤真悟)
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JR東海では、より一層の安全性の向上とサービス向上を図るため、キハ25形に新たな機能・設備を追加したキハ25形2次車(1000番代)を導入し、9月19日に美濃太田車両区で報道陣に向けて公開を行いました。

002_MG_6674_1040px.jpg1次車(0番代)からの改良点は、東海道新幹線のN700Aに搭載している台車振動検知システムをベースとした「振動検知装置」を在来線として初めて搭載したほか、「動力伝達軸落下防止枠」の強化、「減速機の支え構造」の改良など安全性向上を図っています。また、鹿対策の「鹿衝撃緩和装置」を前面に標準搭載しているのが特徴です。
▲前面は種別・行先表示器を助士側上部の1箇所に集約。0番代とは表情を異にする。'14.9.19 美濃太田車両区 P:RM(伊藤真悟)
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▲前面スカート部に設置された「鹿衝撃緩和装置」。分割併合が可能な形状で、今回の新製車輌から標準搭載となる。'14.9.19 美濃太田車両区 P:RM(伊藤真悟)
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客室内は、0番代は転換クロスシート(妻部はロングシート)でしたが、今回の1000番代はロングシートとなり、同社の気動車では初めて客室灯にLED照明が採用されました。

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▲客室内はすべてロングシートとなっている。写真はキハ25-1102の後位側から前位側を見た状態。'14.9.19 美濃太田車両区 P:RM(伊藤真悟)
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編成はキハ25-1000代+キハ25-1100代の2輌編成で、キハ25-1000代は後位側に車いす対応トイレと車いすスペースを設置し、バリアフリー設備を充実しています。

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▲キハ25-1000代の後位側に設置された車いす対応トイレと車いすスペース(左)。運転台は0番代に準じたレイアウトとなっている(右)。'14.9.19 美濃太田車両区 P:RM(伊藤真悟)
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このキハ25形1000番代は、今年度に高山本線・太多線へ16輌を投入し、今年12月1日から順次営業運転を開始する予定で、キハ40系とキハ11形が取り替えられることになります。さらに来年度には紀勢本線・参宮線に36輌を投入する計画となっています。

取材協力:東海旅客鉄道株式会社

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ドコービルの切通し。

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▲決して山手線のE231系を撮っているのではない、今からちょうど130年前、わが国初のドコービルが切り拓いた日本鉄道第一区材料運搬線(品川線)の現況を撮っている。右奥に軽便鉄道模型祭が開かれている目黒さつき会館が見える。'14.9.28
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先週日曜日は毎年秋の恒例となった軽便鉄道模型祭へ。会場はお馴染みの目黒さつき会館ですが、同開館での開催は改築のため今年が最後とのこと。JR目黒駅からさつき会館への坂道を下りながら、今年はドコービルに思いを馳せていました。

141002n601.jpgというのも、前日の土曜日(9月27日)午後、早稲田大学大久保キャンパスで古谷昌二さんの講演「平野富二とドコビール軽便鉄軌事業」を拝聴したばかりで、件の山手線目黒界隈こそ、平野富二が最初にドコービル軌道を用いた記念すべき場所にほかならないからです。古谷昌二さんは早稲田大学を卒業後、石川島重工業(現IHI)に勤務、定年退職後に同社の祖でもある平野富二について膨大な調査研究をされ、昨年はその成果を纏めた実に864頁におよぶ大冊『平野富二伝 考察と補遺』(朗文堂/税別12,000円)を上梓されたばかりです。
▲古谷昌二さんのご著書『平野富二伝 考察と補遺』のフライヤー。なお、古谷さんは平野文書に基づいて「ドコビール」と表記されている。
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平野富二は石川島のルーツとなる造船事業をはじめ、海運事業、土木事業、そしてドコービルの専売人として鉄道事業にも足跡を残した、まさに明治期の産業近代化のパイオニアの一人でした。さらに本木昌造とともに活版印刷業を成功させたわが国の近代印刷技術の始祖としても知られており、出版業の片隅に身を置くものとしては決して足を向けて寝ることのできない存在でもあります。

141003n000.jpg実はこの平野富二とドコービルの関係は私も学生時代に興味を持って調べたことがあり、このたびの古谷さんの講演はその意味でも一層興味深くうかがうことができました。1878(明治11)年のパリ万博に出展されて以降、急速に世界に伝播してゆくドコービル・システムですが、平野富二はいち早く1883(明治16)年に日本における専売権を獲得、その有用性を知らしめるための、いわばデモンストレーションの場として受注したのが1884(明治17)年1月に起工した日本鉄道品川線上大崎180号(目黒橋、目黒不動尊付近とされるが古谷さんのご研究でも未だに場所は同定できず)~穏田(現在の渋谷-原宿間)間の土木工事でした。
▲1970年代にガリ版刷で大学鉄研の機関誌に発表した「土工比爾異聞」。「佛蘭西新發明小形輕便鋼鉄路効驗書及び報告書」所収の平野富二による効験書(1882年)や内務省臨時報告書などを資料にまとめた10頁ほどのもの。
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平野土木組はこの工事を他社の半値近い廉価で受注、『本木昌造・平野富二詳傳』や『日本鉄道請負業史明治篇』はその軋轢にまで言及していますが、古谷さんは今回の講演で平野土木の積算が決して不当なものではない点を論証されました。つまり、従来の人力土工の場合と異なり、平野は担当工区の地形を見てドコービル軌道による機械化土工のメリットを活かし、切通し工事で発生した土砂を、築堤構築に利用する手法を取ったのだそうです。その結果、廉価にも関わらす高い利益をあげることに成功しています。

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▲軽便鉄道模型祭では数多くのドコービル模型も見ることができた。写真はKEMURI PROの下島啓亨さんのOナローセクション。シーナリィがすべて生きている苔類という異色の作品。画面には見えないが、渓流横の池には本物のメダカも生息(?)している。'14.9.28
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「平野富二の輸入せる嶄新の土工用利器ドコービルに着目し、同業に率先して本区間の工事に初めて之を採用運転し...(中略)...本軌条を敷設し其上を初め容積一合位のトロリーを運転した。後二合五勺位の大なるものに改め且鉄鎖の切断其他にも事故頻発するに由り、又初め通り一合二勺大の容量にて連結を止め単車運転を行ひ、大に良成績を上げ鉄道当局の賞讃を博し...(後略)」(『日本鉄道請負業史明治篇』)、このデモンストレーションを視察した英国人パーマーが横浜水道建設で、オランダ人ムルデルが利根川治水工事で、また古河市兵衛が足尾銅山でドコービルを導入する運びとなってゆきます。

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▲ドコービルが築いた切通しを抜けて目黒駅に進入する山手線内回り電車。130年前のこの地ではどんな光景が展開していたのだろうか...。'14.9.28
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軽便鉄道はおろか、まだ人車鉄道でさえ生まれていなかった時代にドコービル軌道が敷設された目黒付近...今年の軽便鉄道模型祭でも数多くのドコービル模型が展示されていましたが、その真横がわが国のナローゲージの原点だったわけですから、不思議な縁を感じずにはいられません。

※ドコービル関係の主なアーカイブ
「年のはじめはドコービル詣で」こちら
「フランス製糖軌道の70年」こちら
「リリプットの森」こちら
「ノルマンディーに欧州最古の現役内燃機関車を訪ねる」こちら
「ドコービルの厩」こちら
「東大農場の軌道」こちら

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▲利尻富士に夕日が沈む。遅れに遅れた列車が汽笛とともに突然現れた。宗谷本線下沼-豊富 '74.3 P:齋藤 晃  (『国鉄時代』vol.39「北海道特集」より)
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不在が続きご紹介が遅くなりましたが、『国鉄時代』vol.39「北海道特集」が好評発売中です。今回も山下編集長から今号の見どころをご紹介いたしましょう。

141001n002.jpg『国鉄時代』vol.39「北海道特集」は早くも雪景色。降る雪や"昭和"は遠くなりにけり、といった趣きで旧き佳き北の大地の鉄道が甦る誌面となりました。多くのレイルファンが第二の故郷のように親しんだ北海道、C62がC55が、そして9600が生き生きと走っていた時代は、遥かに遠ざかってしましたが、今なお彼らの姿が、青春の思い出として脳裏に浮かぶ方も少なくないと思います。『国鉄時代』のページをよすがに、より鮮明な記憶の鉄路を辿っていただければ幸いです。

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▲2輌のC62は駿馬か悍馬か、4人の乗務員の手綱さばき次第でこの先の険路の行く末が決まる。後志の山々を越え小樽まで140km、準備は整い103列車は発車を待つばかり。'71.3.19 長万部 P:堀越庸夫  (『国鉄時代』vol.39「北海道特集」より)
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宗谷本線のC55や函館本線山線のC62重連は、北海道といえば昭和40年代の北海道のスター。本号でもベテラン齋藤 晃さん、堀越庸夫さんの秀作が、巻頭でダイナミックに展開します。夕景の利尻富士、雪晴れの羊蹄山は運を味方にしなければ難しいだけに、何度も挑戦して結局、果たせなかった方もいらっしゃることでしょう。機関車・列車の魅力もさることながら、貴重なシーンとして北海道の鉄道を語り継ぐ上で欠かせない舞台です。

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▲「北の9600との邂逅」より。宗谷本線徳満駅でC55 50が牽引する最果て鈍行と交換する、19616牽引の白い冷蔵貨車を連ねた鮮魚列車(右頁)。稚内漁港に水揚げされた新鮮な魚介類を旭川や札幌、そして本州の市場まで輸送する大役を担っていた。'72.5 P:寺田牧夫  (『国鉄時代』vol.39「北海道特集」より)
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そんな檜舞台の名優の陰に隠れいささか地味な役回りなのがC57。北海道のC57は200、201号機が新製配置されたのが嚆矢となり、28年間で延べ32輌が配置され、東は釧路、北は稚内、南は函館まで足を伸ばしています。この北海道の主力旅客機は、結局、最後の蒸機旅客列車を牽引ました。成田冬紀さんの「北海道のC57」は32輌全機の写真を掲載、その活躍を振り返ります。貴重な写真の中でも特に長万部以南のC57は珍しく、昭和43年まで臨時急行「石狩」を牽引していたということは聞いていても、写真を見ることはありませんでした。原田伸一さん撮影の仁山越えの重連と五稜郭の写真には驚きました。撮影者の原田伸一さんは函館から仁山まで、自転車で往復40㎞の道のりを辿り、函館発早朝5時20分のこの列車を仕留めたとうかがいました。まさに、努力の賜物です。

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▲「北海道のC57」より。左頁が仁山信号場を過ぎサミット峠下トンネルに向け20‰を駆け上がる重連牽引の3201レ臨時急行「石狩」。'65.8 函館本線仁山(信)-大沼 P:原田伸一  (『国鉄時代』vol.39「北海道特集」より)
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9600や道東のC58、羽幌線のD61、沼ノ沢のボールドウィンなど、多くの方が大切にしていた写真で展開、印象的な特集となりました。
一般記事では渡辺渥美さんの「飯田線 荷物電車アルバム」が、比較的地味な存在だった"荷電"を幅広い年代で集めたもの。中央アルプスを望む伊那谷の風景や山深い渓谷など、美しい舞台を行く姿もさることながら、自動連結器付きクモニ13の貨車牽引シーンなどあまり発表されなかった記録まで、旧型国電ファンにも手に取っていただける企画となっています。
特別付録DVDは「1970年北海道・冬」「北恵那鉄道」「D51木曽路を行く」の三本立て。ぜひお手にとってご覧ください。

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▲報道公開されたE233系8000番代N1編成。前面行先表示器は他番代と同様に、基本的に路線と行先を交互表示する。'14.9.17 中原電車区 P:RM(伊藤真悟)
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南武線用E233系8000番代がいよいよ10月4日にデビューします。今日は去る9月17日に中原電車区で行われた報道公開の様子を踏まえて、この南武線用E233系8000番代の概要をご紹介しましょう。

002_MG_6458.JPGE233系は0番代、1000番代、2000番代、3000番代、5000番代、6000番代、7000番代と投入線区ごとに番代を変えていますが、今回投入された8000番代は以下の相違点があります。
先頭車側面に南武線専用のデザイン帯を配置
これは横浜線用6000番代に続くものですが、6000番代は前面に横浜線のロゴを配しているのに対し、南武線用8000番代の前面は従来通りとなっています。
パンタグラフ付近に安全帯フック掛けを設置
降雪時にパンタグラフに積もった雪を取り降ろす際の安全対策として導入されたもので、パンタグラフ部分の両側に設置されています。
▲「各駅停車」表示は、0番代と同様の黄色地とされている。'14.9.17 中原電車区 P:RM(伊藤真悟)
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004_MG_6415n.jpg腰掛モケットの色調を南武線専用のものに
この色調は中原電車区の社員により決定したもので、背ずり部分が黄色系となっています。客室内については9月28日に登戸駅2番線で展示会が開催されましたので、ご覧になられた方も多いかと思います。
運転台の防護無線機下部付近と時刻表差しの裏面にコンセントを設置
JR東日本では輸送障害時の迅速な対応や利用客への案内などのサービス向上を目的として、乗務員(運転士・車掌)にタブレット端末を配備していますが、このコンセントはそのタブレット端末の充電用ということです。
▲パンタグラフ付近に設置された安全帯フック掛け。公式側・非公式側ともに取り付けられている。'14.9.17 中原電車区 P:RM(伊藤真悟)
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▲8000番代の特徴は、先頭車の車体側面に貼り付けた沿線の街並みをイメージしたデザイン帯。'14.9.17 中原電車区 P:RM(伊藤真悟)
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▲客室内全景。腰掛モケットの色調がオリジナルのものとされている。'14.9.17 中原電車区 P:RM(伊藤真悟)
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保安装置はATS-PとATS-SNを搭載
中原電車区に所属する車輌は車輪添削を国府津車両センターで実施しており、国府津車両センターへ入出場する際に浜川崎を経由することからATS-SNを追設しています。

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▲運転台は従来車と同様にグラスコクピットを基本とする。'14.9.17 中原電車区 P:RM(伊藤真悟)
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▲運転時刻表差しは従来車と同様に天井部に折り畳み収納が可能な構造(左)。背面にコンセントが設置された。防護無線機下部にもタブレット端末充電用のコンセントが設置されている(右)。'14.9.17 中原電車区 P:RM(伊藤真悟)
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なおJR東日本横浜支社と八王子支社では、E233系8000番代のデビュー予定日の今週土曜日10月4日に、武蔵中原駅2番線ホームで出発式の開催を予定しているほか、沿線主要駅では記念乗車券や記念商品の発売を予定しています(→こちらを参照〔PDF形式〕)。

取材協力:東日本旅客鉄道株式会社 横浜支社

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