鉄道ホビダス

2014年8月アーカイブ

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▲十三湖の湖岸に残る津軽森林鉄道相内線の軌道跡。津軽線側(青森湾側)から「六郎越え」で脊梁山脈を縦断した津軽森林鉄道は、さらに現在の津軽鉄道沿いを進む。'06.11.24
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2015年度末に開業を予定している北海道新幹線の「奥津軽いまべつ駅」駅名決定記念として、9月20日(土)に青森県東青地域県民局主催によるシンポジウム「よみがえれ 津軽半島森林鉄道」が開催されます。

140829n002.jpg場所は青森市沖館市民センター多目的ホール。弊社『木曽谷の森林鉄道』の著者で森林鉄道研究の第一人者である西 裕之さんの基調講演「ヒバ美林と津軽森林鐵道 その特色と魅力」のほか、もと東北森林管理局長で『国有林森林鉄道全データ(東北編)』(→こちら)を上梓された矢部三雄さんらによるパネルディスカッション(いずれも無料)も予定されています。
▲青森市森林博物館は、もとの青森営林局庁舎を利用した博物館。建物そのものも必見。'06.11.24
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▲青森市森林博物館の専用展示場に保存されている協三工業製4.8t機と客車「あすなろ」。客車は津軽森林鉄道で巡視用に使用されていたものだが、機関車は下北半島の大畑森林鉄道のもの。'06.11.24
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また隣接する青森市森林博物館では企画展「よみがえれ津軽半島森林鉄道」(9月13日~23日/入館料必要)が開催されるほか、9月14日(日)には「津軽半島・津軽森林鉄道産業遺構ツアー」(募集60人/有料・抽選)が、21日(日)には協賛イベントとして「青森ひば林と森林鉄道軌道跡トレッキング~喜良市川支線軌道跡~」(募集25人/有料)が開催される予定です。

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北海道新幹線「奥津軽いまべつ駅」開業に向けて、津軽半島地域に潜在する地域資源の「森林鉄道」を活用し、文化的・歴史的価値を見直す機会としようと企画されたこのイベント、林鉄ファンにとっては千載一遇の機会となるはずです。秋の一日、津軽半島に足を運んでみてはいかがでしょうか。
※津軽森林鉄道についてはアーカイブ「津軽森林鉄道跡をゆく」参照。こちら

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▲新設される特急「しらゆき」の車外イメージ。新潟~上越妙高間(一部は新潟~新井間)を結んで活躍する予定。(画像提供:JR東日本新潟支社)
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昨日、JR東日本とJR西日本から、北陸新幹線長野~金沢間の開業日と、開業後の運行計画の概要が発表されました。注目の開業日は来年3月14日(土曜日)。最速達列車は東京~金沢間を2時間28分、東京~富山間最速達列車は2時間8分で結ぶことになります。

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▲北陸新幹線各列車の停車駅。(JR東日本/JR西日本プレスリリースより)
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具体的な運転本数は以下が予定されています。
「かがやき」 東京~金沢間直通列車(速達タイプ) 10往復
「はくたか」 東京~金沢間直通列車(停車タイプ) 14往復
       長野~金沢間運転列車(停車タイプ) 1往復
「つるぎ」  富山~金沢間運転列車(シャトルタイプ)18往復
「あさま」  東京~長野間運転列車(現長野新幹線タイプ)16往復
※編成はE7系・W7系12輌編成(「あさま」号の一部はE2系8輌編成で運転)。

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▲北陸新幹線開業後の北陸エリアの特急・快速列車運転区間。(JR東日本/JR西日本プレスリリースより)
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気になる新幹線開業後の在来線特急列車等についてですが、まず以下の列車の運転が取り止めとなります。
・特急「はくたか」(越後湯沢~金沢・福井・和倉温泉間)
・特急「北越」(新潟~金沢間)
・特急「サンダーバード」(金沢~富山・魚津・和倉温泉間)
 (現在大阪~和倉温泉間を直通している4往復のうち、1往復の運転については継続)
・特急「しらさぎ」金沢~富山・和倉温泉間
・特急「おはようエクスプレス」金沢~富山・泊間
・快速「くびき野」新潟~新井間
・快速「妙高」(直江津~長野間)

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▲並行在来線となる各第三セクター鉄道の事業者名および正式な区間と営業キロ。(JR西日本プレスリリースより)
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いっぽう、新潟~上越妙高間(一部は新潟~新井間)にE653系による特急「しらゆき」が新設されます。
・新潟~上越妙高間で、特急「しらゆき」を4往復運転。
(このうち一部は、新潟~新井間で運転)
・金沢~和倉温泉間で、特急列車を5往復運転。
・福井~金沢間で、特急列車を3往復運転。
・新潟~新井間で、快速列車を2往復運転。
・新潟~糸魚川間で、快速列車を1往復運転。

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▲特急「しらゆき」に使用されるE653系1100番代の車内イメージ。E7系、W7系車輌の普通座席に使用されているモケットデザインに近いものを採用することで北陸エリア~新潟までの車内イメージに連続性を持たせている。(画像提供:JR東日本新潟支社)
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特急「しらゆき」に充当されるE653系は、常磐線で使用していたE653系車輌をリニューアルした1100番代で、車体の塗色は信越本線を走行する特急に相応しい、新たなデザインとされる予定で、そのイメージパースも発表されました。車体全体を列車愛称名「しらゆき」をイメージし、アイボリー系のホワイトで柔らかな印象を表現し、紫紺を車体上部および下部に配することで、沿線に広がる日本海の海と空の青さを、朱色で沿線の特徴でもある日本海に沈む夕日の海面への映り込みをイメージしたものとなっています。

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▲「かぼちゃ電車保存会」の皆さんの手によって現役さながらの情景を見せてくれる旧月潟駅ホーム。ちなみに「かぼちゃ電車とはその車体塗色から名付けられた愛称だという。'14.8.20
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1933(昭和8)年春に新潟電鉄として東関屋~白根間で営業開始した新潟交通鉄道線は、同年夏には両端部を延伸して県庁前(のちの白山前)~燕間35.8㎞全線が開業、戦時統合で新潟交通鉄道線となり、その後、半世紀近く路線を堅持していましたが、1992(平成4)年に白山前(もと県庁前)~東関屋間の軌道線区間を廃止したのを皮切りに、翌年には月潟~燕間が廃止されて、東関屋~月潟間21.6㎞のみが残されるかたちとなってしましました。起点・終点はもとより中間駅でもまったく他路線と接続しない、いわば孤島化してしまったわけです。頸城鉄道や下津井電鉄などほかにも同様の例がありますが、いずれも存続はならず、遠からず終焉を迎えることとなってしまいます。

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▲月潟駅ホームの今(上)昔(下)。架線柱の位置などを比べてみると、対向ホーム(下りホーム)は待合室を含めて新たに作り直されていることがわかる。'14.8.20/'98.10.20
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▲かつて貨物側線と貨物ホームがあった東関屋方の構内(下)は、すっかり整備されて駐車場と休憩スペース、トイレなどが設けられている(上)。'14.8.20/'98.10.20
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部分廃止後に残された区間の大半、越前大野~月潟間は中ノ口川の堤防に寄り添うようなかたちで路線が敷設されており、"かぼちゃ電車"と愛称されるどことなく温かみのある車体塗色とともに、新潟交通ならではの風景を見せてくれていました。

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▲全線廃止まで半年ほどとなった時点の月潟駅。停車しているのはモハ12の東関屋行き。'98.10.20
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▲月潟駅本屋を見る。新潟電鉄時代からのものと思われる木造の本屋は左右13.64mとかなり大きい。'98.10.20
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▲今でも現役当時のまま残されている月潟駅待合室内。1993(平成5)年以降は月潟~燕間が廃止されてここ月潟駅が終点となっていた。'14.8.20
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▲六分方の軌道跡は整備されて遊歩道となっている。右側の大きなモニュメントは2003(平成15)年に建立された「越後獅子の唄歌碑」で、美空ひばりファンも多数訪れるという。'14.8.20
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訪れた日は天気予報とは裏腹に真夏の太陽が容赦なく照りつける酷暑となりましたが、駅構内には自生していると聞くユリが可憐な花を咲かせており、一服の清涼剤となっていました。間もなくコスモスも花盛りを迎えるそうで、「かぼちゃ電車保存会」では9月28日(日)に公開イベントも企画されているそうです。新潟交通鉄道線の現役時代をご存知の方もそうでない方も、ぜひ足を向けてみられてはいかがでしょうか。

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▲中ノ口川(画面右)堤防から旧月潟駅構内を見渡す。保存車輌はもとより、しっかりと残された架線柱やカテナリーなどが新潟交通現役時代へとタイムスリップさせてくれる。'14.8.20
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先週の新潟取材の際は、旧月潟駅跡に残る新潟交通の保存車輌をまず訪ねることにしました。新潟交通鉄道線の最後に残された区間、東関屋~月潟間が廃止されたのは1999(平成11)年4月のことですから、早いものですでに15年の歳月が流れており、その存在は地元でも次第に忘れられつつあるようです。

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▲月潟駅ホームの今(上)昔(下)。16年の時間を隔ててのほぼ同位置からの撮影だが、当時の面影が見事に残されていることがわかる。ちなみに下の写真を撮影した1998(平成10)年当時は路線短縮でここ月潟が終点となっていた。'14.8.20/'98.10.20
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そんななかで特筆されるのがここ月潟駅跡を拠点に活動を続ける「かぼちゃ電車保存会」です。構内に保存されているモハ11、電動貨車モワ51、そしてラッセル車キ116の3輌のメンテナンスを行っているほか、往時の面影を色濃く残す木造駅舎や構内施設の保全に献身的な努力をされておられ、訪問当日も公開日でないにも関わらず、ご近所にお住まいのボランティアの方が通気のために車輌や駅舎の窓開けをしておられました。

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▲新潟交通のアイドル的存在だったモワ51も美しい姿で保存されている。末期はキ116の推進用としても活躍していた。'14.8.20
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そんな活動が実を結んで、本年3月18日には「旧新潟交通電車線月潟駅関連施設」として新潟市民文化遺産に認定されたそうです。3輌の車輌は屋外展示のため、車体外板の補修をはじめ、冬期間には全体をシートで覆うなどの保守が不可欠で、地元の皆さんを中心とした「かぼちゃ電車保存会」メンバーがその保全に地道に取り組んでおられます。

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▲モワ51(上)とモハ11(下)の室内。モワの貨物室内にはイベント時に使用される手押しトロッコが保管されているが、この輪軸は蒲原鉄道から譲ってもらったものとのこと。'14.8.20
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思い返してみると月潟駅を最後に訪れたのは1998(平成10)年のことですから、16年も前のことになります。中ノ口川からの川風が寒いほどの秋の日でしたが、今回訪ねてみて、駅構内は見事に往時の面影を残しており、既視感にとらわれるほどでした。しかも駐車場やトイレなど公園施設としての近代化整備も進んでおり、ボランティアの皆さんの保存活動とあいまって、この地が鉄道遺産を語り継ぐに相応しい実に魅力的なエリアに生まれ変わっていることに驚かされました。

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▲スノープラウがいかめしいモワ51の正面とモハ11が向き合うかたちで保存されている。'14.8.20
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▲8800形従来車と並ぶ「新デザイン車輌」。今後4年間をかけて同社保有の全編成が新デザインとなる。'14.8.22 くぬぎ山車両基地 P:RM(伊藤真悟)
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新京成電鉄では、今年の6月1日より新シンボルマークを使用していますが、これにあわせた「新デザイン車輌」が先週報道公開されました。

140825n001_new_symbol.jpg今回お披露目となったのは8800形8816編成と8900形8911編成で、新デザインはコーポレートカラーの「ジェントルピンク」(特色カラー:DIC111/プロセスカラー:M80%)と「白」(マンセル値:N9.5)とで構成されています。鋼製車輌の8800形は車体上部を「白」、車体下部とスカートを「ジェントルピンク」とし、ステンレス車の8900形は前面上部を「白」、前面下部を「ジェントルピンク」、帯を「ジェントルピンク」+「白」としています。
▲新京成電鉄の新しいシンボルマーク。カーブの多い路線の特徴から着想し、新京成のイニシャル「S」をデザインしている。また、ライン状につながり、右上に上って行く形が一歩一歩ステップし続ける姿勢を表している。(画像:新京成電鉄ウェブサイトより)
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▲8800形と8900形の前面。従来のイメージとは全く異なるものとなった。また両形式とも運転士側窓下に新しいシンボルマークが配されている。'14.8.22 くぬぎ山車両基地 P:RM(伊藤真悟)
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今回の車輌の新デザイン化は、4年間で保有する全4形式26編成に施す予定で、鋼製車輌の8000形は8800形と、ステンレス車輌のN800形は8900形と同様なデザインとなる予定です。これにより、各形式により異なっていた車輌デザインが統一されることになります。
なお8900形は新京成電鉄唯一の8輌編成ですが、公開された8911編成は中間の2輌(サハ8914、サハ8915)を抜いた6輌編成化が実施されており、残る8921、8931編成も6輌編成化のうえ新デザイン化される予定となっています(抜かれた中間車は廃車予定)。

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▲新デザインとなった8800形8816編成(左)と8900形8911編成(右)。8900形8911編成は6輌編成化されている。'14.8.22 くぬぎ山車両基地 P:RM(伊藤真悟)
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この「新デザイン車輌」は、8800形8816編成が8月29日から、8900形8911編成が9月中旬から運行を開始する予定です。運行する時間や距離は日によって異なりますが、一日最大6~7往復(このうち4往復は京成千葉線へ直通運転)の運行形態となります。
また、同社の笠井孝悦取締役社長は「新鮮で都会的なイメージである『ジェントルピンク』を車体に入れ、ブランドイメージをさらに強化していただければと思います。安全・安心輸送と快適な空間の提供に、一層努力してまいります。」とコメントしています。

取材協力:新京成電鉄株式会社

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▲上り「ニセコ」は吹雪の上目名を越えて黒松内を過ぎると太平洋側に入り正面からの冬の弱い日差しがほほ笑む。白煙を噴き上げ新雪を舞い上げ白く縁取りされた機関車が迫る。旋回窓の円が印象的だ。'70.1 函館本線 黒松内~蕨岱 P:齋藤 晃(国鉄時代Archives5『C62形蒸気機関車 1』より)
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『国鉄時代』掲載の珠玉の記事をベースに、形式ごとに再編集した『国鉄時代アーカイブズ』の第5弾、国鉄時代Archives5 『C62形蒸気機関車 1』が好評発売中です。今日は編集を担当した山下編集長より、その見所をご紹介いたしましょう。

c62_h1.jpg季刊『国鉄時代』はご好評いただいておりまして、品切れとなったバックナンバーも多くあります。ご要望も多数寄せられ、テーマ別に再編集いたしました『国鉄時代アーカイブズ』を発刊しておりますが、その第5弾はC62が8月21日に発売となりました。新規の巻頭カラーグラフは「C62輝ける日々」と題してベテラン齊藤 晃さんのカラー写真で構成しております。撮影後40年を経過していますが、最新技術で撮影と変わらぬ鮮度で「ニセコ」「安芸」「ゆうづる」が甦ります。

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▲C62 2〔宮〕 山科の大カーブから直線コースにさしかかった2レ「つばめ」。白銀の世界に咆哮が勇壮に轟く。'55.1.7 京都~山科 P:佐竹保雄(国鉄時代Archives5『C62形蒸気機関車 1』より)
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「C62栄光の軌跡」は49輌全機の特急牽引の記録。全カットヘッドマーク付きで大半が走行写真という空前の企画です。全機牽引したかどうか疑問視する向きもあったものですが、これが決定的な記録となりました。多のベテランファンの方々の協力で東海道本線「つばめ」「はと」から山陽本線の「かもめ」やブルートレイン、そして常磐線の「はつかり」「ゆうづる」まで、絢爛たるC62の世界が広がる完全保存版。

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▲三品勝暉さんの「C62重連激闘記」は1963(昭和38)年冬の貴重な添乗記録。(国鉄時代Archives5『C62形蒸気機関車 1』より)
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また函館本線C62重連は、三品勝暉さんの添乗記、齊藤 晃さんの撮影記、そして元長万部機関区機関士の出村 勇さんの乗務回想録と多角的に構成、廃止43経った今でも生き生きと「まりも」「ていね」「ニセコ」の豪快無比な走りが甦ってきます。

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▲広島二区時代のC62 15号機。山陽タイプの装備になっておらず原形を良く保っていた時代の美しい姿。'55.3.11 P:佐竹保雄(国鉄時代Archives5『C62形蒸気機関車 1』より)
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また、新規ページとしては、佐竹保雄さん、髙橋和男さんによるC62の形式写真、さらに資料としては三宅俊彦さん協力による函館本線、東北・常磐線、山陽本線のC62時代の列車ダイヤ、糸崎機関区・平機関区機関車運用表を収録。
C62を語り尽くす重量級の一冊です。

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▲芝生が美しいゲレンデ斜面から3輌の保存車輌を見下ろす。かつて現役時代にこの同じ斜面を登ったことを思い出した。'14.8.20
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昨日は取材で早朝の新幹線で燕三条駅へ。県内をぐるりと回って新潟駅へと向かうラウンドトリップの道すがら、7年ぶりに冬鳥越スキーガーデンの保存車輌に会ってきました。天気予報では曇りのち雨との予報だったにも関わらず、幸いなことに好天に恵まれましたが、その分、今年の夏を締めくくるような強烈な猛暑の一日でした。

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▲ED1のキャブからモハ61をのぞむ。ダミーとはいえ、雰囲気満点の架線柱と架線によって今にも動き出しそうに見える。'14.8.20
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前回訪問したのは2007(平成19)年の11月(アーカイブ「蒲原のモハ1を見る」参照→こちら)。その後、村松駅跡にモハ31とともに保存されていた蒲原鉄道唯一の電気機関車ED1がこちらに移設されたと聞き、ぜひ訪ねてみたいと思っていたところでした。ちなみにモハ31の方はひと足先に2008(平成20)年に解体されてしまったそうで、残念な限りです。

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▲2009(平成21)年6月に村松から搬出され、補修・再塗装がなされてこの地に保存されたED1。他車と同様に加茂市の指定文化財ともなっている。'14.8.20
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▲良く原形を留めるED1のキャブ内。左右のベンチのように見えるのは元空気ダメの囲い。'14.8.20
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140821n006.jpgさて、冬鳥越に移って安住の地を得たED1は、村松~加茂間の開業時に日本車輌から購入された25tBB電機です。電気品は東洋電機の製造で、寺田裕一さんのRMライブラリー『蒲原鉄道 最後の日々』によれば、1930(昭和5)年5月29日に竣功届が出されており、外観的にはウエスチングハウス・ボールドウィン製のコピー機です。蒲原鉄道唯一の電気機関車として戦前戦後を通して貨物輸送に活躍したものの、晩年は除雪用としてかろうじて延命しているような状況でした。
▲サーキットブレーカーはデッカーのパテント表記がある東洋電機製の年代モノがそのまま残る。'14.8.20
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▲前回の訪問時には色あせてしまっていたモハ1も再塗装が施され、なおかつ木製の昇降台が撤去されて見学しやすくなった。'14.8.20
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▲蒲原鉄道末期の塗色を伝えるモハ61。本車も加茂市の指定文化財となっている。'14.8.20
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このED1もモハ1、モハ61とともに加茂市指定文化財となって大事にされており、前回は劣化の見られた2輌の電車も再塗装されて美しい姿となっていました。廃止から15年、蒲原鉄道の保存車輌も櫛の歯が抜けるように消えつつあるなかで、この3輌の美しい姿に暑さも忘れてほっとするひとときでした。

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▲現役時代を彷彿させる美しいシーンの中で保存されているだけに一見の価値あり。'14.8.20
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▲晩年の加悦駅構内。最後に稼働していた気動車はキハ08 3とキハ10 18(左から2・3輌目)であった。'85.2.16 加悦 P:小菅一己 (RMライブラリー181巻『加悦鉄道』下巻より)
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今月のRMライブラリーは、先月に引き続き、加悦鐵道保存会の皆さんによる『加悦鉄道』の下巻をお届けします。上巻ではその波乱万丈の歩みを解説していただきましたが、下巻では車輌の解説と施設などの資料を収録しています。

140819nrml181_h1.jpg1926(大正15)年の開業時、加悦鉄道は機関車2輌に客車1輌、貨車3輌でスタートしました。全線5.7kmで、当初は旅客と丹後ちりめんの輸送を目的としていたことから、それに必要最低限な車輌数だったのでしょう。その後、機関車の置換や客車の増備などが行われ、開業10年には初めてのガソリンカー・キハ101が新造されます。

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▲開業当時に投入された2号と開業翌年に入線した1号の竣功図。2号は現在も加悦SLの広場に大切に保存されており、国の重要文化財にも指定されている。 (RMライブラリー181巻『加悦鉄道』下巻より)
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しかし、この開業10年頃と前後して、加悦鉄道を取り巻く状況は一変。大江山から産出される鉱物を輸送するため、次々に機関車と貨車が投入されます。日本を取り巻く国際情勢が悪化するのに合わせ、ニッケルの国産化が急を要したための、国策に準ずるような措置でしたが、前後の専用鉄道区間を含めてもわずか11㎞ほどのこの鉄道に、1944(昭和19)年の時点では9輌もの蒸気機関車が稼働していました。

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▲南部鉄道から転入したDC351と新造機DD352。下に見えるDC302はDC351の検査時に北陸鉄道から借り入れたもので、加悦DC351とは製番が1番違いの兄弟だった。 (RMライブラリー181巻『加悦鉄道』下巻より)
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敗戦後は1953(昭和28)年に初のディーゼル機関車DB201を新造し、以後、内燃車輌の投入が進められ、1967(昭和42)年には蒸気機関車の使用を終了しました。内燃動車は長らくキハ101が孤軍奮闘を続けましたが、1962(昭和37)年に船木鉄道からキハ51を、そして1972(昭和47)年には国鉄から客車改造のキハ08 3を譲り受けました。また、変わったところでは、東急電鉄からサハ3104を譲り受け、客車として使用しています。そして、最後の増備車となった元国鉄キハ10 18まで、加悦鉄道60年の歴史には、貨車を除いても実に30輌もの車輌が足跡を残すことになりました。

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▲貨車は開業当時ワブ1、ト1・2の3輌のみだったが、鉱物輸送に対応するため一時は無蓋車を中心に56輌を数えた。 (RMライブラリー181巻『加悦鉄道』下巻より)
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本書では、これら加悦鉄道を走った歴代の車輌群について、写真と竣功図など加悦鉄道資料館で保管されている一次資料を基に解説します。また、専用鉄道を含めた構内配線図と線路縦断面も収録。加悦鉄道を記録する決定版となる本書、ぜひ上下巻合わせてご覧ください。

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▲市営交通90周年に際して屋外に展示された3050号。屋根上に白く見えるのは雨漏りを防ぐビニール。P:宮武浩二
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3050号
先の3001号の試作車から数えて3年後の1956(昭和31)年に量産タイプの高性能車が登場しました。高加減速を可能にした間接制御装置、弾性車輪と軌道吸着ブレーキを内蔵した台車を採用、大阪市電最優秀車輌として活躍しました。当時としては始まったばかりの高性能車を一挙に50輌導入した勇気は当時の技術者の不退転の覚悟の表れではなかったのかと思われます。当初は初期故障に悩まされたようですが、幾多の苦難も克服して市電最後の日まで走り続けることができたのも大阪市だけだったといえます。

140818n506.jpg市電全廃に際して素晴らしい性能を生かすべく他都市の路面電車事業者に照会をかけましたが、価格が高価であったため鹿児島市交通局に引き取られた4輌以外は小学校や幼稚園に払い下げられるなどしました。保存車として残すにあたり、トップナンバーの3001号と日本で初めてトランジスターを用いた無接点制御装置を持つ3030号とラストナンバーの3050号が候補にあがりましたが、50輌という数字を将来に残すためにラスト番号の3050号を残すことに決定し、事故などの損傷を受けないよう他車に先駆けて一足先に引退しました。現在は緑木車両管理事務所内にある市電保存館に保存され、毎年秋の市営交通フェスティバルで見ることができます。
▲日立製3050号の台車。特徴ある軌道吸着ブレーキが見える。FS57台車より台枠が強化され、両軸箱間にアンカーを取り付けた車輌(住友製)もあった。釣り上げるためにワイヤを通している金具にアンカーが付けられるようになっていた。P:宮武浩二
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▲朝潮橋資料室からレッカー車で搬入された直後の255号。P:宮武浩二
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無軌条電車255号
大阪市営の無軌条電車の営業は1953(昭和28)年9月1日大阪駅前から十三を経由して神崎橋に至る路線を走ったのが最初です。一時は路面電車を無軌条電車に切り替えるなど将来の市内交通を担うものと期待されましたが、架線に制約される無軌条電車は、機動力に勝る市バスにはかなわず、市電の廃止から2年ほど後の1970(昭和45)年6月14日をもって無軌条事業すべてが廃止されました。その際に将来を見据えて1輌の保存車を残したのが255号でした。

140818n505.jpg255号は昭和35年に大阪車輌工業で製造、ワンマン化改造されて無軌条電車最後の日まで活躍しました。255号を残すにあたっては当時中心になって保存交渉にあたられた方にお聞きすると、当時は全く理解が得られずたいへん苦労されたそうです。保存車の選定については一番程度の良い車輌を現場で選んでもらったとのことです。そのご保管場所を転々としたあと森之宮車両管理事務所で現在も保管されています。
▲搬入直後の255号。隣の801号はまだ設置前。P:宮武浩二
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▲森之宮に保存されている1081形のアメリカ・テーラーRH台車。低床式のボギー台車では唯一の保存例。P:宮武浩二
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戦後、新しい市内交通の担い手として東京、川崎、横浜、京都で活躍した無軌条電車は機動性に富むバスに働き場所を奪われ、昭和40年代に姿を消しました。現在は黒部ダムと立山で活躍しているものを除き、都市部で活躍した無軌条電車としては川崎市の無軌条電車が公園で集会所として利用されているのみです。当時苦労して残すことに尽力された方は故人となられましたが、そのおかげで完全な姿の無軌条電車トロリーバスを現在見られることができるわけです。日本の都市交通の一部を担った無軌条電車の生き証人として255号はこれから注目を集めることになることでしょう。

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▲朝潮橋の資料館から森之宮に移転された直後の255号と801号。'88.9.21 P:宮武浩二
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さきごろ大阪市電3輌 (801形801、2201形2201号、3001形3050号)と、無軌条電車1輌 (200形255号)合わせて4輌が大阪市指定文化財に指定されました。ちょうどタイムリーに今週末には保存車輌の特別公開も行われます。残念ながらこの「保存車両特別公開in森之宮検車場」はすでに定員に達して応募は終了しておりますが、保存車輌の概要をRMライブラリー『全盛期の大阪市電』の著者でもある宮武浩二さんからお送りいただきましたのでご紹介いたしましょう。

140818n521.jpg古くからの歴史と文化をもつ大阪市内には、多くの文化財があります。大阪市教育委員会では、国が指定した以外の文化財について調査を行ない、大阪の歴史と文化を継承する文化財を大切に守り、未来へ確実に伝えていくために、1999(平成11)年2月に大阪市文化財保護条例を制定し、同年7月に施行しました。
この条例に基づき、大阪市教育委員会では、平成11年度から毎年、大阪市の文化財を指定しています(昨年4月現在合計192件)。大阪市交通局の車輌については大阪市の発展に大きく寄与したこと、市民に長年親しまれていたことから、2003(平成15)年に市電4輌(11形30号、501形528号、1601形1644号、撒水車25号)、地下鉄車輌1輌(100形105号)が指定されました。
▲601形用ブリル39Eマキシマムトラクション。小さいほうの輪軸が外側になる。P:宮武浩二
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そして今年の指定文化財に、保存車として残っている車輌のうち市電3輌((801形801、2201形2201号、3001形3050号)と、無軌条電車1輌 (200形255号)合わせて4輌が指定されました。詳細については大阪市のホームページで紹介されておりますが、これを機会に大阪市電の保存車輌について紹介したいと思います。

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▲搬入直後の801号。前扉は折戸、中扉は両開扉。'88.9.21 P:宮武浩二
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801号
801形のルーツは大正9年に登場した木造ボギー式の1001形にたどりつきます。この1001形は大阪市電としては初めての大型車輌で片側3枚扉、中央扉は両開きと乗降時間の短縮が可能となりました。しかし車体の緩みがひどくなって1931(昭和6)年に車輌の電気品と台車を利用して福町の車輌工場で車体を新造したのが801形(801)でした。これの図面をもとに4輌の車体を田中車輌に発注して完成させたのが802~805号です。

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▲801号の車内。運転台に向けて車体が絞られているのがわかる。座席も車体に合わせて「くの字」になっている。'88.9.21 P:宮武浩二
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車端部が絞り込まれたスタイルで、いままで日本国内の車輌では見られなかって左右非対称の扉配置は、その後全国の都市の路面電車で取り入れられました。保存車となった801号は元の804号を改番したもので、春日出車庫を中心に活躍、1964(昭和39)年に廃車後保管されていましたが、市電全廃にともない車輌工場などで保管されてきました。ほかの保存車は市電保存館などで公開されることがありますが、この801号は森之宮車両管理事務所に2201号や無軌条電車255号とともに保管されているため、見る機会が少ない車輌と言えます。

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▲Zパンタも上げられ車体も磨かれた状態の2201号。'93.8.5 P:宮武浩二
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2201号
戦後、路面電車を都市交通の基幹交通としてグレードアップを図ろうと主要都市の技術者がアメリカに視察に行き研究を重ねた結果、1953(昭和28)年に日本版のPCCカーが東京都交通局と大阪市交通局に登場しました。東京は5501号という車輌で、現在も荒川車庫に隣接する「都電ひろば」で見ることができます。大阪は3001号という車輌を製造して実際の運用に入れながら量産開発への研究が行われました。この2201形はその過程で1954(昭和29)年に登場したもので、従来の古いタイプの技術とこれから採用したい新しい技術を組み合わせた過渡期の車輌だったわけです。まず制御方式は間接式制御器とし、きめの細かいノッチでスムーズな加速ができるようにしました。台車も前年に登場した2101形で実績のあったFS-57台車とし、車輪はアメリカでは主流となっていたゴムを挟んで乗り心地を改善した弾性車輪を採用、車体も3001形に倣った近代的に外観となりました。

140818n516.jpg運用に充ててみるといままでの電車より格段に乗り心地は良くなったものの、運転士からは、空気制動に慣れているところに電気制動を常用しなければならない運転を求められたことから、運転が難しい車輌として敬遠されました。それと床下に制御器を置くということが初めてだったこともあって粉塵が制御器の中に入り込んで運転に影響をあたえることもあり、制御方式を昔ながらの直接制御方式(KR-8)に変更、踏面ブレーキを多用する運転慣習からおこる摩擦熱による弾性車輪の劣化が進んだことから、鉄製車輪に交換されました。
▲2201号の台車、FS57P。:宮武浩二
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▲搬入直後の2201号と801号。'88.9.21 P:宮武浩二
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その後港車庫前から淀屋橋を経由して都島車庫前を走る23系統のワンマン運転化の車輌に充てられ、同系統の廃止まで活躍しました。市電廃止に際しては同じワンマンカーの仲間であった2601形14輌すべてが広島電鉄に譲渡(アーカイブ「広島で生きる大阪市電2601形」参照→こちら)され、同電鉄の近代化に大きく寄与、現在も一部の車輌が現役で活躍しています。一方ワンマンカーの先鞭をつけた2201形は第二の職場を得ることができず2201号のみワンマンカーの代表車輌として保存されました。現在は森之宮車両管理事務所で保管され、昨年は市営交通110周年を記念して通天閣前で展示された(アーカイブ「新世界に大阪市電、大阪市役所前に地下鉄登場」参照→こちら)のは記憶に新しいと思います。

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▲対岸の林道から見た水谷平の全景。右上に豆粒のように砂防軌道の列車の姿が見える。'78.10.8 P:古村 誠
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「立山砂防 あのころ」(→こちら)をご覧になられた古村 誠さんから、やはり1970年代に訪問された際の貴重な記録をお送りいただきました。

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▲樺平18段スイッチバックを対岸から遠望する。山腹を折り返しながら軌道が登ってゆくのがわかる。'78.10.8 P:古村 誠
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140813n205.jpg『レイル・マガジン』9月号は敬愛する広田尚敬さんの立山砂防に感激し、また8月8日付けの「編集長敬白」では懐かしい時代の立山砂防を拝見させていただきました。かく言う私が立山砂防に行ったのは、千寿ヶ原のみの訪問を除いて、1976(昭和51)年9月と1978(昭和53)年10月の二回だけですが、いずれも強烈に焼き付いています。ちなみに、大学の一般教養科目で地理のレポートのお題が「川について書きなさい」で、迷わず常願寺川の治水の歴史を書きました(もちろん合格しました)。
▲同じく対岸から見た水谷平。"鳶泥"と呼ばれる膨大な量の堆積土砂は極めて脆く危険な状態にある。'78.10.8 P:古村 誠
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▲堀川工機製DLに推進されて砂利線へと入ってゆくグランビー鉱車。いまさらよく見ると地上転倒機用の転輪がなく、手でダンプしていたのだろうか...。'75.9.3 水谷出張所 P:名取紀之
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▲小口川沿いの道端に山積みされていたグランビー鉱車。再利用するために集められたのか、詳細は不明。'76.9.1 P:古村 誠
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140813n201.jpgところで、「編集長敬白」に登場するグランビー鉱車ですが、1976(昭和51)年に訪ねた際には立山砂防にその姿はなく、妙なところで見かけました。それはやはり常願寺川支流の小口川発電所のメンテナンスに使用されている小口川軌道(水口建設)を訪れた際のことです。千垣駅から小口川軌道をめざして小口川沿いの道を歩いてゆくと、道端の空き地にグランビーが積み置きされているのを発見しました。その時は、この辺りに鉱山はなく、どこで使われたのだろうと不思議に思いながら写真を撮りました。
▲同じく野積みのグランビーを別角度から見る。'76.9.1 P:古村 誠
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▲白岩隧道出口から見た白岩堰堤付近。画面左フチにトンネルポータルが見え、すでにこの付近の軌道は埋められてしまっているのがわかる。'78.9.2 白岩堰堤付近 P:名取紀之
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この日の翌日に立山砂防の水谷に行ったとき、水谷から白岩堰堤に向かう軌道トンネルは併用軌道のように舗装が施されておりました。有峰林道の折立連絡所から奥の林道が白岩堰堤まで車が入れるようになったと聞きました。いまから思えば、そのため不要になったグランビーだったのでしょう。

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▲水谷の機関車駐泊設備。木造の小さな2線庫は林鉄を思わせる風情があった。ちなみに下に掲げたフィールドノートと比べると、数年の間に線路配置がかなり変わっているのがわかる。'78.9.2 水谷出張所 P:名取紀之
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▲庫内の「5-Tld-251」(左)。1972(昭和47)年北陸重機工業製の5t機である。右は機関庫裏の様子。'78.9.2 水谷出張所 P:名取紀之
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ところで、1978(昭和53)年の10月には、当時まだ一般車も自己責任で入ることができたその林道から水谷の対岸まで行きました。雄大な風景に感動するとともに、崩れつつある水谷平を目の当たりにして砂防工事の厳しさを思い知りました。

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▲フィールドノートに見る1976(昭和51)年当時の水谷出張所周辺。白岩隧道横に伸びてゆく線がグランビーが活躍していた砂利線。出張所山側には富山営林署の森林軌道跡も残されていた。
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古村さんありがとうございました。たしかに立山砂防でグランビー鉱車を見かけたのは1975(昭和50)年が最後で、それ以降は見た記憶がありません。現在では専用のバラスト車や生コン輸送用のアジテータ車なども備える立山砂防工事専用軌道ですが、当時は鉱山用の汎用品を応用して凌いでいたのかも知れません。それにしても、大崩壊している当時の水谷平の写真には圧倒されました。

※明日は会社休業日のため小ブログも休載させていただきます。

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▲E3系0番代改造のE3系1000番代L54編成。転用改造にあわせて山形新幹線の新塗装にされた。'14.8.7 新幹線総合車両センター P:RM(伊藤真悟)
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秋田新幹線にE6系を投入したことにより余剰となったE3系0番代のうち、R18編成は改造のうえ新幹線初のリゾート列車・E3系700番代"とれいゆ"となりましたが(→こちら)、このほど山形新幹線用に転用改造されたE3系が登場しました。

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▲14号車のE326-1104。E326-24を改造したもので、既存の編成にあわせてパンタグラフの向きを変えている。'14.8.7 新幹線総合車両センター P:RM(伊藤真悟)
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▲15号車のE328-1004。E329-24を改造。座席1列の追加により側窓も片側1つ増設されている。'14.8.7 新幹線総合車両センター P:RM(伊藤真悟)
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▲16号車のE325-1004。E325-25を改造。パンタグラフを撤去しているのが外観上の特徴。。'14.8.7 新幹線総合車両センター P:RM(伊藤真悟)
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140813n002_MG_4915.jpg改造種車はR24編成のE326-24、E329-24とR25編成のE311-25、E326-25、E329-25、E325-25、E322-25で、E329-25とE325-25の間にE326-24+E329-24を組み込んだかたちになっています。番代は1000番代へと改番のうえ、車号は既存の1000番代の続番となり、編成番号も続番の「L54」となりました。
▲編成番号は既存の1000番代の続番となる「L54」に。'14.8.7 新幹線総合車両センター P:RM(伊藤真悟)
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▲E328-1004後位側客室内。写真奥の1列が追加された腰掛。'14.8.7 新幹線総合車両センター P:RM(伊藤真悟)
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140813n010_L54_formation.jpg今回の山形新幹線転用に際して、各車の主な改造項目は次の通りとなっています。
○E311-1004(M1sc) 旧車号:E311-25
・荷物スペースの新設
・Dコック点検フタ施錠装置取付
・車いすスペース配置変更
・カーテンの山形仕様へ変更
・多目的室カーテン交換
○E326-1004(M2) 旧車号:E326-25
・リサイクルダストボックスのゴミ箱化
・Dコック点検フタ施錠装置取付
・カーテンの山形仕様へ変更
○E329-1004(T1) 旧車号:E329-25
・補助電源装置(APU)の1台撤去
・特高ケーブルフサギ板変更
・リサイクルダストボックスのゴミ箱化
・Dコック点検フタ施錠装置取付
・カーテンの山形仕様へ変更
○E326-1104(M2) 旧車号:E326-24
・パンタグラフの移設
・車いすスペースの普通座席化(1C・1D)
・リサイクルダストボックスのゴミ箱化
・Dコック点検フタ施錠装置取付
・カーテンの山形仕様へ変更
○E328-1004(T2) 旧車号:E329-24
・座席の1列追加(16A・16B・16C・16D)
・小便所の撤去
・電話室の撤去
・洗面所の移設
・補助電源装置(APU)の1台撤去
・リサイクルダストボックスのゴミ箱化
・Dコック点検フタ施錠装置取付
・カーテンの山形仕様へ変更
○E325-1004(M1) 旧車号:E325-25
・パンタグラフの撤去
・リサイクルダストボックスのゴミ箱化
・Dコック点検フタ施錠装置取付
・カーテンの山形仕様へ変更
○E322-1004(M2c) 旧車号:E322-25
・リサイクルダストボックスのゴミ箱化
・Dコック点検フタ施錠装置取付
・カーテンの山形仕様へ変更

▲E3系1000番代L54編成 編成表。
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▲E326-1104の1位側客室内は車いすスペースを普通座席化している。'14.8.7 新幹線総合車両センター P:RM(伊藤真悟)
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▲グリーン車の腰掛モケットは変更されていないが、カーテンは山形仕様に変更されている(普通車指定席も同様)。'14.8.7 新幹線総合車両センター P:RM(伊藤真悟)
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改造は総合車両製作所で施工され、海上輸送~陸送にて新幹線総合車両センターへと搬入されました。その後、塗装・標記類の変更を施して、7月30日には仙台―北上間で試運転を行なっています。

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▲普通車自由席の腰掛モケットも種車からの変更はないが、山形仕様のカーテンの色調は異なっている。'14.8.7 新幹線総合車両センター P:RM(伊藤真悟)
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なお同編成の営業運転への投入は取材日時点では未定とのことでしたが、そう遠くないうちに営業運転入りすると思われます。

取材協力:東日本旅客鉄道株式会社仙台支社

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▲会場は有楽町駅前の東京交通会館2階奥のギャラリー。写真のみならず、展示ケース内には貴重な歴史的模型なども展示されている。'14.8.11
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数ある大学鉄道研究会の中でも、その歴史と幅広い活動、さらには結束の強さで知られる慶應義塾大学鉄道研究会の80周年を記念した展覧会が、東京・有楽町の東京交通会館2階ギャラリーで開催されています。

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▲ギャラリーのエントランス。会期中は平日も会員の皆さんが親切に応対してくれるはず。'14.8.11
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慶應義塾大学鉄道研究会は1934(昭和9)年10月14日(鉄道記念日)にわずか3名によって設立され、戦前・戦後、そして平成の各年代の会員によって今日まで引き継がれてきました。また、そのOB・OG会である「鉄研三田会」はいまや日本の鉄道趣味界を代表する大ベテラン揃いで、弊社をはじめ多くの鉄道誌、書籍類でその類まれな成果を発表し続けておられます。

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▲「80年の歩み」と題されたコーナーでは、時代に翻弄されながらも鉄道趣味の炎を護り続けてきた先達の活動を振り返る。'14.8.11
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▲「会員の写真でたどる日本の鉄道80年のあゆみ」は毎年開催されている鉄研三田会写真展に代わる企画で、80年間の日本の鉄道ぼトピックスを1年1枚ずつの写真で展開してゆく。'14.8.11
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今回の「慶應義塾大学鉄道研究会80周年記念展示会」は従来定期的に行われてきた写真展とは異なり、写真のみならず、模型、行事記録、記念品、発表成果、さらには絵画にいたるまでを網羅して多角的に80年を振り返ろうというものです。

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▲見学会・撮影会の記録は、新幹線鴨宮モデル線や山陽本線電化直前の小郡機関区など、歴史ある鉄研ならではの貴重なシーンも多い。'14.8.11
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140812n005.jpg会場を入るとまず目に入るのが「80年の歩み」と題されたコーナーです。1938(昭和13)年に横川機関区ED40を前にした記念写真や、成田鉄道D1001(日立製作所製最初のディーゼル機関車)とともに写った若き姿に、その圧倒的な歴史を実感します。ややもすれば"楽屋落ち"になりがちな身内の記念写真も、80年という時空の中ではまさに時代を物語る記録となる良き実例と言えましょう。
▲周年ごとに製作されてきた記念品のコーナー。'14.8.11
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▲辛うじて廃棄を免れてきたという10分の1のナハ11形模型。その精巧な作りは現在も決して色褪せてはいない。'14.8.11
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鉄研三田会会長の伊藤正光さんのお話では、収集に苦労したのは意外にも学園祭である「三田祭」の記録だったそうです。現在と違ってデジタルカメラの無い時代ゆえ、インドアの学園祭展示を撮影することもなかなかなかったのでしょう。その一方、合宿や撮影会の写真は数多く、これもそれぞれ時代を反映したものとなっており興味深く拝見いたしました。

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▲模型展示のコーナーでは、戦前のスクラッチビルド・モデルから、近作までが展示されている。模型の楽しみの基本は「作ること」と「走らせること」というのがこのコーナーのコンセプトだそうだ。'14.8.11
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▲フルスクラッチのNスケール古典蒸機の数々(左)と、終戦直後に製作されたOスケールのモハ60など(右)。'14.8.11
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慶應鉄研にとって写真とともに忘れられないのが模型でしょう。古くから『鉄道模型趣味』誌上に模型製作記を掲載され、なかには時代をリードする鋭い模型も少なくありませんでした。残念ながら原品が失われてしまったものもありますが、戦前の模型を含めて数多くの"名品"が展示されており、わが国の模型史としても意義深い展示となっています。

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▲個性が光る絵画展示のコーナー(左)。もちろん現役会員による展示やNゲージレイアウトの運転(右)などもある。'14.8.11
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そして圧巻なのがこれまでに慶應鉄研、もしくはメンバーによって上梓された鉄道書を総覧するコーナーです。壁面一杯に展示された表紙は膨大な量で、なかには「島秀雄記念優秀著作賞」や「交通図書賞」などを受賞した著作もあって、その歴史がいかにわが国の鉄道趣味の発展に寄与してきたが知れます。

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▲圧巻なのがこれまでの著作物コーナー。ここに写っているのはその一角に過ぎない。'14.8.11
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いち鉄研の歴史に留まらず、日本の鉄道の歴史の後半7分の4、そしてそれに付随する鉄道趣味の歴史をも体感できるこの「慶應義塾大学鉄道研究会80周年記念展示会」は今週土曜日(16日)までの開催です。お盆休みの一日、ぜひお出でになってみてください。

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▲見事、文部科学大臣賞に輝いた明治学院中学校・明治学院東村山高等学校鉄道研究部のコーナーモジュール。山手線、総武線、中央線、山手貨物線(埼京線)が集中するJR代々木駅を見事な密度と完成度で模型化した。なおかつ、背後に聳えるNTTビルも同スケールで再現。'14.8.9
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先週末(8月9日・10日)は東京ビッグサイト(東京国際展示場)で「鉄道模型コンテスト2014」が開催され、6回目となる全国高等学校鉄道模型コンテストには実に120校もが、この夏に向けて製作した自慢の模型を持って集いました。

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▲その細部。決められたモジュールに合わせるために山手線を単線(!)にする(左)など、その柔軟な発想も大きく評価を上げた。また現地を丹念に調査した再現(右)も高校生レベルを超越している。'14.8.10
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この「鉄道模型コンテスト」は今年から文部科学省の後援となり、最優秀賞には「文部科学大臣賞」が授与される栄誉も加わったこともあって、ビッグサイトは高校生の熱気でたいへんな賑わいとなりました。なかでも白熱したのは、やはりエントリー数が圧倒的に多いモジュール部門で、昨年に続いて女子校の参加もとりわけ目立つ大会となりました。

140810n016.jpgさて、初めての「文部科学大臣賞」を手にしたのは、明治学院中学校・明治学院東村山高等学校鉄道研究部です。JR代々木駅をモチーフとしたコーナーモジュールは「学生が選ぶベストワン賞」と「加藤佑治賞」も同時受賞しており、驚くべきトリプル受賞を成し遂げました。詳しくはRMモデルズ誌上でもあらためてご紹介できるかと思いますが、企画力、観察力、表現力が見事に揃った作品で、審査員の東京芸術大学美術学部八木澤先生が、「作りきった」作品と賞賛されたのも頷けます。
▲文部科学大臣賞の賞状を手に喜びの明治学院中学校・明治学院東村山高等学校鉄道研究部のメンバー。'14.8.10
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▲モジュール部門優秀賞は2校。これは千葉県立千葉高等学校鉄道研究部の御茶ノ水駅で、"本線"は丸ノ内線とし、JR線はあえて6.5㎜ゲージを採用して狭軌感を演出。全体の構成の巧みさと適度なウェザリングも見事だった。'14.8.9
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▲同じくモジュール部門優秀賞を獲得した共立女子高等学校地理歴史部の棚田をモチーフとしたモジュール。キッチン用品やプリザーブドフラワーを駆使して女性らしい繊細さで日本の原風景を再現。隧道から出てきて谷を渡る"本線"線路を平行ではなく微妙な角度を付けるなど演出にも長けていた。'14.8.9
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▲フジサンケイビジネスアイ賞に輝いた滝川高等学校鉄道研究部の弁天町駅。今春閉館した交通科学博物館への惜別の思いが込められた作品で、ホームのリアルな広告類、高架下の作り込み、さらにそれを見やすくするために屋根や壁の一部を透明にするなど、ギャラリーへの細やかな配慮も特筆された。'14.8.9
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優秀賞は大接戦の末に千葉県立千葉高等学校と共立女子高等学校の2校が受賞。千葉高等学校は御茶ノ水駅を、共立女子高等学校は日本の原風景としての「棚田」を題材に選び、両者ともに綿密な現地踏査を経て、見事な作品へと昇華させています。


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▲「魔女の宅急便」へのトリビュートとして取り組んだ白梅学園清修中高一貫部鉄道模型デザイン部の作品は、「来場者が選ぶベストワン賞」を射止めた。細かな作り込みや色使い、メルヘンチックな全容は、会場内でもひときわ目を引いていた。'14.8.10
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一畳レイアウト部門でひときわ目を引いたのは、最優秀賞を獲得した東京都立大崎高等学校ペーパージオラマ部のレーテッシュバーン・アルブラ線。高さ65mと言われるラントヴァッサ橋梁をアクチュアル・スケールで再現しようと、段ボールで巨大な骨組みを組んで、まさに見上げる大きさの一畳レイアウトを実現させました。

140810n014.jpg今回は東京芸術大学美術学部八木澤優紀(まさ)先生、関水金属(カトー)の加藤 浩社長、日本鉄道模型の会(JAM)の初代会長でがん研有明病院化学療法担当部長の水沼信之さん、そして私の4名が審査員となり、私が審査委員長の大役を仰せつかりました。審査当日は一日で120以上のエントリーを巡って評点する過酷なスケジュールとなりましたが、とにかく受賞作品選定、ことに上位決定は白熱、学生の皆さんが引き上げた夜に再び審査員一同で会場を回るほどでした。
▲コンテストの審査委員長は私が務めさせていただき、僭越ながら最後に講評を語らせていただいた。'14.8.10
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▲審査結果発表と表彰式は、10日朝9時から行われた。'14.8.10
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来年の開催は8月8日(土)・9日(日)とアナウンスされており、すでに募集が始まっています。文部科学省後援となったこともあって、来年はさらに熱い夏がやってくるに違いありません。

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立山砂防 あのころ。

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▲3列車続行でスイッチバックを下る。当時は安全基準も現在ほど厳しくなく、作業員はヘルメットもなしで無蓋車に乗っていた。'75.9.3
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発売中の本誌「広田尚敬の視線」でご紹介した立山砂防工事専用軌道は、近年紹介される機会がなかっただけに、驚きをもってご覧になられた方も少なくないようです。その解説頁を執筆する際に、かれこれ40年近くも前のネガを引っ張り出してきましたので、今回はその一部をお目に掛けたいと思います。

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▲素掘りのトンネルを潜って続行する。現在のように排ガス対策がなされていなかったため、トンネル内では呼吸を止めねばならないほどだった。'75.9.3
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当時の立山砂防軌道は、本誌解説でもご紹介したように、立山温泉(のちに廃業)への湯治客や登山者の便乗を認めており、朝の千寿ケ原起点には登山姿の一般人もちらほらと見かけました。それだけに発車を待つ構内で写真を撮っていると、運転手から「上がるのか?」(水谷まで乗ってゆくのか?)と声を掛けられることさえありました。

140808n002.jpg私が立山砂防を訪れたのはなぜか9月の初めが多く、1975(昭和50)年からはほぼ毎年9月初旬にこの軌道に乗りに行っていました。現在では厳しく制限されている沿線への立ち入りも、この頃は登山道に準じた扱いで、沿線で撮影しながら上流を目指したことも何回かあります。当時は、ちょうど王滝森林鉄道が運転を終了し、その支線であった鯎川線だけが最後の森林鉄道として注目を浴びていた時期でしたが、なぜか立山砂防に通うファンはそれほど多くなかったようです。
▲当時の人車はドアもないまったくのオープン。断崖絶壁や橋梁ではかなりのスリルだったが、それよりも困ったのは山岳地帯特有の強烈な夕立。一度はびしょ濡れになってしまったこともある。'75.9.3
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▲樺平18段スイッチバック最上段部の展望。この当時はまだ樹木が生い茂っておらず、ことに上段部は禿山状態でこのように展望が利いた。'75.9.3
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▲樺平18段スイッチバックは登りきるまでに30分を要する。最上段付近では谷からの涼風が心地よい。'75.9.3
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1970年代の立山砂防軌道は列車本数も現在よりかなり多く、ことに朝の千寿ケ原の賑わいはたいへんなものでした。当時、巡視用モーターカーはほとんどなく、定期の人車列車や区間列車、貨物列車に混合列車と、次々と発車する機関車牽引列車が一段目のスイッチバックに取りついてゆく様はまさに圧巻で、初めて目にした時は大きな衝撃を受けたのを覚えています。

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▲水谷出張所の賑わい。この当時はここ水谷が軌道終点ではなく、線路は白岩堰堤まで続いていた。続行して発車を待つ酒井C19形の3列車の左には、堀川工機製DLの牽くグランビー列車の姿が見える。'75.9.3
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この当時はスイッチバックの総数も今より多く42段。樺平の連続18段スイッチバックが完成してまだ十年しか経っておらず、その視界展望は驚くべきものでした。残念ながら現在では樹木が伸びてしまい複数の段数を一望できる状況ではなくなり、複数列車を一視野に捉えることも難しくなってしまっています。

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▲酒井C19形がずらりと並んだ千寿ケ原の機関庫。毎朝シャッターが開くと次々とエンジンが掛けられ、庫内はアイドリング音の大合唱となる。'76.9.1
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今回ひしさぶりに細かく取材させていただき、40年前の当時から比べて保安設備をはじめ軌道そのものが驚くべき進化を遂げているのが良くわかりました。しかし、稀に見る過酷な条件下で、世界的にも例のない総計38段のスイッチバックを持つ2フィートゲージ軌道というベースは揺るぎなく、立山砂防工事専用軌道は今もって日本が世界に誇りえる鉄道のひとつに違いないと、あらためて確信したのでした。

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▲1976(昭和51)年訪問当時のフィールドノートに見る起点の千寿ケ原。現在とは庁舎の位置も違いすっかり様変わりしてしまっている。建設省と向かい合うかたちで富山営林署常願寺治山事業所があり、こちらも独自の機関庫を擁していた。
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▲今年もビッグサイトに高校生たちの熱い夏がやってくる。写真は昨年の一畳レイアウト部門技能賞を受賞した東京都立杉並工業高校模型工作部の作品「ダイナミック静岡」。
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今週末はいよいよ東京ビッグサイト(東京国際展示場)西3ホールで、「鉄道模型コンテスト2014」が開催されます。今年で6回目となる「全国高等学校鉄道模型コンテスト」を中心に、今年もビッグサイトに熱い週末がやってきます。

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▲教室にある日突然線路が敷かれたら...と奇想天外な東京都市大学付属中学校・高等学校中高鉄道研究部の作品「Class room」。
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今回の参加校はモジュール部門だけでも実に119校に達しているとのことで、ほかに1畳レイアウト部門などを含めると、一日では見きれないほどのエントリー校数となっています。昨年も会場を回って圧倒されたのは全国から集った鉄道模型レイアウトに情熱を燃やす高校生たちの熱気とその発想の柔軟さです。予算的にも制約がある中で、既成概念を打ち破るレイアウトを連発する展示の数々は見ていて清々しくもあり、鉄道模型の明るい未来を夢見させてもくれます。

140807n003.jpgRMモデルズ編集部では昨年の「鉄道模型コンテスト2013」の様子を一冊にまとめた『熱闘 鉄道模型2013』を発行いたしましたが、何よりも興味深かったのは伝え聞く海外からの反響です。欧米では模型人口の高齢化が顕著で、著名なコンベンションなどでもほとんど十代の姿を見かけなくなってしまっています。そんな中でのわが国の「全国高等学校鉄道模型コンテスト」だけに、海外の趣味界から驚きと羨望の目をもって見られるのも当然かもしれません。
▲各校趣向を凝らした解説も見どころのひとつ。
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さらに特筆されるのは、女子高をはじめとした女生徒の著しい活躍ぶりです。昨年のモジュール部門最優秀賞を受賞したのも女子高の「横浜富士見丘学園中等教育学校 地理研究部」の作品でした。モチーフとしたのは満開の桜に囲まれた小田原城址。しかもその桜に近づくと"香り"を放つ仕掛けがひそんでいるというギミックが大きなインパクトでした。

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▲昨年の6位入賞作品、東京女子学園高等学校美術部の「Utopia」。未来の理想郷をイメージしたという。
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今年の会期は9日(土)と10日(日)の2日間。モジュール部門は今年から文部科学省後援となり、文部科学大臣賞も予定されているそうです。高校生クイズ大会やさまざまな体験型イベントも用意されているとのことですので、ぜひこの週末はビッグサイトへお越しになってみてください。

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▲七夕まつりが開催された8月2日、運休中の末広町電停に展示されたLH02「ハイ!トラム」。パンタグラフは降ろしながら前灯も室内灯も空調もバッテリーから給電された状態で、その性能をアピールしていた。'14.8.2 末広町 P:高橋一嘉
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小ブログでも登場時にご紹介(アーカイブ「鉄道総研が架線・バッテリーハイブリッドLRV「Hi-tram」を公開」参照→こちら)した鉄道総合技術研究所(以下鉄道総研)の架線・バッテリーハイブリッドトラム「ハイ!トラム」(LH02形)の試験走行が、7月21日から8月13日まで万葉線で実施されています。

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▲新装なった高岡駅で、「ネコ電車」ことデ7073と顔を合わせたLH02「ハイ!トラム」。7月22日から8月13日には一般公募による試乗が実施されている。'14.8.3 高岡駅 P:高橋一嘉
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「ハイ!トラム」について改めて説明しますと、2007(平成19)年に鉄道総研が独立行政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構との委託契約に基づき開発したもので、架線からの集電とともに車内に搭載したバッテリーに蓄えた電力でも走行可能な、超低床型路面電車タイプの車輌です。制動時に発生する回生電力をバッテリーに蓄えて使用することができ、回生失効の防止とともに省エネルギー化できるほか、パンタグラフを下げてバッテリーの電力のみで走行することも可能です。また、鉄道線への直通運転も考慮して、直流600V/1500Vの複電圧仕様、最高速度は80㎞/hとなっています。

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▲高岡の夏の風物詩、七夕の笹飾りを潜って高岡駅に入線する。'14.8.3 末広町-高岡駅 P:高橋一嘉
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この「ハイ!トラム」は2007(平成19)~2008(平成20)年の冬季には札幌市電で試験走行を実施、既存のインバータ制御車に比べ10%以上の省エネルギー効果が見られ、またバッテリー走行では1回のフル充電で25kmの運転が可能という結果が得られたとのことです。さらに2009(平成21)年にはJR四国予讃線および非電化の高徳線でも試験走行を実施。鉄道線でのバッテリー走行では50kmの走行が可能という結果が得られたとのことです。

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▲真夏の立山連峰を望む万葉線を行く。今回の試乗会は万葉線1往復を高岡駅→米島口、米島口→越ノ潟、越ノ潟→米島口、米島口→高岡駅の4区間に分けて実施されている。 '14.8.3 東新湊-中新湊 P:高橋一嘉
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さて、今回の万葉線での試験走行は、正式には「ハイブリッドトラム実走事業」と称するもので、鉄道総研およびハイブリッドトラム実走事業実行委員会(高岡市・射水市)のニュースリリースで以下のようにその趣旨が発表されています。
「環境意識の高まりから、公共交通においても環境負荷を低減するための取り組みが求められており、このような中、地域を支える公共交通である万葉線において、新しい鉄道技術を背景として開発された環境配慮型車両の実走試験調査に取り組むものである。
 また、これに併せて、省エネルギー化の推進、市民の公共交通への理解・関心の向上を図るとともに、平成27年春の北陸新幹線開業のプレイベントとして、さらには、同年秋に万葉線沿線で開催される「第35回全国豊かな海づくり大会」の機運醸成を図るものとする。」

鉄道総研では、万葉線が道路併用軌道区間と専用線区間(新設軌道および鉄道線)を直通する線路条件であることから、両区間でのエネルギー量や1充電航続距離の把握なども実施するものとしています。

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南武線用E233系登場。

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▲信越本線で公式試運転を行なうE233系8000番代N1編成。'14.7.31 古津―新津 P:RM(伊藤真悟)
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2014(平成26)年10月より南武線にE233系が順次デビューすることをお伝えしましたが(→こちら)、その第1編成が総合車両製作所新津事業所で完成し、7月31日に信越本線新津~羽生田間で公式試運転を行ないました。

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▲6号車となるクハE232-8001。車体側面腰部のロゴはまだ貼り付けられていない。前面方向幕は「快速 南武線」の文字が...。'14.7.31 新津 P:RM(伊藤真悟)
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南武線用のE233系は8000番代となり、第1編成は1号車よりクハE233-8001+モハE233-8001+モハE232-8001+モハE233-8201+モハE232-8201+クハE232-8001の6輌(4M2T)となっています。所属は中原電車区(横ナハ)で、編成番号は「N1」となっていました。

e233_8000_005n.jpgこのうち、2号車のモハE233-8001はダブルパンタ車で、4号車のモハE233-8201は弱冷房車となっています。また保安装置はATS-P、ATS-SNが搭載されています。
なお先頭車側面に南武線沿線をイメージした「ロゴ」が装飾されますが、公式試運転当日は腰部のロゴは装飾されていませんでした。
▲保安装置はATS-P、ATS-SNを搭載する。'14.7.31 新津 P:RM(伊藤真悟)
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▲乗務員扉横に貼られたロゴ(左)。南武線が街と街、人と人をつなぎ、「明るく弾む伸びゆく沿線」のイメージをデザイン。E233系シリーズも8000番代までに至った。写真はクハE233-8000番代のトップナンバー(右)。'14.7.31 新津 P:RM(伊藤真悟)
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今や首都圏通勤型電車の一大勢力となったE233系、E233系8000番代は6輌編成×35編成の計210輌が新造されることになっており、これにより現在活躍する205系、209系の去就が注目されるところです。

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▲2014年島 秀雄記念優秀著作賞(単行本部門)を受賞した服部重敬さんのRMライブラリー『名古屋市電』。
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先週金曜日(1日)に鉄道友の会から2014年島 秀雄記念優秀著作賞の発表があり、服部重敬さんのRMライブラリー『名古屋市電』(→こちら)が単行本部門の島 秀雄記念優秀著作賞を受賞いたしました。

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▲上巻ではその歴史と路線の概要、運転の概要を豊富な写真とともに紹介している。
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RMライブラリーの上中下巻三部作(170巻・171巻・172巻)として昨年発行した『名古屋市電』は、服部重敬さん自らが撮影された膨大な写真と資料をベースに、わが国2番目の路面電車として開業した名古屋市電のあゆみを多角的に検証したもので、発行当初から高い評価を受け、本年6月には服部さんによる講演会も行われています(アーカイブ「資料展『追想・名古屋の市電』開催中参照→こちら」。

140804n003.jpg鉄道友の会の発表では以下のような受賞理由が公表されています。
本書は、上中下の全3巻で構成され、著者が実見した名古屋市電の廃止過程を中巻・下巻で解説し、それ以前を前史として上巻で紹介しています。特に中巻・下巻では、名古屋市電の廃止の経緯を路線別に時系列で並べ、それぞれの路線に関わった車両の解説を散りばめています。また、周辺の町並なども的確にとらえられ、鉄道史のみならず都市史の面からも得がたい資料になっています。世界のライトレールを国内に紹介する活動でも知られている著者が地元に密着したベテランとして名古屋市電を追い続け、随所に著者の持ち味が活かされた代表作として高く評価し、島 秀雄記念優秀著作賞にふさわしい作品として選定しました。
▲中巻では年次ごとに路線の廃止と車輌の動向について詳述している。
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▲そして下巻では1974(昭和49)年3月30日の運転最終日の様子などを収録。
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単行本部門ではほかに、浦田 慎さん(監修・貨物鉄道博物館)による『貨車車票の歴史』(アーカイブ「驚愕の『貨車車票の歴史』参照→こちら」)が受賞、定期刊行物部門では斎藤 幹雄さんの「ミャンマーへ行った日本型気動車2013」(電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2013年5月号掲載)、北村 拓さんの「西武鉄道の旧型国電研究」(電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2013年12月増刊号掲載)の2作品が受賞しました。

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▲片野正巳さんの単行本代表作ともいえる『1号機関車からC63まで』(左)と、昨年刊行した『吊掛電車プロファイル』(右)。

そして弊社にとってもたいへん嬉しいことに、「車両側面のイラストによる一連の著作」に対して片野正巳さんが特別部門を受賞されました。「独特のタッチによる細密なイラストは味わい深いもので、特別部門として表彰するにふさわしい業績として選定しました」とその選定理由が発表されていますが、片野さんのご功績は何らかのかたちで顕彰されるべきと常々思いを抱いていただけに、今回の受賞はわが事のように嬉しい報せでした。

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▲機関車も電車もブレのないタッチで描かれた片野さんのイラストは、モデラーならではの視線と審美眼に貫かれている。
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『1号機関車からC63まで』をはじめ、『吊掛賛歌』や『昭和鉄道見聞録』、『吊掛電車プロファイル』といった単行本はもとより、『京阪電車 車両の100年』や『写真で見る西武鉄道100年』では歴代車輌の変遷を緻密な時代考証のもとに描きおろしていただきました。弊社にとってもたいへん意義深く、嬉しい特別部門の受賞です。

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▲決して足の便が良いとはいえない林業機械化センターだが、この日ばかりは多くのファンが詰めかけた。晴れ舞台で展示運転をするホイットカム。'14.7.27 P:木村一博
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20140727_02n.jpgご案内したように、先週日曜日(7月27日)に群馬県沼田市利根町の林野庁森林技術総合研修所林業機械化センターで、「2014 第7回根利森林鉄道まつり」が行われました。昨年は10月に開催されたこの「根利森林鉄道まつり」ですが、今年は夏休みスタート時の開催とあって多くの来場者の皆さんで賑わったようです。
▲よみがえれボールドウィン実行委員会の内田会長の開会挨拶。来賓には沼田市長も駆け付けた。'14.7.27 P:木村一博
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▲木造車体の再生の道は多難で、苦労の末にようやくここまで形になったB型客車。'14.7.27 P:木村一博
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残念ながら私はちょうど四国方面へ出かけてしまっていてうかがえなかったのですが、主催するよみがえれボールドウィン実行委員会の木村一博さんからレポートをお送りいただきましたのでご紹介いたしましょう。

20140727_09n.jpg梅雨明けとあって会場の林野庁森林技術総合研修所林業機械化センターは絶好の天気でまつり当日の朝を迎えました。まずは展示棟(親機館)入口前のスペースで開会式がスタート、続いてホイットカムの展示運転が開催され、ひさしぶりに盛大なエンジン排気音が響き渡りました。ただ残念だったのは、数回の往復運転後エンジン不調となってしまい、プラグを取り替えたり修理を行ったものの、結局、午後の運転を行うことができなくなってしまいました。
▲久しぶりにプレート類を取り付けたボールドウィン。煙室扉を開け煙室内部も公開された'14.7.27 P:木村一博
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▲夏の日差しを浴びて山間にホイットカムのエンジン音が響き渡る。参加者も思い思いのポジションでありし日の"林鉄"に思いを馳せた。'14.7.27 P:木村一博
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今回のメインはやはり2010(平成22)年から修復を手掛け始めたB型客車の展示です。木造車輌のため金属製の他の車輌に比べ修復には多く時間を費やし、ようやく外板を貼り終える所まで進み、皆様に公開する事が出来ました。

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▲掛け金物が取り付けられた状態のB型客車内部。独特のトラス構造もよくわかる。'14.7.27 P:木村一博
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客車内部の修復は腰掛け金物が取り付けられた状態まで。床は汚損防止のワックス掛けを施し土足禁止とし見学をして頂きました。車内にはもともとの外板や柱の旧材を一部展示。併せて修復に際して採寸した手書きのスケッチ図面も展示しました。

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▲根利森林鉄道関係の調査報告説明会も大盛況。熱心な質問も相次いだ。'14.7.27 P:木村一博
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正午前からは展示場内で根利森林鉄道関係の調査報告説明会を開催し、当時の写真、現地調査の写真などをパネル展示して、内田会長が報告説明を行いました。この調査報告説明会も大盛況で、質問も飛び交い予定時間を大幅に超え充実した会となりました。

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▲さすがに山の中の根利とあって午後は激しい雷雨に見舞われたが、それもつかの間、再び真夏の日差しと蝉しぐれが会場を覆った。'14.7.27 P:木村一博
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当日は300人余りの方々に来場頂きました。遠路はるばる駆けつけて頂きました皆様。快く場所を提供下さった関係者の皆様、ほんとうにありがとうございました。

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