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2014年7月18日アーカイブ

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▲2号機が牽くハ4995、ハブ3。まるで明治か大正期のような風景だが、1975年頃に行われた再現客車列車でのひとコマ。1975年頃 丹後山田 所蔵:加悦鉄道資料館 (RMライブラリー『加悦鉄道』上巻より)
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今月のRMライブラリーは『加悦鉄道 -丹後ちりめんを運んだ「絹の鉄道」-』の上巻をお届けします。加悦鉄道は国鉄宮津線丹後山田駅(現・北近畿タンゴ鉄道野田川駅)と加悦の間、5.7㎞を結んだ鉄道です。加悦鉄道が走った加悦谷地方は古くから高級絹織物「丹後ちりめん」の産地であり、加悦鉄道も地元のちりめん業者によって起こされた鉄道でした。開業は1926(大正15)年で、当初は丹後ちりめんの輸送を目的としていました。

140718nRML180_h1s.jpgしかし、開業から10年も経たない1934(昭和9)年、沿線の大江山でニッケル鉱が発見されたことが加悦鉄道の運命を一変させました。ニッケルは工業生産における重要資源ながら輸入に頼らざるを得ず、その国産化は急務とされていました。当然、加悦鉄道はその輸送の任を負うことになり、1939(昭和14)年には加悦鉄道の経営権が地元から大江山ニッケル鉱業に移ることになります。そして加悦~大江山鉱山間、丹後山田~岩滝製錬工場間の専用鉄道を建設し、鉱山から製錬所までの一貫輸送体制を整え、車輌も無蓋車を大量増備するとともに、それらを牽く機関車も相次いで入線。戦時中はこの小さな鉄道に9輌もの蒸気機関車が稼働しました。しかし、終戦とともにニッケル鉱輸送は終了しました。

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▲開業時には当初、蒸気動車の導入も計画されたが、実際に導入されたのは簸上鉄道からの2号(1873年R.スチブンソン製)と伊勢鉄道からの3号(1912年コッペル製)。1号は開業翌年に相模鉄道より入線している。 (RMライブラリー『加悦鉄道』上巻より)
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戦後の加悦鉄道は再び加悦~丹後山田間での客貨の輸送が中心になりますが、1952(昭和27)年には日本冶金工業大江山製造所(旧・岩滝製錬工場)が輸入ニッケル鉱により稼働を再開、専用鉄道での丹後山田駅までの製品輸送が加悦鉄道の役目となりました。

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▲加悦鉄道の役割を一変させたニッケル鉱輸送。1940(昭和15)年には加悦~大江山鉱山間の専用鉄道が開通した。左は鉱石輸送のため空制化された4号。 (RMライブラリー『加悦鉄道』上巻より)
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一方、加悦駅においてはR.スチブンソン製の2号機をはじめとする貴重な車輌群が休車・廃車となって眠っていましたが、これらを活用する形で1977(昭和52)年に「加悦SLの広場」を開設し、ファンの注目を集めました。しかし、国鉄の貨物営業縮小の影響により1984(昭和59)年には大きな収入源であった日本冶金工業の製品輸送が自動車化され、その翌年、加悦鉄道は惜しまれつつ廃止されました。

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▲1953(昭和28)年には初のディーゼル機関車DB201を導入。しかし、完全無煙化とはならず、蒸気機関車の活躍は1967(昭和42)年10月まで続いた。 (RMライブラリー『加悦鉄道』上巻より)
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本書はRM本誌の「加悦谷だより」でもおなじみの「加悦鐵道保存会」の皆さんがまとめられたものです。上巻では創業前から廃止までの歴史を、加悦鉄道資料館(旧・加悦駅)に収蔵されている膨大な一次資料をもとに解説されており、地方私鉄の歴史をまとめたものとしてお手本のような仕上がりとなっております。ぜひお手に取ってご覧ください。

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