鉄道ホビダス

2014年6月アーカイブ

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▲高知の路面電車として今年開業110年を迎えながら、ついにその伝統の社名を失うこととなってしまった土佐電気鉄道。'07.7.21
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先週6月27日(金曜日)、土佐電気鉄道株式会社は定時株主総会を開き、本年4月に開催された第6回「中央地域公共交通再構築検討会」で提言された高知県交通株式会社及び土佐電ドリームサービス株式会社との共同新設分割による統合を特別決議(会社の解散・合併、事業譲渡等に関わる株主の議決権数の2/3以上により可決される議案)しました。これにより、事業の継続は担保されたものの、長年「とでん」の愛称で親しまれてきた土佐電気鉄道の名前は消えてゆくことととなります。

140629n004n.jpg中央地域公共交通再構築検討会が提言した再構築スキーム案はおおむね以下のようなものです。
1:本年10月1日に土佐電気鉄道、高知県交通、土佐電ドリームサービスの3社が会社分割を行って新会社を設立、3社の全事業を承継する。この際、事業継続に必要な資産や従業員は新会社に承継され、各小会社も新会社の子会社となる。会社分割により新会社が設立される際に、新会社の株式が旧3社に交付される。
2:新会社に対して、高知県および高知市等の関係自治体が合計10億円を出資して新会社の株主となる。新会社は自治体が株式を100%保有する会社となるため、関係自治体が出資した時点で、設立時に土佐電気鉄道、県交通、ドリームサービスに交付された新会社の株式は消滅。
3:会社分割によって新会社に事業を承継したのち、土佐電気鉄道、高知県交通、土佐電ドリームサービスは解散し、清算手続、または特別清算手続により消滅。
▲土佐・高知のシンボルともいえる「はりまやばし」を行き交う土佐電気鉄道の路面電車。'07.7.21
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▲桟橋線の終点・桟橋通五丁目の電停。現在では乗降ホームと屋根が設置されている。'07.7.21
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土佐電気鉄道の開業は今から110年前の1904(明治37)年5月。土佐電気、土佐交通と合併・譲渡による一時的な社名変更はあったものの、開業時の社名を現在でも引き継いでいる点は特筆されます。しかし、このたびの苦渋の選択によってその伝統の社名もついに歴史の彼方へ...再生会社が地域の足としてこれまで以上に活躍し、高知の原風景ともいえる「とでん」を後世に伝えていってくれることを切に願いたいと思います。

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▲島田駅で発車を待つ32号機。長いデッキを持つその形態は旧EF58形そのものであった。'74.8.5 P:林 嶢(RMライブラリー179巻『EF18形電気機関車-異端電機の生涯-』より)
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今月のRMライブラリーは小林正義さんによる『EF18形電気機関車-異端電機の生涯-』をお届けします。小林正義さんはこれまでにも125・126巻で『国鉄EF13形-戦時型電機の生涯-』、そして147~149巻で『国鉄アプト式電気機関車』を著されており、RMライブラリーでは今回が3作目となります。

140627n002.jpgEF18形について改めて説明いたしますと、1951(昭和26)年に3輌が落成した貨物用電気機関車です。運輸省~国鉄では戦後間もない1946(昭和21)年から旅客用電気機関車としてEF58形、貨物用電気機関車としてEF15形を量産しましたが、1948(昭和23)年には日本に進駐していた連合軍総司令部(いわゆるGHQ)の経済政策により、電気機関車の製造が凍結されてしまいました。しかし、その後も各地の幹線では電化工事が進捗し、さらに1950(昭和25)年には朝鮮戦争が勃発、輸送量の増加もあって、電気機関車、とりわけ貨物・勾配線用の電気機関車の不足が深刻化することになり、凍結が貨物用に限って緩和されることになりました。この時、東芝車輌には製造途中で凍結状態のEF58形が5輌いましたが、このうち32~34号機となる予定の3輌が一部仕様を変更して貨物用として落成することになりました。形式は16・17を飛び越えてEF18形に、そして番号もEF58形の続番である32~34と、多分にEF58形を意識したものになりました。

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▲細密イラストによる旧EF58形およびEF15形の車体の形態分類。幾多の変遷を経てEF15 46~でようやく落ち着いた。(RMライブラリー179巻『EF18形電気機関車-異端電機の生涯-』より)
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その後はご存知の通り、EF58形は35号機以降は流線型ボディで落成し、デッキ付きの1~31号機も流線型ボディに車体を載せ替えられ、旅客用電気機関車として普通列車から特急列車まで大活躍することになります。一方、EF18形はデッキ付きの形態のまま残され、EF15形とともに首都圏~東海道筋の貨物列車を中心に活躍を続けることになります。しかし、「よん・さん・とお」と呼ばれた1968(昭和43)年10月ダイヤ改正の頃から、EF18形の運用は静岡および浜松地区での入れ換え・小運転に限られるようになっていきます。EF18形の写真に、金谷や島田、磐田といった駅で撮影されたものが多いのはこのためです。そして1978(昭和53)年10月ダイヤ改正ではEF60形に運用をバトンタッチして全車休車となり、翌年にはひっそりと全車廃車・解体となりました。

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▲32号機のアングル。晩年は正面窓のHゴム化や側面フィルターの改造など各機で仕様が異なっていた。(RMライブラリー179巻『EF18形電気機関車-異端電機の生涯-』より)
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本書では、旧EF58形と、それを始祖として派生したEF15形、EF16形、EF18形、箱型EF13形、そして新EF58形を「旧EF58形系電気機関車一族」と捉え、その上から誕生の経緯や形態、装備、そしてその後の改造などを、小林さん自身の手による細密イラストを多用して解説。さらにEF18形各機の細部写真を多数掲載し、それぞれの時代毎の装備や差異を詳らかにします。

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▲東海道・山陽筋を中心に活躍したEF18形。落成当初は福米線の応援のため福島第二機関区へ貸し出されたこともあったという。(RMライブラリー179巻『EF18形電気機関車-異端電機の生涯-』より)
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また、巻末では「EF18形の使い勝手と乗り心地」と題して、小林さん自身をはじめ現役当時に乗務された方からの聞き取りによるEF18形の乗り心地や当時の他形式との比較を紹介しています。異端の電機の生涯に迫る1冊、ぜひ既刊の『国鉄EF13形(上・下)』と合わせてご覧ください。

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▲窮屈そうな木造の矩形庫から顔を出した鹿瀬電工のDR101CL。'79.4 鹿瀬 P:根本幸男
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先日ご紹介した鹿瀬電工(昭和電工鹿瀬)の新潟鐵工所製ロータリー式除雪用ディーゼル機関車DR101CL(→こちら)については、ご覧になられた皆さんからその後多くの情報をいただきました。今回はお二方から頂戴したお便りを補遺として紹介させていただきたいと思います。

140626n102.jpgまずは根本幸男さんからお送りいただいた1979(昭和54)年時点での同機の状況です。

「編集長敬白」毎晩楽しみにしています。今日の鹿瀬電工のお写真はとりわけ懐かしく拝見させていただきました。1981(昭和56)年に鹿瀬へ車輌調査とは、さすがです。私も実はそれより2年前の1979(昭和54)年4月に、蒲原鉄道と磐越西線撮影の折に、雨降りの夕方でしたが、鹿瀬に泊まることにしました。旅館が見つからず、駅で聞いた旅館が駅裏の波田屋旅館という古い旅籠で、重い布団に圧しつぶされるようにして寝ましたが、一泊夕食付きで4,000円とられたと日記に書いてあります。
▲DD51 505に牽かれて鹿瀬を発車する新津発日出谷行1222レ。画面右端にDR101CLと庫が見える。'79.4 鹿瀬 P:根本幸男
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さて、その旅館は駅裏にありますが、駅裏に1本の道路があり、すぐ脇に妙な機関車がいるのを見つけました。あれっ、これはどこかで見たことがあるぞ、そうだ留萠のDR101CLにちがいない。しかし、こんなところにいるわけがないと思いましたが.車庫はこの機関車の大きさに合わせて高さと隅を削ったような車庫で、車輌全体が撮影できなかったのが惜しいことでした。それから35年あまり、この機関車についての報告が雑誌でほとんど見つからず、今回名取さんのお写真とご報告は大変貴重で、また懐かしく拝見させていただきました。

140626n505.jpg根本さんありがとうございました。続いてご紹介するのは北海道の地方鉄道史に造詣の深い今井 理さんからの情報です。

6月11日のブログ、興味深く拝見しました。
留萠鉄道のDR101CLは新潟鐵工所の製造ですが、開発と設計は同鉄道傍系の三和興業株式会社(現在の株式会社日本除雪機製作所)が行ったものです。
留萠鉄道は1930(昭和5)年の開業時より運行を鉄道省(のちに国鉄)に委託していましたが、戦後は客貨分離を図ってディーゼル動車を自社運行し、貨物列車についてもディーゼル機関車導入による自社運行を目論んでいました。一方、留萠鉄道沿線は道内きっての豪雪地帯ですが、除雪は国鉄に依存していました。これは当時の私鉄ではごく標準的なことであり、自前の除雪車といえば国鉄の中古の木製ラッセル車を所有する程度で、本格的な豪雪では国鉄に「キマロキ」を出動してもらわなければなりませんでした。
▲除雪作業中のDR101CL。日本除雪機製作所『創立40周年記念アルバム じょせつき』より。提供:今井 理
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▲創立間もない頃の三和興業年譜。留萠鉄道と北海道拓殖鉄道に相次いで納入されたDR101CLとDR102CLが大きく取り上げられている。日本除雪機日本除雪機製作所『創立40周年記念アルバム じょせつき』より。提供:今井 理
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そこで留萠鉄道では、より本格的かつ経済的な除雪車を導入して冬季の運行安定を図るべく、傍系の機械メーカーである三和興業(株)に車輌の開発を依頼しました。
三和興業(株)は歌登村営軌道の泰和車輌製ロータリー除雪車(十勝鉄道のロータリー除雪車ロタ1~2のコピーと言われています)や空港滑走路の除雪車輌などを参考に調査研究を進め、DR101CLを開発・設計して新潟鐵工所に外注し、1958(昭和33)年に完成させました。これは国内初のロータリー式除雪用ディーゼル機関車であり、「キマロキ」による除雪に比べて作業人員も除雪費用も大幅に低減出来ることから、留萠鉄道は運輸大臣表彰を受けました。1960(昭和35)年には2輌目の鉄道車輌としてDR102CLを北海道拓殖鉄道に納入しました。また、国鉄DD14形ディーゼル機関車の開発に少なからぬ影響を与えたという話もあります(もっとも、国鉄DD14は新潟鐵工所ではなく汽車会社に発注されましたが)。

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▲DR101CLの製造途上や公開展示実演などが記録されている。日本除雪機製作所『創立40周年記念アルバム じょせつき』より。提供:今井 理
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また、留萠鉄道でのDR101CLの公開展示実演会の新聞記事を見た北海道開発局から道路用ロータリー除雪車の試作を依頼されたことから、三和興業(株)は開発局所有の除雪車を種車に酒井工作所に改造を外注してHTR型除雪車を完成させました。この車輌は北海道における道路用ロータリー除雪車の標準型となり、改良を重ねながら現在も製造され続けています。

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▲DR101CLのカタログより。同機のパワートレーンがよくわかる。提供:今井 理
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このように、DR101CLがもたらしたロータリー除雪技術は、鉄道と道路双方の除雪方法を大きく変えるものでした。その開発に際して簡易軌道歌登線のロータリー除雪車が参考にされたことは、ほとんど知られていません。皮肉なことに、その技術は道路の除雪技術の改良に転用され、冬期間の鉄道の道路交通に対する優位性を損なう結果につながったことも知られていません。

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▲DR101CL開発の原点となった簡易軌道歌登線のロータリー除雪車、さらにその元となったと思われるのがこの十勝鉄道のロータリー除雪車ロタ1~2。提供:今井 理
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その後、三和興業(株)は(株)日本除雪機製作所と名を変え、留萠鉄道なき今でも除雪用車輌のトップメーカーとして盛業中です。DR102CL以降製造が途絶えていた鉄道車輌についても、1990年代後半から除雪用モーターカーや機関車などをJR各社や黒部峡谷鉄道などに納しており、その数は100輌を超えています。同社のホームページ(→こちら)では、DR101CLの末裔とも言えるJR向け除雪用モーターカーのチョロQも販売しています。

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▲特徴的な楔形断面のフォンロール製レール。所蔵:後藤康之
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先日、宮武浩二さんのレポートで御岳登山鉄道のギーセライベルン製の楔形レールをご紹介(アーカイブ「御岳登山鉄道のギーセライベルン製レール」参照→こちら)しましたが、ご覧になられた後藤康之さんから、同じ御岳登山鉄道で使われていたフォンロール製楔形レールの報告をいただきました。

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▲フォンロール製楔形レールの側面。"L.DE ROLL-BERN"の表記は、後藤さんによると会社名のルートビヒ・フォン・ロール(Ludwig Von Roll)のフランス語表記(Louis De Roll)で、ケーブルカー関係はベルン工場(1997年閉鎖)で製造されていたとのこと。
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毎日楽しく拝見させていただいております。
十年ほど前の鉄道の日イベントで、私も御岳登山鉄道の楔形レールを購入しております。ただしこちらはギーセライベルン製ではなく、同じくスイスのフォンロール製のものです。もっとも、調べてみたところ、工場名がルートビヒ・フォン・ロール鉄工ベルン鋳造所(Giesserei Bern der Ludwig Von Roll' schen Eisenwerke)で工場名がギーセライベルン、会社名がフォンロールなので、ギーセライベルン≒フォンロールとなり、レールの出自としては同じものなのかもしれません。ちなみに京王資料館にも同様のレールがあります。
ところで、愛宕山鉄道鋼索線からは屋島登山鉄道にもレールが転用されたことになっていたように思いますが、屋島、天橋立鋼索鉄道、それに御岳登山鉄道の延長を合計すると愛宕山より長くなるのでは...と疑問が残ります。もしかすると、いずれかは供出したことになっているものの現物は撤去されず残存していたのでは...などと想像しています。

後藤さんありがとうございました。スイスのフォンロール(Von Roll)といえば、1803年創業の超老舗メーカーで、鉄道関連ではモノレールをはじめ、一条単板式のラックレールでシュトループとともに知られた存在ですが、御岳登山鉄道の楔形レールに日本の足跡を残していたとは思いませんでした。

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▲最後のC62特急となった6レ「ゆうづる」を牽引するC62 48〔平〕。'67.8.12 常磐線夜ノ森付近 P:田辺幸男 (『国鉄時代』vol.38より)
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140622n001.jpg『国鉄時代』vol.38が好評発売中です。特集は「ブルートレイン」。昭和期"動くホテル"ともてはやされたこの豪華列車も、本年3月のダイヤ改正における「あけぼの」の不定期化で、国鉄時代に誕生した列車は全滅してしまいました。今号では20系の登場から昭和50年頃までの華やかな時代を振り返り、その牽引機に焦点を合わせます。

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巻頭の村樫四郎さんの「懐想の九州特急」は、長崎本線、鹿児島本線の蒸機牽引ブルトレを追った、まさに圧巻のカラー作品。C59・C60・C61がヘッドマークも鮮やかに甦ります。
20系はその登場から10年間は蒸気機関車が運転区間の一部で先頭に立っており、6形式が活躍しました。「蒸機牽引ブルートレイン全史」ではすべての列車と牽引機の組み合わせを網羅した写真とともに、列車別の解説とその変遷を集約した図で、その全貌に迫ります。ハドソン機はもとより、ブルートレイン牽引期間の短かったC57も颯爽と登場。
▲1966年1月にDD51化された「あかつき」だったが、トラブル発生で約1か月間C60が復活した。いかのも調子の良さそうな白煙を引いてC60 29〔鳥〕が入り江に沿いに快走する。海をバックにシルエットで写す定番の場所だが、この時期では太陽が上がり過ぎてそれは撮れなかった。 長崎本線 喜々津-東園 1966.3 P:村樫四郎 (『国鉄時代』vol.38より)
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▲六甲山系を背景にした夙川の築堤を疾走する原形小窓のEF58 9〔関〕牽引14系上り「あかつき」。2CC2のダイナミックなジョイント音とともに新大阪に向けラストスパートをかける。'74.3.19 東海道本線芦屋-西宮 P:鈴木 靖 (『国鉄時代』vol.38より)
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▲トンネルを抜け大築堤を朝日を浴びてEF65 535が行く。EF65Pの名シーンの一つ。'76.3 東海道本線三島-函南 P:犬山徹夫 (『国鉄時代』vol.38より)
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電気機関車は直流区間をクローズアップしEF65P・EF58を中心に構成、ダイナミックな写真と時代を浮き彫りにした記事で、東海道・山陽本線を行き交った時代に迫ります。特に関西特急牽引のEF58は形態が損なわれる前の写真をセレクト、EF58ファンの期待に応えるラインナップとしています。

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▲前日の18時20分に東京を出た下り特急「みずほ」は博多で7輌を切り離し、機関車をC59につけかえ8輌を牽き軽々と田原坂を上る。13時23分の終着熊本はもうすぐだ。C59 31。'64.12木葉-田原坂(信)P:堀越庸夫 (『国鉄時代』vol.38より)
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140622n008.jpg南国に蒸機追った堀越庸夫さんの「鹿児島への道」は、美しい九州の急行旅客機と向き合った作品集で、やや濃度を高く仕上げた写真は、誌面に触ると手に煤が付きそうな質感。この中にもC59「みずほ」、C61「はやぶさ」が多く登場し、遥かな時を隔てて高速のブラスト音が耳をかすめるようです。
特別付録DVDは「呉線」「151系から0系新幹線まで」「関東地方 消え行く蒸気機関車」の3本立て全64分。ぜひご覧ください。

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大井川鐵道に東急7200系。

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▲トレーラーに載せられて新金谷構外側線に到着したもと十和田観光電鉄モハ7204(左)とモハ7305(右)。こちらは両運転台化の際に新設された運転台側。'14.6.20 新金谷構外側線 P:大井川鐵道
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大井川鐵道は一昨年春に廃止となった十和田観光電鉄からもと東急の7200系電車2輌(モハ7204、モハ7305)を譲受、先週金曜日(20日)に新金谷構外側線で搬入作業が行われました。

140623n301.jpg十和田観光電鉄の7200系は東急電鉄デハ7200形2輌を2002(平成14)年に譲り受けたもので、十和田入りに際しては両運転台化改造が施されています。同時に十和田入りした7700系6輌とともにワンマン運転設備や車いすスペースの新設が行われ、当時はこの8輌で柔軟かつ効率的な運用が図られるものと想像されましたが、7700系がVVVFインバータ制御なのに対して、7200系は従来の抵抗制御だったこともあってか、7200系の方はあまり運用されることなく、七百の車輌基地で待機していることが多かったようです。
▲両運化改造されたものの、十和田時代はあまり活躍する機会がなかっただけに走行シーンは貴重。'11.2.12 三沢 P:寺田裕一
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▲取り卸しを待つモハ7305。こちらがオリジナルの正面。'14.6.20 新金谷構外側線 P:大井川鐵道
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▲「東急車輌 昭和43年」の銘板(左)と七百車両区の検査標記(右)。'14.6.20 新金谷構外側線 P:大井川鐵道
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大井川鐵道では去る3月26日に全線にわたる大幅なダイヤ改正を実施、大井川本線に関しても減便を含む見直しが行われましたが、今回の7200系導入も閑散時間帯での1輌単行運転を見据えたものと思われます。

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▲クレーンに吊られて構外側線に取り卸させるモハ7705。遠からず大井川本線を走る姿を目にすることができるはず。'14.6.20 新金谷構外側線 P:大井川鐵道
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今後、大井川鐵道向けの整備や監督官庁への申請・書類提出等が行われ、今冬の営業運転開始が予定されています。

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JR西日本227系を発表。

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▲今年度より広島エリアに投入される予定の227系完成イメージ。提供:JR西日本
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JR西日本は広島エリアで運行している115系などの置き換え用として、新形式227系を大量投入することを発表しました。広島エリアに新型電車が投入されるのはJR発足後初めてとなります。

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▲広島らしさを感じさせる「赤色」を基調とした227系客室内の完成イメージ。提供:JR西日本
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投入線区は広島エリアの山陽本線、呉線、可部線で、投入車輌数は3輌編成×64本、2輌編成×42本の合計276輌で、今年度中に43輌、最終的には2018年度末までに276輌全車が出揃う計画です。

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▲新たに採用される新保安システムの概要。平成20年から開発に着手し、平成23年から山陽本線(近畿圏・広島地区)で走行試験を実施してきたという。 JR西日本プレスリリースより
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この227系はJR西日本が開発を進めてきた「新保安システム」を初めて搭載し、さらなる安全性、安定性の向上が図られるのが大きな特徴です。また、運転台の計器類を液晶画面表示するシステムを新たに導入するとともに、車輌異常挙動検知装置や先頭車間転落防止ホロの設置、衝撃吸収構造などの安全対策についても全て採用されているのが特筆されます。

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▲列車種別・行先表示が一体化され、さらにカラーLED化される予定。 JR西日本プレスリリースより
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この新保安システムは、車輌にデータベースを登録することで、従来のATSの機能に加えてさまざまな運転支援機能を実現できるシステムで、線区の最高速度に対する防護、線路工事に伴う徐行に対する防護、ホームのない側のドアが誤って開くことの防止、停車駅での停止位置の大幅なずれの防止、無線機の切り替え時に音声で注意喚起する機能などが盛り込まれています。

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▲JR西日本の安全研究所などによる操作しやすい運転台の開発に関する研究成果などを踏まえ、速度計・圧力計などの運転台計器類を液晶画面にて表示させる装置が新たに採用される。 JR西日本プレスリリースより
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今後、山陽本線白市~岩国間で地上設備等を整備後、順次使用開始予定で、将来的には近畿エリアへの展開を見据えて開発が進められる予定です。

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▲従来の戸挟み安全対策である戸閉可変制御システムの採用に加えて、今回新たに側引戸に傘などが挟まれ引き抜こうとした際の戸先ゴム内の圧力変動を検知し、音声警報および表示灯により運転士に知らせる機能を採用。 JR西日本プレスリリースより
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この227系はステンレス車体で、最高運転速度は110km/h、室内・室外ともに「赤色」を基調にコーディネートされているのが特徴です。これは厳島神社の大鳥居、広島県木のもみじ、さらには広島カープなど広島らしさを象徴する親しみを感じさせる色として選ばれたものです。

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▲雨宮21号ともと鶴居村営軌道の運輸工業製6tディーゼル機関車が顔を合わせて今シーズンの幕開けを迎えた。'14.4.30 P:夢里塾
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梅雨のないはずの北海道では例年にない長雨が続いているそうですが、今年も丸瀬布森林公園いこいの森の雨宮21号が元気に走り始めています。丸瀬布まちおこし団体夢里塾の真鍋 英さんから今年のイベントのご案内をいただきましたのでご紹介いたしましょう。

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▲今年も運転開始日には雨宮21号に安全旗が取り付けられた。'14.4.26 P:夢里塾
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今年も無事に雨宮号のシーズンに入ることができました。開園式では雨宮号への安全旗の取り付けとディーゼル機関車の同時運行を行い、多くのファンの方々にお越しいただけました。

140619n206.jpg今年は夢里塾の企画と丸瀬布最大のイベント「まるせっぷ観光まつり」の企画とタイアップして、「雨宮号テールマークデザイン募集」プロジェクトを行うことになりました。まるせっぷ観光まつりは、平成26年8月2日(土)~3日(日)の2日間いこいの森で行われるお祭りで、毎年道内はもとより、道外からも多くのお客様にお越しいただいています。今年は、このイベント中に運行する雨宮号の客車(井笠客車)にテールマークをつけよう!と企画したもので、高校生以下の方から広くデザインを募集することになりました。ささやかながら副賞も用意しました。また、テールマークについては今後のイベントにおいても使用する予定です。なお、募集要項は遠軽町HPにもアップしております(→こちら)。
▲4月26日、今年の運転が始まった。10月19日までの運転日は→こちら。'14.4.26 P:夢里塾
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140619n202.jpgさらに、「編集長敬白」をご覧のみなさまに先行お知らせとして、秋の夢里塾イベントとして、9月23日(火・祝)に予定している「夢サービス運行」では、今年も雨宮21号運転席同乗体験や車掌ガイド運行、そして、今年初となる雨宮号とDLにも安全旗を取り付けての雨宮号生誕を祝うイベントを予定しています。どうぞ、今からご予定なさって、ぜひ丸瀬布へお越しください。

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▲小樽方先頭のクハ733-3200を先頭にした733系3000番代6連(B-3101+B3201)。3輌目がuシート車のサハ733-3200。'14.6.16 札幌運転所 P:RM(伊藤真悟)
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先般、JR北海道が733系増備車(733系3000番代)を快速「エアポート」に投入することをお伝えいたしましたが(→こちら)、その733系3000番代の報道向け車輌公開が6月16日に札幌運転所で行われました。

733_3000_formation.jpg編成は、滝川・苫小牧・新千歳空港方からクハ733-3100+モハ733-3100+サハ733-3100+サハ733-3200+モハ733-3200+クハ733-3200の6輌固定編成。721系3000番代と同様に4号車のサハ733-3200は指定席車輌のuシート車(回転式リクライニングシート)となっており、その他の車輌は混雑緩和のため腰掛がロングシートとなっています。また、乗降口のステップレス化や車いす対応の大型トイレ設置(サハ733-3100番代)などバリアフリー化を推進するとともに、客室内の照明はすべてLED照明として消費電力の低減を図っています。
▲733系3000番代の編成形態。
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▲後位側から見たuシート車のサハ733-3200。同車のみ戸袋窓が設けられており、側扉横の押しボタンは設置されていない。'14.6.16 札幌運転所 P:RM(伊藤真悟)
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▲サハ733-3200の客室内。モケット等は721系3000番代uシート車と同様な色調となっている。左手前は大型荷物スペース。'14.6.16 札幌運転所 P:RM(伊藤真悟)
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このほか、走行用モーターを全閉式として機器の一部を省略することで客室スペースを拡大しています。このため編成定員は821人となっています。

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▲普通席はロングシートで、従来の733系とほぼ同様。'14.6.16 札幌運転所 P:RM(伊藤真悟)
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733_3000_005.jpg733系3000番代は5編成計30輌が、本年7月中旬から11月頃までにかけて順次投入され、快速「エアポート」以外にも札幌圏を中心とした快速列車や普通列車に使用されることになっています。
なお、この733系3000番代につきましては、7月19日発売予定の本誌9月号にて詳しくご紹介する予定です。

▲車いす対応トイレは3号車サハ733-3100の4位側に設置されている。'14.6.16 札幌運転所 P:RM(伊藤真悟)
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取材協力:北海道旅客鉄道株式会社

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鉄道資料の保存と活用を目的として積極的に活動を続けている特定非営利活動(NPO)法人名古屋レール・アーカイブス(略称:NRA)が、資料展「追想・名古屋の市電-街から消えて40年 愛された市民の足-」を開催しています。

131121n001n.jpg今年は1974(昭和49)年3月31日に名古屋の街から市電が姿を消して40年の節目の年にあたります。1898(明治31)年5月、京都に次いでわが国2番目の電車として開業した名古屋電気鉄道(私営)をルーツとし、1922(大正11)年8月に市営化された名古屋市電は、最盛期には107kmの路線を市内の縦横に張り巡らし、市民の足として活躍していました。今回の資料展ではNRAと会員が所蔵する市電の活躍した当時の写真を中心に、創業当時の鶏卵紙写真、絵葉書画像や路線図、市街図などが展示されます。なかには、1963(昭和38)年9月から運行を初め、交通局の記録に残るだけの東港中学のスクール電車や、RMライブラリー『名古屋市電』(上・中・下)編集の時点で見つからなかった東山や星ヶ丘終点の写真もあり、必見です。
さらに、名古屋市が新たな路面交通として導入を検討しているLRT(次世代型路面電車)の写真も合わせて紹介されています。

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▲市電最大のターミナルであった名古屋駅前とその周辺。この駅前から市電が姿を消したのは1972(昭和47)年のことであった。 (RMライブラリー『名古屋市電(下巻)』より)。 
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また、今週日曜日、6月15日にはそのRMライブラリー『名古屋市電』(→こちら)の著者で都市交通研究家の服部重敬さんによる講演会「知られざる名古屋市電史」が開催されます。服部さんは今回の講演会の趣旨と抱負を以下のように語っておられます。

140613n601.jpg名古屋市電は、日本で二番目に開業したという歴史のみならず、和製PCC車といえる無音電車の輌数が一番多く、また、ワンハンドルの採用、連接車の投入など、日本でもっとも進歩的といえる路面電車でした。また、1400型にはじまる優美な外観を受け継いで、デザイン的にも優れていたにもかかわらず、東阪から離れていたことや軌間1067mmの路面電車である事などから、当時はあまり注目を集めず、こうした優れた点については意外に知られていません。特にその完成形である2000型は、「記憶の美化」といってしまえばそれまでかもしれませんが、現在、世界で活躍するLRTと比べても、遜色のない車輌であったと思います。講演名を「知られざる」としたのは、東京や大阪に比べていくつもの優れた特徴のある名古屋市電について、改めて目を向けていただきたい、という思いからです。こうした知られざる特徴について、ご紹介したいと思っています。また、近年、名古屋市が都心部への路面電車復活を検討していることを受けて、優秀な車輌を擁していた名古屋の路面電車が、どうして廃止されなければならなかったかについて、廃止後40年を経た現代の視点から検証をしたいと思います。さらに、近年の世界のLRTの動向をご説明すると共に、名古屋に路面電車を導入するための期待と課題についても言及したいと考えています。
▲資料展「追想・名古屋の市電-街から消えて40年 愛された市民の足-」のフライヤー。
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■第7回名古屋レール・アーカイブス資料展
「追想・名古屋の市電―街から消えて40年 愛された市民の足―」

●期間:2014(平成26)年6月10日(火)~6月22日(日)※月曜日休館
 火~木曜日 10:00~18:00
 金曜日   10:00~20:00
 土・日曜日 10:00~17:00
●会場:名古屋都市センター まちづくり広場
 (金山総合駅南口前 金山南ビル11階)
【講演会】
 「知られざる名古屋市電史」

○日時:2014(平成26)年6月15日(日)14:00~
○会場:名古屋市都市センター まちづくり広場 大研修室(入場無料)
○講師:服部重敬氏(NRA会員・都市交通研究家)、RMライブラリー「名古屋市電」(上・中・下)著者

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▲市街地とは一転、旧街道の長閑な風景の中を走っていた八事線。もともとは八事電車と呼ばれた尾張電気軌道→新三河鉄道の路線であった。 (RMライブラリー『名古屋市電(下巻)』より) 
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展示総パネル枚数57枚、写真数163点、絵葉書の複製19点、路線系統図・古地図などの資料類25点とその規模もまさにアニバーサリーイヤーにふさわしく、おそらく、これだけの内容の展示については、事業者であった名古屋市を含めて、今後できないであろうと思われ、ぜひとも、この機会に多くの皆さんにご覧いただきたいと思います。

※16日(月)、17日(火)は取材で不在のため休載させていただきます。

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▲現在では唯一となってしまったギーセライベルン製楔形レールを使用している天橋立鋼索鉄道。戦後、愛宕山鉄道鋼索線の資材を再利用したもので、御岳登山鉄道で使用されていたものと同じ出自の可能性が高いという。'14.4.9 P:宮武浩二
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1,049㎜ゲージという他に類のない軌間のケーブルカーとして知られる御岳(みたけ)登山鉄道(滝本~御岳山間1.0㎞)、そこで使用されていたスイスのギーセライベルン製レールのスライスを手に入れました...と大阪の宮武浩二さんからご連絡をいただきました。

140612n002.jpgギーセライベルンのケーブルカー用楔形レールは逆台形状の頭部が特徴で、わが国ではたいへん珍しいものです。実は御岳登山鉄道はもともと一般的な3ft6in(1,067㎜)ゲージでしたが、1991(平成3)年にレールを交換。長年使用してきたギーセライベルン製楔形レール(28.5㎏)から普通の50Nレール(50㎏)に替えた際に、頭面の幅の違いからゲージが18㎜狭くなってしまったのです。一般的な粘着式自走式鉄道では考えられないことですが、ケーブルカーの車輪は基本的に外側車輪が両フランジ、内側車輪がフランジレスのローラーのような形状をしていますから、18㎜程度の増減は支障がないということのようです。いずれにせよ、この時から御岳登山鉄道のゲージは公称1,049㎜と、フィート・インチでもメトリックでも換算できない奇妙なものとなってしまったのです。
▲楔形の頭部が目を引くギーセライベルン製28.5㎏レール。P:宮武浩二
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ところでこのギーセライベルン製楔形レール、もともと御岳にあったものではなく、宮武さんによれば、戦時中に不要不急として休止・撤去されていたものを、1951(昭和26)年に復活させる際に、京都の愛宕山鉄道鋼索線(清滝川~愛宕間2.0㎞・1944年廃止)の機材を利用したとする説があるそうです。愛宕山の鋼索線機器は1951(昭和26)年に天橋立ケーブルに転用されたことになっていますが、ひょっとすると両者に振り分けられて再利用されたのかもしれません。御岳の路線延長が1.0㎞、天橋立が0.4㎞ですから、交換施設分を考慮しても充分シェア可能だったのでしょう。

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▲スライスされたギーセライベルン製楔形レールは硬券乗車券とともにプラスチックのケースに入れられて販売されている。右は透明のケースを外した状態。P:宮武浩二
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この珍しいギーセライベルン製楔形レールは御岳登山鉄道の売店で販売されているそうです。今年の1月1日発券の硬券(番号入り)が付いて、プラスチック製のケースに入って何と1,000円。初夏の一日、このレールお目当てで青梅へと足を伸ばしてみるのも一興かもしれません。

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鹿瀬電工の"新潟"。

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▲もと留萠鉄道のDR101CLのプロフィール。DMH36Sを収めたボンネットは異様に長い。こちらの3軸台車が動台車。'81.3.26 鹿瀬
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昨日に続いて磐越西線の専用線から、鹿瀬電工をご紹介しましょう。といってもこちらは歴とした専用鉄道で、『専用線一覧表』(昭和50年版)にも「専用鉄道/総延長キロ5.0㎞、作業キロ1.4㎞、作業方法=私有機」と記載されており、鹿瀬駅構内下り方から分岐した専用鉄道は巨大な工場へと分け入っていました。

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▲ロータリーヘッド側から見たDR101CL。形式名の「R」はロータリーを「CL」は動軸数と機関車(Locomotive)を示す。'81.3.26 鹿瀬
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この鹿瀬電工にも異色の"新潟"がいました。遙か留萠鉄道からやってきた「DR101CL」で、新潟鐵工所1958(昭和33)年12月製のボギー式ディーゼル機関車です。ボギーといっても軸配置は一般的なB-Bではなく何とC-Bで、3軸の側が動台車となっている変わり者です。除雪用のロータリーヘッドを取り付けるのを前提としているため、全長は16.45mにもなり、私鉄のディーゼル機関車としても異色も存在でした。

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▲鹿瀬電工の機関区。実際の運転管理は日通鹿瀬営業所が行っていた。手前が主力の三菱重工業製25t機で機番は「5」。'81.3.26 鹿瀬
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このDR101CLを見たくて例によって総務部門に連絡。鹿瀬電工はその前身である昭和電工(1965年から鹿瀬電工)時代に四大公害のひとつとされる第二水俣病を引き起こしているだけに、誰何されかねない状況ではありましたが、こちらの熱意が通じたのか何とかクリア、機関庫を訪ねることができました。

140611n005.jpgところが肝心のDR101CLは工場内どころか国鉄鹿瀬駅構内の外れに留置されており、どうやらほとんど使われていないようでした。図体の割に非力(自重50tに対して機関は450ps1基)なこともあって留萠鉄道でもたいした活躍はできなかったようで、ましてやこの専用鉄道では除雪以外に使い道もなかったのでしょう。ひょっとすると"親元"の新潟鐵工所が地元の専用鉄道に第二の働き口を仲介したのかもしれません。
▲例によって加藤くんを引きずり出してもらった手前、5号機にも敬意を表してロッドを下して形式写真を撮影。'81.3.26 鹿瀬
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昭和電工時代にはクラウス製の1号機(1400形)や、武蔵野鉄道開業時のヘンシェル製2号機など、魅力的な古典期の住処としても知られた鹿瀬ですが、訪問時に主力となっていたのは日輸がOEM生産した三菱の5号機で、趣味的にはあまり食指が動く形態ではありませんでした。

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▲5号機の牽引で庫から引っぱり出してもらった1号機"たれ目の加藤"。銘板によると「自重15瓲、車体番号341479、変速機RM-20、機関DA59C-6129、製造年:昭和34年11月」。かつては同形の僚機2号機がいたというが、この時点ではすでに姿がなかった。ちなみに後ろの炭台は蒸機時代からのもの。'81.3.26 鹿瀬
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今では「SLばんえつ物語」号の撮影地としてもすっかりお馴染みの鹿瀬。今春訪れた際に車窓から眺めると、あれほど巨大だった工場群はすっかり廃墟と化してしまっており、専用鉄道の機関区がどこにあったのかさえわからず仕舞いでした。

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▲いかにも模型的な矩形庫の奥にお目当ての"新潟"は眠っていた。日通の加藤くん(1957年製10t)が引きずり出してくれることに...。'81.8.7 喜多方
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以前、住友セメント広田包装所の川崎車輌製15t機をご紹介したことがありましたが(アーカイブ「住友セメント広田SSのこと」参照→こちら)、かつての磐越西線は専用線の宝庫でもありました。磐梯町の日曹金属、東長原や喜多方の昭和電工、鹿瀬の鹿瀬電工(専用鉄道)等々です。しかし、住友セメント以外はどれも一筋縄ではゆかない、いわば"敷居の高い"専用線ばかりでした。

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▲いつから使われていないのか、狭苦しい庫に押し込まった"新潟"。それにしてもこの庫内の雑然とした雰囲気もなかなかのもの。'81.8.7 喜多方
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その昭和電工 (1977年〜昭和軽金属)喜多方工場の専用線に、戦後黎明期の新潟鐵工所製ディーゼル機関車が残存しているのを知り、ぜひとも見学をしたいと連絡をしたところ、幸いにも「機関車を見るだけなら...」と許可をいただくことができました。

kitakata073n01.jpg会津盆地特有の粘りつくような暑さの中、総務課の案内で専用線の片隅にたどりつくと、今にも崩壊しそうな小さな矩形庫があり、お目当ての機関車はこの中に入っているとのこと。すでに使用しなくなってからかなりの歳月が経っているらしく、とても自走できる状態ではありません。係の方は庫内であろうと一目見れば気が済むのだろうと思っておられたようですが、はるばるこの機関車目当てにやってきた当方としては何としても屋外で見たいのが本音です。紆余曲折の末、日通の加藤製作所製10t機の助けを借りて庫から引きずり出してもらうこととなりました。
▲現場で採拓した銘板の拓本。新潟鐵工所の製造銘板には製造番号がない。しかも、「昭和28年」とだけ表記されているが、サプライリストには該当機がない。
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新潟鐵工所昭和28年製の銘板を持つこの機関車、なぜか新潟鐵工所のサプライリスト(本誌48号所収)にも記載がなく、試作を兼ねたモニター機だったのかもしれません。いずれにせよ同社が生産したディーゼル機関車は1952(昭和27)年の津軽鉄道向け20t機(のちに東野鉄道)が最初で、同年は建設省向けの2輌、翌年は茨城交通のケキ101しか正規の生産実績はなく、本機は同社製の極めて初期のディーゼル機関車ということになります。

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▲ひさしぶりに野外に出てきた"新潟"。加藤くんの奮闘でロッドも下げてもらい、いざプロフィール撮影。'81.8.7 喜多方
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センタージャック軸の足回りはもとより、なぜか後部デッキにしか出入口のない奇妙なキャブなどなんとも個性的な本機、車体標記によれば「形式10BSS-3型、自重10t」とあり、エンジンの刻印からは「機関S612、番号LH47 80ps/1500rpm、昭和28年5月」と読み取れました。

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▲事務所で関係書類を見せてもらった際に発見したプロトタイプと思われる組立図。キャブは一般的は側面ドア。昭和27年4月10日の書き込みがあった。ちなみにこれは私がトレースさせてもらったもので、左側のセロテープは持っていったトレーシングペーパーが小さすぎ、やむなく2枚をつなげたもの。
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帰りしな、事務所で関係書類や図面を書き写させていただきましたが、30年以上前のことゆえ現場事務所にエアコンなどというものはなく、青図が汗でべとべととくっついてくるような灼熱地獄だったことを覚えています。

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▲昨年(第6回)の一般の部大賞を受賞された千葉満弘さんの作品「夏の終わりに」。

鉄道のまち大宮(さいたま市)に本社を置く株式会社タムロンが、さいたま市、さいたま市教育委員会、さいたま商工会議所の後援を受けて毎年開催している「タムロン鉄道風景コンテスト 私の好きな鉄道風景ベストショット」が7年目を迎え、現在作品を募集中です。

100826n767n.jpg毎年小ブログでもご紹介しておりますが、このコンテストは鉄道風景写真、鉄道のあるスナップ写真など、鉄道とその周辺を入れ込んだ写真であれば、風景、スナップ問わず応募可能で、しかもカメラ、レンズの機種、撮影地域も問わない、実に幅広い募集内容なのが特徴です。しかも「一般の部」のほかに「小・中・高校生の部」を設けているのも大きな特徴で、次世代に夢をつなぐ大きな役割も担っています。
▲タムロン本社の広い会議室には第二次審査を待つ作品が次々と並べられてゆく。第2回コンテストのひとコマ。'10.8.25
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▲第5回コンテストの際の広田尚敬さんと矢野直美さん。まさに名審査員コンビ!
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審査員は今年も小誌連載「広田尚敬の視線」でもお馴染みの広田尚敬さんと、フォトライターとして活躍されている矢野直美さんのお二方。私もたびたび審査に同席させていただいておりますが(アーカイブ「第5回「タムロン鉄道風景コンテスト」審査終了」参照→こちら)、"ユーモアフォト賞"など、ならではのセレクトもあって、息の合った絶妙な審査はこのコンテストの大きな魅力ともなっています。

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▲第7回「タムロン鉄道風景コンテスト 私の好きな鉄道風景ベストショット」のフライヤー。
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募集期間は9月5日(金曜日)まで。審査結果は10月中旬、タムロンホームページで発表の予定で、11月には関連写真展がそごう大宮店で開催されるほか、上位入賞作品は本誌『レイル・マガジン』2015年1月号(2014年11月21日発売)誌上でご紹介する予定です。この夏休みは、文字通り"私の好きな鉄道風景ベストショット"を狙ってみられてはいかがでしょうか。
※応募要項など詳しくは→こちら

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▲会場は東京ミッドタウンの富士フイルムフォトサロン。エントランスを入ると震災後最初の撮影となった2011年4月6日の田老駅の作品(左)が目に入る。'14.6.6
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今日(6日)から東京・六本木の富士フイルムフォトサロンで中井精也さんの写真展「-三陸鉄道復活への軌跡- さんてつ、がんばんべし!」が始まりました。中井精也さんが毎日アップし続けているブログ「1日1鉄!」の10周年記念も兼ねたこの写真展、会場に足を踏み入れるや、その作品が語りかけるものの大きさに圧倒される思いがします。

140606n001.jpgサブタイトルにもあるように、この写真展は震災以来三陸鉄道を見つめ続けてきた中井さんの魂の記録とも言えるもので、一貫してその根底にあるのは三陸鉄道への計り知れない思いです。聞けば中井さんと三陸鉄道との出会いは今からちょうど30年前、第三セクターとして生まれ変わった三陸鉄道の開業式にまで遡るのだそうです。
▲一番のお気に入りの写真は?と尋ねると、ポストカードにもなっている小本駅の代用手信号のシルエットの前でポーズをとってくれた。'14.6.6
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当時、高校2年生だった中井さんは鉄道研究部の部長。研究テーマとして折しも誕生しようとする三陸鉄道を選び現地へと向かいました。実は大好きだった国鉄型車輌が真新しい派手な車輌に置き換わってしまうことが厭で、そこをメインに取り上げようと企画されていたのだそうです。

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▲3年あまりにわたる時系列で展示された作品群は、とりあえず今年4月6日の全線運転再開で結びとなる。'14.6.6
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140606n008.jpgところが実際に現地に着いてみると、開業を心底喜ぶ地元の皆さんの姿に大きな衝撃を受けます。鉄道は人を運ぶためにあるとあらためて思い知り、この時から車輌そのものではなく、鉄道と人との関わりをテーマに写真を撮ろうと心に決めたのだそうです。つまり三陸鉄道は「鉄道写真家・中井精也」のまさに原点であり、誕生の地でもあったのです。ちなみに中井さんはその5年後、小誌82号(1990年9月号)のRM GALLERYで鉄道誌にデビューを飾られ、 以後、プロの道をまっしぐら、現在では小誌「今日の一枚」の講評や、「1月1鉄!」を連載いただいています。
▲中井さんの"原点"ともなった30年前の三陸鉄道開業時の写真(下)と、運転再開時の賑わい(上)がシンクロする。'14.6.6
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▲それぞれの作品に添えられたコメントもこの写真展の見どころ。ぜひ、じっくりと読み解きながら鑑賞したい。'14.6.6
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140606n301.jpg今回の写真展に展示されているのは震災翌月から今日に至るまでの合計51枚。2011年4月6日、瓦礫が広がる夕闇の田老駅前で、唯一の灯となって走りゆく復興支援列車に泣きながらシャッターを切った中井さんは、「写真家である僕にできることは、とにかくこの鉄道が復旧に向けて奮闘する姿を撮影し発表することで、応援し続けることしかない」と決意します。この写真展も、同時に発売となった写真集『夢と希望の三陸鉄道』(徳間書店刊)も、作品はすべてチャリティーとなっており、"原点"三陸鉄道への応援はこれからも続いてゆきます。
▲開業30周年、全線運行再開記念の三陸鉄道オフィシャル写真集として上梓された『夢と希望の三陸鉄道』。
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テーマが非常に重いものであるにも関わらず、中井さんの作品は微塵も暗さを感じさせず、見る者を元気づけ、笑顔にさせてくれるのが大きな特長といえましょう。また、それぞれに添えられたコメントも、短いながらも心を揺さぶるもので、会場にお出でになられた際は、ぜひこの短文を噛みしめながら作品をご覧になることをおすすめします。

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会期は6月12日まで。来月7月25日~31日には会場を大阪に移しての開催となります。
「写真にはいろいろな力があります。報道写真のように、厳しい現実をありのままに伝えるのも写真の大きな力です。でも僕は、それを見ることで勇気や希望が持てるような写真の力もあるのではないかと、信じています」(会場の案内文より)。
この写真展「さんてつ、がんばんべし!」、鉄道写真や鉄道趣味といった枠を超えて、「見るべし!」。

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▲3輌編成化された千代田線05系更新車。前面の行先表示器は「ワンマン」と「綾瀬⇔北綾瀬」を交互表示する。'14.6.4 綾瀬車両基地 P:RM(伊藤真悟)
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東京メトロでは千代田線綾瀬~北綾瀬間向け車輌として、東西線で活躍していた05系に対して転籍改造工事を施し、その報道公開が行われました。

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▲客室内全景。床敷物や腰掛モケットはブルー系とされ、袖仕切板が大型化されている。'14.6.4 綾瀬車両基地 P:RM(伊藤真悟)
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対象となった05系は01F・03F・06F・13Fの4編成で、それぞれ05-300~05-900の中間車7輌を廃車とし、両先頭車(05-100は電動車化)と05-200とで3輌編成を組んでいます。

05_chiyoda_007.jpg外観の帯は千代田線16000系をイメージした濃淡グリーンを纏い、ホーム停車時でも視認できるように上部にも帯を巻いています。また前面、運行表示器は8色カラーLEDとし、側面行先表示器は行先が固定されていることから5000系、6000-(ハイフン)系にあわせて廃止されています。
▲千代田線05系更新車の編成形態。2M1Tだが、CM車とM1車の北綾瀬方台車は電動軸が1つとされ、実力1.5M1.5Tとなっている。

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▲中間車05-200の北綾瀬方に設置された車椅子スペース(左)。側扉鴨居部に設置された17インチワイドの液晶表示器(右)。向かって右側の表示器で行先案内や運行情報などを表示する。'14.6.4 綾瀬車両基地 P:RM(伊藤真悟)
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客室内は、袖仕切の大型化や床敷物、シートモケットの更新のほか、すべての側扉鴨居部に17インチワイドの液晶表示器を2個配置。また、スタンションポール、扉開閉表示灯、出入口下部識別板(常時開閉する側のみ)を新設しているほか、中間車の05-200の北綾瀬方に車椅子スペースを設置しています(但し06Fは東西線時代に設置済)。

05_chiyoda_005.jpg制御装置はチョッパ制御装置からVVVF制御装置(IGBTベクトル制御〔SiCモジュール適用〕・2レベルインバータ方式)に更新。インバータ箱は編成1台として2M1T(実力1.5M1.5T)となっています。
▲両手ワンハンドルマスコンとされた運転台。'14.6.4 綾瀬車両基地 P:RM(伊藤真悟)
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▲運転台上部には4画面タイプのCCTVモニタが設置されている。'14.6.4 綾瀬車両基地 P:RM(伊藤真悟)
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運転台はワンマン運転を考慮して両手ワンハンドルマスコン化とともに、運転台上部に10000系と同様の4画面タイプのCCTVモニタを設置しています。
千代田線05系更新車は4月28日より順次綾瀬~北綾瀬間で営業運転を開始し、5月31日からは05系のみでの運転となり、5000系及び6000-系は運用を終えています。
また本誌『Rail Magazine』の次号では、この千代田線05系更新車について諸元表などを添えてご紹介する予定です。

取材協力:東京地下鉄株式会社

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▲1951年スチブンソン製のM形4号を先頭に発車を待つ列車。'14.3 P:谷川雄介
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140601n001.jpgDon River Railway
次にご紹介するのは、Don River Railwayです。この鉄道は、タスマニアの北にある港町Devon Portにあるボランティアによる鉄道保存団体で、その名の通り、町の西側を流れるドン川に沿って河口までの3 kmを走る動態運転線を所有しています。また、車輌基地が博物館になっており、その入場料で動態運転線に乗車することができます。Devon Portはオーストラリア本土からの大型客船Spirits of Tasmania が毎日発着するタスマニアの玄関口なので、この鉄道へのアクセスも良好です。
▲オーストラリア本土からの大型客船Spirits of Tasmania 。'14.3 P:谷川雄介
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▲M形のサイドビュー。ベルペア火室やベアリングを使用した走行部など、戦後生まれのスチブンソン機。'14.3 P:谷川雄介
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さて、この鉄道では毎日、旧型車輌が運行されています。平日は旧型ディーゼル車、日曜日は蒸機が運行されます。ちょうど日曜日に行きましたので、蒸機が運行されていました。毎時ごとの発車で、片道3km、往復30分の小旅行です。

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▲レストア中の1B1タンクは1879年ファウラー製(左)。右の客車は英国メトロポリタン製BA49で、これまた1899年製と19世紀生まれ。'14.3 P:谷川雄介
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博物館に保存されている車輌は、蒸機が11輌、ディーゼル機関車が7輌、レールカーや客車が20輌程度です。 現在は、平日は1944年製の機械式ディーゼル動車DP形22号、日曜は1951年製のパシフィックM形4号が保存運行に用いられています。また、車庫では同形機を含めて数台が動態保存機として整備されていました。

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▲ディスプレーとして展示されているM形3号(右/1951年スチブンソン製)とH形7号(左/1952年バルカン製)。'14.3 P:谷川雄介
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140601n004.jpg乗車したM形は戦後の機関車不足を補うためにタスマニア州政府鉄道が英国に10台発注したパシフィックで、製造は由緒あるロバート スチブンソン社です。この機関車は全長18mなので、日本のC58程度の大きさですが、車輌限界の高さが日本より低いので、全長が長く感じられます。
▲名門スチブンソンの製造銘板。1951年製造番号7424と打刻されている。'14.3 P:谷川雄介
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▲特徴的なM形の輪心スポーク。軸受やロッドにはベアリングが用いられている。'14.3 P:谷川雄介
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140601n011.jpg動輪直径は55インチ (1397 mm)で、輪芯の鋳造スポークが特徴的です。また、ベルペア火室やロングラップ弁、ロッドや全車軸にローラーベアリングが実装されているなど、先進的なカマです。世界中に機関車を輸出していた英国だけに、インドのメーターゲージのYB形と共通設計にして納期やコストを低減したそうです。
▲メジャーをあてて動輪径を実測。'14.3 P:谷川雄介
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140601n015.jpgまた、引退したガーラットの小さな動輪に履き替えた4輌はMA形となりました。この動輪のスポークは途中で枝分かれするY字型(松葉スポークを反転させた感じ)でかなり不思議な形状です。なお、MA形の2号機が動態保存機として復元中です。
▲MA形のスポーク動輪は実に奇妙な形状をしている。'14.3 P:谷川雄介
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▲1944年Waddingtons製というディーゼル動車DP22。平日はこの気動車が充当されている。'14.3 P:谷川雄介
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編成は外見がスハフ43に似た客車(ただし木造)や,モノコックのディーゼルカーに合わせた卵型断面の車輌の混成でした。内装もニス塗り革張りで英国的でした。

140601n005.jpg車庫内で整備中の車輌にも特徴的なものが数多くありました。整備場はボランティアのスタッフによるガイドツアーで見学できます。車庫内で整備済みのガソリンカーはエンジンこそかかるものの、駆動系統が現代の法的な基準に満たさないので、二度と走れないと残念そうに話していました。また、小さな古典的オープン型レールカーも美しく整備されていました。このレールカーは形態が楽しく、Oナローあたりで模型化すれば好ましいかと思いました。
▲Riley Engine製のレールカー(インスペクション・カー)。こちらも1907年製とオールドタイマー。'14.3 P:谷川雄介
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屋外には転車台があり、周囲に多くの静態保存蒸機や客車が留置されています。19世紀のオープンキャブ蒸機から、M形同様に戦後に輸入された大型蒸機まであります。基本的に英国からの輸入ですが、インドなどと同様に英国植民地形をタスマニアの環境に合わせた形態という点で興味が尽きませんでした。
これらの膨大な車輌と保存線をボランティアが管理し、行政のサポートもあって観光資源として認められているのは羨ましい限りです。

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▲博物館にはワークショップも併設されており、数多くの歴史的車輌がボランティアの手によって修復されている。'14.3 P:谷川雄介
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以上の2つの鉄道のほかにも、タスマニアには何か所にも鉄道保存団体があります。実際、車で通った町の博物館に蒸機が保存されていたり、復元された軽便鉄道が月に1回運転される町があったりと、いたる所に鉄道遺産がありました。また、21世紀まで操業していた鉱山がそのまま鉱山博物館となり、水車動力の時代から蒸気動力を経て電気に至るまでの鉱山機械が動態保存されているなど、古い機械に対する文化が強く根付いているように感じました。

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▲JR東日本が2017年春ごろから運行を開始するクルーズトレインのエクステリアイメージ。提供:JR東日本

本日、JR東日本から新製されるクルーズトレインのデザインと編成概要が発表されました。これは2012年10月に経営構想の中で観光立国の推進の一環として「クルーズトレイン(豪華列車)の導入」をイメージパースとともに発表していますが、今回はさらに具体的な発表となっております。

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▲10輌編成となる予定のクルーズトレインの列車編成イメージ。提供:JR東日本
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列車デザインは、「時間と空間の移り変わりを楽しむ列車」をデザインコンセプトとし、KEN OKUYAMA DESIGN の奥山清行さんがプロデュースされます。編成は、先頭車(展望エリア付き動力車)2輌、パブリックスペースとしてラウンジ車1輌、ダイニング車1輌、パーソナルスペースとして客室のデラックススイート車1輌、スイート車5輌の10輌編成となります。

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▲先頭車の展望エリアのインテリアイメージ。提供:JR東日本

エクステリアデザインはなんといってもガラス張りの形状の先頭車が大きなインパクトとなっています。編成の中ほどにあるラウンジ車輌には、大きなエントランスドアを設け、ラウンジ全体を覆う樹木のような有機的な窓、隣のダイニング車輌は高さを意識した窓、客室にはプライベート性を重視した窓など、これら車輌ごとの快適さや機能性に即した窓形状による外観が、この旅のさまざまな体験を予感させるデザインとされる予定です。

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▲ラウンジエリアのインテリアイメージ。提供:JR東日本
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先頭車には、自然の雄大さ、開放感、移動するダイナミズムをライブで感じられる大きな窓ガラスを配した展望エリアを用意。ラウンジエリアは、オープンなパブリックスペースとなるよう天井を高くとり、樹木を思わせる曲面が、談笑する人々を優しく包み込むようなデザインとなる予定です。

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▲ダイニングエリアのインテリアイメージ。提供:JR東日本
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ダイニングエリアは、モダンに和のテイストを取り入れ、五感を心地よく刺激する「ハレ」の空間を演出したデザインとなります。

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▲デラックススイート(メゾネットタイプ)のインテリアイメージ。提供:JR東日本
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デラックススイートルームはメゾネットタイプとフラットタイプ各1室、計2室を用意。
メゾネットタイプは、景観を楽しめるスケール感のある階上部と、クローズした空間が安心感をもたらす階下部の構成、一方、フラットタイプは、メゾネットタイプとは違う、表情豊かで上質な空間を演出するデザインが用いられます。

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▲スイートルームのインテリアイメージ。提供:JR東日本
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スイートルームは15室で、うち1室はバリアフリーに対応。デザインは、きめ細やかな日本の美意識をモダンな意匠に盛り込みながら、フラットなフロア構成による穏やかな空間で、安らぎと開放感を演出したデザインとされる予定です。

注目の運行開始時期は、2017 年春ごろとアナウンスされており、今月下旬から専用のホームページ(http://www.jreast.co.jp/cruisetrain)も開設されるそうです。

※列車編成イメージやイメージパースは現在検討中のものであり、今後変更になる可能性があります。

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▲クイーンズタウン駅で発車を待つ列車。ゲージが3フィート6インチとあって日本人にとっては親近感がある。'14.3 P:谷川雄介
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乗車する客車は19世紀のオリジナルの図面をもとに新製されたボギーの木造車輌です。ねじ式連結器で連結していますが、メインの鎖のほかに左右に安全用の鎖が二つ使われているあたりが急勾配仕様です。上回りの窓の上部がRを描き、ダブルルーフの古典的なデザインは模型映えしそうです。編成は3輌でオープンデッキの車輌もあります。

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▲レプリカとはいえ、古典客車の味わいを感じさせる木造客車。'14.3 P:谷川雄介
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▲観光用とあって客室内は綺麗に整えられている。天井のスケルトン状のものは蛍光灯のブラケット。'14.3 P:谷川雄介
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▲オープンデッキの木造客車(左)と、バッファー&リンクの連結器(右)。万一のための鎖も装備されているのが見える。'14.3 P:谷川雄介
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140525n602.jpgさて、ドーム屋根のQweenstown駅を出発して、しばらくは川に沿って森の中を25‰の下り勾配で進みます。途中で砂金すくいのアトラクションで30分停車したりしながら、8km走ると、Halls Creak駅に着きます。ここからが62.5‰のラックの登り区間です。ドラフトも高らかに20分ほど登りつめると峠のRinadeena駅で給水。ここから先は海岸側からの湿った風のため、珍しい温帯雨林という気候です。
▲まるで体育館のような外観のQweenstown駅。'14.3 P:谷川雄介
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▲出発を待つ№3。1893年ダブス製のB1ラック蒸機で、煙室下部にラックエンジンのシリンダーが見える。'14.3 P:谷川雄介
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ここから再び50‰の下りラック区間に入り、鬱蒼とした森を抜け、断崖絶壁のはるか下を流れるKing川の岸に向かうこと30分、標高差200m強を下ると現在の終点Dubbil Barril駅に到着です。路線そのものはこの先の粘着区間へと続きますが、2014年現在は開通していません。ここでは森の案内ツアーや転車台での方向転換、そしてラックエンジンの空転実演といろいろと楽しませてもらえます。

140525n609.jpg帰りは何とキャブに乗せてくれるというオファーがありました。峠のサミットまでの登り区間での添乗でしたので反圧制動の操作は見られませんでしたが、キャブの中ではいろいろとお話もうかがえました。まず、勾配の急激な変化でボイラの水面が動いて、火室の天板が水面から露出してしまう心配はないのかと聞くと、火室天板が通常の機関車より低く作られていることや、勾配の変化よりも急激な加減弁操作によるボイラ圧力変化の方がボイラの水面変化に影響が大きいから、登り勾配が終わるときは少しずつ加減弁を閉め、ブロアなどで圧力の変化を抑えながら、ボイラに給水して安全を確保することを教えてくれました。
▲山間の途中駅Rinadeenaで給水する№3。'14.3 P:谷川雄介
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140525n611.jpgまた、ラック区間は空転しないので、一度加減弁と逆転機の位置が定まってしまえば、まったくの手放しで走行できるため簡単だそうです。機関車がB型ということもあり粘着区間の登り25‰の方がラックの62‰よりよっぽど難しいと言っていました。また、軽油焚きなので、火力調整もバルブ1つで、登り急勾配とはいえのんびりした雰囲気でした。
▲キャブは右側運転台。逆転機は丸ハンドルのネジ式が装備されている。'14.3 P:谷川雄介
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速度は10km/h程度で均衡していますが、速度計は備え付けられていませんので、機関士のポータブルGPSでしたが、機関士曰く「こんな遅い列車乗ったことあるか?新幹線なら終点まで5分で着くよな」と冗談を言っていました。
この鉄道は鬱蒼とした森の中や断崖絶壁を走るため、粘着区間以外では並走道路もなく、列車の撮影には向かないかもしれませんが、ラック式蒸機の魅力は充分に楽しめました。

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