鉄道ホビダス

2014年4月アーカイブ

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▲疾走する「つばめ」の姿をC59の運転台から捉えた迫真のショット。写真提供:木村 晃 (『「SL甲組」の肖像』第8巻より)

本誌連載「SL甲組」の肖像の完結と、単行本最終巻の発行を記念して、来週末5月10日(土曜日)に東京・神保町の書泉グランデ7階イベントスペースで『椎橋俊之「SL甲組」を語る』が開催されます。すでに多くのお申し込みをいただいておりますが、前回の秋葉原の書泉ブックタワー(アーカイブ「大雪の中での椎橋俊之さんのトークショー」参照→こちら)と比べ会場も広くキャパシティもございますので、今からでもご参加いただくことができます。入場無料ですが、事前予約(下記参照)が必要です。なお、MCは私が務めさせていただきます。

■椎橋俊之「SL甲組」を語る
期日:5月10日(土曜日)15:00~17:00
会場:書泉グランデ7階イベントスペース(東京・神保町)
料金:無料
※事前のお申込みが必要です。下記にお電話いただき、参加の旨とお名前・連絡先をお伝えください。
03-3295-0016
(書泉グランデ6階鉄道フロア直通電話)

140430n002.jpg蒸気機関車全盛時代、「甲組」と称される選り抜きの乗務員たちは、いったいどのように機関車と向き合い、鉄道の安全を護ろうとしてきたのか...全国各地に甲組OBの皆さんを訪ね、その証言をもとに生き生きとした昭和の鉄道の姿を後世に残そうとする椎橋俊之さんの連載「SL甲組」の肖像は、本誌2003年2月号(No.233)でスタート以来、十年あまりの歳月を掛けて100か所近い区所を巡り、数えきれないほど多くの"甲組"の皆さんから貴重なお話をうかがってまいりました。
▲独特の書体の区名札を掲げたC62 16〔名〕に乗務する甲組機関士。キャブ裾部の進駐軍注記プレートと、さらにその下の陽刻に注意。写真提供:木村 晃 (『「SL甲組」の肖像』第8巻より)
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▲著者・椎橋俊之さんご自身も"ヨン・サン・トオ"以前からの熱心なファン。「SL甲組」の肖像では随所にご自身撮影の作品もご披露いただいている。P:椎橋俊之 (『「SL甲組」の肖像』第8巻より)
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過酷な状況の下で、安全運行と定時運行を"誇り"として加減弁ハンドルを引き、投炭を続けた蒸気機関車乗務員の苦労と矜持は、鉄道というジャンルを超えて、昭和の日本と日本人を映し出しているようにも思えてなりません。今回のトークショーは誌上では触れられなかった秘話を交え、壮大な連載の掉尾を飾る、まさにそれ自体が"オーラルヒストリー"そのものとなるはずです。

140328n001n.jpg「SL甲組」の肖像 8(最終巻)
発売中(→こちら

本体3048円+税
A4変型国際版(本誌同寸)/292頁
〔主な内容〕
名古屋機関区/「つばめ」の男たち、標茶機関区/最果ての原野を往く、釧路臨港鉄道/ヤマの盛衰を見つめた90年、横手機関区/峠越え、豪雪との戦い、新小岩機関区/京葉の動脈を守る、成田機関区・佐倉機関区/両総台地にたな引いた煙、八王子機関区/桑の都に居を構え、武蔵野を駆ける、大宮機関区/首都圏の物流を支えた機関車乗りたち、山田(伊勢)機関区/参宮快速にかけた機関士魂、紀伊田辺機関区/黒潮洗う紀州路を往く、米子機関区/山陰ど真ん中鉄道黎明の地、木次機関区/奥出雲の峻険を往く、松山機関区/四国鉄道発祥の地の誇り、小松島機関区(徳島気動車区)/眉山が見つめた阿波の要衝、若松機関区/石炭とともに生きた94年、早岐機関区/長崎道、佐世保道の要衝、大分機関区/豊後のダイヤを守れ。時刻表は社会との約束事、新京機関区(南満洲鉄道)/驀進!超特急「あじあ」

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▲先頭部に輝く"POLESTAR2"のエンブレム。前照灯もLED灯を採用している。'14.4.22 桃山台車庫 P:RM(髙橋一嘉)
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北大阪急行電鉄の新型車輌9000形"POLESTAR2"が完成、先日、試乗会が行われました。ご存知の通り北大阪急行電鉄は、大阪市内交通の大動脈である地下鉄御堂筋線と直結し、江坂~千里中央間5.9㎞を結ぶ路線で、ほとんどの列車は千里中央から大阪市の中心部を通り、なかもずまで運転されます。

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▲4M6Tの10輌編成を組む9000形。'14.4.22 桃山台車庫 P:RM(髙橋一嘉)
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この9000形は、その愛称が表す通り、1986(昭和61)年に登場した8000形"POLESTAR"の後継車として製作されたもので、「お客様への静かなやすらぎ空間の提供とさらなる環境性能の向上」をコンセプトとしています。外観は無塗装ステンレス車体となり、先頭部は光によるリフレクション効果を採り入れた立体感のあるデザインを採用しています。この車体は安全性向上のため、車体台枠構造の強化が図られたものとなっています。

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▲通勤電車として初めて調色・調光が可能なLED照明を採用した車内。'14.4.22 桃山台車庫 P:RM(髙橋一嘉)
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一方、車内は木目調の化粧板やゴールデンオリーブ色の腰掛など、北大阪急行電鉄の車輌の伝統を踏襲しているのに加え、通勤車輌としては初めて白色~電球色で調色・調光可能なLED照明を採用し、また一部には不燃性の木材を使用するなど、「やすらぎの空間」を演出しています。

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▲車イススペースを各車輌に一箇所設置するほか、連結面の貫通扉は8000形に引き続き自動扉を採用している。'14.4.22 桃山台車庫 P:RM(髙橋一嘉)
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機器類は全閉式高効率主電動機、新空調装置、低騒音型のCPなどの採用により騒音が低減されていることともに、前述の主電動機とともに最新のVVVFインバータ制御装置の採用により従来のVVVF制御車に比べて25%以上の省エネギー化も達成しているとのことです。

この9000形は4月28日から営業運転を開始しました。なお、9000形について詳しくは『レイル・マガジン』本誌次号で詳細な解説記事を掲載できる予定です。

取材協力:北大阪急行電鉄

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▲多くの報道陣に囲まれたフリーゲージトレイン。手前側が1号車(下り方先頭車)となる。車体塗色にはシャンパンゴールドとディープレッドの2色を採用している。'14.4.20 熊本 P:RM(小野雄一郎)
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鉄道建設・運輸施設整備支援機構が開発を進めていた軌間可変電車(フリーゲージトレイン)の新型車輌が落成、4月20日未明に初の走行試験を実施しました。

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▲熊本総合車両所を出発して、4月20日0時50分ごろ熊本駅14番線ホームに初入線したフリーゲージトレイン。'14.4.20 熊本 P:RM(小野雄一郎)
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軌間可変電車とはその名の通り新幹線(1,435mm)と在来線(1,067mm)とを直通運転することを目的に開発された車輌で、台車に特殊な機構を備えて車輪間隔を可変構造とし、異なる軌間に対応できるようにしたものです。

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▲フリーゲージトレインの4号車側。第一次車・第二次車が平面的なデザインであったのに対し、新造された3次車は立体的なデザインとなっている。ホームドアは開いていないが、車体側面の乗降用ステップが降りていることに注意。'14.4.20 熊本 P:RM(小野雄一郎)
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フリーゲージトレインは、1998(平成10)年に3輌編成のいわゆる第一次車が登場し、2007(平成19)年には同じく3輌編成のいわゆる第二次車が製造されて試験を重ねてきました(アーカイブ「フリーゲージトレイン第二次試作車が完成」参照→こちら)。今回登場した新型車輌は第三次車にあたるといえます。ただし、より営業用車輌に近づけた車輌とするため4輌編成で落成しました。全電動車で、鹿児島中央方先頭車の1号車と3・4号車が川崎重工製、2号車は日立製となっています。

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▲側面表示器はいわゆるフルカラーLEDが採用されている(左)。前照灯はHIDで後部標識灯にはLEDを採用(右)。'14.4.20 熊本 P:RM(小野雄一郎)
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今後は、九州新幹線の熊本~八代~鹿児島中央間ならびに新八代を経由して在来線(鹿児島本線)の熊本~八代間で試験走行が重ねられる予定(アーカイブ「フリーゲージトレインの新在直通試験を実施」参照→こちら)で、最終的にはいわゆる「長崎ルート」、九州新幹線武雄温泉~長崎間の開業の前提である新鳥栖~武雄温泉間での在来線区間を直通できる新在直通列車に使用される軌間可変電車の製造に、データ面で大きく寄与する車輌となることでしょう。

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▲パンタグラフは2号車にのみ1基搭載されている。/妻面を挟んで反対側の3号車屋根上にはパンタグラフへの投光器とカメラが設置されている。'14.4.20 熊本 P:RM(小野雄一郎)
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なお、試験走行の開始に先立ち、熊本総合車両所にて同車の報道公開が行われました。本誌5月発売号では、その模様をレポートする予定です。

取材協力:鉄道建設・運輸施設整備支援機構、九州旅客鉄道株式会社

※明日は不在のため小ブログは休載させていただきます。

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▲「オコジョ展望車輌」を組み込んだ今年度初の営業運転は時ならぬ雪中走行となった。'14.4.5 上野尻-徳沢 P:藤澤孝司 (「今日の一枚」より)
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15年目のシーズンを迎えた磐越西線の「SLばんえつ物語」号編成がリニューアルを遂げて運転を始めています。

140422n301.jpg昨シーズンには7号車(新潟方先頭)が展望室を備えたグリーン車(スロフ12 102)となり、今年度からは1号車(会津若松方先頭/スハフ12 101)が「オコジョ展望車輌」として生まれ変わりました。従来は5号車に売店を併設した「オコジョルーム」を設置して人気を博していましたが、今回はそのコンセプトをさらにパワーアップ。1号車すべてがファミリーで遊べる「オコジョルーム」と展望を楽しめる「オコジョ展望室」となっています。
▲スハフ12 101の車体側面に貼られたエンブレム。'14.4.3 P:『鉄おも!』(児山 計)
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▲「SLばんえつ物語」号の昨年度の編成内容(上)と今年度の編成内容(下)。JR東日本新潟支社プレスリリースより
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▲「オコジョ展望室」側から見たスハフ12 101。会津若松方の先頭車となる。'14.4.3 P:『鉄おも!』(児山 計)
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「オコジョ展望室」は森をイメージしたフラットベンチに座りながら、開放感のあるパノラマウィンドウで、流れる景色を楽しめるという趣向で、上り列車の場合はテンダの直後となるため、力行するC57 180号機のようすを間近に感じることもできます。

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▲「オコジョルーム」の全景。画面左が「オコジョの原っぱ」。専任のオコジョスタッフ(?)がアテンドしてくれる。'14.4.3 P:『鉄おも!』(児山 計)
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▲テーブルトンネル(左)にはキャラクター、オコジロウとオコミのマスコットも。'14.4.3 P:『鉄おも!』(児山 計)
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▲オコジョ展望室からオコジョルーム方を見る。手前からオコジョの山、オコジョの原っぱ、オコジョの森とゾーンが並ぶ。'14.4.3 P:『鉄おも!』(児山 計)
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この「オコジョ展望車輌」スハフ12 101の組み込みにともない、編成全体の塗色もグリーン車の「レトロ調大正ロマン」イメージに統一されています。
なお、今年の9月まででの運転では合計59日間が予定されています。

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▲オコジョ展望室から牽引機C57 180号機を見る。ブナの木をイメージしたシンボルツリー下にフラットベンチが備わる。'14.4.3 P:『鉄おも!』(児山 計)
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「義経」梅小路へ。

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▲「義経」は「国際花と緑の博覧会」で運転されたのち、1991(平成2)年に交通科学博物館に入り、専用の保存展示室で大切に護られてきた。'14.4.15 P:高橋 修
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4月6日に52年にわたる歴史に幕を下ろした交通科学博物館から、建設中の京都鉄道博物館への展示車輌移設のトップバッターとして、7100形「義経」号が梅小路蒸気機関車館へと運ばれました。既報(アーカイブ「"義経"構内運転復帰へ」参照→こちら)のとおり「義経」は動態での構内運転復帰のためにこれから約半年をかけて大規模な整備を行い、京都鉄道博物館のオープンより一足早く、本年10月頃から動態復帰した姿を見せてくれるはずです。

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▲住み慣れた弁天町をあとにするべくクレーンで吊り上げられる「義経」。'14.4.15 P:高橋 修
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▲深夜の一般道を一路梅小路へと向けてひた走る「義経」を乗せたトレーラー。'14.4.15 P:梅若 隼 (「今日の一枚」より)
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4月13日には旧交通科学博物館の屋外展示場で盛大に出発セレモニーが行われ、15日夜に長年住み慣れた弁天町をあとに、トレーラーに載せられて一般道を一路梅小路へ。大型蒸機と違ってそれほど大掛かりな陸送ではなく、2時間ほどで梅小路に到着、翌16日朝からクレーン車によって扇形庫12番線に取り下ろされました。

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▲梅小路に到着、山陰本線高架下で搬入の時を待つ。'14.4.16 P:高橋 修
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▲まずはテンダーが扇形庫12番線に下ろされ、人力で転車台へ(左)。普段は目にすることのできない機炭間のドローバー部も見ることができた(右)。'14.4.16 P:高橋 修
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▲続いてエンジン部が取り下ろされる。足回りとボイラ部が分離されていないだけに、テンダー同様にすぐに人力で転車台へ。'14.4.16 P:高橋 修
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その後、転車台を利用して人力で4番線に転線してエンジン部分と炭水車の縁ツナギを完了。4月17日10時30分から近隣の幼稚園・保育園児180名ほどを招いて歓迎セレモニーが開催され、「義経」はひさしぶりに梅小路の転車台上で"本線復帰"を果たしました。

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▲近隣の幼稚園・保育園児らの"綱引き"によって扇形庫からセレモニーの舞台となる転車台上へ引き出される「義経」。'14.4.17 P:高橋 修
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▲梅小路蒸気機関車館館長や梅小路運転区区長らによって盛大にくす玉開きが行われた。'14.4.15 P:高橋 修
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ちなみに、この「義経」の動態復活がなった時点で、梅小路が保有する動態保存蒸気機関車(車籍を有さないB20 10、8630を含む)は8輌となり、旧交通科学博物館から移管されるものを含めると、動態・静態含めて実に23輌の蒸気機関車が集合する、文字通りわが国最大のスチーム・センターとなります。

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▲扇形庫内に居並ぶ"後輩"機に見守られながら梅小路運転区の転車台に載った「義経」。'14.4.15 P:高橋 修
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▲軌道線を走る鉄道線用のデハ2+サハ1。鉄道線に戦後新造車が投入されると、"馬面電車"に代わって鉄道線用の電車も軌道線に入線するようになった。'58.8.23 P:髙井薫平 (RMライブラリー『花巻電鉄』(中)より)
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今月のRMライブラリーは先月に引き続き湯口 徹さんによる『花巻電鉄』の中巻をお届けします。上巻ではその沿革について解説いただきましたが、続く中巻ではいよいよ車輌の解説がスタートします。

RML177sh1.jpg俗に"馬面電車"と通称される車体幅1600㎜のボギー電車に象徴される花巻電鉄の車輌ですが、1915(大正4)年の開業時にはその姿はまだなく、電車は24人乗りの2軸電車デハ1号1輌、それに無蓋車2輌という合計3輌のみの陣容でした。2輌目の電車であるデハ2が登場したのは1918(大正7)年のことで、約3年間、電車1輌ですべての列車を運行したことになります。

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▲軌道線開業当初の2軸電車デハ1。オープンデッキで窓は無く、目出し帽か装甲車の如き風雨除けを取り付けた、不気味な姿の写真が残されている。 (RMライブラリー『花巻電鉄』(中)より)
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3輌目の電車であるデハ3が登場したのは1923(大正12)年。この電車は2軸ながらオープンデッキではなくなり、かなり"馬面電車"に近づきます。そして1925(大正14)年、ついに"馬面電車"のルーツである木製ボギー車デハ4が登場、1928(昭和3)年にはデハ5が増備されます。また、1925(大正14)年には鉄道線用の電車3輌も登場し、同時に電気機関車も投入されました。

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▲1925(大正14)年11月の西鉛電化延長に合わせて軌道線に木製ボギー車が登場。いわゆる"馬面電車"の登場である。 (RMライブラリー『花巻電鉄』(中)より)
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このように順調に車輌の増備を重ねた花巻電鉄でしたが、1931(昭和6)年、花巻駅裏にあった車庫で火災が発生、軌道線用電車3輌、付随車2輌、鉄道線用電車2輌、付随車1輌の計8輌が焼失してしまい、応急処置として線路がつながっていた岩手軽便鉄道から車輌を借り入れ、急場を凌ぐことになりました。

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▲岩手軽便鉄道からの借り入れ車輌で開業した鉄道線にも間もなく電車が登場。軌道線のボギー車登場よりこちらの方が数か月早かった。 (RMライブラリー『花巻電鉄』(中)より)
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本書中巻では開業からこの1931(昭和6)年の火災までに投入された木製電車を中心とする車輌群を、多数の資料と写真を交えて詳細に解説するとともに、岩手軽便鉄道から借り入れた車輌にも着目するなど、これまで知られることの少なかった初期の花巻電鉄の姿を詳らかにします。なお続く下巻では火災後に登場した鋼製電車を中心に解説し、3分冊の大作を締めくくる予定です。どうぞお楽しみに。

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▲「ボサ箱」と呼ばれていたという無蓋貨車の代用客車を連ねて村人の生命線でもあった連絡便がゆく。 (『魚梁瀬森林鉄道 りんてつ「私の記憶」』より)
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中芸地区森林鉄道遺産を保存・活用する会会長で、馬路村の魚梁瀬(やなせ)森林鉄道保存クラブ事務局長もお務めになっている清岡博基さんから、新刊『魚梁瀬森林鉄道 りんてつ「私の記憶」』をお送りいただきました。

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▲『魚梁瀬森林鉄道 りんてつ「私の記憶」』のカバー。全体に現代的感覚に溢れた見事なエディトリアル・デザインでまとめられている。 (『魚梁瀬森林鉄道 りんてつ「私の記憶」』より)
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RMライブラリー第29巻『魚梁瀬森林鉄道』(→こちら)でもご紹介している高知県の魚梁瀬森林鉄道は、わが国屈指の規模を誇り、なおかつ独自の技術的発展を遂げたことでも知られています。もちろん、近年では魚梁瀬丸山公園内で動態復活した保存車輌や、三宝山のインクラインの復元など"林鉄"をキーワードにした地域振興と歴史遺産の利活用でも知名度を高めているのはご存知のとおりです(アーカイブ「魚梁瀬森林鉄道の保存機たち」参照→こちら)。

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▲高知営林局発行の内燃機関車運転免許証など、これまでに公開されたことのない貴重な資料も随所に盛り込まれている。 (『魚梁瀬森林鉄道 りんてつ「私の記憶」』より)
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140418n003.jpgこれまでにも詳細な軌道跡踏査記録(アーカイブ「『高知県中芸地区森林鉄道遺産調査報告書』が完成」参照→こちら)などいくつもの成果を挙げてきている馬路村ですが、今回上梓されたのは、実際に森林鉄道の運転に関わっていた皆さんや、生活の中にあった森林鉄道を記憶されている皆さんの体験談を貴重な写真・資料とともにまとめたもので、林鉄を取り巻く日常生活を座談会形式で振り返る「山の女子会」の章などは、まさに地元ならではの視点といえましょう。
▲現存する実物の乗車券。「事故発生及び危害があっても総て補償はしません」の断り書きが記されている。 (『魚梁瀬森林鉄道 りんてつ「私の記憶」』より)
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▲「ガソ」や「山内線」といった林鉄用語解説も盛り込まれている。ちなみに森林鉄道用ブレーキとして全国に伝播した「堀田式制動機」は魚梁瀬森林鉄道が発祥。 (『魚梁瀬森林鉄道 りんてつ「私の記憶」』より)
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B5判オールカラー/48ページ(カバー付き)の本書は、「運転手」、「機関車」、「杣の仕事」、「日用の仕事」、「山師たちの思い出話」、「二つの営林署」、「山の仕事用語集」、「あの頃の満木荘」、「山の女子会」、「魚梁瀬森林鉄道を走らせた軌跡」などの章に分かれており、安芸森林管理署所蔵など初見の写真も数多く収録されています。

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▲最終章では清岡博基さん自らが魚梁瀬森林鉄道復活の経緯を振り返っておられる。 (『魚梁瀬森林鉄道 りんてつ「私の記憶」』より)
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発行は魚梁瀬森林鉄道保存クラブ。林鉄ファンのみならず書架に揃えておきたい本書は「馬路村ふるさとセンター、まかいちょって家」での販売で、以下の要領で通信販売も可能だそうです。
■馬路村ふるさとセンター、まかいちょって家
定価:1,000円+税+送料
高知県安芸郡馬路村馬路382-1
電話:0887-44-2333 
FAX:0887-42-1002
Eメール Umaji@umajimura.jp
http://www.umajimura.jp/
※営業時間9:00~17:00
電話、FAXまたはメールで注文。氏名、住所、電話番号、冊数を確認後、スタッフが指定の郵便局の払込先口座を伝え、入金の確認後に郵送。

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▲車体上部色「常盤(ときわ)グリーン」、下部色「飛雲(ひうん)ホワイト」、帯色「彩香(さいか)パープル」のH5系車輌完成イメージ。提供:JR北海道
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昨日、JR北海道から北海道新幹線新函館(仮称)開業に向けた自社車輌についての発表がありました。「H5系」と名付けられた新幹線用車輌はJR東日本のE5系をベースに、内外装の一部を変更したもので、4編成40輌が新造されます。

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▲北東北から北海道にかけて広がる豊かな自然や文化などのイメージを抽象化したH5系の客室内イメージ。上から大柄の青色の絨毯を採用したグランクラス客室、流氷の海明けをヒントにデザインされた通路のカーペットやナチュラルな北海道の豊かな乳製品をヒントにしたクリーム色の壁が特徴的なグリーン車客室、雪の函館の夜景をイメージした床敷物や、壁や天井の一部に木目を採用した普通車客室。提供:JR北海道
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H5系は東北新幹線への直通運転を考慮して、10輌編成の車輌構成や各種設備はE5系と共通性を持たせ、320㎞/hでの走行など性能面での基本仕様も同一となっています。ただし、北海道新幹線区間での営業最高運転速度は260㎞/h(在来線との共用走行区間は当面140㎞/h)とされています。

車体形状はE5系と同一で、東北新幹線とイメージの共通性を持たせるため基本の色構成もE5系をベースとしていますが、帯色は独自の「彩香(さいか)パープル」を採用しています。これは北海道の象徴でもあるライラックやルピナス、ラベンダーなどを想起させる紫色です。

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▲北海道新幹線用H5系の概要。編成構成はE5系を踏襲している。JR北海道プレスリリースより
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下り方先頭の10号車にはもちろん「グランクラス」も設定されており、このH5系の発表でいよいよ北海道新幹線開業も身近に感じられるようになってまいりました。なお、第一編成の落成予定は今年秋とアナウンスされております。

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▲現在の神戸電鉄湊川駅正面。昭和63年に開業60年を記念して駅正面付近の大改装が行われた。右手の建物が当時の切符売り場であった。屋上部には電照塔の土台が残っている。'14.1.4 P:宮武浩二
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戦前は湊川駅に隣接する新開地の歓楽街も賑やかだったそうですが、現在は地下駅となりこの地上の駅舎部はひっそりと静まり返っているのが印象的です。神戸電鉄にはこのほかに神有電車の名残として、開業すぐに新造されたデ101号が鈴蘭台車庫の入換車(無籍)として残っており、車窓からも見ることができます。

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▲神戸電鉄湊川駅への隧道入口。この先で旧切換工事が行われた。'14.1.4 P:宮武浩二
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▲旧ホーム跡は埋められている。正面の飲食店の存在で途切れているように見える線路跡だが、店舗の右側から地下通路に転用された隧道跡をたどることができる。'14.1.4 P:宮武浩二
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▲旧駅から続いていた隧道は地下通路として使用されている。なだらかな勾配がいかにも地上部に出る線路跡として名残が残る。'14.1.4 P:宮武浩二
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▲現在の湊川駅地上部のコンコース部。'14.1.4 P:宮武浩二
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このデ101は現役ではないものの、旧性能車が動く状態で残っているのは今となっては奇跡的なことで、山岳電車の香りを残す車輌としてたいへん貴重なものだと思います。以前「編集長敬白」で紹介されていた富士山麓鉄道の1号(アーカイブ「保存された富士山麓モ1」参照→こちら)と比較してみても興味深いものがあります。

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▲湊川駅の屋上は湊川公園として整備されている。正面中央の丸いものは大時計のケーシング。'14.1.4 P:宮武浩二
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ところで、神有電車については戦前かなり経営が厳しかったようで、四国の資本が投資されていたようです。当時の役員名簿には百十四銀行の頭取であった宮武恒造(私の大祖父)や琴平電鉄の社長であった大西虎之助氏などの名前も見えます。そんなことから神戸電鉄には親しみがあって調べてみました。

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▲神戸電鉄の起点を示す0キロポスト。昭和3年の開業当時からの起点であった歴史を伝えている。'14.1.4 P:宮武浩二
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▲現在の神戸電鉄湊川駅全景。開業当時は駅2階の「うなぎどこ」と呼ばれた部分に神戸有馬電気鉄道の本社が置かれていた。'14.1.4 P:宮武浩二
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神戸電鉄の湊川駅の地上部には、いまだに神戸有馬電気鉄道時代の駅舎が残されています。宮武浩二さんからその遺構のレポートをいただきましたのでご紹介いたしましょう。

140415n011.jpg神戸有馬電気鉄道(以下、神有電車)は、1928(昭和3)年11月28日に神戸湊川から有馬間を開業したのにはじまります。これから紹介する湊川駅は、旧湊川の堤防の高さで埋め立てて作られたもので、現在、川跡は公園として市民の憩いの場になっています。駅舎は堤防に沿った形で建設されていることから、現在では鉄道駅としての機能は地下駅化されているものの、駅舎は湊川駅の出入り口として開業当時の姿を残して使用されています。
▲開業初期の駅スタンプ。背景の神戸タワーは現存しないが現在の駅正面のデザインとほとんど変わらない。所蔵:宮武浩二
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▲開業当時は2階がレストラン、1階は切符売り場になっていた。駅名表示のあるところが窓口の跡。右手の階段も当時のままで、階段を上がると湊川公園に行くことができる。'14.1.4 P:宮武浩二
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▲開業初期の神戸有馬電車沿線案内の一部。右上に湊川駅の駅舎が画かれているのがわかる。所蔵:宮武浩二
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旧駅の線路跡はコンコースと飲食街に改装されていますが、隧道から駅につながる通路は、線路の跡とわかるような緩い勾配として現存します。建物の外側外壁も当時の姿が一部残り、中央部の丸い形状は大時計の跡です。

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▲旧隧道側から旧駅に向って勾配が続く。'14.1.4 P:宮武浩二
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▲旧駅入口部は神鉄横丁という飲食店街になっている。'14.1.4 P:宮武浩二
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▲さらに先に進むと旧駅構内に到着。'14.1.4 P:宮武浩二
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公園に上るとこの大時計の機械室ケーシングが当時のまま残っており必見です。その隣には「有馬行き電車」の電照塔の取り付け台も現存しています。駅舎の右手1階が旧切符売場、2階が旧レストランの跡です。

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▲大時計の後ろ側には機械室のケーシングが残っている。'14.1.4 P:宮武浩二
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▲昔設置されていた有馬温泉行きの電照塔の跡。'14.1.4 P:宮武浩二
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▲8000輌目となるE233系6000番代H023編成の前でのテープカット。左より宮下直人 株式会社総合車両製作所 代表取締役社長、松崎哲士郎 東日本旅客鉄道株式会社 執行役員 横浜支社長、豊田克孝 東京急行電鉄株式会社 鉄道事業本部 運転車両部 統括部長、川野邊 修 東日本旅客鉄道株式会社 常務取締役 鉄道事業本部 副本部長、照井英之 東日本旅客鉄道株式会社 鉄道事業本部 運輸車両部 次長。'14.4.14 総合車両製作所横浜事業所 P:RM(伊藤真悟)
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株式会社総合車両製作所では、前身である東急車輛製造株式会社が1962(昭和37)年に東急電鉄7000系として日本初のオールステンレス車輌を完成させて以降、ステンレス車輌の製造を続けてきましたが、このほどオールステンレス車輌の生産累計8000輌を達成。それを記念して、4月14日に同社横浜事業所において記念式典が開催されました。

140414n005.jpg記念式典は永久保存されている東急電鉄7000系デハ7052の前で、来賓である豊田克孝 東京急行電鉄株式会社 鉄道事業本部 運転車両部 統括部長、川野邊 修 東日本旅客鉄道株式会社 常務取締役 鉄道事業本部 副本部長、松崎哲士郎 東日本旅客鉄道株式会社 執行役員 横浜支社長、照井英之 東日本旅客鉄道株式会社 鉄道事業本部 運輸車両部 次長が紹介され、主催者である株式会社総合車両製作所の宮下直人代表取締役社長による挨拶、来賓祝辞と行われました。
▲E233系6000番代H023編成の前面に掲げられた記念のマーク。'14.4.14 総合車両製作所横浜事業所 P:RM(伊藤真悟)
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▲テープカットの後は、オールステンレス車輌生産8000輌達成の横断幕の前で記念撮影。'14.4.14 総合車両製作所横浜事業所 P:RM(伊藤真悟)
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▲東急電鉄7000系デハ7052の前で挨拶をする宮下直人 株式会社総合車両製作所 代表取締役社長。'14.4.14 総合車両製作所横浜事業所 P:RM(伊藤真悟)
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▲記念撮影ではJR東日本横浜支社のマスコットキャラクター"ハマの電チャン"も駆けつけて、オールステンレス車輌生産8000輌を祝った。'14.4.14 総合車両製作所横浜事業所 P:RM(伊藤真悟)
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続いて場所を同所正門へと変えて、8000輌目となるJR東日本横浜線向けのE233系6000番代(H023編成)の前でテープカットと記念撮影が行われました。この記念撮影ではJR東日本横浜支社のマスコットキャラクター"ハマの電チャン"も登場し、式典に花を添えました。

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▲永久保存されているデハ7052は、この式典のために今年の新入社員の手により車体が磨き上げられた。'14.4.14 総合車両製作所横浜事業所 P:RM(伊藤真悟)
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ご存知のように、同社では次世代ステンレス車輌「sustina」を設計・製造しており、今後も数多くのステンレス車輌の製造が予定されています。

取材協力・資料提供:株式会社総合車両製作所

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▲嘉義で顔を合わせたCK120形(日本のC12と同形)CK124(左)と阿里山森林鉄道の26号シェイ。P:中華民国鉄道文化協会
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アジア太平洋地域の保存鉄道の協力組織 「Asia Pacific Heritage and Tourist Rail Organisation」(APHTRO)が、台湾・高雄で年次総会を兼ねた国際会議を開催します。期日はゴールデンウィークの5月2日から6日まで。代表を務めておられる小田恭一さんからご連絡をいただきましたが、今回の主催者団体でもある中華民国鉄道文化協会もぜひこの機会に多くの日本人に台湾の保存鉄道の現状を知ってもらいたいと願っておられるそうです。

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▲台北機廠(台北工場)の内部。通常は見学することのできない工場内も目にすることができるという。P:中華民国鉄道文化協会
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おおまかなスケジュールは、5月2日(金曜日)に参加受付とバンケット、3日(土曜日)がAPHTRO年次総会、4日(日曜日)に蒸気列車試乗と彰化機関区の扇形庫見学、5日(月曜日)に烏樹林製糖工場のナローゲージ専用鉄道と台湾鉄路局の台北工場見学、6日に阿里山森林鉄道のシェイ式蒸気機関車のチャーター列車乗車となかなか盛りだくさんです。

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▲烏樹林の製糖工場専用線(762㎜)では動態保存蒸機によるエクスカーション・トレインが運転され人気となっている。P:古賀俊行
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▲彰化には見事な扇形庫と転車台が残されている。写真は転向中のDT650形DT668号で、日本のD51と同形機。P:中華民国鉄道文化協会
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折よく日本は連休、国際交流も視野にこの機会に台湾の鉄道遺産を訪ねてみられてはいかがでしょうか。なお、ブッキングフォームをはじめ、詳しくは下記APHTROのサイト(英語)をご参照ください。
http://www.aphtro.org/
・問い合わせ
http://www.aphtro.org/の Contact Us ページ(日本語可)

※掲載写真はイメージで期間中にこれらのシーンが必ず見られるわけではありません。

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▲クレーンに吊り上げられる金沢方先頭車(12号車)でグランクラスのW714-501。'14.4.7 川崎重工業兵庫工場 P:RM(伊藤真悟)
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2015(平成27)年春の北陸新幹線金沢開業に向けて、JR東日本ではE7系を製作のうえ先行で「あさま」で営業運転を開始しましたが、このほどJR西日本のW7系第1編成が完成し、4月7日に車輌製造メーカーの川崎重工業兵庫工場で搬出作業の模様が報道公開されました。

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▲先頭車側面に配置されたW7系のシンボルマーク。'14.4.7 川崎重工業兵庫工場 P:RM(伊藤真悟)
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当日は、金沢方先頭車で12号車(グランクラス)のW714-501をはじめとする6輌の車体がクレーンにより吊り上げられ、2輌ずつはしけへと積み込まれました。残る6輌も4月9日に搬出作業が実施されています。

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▲車号標記「W714-501」がW7系の証。JRマークはE7系に準じたものに。なお所属標記は「金ハク」となっている。'14.4.7 川崎重工業兵庫工場 P:RM(伊藤真悟)
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はしけに積み込まれたW7系第1編成は神戸港へと輸送され、神戸港にて貨物船に積み換えたうえで、4月中旬にも金沢港に到着し、その後、陸送で白山総合車両所へ搬送されることになっています。

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▲はしけへと積み込む一連の動き。'14.4.7 川崎重工業兵庫工場 P:RM(伊藤真悟)
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気になる第1編成の編成番号は「W1」。かつての500系第1編成を連想させるものがあります。今後、JR西日本ではW7系を計10編成(120輌)投入する予定で、完成したW7系は順次白山総合車両所へ搬入されることになります。

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▲JR西日本W7系編成図。提供:JR西日本
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▲床下機器関係の艤装の模様も公開され、普段は見ることのできない連結器カバーが外された先頭車の姿を見ることができた。'14.4.7 川崎重工業兵庫工場 P:RM(伊藤真悟)
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なお今回の報道公開では、搬出作業公開の前に車輌製造工程も公開され、艤装工場において製造途中の車輌に床下機器を取り付ける工程などがお披露目されました。
取材協力・資料提供:西日本旅客鉄道株式会社・川崎重工業株式会社

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▲北リアス線最大の被害を受けた島越駅も復旧を遂げた。巨大な築堤が構築され、駅そのものの位置も田野畑方の島越第1隧道入口付近へと移った。なお、駅舎はまだ未完成。'14.4.6 島越 P:桃根 医
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6日(日曜日)には北リアス線が全線で運転を再開しました。震災5日後に久慈~陸中野田間でいちはやく運転を再開し、その後部分復旧を重ねてきた北リアス線ですが、最後に残された田野畑~小本間の被災状況は極めて深刻でした。

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▲「あまちゃん」で北三陸駅長・副駅長を演じられた俳優杉本哲太さんと荒川良々さんが参加したくす玉開花。'14.4.6 久慈 P:桃根 医
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▲運行再開を祝うヘッドマーク(左)や幟(右)。'14.4.6 久慈 P:桃根 医
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▲北リアス線全線運行再開記念乗車証明書や一日フリー乗車券類(左)。右は三陸鉄道北リアス会が配布したポケットティシュ。'14.4.6 P:桃根 医
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ことに橋脚、橋梁が流されて壊滅的被害となった島越駅付近は、橋梁を再構築するのではなく、新たに防潮堤を兼ねた巨大な築堤が構築されて、そこに新設軌道が敷設されました。万が一を考慮して駅の位置もトンネル近くに移され、震災前とはまったく異なる景観となっています。ただ、メルヘンチックな駅舎はそのイメージを踏襲して新築されるそうで、現在も工事が続いています。

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▲島越地区で唯一残ったお宅では、自作の横断幕を掲げて全線運行再開を祝った。'14.4.6 小本-島越 P:桃根 医
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今回、数々の写真をお送りくださった桃根さんが、ぜひ紹介してほしいとおっしゃっておられたのが上の写真です。あえて桃根さんからのメールをそのままご紹介させていただきます。
高台に写っている民家はあの大津波で全てが押し流された島越地区の、唯一残ったお宅です。私も震災2ヶ月後の惨状を現地で直接見て来ましたが、そこに広がる変わり果てた姿は「瓦礫の山」という無機的な一言ではとても言い表しがたいものでした。埋もれた寝具、食器、本、おもちゃ...それは紛れもなく「ついこの瞬間まであった"日常生活"」の跡でした。今まで3年間、その姿を眼下に見ながらなおこの地に留まり暮らし続けられていた住人の方のお気持ちはとても計り知れません。普段の撮影ならば程よく俯瞰に適した場所なのでちょっと軒先をお借りして、などということも考えますが、通算4回ほどここを訪れても今なお掛ける言葉が選べず、結局今までお話しできずじまいです。そのお家が、今回の全通日に際し「おかえりさんてつ」の横断幕を掲げ列車を歓迎している姿に涙が止まりませんでした。

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▲108Dに併結した北リアス線の運行再開記念列車。2輌目が新お座敷車輌36-Z1。'14.4.6 陸中野田-陸中玉川 P:桃根 医
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▲北リアス線に投入された新お座敷車輌36-Z1の客室内。P:新潟トランシス提供
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ところで今回の運行再開にあたっては、クウェート国からの支援などを活用して一般型気動車(36-700形)3輌と、北リアス線用の新型お座敷車(36-Z1)と南リアス線用の新型レトロ車(36-R3)各1輌が新製されています。ことに新型お座敷車は掘り炬燵風の畳敷きボックスシートが誂えられており、三陸鉄道の新たな観光資源として期待されます。

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▲全線で運転再開したとはいえ、沿線にはまだまだ震災の生々しい傷跡が残っている。'14.4.6 島越-小本 P:桃根 医
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震災から3年余...幾多の困難を乗り越えて三陸鉄道は全線での運転を再開しましたが、北リアス線と南リアス線を結ぶJR山田線釜石~宮古間はいまだに復旧の目途がたっていません。今年になってJR東日本は同区間を復旧したうえで三陸鉄道に経営移管する案を示しており、三陸の鉄道が震災前の姿を取り戻せるのかは予断を許しません。

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▲南リアス線全線運行再開記念式典開催後、釜石駅ホームでは盛大にくす玉開花が行われた。'14.4.5 釜石 P:桃根 医
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東日本大震災から3年あまり、ついにあの三陸鉄道が全線運行再開に漕ぎ着けました。先週末、4月5日(土曜日)には南リアス線、翌6日(日曜日)には北リアス線全線で運行が再開され、桃根 医さんが多くの写真をご提供くださいましたので、今日と明日に分けてその模様をお目にかけましょう。

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▲11時30分、36-R3と36-700形の2輌編成で盛を出発した運行再開記念列車。'14.4.5 盛 P:桃根 医
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▲南リアス線に投入された新レトロ車輌36-R3の客室内。P:新潟トランシス提供
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あの2011年3月11日、東日本大震災発生とともに三陸鉄道は壊滅的とも言える被害を受けました。しかし、なんと被災5日後の3月16日には久慈~陸中野田間で運転を再開、信じられないほどの情熱で三陸鉄道は復旧を進めてゆきます。この背後にあった苦悩と奮闘については、復旧の要を担った同社の冨手 淳旅客サービス部長が先ごろ上梓された書籍『線路はつながった 三陸鉄道復興の始発駅』(新潮社刊)に詳細に綴られていますが、同書を読むと、情念とも呼べる「三鉄」の復旧にかける思いにただひたすら感動します。

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▲南リアス線全線運行再開記念列車の出発式ではクウェートの全権大使が記念ヘッドマークを手にした。'14.4.5 盛 P:桃根 医
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▲36-700形の側面に貼られた、クウェート国からの支援に感謝を示したステッカー(左)。右は恋し浜駅に下げられた手作りの貝殻のメッセージ。'14.4.5 P:桃根 医
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さて、2011年3月20日には北リアス線田老~宮古間、3月29日には小本~田老間、翌2012年4月1日には陸中野田~田野畑間、2013年4月3日には南リアス線吉浜~盛間と運転再開を重ねてきた三陸鉄道で、最後に残された区間が南リアス線釜石~吉浜間と、北リアス線田野畑~小本間でした。

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▲南リアス線全線運行再開一番列車の車内はひまわりの花で飾りつけられた。'14.4.5 釜石 P:桃根 医
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▲ホームいっぱいに大漁旗や幟が掲げられて記念列車を待ちわびる平田駅。'14.4.5 平田 P:桃根 医
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▲見事に復旧した軌道を軽快に走る36-R3+36-700形の2連。'14.4.5 吉浜-唐丹 P:桃根 医
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先週土曜日(5日)に行われた「南リアス線全線運行再開記念式典」では多額の震災復興支援を行ったクウェートの全権大使夫妻も臨席して、多くの方が運行再開を祝しました。

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江差線 ついにあと一か月。

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▲江差のシンボル・鴎島を望みながら南浜付近の海岸線を行く。'14.3.10 江差-上ノ国(4177D) P:辻 晴穂
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江差線木古内~江差間42.1㎞の廃止までいよいよ一か月あまりとなりました。地元・江差在住の辻 晴穂さんが最新の画像をお送りくださりましたのでお目に掛けましょう。

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▲湯ノ岱駅で見られるスタフ交換。江差線湯ノ岱~江差間では最後までスタフが使用される。'14.3.23 湯ノ岱(131D) P:辻 晴穂
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140407n202.jpg今年はいつになく積雪量も多かったそうですが、さすがに4月の訪れとともに雪解けも進み、今では山間部以外ほとんど雪はなくなったようです。いっぽうで春休みとともに名残の乗車をしようとする方が引きも切らず、一部列車は2輌編成に増結されているものの、それでも結構な混雑ぶりだそうです。
▲豪雪に見舞われたこの冬、排雪モーターカーも大活躍したが、このシーンももう目にすることはできない。'14.2.9 宮越-湯ノ岱 P:辻 晴穂
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▲昔ながらの交換駅の風情が残る湯ノ岱駅。木古内〜江差間唯一の交換駅である。'14.3.22 湯ノ岱(131D) P:辻 晴穂
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運転終了は来月5月11日(日曜日)。地元・江差で先祖代々江差線を見続けてきた辻さんは、最後に蒸気機関車を走らせたいと願っておられたそうですが、残念ながらそれはかないませんでした。しかし、最終日とその前日、JR北海道の企画列車としてDE10と14系客車による「さようなら江差線号」が運転されることが決まりました。

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▲雄大な夕日をバックにキハ40の単行が木古内を目指す。'14.3.24 宮越-湯ノ岱(4177D) P:辻 晴穂
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■「さようなら江差線号」
江差線(木古内〜江差間)運転最終日とその前日の5月10日(土)・11日(日)の両日、DE10牽引による「さようなら江差線号」が運転される。編成は「SL函館大沼号」用の14系客車2輌+緩急車で、DE10形2輌が前後につくプシュプル編成となる。各日160名限定の函館発着ツアーで、乗車にはツアー参加が必要(詳しくはJR北海道函館支社PDF参照→こちら)。

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▲1970年代末、江差線(函館~木古内間)にはまだDE10牽引の客車列車が残されていた。A寒地仕様DE10 1026〔五〕の牽く1722レ。SGの蒸気が時代を感じさせる。'79.2.15 上磯 P:名取紀之
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あと一か月あまりで消えてゆく江差線木古内~江差間。道内でのJR線の廃止は1995(平成7)年の深名線以来、実に19年ぶりとなります。

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紅葉山は今...。

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▲石勝線新夕張駅には紅葉山駅の記憶を留めようと駅名標が建てられている。'14.3.26 P:古村 誠
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40年ほど前であれば、4月3日ともなるとそろそろ北海道周遊券の有効期限も迫り、帰京の青函連絡船が気になる頃...そんな原体験をお持ちの方も多いのではないでしょうか。ことに無煙化直前に渡道した方にとって夕張線紅葉山(現、新夕張)は忘れえぬ駅だったはずです。先週、古村 誠さんがその紅葉山を訪れて写真をお送りくださいましたのでご紹介いたしましょう。

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▲石勝線ホームの眼下にはかつての紅葉山駅の跡地が広がっている。'14.3.26 P:古村 誠
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懐かしい夕張線紅葉山(現、新夕張)を訪れたのは3月26日(水)のことです。前週からの荒天が一転して穏やかな天気に恵まれ、清水町で酪農を営む友人宅に二泊三日したのち、
最終日に新得側からスーパーとかち6号で新夕張に入りました。

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▲紅葉山駅の跡地から追分方を望む。背後は蒸機時代にも背景となっていた山。'14.3.26 P:古村 誠
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ご承知のように現在の新夕張駅は紅葉山駅背後の高台に造られています。新夕張駅駅舎を出ると町内の案内図とともに紅葉山の駅名標が残されており、看板の右手の階段から旧駅構内をしばし眺めました。かつての紅葉山のイメージしかない方には位置関係がわかりにくいと思いますので、手書きの略図を見ながらご覧ください。

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▲紅葉山時代と現在の対比略図(左)。右は紅葉山構内で発車を待つD51 733〔追〕。'75.8 紅葉山 P:古村 誠
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駅の南西、追分側には山(図の③)があり、①から③方向を写したのが上の写真です。そしてこの場所で1975(昭和50)年8月に撮ったのが右の写真で、すっかり様相が変わってしまっているのがわかります。ちなみに夕張方面行は空荷ですが登り坂なのでそれなりに煙を吐きました。

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▲かつての紅葉山駅構内の追分方から駅舎があった方向を見渡す。'14.3.26 P:古村 誠
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旧駅構内の追分側端(図の②)まで歩いて駅構内(図の①)方向を見ると今は道路になっています(上写真)。1975(昭和50)年3月に来たときは追分側の山(図の③)の中腹まで登り、紅葉山構内を見下ろした俯瞰撮影を試みました。

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▲追分方の山の中腹から紅葉山駅構内を俯瞰する。かなり大きな市街が広がっていたことがわかる。'75.3 紅葉山 P:古村 誠
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現在は新夕張(紅葉山)の追分側はトンネルになっていますが、石勝線開通前は夕張川沿いでした。今でも旧線跡が残っていて当時を思い起こすことができます。

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▲新夕張駅に到着するスーパーとかち。追分方はすぐにトンネルとなっている。'14.3.26 P:古村 誠
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▲夕張川沿いに続く旧線跡(上)と、ほぼ同地点を行くD51牽引の貨物列車。'14.3.26/'75.8 P:古村 誠
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紅葉山の街は店舗や食堂があった記憶が残っていないのですが、駅前に旅館があったことを覚えています。駅前通りの突き当りには現在も旅館がありますが、当時の名前を覚えておらず同じかどうかはわかりません。それと、初めて紅葉山を訪れたとき、公衆電話が手回しの呼び出し式電話機だことが印象に残っています。

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▲かつての紅葉山駅前には旅館とコンビニがある(左)。紅葉山駅跡地から新夕張駅を見る(右)。'14.3.26 P:古村 誠
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今は駅前には道の駅を兼ねたスーパーがあり、また、コンビニもあり便利になったものだと思いました。北海道の、かつて撮影に訪れた駅前の多くは以前より寂れてしまっていますが、ここは国道が通ったことが幸いし、以前と同じか少しにぎやかになった感じで何となく嬉しくなりました。

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▲市街背後の山から紅葉山駅を見下ろす。駅後方の一段高くなっている部分が石勝線の線路。'75.3 P:古村 誠
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※明日は不在のため小ブログは休載させていただきます。

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▲梅小路蒸気機関車館の扇形庫12番線に設けられた特設ステージ。すぐ横にはC62 1号機の巨体が...。'14.3.30 梅小路蒸気機関車館 P:RM(山下修司)
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『屋鋪 要の保存蒸機完全制覇』が好評で一般マスコミでも広く取り上げられて、思わぬ反響もいただいております。先般ご案内申し上げましたように、去る3月30日(日曜日)には、蒸気機関車の殿堂、京都・梅小路蒸気機関車館で「元プロ野球選手・SL写真家 屋鋪 要トークショー」も行われました。あいにく私は都内での講演の予定が入ってしまっていてうかがえなかったのですが、直接編集を担当した『国鉄時代』の山下編集長が梅小路に行ってまいりましたので、当日の様子をお目に掛けましょう。

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▲屋鋪さんのトークに聞き入る参加者の皆さん。時折聞こえてくるD51 200号機の汽笛がなによりのBGM。'14.3.30 梅小路蒸気機関車館 P:RM(山下修司)
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屋鋪さんのトークショーは21日の東京・秋葉原書泉ブックータワー(アーカイブ「大盛況だった屋鋪 要さんトークショー」参照→こちら)に続いて2回目となりますが、今回は梅小路蒸気機関車館の扇形庫の中の特設会場で、機関車の入換えを行いC62 1号機を会場脇に配置、逆サイドにはD51 1号機が鎮座するという舞台配置。熱列な蒸機ファンの屋鋪さんにはこの上ないステージとなりました。

140401n008.jpg朝からの風雨のため、特急「サンダーバード」が米原迂回するという天候でしたが、熱心なファンの皆さんが集まり約100席はほぼ満席で、フリースペースなので知らずに入館した家族連れも立ち見で参加する盛況ぶりとなりました。季刊『国鉄時代』でおなじみの佐竹保雄さんなど関西在住のベテランファンの方々のお顔も見られます。
▲重要文化財となっている扇形庫で楽しいトークが繰り広げられた。'14.3.30 梅小路蒸気機関車館 P:RM(山下修司)
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▲モニターにはお父様との思い出の写真をはじめ、保存蒸機巡礼でのエポックの数々が映し出された。'14.3.30 梅小路蒸気機関車館 P:RM(山下修司)
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屋鋪さんは開口一番、「今では蒸気機関車の"屋鋪"の方で知られるようになりました」。これはウケを狙ったわけではなく、事実、インターネットで検索してみると、選手名鑑より上に『屋鋪 要の保存蒸機完全制覇』がきています。幼い頃の蒸機とのなれそめから、熱烈な蒸機ファンであったお父様の話など、大型モニターには屋鋪さん撮影の写真が映し出され、女性MCの軽妙な進行でトークが進みます。

140401n007.jpg54歳という年齢で急行「ニセコ」をお撮りになっている屋鋪さんですが、その後、野球漬けの日々となり、そしてプロの道に。長い月日が流れ引退後、東京・神田にあった交通博物館で出会ったC57 135を見てにわかに少年の日々が甦り、月刊『レイル・マガジン』通巻117号の特集「蒸機こそすべて」の保存国鉄蒸機全機を撮影された関 高生さんに刺激を受けて、国鉄・私鉄・産業用・遊戯施設などすべての蒸機を撮影しようという途方もない計画をたてたのでした。
▲原点となった本誌117号を掲げてその経緯を解説。'14.3.30 梅小路蒸気機関車館 P:RM(山下修司)
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昨年、南大東島の大東糖業2号機の撮影で601輌全機の撮りつぶしを完了するまでの7年間の蒸機との出会い、そして人との出会いを多彩なエピソードに笑い話なども交えて語る合間にもスチーム号D51 200号機の汽笛が響き、トークショーを盛り上げてくれます。

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▲サイン色紙の抽選会(左)や、サイン会もたいへんな盛り上がりとなった。'14.3.30 梅小路蒸気機関車館 P:RM(山下修司)
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幾度となく訪れた屋鋪さんにとっても聖地である梅小路蒸気機関車館、その扇形庫の中でのトークショーとはご本人の喜びもかなりのもの。それが皆さんにも伝わって、春爛漫の京都に相応しい楽しいひとときとなりました。そして抽選によるサイン色紙プレゼントに続いて著書サイン会も大盛況、あっという間の1時間がすぎ、満面の笑みで多くの方との記念写真に収まる「盗塁王」なのでした。

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▲セイジクリーム塗装となった81111号編成。'14.3.28 森林公園検修区 P:RM(高橋一嘉)
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東武鉄道では、東上線の最初の区間である池袋~田面沢(たのもざわ:現在の川越市~霞ヶ関間の中ほどに位置)間33.5㎞が1914(大正3)年5月1日に東上鉄道の手によりにより開業してから100周年を迎えることを記念し、8000系電車1編成4輌を以前施されていたセイジクリーム塗装に変更しました。

140401n204.jpgセイジクリーム塗装について改めて解説しますと、この塗装はそれまでのロイヤルベージュとインターナショナルオレンジのツートンカラーに代わって1974(昭和49)年6月から変更されたもので、当時東武鉄道に在籍していた全てのロングシート車、そして熊谷線用のキハ2000形にも波及しました。


→東上線100周年のヘッドマークを付けた81111号編成。ワンマン改造車で、東上線小川町~寄居間と越生線坂戸~越生間で運用される予定。'14.3.28 森林公園検修区 P:RM(高橋一嘉)
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▲車内は腰掛モケットが往時の金茶色のものに変更されている。 '14.3.28 森林公園検修区 P:RM(高橋一嘉)
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しかし、その期間は決して長いものではなく、11年後の1985(昭和60)年10月からは現在のジャスミンホワイトとロイヤルブルー+リフレッシュブルーに変更を開始。最後まで変更されなかった日比谷線直通用の2000系が1993(平成5)年に引退したことによりセイジクリーム塗装は消滅しました。

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▲運転台の腰掛モケットも変更されている。'14.3.28 森林公園検修区 P:RM(高橋一嘉)
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さて、今回セイジクリーム塗装に変更された編成は81111号編成(寄居方からクハ84111-モハ83111-モハ82111-クハ81111)の4輌編成で、側面の車号標記も当時の書式に戻されているほか、車内の腰掛モケットも優先席を除き金茶色に復元されています。この編成は3月29日から越生線で運転を開始、今後は東上線小川町~寄居間ならびに越生線坂戸~越生間で運転される予定です。

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